72回目の慰霊祭が行われていました。
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- 旅行時期:2018/06(約8年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
糸満・ひめゆり クチコミ:207件
糸満市国吉に建立された沖縄県立第二高等女学校学徒慰霊碑である白梅之塔。第二高等女学校の校章である白梅から名付けられました。
70余年沖縄戦が不可避とされた昭和19(1944)年に沖縄県内にあった高等女学校から学徒看護隊要員として集められた少女達は、基礎教育もほどほどにして前線の野戦病院に配属になりました。
その中で白梅学徒はまず八重瀬岳中腹の第24師団第一野戦病院(白梅学徒看護隊之壕)に配属されますが、戦闘最前線が南下してくることに伴い昭和20(1945)年6月3日に同壕と新城分院(ヌヌマチガマ)を閉鎖し、現在の白梅之塔付近の国吉地区に撤退を命じられ、傷病兵のうち比較的軽傷とされた者に肩を貸すなどして共に向かいました。
そんな最中の6月4日、師団上層部から学徒隊解散命令が出されます。既に戦場となっている場所での突然の解散命令に学徒達はどうして良いのかわからず、そのまま国吉の壕へと向かいます。その移動の最中や国吉の壕までなんとか辿り着き再び勤務を続けていた者を含め、米軍の執拗な攻撃の下多くの犠牲者を出す結果となりました。学徒隊として従軍した46名のうち自決者も含め約半数にあたる22名が蕾のままで亡くなりました。
戦後の昭和23(1948)年に小さな自然石を白梅之塔として建立し、第1回の慰霊祭が挙行されました。その後白梅之塔は昭和26(1951)年8月と平成4(1992)年6月と改修されて現在に至っています。
戦後73年を迎えた今年平成30(2018)年6月23日に行われた慰霊祭が72回目のものとなります。なぜ開催年と回数が違うのかはわかりません。しかし往時の少女もご存命であれば90前になっておられる今日、他の学徒隊慰霊祭が同窓生の減少と高齢化によって開催が難しくなり、取りやめとなっている今日白梅之塔慰霊祭も例に漏れないようで、昨年白梅同窓会長の中山きくさんより、同窓会主催の慰霊祭は昨年が最後だという話がされました。今後はサポートメンバーによる慰霊祭へと変えて行くとは言われたものの、やはりすぐに割り切れるものではないようで、体が動く間はやはり関わって行きたいと言われていました。
実際のところ今までの沖縄尚学高校によるサポートに加え、本年から那覇高校も加わった上に全て同窓会メンバーが執り行っていた来賓へのサービスを外注化するなど様変わりをしていることはわかりました。しかし一年間での変わりようは見方によっては違和感すら覚えたところもありました。
加齢や経年といった逃れることのできないことを補うのに今までと同様とはいかないことは勿論わかっているつもりです。ただ細かいところの変わりように今までとは違うと感じたのも事実です。
たまたま毎年見ているのでそう見えただけなのかも知れません。ただひとつ気になったのは中山きくさんが杖をついておられる姿を見たということ。それが一番気になったところでもありました。
同窓会主催ではなくなったとしても、塔に祀られている学徒達は悪いようにはしない思っていない筈です。それより自身が体験された学徒隊の悲劇というものを後世に伝えるべく長生きして頂かないといけないのではとも思います。
怠惰から慰霊祭の挙行を取りやめるのではなく、やむを得ない理由であれば戦没学徒も納得している筈です。
どんなものになるのかは結果論にしか過ぎません。それよりもきくさんには行きてもらわなければならない現状があることに違いはありません。ある程度は人に任せオブザーバーとして式典を見守って頂きたい・・・、そんな思いが余計に強くなった今年の白梅之塔慰霊祭でした。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 平和祈念公園から車で10分程です。
- 人混みの少なさ:
- 1.0
- 慰霊祭の時は車を停めることもできませんでした。
- バリアフリー:
- 3.0
- 塔の周りは舗装されていません。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 白梅学徒隊への関心の深さを感じました。
クチコミ投稿日:2018/07/20
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