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《2018.June》あみんちゅ弾丸ツアーで訪ねるTHE DAY IN OKINAWAその参~追悼式・本島南部戦跡巡り編~<br /><br />気が付けば6月23日の沖縄慰霊の日を現地で過ごす旅も早や4回目。内地で知る〝この日〟があまりにも違うことを知り、毎年訪れるようになりました。ただ知れば知るほど奥が深いことを知るものの、その準備に費やす時間が日に日に無くなって来たこともあり、今年を以ってしばらく定期的な来沖をやめようと考えました。それにあたって今までお世話になってきた宿泊施設をすべて回り、思い出に代えようと考えました。しか~しその前に立ちはだかったのはまさかの〝現実〟でした。現在勤務している店が耐震問題で建て替えることとなり、それに伴い異動辞令が出るはずがまさかの延期。既に他店に移動した者もいる中で、1週間の休みは当然却下となりました。とはいえ長きに渡ってお世話になった店舗ゆえ自己理由で押し通せる訳もなく、4日に短縮ということでやっと許可して貰います。<br /><br />そして迎えた平成30(2018)年6月23日戦後73年目の慰霊の日。南城市奥武島からスタートし未訪問地や慰霊祭が行われる場所等を巡りつつ平和祈念公園の式典参加を挟んで、白梅之塔慰霊祭から再び慰霊碑を巡り、最後は平和祈念公園で締め括る予定をしています。さぁどこまで予定通りに行けたのやら…。それではThe day in OKINAWAの日が始まります。<br /><br />平成30(2018)年6月23日土曜日<br />ゲストハウスりゅうかく 09:08(0.0km・0.0km・145.3km・0.0km/h)<br />奥武島トイレ 09:09(0.4km・0.4km・145.7km・24.0km/h<br />09:43<br />独立高射砲第二十七 10:03 (10.2km・10.6km・155.9km・34.0km/h)<br />大隊英霊の碑慰霊碑 10:14<br />魂魄之塔 10:27(6.8km・17.4km・162.7km・31.4km/h)<br />11:14<br />ずゐせん之塔 11:18 (1.1km・18.5km・163.8km・16.5km/h)<br />11:25<br />農業研究センター 11:32 (3.3km・21.8km・167.1km・28.3km/h)<br />(シャトル乗車)11:38<br />(シャトル出発)11:43<br />平和祈念公園 11:56<br />※お焼香<br />(開始)12:53<br />(終了)12:58<br />(シャトル並ぶ) 13:25<br />(シャトル乗る) 13:43<br />(シャトル出る) 13:46<br />農業研究センター 14:01<br />(車乗車)14:03(3.3km・21.8km・167.1km・28.3km/h)<br />14:16<br />白梅之塔 14:23(2.4km・24.2km・169.5km・20.6km/h)<br />15:05<br />でいご駐車場 15:14(4.3km・28.5km・173.8km・28.7km/h)<br />17:26<br />イオン那覇 17:59 (14.4km・42.9km・188.2km・26.2km/h)<br />18:57<br />フ ァミ マ 19:21(15.3km・58.2km・203.5km・38.3km/h) <br />糸満米須店 19:30<br />平和祈念公園 19:36 (3.0km・61.2km・206.5km・30.0km/h)<br />20:28<br />みん宿ヤポネシア  20:32(2.5km・63.7km・209.0km・37.5km/h)//<br /><br />今朝も目覚ましよりも早く起きました。珍しく宿泊客は私ひとりなので気楽てす。8:00におじぃに朝食コールを頂き、いつもの共有スペースでご自慢の朝食を頂きます。フルーツたんまりの朝食は、南国に来た~って思う瞬間です。お腹も減っていたのでペロッと平らげます、う~ん・・・満足のひと時です♪<br /><br />いつもならばチェックアウトギリギリまで話し込むのですが、今回に限っては時間が決まっている場所が多いためにそうもいきません。荷物を作り記録用の写真を撮りに一旦外へと出ます。借景の隣地の木々が伐採されていることに気付き、宿のHPに載せられている写真のような景色を初めて見ることができました。<br /><br />そして9:00過ぎに出発します。いつもとは違いテキパキとした出発に驚くおじぃとおばぁに見送られて出発します。旅三日目のThe day in OKINAWAの始まりです。<br /><br />宿を出て左に進むとすぐに奥武橋を渡って行けるのですが、いつものように右方向へと進み、勝手に命名した奥武島トイレに向かいます。別にトイレに用がある訳ではなく、奥武島最南端のこの場所は平和祈念堂や平和祈念資料館を望める場所でもあるため、景色をカメラに収めて出発します。そのまま反時計回りに島を周回し、奥武橋を渡り国道331号線を西進します。そして高良交差点を曲がり、本日最初の目的地へと向かいます。独立高射砲第二十七大隊英霊の碑慰霊碑。沖縄戦に投入された高射砲部隊のひとつですが、中部戦線からの離脱時に武器となる高射砲は置いて行かざるを得なくなり、この地に辿り着いた時には一門しか残っていない状況でした。兵士はいても武器がない。加えて一発撃つと10倍になって反撃を喰らう高射砲では、砲を使うこと=被害が増えることにしかならない状況下で、残る兵士ができることは捨て身の斬り込みしか残っていませんでした。沖縄戦の組織的抵抗が終わったとされる昭和20(1945)年6月23日は、こちらに祀られている独立高射砲第二十七大隊が玉砕を遂げた日でもあるそうです。そんな因縁の日に慰霊碑を訪れて枯れた花しか残っていなかったら仕入れに走らなければ・・・と考えていましたが、どうやら考え過ぎだったようです。地元の方らしいおばぁが数人花を手向けておられました。こんにちはと私からの感謝の意を込めて挨拶をし、戦没者の冥福を願い手を合わせます。軍関係の慰霊碑というと枯れた花が当たり前という現実を見続けた者の一人としてホッとした気持ちになれたイチ観光客でした。<br /><br />再び車を走らせます。既に平和祈念公園前は駐車規制されておりそのまま通過します。米須あたりで平和行進とすれ違いますが、参加者の高齢化の影響もあるのか年々行進集団の列が長くなっているようにも思えます。この行進には警察車両は付いておらず、あくまで個人の判断で車の離合をするようになっており、時には路肩に車を停めるなどしながら進んで行きました。<br /><br />米須西交差点を左折して、魂魄之塔へと向かいます。毎年追悼式後に立ち寄ってはいますが、新聞等で紹介されている〝祈りの風景〟は午前中のものだということを知り、先に訪れてみました。薄暗い中での祈りではなかったものの、やはり地元の方が主体となった追悼の祈りはやはり厳かな雰囲気もありました。そんな中でやはりこの日を目的として沖縄を訪れている観光客約1名も目立たぬように祈りを捧げる集団に加わって手を合わせます。そして付近の都道府県別慰霊塔にも手を合わせた後、今日この日だけ一般開放されている場所を訪れます。沖縄菩提樹苑、ブッダが悟りを開いたと言われる〝聖なる菩提樹〟が、沖縄戦での戦没者慰霊という目的に於いて2,300年ぶりに国外へと持ち出されたという貴重なものが平成5(2003)年に植えられました。沖縄という取り巻く自然環境の厳しさから守るために、建物内に収められていますが、6月23日の慰霊の日に行われる平和行進の休憩所として開放されています。その恩恵を被るためにも是非とも訪れたかった場所のひとつでした。<br /><br />チベット旗ご巻かれている聖なる菩提樹。先入観もあるのかも知れませんが、菩提樹の放つオーラは凄いものです。手を合わせるものではありませんが、やはりブッダが入滅した沙羅双樹の樹とともに見ることができたことは、苦労して日程を合わせた甲斐がありました。<br /><br />三年越しに叶った沖縄菩提樹苑の訪問の後は残り時間を見ながら立ち寄り地を探します。そして米須西交差点手前のずいせん之塔を訪れ、これから行われる慰霊祭の準備として多くの花が手向けられている姿を目にします。いつもならば慰霊祭後の訪問となっていたため、花は手向けられてはいるものの、後片付けの慌ただしいところしか見られないため、残念な気持ちが強かったのですが、やはり慰霊祭前の厳かな雰囲気を味わうことができたのはひとつの収穫でした。そしていつも通りに手を合わせ、学徒犠牲者の冥福を願いつつ時間が近付いていたこともあり、シャトルバス乗り場に向かうことにします。<br /><br />3年続けて利用した沖縄県立農業研究センターのシャトルバス乗り場、平和祈念公園から最も近いのは沖縄清明の丘公園ではあるのですが、一般車両が平和祈念公園駐車場に停められないことを知らなかった方が多くりようすることもあり、余裕を持ち過ぎたあるいはギリギリの時間は混雑し待ち時間が生じる可能性の高いことを知り、那覇方面や糸満戦跡の慰霊祭へと向かうには、県道7号線からそう離れないで済む場所が都合が良いことを知ってから利用しています。ただつまらないことをクレームにするものも多く、バスの待ち時間が長いとのことから各方面シャトルバスの本数がかなり増えていました。しかし基本はドライバーの就労時間の問題も絡んでおり、全てのバスが色々な方向に走ることもできません。その結果一番多くの人員を乗せることができる路線バスのノンステップバス車両までが今年は投入されていました。ただ走る区間は県庁前路線なので乗車時間は最も長いため、それはそれでまたクレームを付ける輩も居そうですが・・・。そんな中で農業研究センター路線は60人乗れる観光バスが投入されており、待ち時間は発生するものの座っての移動は確約されます。そんな中でひと昔前のセレガに乗って12分、無事平和祈念公園へと到着します。<br /><br />去年は正午をバス車内で迎え、黙祷を捧げた記憶がありました。今年は取り敢えず平和祈念公園には到着したものの、式典会場までは辿り着けずに黙祷を捧げる形になりました。そして平和の詩の朗読は浦添の中学生が読み上げます。毎年感心するのですがすごく立派な文章を抑揚をつけて読み上げる様は大人顔負けです。後で報道陣に囲まれる姿を見ると普通の可愛い中学生としか見えないのが本音です。勿論沖縄県中の小中高生からの選抜なので凄いのは間違いないのですが、ウン十年前の私が中学生だった頃にそんな文章が書けたとは到底思えず苦笑するしかありません。ちなみに内地の新聞には平和の詩朗読者の写真までは掲載されてはいませんでしたが、どうやら今年の朗読者である相良倫子さんは可愛さMaxだったと見え、やたら新聞にも顔写真が載っていたようです。でも新聞の顔写真よりもはにかんだ顔で報道陣に答えていた彼女はもっと可愛いい女の子でしたよ~♪<br /><br />その後はいつもの流れ通りで現実逃避の翁長知事の平和宣言、それに安倍首相。そして下品なヤジ・・・。ヤジる機会は1年364日ある訳なので他の日にやれば良い。なぜこの日に限ってやろうとするのか?思想信教問わずして最近ではあの馬鹿げたヤジの応酬に対し、安倍首相をはじめ米軍関係者の追悼式参列を快く思っていない方々からも不評だという事実を知らないようですね。なぜこの場で行う必要があるのか?追悼式に慰霊の気持ちを持たずして参加しているのかと〝恥〟だと感じている方々が年々増えています。そんなヤジ合戦を動画撮影をしてYouTubeに投稿している暇人も少なからずいるようですが、そんなネタを作る場ではないこと位気付いて貰いたい・・・と改めて思います。確かに理解できない方も多く参列はしていることは事実ですが・・・。<br /><br />式典も終了し一般焼香が始まりますが、ここで混雑の原因が報道陣にあることを知ります。祭壇に向かってまっすぐ並ぶのは当たり前のこと。その通路を遮断するようにカメラマンが陣取っています。こいつら毎年行われている式典の展開がわからんのか(怒)?と思う位にのんびりしています。こう言った自分本位の報道を行わせているのが沖縄の二紙であり、テレビ局であることは恥ずかしいとは思っていないのでしょうね・・・大の大人が情けない・・・。<br /><br />馬鹿はほっといてお焼香の列に並んだので、早い時間に終えてしまいました。そしてあたりを見回すと島守之塔前で慰霊祭が行われている様子を見つけました。沖縄の父と称される島田叡知事をはじめとする沖縄県職の慰霊祭、あって当然のことですが公式発表されていなかったこともあり、はじめて知りました。比較できる偉人ではありませんが、昭和20(1945)年1月という沖縄戦開戦が時間の問題だった時に、自分が行かなければ誰が行くと敢えて沖縄行きを決めた島田知事の心の強さには脱帽するしかありません。戦争で荒れた沖縄をどうにかしようと尽力した島田知事と荒井県警本部長。未だ遺骨は見つかってはいませんが、なんらかの形で見つかってくれればと切に願います。島守之塔に手を合わせた後、祖父の祀られた栃木之塔と平和の礎に刻まれた名前に手を合わせ、平和祈念公園を一旦後にします。穴場路線とも言われる農業研究センター路線ですが、やはり待ち時間は20分程ありました。しかし乗ってしまえば15分で到着しました。<br /><br />車の中でしばらく涼んだ後に走り出し、白梅之塔へと向かいます。普通に行けば5分位で到着できるのですが、塔前の通りに曲がるのにまさかの〝まっすぐ走れ〟との指示が出されました。多分車が停められないと言われると他の場所に向かうのが普通なのですが、白梅之塔慰霊祭は過去に2回参列していることもあり、規制されていない方向からの道ならばという思いから逆走を試みます。このあたりはナビに頼れないため、去年の記憶でしか走れませんがバッチリでした。栄里之塔の側から進み山形の塔の前を少し通り過ぎて車を停めます。昨年白梅同窓会会長の中山きくさんから「同窓会主催の慰霊祭は今年が最後」との話をされていたためどうなるのか?という思いはありました。しかし心配は無用だったようで、いつもサポートメンバーとして式典に参加している沖縄尚学高校の生徒さんの他に那覇高校の生徒・先生方も加わり、昨年よりかなり大規模な式典が行われていました。<br /><br />戦後73年を迎えた今年平成30(2018)年を迎え、当時の学徒勤労動員された方々も鬼籍に入ることも少なくない中で、多くの若い賛同者が慰霊祭開催メンバーに加わることは心強い味方がついたことには違いはありません。しかし同窓会主催の手作り感のある慰霊祭はやはり多くのメンバーによって開催されるようになるとなにかが変わって来るようになってしまいます。訪れる方もない慰霊碑に枯れた花が残っている姿を見ると心が痛みますが、メンバーが増えること=参列者が増える=イベント化することにより式典の趣旨がわかり辛くなるような感じも受けました。被害妄想と言われるかも知れませんが、今まで車の進入を止められることなどなかったので、現地の駐車場にサポートメンバーの送迎用に観光バスが停められていたことからもそう思えました。<br /><br />来年慰霊祭開催時間に訪れるかどうかは今のところわかりません。しかし多くの学徒慰霊碑前で行われている慰霊祭は、少ないサポートメンバーで行われているために手作り感は失われていないと聞きました。1年で慰霊祭を複数かけもちすることは、時間の関係でもかなり難しいことに違いはありません。また私が後何年慰霊の日に沖縄に行くことができるかもわかりません。そんなことを考えると一度頭の中を真っ白にしてひとつひとつ訪ねて回ろうかとも考えています。考える時間はまだまだあるので、一年かけてゆっくり考えよう・・・そう思った今年の白梅之塔慰霊祭でした。<br /><br />式典の終了を見計らって車に戻り、梯梧之塔へと向かいます。既に慰霊祭は終了しているものの後片付け中だったこともあり、サポートメンバーらしき人々がまだいらっしゃいました。挨拶をして慰霊塔に参ろうとしたところお線香を頂いたので供えさせて頂きました。昨年までは後片付けも終わった時刻に参っていたので手を合わせるだけでしたが、慰霊塔にお線香を供えさせて頂いただけでも、慰霊祭に参加させて頂いたように感じられたのが不思議です。去年とはまた違う想いを持った梯梧之塔でもありました。<br /><br />そのままひめゆり之塔へと向かおうと考えていましたが、その前にお腹が空いていることに気付きます。梯梧之塔入口にあるひめゆり観光センターでいご内のレストランでいごに入って、Aセットタコモコプレート小椀そば付をオーダーします。言い方はあまり良くはありませんが団体客相手という要素が強いのはひめゆりの塔前の土産物屋の特徴でもあるようで、個人客に対してのアプローチはう~ん・・・と言う感じも受けました。まあ仕方がないところもあるのでそこは目を瞑りお料理の出てくるのを待つことにします。メニューを見て入らなかったので最初は普通サイズの沖縄そばのセットを言いましたが、時間のこともあり小椀もありますよとのおススメに素直に乗っかります。確かにボリュームはそこそこでしたが、空腹を満たすにはちょうど良かったので、愛想が良いとまでは言えませんがただの儲け主義の店でもないなと見直しました(笑)。<br /><br />あまりゆっくりもしてられないため、食事を終えて一息ついたら隣のひめゆりの塔へと向かいます。閉園時間の関係で先にひめゆり平和祈念館に立ち寄ります。プライベート初沖縄でひめゆり平和祈念館を訪れた時に、ひめゆり学徒についての展示を見て言葉が出なかった記憶があります。5回目となる今回はそこまでのインパクトはさすがにありませんが、学徒隊を取り巻いていた当時の環境を知れば知るほど結果としてなんとかならなかったのかと残念に思うことを多々感じるようになりました。昨今のいじめ問題にも繋がるところはあるのですが、ひとりで彷徨わなければならない状況下ではともかく複数の同級生や引率教師までいたのであれば、違う結果を考えられたのではと思えてなりません。今更言ってもどうなるものでもありませんが、過去の悲劇を教訓に〝生きることの意義〟を考える時期に差し掛かっているようにも思えます。戦後生まれの甘やかされて育った者の戯言に聞こえるかも知れませんが〝生きること〟を真摯に考えると、それすなわち〝戦争を避けること〟に繋がるように私は思えるのですがどうでしょうか?<br /><br />見たことに対して自らの考えを加えることに年を取ったと思うところもありますが、それは私的には学習だと考えています。そんな想いを保ちながらひめゆり平和祈念館を後にします。そしてあまり知られていないと言われるひめゆりの塔裏の納骨堂に手を合わせてご冥福を祈りつつ、ひめゆり学徒をモチーフとした石像を横目に見て歩きます。そして浦添ようどれ館で聞いた井伊文子氏の歌碑を見て改めて滋賀と沖縄の繋がりの強さを再認識します。そして沖縄県殉職医療人之碑、沖縄陸軍病院第3外科職員之碑と医療人として沖縄から逃げることもできたにも拘らず、沖縄に残り戦没された医療人すべての方々のご冥福を祈り手を合わせます。そして最後にひめゆりの塔を訪れ、学徒隊で最も多い犠牲者を出したひめゆり学徒隊戦没者の御霊に手を合わせます。<br /><br />ひめゆり学徒は沖縄戦に動員された21の学徒隊の中で最も知名度が高いものとして知られてはいますが、その反面観光地としてのイメージが強く、沖縄リピーターからは一度行けば良い場所とも揶揄されています。非常に残念な表現なのですが、これはなにも学徒隊が悪い訳ではなく、知名度に便乗して商売をしている〝今の時代〟に問題があることに他なりません。ただ本日行われている慰霊祭に於いて、あまりにも参拝に訪れた方々の気持ちを踏み躙る行為がなされているのも事実です。慰霊の日料金となる花束を売り買いするのはともかく、まだ参拝客が訪れている時間帯に式典会場の撤収を行い、挙げ句の果てには〝花屋〟のトラックに花束だけを荷台に乗せて回収する姿を見せるとは何事ぞ?と感じたことは昨年記載しました。今年もほぼ同じ時間に訪れると、全く同じ光景が目に入ります。流石に目の前で人目を気にせず〝The 商売〟をされると、参拝に訪れる観光客の想いはともかく、このような有様を目の前で行われるひめゆり学徒隊戦没者の御霊はどう思うのか?と首を傾げたくなります。生花は生き物なのである程度のリユースはわかるとしても、少なくともお天道様が見ている間は慎めよと言いたくもなります。沖縄全土で戦没者慰霊を行うために制定された慰霊の日。特別な1日であるならば、その心意気を内地や外国から訪れる観光客に対して〝ウチナーの心意気を示してくれ!〟。そう心から感じた一瞬でした。<br /><br />ひめゆり平和祈念資料館も既に閉館しており、慰霊の日昼間の部はここで終了となりました。駐車場の車に戻り、平和祈念公園で行われる後夜祭が始まるまでの時間を利用してお土産を買うために那覇に向かって走ります。<br /><br />土曜日の夕方でもあり混雑しているかもと思いましたが大丈夫でした。30分程で小禄駅前のイオン那覇店に到着します。沖縄にも大型のイオンモールが進出していますが、やはり那覇市内という場所柄大型スーパーのイオンといった感じのお店です。大き過ぎずのお店なので、必要な物が探しやすいのがメリットだとも思います。<br /><br />食品コーナーの一角に設けられたお土産売場。多過ぎない商品は比較検討もし易いのが特徴です。沖縄も回数きているとお土産のチョイスも難しいですが、紅芋タルトもシークワーサーやパインアップルのフレーバー入りというものもあったりでネタにちょうど良いかと購入を決めました。おかし御殿ものも新しいものがあったりと、値段と話題性で選んで行きます。最後に絶対忘れてはいけない自分へのお土産があります。さんぴん茶ティーパックがそれですが、猫舌の私は通年で常温まで冷やしたさんぴん茶を愛飲しています。それを2袋購入します。本当はサンエーストアの方が安いのですが、時間の都合上イオンで購入することにします。全部合わせて3,500円ほどで済むので、荷物を機内預けできるならば利用価値は間違いなくありました。珍しく今回はちゃんとお買物袋を持参したので、袋代はかかりません。ただ渡す時の袋がないことまでは考えていなかった・・・。<br /><br />そんなこんなでお土産も仕入れ、再び平和祈念公園へと向かいます。途中いつも利用しているファミマ糸満米須店に立ち寄ってタバコを購入して一息ついて、平和祈念公園に到着します。追悼式の前後夜祭と称し平和の灯火イベントが行われています。平和祈念公園通路に置かれた平和のキャンドル、ペットボトルを利用して作られたキャンドルが並んでいるだけのものですが、写真で切り取ると別になんてことないものにしか見えませんが、元々平和祈念公園の通路そのものが〝繋がり〟を表すように配置されていることから、絶妙なバランスで光る炎が連なる姿はなかなかの景色を作り出しています。もっとも通路中央部に並べられているために引っ掛けて消してしまったものも多々あります。もちろん過失によるものは仕方がないのですが、子供がわざと倒すこともたまに見かけます。子供には罪はありませんが、なぜ親が注意をしないのかについては首を傾げたくなります。イベントの作成意図を疑問視する意見はありますが、やはりその景色を楽しむ方も多いことから、訪れた以上そんな無責任な対応はして欲しくありません。毎年同じことに憤慨を隠せない観光客約1名でした。他には灯籠流しも行われています。願い事を書いた小さな行灯がすべり台をスルスルと滑り落ちて行き、池にぽちゃんと落ちて進みます。風や流れのない池にもかかわらず動いて行く様は、なにか仕掛けがあるようにも思えるものの、そんな現実を知るよりも素直にその幻想的な景色を楽しむ方が良いと思います。そしてもっとも大掛かりな仕掛けが平和の灯周りから空に向けて放たれる光の柱かと思います。この光の柱は一点で収束するように放たれており、それゆえに天気が良過ぎるとなんだかよくわからないものに見えることもありました。今年平成30(2018)年に限って言うなれば、慰霊の日の6月23日に梅雨明けはしたものの、昼間一時スコールのような雨が降ったこともあり、雲があるためにその光の柱が良く見えました。現実的にはイベントの企画意図がわからないといった意見も多いようですが、お盆明けの〝送り火〟的に考えれば良いようにも思えます。22日に行われる前夜祭のファイナルで点火される平和の灯、慰霊の日一日中灯された火は今夜22:30に消されます。そんなファイナルもありますが、宿泊先の食事時間の関係もあり、そろそろ出発することにします。<br /><br />慰霊の日は平和祈念公園に於ける喫煙が禁止されているようで灰皿が撤去されていることもあり、車内で一服して息抜きをします。それから今夜の宿であるみん宿ヤポネシアに電話を入れて、到着時間を伝えます。いつもならばタバコの購入を含めてファミマに立ち寄ってから向かうのですが、今回は先に購入を済ませていたので直行します。国道331号線大度交差点を左折してまっすぐ進み、海岸手前にあるみん宿ヤポネシア、実に6回目で8泊目となる今回の利用です。到着時間に合わせてお食事を準備して頂いているので無駄な時間がありません。いつもの主要メンバーは今日チェックアウトしているために、久しぶりにもうお一方との同宿となりました。まあ勝手を知ったお宿なので説明等は一切ありません(笑)。ただいつもとは違うことがひとつあり翌日の朝が早いということ。最終泊として泊まることが当たり前だったので、飛行機の時間に合わせることは変わりないものの、今回は11:10発のソラシド便。昨年より2時間程早いために朝食の時間も7:30にして頂きます。滞在時間が12時間を切ることは初めてですが今年は仕方がありません。それでもゆっくりとできるヤポネシア、たまにはそんな使い方もありでしょう。ご自慢の夕食を頂いた後ひとっ風呂入って、機内預けと手持ちの荷物を分けると、いつになく眠気が襲ってきました。明日は立ち寄り地もなく直接返車の予定なので行程の見直しもありません。<br /><br />いつになく短い時間で回った沖縄でしたが、中身はいつも通り充実したものでした。そんな思いが頭の中を走馬灯のように巡り出したと思った瞬間意識が途切れます。睡眠時間が短いまま昼寝もしなかったことから疲れはかなり溜まっていましたが、それも心地良い子守唄になった気がします。そんなこんなでいよいよ自宅へと帰る日を迎えますzzz。<br />《次編に続く》<br /><br />【本日の収支】<br />ジュース160円<br />レストランでいご…1,080円(Aセットタコモコプレート小椀そば付)<br />飲み物…160円<br />お土産…3,579円(紅いもタルト他)<br />ファミマ糸満米須店…1,420円(タバコ他)<br />小計:6,399円

《2018.June》あみんちゅ弾丸ツアーで訪ねるTHE DAY IN OKINAWAその参~追悼式・本島南部戦跡巡り編~

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《2018.June》あみんちゅ弾丸ツアーで訪ねるTHE DAY IN OKINAWAその参~追悼式・本島南部戦跡巡り編~

気が付けば6月23日の沖縄慰霊の日を現地で過ごす旅も早や4回目。内地で知る〝この日〟があまりにも違うことを知り、毎年訪れるようになりました。ただ知れば知るほど奥が深いことを知るものの、その準備に費やす時間が日に日に無くなって来たこともあり、今年を以ってしばらく定期的な来沖をやめようと考えました。それにあたって今までお世話になってきた宿泊施設をすべて回り、思い出に代えようと考えました。しか~しその前に立ちはだかったのはまさかの〝現実〟でした。現在勤務している店が耐震問題で建て替えることとなり、それに伴い異動辞令が出るはずがまさかの延期。既に他店に移動した者もいる中で、1週間の休みは当然却下となりました。とはいえ長きに渡ってお世話になった店舗ゆえ自己理由で押し通せる訳もなく、4日に短縮ということでやっと許可して貰います。

そして迎えた平成30(2018)年6月23日戦後73年目の慰霊の日。南城市奥武島からスタートし未訪問地や慰霊祭が行われる場所等を巡りつつ平和祈念公園の式典参加を挟んで、白梅之塔慰霊祭から再び慰霊碑を巡り、最後は平和祈念公園で締め括る予定をしています。さぁどこまで予定通りに行けたのやら…。それではThe day in OKINAWAの日が始まります。

平成30(2018)年6月23日土曜日
ゲストハウスりゅうかく 09:08(0.0km・0.0km・145.3km・0.0km/h)
奥武島トイレ 09:09(0.4km・0.4km・145.7km・24.0km/h
09:43
独立高射砲第二十七 10:03 (10.2km・10.6km・155.9km・34.0km/h)
大隊英霊の碑慰霊碑 10:14
魂魄之塔 10:27(6.8km・17.4km・162.7km・31.4km/h)
11:14
ずゐせん之塔 11:18 (1.1km・18.5km・163.8km・16.5km/h)
11:25
農業研究センター 11:32 (3.3km・21.8km・167.1km・28.3km/h)
(シャトル乗車)11:38
(シャトル出発)11:43
平和祈念公園 11:56
※お焼香
(開始)12:53
(終了)12:58
(シャトル並ぶ) 13:25
(シャトル乗る) 13:43
(シャトル出る) 13:46
農業研究センター 14:01
(車乗車)14:03(3.3km・21.8km・167.1km・28.3km/h)
14:16
白梅之塔 14:23(2.4km・24.2km・169.5km・20.6km/h)
15:05
でいご駐車場 15:14(4.3km・28.5km・173.8km・28.7km/h)
17:26
イオン那覇 17:59 (14.4km・42.9km・188.2km・26.2km/h)
18:57
フ ァミ マ 19:21(15.3km・58.2km・203.5km・38.3km/h)
糸満米須店 19:30
平和祈念公園 19:36 (3.0km・61.2km・206.5km・30.0km/h)
20:28
みん宿ヤポネシア  20:32(2.5km・63.7km・209.0km・37.5km/h)//

今朝も目覚ましよりも早く起きました。珍しく宿泊客は私ひとりなので気楽てす。8:00におじぃに朝食コールを頂き、いつもの共有スペースでご自慢の朝食を頂きます。フルーツたんまりの朝食は、南国に来た~って思う瞬間です。お腹も減っていたのでペロッと平らげます、う~ん・・・満足のひと時です♪

いつもならばチェックアウトギリギリまで話し込むのですが、今回に限っては時間が決まっている場所が多いためにそうもいきません。荷物を作り記録用の写真を撮りに一旦外へと出ます。借景の隣地の木々が伐採されていることに気付き、宿のHPに載せられている写真のような景色を初めて見ることができました。

そして9:00過ぎに出発します。いつもとは違いテキパキとした出発に驚くおじぃとおばぁに見送られて出発します。旅三日目のThe day in OKINAWAの始まりです。

宿を出て左に進むとすぐに奥武橋を渡って行けるのですが、いつものように右方向へと進み、勝手に命名した奥武島トイレに向かいます。別にトイレに用がある訳ではなく、奥武島最南端のこの場所は平和祈念堂や平和祈念資料館を望める場所でもあるため、景色をカメラに収めて出発します。そのまま反時計回りに島を周回し、奥武橋を渡り国道331号線を西進します。そして高良交差点を曲がり、本日最初の目的地へと向かいます。独立高射砲第二十七大隊英霊の碑慰霊碑。沖縄戦に投入された高射砲部隊のひとつですが、中部戦線からの離脱時に武器となる高射砲は置いて行かざるを得なくなり、この地に辿り着いた時には一門しか残っていない状況でした。兵士はいても武器がない。加えて一発撃つと10倍になって反撃を喰らう高射砲では、砲を使うこと=被害が増えることにしかならない状況下で、残る兵士ができることは捨て身の斬り込みしか残っていませんでした。沖縄戦の組織的抵抗が終わったとされる昭和20(1945)年6月23日は、こちらに祀られている独立高射砲第二十七大隊が玉砕を遂げた日でもあるそうです。そんな因縁の日に慰霊碑を訪れて枯れた花しか残っていなかったら仕入れに走らなければ・・・と考えていましたが、どうやら考え過ぎだったようです。地元の方らしいおばぁが数人花を手向けておられました。こんにちはと私からの感謝の意を込めて挨拶をし、戦没者の冥福を願い手を合わせます。軍関係の慰霊碑というと枯れた花が当たり前という現実を見続けた者の一人としてホッとした気持ちになれたイチ観光客でした。

再び車を走らせます。既に平和祈念公園前は駐車規制されておりそのまま通過します。米須あたりで平和行進とすれ違いますが、参加者の高齢化の影響もあるのか年々行進集団の列が長くなっているようにも思えます。この行進には警察車両は付いておらず、あくまで個人の判断で車の離合をするようになっており、時には路肩に車を停めるなどしながら進んで行きました。

米須西交差点を左折して、魂魄之塔へと向かいます。毎年追悼式後に立ち寄ってはいますが、新聞等で紹介されている〝祈りの風景〟は午前中のものだということを知り、先に訪れてみました。薄暗い中での祈りではなかったものの、やはり地元の方が主体となった追悼の祈りはやはり厳かな雰囲気もありました。そんな中でやはりこの日を目的として沖縄を訪れている観光客約1名も目立たぬように祈りを捧げる集団に加わって手を合わせます。そして付近の都道府県別慰霊塔にも手を合わせた後、今日この日だけ一般開放されている場所を訪れます。沖縄菩提樹苑、ブッダが悟りを開いたと言われる〝聖なる菩提樹〟が、沖縄戦での戦没者慰霊という目的に於いて2,300年ぶりに国外へと持ち出されたという貴重なものが平成5(2003)年に植えられました。沖縄という取り巻く自然環境の厳しさから守るために、建物内に収められていますが、6月23日の慰霊の日に行われる平和行進の休憩所として開放されています。その恩恵を被るためにも是非とも訪れたかった場所のひとつでした。

チベット旗ご巻かれている聖なる菩提樹。先入観もあるのかも知れませんが、菩提樹の放つオーラは凄いものです。手を合わせるものではありませんが、やはりブッダが入滅した沙羅双樹の樹とともに見ることができたことは、苦労して日程を合わせた甲斐がありました。

三年越しに叶った沖縄菩提樹苑の訪問の後は残り時間を見ながら立ち寄り地を探します。そして米須西交差点手前のずいせん之塔を訪れ、これから行われる慰霊祭の準備として多くの花が手向けられている姿を目にします。いつもならば慰霊祭後の訪問となっていたため、花は手向けられてはいるものの、後片付けの慌ただしいところしか見られないため、残念な気持ちが強かったのですが、やはり慰霊祭前の厳かな雰囲気を味わうことができたのはひとつの収穫でした。そしていつも通りに手を合わせ、学徒犠牲者の冥福を願いつつ時間が近付いていたこともあり、シャトルバス乗り場に向かうことにします。

3年続けて利用した沖縄県立農業研究センターのシャトルバス乗り場、平和祈念公園から最も近いのは沖縄清明の丘公園ではあるのですが、一般車両が平和祈念公園駐車場に停められないことを知らなかった方が多くりようすることもあり、余裕を持ち過ぎたあるいはギリギリの時間は混雑し待ち時間が生じる可能性の高いことを知り、那覇方面や糸満戦跡の慰霊祭へと向かうには、県道7号線からそう離れないで済む場所が都合が良いことを知ってから利用しています。ただつまらないことをクレームにするものも多く、バスの待ち時間が長いとのことから各方面シャトルバスの本数がかなり増えていました。しかし基本はドライバーの就労時間の問題も絡んでおり、全てのバスが色々な方向に走ることもできません。その結果一番多くの人員を乗せることができる路線バスのノンステップバス車両までが今年は投入されていました。ただ走る区間は県庁前路線なので乗車時間は最も長いため、それはそれでまたクレームを付ける輩も居そうですが・・・。そんな中で農業研究センター路線は60人乗れる観光バスが投入されており、待ち時間は発生するものの座っての移動は確約されます。そんな中でひと昔前のセレガに乗って12分、無事平和祈念公園へと到着します。

去年は正午をバス車内で迎え、黙祷を捧げた記憶がありました。今年は取り敢えず平和祈念公園には到着したものの、式典会場までは辿り着けずに黙祷を捧げる形になりました。そして平和の詩の朗読は浦添の中学生が読み上げます。毎年感心するのですがすごく立派な文章を抑揚をつけて読み上げる様は大人顔負けです。後で報道陣に囲まれる姿を見ると普通の可愛い中学生としか見えないのが本音です。勿論沖縄県中の小中高生からの選抜なので凄いのは間違いないのですが、ウン十年前の私が中学生だった頃にそんな文章が書けたとは到底思えず苦笑するしかありません。ちなみに内地の新聞には平和の詩朗読者の写真までは掲載されてはいませんでしたが、どうやら今年の朗読者である相良倫子さんは可愛さMaxだったと見え、やたら新聞にも顔写真が載っていたようです。でも新聞の顔写真よりもはにかんだ顔で報道陣に答えていた彼女はもっと可愛いい女の子でしたよ~♪

その後はいつもの流れ通りで現実逃避の翁長知事の平和宣言、それに安倍首相。そして下品なヤジ・・・。ヤジる機会は1年364日ある訳なので他の日にやれば良い。なぜこの日に限ってやろうとするのか?思想信教問わずして最近ではあの馬鹿げたヤジの応酬に対し、安倍首相をはじめ米軍関係者の追悼式参列を快く思っていない方々からも不評だという事実を知らないようですね。なぜこの場で行う必要があるのか?追悼式に慰霊の気持ちを持たずして参加しているのかと〝恥〟だと感じている方々が年々増えています。そんなヤジ合戦を動画撮影をしてYouTubeに投稿している暇人も少なからずいるようですが、そんなネタを作る場ではないこと位気付いて貰いたい・・・と改めて思います。確かに理解できない方も多く参列はしていることは事実ですが・・・。

式典も終了し一般焼香が始まりますが、ここで混雑の原因が報道陣にあることを知ります。祭壇に向かってまっすぐ並ぶのは当たり前のこと。その通路を遮断するようにカメラマンが陣取っています。こいつら毎年行われている式典の展開がわからんのか(怒)?と思う位にのんびりしています。こう言った自分本位の報道を行わせているのが沖縄の二紙であり、テレビ局であることは恥ずかしいとは思っていないのでしょうね・・・大の大人が情けない・・・。

馬鹿はほっといてお焼香の列に並んだので、早い時間に終えてしまいました。そしてあたりを見回すと島守之塔前で慰霊祭が行われている様子を見つけました。沖縄の父と称される島田叡知事をはじめとする沖縄県職の慰霊祭、あって当然のことですが公式発表されていなかったこともあり、はじめて知りました。比較できる偉人ではありませんが、昭和20(1945)年1月という沖縄戦開戦が時間の問題だった時に、自分が行かなければ誰が行くと敢えて沖縄行きを決めた島田知事の心の強さには脱帽するしかありません。戦争で荒れた沖縄をどうにかしようと尽力した島田知事と荒井県警本部長。未だ遺骨は見つかってはいませんが、なんらかの形で見つかってくれればと切に願います。島守之塔に手を合わせた後、祖父の祀られた栃木之塔と平和の礎に刻まれた名前に手を合わせ、平和祈念公園を一旦後にします。穴場路線とも言われる農業研究センター路線ですが、やはり待ち時間は20分程ありました。しかし乗ってしまえば15分で到着しました。

車の中でしばらく涼んだ後に走り出し、白梅之塔へと向かいます。普通に行けば5分位で到着できるのですが、塔前の通りに曲がるのにまさかの〝まっすぐ走れ〟との指示が出されました。多分車が停められないと言われると他の場所に向かうのが普通なのですが、白梅之塔慰霊祭は過去に2回参列していることもあり、規制されていない方向からの道ならばという思いから逆走を試みます。このあたりはナビに頼れないため、去年の記憶でしか走れませんがバッチリでした。栄里之塔の側から進み山形の塔の前を少し通り過ぎて車を停めます。昨年白梅同窓会会長の中山きくさんから「同窓会主催の慰霊祭は今年が最後」との話をされていたためどうなるのか?という思いはありました。しかし心配は無用だったようで、いつもサポートメンバーとして式典に参加している沖縄尚学高校の生徒さんの他に那覇高校の生徒・先生方も加わり、昨年よりかなり大規模な式典が行われていました。

戦後73年を迎えた今年平成30(2018)年を迎え、当時の学徒勤労動員された方々も鬼籍に入ることも少なくない中で、多くの若い賛同者が慰霊祭開催メンバーに加わることは心強い味方がついたことには違いはありません。しかし同窓会主催の手作り感のある慰霊祭はやはり多くのメンバーによって開催されるようになるとなにかが変わって来るようになってしまいます。訪れる方もない慰霊碑に枯れた花が残っている姿を見ると心が痛みますが、メンバーが増えること=参列者が増える=イベント化することにより式典の趣旨がわかり辛くなるような感じも受けました。被害妄想と言われるかも知れませんが、今まで車の進入を止められることなどなかったので、現地の駐車場にサポートメンバーの送迎用に観光バスが停められていたことからもそう思えました。

来年慰霊祭開催時間に訪れるかどうかは今のところわかりません。しかし多くの学徒慰霊碑前で行われている慰霊祭は、少ないサポートメンバーで行われているために手作り感は失われていないと聞きました。1年で慰霊祭を複数かけもちすることは、時間の関係でもかなり難しいことに違いはありません。また私が後何年慰霊の日に沖縄に行くことができるかもわかりません。そんなことを考えると一度頭の中を真っ白にしてひとつひとつ訪ねて回ろうかとも考えています。考える時間はまだまだあるので、一年かけてゆっくり考えよう・・・そう思った今年の白梅之塔慰霊祭でした。

式典の終了を見計らって車に戻り、梯梧之塔へと向かいます。既に慰霊祭は終了しているものの後片付け中だったこともあり、サポートメンバーらしき人々がまだいらっしゃいました。挨拶をして慰霊塔に参ろうとしたところお線香を頂いたので供えさせて頂きました。昨年までは後片付けも終わった時刻に参っていたので手を合わせるだけでしたが、慰霊塔にお線香を供えさせて頂いただけでも、慰霊祭に参加させて頂いたように感じられたのが不思議です。去年とはまた違う想いを持った梯梧之塔でもありました。

そのままひめゆり之塔へと向かおうと考えていましたが、その前にお腹が空いていることに気付きます。梯梧之塔入口にあるひめゆり観光センターでいご内のレストランでいごに入って、Aセットタコモコプレート小椀そば付をオーダーします。言い方はあまり良くはありませんが団体客相手という要素が強いのはひめゆりの塔前の土産物屋の特徴でもあるようで、個人客に対してのアプローチはう~ん・・・と言う感じも受けました。まあ仕方がないところもあるのでそこは目を瞑りお料理の出てくるのを待つことにします。メニューを見て入らなかったので最初は普通サイズの沖縄そばのセットを言いましたが、時間のこともあり小椀もありますよとのおススメに素直に乗っかります。確かにボリュームはそこそこでしたが、空腹を満たすにはちょうど良かったので、愛想が良いとまでは言えませんがただの儲け主義の店でもないなと見直しました(笑)。

あまりゆっくりもしてられないため、食事を終えて一息ついたら隣のひめゆりの塔へと向かいます。閉園時間の関係で先にひめゆり平和祈念館に立ち寄ります。プライベート初沖縄でひめゆり平和祈念館を訪れた時に、ひめゆり学徒についての展示を見て言葉が出なかった記憶があります。5回目となる今回はそこまでのインパクトはさすがにありませんが、学徒隊を取り巻いていた当時の環境を知れば知るほど結果としてなんとかならなかったのかと残念に思うことを多々感じるようになりました。昨今のいじめ問題にも繋がるところはあるのですが、ひとりで彷徨わなければならない状況下ではともかく複数の同級生や引率教師までいたのであれば、違う結果を考えられたのではと思えてなりません。今更言ってもどうなるものでもありませんが、過去の悲劇を教訓に〝生きることの意義〟を考える時期に差し掛かっているようにも思えます。戦後生まれの甘やかされて育った者の戯言に聞こえるかも知れませんが〝生きること〟を真摯に考えると、それすなわち〝戦争を避けること〟に繋がるように私は思えるのですがどうでしょうか?

見たことに対して自らの考えを加えることに年を取ったと思うところもありますが、それは私的には学習だと考えています。そんな想いを保ちながらひめゆり平和祈念館を後にします。そしてあまり知られていないと言われるひめゆりの塔裏の納骨堂に手を合わせてご冥福を祈りつつ、ひめゆり学徒をモチーフとした石像を横目に見て歩きます。そして浦添ようどれ館で聞いた井伊文子氏の歌碑を見て改めて滋賀と沖縄の繋がりの強さを再認識します。そして沖縄県殉職医療人之碑、沖縄陸軍病院第3外科職員之碑と医療人として沖縄から逃げることもできたにも拘らず、沖縄に残り戦没された医療人すべての方々のご冥福を祈り手を合わせます。そして最後にひめゆりの塔を訪れ、学徒隊で最も多い犠牲者を出したひめゆり学徒隊戦没者の御霊に手を合わせます。

ひめゆり学徒は沖縄戦に動員された21の学徒隊の中で最も知名度が高いものとして知られてはいますが、その反面観光地としてのイメージが強く、沖縄リピーターからは一度行けば良い場所とも揶揄されています。非常に残念な表現なのですが、これはなにも学徒隊が悪い訳ではなく、知名度に便乗して商売をしている〝今の時代〟に問題があることに他なりません。ただ本日行われている慰霊祭に於いて、あまりにも参拝に訪れた方々の気持ちを踏み躙る行為がなされているのも事実です。慰霊の日料金となる花束を売り買いするのはともかく、まだ参拝客が訪れている時間帯に式典会場の撤収を行い、挙げ句の果てには〝花屋〟のトラックに花束だけを荷台に乗せて回収する姿を見せるとは何事ぞ?と感じたことは昨年記載しました。今年もほぼ同じ時間に訪れると、全く同じ光景が目に入ります。流石に目の前で人目を気にせず〝The 商売〟をされると、参拝に訪れる観光客の想いはともかく、このような有様を目の前で行われるひめゆり学徒隊戦没者の御霊はどう思うのか?と首を傾げたくなります。生花は生き物なのである程度のリユースはわかるとしても、少なくともお天道様が見ている間は慎めよと言いたくもなります。沖縄全土で戦没者慰霊を行うために制定された慰霊の日。特別な1日であるならば、その心意気を内地や外国から訪れる観光客に対して〝ウチナーの心意気を示してくれ!〟。そう心から感じた一瞬でした。

ひめゆり平和祈念資料館も既に閉館しており、慰霊の日昼間の部はここで終了となりました。駐車場の車に戻り、平和祈念公園で行われる後夜祭が始まるまでの時間を利用してお土産を買うために那覇に向かって走ります。

土曜日の夕方でもあり混雑しているかもと思いましたが大丈夫でした。30分程で小禄駅前のイオン那覇店に到着します。沖縄にも大型のイオンモールが進出していますが、やはり那覇市内という場所柄大型スーパーのイオンといった感じのお店です。大き過ぎずのお店なので、必要な物が探しやすいのがメリットだとも思います。

食品コーナーの一角に設けられたお土産売場。多過ぎない商品は比較検討もし易いのが特徴です。沖縄も回数きているとお土産のチョイスも難しいですが、紅芋タルトもシークワーサーやパインアップルのフレーバー入りというものもあったりでネタにちょうど良いかと購入を決めました。おかし御殿ものも新しいものがあったりと、値段と話題性で選んで行きます。最後に絶対忘れてはいけない自分へのお土産があります。さんぴん茶ティーパックがそれですが、猫舌の私は通年で常温まで冷やしたさんぴん茶を愛飲しています。それを2袋購入します。本当はサンエーストアの方が安いのですが、時間の都合上イオンで購入することにします。全部合わせて3,500円ほどで済むので、荷物を機内預けできるならば利用価値は間違いなくありました。珍しく今回はちゃんとお買物袋を持参したので、袋代はかかりません。ただ渡す時の袋がないことまでは考えていなかった・・・。

そんなこんなでお土産も仕入れ、再び平和祈念公園へと向かいます。途中いつも利用しているファミマ糸満米須店に立ち寄ってタバコを購入して一息ついて、平和祈念公園に到着します。追悼式の前後夜祭と称し平和の灯火イベントが行われています。平和祈念公園通路に置かれた平和のキャンドル、ペットボトルを利用して作られたキャンドルが並んでいるだけのものですが、写真で切り取ると別になんてことないものにしか見えませんが、元々平和祈念公園の通路そのものが〝繋がり〟を表すように配置されていることから、絶妙なバランスで光る炎が連なる姿はなかなかの景色を作り出しています。もっとも通路中央部に並べられているために引っ掛けて消してしまったものも多々あります。もちろん過失によるものは仕方がないのですが、子供がわざと倒すこともたまに見かけます。子供には罪はありませんが、なぜ親が注意をしないのかについては首を傾げたくなります。イベントの作成意図を疑問視する意見はありますが、やはりその景色を楽しむ方も多いことから、訪れた以上そんな無責任な対応はして欲しくありません。毎年同じことに憤慨を隠せない観光客約1名でした。他には灯籠流しも行われています。願い事を書いた小さな行灯がすべり台をスルスルと滑り落ちて行き、池にぽちゃんと落ちて進みます。風や流れのない池にもかかわらず動いて行く様は、なにか仕掛けがあるようにも思えるものの、そんな現実を知るよりも素直にその幻想的な景色を楽しむ方が良いと思います。そしてもっとも大掛かりな仕掛けが平和の灯周りから空に向けて放たれる光の柱かと思います。この光の柱は一点で収束するように放たれており、それゆえに天気が良過ぎるとなんだかよくわからないものに見えることもありました。今年平成30(2018)年に限って言うなれば、慰霊の日の6月23日に梅雨明けはしたものの、昼間一時スコールのような雨が降ったこともあり、雲があるためにその光の柱が良く見えました。現実的にはイベントの企画意図がわからないといった意見も多いようですが、お盆明けの〝送り火〟的に考えれば良いようにも思えます。22日に行われる前夜祭のファイナルで点火される平和の灯、慰霊の日一日中灯された火は今夜22:30に消されます。そんなファイナルもありますが、宿泊先の食事時間の関係もあり、そろそろ出発することにします。

慰霊の日は平和祈念公園に於ける喫煙が禁止されているようで灰皿が撤去されていることもあり、車内で一服して息抜きをします。それから今夜の宿であるみん宿ヤポネシアに電話を入れて、到着時間を伝えます。いつもならばタバコの購入を含めてファミマに立ち寄ってから向かうのですが、今回は先に購入を済ませていたので直行します。国道331号線大度交差点を左折してまっすぐ進み、海岸手前にあるみん宿ヤポネシア、実に6回目で8泊目となる今回の利用です。到着時間に合わせてお食事を準備して頂いているので無駄な時間がありません。いつもの主要メンバーは今日チェックアウトしているために、久しぶりにもうお一方との同宿となりました。まあ勝手を知ったお宿なので説明等は一切ありません(笑)。ただいつもとは違うことがひとつあり翌日の朝が早いということ。最終泊として泊まることが当たり前だったので、飛行機の時間に合わせることは変わりないものの、今回は11:10発のソラシド便。昨年より2時間程早いために朝食の時間も7:30にして頂きます。滞在時間が12時間を切ることは初めてですが今年は仕方がありません。それでもゆっくりとできるヤポネシア、たまにはそんな使い方もありでしょう。ご自慢の夕食を頂いた後ひとっ風呂入って、機内預けと手持ちの荷物を分けると、いつになく眠気が襲ってきました。明日は立ち寄り地もなく直接返車の予定なので行程の見直しもありません。

いつになく短い時間で回った沖縄でしたが、中身はいつも通り充実したものでした。そんな思いが頭の中を走馬灯のように巡り出したと思った瞬間意識が途切れます。睡眠時間が短いまま昼寝もしなかったことから疲れはかなり溜まっていましたが、それも心地良い子守唄になった気がします。そんなこんなでいよいよ自宅へと帰る日を迎えますzzz。
《次編に続く》

【本日の収支】
ジュース160円
レストランでいご…1,080円(Aセットタコモコプレート小椀そば付)
飲み物…160円
お土産…3,579円(紅いもタルト他)
ファミマ糸満米須店…1,420円(タバコ他)
小計:6,399円

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
レンタカー JALグループ JRローカル 徒歩 ソラシド エア
47いいね!

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