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《2018.June》あみんちゅ弾丸ツアーで訪れるThe day in OKINAWAその壱~アプローチ編~<br /><br />気が付けば6月23日の沖縄慰霊の日を現地で過ごす旅も葉や4回目。内地で知る〝この日〟があまりにも違うことを知り、毎年訪れるようになりました。ただ知れば知るほど奥が深いことを知るものの、その準備に費やす時間が日に日に無くなって来たこともあり、今年を以ってしばらく定期的な来沖をやめようと考えました。それにあたって今までお世話になってきた宿泊施設をすべて回り、思い出に代えようと考えました。しか~しその前に立ちはだかったのはまさかの〝現実〟でした。現在勤務している店が耐震問題で建て替えることとなり、それに伴い異動辞令が出るはずが、まさかの延期。既に他店に移動した者もいる中で、1週間の休みは当然却下となりました。とはいえ長きに渡ってお世話になった店舗ゆえ自己理由で押し通せる訳もなく、4日に短縮ということでやっとOKしてもらいました(嬉)。<br /><br />そんなこんなであっという間に出発の日。例年ならば前日早上がりなのですが、それも叶いませんでした…。準備不足はいつものこと、さぁどんな旅路になったのやら。それでは初日が始まります。<br /><br />平成30(2018)年6月21日木曜日<br />自宅 11:24<br />バス停 11:28<br />11:30<br />《京阪バス31系統:230円》<br />石山 11:43<br />12:00<br />《新快速:230円》<br />京都 12:14<br />12:16<br />喫煙所 12:22<br />12:24<br />リムジンバス停 12:28<br />12:30<br /> 《大阪空港交通:1,260円》<br />大阪空港南ターミナル 13:16<br />13:17<br />大阪空港北ターミナル 13:18<br />(チェックイン)13:30<br />(搭乗開始)15:00<br />(搭乗)15:05<br />(ドアクローズ)15:12<br />(タキシング)15:15<br />(前進)15:21<br />(離陸)15:29<br />《JAL2087:0円》<br />(ギアダウン)17:07<br />(着陸)17:17<br />(駐機)17:22<br />(降機)17:24<br />那覇空港 17:43<br />(レンタカー待合)17:50<br />(レンタカー迎え)17:55<br />(レンタカー迎え出発)18:01<br />フジレンタカー 18:14<br />《レンタカー:10.100円》<br />(手続き終わり) 18:24<br />(出発) 18:41(0.0km・0.0km/h)<br />嘉手納農林 19:54 (26.9km・26.9km・22.1km/h) ジュース110<br />健児之塔  21:11<br />ドラッグ 21:34 (12.8km・39.7km・33.4km/h)<br />イレブン 21:54<br />ガスト 22:35(15.8km・55.5km・23.1km/h)<br />23:03<br />ホテルキング  23:09(2.7km・58.2km・27.0km/h)//<br /> 《宿泊:2,900円》<br /><br />朝便だった飛行機をを夕方に変更したのでゆっくりした出発です。昼前に出発するも同居人がおらず、バスでの出発です。いつもの通勤ルートで駅へと到着し、新快速に乗車します。一昨日起こった地震では自宅には被害はなかったものの、ライフラインの復旧も進まない北摂地区を通ることに抵抗もあり、旅行の取りやめも考えたものの航空会社の判断は厳しいもので取り敢えず出発することにします。<br /><br />他の理由でJRも遅れているようでしたが、乗車した新快速は定時運行で京都に到着します。いつもならばここで関西空港リムジンの利用となるのですが、今回に限っては大阪空港交通の〝伊丹空港リムジンバス〟を利用します。滅多に乗らない路線なので写真を撮っていると出発の時刻になります。そんなことで運行の妨げになってはいけません、はい。<br /><br />第二名神の開通で走る路線が変わると思ったのですが、意外にも変更はありませんでした。たださすがに車窓を眺める気にはなれず、ひたすら目を瞑って休んでいました。定刻より少し早着で伊丹空港に到着し、南ターミナルを経て北ターミナルで下車します。3年前に奄美へ向かった時以来の伊丹空港ですが、LCCしか〝使えない〟旅人がJALを利用するのか…となる訳ですが、陸マイラーで貯め続けたマイルを使ったフリートラベルで9,500マイルを使ってクラスJの旅からスタートします。本来はJAL2081を利用する予定でしたが、前日21:00迄仕事だったため、敢えてゆっくりとした出発に変更しました。<br /><br />昔はギリギリの到着が当たり前でしたがLCCを利用するようになってからは〝搭乗拒否〟に合わないためにも早めに到着を心掛けます。取り急ぎチェックインを済ませて荷物を預け、暫く空港内を散策します。ブラブラ歩いていると私には縁のないカードラウンジがありました。縁のないものとたかを括っていたのが悪かった…。一回くらい入ってみようかと初年度年会費不要のゴールドカードに代えていたことをすっかり忘れていました。と言う訳でやはり縁のないまま終わってしまいました。チャンチャン<br /><br />そのうちいつもの到着機材の遅れでディレイの報が伝わってきます。まぁしょうがないかと割り切るも、保安検査を通過してしまってからでは時間を潰すにもお金が掛かるので、ボケ~っと離発着をする飛行機を眺めるしかありませんでした。結局45分程の遅れで搭乗が始まるも、ここに来てのんびりしている私はまさかの呼び出しを喰らいます。JALの乗客はせっかちな方も多いようで、搭乗が始まって僅か5分でラスト1名になってしまうようです…。<br /><br />最後の1人として搭乗し5Kの席に陣取ります。クラスJ、3年前の奄美以来になりますが、あの時はナローボディーのB737-800、今回はB777-300のワイドボディ♪通路が二本あるだけでこれ程違うものなのかと思います。ただ…経年劣化は否めません。ご老体は伊丹空港を離陸したところまでは覚えているものの、いつの間にか爆睡してしまいます。それでも私を乗せたJAL2087便は、ちゃんと沖縄に向けて順調に飛行を続けてくれます。車だったらドライバーが寝ると先には進めないことを考えるとありがたいものです(笑)。<br /><br />屋久島上空のアナウンスで目が覚めました。気が付いたらドリンクサービスのお知らせが貼ってありました。う~んどうしようと思っていたら、CAさんが気付いて聞いてくれました。お恥ずかしながら…なんて思いましたがコーラをお願いします。機内だと喉が渇くのはいつものことで一気に飲み干し再び寝てしまいます。そんなこんなしていると島影が見えてくると沖縄本島に差し掛かります。離陸後1時間45分で着いてしまう沖縄。ちっさな飛行機でも所要時間は変わりませんが、やはりゆったりとした大きな飛行機の方が快適でした♪<br /><br />遅れの分を取り戻して到着できるかと思うとやはり甘かった…。着陸許可待ちで上空を旋回しているようです。結局無事着陸できたのは出発が遅れた分そのままの時間だったようです。のっけから予定に狂いが生じましたが愚痴っても仕方がありません。とにかくJAL2087便は夕方の那覇空港に無事到着します。<br /><br />遅れを引きずったまま那覇に到着し、荷物をピックアップしてからレンタカーの待合所に向かいます。今回も前回同様フジレンタカーを利用します。自分が気を付けていても起る交通事故、その〝もらい事故〟の割合が高い沖縄であるから特に保険の内容には気を付けます。免責補償は勿論の事、NOCの負担もなしのプランに加えてガソリン満タン不要を持っているのは多くはありません。そんな理由からの選択でした。そしていつものレンタカー待合所に向かいますが、さすがに発着便が多い時間帯ゆえ係員がいません。他にもお客がいたので待ってればいいのですが、人をあてにすると痛い目に合うのはいつもの事なので、念のため営業所に連絡を入れてみます。回答は案の定今向かっていますとのこと。沖縄に来たんだからてーげーに待っていれば良いんだから…と改めて思います。<br /><br />暫くして送迎車が到着しますが、どうやらインバウンドのお客待ちをするようですぐには出発しません。外国人を差別するつもりはありませんが窓口になる者だけは日本語がわかるようですが、その他は全くと言って良い程わからない様子。これでレンタカーが借りられるんだ…と疑問に思いながら出発し、奥武山のフジレンタカーの営業所へと向かいます。<br /><br />実は今回禁煙車で予約をしていたのですが、訳ありで喫煙車に変更できないかと連絡をしておきました。返事は不要とのことを言っていたので当日まで結果はわからないものの、こういうところは結構融通の利く会社です♪インバウンドのお客は乗車人数のこともあるのかミドルクラス、わたしゃ壕や慰霊碑に続く細い道でも取り回しの楽な軽自動車…。前に進むだけならば運転技術は関係ありませんが、一抹の不安を感じさせるものがありました…。<br /><br />そんなこんなで今回の沖縄のアッシー君となるダイハツMOVEクンと出会って、旅が始まります。<br /><br />貸し出しの時間で約40分の遅れだったこともあり、日の入りの時刻が19:20位だったこともあり、30分位で行ける場所でないと陽が暮れてしまします。今回の目的地で単独の場所にあり、時間関係なしに訪れることができるのは1ヵ所しかなく、それも25km程距離があります。どうしようか迷っていても時間は過ぎて行くので、意を決して出発することにします。<br /><br />今回もお世話になったフジレンタカー那覇営業所ですが、南へと向かうにはスムーズに行けるのですが、北に行くにはぐるっと回り道をしなければなりません。しかし木曜日夕方のラッシュ時ゆえ結構な渋滞が発生しています。かと言って迂回路もなく、ナビの示す通りの道を走り、奥武山公園を周回して国道58号線へと戻り北方向へと走ります。向かった先は米軍基地がある嘉手納町の野國總管(のぐにそうかん)公園。嘉手納中学校の体育館脇にある公園は、琉球王国時代に朝貢船の船員だった野國總管を祀る〝お宮〟の周りに広がる公園です。当時の琉球はしばしば飢饉に見舞われており、その度に餓死者が出るといった有様でした。そこに野國總管が蕃薯(現在のサツマイモ)の苗を明国から持ち帰り、住まいのある北谷間切野國村に於いて栽培し、根付かせた人物だとされています。その後第二次尚王朝の役人であった儀間真常(ぎましんじょう)と共に琉球全土に広げたことによって飢饉時の餓死者の減少に尽力した者とされ、蔡温・儀間真常と共に沖縄の産業発展に貢献した一大恩人とされた人物でもあります。中でも嘉手納村では野國總管の功績を大きく取り上げられており1955年蕃薯伝来350周年事業の一環として、この場所に野國總管宮を建立し現在に至っています。内地では三浦按針(ウィリアム・アダムス)や青木昆陽などがやはりサツマイモの栽培を拡散した者として知られていますが、それに先立つことだった話です。<br /><br />ただ今回はこの〝野國總管公園〟が目的という訳ではなく、敷地内にある〝とある学徒隊の慰霊塔〟になります。農林健児之塔、先の沖縄戦に於いて沖縄全土で組織された21の学徒隊の内のひとつです。昨年平成29(2017)年に平和祈念公園に〝学徒隊の碑〟が建立され戦没学徒の家族・遺族・同窓生が鬼籍に入り、慰霊祭の開催が年々困難となって行く中で学徒隊の史実を風化させないようにとの思いを込めて作られました。しかし現実的にはそれぞれの学徒隊に於ける〝知名度〟には大きな開きがあるのも事実であり、碑に刻まれていて初めて知った学徒名を知ったという声も多くありました。沖縄県立農業学校の生徒によって構成された〝農林学徒隊〟もそのひとつであるものの、沖縄戦末期の激戦に動員された訳ではなく、むしろ沖縄本島での戦いが始まった中北部での戦闘に動員されたことも受け身では知ることのできないことになっているのかも知れません。第十九航空地区司令部特設第一連隊(連隊長:青柳時香中佐)に昭和20(1945)年3月27日に配属された〝鉄血勤皇隊農林隊〟の少年達は、陸軍二等兵として中飛行場の食料を山中に隠す仕事に就きました。そして4月1日の米軍上陸の方を受けて急造機雷を抱えて敵戦車に突入する肉弾攻撃隊要員として20名の生徒が選抜され、中飛行場に向かうもののもぬけの殻であったために引き返し、本部半島の独立混成第四十四旅団第二大隊(宇土部隊)の指揮下に入ることになりました。その一方農林隊本隊(肉迫攻撃隊以外の農林隊)は金武まで連隊と行動を共にするも、食糧確保の難しさから解散を言い渡されます。また肉迫攻撃隊の生徒達は米軍の猛攻を受けながら歩兵第三大隊とともに徐々に多野岳に撤退を続け、更には東村の山中にまで逃げてはきたものの、4月28日の銃撃戦に於いて9名の学徒が戦死しています。一旦は戦闘要員として徴兵するも、大人の諸事情で〝解散〟という切り札を切ったことは、南部戦線に於いて学徒隊が受けた仕打ちと同じものではあります。ただひとつ違うのは逃げるにも場所があったかなかったかではないでしょうか?しかし優位に戦闘を進めてくる米軍の前には〝素人〟である年端もいかない少年達には、逃げるにもどっちへ逃げればよいのかわからないのが現実です。また食糧問題で解散させた学徒隊に関しても、実際のところは第一大隊の陣地から特設警備第504工兵隊と要建隊の郷護隊兵士約1,000名が無断で戦線を離脱してしまったことにより学徒隊しかいなくなってしまったことにより、大隊長が〝学徒を矢面に立てることはできない〟との判断から、やむなく解散を命じたというのが事実のようです。<br /><br />この逃亡した郷護隊というものは、現地徴収された一般人であり、当然兵士としての心得は持ち得ていませんでした。そのようなこともあり、軍規を乱すようなことをしたからどうなるものでもなかったのかも知れません。しかし自分達が逃亡をしたことによって学徒隊のみが残ってしまったのは事実です。このことはあまり知られていない事でもあるのですが、この際に学徒を連れて逃亡したのであれば、その後の学徒隊犠牲者はなかったか、若しくは減った可能性も考えられます。<br /><br />戦後生まれの一個人が言うことではないのかも知れませんが、大人の〝自分勝手〟によってやむを得ない理由が生じてしまい、結果部隊としても戦況を考慮するまでもなく学徒隊の解散をせねば致し方がなかったのではと思えてしまいます。本来ならば徴用されることのないはずの年齢層を敢えて徴兵したことにも問題はありますが、子供というより孫の年齢の子供達を残したまま良く逃げられたことには呆れ返るしかありません。昨年の追悼式でも年端の行かない子供達を利用して、人の関心を引いて野次ったおじぃ1名がいたことについて不快感を示しましたが、調べると沖縄戦に於ける学徒犠者を出した部隊程、同様のことが起こったように言われています。沖縄に於いて住民を巻き込んだ熾烈な地上戦が行われたことは紛れもない事実ではあるものの、学徒隊の犠牲者は本当に分別のある郷護隊のリーダーがいて、連れて逃げておれば減ったかも知れないと思えてなりません。<br /><br />70余年前の史実を今更変えることはできませんが、この説を裏付けるような出来事が今なお沖縄で起こっていることも事実です。敵前逃亡をした大人より、分別がつかないなりに日本の行く末を案じ、軍の一員として働いて短い命を散らしてしまったと表現してしまうことは間違っているのでしょうか…。<br /><br />学校教育では戦争について教えを受けなかった世代である私個人が、思い立ったように学徒の足跡を追い続けていることに〝偽善者〟と陰口を叩く輩もいるのは事実です。それはそれで人の解釈なので意見するつもりは毛頭ありませんン。しかし学徒隊が属していた部隊の多くに隠れている〝敵前逃亡〟の事実がなぜ隠されるのか?そんな疑問を持っています。年端も行かない少年少女の犠牲があった学徒隊の史実。それを後世に事実を伝えること、それが今を生きる大人の義務ではないだろうか?そんな思いを常々持っています。戦争という〝争いごと〟を美化することは勿論できませんが、日本軍首脳部のエゴというだけで説明がつく問題ではないと改めて感じました。<br /><br />陽が暮れてからの到着だったため、農林健児之塔が沖縄県立農業学校の後進である普天間中学校を見下ろす位置に建立されている事実は確認できないため、最後に改めて手を合わせ戦没した学徒の御霊よ安らかに眠れと願って次の行程へと進みます。<br /><br />翌日歩く予定をしていた浦添城跡のことを考えてホテルを手配したため、行きに走ってきた距離とほぼ同じ距離を戻らなければなりません。ただやはり沖縄の暑さは南淡海の比較ではないようで、頭痛がしてきました。元々頭痛持ちではあるため薬は持ち歩いてはいるはずなのですが、今日に限って忘れてきました。仕方がないので帰り道から離れない場所でのドラッグストアを探します。ドラッグイレブンはにんず宜野湾店、JR九州グループのドラッグストアなので、地元では馴染みがありませんが九州・沖縄地区に来た際には何かとお世話になっています。そして間に合わせの頭痛薬と2Lのさんぴん茶を購入しますが、ここでうっかりしていました。こちらのお店ではレジ袋が有料だったことをすっかり忘れていました。いつもならドコモダケの〝エコバック〟がリュックに入っているのですが、車の中です。手も塞がっていることもあり仕方なしに3円で購入します。ケチケチ旅行を計画してもさすがにB型、詰めの甘さはいつもの事ですハイ。<br /><br />必要なものを手に入れて落ち着きを取り戻し、再び国道58号線を南下して行きます。そう言えば晩御飯を食べていないことを思い出します。既に22:00を過ぎており手軽にてっとり早く済ませようと入ったのはガスト浦添牧港店。普段の行動範囲ではファミレスも〝禁煙〟が当たり前となっているご時世に、喫煙席がまだ残っているお店でした。取りあえず喉が渇いていたこともあり、おろしバーグとAセット+ドリンクバーを注文します。程なくしてお料理が出てきますが、喫煙席の悪いところ、とにかく客の回転が悪い…。ドリンクバーだけで結構な時間粘る若者たちのマネはできません。スープ1杯、ドリンク2杯では元取れないな~なんて思いながらも、タバコの煙が濛々する中に長居をする気はなく、深夜料金10%を加えられた1,221円を支払って30分足らずで出てきました。<br /><br />お店を出て走ること数分で本日の宿である〝ホテルキング〟に到着します。浦添のホテルなど利用することすら考えたことがないはずですが、実はこのホテルキングに泊まるのは2回目でした。前回は13年前の7月、B’zのライブがコンベンションセンターで行われたときに泊まりました。確かその時は3,500円だった記憶があるのですが、今回じゃらん手配で3,000円でした。ポイント利用でRC2,900円なのは、那覇周辺の格安宿の中では糸満のホテル南海糸満と勝負できる金額です。ただいずれの宿も原則喫煙室での案内となり、タバコを吸わない方にはキツイところかも知れません。<br /><br />13年ぶりの再訪となったホテルキング、それ程良いとも思わなかったホテルの再訪をなぜ考えたかと言うと値段のこともあるものの、浦添の立ち寄り地を調べていたところ聞き覚えのある名前を見つけ、そう宿泊することもないだろう浦添の街なので泊まってみようかと思っただけに過ぎません。車は軽自動車のみ電柱に挟まれた狭い場所に建物に沿って停めなければならない〝技術〟が要求されるのは当時のまま。加えて手動ドアを開けてすぐのフロントや2階のない不思議なエレベーター、脚立が立て替えてある階段なども昨日のことのように思い出せました(笑)。今夜は5階503号室ツインルームのシングルユースでしたがここらは記憶が定かではなく、和式便座にユニットを被せて様式化したトイレと、ブルーのバスタブがあったように思うものの、すでにその面影はなく様式便座とシャワーになっていました。シャワートイレ化されていないのとシャワーが取り付けられている壁に水道管の移設の痕跡が残っていたことから、この13年変わっていないと思っていたホテルも少なからず需要に応じて手入れされていることに時の流れを感じます。チェックインそのものが23:00を過ぎており、翌日は浦添城跡を歩き回った後学徒の慰霊碑参拝2件というハードスケジュールなこともあり、順序・効率良く回るために立ち寄る場所を再確認だけして早めに休むことにします。とは言っても1:00は過ぎてしまいましたが…。寝る前に日が変わって旅2日目の22日を迎えますzzz。<br /><br />《2日目に続く》<br /><br />【備考:本日の出納一覧】<br />バス…230円<br />JR…230円(金券ショップ利用)<br />リムジンバス…1,260円(金券ショップ利用)<br />JAL2087…0円(マイル利用)<br />レンタカー…10,100円(じゃらんクーポン利用)<br />ホテルキング…2,900円(じゃらんポイント利用)<br />ファミリーマート石山駅前…535円(タバコ・飲み物)<br />大阪空港…251円(コーラ・水)<br />野國總管公園…110円(さんぴん茶)<br />ドラッグイレブンはにんず宜野湾店…1,794円(頭痛薬他)<br />ガスト浦添牧港店…1,221円(おろしバーグとAセット+ドリンクバー)<br />小計:18,631円

《2018.June》あみんちゅ弾丸ツアーで訪ねるTHE DAY IN OKINAWAその壱~アプローチ編~

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2018/06/21 - 2018/06/21

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旅行記グループ 先の戦争を考える旅

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《2018.June》あみんちゅ弾丸ツアーで訪れるThe day in OKINAWAその壱~アプローチ編~

気が付けば6月23日の沖縄慰霊の日を現地で過ごす旅も葉や4回目。内地で知る〝この日〟があまりにも違うことを知り、毎年訪れるようになりました。ただ知れば知るほど奥が深いことを知るものの、その準備に費やす時間が日に日に無くなって来たこともあり、今年を以ってしばらく定期的な来沖をやめようと考えました。それにあたって今までお世話になってきた宿泊施設をすべて回り、思い出に代えようと考えました。しか~しその前に立ちはだかったのはまさかの〝現実〟でした。現在勤務している店が耐震問題で建て替えることとなり、それに伴い異動辞令が出るはずが、まさかの延期。既に他店に移動した者もいる中で、1週間の休みは当然却下となりました。とはいえ長きに渡ってお世話になった店舗ゆえ自己理由で押し通せる訳もなく、4日に短縮ということでやっとOKしてもらいました(嬉)。

そんなこんなであっという間に出発の日。例年ならば前日早上がりなのですが、それも叶いませんでした…。準備不足はいつものこと、さぁどんな旅路になったのやら。それでは初日が始まります。

平成30(2018)年6月21日木曜日
自宅 11:24
バス停 11:28
11:30
《京阪バス31系統:230円》
石山 11:43
12:00
《新快速:230円》
京都 12:14
12:16
喫煙所 12:22
12:24
リムジンバス停 12:28
12:30
 《大阪空港交通:1,260円》
大阪空港南ターミナル 13:16
13:17
大阪空港北ターミナル 13:18
(チェックイン)13:30
(搭乗開始)15:00
(搭乗)15:05
(ドアクローズ)15:12
(タキシング)15:15
(前進)15:21
(離陸)15:29
《JAL2087:0円》
(ギアダウン)17:07
(着陸)17:17
(駐機)17:22
(降機)17:24
那覇空港 17:43
(レンタカー待合)17:50
(レンタカー迎え)17:55
(レンタカー迎え出発)18:01
フジレンタカー 18:14
《レンタカー:10.100円》
(手続き終わり) 18:24
(出発) 18:41(0.0km・0.0km/h)
嘉手納農林 19:54 (26.9km・26.9km・22.1km/h) ジュース110
健児之塔  21:11
ドラッグ 21:34 (12.8km・39.7km・33.4km/h)
イレブン 21:54
ガスト 22:35(15.8km・55.5km・23.1km/h)
23:03
ホテルキング  23:09(2.7km・58.2km・27.0km/h)//
 《宿泊:2,900円》

朝便だった飛行機をを夕方に変更したのでゆっくりした出発です。昼前に出発するも同居人がおらず、バスでの出発です。いつもの通勤ルートで駅へと到着し、新快速に乗車します。一昨日起こった地震では自宅には被害はなかったものの、ライフラインの復旧も進まない北摂地区を通ることに抵抗もあり、旅行の取りやめも考えたものの航空会社の判断は厳しいもので取り敢えず出発することにします。

他の理由でJRも遅れているようでしたが、乗車した新快速は定時運行で京都に到着します。いつもならばここで関西空港リムジンの利用となるのですが、今回に限っては大阪空港交通の〝伊丹空港リムジンバス〟を利用します。滅多に乗らない路線なので写真を撮っていると出発の時刻になります。そんなことで運行の妨げになってはいけません、はい。

第二名神の開通で走る路線が変わると思ったのですが、意外にも変更はありませんでした。たださすがに車窓を眺める気にはなれず、ひたすら目を瞑って休んでいました。定刻より少し早着で伊丹空港に到着し、南ターミナルを経て北ターミナルで下車します。3年前に奄美へ向かった時以来の伊丹空港ですが、LCCしか〝使えない〟旅人がJALを利用するのか…となる訳ですが、陸マイラーで貯め続けたマイルを使ったフリートラベルで9,500マイルを使ってクラスJの旅からスタートします。本来はJAL2081を利用する予定でしたが、前日21:00迄仕事だったため、敢えてゆっくりとした出発に変更しました。

昔はギリギリの到着が当たり前でしたがLCCを利用するようになってからは〝搭乗拒否〟に合わないためにも早めに到着を心掛けます。取り急ぎチェックインを済ませて荷物を預け、暫く空港内を散策します。ブラブラ歩いていると私には縁のないカードラウンジがありました。縁のないものとたかを括っていたのが悪かった…。一回くらい入ってみようかと初年度年会費不要のゴールドカードに代えていたことをすっかり忘れていました。と言う訳でやはり縁のないまま終わってしまいました。チャンチャン

そのうちいつもの到着機材の遅れでディレイの報が伝わってきます。まぁしょうがないかと割り切るも、保安検査を通過してしまってからでは時間を潰すにもお金が掛かるので、ボケ~っと離発着をする飛行機を眺めるしかありませんでした。結局45分程の遅れで搭乗が始まるも、ここに来てのんびりしている私はまさかの呼び出しを喰らいます。JALの乗客はせっかちな方も多いようで、搭乗が始まって僅か5分でラスト1名になってしまうようです…。

最後の1人として搭乗し5Kの席に陣取ります。クラスJ、3年前の奄美以来になりますが、あの時はナローボディーのB737-800、今回はB777-300のワイドボディ♪通路が二本あるだけでこれ程違うものなのかと思います。ただ…経年劣化は否めません。ご老体は伊丹空港を離陸したところまでは覚えているものの、いつの間にか爆睡してしまいます。それでも私を乗せたJAL2087便は、ちゃんと沖縄に向けて順調に飛行を続けてくれます。車だったらドライバーが寝ると先には進めないことを考えるとありがたいものです(笑)。

屋久島上空のアナウンスで目が覚めました。気が付いたらドリンクサービスのお知らせが貼ってありました。う~んどうしようと思っていたら、CAさんが気付いて聞いてくれました。お恥ずかしながら…なんて思いましたがコーラをお願いします。機内だと喉が渇くのはいつものことで一気に飲み干し再び寝てしまいます。そんなこんなしていると島影が見えてくると沖縄本島に差し掛かります。離陸後1時間45分で着いてしまう沖縄。ちっさな飛行機でも所要時間は変わりませんが、やはりゆったりとした大きな飛行機の方が快適でした♪

遅れの分を取り戻して到着できるかと思うとやはり甘かった…。着陸許可待ちで上空を旋回しているようです。結局無事着陸できたのは出発が遅れた分そのままの時間だったようです。のっけから予定に狂いが生じましたが愚痴っても仕方がありません。とにかくJAL2087便は夕方の那覇空港に無事到着します。

遅れを引きずったまま那覇に到着し、荷物をピックアップしてからレンタカーの待合所に向かいます。今回も前回同様フジレンタカーを利用します。自分が気を付けていても起る交通事故、その〝もらい事故〟の割合が高い沖縄であるから特に保険の内容には気を付けます。免責補償は勿論の事、NOCの負担もなしのプランに加えてガソリン満タン不要を持っているのは多くはありません。そんな理由からの選択でした。そしていつものレンタカー待合所に向かいますが、さすがに発着便が多い時間帯ゆえ係員がいません。他にもお客がいたので待ってればいいのですが、人をあてにすると痛い目に合うのはいつもの事なので、念のため営業所に連絡を入れてみます。回答は案の定今向かっていますとのこと。沖縄に来たんだからてーげーに待っていれば良いんだから…と改めて思います。

暫くして送迎車が到着しますが、どうやらインバウンドのお客待ちをするようですぐには出発しません。外国人を差別するつもりはありませんが窓口になる者だけは日本語がわかるようですが、その他は全くと言って良い程わからない様子。これでレンタカーが借りられるんだ…と疑問に思いながら出発し、奥武山のフジレンタカーの営業所へと向かいます。

実は今回禁煙車で予約をしていたのですが、訳ありで喫煙車に変更できないかと連絡をしておきました。返事は不要とのことを言っていたので当日まで結果はわからないものの、こういうところは結構融通の利く会社です♪インバウンドのお客は乗車人数のこともあるのかミドルクラス、わたしゃ壕や慰霊碑に続く細い道でも取り回しの楽な軽自動車…。前に進むだけならば運転技術は関係ありませんが、一抹の不安を感じさせるものがありました…。

そんなこんなで今回の沖縄のアッシー君となるダイハツMOVEクンと出会って、旅が始まります。

貸し出しの時間で約40分の遅れだったこともあり、日の入りの時刻が19:20位だったこともあり、30分位で行ける場所でないと陽が暮れてしまします。今回の目的地で単独の場所にあり、時間関係なしに訪れることができるのは1ヵ所しかなく、それも25km程距離があります。どうしようか迷っていても時間は過ぎて行くので、意を決して出発することにします。

今回もお世話になったフジレンタカー那覇営業所ですが、南へと向かうにはスムーズに行けるのですが、北に行くにはぐるっと回り道をしなければなりません。しかし木曜日夕方のラッシュ時ゆえ結構な渋滞が発生しています。かと言って迂回路もなく、ナビの示す通りの道を走り、奥武山公園を周回して国道58号線へと戻り北方向へと走ります。向かった先は米軍基地がある嘉手納町の野國總管(のぐにそうかん)公園。嘉手納中学校の体育館脇にある公園は、琉球王国時代に朝貢船の船員だった野國總管を祀る〝お宮〟の周りに広がる公園です。当時の琉球はしばしば飢饉に見舞われており、その度に餓死者が出るといった有様でした。そこに野國總管が蕃薯(現在のサツマイモ)の苗を明国から持ち帰り、住まいのある北谷間切野國村に於いて栽培し、根付かせた人物だとされています。その後第二次尚王朝の役人であった儀間真常(ぎましんじょう)と共に琉球全土に広げたことによって飢饉時の餓死者の減少に尽力した者とされ、蔡温・儀間真常と共に沖縄の産業発展に貢献した一大恩人とされた人物でもあります。中でも嘉手納村では野國總管の功績を大きく取り上げられており1955年蕃薯伝来350周年事業の一環として、この場所に野國總管宮を建立し現在に至っています。内地では三浦按針(ウィリアム・アダムス)や青木昆陽などがやはりサツマイモの栽培を拡散した者として知られていますが、それに先立つことだった話です。

ただ今回はこの〝野國總管公園〟が目的という訳ではなく、敷地内にある〝とある学徒隊の慰霊塔〟になります。農林健児之塔、先の沖縄戦に於いて沖縄全土で組織された21の学徒隊の内のひとつです。昨年平成29(2017)年に平和祈念公園に〝学徒隊の碑〟が建立され戦没学徒の家族・遺族・同窓生が鬼籍に入り、慰霊祭の開催が年々困難となって行く中で学徒隊の史実を風化させないようにとの思いを込めて作られました。しかし現実的にはそれぞれの学徒隊に於ける〝知名度〟には大きな開きがあるのも事実であり、碑に刻まれていて初めて知った学徒名を知ったという声も多くありました。沖縄県立農業学校の生徒によって構成された〝農林学徒隊〟もそのひとつであるものの、沖縄戦末期の激戦に動員された訳ではなく、むしろ沖縄本島での戦いが始まった中北部での戦闘に動員されたことも受け身では知ることのできないことになっているのかも知れません。第十九航空地区司令部特設第一連隊(連隊長:青柳時香中佐)に昭和20(1945)年3月27日に配属された〝鉄血勤皇隊農林隊〟の少年達は、陸軍二等兵として中飛行場の食料を山中に隠す仕事に就きました。そして4月1日の米軍上陸の方を受けて急造機雷を抱えて敵戦車に突入する肉弾攻撃隊要員として20名の生徒が選抜され、中飛行場に向かうもののもぬけの殻であったために引き返し、本部半島の独立混成第四十四旅団第二大隊(宇土部隊)の指揮下に入ることになりました。その一方農林隊本隊(肉迫攻撃隊以外の農林隊)は金武まで連隊と行動を共にするも、食糧確保の難しさから解散を言い渡されます。また肉迫攻撃隊の生徒達は米軍の猛攻を受けながら歩兵第三大隊とともに徐々に多野岳に撤退を続け、更には東村の山中にまで逃げてはきたものの、4月28日の銃撃戦に於いて9名の学徒が戦死しています。一旦は戦闘要員として徴兵するも、大人の諸事情で〝解散〟という切り札を切ったことは、南部戦線に於いて学徒隊が受けた仕打ちと同じものではあります。ただひとつ違うのは逃げるにも場所があったかなかったかではないでしょうか?しかし優位に戦闘を進めてくる米軍の前には〝素人〟である年端もいかない少年達には、逃げるにもどっちへ逃げればよいのかわからないのが現実です。また食糧問題で解散させた学徒隊に関しても、実際のところは第一大隊の陣地から特設警備第504工兵隊と要建隊の郷護隊兵士約1,000名が無断で戦線を離脱してしまったことにより学徒隊しかいなくなってしまったことにより、大隊長が〝学徒を矢面に立てることはできない〟との判断から、やむなく解散を命じたというのが事実のようです。

この逃亡した郷護隊というものは、現地徴収された一般人であり、当然兵士としての心得は持ち得ていませんでした。そのようなこともあり、軍規を乱すようなことをしたからどうなるものでもなかったのかも知れません。しかし自分達が逃亡をしたことによって学徒隊のみが残ってしまったのは事実です。このことはあまり知られていない事でもあるのですが、この際に学徒を連れて逃亡したのであれば、その後の学徒隊犠牲者はなかったか、若しくは減った可能性も考えられます。

戦後生まれの一個人が言うことではないのかも知れませんが、大人の〝自分勝手〟によってやむを得ない理由が生じてしまい、結果部隊としても戦況を考慮するまでもなく学徒隊の解散をせねば致し方がなかったのではと思えてしまいます。本来ならば徴用されることのないはずの年齢層を敢えて徴兵したことにも問題はありますが、子供というより孫の年齢の子供達を残したまま良く逃げられたことには呆れ返るしかありません。昨年の追悼式でも年端の行かない子供達を利用して、人の関心を引いて野次ったおじぃ1名がいたことについて不快感を示しましたが、調べると沖縄戦に於ける学徒犠者を出した部隊程、同様のことが起こったように言われています。沖縄に於いて住民を巻き込んだ熾烈な地上戦が行われたことは紛れもない事実ではあるものの、学徒隊の犠牲者は本当に分別のある郷護隊のリーダーがいて、連れて逃げておれば減ったかも知れないと思えてなりません。

70余年前の史実を今更変えることはできませんが、この説を裏付けるような出来事が今なお沖縄で起こっていることも事実です。敵前逃亡をした大人より、分別がつかないなりに日本の行く末を案じ、軍の一員として働いて短い命を散らしてしまったと表現してしまうことは間違っているのでしょうか…。

学校教育では戦争について教えを受けなかった世代である私個人が、思い立ったように学徒の足跡を追い続けていることに〝偽善者〟と陰口を叩く輩もいるのは事実です。それはそれで人の解釈なので意見するつもりは毛頭ありませんン。しかし学徒隊が属していた部隊の多くに隠れている〝敵前逃亡〟の事実がなぜ隠されるのか?そんな疑問を持っています。年端も行かない少年少女の犠牲があった学徒隊の史実。それを後世に事実を伝えること、それが今を生きる大人の義務ではないだろうか?そんな思いを常々持っています。戦争という〝争いごと〟を美化することは勿論できませんが、日本軍首脳部のエゴというだけで説明がつく問題ではないと改めて感じました。

陽が暮れてからの到着だったため、農林健児之塔が沖縄県立農業学校の後進である普天間中学校を見下ろす位置に建立されている事実は確認できないため、最後に改めて手を合わせ戦没した学徒の御霊よ安らかに眠れと願って次の行程へと進みます。

翌日歩く予定をしていた浦添城跡のことを考えてホテルを手配したため、行きに走ってきた距離とほぼ同じ距離を戻らなければなりません。ただやはり沖縄の暑さは南淡海の比較ではないようで、頭痛がしてきました。元々頭痛持ちではあるため薬は持ち歩いてはいるはずなのですが、今日に限って忘れてきました。仕方がないので帰り道から離れない場所でのドラッグストアを探します。ドラッグイレブンはにんず宜野湾店、JR九州グループのドラッグストアなので、地元では馴染みがありませんが九州・沖縄地区に来た際には何かとお世話になっています。そして間に合わせの頭痛薬と2Lのさんぴん茶を購入しますが、ここでうっかりしていました。こちらのお店ではレジ袋が有料だったことをすっかり忘れていました。いつもならドコモダケの〝エコバック〟がリュックに入っているのですが、車の中です。手も塞がっていることもあり仕方なしに3円で購入します。ケチケチ旅行を計画してもさすがにB型、詰めの甘さはいつもの事ですハイ。

必要なものを手に入れて落ち着きを取り戻し、再び国道58号線を南下して行きます。そう言えば晩御飯を食べていないことを思い出します。既に22:00を過ぎており手軽にてっとり早く済ませようと入ったのはガスト浦添牧港店。普段の行動範囲ではファミレスも〝禁煙〟が当たり前となっているご時世に、喫煙席がまだ残っているお店でした。取りあえず喉が渇いていたこともあり、おろしバーグとAセット+ドリンクバーを注文します。程なくしてお料理が出てきますが、喫煙席の悪いところ、とにかく客の回転が悪い…。ドリンクバーだけで結構な時間粘る若者たちのマネはできません。スープ1杯、ドリンク2杯では元取れないな~なんて思いながらも、タバコの煙が濛々する中に長居をする気はなく、深夜料金10%を加えられた1,221円を支払って30分足らずで出てきました。

お店を出て走ること数分で本日の宿である〝ホテルキング〟に到着します。浦添のホテルなど利用することすら考えたことがないはずですが、実はこのホテルキングに泊まるのは2回目でした。前回は13年前の7月、B’zのライブがコンベンションセンターで行われたときに泊まりました。確かその時は3,500円だった記憶があるのですが、今回じゃらん手配で3,000円でした。ポイント利用でRC2,900円なのは、那覇周辺の格安宿の中では糸満のホテル南海糸満と勝負できる金額です。ただいずれの宿も原則喫煙室での案内となり、タバコを吸わない方にはキツイところかも知れません。

13年ぶりの再訪となったホテルキング、それ程良いとも思わなかったホテルの再訪をなぜ考えたかと言うと値段のこともあるものの、浦添の立ち寄り地を調べていたところ聞き覚えのある名前を見つけ、そう宿泊することもないだろう浦添の街なので泊まってみようかと思っただけに過ぎません。車は軽自動車のみ電柱に挟まれた狭い場所に建物に沿って停めなければならない〝技術〟が要求されるのは当時のまま。加えて手動ドアを開けてすぐのフロントや2階のない不思議なエレベーター、脚立が立て替えてある階段なども昨日のことのように思い出せました(笑)。今夜は5階503号室ツインルームのシングルユースでしたがここらは記憶が定かではなく、和式便座にユニットを被せて様式化したトイレと、ブルーのバスタブがあったように思うものの、すでにその面影はなく様式便座とシャワーになっていました。シャワートイレ化されていないのとシャワーが取り付けられている壁に水道管の移設の痕跡が残っていたことから、この13年変わっていないと思っていたホテルも少なからず需要に応じて手入れされていることに時の流れを感じます。チェックインそのものが23:00を過ぎており、翌日は浦添城跡を歩き回った後学徒の慰霊碑参拝2件というハードスケジュールなこともあり、順序・効率良く回るために立ち寄る場所を再確認だけして早めに休むことにします。とは言っても1:00は過ぎてしまいましたが…。寝る前に日が変わって旅2日目の22日を迎えますzzz。

《2日目に続く》

【備考:本日の出納一覧】
バス…230円
JR…230円(金券ショップ利用)
リムジンバス…1,260円(金券ショップ利用)
JAL2087…0円(マイル利用)
レンタカー…10,100円(じゃらんクーポン利用)
ホテルキング…2,900円(じゃらんポイント利用)
ファミリーマート石山駅前…535円(タバコ・飲み物)
大阪空港…251円(コーラ・水)
野國總管公園…110円(さんぴん茶)
ドラッグイレブンはにんず宜野湾店…1,794円(頭痛薬他)
ガスト浦添牧港店…1,221円(おろしバーグとAセット+ドリンクバー)
小計:18,631円

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
4.0
グルメ
4.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
高速・路線バス レンタカー JALグループ JRローカル 徒歩 ソラシド エア
旅行の手配内容
個別手配
47いいね!

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