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沖縄全戦没者追悼式

祭り・イベント

開催終了

2021/6/23

沖縄全戦没者追悼式 クチコミ・アクセス・周辺情報

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関連行事 (1)沖縄全戦没者追悼式前夜祭(6月22日) 戦没者のみ霊を慰め、世界の恒久平和を願い、「平和の鐘」を鳴らし「奉納舞曲」を献奏する。 (2)平和祈願慰霊大行進 平和の尊さを語り継いで行くため、南部の激戦地を慰霊し平和行進を行う。 (3)沖縄県平和祈念資料館の無料公開 6月23日は、沖縄県平和祈念資料館を無料で公開し、戦争の悲惨さと戦後の復興推移等の展示を通して平和の尊さを訴える。 また、沖縄戦関連ビデオ上映会、県内児童・生徒の平和創造に関する図画・作文・詩の優秀作展である児童・生徒の平和メッセージ展を開催する。 (4)沖縄平和祈念堂の無料公開 6月23日は、沖縄平和祈念堂の参観料を無料とし、「沖縄平和祈念像」をとおして、戦没者の鎮魂と世界の恒久平和を祈念する。

ピックアップ クチコミ

  • 満足度の高いクチコミ

    現在沖縄戦終結とされる日である。

    昭和20(1945)年6月23日黎明の刻、糸満市摩文仁の第32軍司令部壕内で牛島満司令官と長勇参謀長が自決し、沖縄に於ける...  続きを読む日本軍の組織的抵抗が終わったとされる。戦没者追悼式は沖縄慰霊の日制定後の1962年以降米軍政統治下の琉球政府が主催して行われてきた。その後昭和47(1972)年の日本国返還を経て、現在は平和祈念公園にて執り行われている。 現在の場所で執り行われるようになるまでは、最後の戦闘地となった摩文仁の丘界隈で行われてきた。この数年のコロナ禍に於ける規模縮小しての開催等、一部平和祈念堂内で執り行うようなこともあったようだ。 数年前までは講演中の首相や知事に対するヤジが、〝不快なもの〟として悪い意味で取り上げられることがあり、追悼の気持ちがない参列者がいることが日本全国に知れ渡ることとなった。規模縮小のこともあり暫く落ち着いていたようだが、元・現首相が暗殺や未遂となる事件が起こったことにより、通常開催となった本年に於いては〝来賓の身体警護〟が当たり前のように厳しくなっていた。 事件の影響はわからなくはないが、あくまで本追悼式の主賓は〝戦没者〟である〝来賓〟ではない。戦没者慰霊のために訪れた参列者に対し、〝警備上の理由〟から式典祭壇が外から見えなくなるまでの距離を空けることは、いったい〝誰のため〟の式典なのかわからなくなる。祭壇前テント下に入らず、外野から式の進行を眺めている多くの地元の方や戦没者遺族を含む観光客を蔑ろにすることは、追悼式の意味を成してはいないとしか思えなかったのが私の本音だ。 現役の首相に来て貰うことは今日この日に〝慰霊〟の気持ちを持って平和祈念公園を訪れた多くの方々が満足できないものにしてまで催行することに意味があるのかと玉城知事に聞いてみたいと思った私であった。  閉じる

クチコミ・評判

3.21

(7件のクチコミ)
アクセス:
4.43
那覇からシャトルバスで40分程度。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
人混みの少なさ:
3.43
訪れている〝人数〟は確かに多いであろう。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
催し物の規模:
4.71
沖縄県の意地にかけて行っていいる感はある。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
雰囲気:
3.07
公式政治家パーティー沖縄版と言っても過言ではない。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
バリアフリー:
3.43
そのような作りにはなってはいないだろう。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

1~6件(全7件中)

  • 慰霊という意味は…。

    • 3.0
    • 旅行時期:2025/06(約6ヶ月前)
    • 10

    戦後80年沖縄戦全戦没者追悼式に今年も訪れた。8回目のこの日を沖縄で迎えることと相成ったが、昔のように式典開始から終了まで...  続きを読む張り付くような気持ちも年々薄れて行く。今年は珍しく事前に会場の様子を見て回ったが、やはり外野からの式典見学は不可能になっていた。

    当日も予想外にまだ式典は続いてはいたが、正直なところ形式だけの〝言葉〟を述べに来るVIPのために、厳重な警戒を敷いている感が強く、ただの〝イベント〟化が亢進しているように思えてならない。

    確かに元首相が暗殺された事件の後、一段と警備が厳しくなったことは否めないが、本来の追悼式の〝意義〟が薄れて行くように見えてならない。

    観光するには不向きな6月の沖縄行きを、この追悼式参列のために続けてきたが、追悼の気持ちがない式典に参列する必要があるのかという思いが年々強くなってきている。

    初めて訪れた戦後70年は想いは人ぞれぞれであるが、来訪者すべてが式典参列者だと感じたことから来沖を続けてきたが、パフォーマンス化したものには興味はない。いつまで来続けるか?という気持ちが残念ながら今年も増してしまった追悼式であった。  閉じる

    投稿日:2025/10/18

  • 戦後79年沖縄戦全戦没者追悼式が令和6(2024)年6月23日日曜日に沖縄県営平和祈念公園にて行われた。言うまでもなくこの...  続きを読む追悼式はあの凄惨な地上戦が行われた沖縄に於いて、敵味方・軍民間を問わずして亡くなられた戦没者の御霊を慰霊するための式典である。単なるイベントではないことを理解できない者はいないと思う。コロナ渦に於いて中断した3年間を除き7回目となる参加ではあるが、年を追うごとに開催の意義が不明になりつつあるように思えてならない。確かに首相経験者が狙撃され亡くなったことは残念なことであり、法治国家である我が国に於いて許し難い出来事であることは理解をしている。しかしそれがすべてとなってしまい、式典の意義すら不明瞭なものとなっていいものなのか?ということはまた別ものだと思えてならない。狙撃事件以降式典入場者(テント下)の手荷物検査が格段に厳しくなったことは、既にマスコミを含めた多くの媒体で叫ばれていることとして今更の話とはなるが、その式典の祭壇と部外者が集うパブリックスペースとの隙間が年々広がっていることはどう考えられているのであろうか。念には念をという要人警護の要請があることは理解できる部分はあれど、そのために〝テント下の式典〟化することに意味があるのであろうか?
    もし戦没者遺族が要人の来訪を切に願っているならば、それは意図を汲み取っているという点では評価できよう。しかし世論を聞いている限りそのような発言を聞くことは皆無である。どう考えても民意が生かされていない現状を鑑みれば、要人を招く代わりにコロナ禍中で言われていたように参加者は〝自宅で黙祷を〟に徹し、式典を催行すれば良いのではと思う。若しくは要人参加を中止し、本当に心から戦没者追悼の気持ちがある民間人だけを集めたものとしてみれば如何であろうか?
     10回目の参加を一区切りとしたい私は後3回は出席する予定ではいるが、その間に従来のような〝要人のパフォーマンス〟ではなく、沖縄県が慰霊の日を定めた趣旨に基づく式典になって貰いたいと切に思う私であった。  閉じる

    投稿日:2024/11/04

  • 30年ぶりの梅雨明けしていない慰霊の日でした。

    • 5.0
    • 旅行時期:2019/06(約7年前)
    • 8

    5年連続となる沖縄戦全戦没者追悼式に外野参加しました。30年ぶりに梅雨明けしていない慰霊の日でしたが、公式発表されているテ...  続きを読むント下に入っている参加者数は変わらないもの、私をはじめとする外野での参加者数は格段に少なかったはず。

    玉城知事のウチナー言葉と英語での平和宣言は彼の考えを示しており、また平和の詩を朗読した小学6年生の山内さんの心のこもった読み方は、少なくとも私の心を惹きつけるには十分過ぎるものでした。

    外野が少なかったために例年に比べると品のないヤジも少なく、5年間でもっとも追悼式に相応しいものであったと感じられました。

    野外での式典に雨降りはマイナスでしかないと考えられている方も多いようですが、それでも訪れる参加者は場を弁えており式典を台無しにするような馬鹿げたことはされません。そういう点では実りの多い今年の追悼式だったと改めて思いました。  閉じる

    投稿日:2019/07/01

  • 4回目の参加になります。

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/06(約8年前)
    • 10

    沖縄県営平和祈念公園で6月23日に挙行される沖縄戦全戦没者追悼式に参列しました。戦後73年を迎えた今年ですが、相変わらずの...  続きを読む形式ばった流れで進んでいきました。

    式典の目玉は翁長知事の平和宣言、安倍首相のごたく並べと平和の詩朗読になりますが、いつもながらの品のないヤジの応酬には閉口します。おまけに警備が年々物々しくなる事実から、本当に戦没者慰霊の気持ちを持って式典参加に臨んでいるのか疑問に思えて仕方がありません。

    昨年まではヤジに対する擁護論もありましたが、今年に至ってはさすがに今日位はは大人しくして欲しいとの意見があちらこちらから出ていました。

    戦没者慰霊と同時に恒久平和と反戦を願う式典に於いて、争いの火種となりうる野次の応酬を行って、後世にどのように争いの無意味さを伝えるのか?疑問に思います。必要のない争いは少なくとも避けられる筈です。内地で大きく報道されることもない追悼式。参列を続けてきた者の一人として残念に思いました。  閉じる

    投稿日:2018/06/26

  • 慰霊の気持ちは何処にあるのでしょうか?

    • 3.0
    • 旅行時期:2017/06(約9年前)
    • 8

    3年連続しての参加となった戦後72年沖縄戦全戦没者追悼式。今年もやはり考えさせられることがありました。

    とにかく安倍...  続きを読むさんの平和宣言の時にいちゃもんをつけたいのは毎年のことですが、今年は信じがたい出来事が起こりました。新聞にも載っていたので既に知られていることですが、戦争経験のある(だろう)おじぃが体験を含めた持論を語る一幕。どうやらその部分だけが取り上げられている様子。しかし事実は違います。前座として周辺にいた子供達が式典テントに向かって走り寄り、人目が集まったところでおじぃ参上というのが事実です。

    私のすぐ近くで起こったことゆえ一部始終を見ていましたが、どう考えても『子供をダシに使った』としか思えない出来事に追悼式そのものが『作為的』に見えて仕方がありません。

    あなた方は『なぜ戦争反対を叫ぶのか?』、そして『戦争反対は誰のため?』なのかの詳細を説明する責任があるのではないでしょうか?

    戦前戦中生まれが体験したことを子供達に経験させないことを頻りに言われているにも関わらず、子供達を利用しての今回の一件はただの自己顕示欲のあらわれとしか思えません。正論であればそんなセコいことをしなくても人には伝わると考えることは『甘い考え』なのでしょうか・・・。ならば仕方がありませんが・・・。  閉じる

    投稿日:2017/07/25

  • 沖縄県では毎年6月23日は条例により休日の扱いとなっており、公立学校や都道府県機関は休みとなっています。昭和20(1945...  続きを読む)年6月23日(22日説あり)、沖縄守備第32軍司令官牛島満大将と参謀長長勇中将が摩文仁の丘の司令部壕で自決し、沖縄戦に於ける日本軍の組織的抵抗が終わったとされています。勿論この解釈はすべてというものではなく、8月15日正午の玉音放送、9月2日戦艦ミズリー艦上での降伏調印式、9月7日旧越来村森根(現米軍嘉手納基地)に於ける納見敏郎第28師団長他司令官代行によっての降伏調印を戦争の終結とする説もあります。事実6月23日以降も宮古や八重山列島の他本島に残っていた残存部隊は、その情報を知らずゲリラ戦を戦っていたとの記録も残っています。また米軍側が掃討作戦と称し壕やガマへの馬乗り攻撃をかけ続け、その終結を宣言したのは7月2日のことでした。

    これらのことを考えると?慰霊の日?=6月23日という結論には疑わしいところもあるものの、異論を唱えても纏まらないとのことで昭和36(1961)年に当時の琉球政府により?住民の祝祭日に関する立法?に基づいて公休日と定められました。その際に6月22日が慰霊の日と定められたものの、その後昭和40(1965)年には6月23日に変更され現在に至っています。沖縄県が日本へと復帰した昭和47(1972)年5月15日には慰霊の日の休日となる根拠がなくなりますが、昭和49(1974)年に定められた?沖縄県慰霊の日を定める条例?により、慰霊の日そのものは再定義されるものの再び休日となったのは平成3(1991)年に沖縄県の地方自治体が休日条例によって定めてからのことになります。

    実際にいつから追悼式が始まったのかは不明瞭なところもあり、現在の式典の表題は?戦後○○年沖縄戦全戦没者追悼式?と戦後の年数を付加してわかりやすいものになっています。

    当日の混雑は想像を絶するものがありました。許可車両以外は会場となる平和祈念公園駐車場に原則入ることができずに付近の特設駐車場に車を停めて、シャトルバスで向かうことになります。また?式典参加者?とカウントされる数には、実際に現地で見た人の数と大きな開きを感じますが、この式典参加者とは?手続きを取って追悼式典会場に入った方?の数の総数であり、私も含めた?外野参加?は人数に入っていません。マスコミの発表では一日で30,000人位は来場者がいたとも言われていました。

    今年は戦後70年の節目を迎えるにあたり報道発表では5,400人とは言われていますが、いつもよりはるか多くの人々の来訪があったようです。11:50から式典が始まり12:00から1分間の黙とうを捧げた後式典が進みます。翁長知事の平和宣言には?なぜこの場で??と思える拍手があったと思えば、その後の安倍総理の時には心ないヤジがぽつりぽつり…。誰が言ったかという問題ではなく、追悼式典という一年に一回のことを台無しにする?行為そのもの?に対して怒りを感じました。特に今年は戦後70年という節目の年だったこともあり、沖縄戦に徴兵された兵士のご家族の方々が、今回の慰霊の日の訪沖を最後にしようと考えておられたことも多いと聞いていました。その最後の式典を台無しにする行為…、これを支持する考えが理解できません。

    反戦プロバガンダを批判するのではなく、なぜ多くの人々を慰霊する場でそのような言動をとる必要があるのか…。こんな本末転倒のやり方で満足しているならば、結果論ではなく過程論に意義がある…なんて今の時代に言えるのでしょうか?結局のところあの?作られたヤジ?によって、翁長さんがプロバガンダを最初に持ち込んだとされています。確かに私もそう思いました。一番まともなことを言っているのが安倍さんのようにもみえていましたから…。

    慰霊の日は平和祈念公園の他、多くの慰霊塔前で独自の慰霊祭が行われています。午前からのもの午後からのもの等色々あるものの、開催に関しての問い合わせ窓口が書かれていないこともあり、多くに参列することは難しいと思います。また慰霊の日限定で入館料が無料となる施設もあります。確認できた場所では?平和祈念資料館??平和祈念堂??ひめゆり平和記念館?は対象になっていました。また沖縄全戦没者追悼式前夜祭(22日)や平和祈願慰霊大行進(23日)等色々なことが行われる慰霊の日なので一見の価値はおおいにあると思います。

    受け身の情報ばかり集めてもさほど心を動かすようなものに出会うことはほとんどありません。しかし実際にこの目で見て聞いたことは必ず身になると信じています。来年も来ないとな…と改めて感じた沖縄の一番長い日でした。  閉じる

    投稿日:2016/07/12

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基本情報(地図・住所・営業時間)

施設名
沖縄全戦没者追悼式
住所
  • 沖縄県糸満市摩文仁545 平和祈念公園
営業時間
毎年6月23日「慰霊の日」に開催
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 祭り・イベント

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

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