2018/06/23 - 2018/06/23
109位(同エリア734件中)
たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
この旅行記のスケジュール
2018/06/23
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《2018.June》あみんちゅ弾丸ツアーで訪ねるTHE DAY IN OKINAWAその参~追悼式・本島南部戦跡巡り編~
気が付けば6月23日の沖縄慰霊の日を現地で過ごす旅も早や4回目。内地で知る〝この日〟があまりにも違うことを知り、毎年訪れるようになりました。ただ知れば知るほど奥が深いことを知るものの、その準備に費やす時間が日に日に無くなって来たこともあり、今年を以ってしばらく定期的な来沖をやめようと考えました。それにあたって今までお世話になってきた宿泊施設をすべて回り、思い出に代えようと考えました。しか~しその前に立ちはだかったのはまさかの〝現実〟でした。現在勤務している店が耐震問題で建て替えることとなり、それに伴い異動辞令が出るはずがまさかの延期。既に他店に移動した者もいる中で、1週間の休みは当然却下となりました。とはいえ長きに渡ってお世話になった店舗ゆえ自己理由で押し通せる訳もなく、4日に短縮ということでやっと許可して貰います。
そして迎えた平成30(2018)年6月23日戦後73年目の慰霊の日。南城市奥武島からスタートし未訪問地や慰霊祭が行われる場所等を巡りつつ平和祈念公園の式典参加を挟んで、白梅之塔慰霊祭から再び慰霊碑を巡り、最後は平和祈念公園で締め括る予定をしています。さぁどこまで予定通りに行けたのやら…。それではThe day in OKINAWAの日が始まります。
平成30(2018)年6月23日土曜日
ゲストハウスりゅうかく 09:08(0.0km・0.0km・145.3km・0.0km/h)
奥武島トイレ 09:09(0.4km・0.4km・145.7km・24.0km/h
09:43
独立高射砲第二十七 10:03 (10.2km・10.6km・155.9km・34.0km/h)
大隊英霊の碑慰霊碑 10:14
魂魄之塔 10:27(6.8km・17.4km・162.7km・31.4km/h)
11:14
ずゐせん之塔 11:18 (1.1km・18.5km・163.8km・16.5km/h)
11:25
農業研究センター 11:32 (3.3km・21.8km・167.1km・28.3km/h)
(シャトル乗車)11:38
(シャトル出発)11:43
平和祈念公園 11:56
※お焼香
(開始)12:53
(終了)12:58
(シャトル並ぶ) 13:25
(シャトル乗る) 13:43
(シャトル出る) 13:46
農業研究センター 14:01
(車乗車)14:03(3.3km・21.8km・167.1km・28.3km/h)
14:16
白梅之塔 14:23(2.4km・24.2km・169.5km・20.6km/h)
15:05
でいご駐車場 15:14(4.3km・28.5km・173.8km・28.7km/h)
17:26
イオン那覇 17:59 (14.4km・42.9km・188.2km・26.2km/h)
18:57
フ ァミ マ 19:21(15.3km・58.2km・203.5km・38.3km/h)
糸満米須店 19:30
平和祈念公園 19:36 (3.0km・61.2km・206.5km・30.0km/h)
20:28
みん宿ヤポネシア 20:32(2.5km・63.7km・209.0km・37.5km/h)//
今朝も目覚ましよりも早く起きました。珍しく宿泊客は私ひとりなので気楽てす。8:00におじぃに朝食コールを頂き、いつもの共有スペースでご自慢の朝食を頂きます。フルーツたんまりの朝食は、南国に来た~って思う瞬間です。お腹も減っていたのでペロッと平らげます、う~ん・・・満足のひと時です♪
いつもならばチェックアウトギリギリまで話し込むのですが、今回に限っては時間が決まっている場所が多いためにそうもいきません。荷物を作り記録用の写真を撮りに一旦外へと出ます。借景の隣地の木々が伐採されていることに気付き、宿のHPに載せられている写真のような景色を初めて見ることができました。
そして9:00過ぎに出発します。いつもとは違いテキパキとした出発に驚くおじぃとおばぁに見送られて出発します。旅三日目のThe day in OKINAWAの始まりです。
宿を出て左に進むとすぐに奥武橋を渡って行けるのですが、いつものように右方向へと進み、勝手に命名した奥武島トイレに向かいます。別にトイレに用がある訳ではなく、奥武島最南端のこの場所は平和祈念堂や平和祈念資料館を望める場所でもあるため、景色をカメラに収めて出発します。そのまま反時計回りに島を周回し、奥武橋を渡り国道331号線を西進します。そして高良交差点を曲がり、本日最初の目的地へと向かいます。独立高射砲第二十七大隊英霊の碑慰霊碑。沖縄戦に投入された高射砲部隊のひとつですが、中部戦線からの離脱時に武器となる高射砲は置いて行かざるを得なくなり、この地に辿り着いた時には一門しか残っていない状況でした。兵士はいても武器がない。加えて一発撃つと10倍になって反撃を喰らう高射砲では、砲を使うこと=被害が増えることにしかならない状況下で、残る兵士ができることは捨て身の斬り込みしか残っていませんでした。沖縄戦の組織的抵抗が終わったとされる昭和20(1945)年6月23日は、こちらに祀られている独立高射砲第二十七大隊が玉砕を遂げた日でもあるそうです。そんな因縁の日に慰霊碑を訪れて枯れた花しか残っていなかったら仕入れに走らなければ・・・と考えていましたが、どうやら考え過ぎだったようです。地元の方らしいおばぁが数人花を手向けておられました。こんにちはと私からの感謝の意を込めて挨拶をし、戦没者の冥福を願い手を合わせます。軍関係の慰霊碑というと枯れた花が当たり前という現実を見続けた者の一人としてホッとした気持ちになれたイチ観光客でした。
再び車を走らせます。既に平和祈念公園前は駐車規制されておりそのまま通過します。米須あたりで平和行進とすれ違いますが、参加者の高齢化の影響もあるのか年々行進集団の列が長くなっているようにも思えます。この行進には警察車両は付いておらず、あくまで個人の判断で車の離合をするようになっており、時には路肩に車を停めるなどしながら進んで行きました。
米須西交差点を左折して、魂魄之塔へと向かいます。毎年追悼式後に立ち寄ってはいますが、新聞等で紹介されている〝祈りの風景〟は午前中のものだということを知り、先に訪れてみました。薄暗い中での祈りではなかったものの、やはり地元の方が主体となった追悼の祈りはやはり厳かな雰囲気もありました。そんな中でやはりこの日を目的として沖縄を訪れている観光客約1名も目立たぬように祈りを捧げる集団に加わって手を合わせます。そして付近の都道府県別慰霊塔にも手を合わせた後、今日この日だけ一般開放されている場所を訪れます。沖縄菩提樹苑、ブッダが悟りを開いたと言われる〝聖なる菩提樹〟が、沖縄戦での戦没者慰霊という目的に於いて2,300年ぶりに国外へと持ち出されたという貴重なものが平成5(2003)年に植えられました。沖縄という取り巻く自然環境の厳しさから守るために、建物内に収められていますが、6月23日の慰霊の日に行われる平和行進の休憩所として開放されています。その恩恵を被るためにも是非とも訪れたかった場所のひとつでした。
チベット旗ご巻かれている聖なる菩提樹。先入観もあるのかも知れませんが、菩提樹の放つオーラは凄いものです。手を合わせるものではありませんが、やはりブッダが入滅した沙羅双樹の樹とともに見ることができたことは、苦労して日程を合わせた甲斐がありました。
三年越しに叶った沖縄菩提樹苑の訪問の後は残り時間を見ながら立ち寄り地を探します。そして米須西交差点手前のずいせん之塔を訪れ、これから行われる慰霊祭の準備として多くの花が手向けられている姿を目にします。いつもならば慰霊祭後の訪問となっていたため、花は手向けられてはいるものの、後片付けの慌ただしいところしか見られないため、残念な気持ちが強かったのですが、やはり慰霊祭前の厳かな雰囲気を味わうことができたのはひとつの収穫でした。そしていつも通りに手を合わせ、学徒犠牲者の冥福を願いつつ時間が近付いていたこともあり、シャトルバス乗り場に向かうことにします。
3年続けて利用した沖縄県立農業研究センターのシャトルバス乗り場、平和祈念公園から最も近いのは沖縄清明の丘公園ではあるのですが、一般車両が平和祈念公園駐車場に停められないことを知らなかった方が多くりようすることもあり、余裕を持ち過ぎたあるいはギリギリの時間は混雑し待ち時間が生じる可能性の高いことを知り、那覇方面や糸満戦跡の慰霊祭へと向かうには、県道7号線からそう離れないで済む場所が都合が良いことを知ってから利用しています。ただつまらないことをクレームにするものも多く、バスの待ち時間が長いとのことから各方面シャトルバスの本数がかなり増えていました。しかし基本はドライバーの就労時間の問題も絡んでおり、全てのバスが色々な方向に走ることもできません。その結果一番多くの人員を乗せることができる路線バスのノンステップバス車両までが今年は投入されていました。ただ走る区間は県庁前路線なので乗車時間は最も長いため、それはそれでまたクレームを付ける輩も居そうですが・・・。そんな中で農業研究センター路線は60人乗れる観光バスが投入されており、待ち時間は発生するものの座っての移動は確約されます。そんな中でひと昔前のセレガに乗って12分、無事平和祈念公園へと到着します。
去年は正午をバス車内で迎え、黙祷を捧げた記憶がありました。今年は取り敢えず平和祈念公園には到着したものの、式典会場までは辿り着けずに黙祷を捧げる形になりました。そして平和の詩の朗読は浦添の中学生が読み上げます。毎年感心するのですがすごく立派な文章を抑揚をつけて読み上げる様は大人顔負けです。後で報道陣に囲まれる姿を見ると普通の可愛い中学生としか見えないのが本音です。勿論沖縄県中の小中高生からの選抜なので凄いのは間違いないのですが、ウン十年前の私が中学生だった頃にそんな文章が書けたとは到底思えず苦笑するしかありません。ちなみに内地の新聞には平和の詩朗読者の写真までは掲載されてはいませんでしたが、どうやら今年の朗読者である相良倫子さんは可愛さMaxだったと見え、やたら新聞にも顔写真が載っていたようです。でも新聞の顔写真よりもはにかんだ顔で報道陣に答えていた彼女はもっと可愛いい女の子でしたよ~♪
その後はいつもの流れ通りで現実逃避の翁長知事の平和宣言、それに安倍首相。そして下品なヤジ・・・。ヤジる機会は1年364日ある訳なので他の日にやれば良い。なぜこの日に限ってやろうとするのか?思想信教問わずして最近ではあの馬鹿げたヤジの応酬に対し、安倍首相をはじめ米軍関係者の追悼式参列を快く思っていない方々からも不評だという事実を知らないようですね。なぜこの場で行う必要があるのか?追悼式に慰霊の気持ちを持たずして参加しているのかと〝恥〟だと感じている方々が年々増えています。そんなヤジ合戦を動画撮影をしてYouTubeに投稿している暇人も少なからずいるようですが、そんなネタを作る場ではないこと位気付いて貰いたい・・・と改めて思います。確かに理解できない方も多く参列はしていることは事実ですが・・・。
式典も終了し一般焼香が始まりますが、ここで混雑の原因が報道陣にあることを知ります。祭壇に向かってまっすぐ並ぶのは当たり前のこと。その通路を遮断するようにカメラマンが陣取っています。こいつら毎年行われている式典の展開がわからんのか(怒)?と思う位にのんびりしています。こう言った自分本位の報道を行わせているのが沖縄の二紙であり、テレビ局であることは恥ずかしいとは思っていないのでしょうね・・・大の大人が情けない・・・。
馬鹿はほっといてお焼香の列に並んだので、早い時間に終えてしまいました。そしてあたりを見回すと島守之塔前で慰霊祭が行われている様子を見つけました。沖縄の父と称される島田叡知事をはじめとする沖縄県職の慰霊祭、あって当然のことですが公式発表されていなかったこともあり、はじめて知りました。比較できる偉人ではありませんが、昭和20(1945)年1月という沖縄戦開戦が時間の問題だった時に、自分が行かなければ誰が行くと敢えて沖縄行きを決めた島田知事の心の強さには脱帽するしかありません。戦争で荒れた沖縄をどうにかしようと尽力した島田知事と荒井県警本部長。未だ遺骨は見つかってはいませんが、なんらかの形で見つかってくれればと切に願います。島守之塔に手を合わせた後、祖父の祀られた栃木之塔と平和の礎に刻まれた名前に手を合わせ、平和祈念公園を一旦後にします。穴場路線とも言われる農業研究センター路線ですが、やはり待ち時間は20分程ありました。しかし乗ってしまえば15分で到着しました。
車の中でしばらく涼んだ後に走り出し、白梅之塔へと向かいます。普通に行けば5分位で到着できるのですが、塔前の通りに曲がるのにまさかの〝まっすぐ走れ〟との指示が出されました。多分車が停められないと言われると他の場所に向かうのが普通なのですが、白梅之塔慰霊祭は過去に2回参列していることもあり、規制されていない方向からの道ならばという思いから逆走を試みます。このあたりはナビに頼れないため、去年の記憶でしか走れませんがバッチリでした。栄里之塔の側から進み山形の塔の前を少し通り過ぎて車を停めます。昨年白梅同窓会会長の中山きくさんから「同窓会主催の慰霊祭は今年が最後」との話をされていたためどうなるのか?という思いはありました。しかし心配は無用だったようで、いつもサポートメンバーとして式典に参加している沖縄尚学高校の生徒さんの他に那覇高校の生徒・先生方も加わり、昨年よりかなり大規模な式典が行われていました。
戦後73年を迎えた今年平成30(2018)年を迎え、当時の学徒勤労動員された方々も鬼籍に入ることも少なくない中で、多くの若い賛同者が慰霊祭開催メンバーに加わることは心強い味方がついたことには違いはありません。しかし同窓会主催の手作り感のある慰霊祭はやはり多くのメンバーによって開催されるようになるとなにかが変わって来るようになってしまいます。訪れる方もない慰霊碑に枯れた花が残っている姿を見ると心が痛みますが、メンバーが増えること=参列者が増える=イベント化することにより式典の趣旨がわかり辛くなるような感じも受けました。被害妄想と言われるかも知れませんが、今まで車の進入を止められることなどなかったので、現地の駐車場にサポートメンバーの送迎用に観光バスが停められていたことからもそう思えました。
来年慰霊祭開催時間に訪れるかどうかは今のところわかりません。しかし多くの学徒慰霊碑前で行われている慰霊祭は、少ないサポートメンバーで行われているために手作り感は失われていないと聞きました。1年で慰霊祭を複数かけもちすることは、時間の関係でもかなり難しいことに違いはありません。また私が後何年慰霊の日に沖縄に行くことができるかもわかりません。そんなことを考えると一度頭の中を真っ白にしてひとつひとつ訪ねて回ろうかとも考えています。考える時間はまだまだあるので、一年かけてゆっくり考えよう・・・そう思った今年の白梅之塔慰霊祭でした。
式典の終了を見計らって車に戻り、梯梧之塔へと向かいます。既に慰霊祭は終了しているものの後片付け中だったこともあり、サポートメンバーらしき人々がまだいらっしゃいました。挨拶をして慰霊塔に参ろうとしたところお線香を頂いたので供えさせて頂きました。昨年までは後片付けも終わった時刻に参っていたので手を合わせるだけでしたが、慰霊塔にお線香を供えさせて頂いただけでも、慰霊祭に参加させて頂いたように感じられたのが不思議です。去年とはまた違う想いを持った梯梧之塔でもありました。
そのままひめゆり之塔へと向かおうと考えていましたが、その前にお腹が空いていることに気付きます。梯梧之塔入口にあるひめゆり観光センターでいご内のレストランでいごに入って、Aセットタコモコプレート小椀そば付をオーダーします。言い方はあまり良くはありませんが団体客相手という要素が強いのはひめゆりの塔前の土産物屋の特徴でもあるようで、個人客に対してのアプローチはう~ん・・・と言う感じも受けました。まあ仕方がないところもあるのでそこは目を瞑りお料理の出てくるのを待つことにします。メニューを見て入らなかったので最初は普通サイズの沖縄そばのセットを言いましたが、時間のこともあり小椀もありますよとのおススメに素直に乗っかります。確かにボリュームはそこそこでしたが、空腹を満たすにはちょうど良かったので、愛想が良いとまでは言えませんがただの儲け主義の店でもないなと見直しました(笑)。
あまりゆっくりもしてられないため、食事を終えて一息ついたら隣のひめゆりの塔へと向かいます。閉園時間の関係で先にひめゆり平和祈念館に立ち寄ります。プライベート初沖縄でひめゆり平和祈念館を訪れた時に、ひめゆり学徒についての展示を見て言葉が出なかった記憶があります。5回目となる今回はそこまでのインパクトはさすがにありませんが、学徒隊を取り巻いていた当時の環境を知れば知るほど結果としてなんとかならなかったのかと残念に思うことを多々感じるようになりました。昨今のいじめ問題にも繋がるところはあるのですが、ひとりで彷徨わなければならない状況下ではともかく複数の同級生や引率教師までいたのであれば、違う結果を考えられたのではと思えてなりません。今更言ってもどうなるものでもありませんが、過去の悲劇を教訓に〝生きることの意義〟を考える時期に差し掛かっているようにも思えます。戦後生まれの甘やかされて育った者の戯言に聞こえるかも知れませんが〝生きること〟を真摯に考えると、それすなわち〝戦争を避けること〟に繋がるように私は思えるのですがどうでしょうか?
見たことに対して自らの考えを加えることに年を取ったと思うところもありますが、それは私的には学習だと考えています。そんな想いを保ちながらひめゆり平和祈念館を後にします。そしてあまり知られていないと言われるひめゆりの塔裏の納骨堂に手を合わせてご冥福を祈りつつ、ひめゆり学徒をモチーフとした石像を横目に見て歩きます。そして浦添ようどれ館で聞いた井伊文子氏の歌碑を見て改めて滋賀と沖縄の繋がりの強さを再認識します。そして沖縄県殉職医療人之碑、沖縄陸軍病院第3外科職員之碑と医療人として沖縄から逃げることもできたにも拘らず、沖縄に残り戦没された医療人すべての方々のご冥福を祈り手を合わせます。そして最後にひめゆりの塔を訪れ、学徒隊で最も多い犠牲者を出したひめゆり学徒隊戦没者の御霊に手を合わせます。
ひめゆり学徒は沖縄戦に動員された21の学徒隊の中で最も知名度が高いものとして知られてはいますが、その反面観光地としてのイメージが強く、沖縄リピーターからは一度行けば良い場所とも揶揄されています。非常に残念な表現なのですが、これはなにも学徒隊が悪い訳ではなく、知名度に便乗して商売をしている〝今の時代〟に問題があることに他なりません。ただ本日行われている慰霊祭に於いて、あまりにも参拝に訪れた方々の気持ちを踏み躙る行為がなされているのも事実です。慰霊の日料金となる花束を売り買いするのはともかく、まだ参拝客が訪れている時間帯に式典会場の撤収を行い、挙げ句の果てには〝花屋〟のトラックに花束だけを荷台に乗せて回収する姿を見せるとは何事ぞ?と感じたことは昨年記載しました。今年もほぼ同じ時間に訪れると、全く同じ光景が目に入ります。流石に目の前で人目を気にせず〝The 商売〟をされると、参拝に訪れる観光客の想いはともかく、このような有様を目の前で行われるひめゆり学徒隊戦没者の御霊はどう思うのか?と首を傾げたくなります。生花は生き物なのである程度のリユースはわかるとしても、少なくともお天道様が見ている間は慎めよと言いたくもなります。沖縄全土で戦没者慰霊を行うために制定された慰霊の日。特別な1日であるならば、その心意気を内地や外国から訪れる観光客に対して〝ウチナーの心意気を示してくれ!〟。そう心から感じた一瞬でした。
ひめゆり平和祈念資料館も既に閉館しており、慰霊の日昼間の部はここで終了となりました。駐車場の車に戻り、平和祈念公園で行われる後夜祭が始まるまでの時間を利用してお土産を買うために那覇に向かって走ります。
土曜日の夕方でもあり混雑しているかもと思いましたが大丈夫でした。30分程で小禄駅前のイオン那覇店に到着します。沖縄にも大型のイオンモールが進出していますが、やはり那覇市内という場所柄大型スーパーのイオンといった感じのお店です。大き過ぎずのお店なので、必要な物が探しやすいのがメリットだとも思います。
食品コーナーの一角に設けられたお土産売場。多過ぎない商品は比較検討もし易いのが特徴です。沖縄も回数きているとお土産のチョイスも難しいですが、紅芋タルトもシークワーサーやパインアップルのフレーバー入りというものもあったりでネタにちょうど良いかと購入を決めました。おかし御殿ものも新しいものがあったりと、値段と話題性で選んで行きます。最後に絶対忘れてはいけない自分へのお土産があります。さんぴん茶ティーパックがそれですが、猫舌の私は通年で常温まで冷やしたさんぴん茶を愛飲しています。それを2袋購入します。本当はサンエーストアの方が安いのですが、時間の都合上イオンで購入することにします。全部合わせて3,500円ほどで済むので、荷物を機内預けできるならば利用価値は間違いなくありました。珍しく今回はちゃんとお買物袋を持参したので、袋代はかかりません。ただ渡す時の袋がないことまでは考えていなかった・・・。
そんなこんなでお土産も仕入れ、再び平和祈念公園へと向かいます。途中いつも利用しているファミマ糸満米須店に立ち寄ってタバコを購入して一息ついて、平和祈念公園に到着します。追悼式の前後夜祭と称し平和の灯火イベントが行われています。平和祈念公園通路に置かれた平和のキャンドル、ペットボトルを利用して作られたキャンドルが並んでいるだけのものですが、写真で切り取ると別になんてことないものにしか見えませんが、元々平和祈念公園の通路そのものが〝繋がり〟を表すように配置されていることから、絶妙なバランスで光る炎が連なる姿はなかなかの景色を作り出しています。もっとも通路中央部に並べられているために引っ掛けて消してしまったものも多々あります。もちろん過失によるものは仕方がないのですが、子供がわざと倒すこともたまに見かけます。子供には罪はありませんが、なぜ親が注意をしないのかについては首を傾げたくなります。イベントの作成意図を疑問視する意見はありますが、やはりその景色を楽しむ方も多いことから、訪れた以上そんな無責任な対応はして欲しくありません。毎年同じことに憤慨を隠せない観光客約1名でした。他には灯籠流しも行われています。願い事を書いた小さな行灯がすべり台をスルスルと滑り落ちて行き、池にぽちゃんと落ちて進みます。風や流れのない池にもかかわらず動いて行く様は、なにか仕掛けがあるようにも思えるものの、そんな現実を知るよりも素直にその幻想的な景色を楽しむ方が良いと思います。そしてもっとも大掛かりな仕掛けが平和の灯周りから空に向けて放たれる光の柱かと思います。この光の柱は一点で収束するように放たれており、それゆえに天気が良過ぎるとなんだかよくわからないものに見えることもありました。今年平成30(2018)年に限って言うなれば、慰霊の日の6月23日に梅雨明けはしたものの、昼間一時スコールのような雨が降ったこともあり、雲があるためにその光の柱が良く見えました。現実的にはイベントの企画意図がわからないといった意見も多いようですが、お盆明けの〝送り火〟的に考えれば良いようにも思えます。22日に行われる前夜祭のファイナルで点火される平和の灯、慰霊の日一日中灯された火は今夜22:30に消されます。そんなファイナルもありますが、宿泊先の食事時間の関係もあり、そろそろ出発することにします。
慰霊の日は平和祈念公園に於ける喫煙が禁止されているようで灰皿が撤去されていることもあり、車内で一服して息抜きをします。それから今夜の宿であるみん宿ヤポネシアに電話を入れて、到着時間を伝えます。いつもならばタバコの購入を含めてファミマに立ち寄ってから向かうのですが、今回は先に購入を済ませていたので直行します。国道331号線大度交差点を左折してまっすぐ進み、海岸手前にあるみん宿ヤポネシア、実に6回目で8泊目となる今回の利用です。到着時間に合わせてお食事を準備して頂いているので無駄な時間がありません。いつもの主要メンバーは今日チェックアウトしているために、久しぶりにもうお一方との同宿となりました。まあ勝手を知ったお宿なので説明等は一切ありません(笑)。ただいつもとは違うことがひとつあり翌日の朝が早いということ。最終泊として泊まることが当たり前だったので、飛行機の時間に合わせることは変わりないものの、今回は11:10発のソラシド便。昨年より2時間程早いために朝食の時間も7:30にして頂きます。滞在時間が12時間を切ることは初めてですが今年は仕方がありません。それでもゆっくりとできるヤポネシア、たまにはそんな使い方もありでしょう。ご自慢の夕食を頂いた後ひとっ風呂入って、機内預けと手持ちの荷物を分けると、いつになく眠気が襲ってきました。明日は立ち寄り地もなく直接返車の予定なので行程の見直しもありません。
いつになく短い時間で回った沖縄でしたが、中身はいつも通り充実したものでした。そんな思いが頭の中を走馬灯のように巡り出したと思った瞬間意識が途切れます。睡眠時間が短いまま昼寝もしなかったことから疲れはかなり溜まっていましたが、それも心地良い子守唄になった気がします。そんなこんなでいよいよ自宅へと帰る日を迎えますzzz。
《次編に続く》
【本日の収支】
ジュース160円
レストランでいご…1,080円(Aセットタコモコプレート小椀そば付)
飲み物…160円
お土産…3,579円(紅いもタルト他)
ファミマ糸満米須店…1,420円(タバコ他)
小計:6,399円
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- レンタカー JALグループ JRローカル 徒歩 ソラシド エア
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昨年に続けてお世話になったゲストハウスりゅうかく。
ゲストハウスりゅうかく 宿・ホテル
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ご自慢の朝食です♪
ゲストハウスりゅうかく 宿・ホテル
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借景の樹木が切られたお陰で元々のような姿になっていました。それじゃそろそろ出発します~!
ゲストハウスりゅうかく 宿・ホテル
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奥武島最先端にあるおトイレ。勝手に奥武島トイレと名付けています。
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トイレが目的ではなく、ここから見える平和祈念堂や平和記念資料館がなんとも絶景なんですよ~♪
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沖縄県島尻郡八重瀬町安里にある〝独立高射砲第二十七大隊英霊の碑〟を訪れました。
この碑は以前からここに建立されたものではなく、海の見えるレストラン(閉鎖)に建立されました。碑の下方には独立高射砲第二十七大隊終焉の地である〝本部壕跡〟があり、土地所有者である沖縄ファミリーランド内に建立されました。諸事情によって平成14(2002)年2月に第一・第二中隊陣地跡に近い現在地に移設されました。 -
≪独立高射砲第二十七大隊英霊の碑≫
≪旧沖縄派遣独立高射砲第二十七大隊(球第一二五一七部隊)は、昭和十九年五月二十日、山口県下関高等女学校にて編成完結、同月二十三日汽車にて下関から鹿児島へ向かい、二十四日仮兵舎第七高等学校(現鹿児島大学)に宿泊、二十八日輸送船「富山丸」にて鹿児島港を出港、途中、徳之島近海にて敵潜水艦の魚雷攻撃を受けるも、六月一日那覇へ上陸、八月一日現地沖縄召集兵入隊、十一月三十日鹿児島県大島郡出身者現役兵入隊、翌二十年二月一日重砲第四連隊先原崎照空分隊を編入し、二十七大隊は、将兵五七四名(大隊本部約一〇〇名、第一、第二、第三の各中隊にいづれも約一五〇名)で編成される。二十七大隊本部(大滝大隊長)は、那覇市小禄垣花台地、第一中隊(中村中隊長)は、那覇市小禄四八・二高地、第二中隊(内田中隊長)は、なあh氏天久台地(四九・五高地)、第三中隊(光本中隊長)は、中頭郡読谷村座喜味城址、照空隊を天久・先原崎、聴測隊を那覇市波之上にそれぞれ配備する。
昭和二十年五月、軍の総攻撃に参戦するため大隊本部及び第二中隊の主力は宮城陣地へ、第三中隊は神里へ転進、同月上旬、大隊本部は新川陣地(南風原北側高地)、さらに、大隊本部及び小禄地区に配備されていた第一中隊は具志頭、第二中隊はの主力は与座中座付近に転進、同月下旬、第一中隊は小渡陣地に転進、第二中隊、第三中隊も大隊本部と合流するが、この間の戦闘において、第一中隊長負傷、第二、第三中隊長戦死するなど多くの将兵が死傷し、第三中隊将兵で小渡の大隊本部陣地にたどり着いた者は数名であった。
六月十日前後、第三中隊の主力を除き、各隊は小渡の大隊本部陣地に集結し、最後の決戦場として陣地の強化を図るも、この時点で部隊の火砲は一門のみであった。
六月二十日、生存者の約半数を数班に分けて夜間敵陣突破切り込みを実施すべく配備中、敵軍との交戦を行うも、大隊将兵に死傷者が続出し、遂に、昭和二十年六月二十三日夜、独立高射砲第二十七大隊は玉砕するに至った。
二七会の調べでは、沖縄戦における独立高射砲第二十七大隊将兵五七四名中四六四名が戦死であった。
合 掌≫
≪二七会発足の経緯≫
≪戦後、沖縄で散華した戦没将兵の遺骨収集に執念を燃やし続けた藤島巌、古川幸人をはじめ、叶兼光、安田正、渡辺憲央、板尾利彦など同じ部隊の生存戦友で昭和四八年八月に二七会を結成、昭和五十年一月、戦没将兵遺家族、生存戦友、同遺家族、部隊関係者等の総意によって、第一回の遺骨収集と慰霊祭を開催、以後、不定期に慰霊祭を開催し、平成七年三月の五十回忌法要・慰霊祭後二七会の魁さんを予定するも、法要参加者継続要望が強く、同年秋に新たな二七会を発足させる。
以後、二七会会員、戦没将兵遺家族、生存戦友、同遺家族、部隊関係者、瀬戸口弘訓普照寺住職、沖縄駐屯自衛隊隊員、地元沖縄住民の方々など多くの人達の協力で今日に至る。≫
≪慰霊碑等建立の経緯≫
≪この慰霊碑等は、恒久平和を願う「二七会会長、戦没将兵遺家族、生存戦友、同遺家族、部隊関係者等」の協力によって、独立高射砲第二十七大隊終焉の地である糸満市小渡の本部壕跡の真上に所在する沖縄ファミリーランド内に、同ファミリーランドを所有する玉城英世氏の好意により無償で提供を受け、慰霊碑、聖観音像等を建立していたが、都合により、平成十四年二月、第一中隊、第二中隊陣地跡に近いこの具志頭村へ移転したもので、この土地は、東風平在住の神谷房徳氏が無償で使用権を、高射砲(大隊本部が使用していたもの)は、玉城英世氏が無償で所有権を二七会へ提供されたものである。≫ -
大隊本部で使用した高射砲・聖観音像・故陸軍軍曹勲七等 岩上東八郎碑。
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第二十七大隊(球第一二五一七部隊)の戦没者名碑。
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大隊本部が使用していた高射砲。火炎放射器の炎を受けたのでしょうか?溶けているように見えました。兵はいるのに部隊の武器はこの高射砲一門のみ、それも一発撃つと場所がわかってしまい、猛反撃を受けたそうです…。
この日に地元の方が花を手向けられていました。なんとなくホッとした気持ちになれました。 -
平和行進とすれ違いました。先頭はこんな感じですが…。
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主力は車線を占領しているので、道を譲るために停車します。
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決して運転しながらは撮影していませんよ(汗)。
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魂魄之塔にやって来ました。多くの方が訪れており、三線の音色が心地よ響いていました。
魂魄之塔 名所・史跡
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魂魄之塔、歌碑。
和魂となりてしづもるおくつきの
み床の上を渡る潮風
翁長助静詠 -
魂魄之塔、由来の碑文。
この地は今次大戦でも一番の激戦地であり、日本軍も住民も追いつめられて逃げ場を失い、陸、海、空からの攻撃を受けて、敵弾にあたって倒れた屍が最も多い激戦地の跡である。
戦後、真和志村民が収容移住を許された所で村民及び地域住民の協力によって、道路、畑の中、周辺いたる所に散乱していた遺骨を集めて祀ったのがこの魂魄の塔である。
祭神三万五千余柱という、沖縄で一番多く祀った無名戦士の塔であったが、
その後、昭和五十四年二月摩文仁の丘に国立沖縄戦没者墓苑が完成し、遺骨は
同墓苑に分骨して安置してあります。
建立年月日 昭和二十一年二月
財団法人 沖縄県遺族連合会魂魄之塔 名所・史跡
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献花に包まれる魂魄之塔。
魂魄之塔 名所・史跡
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献花に包まれる魂魄之塔。
魂魄之塔 名所・史跡
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魂魄之塔背面部には、個人の供養塔も建立されています。
魂魄之塔 名所・史跡
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この部分に献花が手向けられるのは最後のようです…。
魂魄之塔 名所・史跡
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やはり〝沖縄の塔〟と言っても過言ではない魂魄之塔。地元の方々の手を合わせる姿は本物です…。
魂魄之塔 名所・史跡
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ひろしまの塔。
ひろしまの塔 名所・史跡
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6.23国際反戦沖縄集会とありました。目的が同じであればヤジもないでしょう…。
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北霊碑。
北霊碑 名所・史跡
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紀乃國之塔。
紀乃國之塔 名所・史跡
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大和の塔。
大和の塔 名所・史跡
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大分の塔。
大分の塔 名所・史跡
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平和行進の休憩所となった沖縄菩提樹苑にやって来ました。この碑を見たのは何回目だろう…。
初対面が叶いました。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん沖縄菩提樹苑 名所・史跡
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年に一度の御開帳の日なので、扉が開いています。
初対面が叶いました。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん沖縄菩提樹苑 名所・史跡
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ダライ・ラマ14世の足跡とブッダ(釈迦)の御言葉の碑。
初対面が叶いました。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん沖縄菩提樹苑 名所・史跡
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チベット旗が巻かれた聖なる菩提樹。
初対面が叶いました。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん沖縄菩提樹苑 名所・史跡
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沖縄菩提樹苑の聖なる菩提樹。
初対面が叶いました。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん沖縄菩提樹苑 名所・史跡
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沖縄菩提樹苑の聖なる菩提樹。
初対面が叶いました。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん沖縄菩提樹苑 名所・史跡
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沙羅双樹の木。この木の下でブッダは入滅(亡くなる)されました…。
初対面が叶いました。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん沖縄菩提樹苑 名所・史跡
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ずゐせん之塔にやって来ました。
ずゐせんの塔 名所・史跡
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慰霊祭の始まりを待つずゐせん之塔の姿に多くの方が訪れる(だろう)ことに心休まります…。
ずゐせんの塔 名所・史跡
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慰霊碑参拝を一旦中断して、平和祈念公園で行われる沖縄戦全戦没者追悼式典に参列するため、シャトルバス乗り場である沖縄県農業研究センターにやって来ました。
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程なくしてシャトルバスが到着します。
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所要時間12分で平和祈念公園に到着しました。
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昨年からシャトルバスの行先が〝色別〟にされました。農業研究センター行きは〝水色〟です。
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平和祈念公園には到着しましたが、正午に式典会場までは辿り着けず途中で立ち止まって黙祷を捧げます。
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定位置のステージ向かって右側に陣取ります。
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式典会場背面には平和の丘モニュメントがありました。
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いつもながら的を得てない翁長知事の平和宣言。
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いい天気に恵まれた慰霊の日・・・。
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新聞に載っている5,400人には、外野は含まれていません・・・。
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招待者の入口が終演前に開放されました。
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テント下に入られている方はまだ動きません。
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お焼香の列に並びましたが・・・。
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こいつらホント邪魔です。
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報道陣という輩は式典の模様をただ撮影しているだけであり、慰霊の気持ちなど持たずにただカメラを回しているだけですね・・・。
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式典終了のお知らせに続いて一般焼香の準備中が告げられましたが、まだ参列の邪魔をしているバカ者が残っています・・・。
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いつものごとく終演は14分押しました。
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そして来賓が退場します・・・。SPが残っているということは、まだ要人が残っている証拠です。
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SPが移動したので、要人は既に車に乗り込んだという証拠です。でも沖縄二大紙とよく言われますが、正午の黙祷すら無視している輩の報道陣の姿を見ていると…。
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そのような心構えのマスコミ連中が正論を言っているとは到底思えないのは私だけではないのではないでしょうか…。いい加減に退けよ・・・お焼香の列の真ん中に居座るバカども・・・。
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馬鹿どもが立ち退いたときには既に列が乱れて横入りが当たり前となる始末でした・・・。そしてやっと順番待ちの列が出来上がりました…。
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例年のように式典終了後に並ぶよりもは早かったかな・・・。
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私はいつもこの列に並びますが、意外に前に進むのも早い気がする・・・。
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身長が中途半端な高さなので、近いようにも見えますね。
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平和の丘モニュメントと祭壇がバランス良く見えています。
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残り10人を切りました。
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前から3人目が祭壇全景を撮る限界の距離です。
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バカが2人カメラを構えていますが、式典中(一般焼香時を含む)は祭壇と平和の丘モニュメントの間は立ち入り禁止となっています。
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お焼香を済ませ、列から離れた所でワンショット。
4回目の参加になります。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん沖縄全戦没者追悼式 祭り・イベント
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来賓をこんな感じでしか送れない日本・・・。
4回目の参加になります。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん沖縄全戦没者追悼式 祭り・イベント
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追悼式の合唱団御一同。
4回目の参加になります。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん沖縄全戦没者追悼式 祭り・イベント
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インタビューを受ける平和の詩朗読者の浦添市立港川中学校3年生相良倫子さん。
4回目の参加になります。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん沖縄全戦没者追悼式 祭り・イベント
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素朴な感じの可愛い女の子です♪でもしっかりとした平和の詩でした。
平成30(2018)年平和の詩『生きる』
沖縄県浦添市立港川中学校三年相良倫子
私は、生きている。
マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、
心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、
草の匂いを鼻孔に感じ、
遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。
私は今、生きている。
私の生きるこの島は、
何と美しい島だろう。
青く輝く海、
岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、
山羊の嘶き、
小川のせせらぎ、
畑に続く小道、
萌え出づる山の緑、
優しい三線の響き、
照りつける太陽の光。
私はなんと美しい島に、
生まれ育ったのだろう。
ありったけの私の感覚器で、感受性で、
島を感じる。心がじわりと熱くなる。
私はこの瞬間を、生きている。
この瞬間の素晴らしさが
この瞬間の愛おしさが
今と言う安らぎとなり
私の中に広がりゆく。
たまらなく込み上げるこの気持ちを
どう表現しよう。
大切な今よ
かけがえのない今よ
私の生きる、この今よ。
七十三年前、
私の愛する島が、死の島と化したあの日。
小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。
優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。
青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。
草の匂いは死臭で濁り、
光り輝いていた海の水面は、
戦艦で埋め尽くされた。
火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、
燃えつくされた民家、火薬の匂い。
着弾に揺れる大地。血に染まった海。
魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。
阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。
みんな、生きていたのだ。
私と何も変わらない、
懸命に生きる命だったのだ。
彼らの人生を、それぞれの未来を。
疑うことなく、思い描いていたんだ。
家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。
仕事があった。生きがいがあった。
日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。
それなのに。
壊されて、奪われた。
生きた時代が違う。ただ、それだけで。
無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。
摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。
悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。
私は手を強く握り、誓う。
奪われた命に想いを馳せて、
心から、誓う。
私が生きている限り、
こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。
もう二度と過去を未来にしないこと。
全ての人間が、国境を越え、人種を越え、宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。
生きる事、命を大切にできることを、
誰からも侵されない世界を創ること。
平和を創造する努力を、厭わないことを。
あなたも、感じるだろう。
この島の美しさを。
あなたも、知っているだろう。
この島の悲しみを。
そして、あなたも、
私と同じこの瞬間(とき)を
一緒に生きているのだ。
今を一緒に、生きているのだ。
だから、きっとわかるはずなんだ。
戦争の無意味さを。本当の平和を。
頭じゃなくて、その心で。
戦力という愚かな力を持つことで、
得られる平和など、本当は無いことを。
平和とは、あたり前に生きること。
その命を精一杯輝かせて生きることだということを。
私は、今を生きている。
みんなと一緒に。
そして、これからも生きていく。
一日一日を大切に。
平和を想って。平和を祈って。
なぜなら、未来は、
この瞬間の延長線上にあるからだ。
つまり、未来は、今なんだ。
大好きな、私の島。
誇り高き、みんなの島。
そして、この島に生きる、すべての命。
私と共に今を生きる、私の友。私の家族。
これからも、共に生きてゆこう。
この青に囲まれた美しい故郷から。
真の平和を発進しよう。
一人一人が立ち上がって、
みんなで未来を歩んでいこう。
摩文仁の丘の風に吹かれ、
私の命が鳴っている。
過去と現在、未来の共鳴。
鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。
命よ響け。生きゆく未来に。
私は今を、生きていく4回目の参加になります。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん沖縄全戦没者追悼式 祭り・イベント
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4回目にして初めて気付いたのですが、島守之塔で慰霊祭が執り行われていました。
礎(いしじ)とは内地の言葉の〝いしずえ〟に由来しています。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん沖縄県営平和祈念公園 公園・植物園
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沖縄の父とも称される最後の官選知事島田叡氏や県警本部長荒井退造氏をはじめとする沖縄県職員戦没者を祀っています。
礎(いしじ)とは内地の言葉の〝いしずえ〟に由来しています。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん沖縄県営平和祈念公園 公園・植物園
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我が祖父が祀られている栃木の塔。
礎(いしじ)とは内地の言葉の〝いしずえ〟に由来しています。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん沖縄県営平和祈念公園 公園・植物園
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そして平和の礎へとやって来ました。
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祖父の名前を確認し、手を合わせます。
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平和の礎 with たかティムさん。
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外野の多くは平和の灯に向かったようです。
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おもいおもいに平和の礎へと向かう参列者の皆様・・・。
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全学徒隊の碑。
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平和の丘モニュメント前はまだ立ち入れないので、その隣から見た式典会場と平和祈念堂。
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時間は待ってはくれないため、急いで車へと戻ります。
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シャトルバスに乗って…。
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再びシャトルバスで農業研究センターに戻ってきました。
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駐車できないと言われ、正攻法の道ではなく逆方向からの道筋を選択し辿り着いた先は白梅之塔です。
72回目の慰霊祭が行われていました。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん白梅の塔 名所・史跡
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白梅之塔への迂回路。栄里之塔側から向かいます。
72回目の慰霊祭が行われていました。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん白梅の塔 名所・史跡
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第七十二回を迎える白梅之塔慰霊祭…。
72回目の慰霊祭が行われていました。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん白梅の塔 名所・史跡
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第七十二回白梅之塔慰霊祭、式典会場の様子。
72回目の慰霊祭が行われていました。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん白梅の塔 名所・史跡
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慰霊祭に参列する方もかなり増えており、白梅之塔に祀られた学徒隊戦没者もさぞ喜んでいるのではないでしょうか…。
72回目の慰霊祭が行われていました。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん白梅の塔 名所・史跡
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白梅同窓会会長の中山きくさんのお話が始まりました。
72回目の慰霊祭が行われていました。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん白梅の塔 名所・史跡
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昨年まではなかった〝杖〟をついておられました…。今年から白梅同窓会主催の慰霊祭ではなく、サポートスタッフ参加型にしたいと言っておられた中山きくさん・・・。ただ斃れた同級生のことを考えると割り切れなかった気持ちを伝えておられました…。
72回目の慰霊祭が行われていました。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん白梅の塔 名所・史跡
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お気持ちはすごくわかるのですが、やはり学徒隊生存者として斃れた学友を後世に伝えるべく〝長生きしなければならない〟宿命にあることから、お身体には十分ご留意して頂きたいと切に思います・・・。
72回目の慰霊祭が行われていました。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん白梅の塔 名所・史跡
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慰霊祭開催中の白梅之塔…。
72回目の慰霊祭が行われていました。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん白梅の塔 名所・史跡
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そしてそのお隣りの萬魂之塔…。どちらも多くの参列者に囲まれて祀られた御霊もさぞお喜びかと思います…。
白梅之塔とともに花が手向けられていました。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん萬魂之塔 名所・史跡
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そして真山の塔に立寄って…。
真山の塔 名所・史跡
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歩兵第三十二連隊終焉の地碑の碑にも手を合わせて車へと戻ります…。
歩兵第三十二連隊終焉の地碑 名所・史跡
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梯梧之塔に参るために〝ひめゆり会館でいご〟を訪れます。しかしその前に…。
ひめゆり観光センター でいご グルメ・レストラン
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あまりにもお腹が減ったので、レストランでいごにて〝Aランチタコモコプレートセット 小椀そば付〟を食べることにします。1,080円也。
ひめゆり観光センター でいご グルメ・レストラン
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そして梯梧之塔を訪れました。
お線香を上げさせて頂きました。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん梯梧之塔 名所・史跡
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慰霊祭の後は花が手向けられてホッとします。たまたま慰霊祭の後片付けをされていたスタッフの方からお線香を頂いたので、上げてから手を合わせます。
お線香を上げさせて頂きました。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん梯梧之塔 名所・史跡
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花に囲まれた梯梧之塔…。また来年のこの日にお伺いします…。
お線香を上げさせて頂きました。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん梯梧之塔 名所・史跡
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次にひめゆりの塔を訪れます。
最初の碑を忘れるなかれ…。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんひめゆりの塔 名所・史跡
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新旧ひめゆりの塔と伊原第三外科壕跡。
最初の碑を忘れるなかれ…。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんひめゆりの塔 名所・史跡
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伊原第三外科壕跡。
伊原第三外科壕跡 名所・史跡
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ひめゆり平和祈念資料館。6月23日は入館料が無料となっています。
ひめゆり平和祈念資料館 美術館・博物館
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ひめゆり平和祈念資料館に奉納されていた千羽鶴。
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あまり知られていないようですが、ひめゆりの塔の裏側は納骨堂があります…。
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伊藤宝城作『姫百合の女神像』。
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素朴なお顔のひめゆりの像。
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琉球国王尚泰の曾孫である井伊文子氏の歌碑。文子氏は滋賀県の元彦根市長井伊直愛氏に嫁ぎました。滋賀と沖縄の意外な関係…浦添ようどれ館で言われたことの証拠です。
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沖縄県殉職医療人之碑。
沖縄戦殉職醫療人之碑 名所・史跡
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陸軍病院第3外科職員之碑。
陸軍病院第3外科職員之碑 名所・史跡
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ひめゆりの塔敷地内にある大穴。艦砲射撃によって開いたものだとも言われています。
最初の碑を忘れるなかれ…。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんひめゆりの塔 名所・史跡
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先にお土産を購入するためにイオン那覇へと向かいます。そして今回のお土産♪
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平和の丘モニュメントに平和の丘の碑があることを初めて知りました。
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モニュメントと平和祈念堂を一緒にして〝平和の丘〟なのですが、アナログカメラで光量不足・・・(泣)。
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平和の池では平和の行灯が漂っていました。
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平和の池を漂う平和の行灯。
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平和の灯に繋がる平和のキャンドル。光の柱が幻想的に見えます。
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両側に平和の礎が並んでいます…。
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今年の光の柱は一点収束にしてあるようです…。
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平和の灯に繋がる平和のキャンドル。
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平和の灯に繋がる平和のキャンドル、そして光の柱。
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多くの人々がカメラを構えています。
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平和の灯…。
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海側から見た平和の灯。
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平和の礎をバックに燃え盛る平和の灯。
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燃え盛る平和の灯。
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平和の礎をバックに平和の灯をアップで。
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平和の灯。昨夜22:30に点火されて本日6月23日22:30を以って消されます。つまり24時間燃え続ける訳です…。
https://youtu.be/qM5qWzQ9WII -
平和の礎。
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全ての戦没者に手向けられた花と礎・・・。
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そして沖縄の一番長い日は間もなく終わります。
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平和の灯から平和の丘に繋がるキャンドル…。
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夜の平和の礎…。
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再び平和の礎の通路をキャンドルに沿って歩いて行きます…。
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振り返ると光の柱が力強く空へと放たれていました。
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正面に光る照明付近で平和の行灯が行われています。
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平和の行燈も時間が経つと岸に集まります…。
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全学徒の碑で平和祈念公園を締め括ります。
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1日の行程を終え、今晩お世話になるみん宿ヤポネシアに到着します。
今年もやはりヤポネシア♪ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんみん宿ヤポネシア 宿・ホテル
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みん宿ヤポネシア、奥さんご自慢の夕食を頂きます。
今年もやはりヤポネシア♪ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんみん宿ヤポネシア 宿・ホテル
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