沖縄菩提樹苑
名所・史跡
3.30
クチコミ・評判
1~9件(全9件中)
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だいぶ大きくなっているようです
- 3.5
- 旅行時期:2024/07(約1年前)
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すべての戦没者の慰霊のため
- 3.5
- 旅行時期:2021/04(約5年前)
- 0
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釈迦ゆかりの菩提樹の分け木
- 3.0
- 旅行時期:2019/11(約6年前)
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今年も逢えました。
- 5.0
- 旅行時期:2019/10(約6年前)
- 8
年に一回沖縄慰霊の日だけに解放される沖縄菩提樹苑。門外不出の釈迦涅槃の菩提樹の木を沖縄へと贈ることが決まったのは、多くの人... 続きを読む命が失われた沖縄戦の戦地であったことだそうです。
宗教絡みの施設ではあれどそれとは関係なく、慰霊の日の休憩場所として提供されています。
株分けが行われたインドへは行ったことはありません。しかし慰霊の日のひと時をこの場所で過ごすことにより、目の前にインドの景色が広がっている錯覚に陥ります。
沖縄で菩提樹の木が成長するかどうかは未知数らしいのですが、木々の成長を見越して建物の屋根を高くするといった対応を取りながら育成されて今日に至ります。
インド国外に持ち出された2回のうちの1回は貴重過ぎる位のことだと思います。慰霊の日に沖縄で過ごすことが出来る限り菩提樹の木と対面が続くことを期待したいと思います。 閉じる投稿日:2019/10/30
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初対面が叶いました。
- 5.0
- 旅行時期:2018/06(約8年前)
- 13
魂魄之塔斜め向かいにある沖縄菩提樹苑。釈迦がその樹の下で悟りを開いたといわれている聖なる菩提樹の分け樹が、公式の式典を経て... 続きを読むインドから国外に持ち出されたことは紀元前3世紀にアショーカ王の皇女であるサンガミッタによってブッダガヤからセイロンに持ち出された以外にはありません。
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その聖なる菩提樹が人種・国家・宗教の違いを超えて第2次世界大戦で亡くなった総ての戦没者を慰霊する名目で、沖縄南部の糸満の地に平成15(2003)年7月19日カワハッテェ・シリ・スメダ尊師およびインド大菩提協会サラナトセンターから極めて貴重な聖なる菩提樹の分け樹が贈られ、そして翌年平成16(2004)年5月30日にここ沖縄菩提樹苑に植樹されました。
南国の雨風に晒されて菩提樹が痛んだこともあり、建物の屋根に囲まれて現在に至っています。
ダライ・ラマ14世も訪れて植樹した場所は、年に一回沖縄慰霊の日に平和行進の休憩所として一般公開されてはいるものの24時間解放されているわけではないため、門の外から見ることしかできませんでした。しかし今年は午前中に訪れることができたため、初対面が叶いました。
チベット旗が巻かれている聖なる菩提樹、緑の多い沖縄の地で目立つものではないのかも知れませんが、菩提樹の放つオーラは半端ではないものを感じました。
ダライ・ラマ14世の足跡の碑も含め、2年越しとなった聖なる菩提樹とのご対面は、私の心の中にも爽やかな風を送り込んでくれた様に感じました。 閉じる投稿日:2018/07/05
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一年間で唯一の開館日でした。
- 5.0
- 旅行時期:2017/06(約9年前)
- 9
魂魄之塔斜め向かいにある沖縄菩提樹苑、第二次世界大戦で亡くなられた全ての戦没者の慰霊を目的とし、ブッダが悟りを開いたとされ... 続きを読むる伝承を持つ『ブッダ所縁の聖なる菩提樹』の分け樹が約2300年ぶりにインド国外に贈呈され、平成16(2004)年に植樹されました。その後平成21(2009)年にはダライ・ラマ14世も来訪し、記念植樹をされています。
謂れはともかく、普段は見ることができない菩提樹苑は、慰霊の日のみ平和行進の休憩所として解放されるとの情報は昨年知り得ていました。しかしNo Planの今回の旅に於いてすっかり忘れていたこともあり、夕方の到着となりました(汗)。実際にどこまで解放されていたのかはわかりませんが、少なくともハウスの中の中へは入ることができました。だからという感動はありませんでしたが、沖縄戦での戦没者慰霊に国境を超えた理解が得られたことにはなにか安堵感を覚えました。
一年に一度開かれる扉は、一見の価値はあります。
閉じる投稿日:2017/07/01
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魂魄之塔の向かい側にありました
- 4.0
- 旅行時期:2016/06(約10年前)
- 2
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ブッダ所縁の〝聖なる菩提樹〟が植えられています。
- 5.0
- 旅行時期:2016/06(約10年前)
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魂魄之塔斜め向かいに小さなハウスが立っています。その沖縄菩提樹苑にはブッダが悟りを開いたとされる〝聖なる菩提樹〟の〝分け木... 続きを読む〟が植えられていますが、この〝聖なる菩提樹の分け木〟は紀元前3世紀にアショカ王の皇女であったサンガミッタによってブッダガヤからセイロン(スリランカ)に持ち出された以降なかったそうですが、沖縄戦戦没者の御霊を慰めるためという目的と、史上稀にみる地上戦が行われ、多くの犠牲者を出した沖縄戦の特徴と趣旨を理解したインドの高僧〝カワハッテェ・シリ・スメダ尊師〟およびインド大菩提協会サラナトセンターの許可を受け、平成17(2005)年に3本の分け木が沖縄へとやってきました。
その後ブッダの誕生に纏わる〝無憂樹〟と涅槃に纏わる〝沙羅双樹〟をブッダ涅槃の地クシナガラで取得し、更に平成19(2007)年5月には同じ沖縄の海洋博記念公園管理財団から別に無憂樹の分け木の寄贈を受けました。
沙羅双樹の木は本土の露地栽培では育たないとされていたこともあり、ある程度成長してから植樹されました。またダライ・ラマ14世が来沖縄されたときにも立ち寄られたことから〝ダライ・ラマ14世来沖縄記念館〟とも呼ばれるそうですが、開館している時が非常に稀のようです。ゆえにあいにく慰霊の日翌日の夕方の来訪では館内に入ることはできませんでしたが、6月23日の慰霊の日には、平和行進を含めた〝休憩所〟として開放されているとのことを知り、来年の慰霊の日の目的地がひとつ決定しました(笑)。
宗教施設とされているものもあり、毛嫌いされる方もいらっしゃるかとは思いますが、その宗教概念を超えた建立目的がある場所です。 閉じる投稿日:2016/07/11
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ブッダゆかりの“聖なる菩提樹”の分け樹が植えられています
- 4.0
- 旅行時期:2016/04(約10年前)
- 2
国道331号線のひめゆりの塔から300mほど東に進み、県道223号線に入って1?ほど行くと米須霊域があります。その米須霊域... 続きを読むへの入り口道路沿いに「沖縄菩提樹苑」があります。
第二次世界大戦で亡くなったすべての戦没者の慰霊のため、ブッダ(釈迦)がその下で悟りをひらいたと言われるブッダゆかりの“聖なる菩提樹”の分け樹が植えられています。
“聖なる菩提樹”の分け樹がインド国外に植樹されるのは紀元前3世紀以来という極めてまれな事だそうです。
菩提樹を囲むように塀があり、鍵がかかっていて、隙間やガラス越しにしか見ることができませんが、大きく育っている様子は外からでもうかがうことができました。
ダライ・ラマ14世もここを訪れたそうで、法王が植樹された娑羅双樹や法王の足型、メッセージなどを見ることができました。
付近一帯は戦跡が集中するところで、沖縄県で最初に建立された慰霊碑である“魂魄の塔”や十余りの“県の慰霊塔”、“有川中将以下将兵自決の壕の碑”などがあります。観光気分で訪れるようなところではありませんが、先の大戦で戦火に散り、犠牲になられたたくさんの人々の御霊のもとに今の平和が築かれていることを感謝し参拝させて頂きました。なお、霊域には駐車場やトイレが整備されています。 閉じる投稿日:2016/04/11
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