最初の碑を忘れるなかれ…。
- 5.0
- 旅行時期:2018/06(約8年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
糸満・ひめゆり クチコミ:207件
沖縄戦に徴用された学徒隊の中でもっとも有名なひめゆり学徒隊。沖縄県立第一高等女学校と沖縄師範学校女子部の生徒達によって構成されました。南風原陸軍病院から南部へと撤退し、入る壕を〝じゃんけん〟で決めたと言われる少女達。中でも最も人気が高かったものが、塔の前に大きく口を開いている伊原第三外科壕だったとされています。
じゃんけんで負けた少女達が入った伊原第一外科壕や糸洲第二外科壕では、比較的犠牲者数が少なかったことが、無邪気に〝じゃんけん〟で決めたことが後々少女達の運命を大きく左右してしまったことになにかやるせないものを感じます。
現在では大きな新〝ひめゆりの塔〟が建立されていますが、戦後すぐの物資のないときに娘二人を失った〝魂魄之塔〟を建立した金城和信先生ご夫妻が、娘の遺骨を発見した伊原第三外科壕隣に初代の〝ひめゆりの塔〟を建立したのは昭和21(1946)年4月のことでした。普通の石に刻まれた文字は、良く見ないと見落とすことも少なくはないと言われています。
また新しい塔の裏側に納骨堂が設けられていることも多くの方は知らないという回答がされるもののようです。
ひめゆりの塔を観光地化されたものとして、再訪の価値はないという辛口の意見も出ていますが本当にそうなのでしょうか?それはただ付近の土産物屋が客寄せのためにやっていることに対する反感ではないかと思えてなりません。言い方は悪いですが、土産物屋の店員にひめゆり学徒の足跡を訪ねてもまともな回答ができる方はほとんどいません。ただ成績を上げるためにあの手この手を繰り出しているだけだと思います。
土産物屋と学徒犠牲者には何ら関係はありません。最も年上で19歳といううら若き少女達は、お国のため家族のために従軍し、蕾のまま斃れたに過ぎないのは紛れもない史実です。外野のことはどうでも良いことです。それより本当に〝ひめゆり学徒〟を知ろうと見落とすことのないように真剣に70余年前を今に伝えるものを見て下さい。そんな思いを持ちつつ訪れられるようになってから私は、すべての学徒隊慰霊碑と同じように二度と同じ悲劇を繰り返さないで…という言葉を発しているように感じるようになりました。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 那覇から車で30分ほどで到着します。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 慰霊の日は特に多いです。
- バリアフリー:
- 3.0
- 塔のまわりは砂利敷きです。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 訴えかけを感じて下さい。
クチコミ投稿日:2018/08/01
いいね!:9票
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