ラインラント・プファルツ州旅行記(ブログ) 一覧に戻る
秋の旅はドイツの南西部・ラインラント・プファルツ州 &amp; ザールラント州を巡る旅である。<br />期間:2010年10月18日(月)~11月01日(月)15日間の旅<br /><br />先に主にワイン街道と古城ホテル、古城群を抜粋して掲載し、<br />次は毎日の食事を朝昼晩と、前後編で掲載しました。<br /><br />今回は訪れた町々の紹介です。<br />①この旅はAlzeyアルツァイから始まる。<br />②ドイツワイン街道を南に走り出す。<br />③プファルツのバルコニーと称される一帯は美しい秋だ。<br />④ハールト丘陵にプファルツのブドウ畑の海・秋の波が打ち寄せている。<br />⑤トリフェルス城を囲む光景は黄葉・紅葉の真っ盛りである。<br />⑥靴製造のメッカ・ピルマゼンスから公爵家の町ツヴァイブリュッケンへ<br />⑦7mのGollensteinゴレンシュタイン、巨人が巨石を投げたのか?<br />⑧パトカーに途中まで先導してもらったザンクト・ヴェンデルにはザールラントで最も美しい教会がある。<br />⑨ドイツの人々は10月を“黄金の10月”(Der goldene Oktober)と呼ぶ。ザール川沿いの道は文字通りの秋だ。<br />⑩ペアル・ネニッヒのローマのモザイク画とペアル・ボルクのローマ村(邸と博物館)<br /><br />写真はトリアーの中央広場<br />

2010年ドイツの秋:⑪ローマが造ったドイツ最古の都市トリアーはアルプス以北最大、“第二のローマ”と云われた。

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2010/10/18 - 2010/11/01

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jijidaruma

jijidarumaさん

秋の旅はドイツの南西部・ラインラント・プファルツ州 & ザールラント州を巡る旅である。
期間:2010年10月18日(月)~11月01日(月)15日間の旅

先に主にワイン街道と古城ホテル、古城群を抜粋して掲載し、
次は毎日の食事を朝昼晩と、前後編で掲載しました。

今回は訪れた町々の紹介です。
①この旅はAlzeyアルツァイから始まる。
②ドイツワイン街道を南に走り出す。
③プファルツのバルコニーと称される一帯は美しい秋だ。
④ハールト丘陵にプファルツのブドウ畑の海・秋の波が打ち寄せている。
⑤トリフェルス城を囲む光景は黄葉・紅葉の真っ盛りである。
⑥靴製造のメッカ・ピルマゼンスから公爵家の町ツヴァイブリュッケンへ
⑦7mのGollensteinゴレンシュタイン、巨人が巨石を投げたのか?
⑧パトカーに途中まで先導してもらったザンクト・ヴェンデルにはザールラントで最も美しい教会がある。
⑨ドイツの人々は10月を“黄金の10月”(Der goldene Oktober)と呼ぶ。ザール川沿いの道は文字通りの秋だ。
⑩ペアル・ネニッヒのローマのモザイク画とペアル・ボルクのローマ村(邸と博物館)

写真はトリアーの中央広場

旅行の満足度
4.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
レンタカー
航空会社
ルフトハンザドイツ航空 ANA
旅行の手配内容
個別手配

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  • 10月28日(木)71km 、曇り、時に小雨、8.5℃<br /><br />遅い起床8:00、朝食9:10~9:40、地下のプール、サウナ施設やホテルの周辺を散歩し、庭園、昨日のベルク城などを見てまわった。<br />シュロスベルクを10:30に出発。->B419 (Konz)26km ->B51 Trier 18km(市内観光;世界遺産・昼食)->B53・L? (Schweich)14km ->L? Foehren 14km ホテル着16:30(お茶のサービス) モーゼル川沿いの町TrittenheimのStefan-Andres Weinstubeで夕食 18:40~21:00  ホテル着21:30 (Schloss Foehren泊)。<br /><br />写真はResidenz-Hotel Schloss Bergビクター レジデンツ ホテル シュロスベルクの朝食用レストラン

    10月28日(木)71km 、曇り、時に小雨、8.5℃

    遅い起床8:00、朝食9:10~9:40、地下のプール、サウナ施設やホテルの周辺を散歩し、庭園、昨日のベルク城などを見てまわった。
    シュロスベルクを10:30に出発。->B419 (Konz)26km ->B51 Trier 18km(市内観光;世界遺産・昼食)->B53・L? (Schweich)14km ->L? Foehren 14km ホテル着16:30(お茶のサービス) モーゼル川沿いの町TrittenheimのStefan-Andres Weinstubeで夕食 18:40~21:00  ホテル着21:30 (Schloss Foehren泊)。

    写真はResidenz-Hotel Schloss Bergビクター レジデンツ ホテル シュロスベルクの朝食用レストラン

    ビクターズ レジデンツ - ホテル シュロス ベルク ホテル

  • *豪華な食事の翌日はどうしても遅い起床になる。<br />熟睡した所為か8:00に目覚めた。<br />朝食は地下の広々としたレストランBacchusバッカスに赴いた。<br />(9:10~9:40)<br /><br />写真はビクター レジデンツ ホテル シュロスベルク:レストランBacchusバッカスの朝食

    *豪華な食事の翌日はどうしても遅い起床になる。
    熟睡した所為か8:00に目覚めた。
    朝食は地下の広々としたレストランBacchusバッカスに赴いた。
    (9:10~9:40)

    写真はビクター レジデンツ ホテル シュロスベルク:レストランBacchusバッカスの朝食

  • 写真はビクター レジデンツ ホテル シュロスベルク:レストランBacchusバッカスの朝食

    写真はビクター レジデンツ ホテル シュロスベルク:レストランBacchusバッカスの朝食

  • その後、ホテルの周辺を散歩し、ルネサンス風庭園、レストランDie Scheune(納屋の意)、昨日夕食を楽しんだシュロスベルク城などを見てまわった。<br /><br />ホテルの本日のニュースレターの天気予報によると、気温9~12℃、午前中は雲が厚く、午後になって日差しが出る。湿度は乾燥気味だとある。<br /><br />写真はビクター レジデンツ ホテル シュロスベルク:Schloss Berg・グルメレストラン・・・次回はここに宿泊し、夕食を楽しみたいものだ。

    イチオシ

    その後、ホテルの周辺を散歩し、ルネサンス風庭園、レストランDie Scheune(納屋の意)、昨日夕食を楽しんだシュロスベルク城などを見てまわった。

    ホテルの本日のニュースレターの天気予報によると、気温9~12℃、午前中は雲が厚く、午後になって日差しが出る。湿度は乾燥気味だとある。

    写真はビクター レジデンツ ホテル シュロスベルク:Schloss Berg・グルメレストラン・・・次回はここに宿泊し、夕食を楽しみたいものだ。

  • 写真はビクター レジデンツ ホテル シュロスベルク:Schloss Berg・グルメレストラン

    写真はビクター レジデンツ ホテル シュロスベルク:Schloss Berg・グルメレストラン

  • 写真はビクター レジデンツ ホテル シュロスベルク:Landgasthaus ・レストランDie Scheune(納屋の意)<br />

    写真はビクター レジデンツ ホテル シュロスベルク:Landgasthaus ・レストランDie Scheune(納屋の意)

  • 写真はビクター レジデンツ ホテル シュロスベルク:村の案内板

    写真はビクター レジデンツ ホテル シュロスベルク:村の案内板

  • ホテルの裏手に広い駐車場があり、様々な国(ルクセンブルク、オランダ、フランス、ドイツ)の高級車が停まっていた。日本とは異なり、全ての車が面白いことに頭から突っ込んだ駐車のやり方である。私もこの方がやりやすい。<br /><br />写真はビクター レジデンツ ホテル シュロスベルク

    ホテルの裏手に広い駐車場があり、様々な国(ルクセンブルク、オランダ、フランス、ドイツ)の高級車が停まっていた。日本とは異なり、全ての車が面白いことに頭から突っ込んだ駐車のやり方である。私もこの方がやりやすい。

    写真はビクター レジデンツ ホテル シュロスベルク

  • リゾートホテルを謳うだけに、地下のプール、サウナ施設は素晴らしい。朝食後、誰もいないプールサイドやサウナ施設をのぞいてみた。<br /><br />写真はビクター レジデンツ ホテル シュロスベルク:地下のプール

    リゾートホテルを謳うだけに、地下のプール、サウナ施設は素晴らしい。朝食後、誰もいないプールサイドやサウナ施設をのぞいてみた。

    写真はビクター レジデンツ ホテル シュロスベルク:地下のプール

  • 古城ホテルでも大きな所はこうした設備に金をかけていて、滞在客の要望に応えている。ホテルの室料に施設の使用料が含まれているのだが、若い頃は家族でプールを利用したが、この年になると、私共はめんどくさい事もあって、立派な施設を利用した事がない。<br /><br />写真はビクター レジデンツ ホテル シュロスベルク:サウナ施設

    古城ホテルでも大きな所はこうした設備に金をかけていて、滞在客の要望に応えている。ホテルの室料に施設の使用料が含まれているのだが、若い頃は家族でプールを利用したが、この年になると、私共はめんどくさい事もあって、立派な施設を利用した事がない。

    写真はビクター レジデンツ ホテル シュロスベルク:サウナ施設

  • (1泊)⑩ Victor&#39;s Residenz-Hotel Schloss Berg  ・ 古城ホテル<br />:ビクター レジデンツ ホテル シュロスベルク ;5星、113室。<br />807号室(地上2階)<br />①Villa・リゾートホテル、②Schloss Berg・グルメレストラン、③Landgasthaus ・レストランDie Scheune(納屋の意)<br /><br />残念ですが、こちらのホテル棟に宿泊した。<br /><br />写真はビクター レジデンツ ホテル シュロスベルク:Villa・リゾートホテル

    (1泊)⑩ Victor's Residenz-Hotel Schloss Berg  ・ 古城ホテル
    :ビクター レジデンツ ホテル シュロスベルク ;5星、113室。
    807号室(地上2階)
    ①Villa・リゾートホテル、②Schloss Berg・グルメレストラン、③Landgasthaus ・レストランDie Scheune(納屋の意)

    残念ですが、こちらのホテル棟に宿泊した。

    写真はビクター レジデンツ ホテル シュロスベルク:Villa・リゾートホテル

  • 写真はビクター レジデンツ ホテル シュロスベルクから見る景観

    写真はビクター レジデンツ ホテル シュロスベルクから見る景観

  • この朝の最初の決断は予定に入れていたLuxemburgルクセンブルクに行くのを諦めた事だ。<br /><br />ホテルからルクセンブルクの町は20kmと近いのだが、むしろTrierトリアーの町を久しぶりに見てみたい。<br /><br />写真はTrierトリアー(観光)=>Scholoss Foehrenフェーレン城(宿泊)=>Trittenheimトリッテンハイム(夕食)地図

    この朝の最初の決断は予定に入れていたLuxemburgルクセンブルクに行くのを諦めた事だ。

    ホテルからルクセンブルクの町は20kmと近いのだが、むしろTrierトリアーの町を久しぶりに見てみたい。

    写真はTrierトリアー(観光)=>Scholoss Foehrenフェーレン城(宿泊)=>Trittenheimトリッテンハイム(夕食)地図

  • シュロスベルクを10:30に出発。<br />モーゼル川に平行したB419国道沿いを走る。あたりは美しいブドウ畑の景観が続く。<br /><br />写真はブドウ畑の景観

    イチオシ

    シュロスベルクを10:30に出発。
    モーゼル川に平行したB419国道沿いを走る。あたりは美しいブドウ畑の景観が続く。

    写真はブドウ畑の景観

  • ザール川がモーゼル川に合流している地点の町Konzコンツを経由し、B51でTrierトリアーの市内に入った。11:20、距離は44km程度だ。<br /><br />写真はトリアーの紋章

    ザール川がモーゼル川に合流している地点の町Konzコンツを経由し、B51でTrierトリアーの市内に入った。11:20、距離は44km程度だ。

    写真はトリアーの紋章

  • <Trier トリアー市内観光><br /><br />2006年の“ドイツ懐かしの地再訪”の旅では、トリアーの町は何度も来ていた事を理由に、素通りしてしまった。<br />初めて訪れたモーゼルの上流、ザール川の蛇行や、MettlachメットラッハのVilleroy &amp; Boch “ヴィラロイ&ボッホ”の本社・工場・展示場を優先したのだった。<br /><br />写真はKornmarktコルンマルクト(穀物広場

    <Trier トリアー市内観光>

    2006年の“ドイツ懐かしの地再訪”の旅では、トリアーの町は何度も来ていた事を理由に、素通りしてしまった。
    初めて訪れたモーゼルの上流、ザール川の蛇行や、MettlachメットラッハのVilleroy & Boch “ヴィラロイ&ボッホ”の本社・工場・展示場を優先したのだった。

    写真はKornmarktコルンマルクト(穀物広場

  • この日はフランクの塔近くのCityパークハウスに車を入れ、Porta Nigraポルタ・ニグラに向かう。<br /><br />ローマが造ったドイツ最古の都市にはドイツ最古を謳うものが多い。<br />意外に買い物客などで、メインの歩行者天国Fleischstrasse肉通りは人通りも多い。<br /><br />写真は歩行者天国Fleischstrasse肉通り

    この日はフランクの塔近くのCityパークハウスに車を入れ、Porta Nigraポルタ・ニグラに向かう。

    ローマが造ったドイツ最古の都市にはドイツ最古を謳うものが多い。
    意外に買い物客などで、メインの歩行者天国Fleischstrasse肉通りは人通りも多い。

    写真は歩行者天国Fleischstrasse肉通り

  • Kornmarktコルンマルクト(穀物広場)を過ぎて、更にHauptmarktハウプトマルクト(中央広場)からSimeonstrasseジーメオン通りに入ると、ポルタ・ニグラに一直線だ。<br /><br />写真は中央広場:Rote Haus 赤い家、Steipeシュタイペ <br /><br />

    イチオシ

    Kornmarktコルンマルクト(穀物広場)を過ぎて、更にHauptmarktハウプトマルクト(中央広場)からSimeonstrasseジーメオン通りに入ると、ポルタ・ニグラに一直線だ。

    写真は中央広場:Rote Haus 赤い家、Steipeシュタイペ 

  • ここから南にローマ時代の遺跡が点在している。Dom大聖堂、バジリカ、Barbarathermenバルバラテルメン、円形劇場、ローマ帝国時代の最も大きな浴場施設であるカイザーテルメン(皇帝浴場)などがそうである。<br /><br />中央広場を挟んで、Fleischstrasseと、St.Simeon聖人ジーメオンの名前をとったジーメオン通りを歩けば、この町の中心街を歩いたことになる。<br /><br />ドイツ最も美しい広場と称される中央広場には中央に石の十字架(958年)や、ペトロの噴水Petrusbrunnen(町の守護聖人ペトロの像が上に立つ・1595年)が立っている。<br /><br />十字架はオットー大帝から町が市場の開設を認められた記念だそうだ。<br /><br />写真は中央広場:石の十字架、ペトロの噴水<br />

    ここから南にローマ時代の遺跡が点在している。Dom大聖堂、バジリカ、Barbarathermenバルバラテルメン、円形劇場、ローマ帝国時代の最も大きな浴場施設であるカイザーテルメン(皇帝浴場)などがそうである。

    中央広場を挟んで、Fleischstrasseと、St.Simeon聖人ジーメオンの名前をとったジーメオン通りを歩けば、この町の中心街を歩いたことになる。

    ドイツ最も美しい広場と称される中央広場には中央に石の十字架(958年)や、ペトロの噴水Petrusbrunnen(町の守護聖人ペトロの像が上に立つ・1595年)が立っている。

    十字架はオットー大帝から町が市場の開設を認められた記念だそうだ。

    写真は中央広場:石の十字架、ペトロの噴水

    中央広場 広場・公園

    トリアー:この町の殆どの見所は、旧市街の中心にあり、中世風の中央広場一帯がそれにあたる。 by jijidarumaさん
  • 広場を囲んで、Rote Haus 赤い家(1684年)、ネオゴシック様式のSteipeシュタイペ(1430年、シュタイペには柱とか杖の意味がある。かつては市裁判官の家であり、中世の頃は市参事会の催し場になっていたらしい。現在は5,000もの玩具の博物館、カフェ)<br /><br />写真は中央広場:Steipeシュタイペ <br /><br />

    広場を囲んで、Rote Haus 赤い家(1684年)、ネオゴシック様式のSteipeシュタイペ(1430年、シュタイペには柱とか杖の意味がある。かつては市裁判官の家であり、中世の頃は市参事会の催し場になっていたらしい。現在は5,000もの玩具の博物館、カフェ)

    写真は中央広場:Steipeシュタイペ 

  • 写真は中央広場:左に15世紀のゴシック建築様式のSt.Gangolf聖ガンゴルフ教会など、<br />

    写真は中央広場:左に15世紀のゴシック建築様式のSt.Gangolf聖ガンゴルフ教会など、

  • カラフルで、見栄えの良いルネサンス・バロック・古典様式の市民の建物が多くみられる。<br /><br />但し、大部分の建物は第二次大戦で罹災し、戦後に再建されていて、きれいなものだ。<br /><br />写真は中央広場:市民の木組み家並み<br />

    イチオシ

    カラフルで、見栄えの良いルネサンス・バロック・古典様式の市民の建物が多くみられる。

    但し、大部分の建物は第二次大戦で罹災し、戦後に再建されていて、きれいなものだ。

    写真は中央広場:市民の木組み家並み

  • 写真はSimeonstrasseジーメオン通り<br />

    写真はSimeonstrasseジーメオン通り

  • 中央広場に戻る道の左手にでDreikoenigenhausドライケーニゲンハウス三人の王(ドイツ語圏では三人の東方博士をこう呼ぶ。)と称される、13世紀前半の中世貴族の館が見られる。<br />防衛面から梯子を掛けて、二階から出入りしたそうだ。<br />ロマネスクからゴシック様式。<br /><br />写真はSimeonstrasseジーメオン通り:ドライケーニゲンハウス三人の王の家

    中央広場に戻る道の左手にでDreikoenigenhausドライケーニゲンハウス三人の王(ドイツ語圏では三人の東方博士をこう呼ぶ。)と称される、13世紀前半の中世貴族の館が見られる。
    防衛面から梯子を掛けて、二階から出入りしたそうだ。
    ロマネスクからゴシック様式。

    写真はSimeonstrasseジーメオン通り:ドライケーニゲンハウス三人の王の家

  • 2世紀後半の城門であるPorta Nigraポルタ・ニグラ(黒い門)は要塞のような、巨大な砂岩の建物で、黒く煤けた様子は以前と変わらない。<br /><br />高さ30m、幅36m、144の丸窓が見られる。砂岩は鉄のカスガイで繋ぎとめている。トリアーの象徴であり、目印でもある。<br /><br />写真はPorta Nigraポルタ・ニグラ(黒い門):旧市街からの眺め

    2世紀後半の城門であるPorta Nigraポルタ・ニグラ(黒い門)は要塞のような、巨大な砂岩の建物で、黒く煤けた様子は以前と変わらない。

    高さ30m、幅36m、144の丸窓が見られる。砂岩は鉄のカスガイで繋ぎとめている。トリアーの象徴であり、目印でもある。

    写真はPorta Nigraポルタ・ニグラ(黒い門):旧市街からの眺め

  • 写真はポルタ・ニグラ(黒い門)の外観

    写真はポルタ・ニグラ(黒い門)の外観

  • この町のほとんどの見所は、旧市街の中心にあり、中世風の中央広場一帯がそれにあたる。<br /><br />全部で9ヶ所ある世界遺産を意識する事もなく、旧市街を巡れば、Porta Nigraポルタ・ニグラ、中央広場、大聖堂・聖母教会、市庁舎、宮殿、Barbarathermenバルバラテルメン、Kaiserthermenカイザーテルメン、円形劇場、ライン州立博物館、ローマ・中世の城壁、Zurlaubenツアラウベンなど、この町の見所に行けるから、ありがたい。<br /><br />写真はSimeonstrasseジーメオン通りを戻る

    この町のほとんどの見所は、旧市街の中心にあり、中世風の中央広場一帯がそれにあたる。

    全部で9ヶ所ある世界遺産を意識する事もなく、旧市街を巡れば、Porta Nigraポルタ・ニグラ、中央広場、大聖堂・聖母教会、市庁舎、宮殿、Barbarathermenバルバラテルメン、Kaiserthermenカイザーテルメン、円形劇場、ライン州立博物館、ローマ・中世の城壁、Zurlaubenツアラウベンなど、この町の見所に行けるから、ありがたい。

    写真はSimeonstrasseジーメオン通りを戻る

  • 写真はDom大聖堂への横道Sternstrasseシュテルン通り

    写真はDom大聖堂への横道Sternstrasseシュテルン通り

  • <Dom St.Peter und Liebfrauenkirche大聖堂と聖母教会><br /><br />中央広場からSternstrasseを入ると、トリアー大聖堂が初期ロマネスク様式の堂々たる、大きな姿を見せる。<br /><br />写真はDom大聖堂の外観<br />

    <Dom St.Peter und Liebfrauenkirche大聖堂と聖母教会>

    中央広場からSternstrasseを入ると、トリアー大聖堂が初期ロマネスク様式の堂々たる、大きな姿を見せる。

    写真はDom大聖堂の外観

  • 大聖堂はかつての皇帝コンスタンティヌスの母・ヘレナの宮殿の上に建てられ、中心部分はローマ時代の建築である。<br />従ってドイツ最古のものと云われるのだが、ロマネスク様式、ゴシック、更にはバロック様式が複合した形になっている。<br /><br />写真はDom大聖堂内

    大聖堂はかつての皇帝コンスタンティヌスの母・ヘレナの宮殿の上に建てられ、中心部分はローマ時代の建築である。
    従ってドイツ最古のものと云われるのだが、ロマネスク様式、ゴシック、更にはバロック様式が複合した形になっている。

    写真はDom大聖堂内

  • 教会内部は赤みを帯びた内壁が特徴的で、ザール川流域でみた赤い砂岩の岩壁から採石したのだろうか?<br /><br />中央祭壇、マリア像、スタッコで装飾されたパイプオルガンや天井などが目立つ。それ以外は全体に質素な印象である。<br />祭壇横を上がった裏手に“キリストの聖衣”なるものが厳重に保存されていたが、一般公開は殆んどされていない。“聖女アンナの片腕”も聖遺物として大聖堂に保存されているとの話もあるが、さてどんなものか?<br /><br />写真はDom大聖堂

    教会内部は赤みを帯びた内壁が特徴的で、ザール川流域でみた赤い砂岩の岩壁から採石したのだろうか?

    中央祭壇、マリア像、スタッコで装飾されたパイプオルガンや天井などが目立つ。それ以外は全体に質素な印象である。
    祭壇横を上がった裏手に“キリストの聖衣”なるものが厳重に保存されていたが、一般公開は殆んどされていない。“聖女アンナの片腕”も聖遺物として大聖堂に保存されているとの話もあるが、さてどんなものか?

    写真はDom大聖堂

  • 写真はDom大聖堂:スタッコで装飾されたパイプオルガン

    写真はDom大聖堂:スタッコで装飾されたパイプオルガン

  • 写真はDom大聖堂:中央祭壇

    写真はDom大聖堂:中央祭壇

  • 写真はDom大聖堂:マリア像

    写真はDom大聖堂:マリア像

  • 写真はDom大聖堂:中央聖壇から内部を俯瞰すると

    写真はDom大聖堂:中央聖壇から内部を俯瞰すると

  • 写真はDom大聖堂:スタッコで装飾されたパイプオルガン

    写真はDom大聖堂:スタッコで装飾されたパイプオルガン

  • 大聖堂の側には13世紀中頃に建てられた、ドイツで最も早期のゴシック様式(北フランスに近かった所為もあって)の聖母教会があるが、今回は見ていない。<br /> <br />写真はDom大聖堂:スタッコで装飾された天井

    大聖堂の側には13世紀中頃に建てられた、ドイツで最も早期のゴシック様式(北フランスに近かった所為もあって)の聖母教会があるが、今回は見ていない。

    写真はDom大聖堂:スタッコで装飾された天井

  • 「資本論」を著したKarl-Marxカール・マルクスはトリアー生まれで、生家がある。<br /><br />写真はTrier:Marxマルクスの生家

    「資本論」を著したKarl-Marxカール・マルクスはトリアー生まれで、生家がある。

    写真はTrier:Marxマルクスの生家

  • 昼食後、生家の前からモーゼル川に架かるRoemerbrueckeローマ橋まで歩いた。<br /><br />少し離れたZurlaubenツアラウベンにも行ってみたかったが、川岸は風もあって寒く、断念してしまった。<br />ツアラウベンはモーゼル川岸近くにあり、カイザー・ヴィルヘルム橋の側の細い通りをツアラウベナー・ウーファーと呼び、魅力的な場所に変わっている。<br />元々、小さな漁村で、1800年頃に建てられた漁師の家々は昔の面影を残しながら、今はレストランになっている。<br /><br />この一帯の有名レストランやワイン醸造農家が兼営する店でも、 古い樽ワインが並ぶ酒蔵を背景にした中庭などでは、モーゼル・ザール・ルーヴァーのフルーティーでミネラルに富んだ白ワインを賞味する楽しみを持てるのだ。<br /><br />トリアーには大小のワインケラー、ワインショップ、国立ワイン学校、ワイン博物館などがあり、盛大なワイン祭りも開催される。モーゼルのワインと文化の中心都市である。<br /><br />写真はRoemerbrueckeローマ橋

    昼食後、生家の前からモーゼル川に架かるRoemerbrueckeローマ橋まで歩いた。

    少し離れたZurlaubenツアラウベンにも行ってみたかったが、川岸は風もあって寒く、断念してしまった。
    ツアラウベンはモーゼル川岸近くにあり、カイザー・ヴィルヘルム橋の側の細い通りをツアラウベナー・ウーファーと呼び、魅力的な場所に変わっている。
    元々、小さな漁村で、1800年頃に建てられた漁師の家々は昔の面影を残しながら、今はレストランになっている。

    この一帯の有名レストランやワイン醸造農家が兼営する店でも、 古い樽ワインが並ぶ酒蔵を背景にした中庭などでは、モーゼル・ザール・ルーヴァーのフルーティーでミネラルに富んだ白ワインを賞味する楽しみを持てるのだ。

    トリアーには大小のワインケラー、ワインショップ、国立ワイン学校、ワイン博物館などがあり、盛大なワイン祭りも開催される。モーゼルのワインと文化の中心都市である。

    写真はRoemerbrueckeローマ橋

  • そこから工事中で入れないBarbarathermenバルバラテルメンの浴場跡をのぞきこんで、パークハウスに戻った。     (11:20~15:25)<br /><br />写真はバルバラテルメンの浴場跡

    そこから工事中で入れないBarbarathermenバルバラテルメンの浴場跡をのぞきこんで、パークハウスに戻った。     (11:20~15:25)

    写真はバルバラテルメンの浴場跡

  • <世界遺産トリアーの歴史><br /><br />この町は元々、ケルト人の居住地があった。紀元前14年にローマ皇帝アウグストゥスの命により、ローマ軍団の根拠地が造られた。<br />この時からでも2000年の歴史を持ち、旧市街を中心にローマの遺跡が点在する。ライン川を自然の防衛ラインとしたローマはこの川に沿って軍団基地を設け、当時のゲルマン人に対した。現在、ドイツの大都市になったボン、ケルンなどはローマの軍団・植民都市の名残である。ラインと水運でつながるモーゼル川と当時のガリア主要都市との幹線道路が交差したトリアーは軍団を統括する重要な拠点となり、アルプス以北最大の、“第二のローマ”として、西方世界の首都と称された。<br />その当時、8万人の人口を誇った都市に発展したと云う。<br /><br />トリアーが再びその人口数を回復したのはつい最近のことで、現在の人口は10万人である。ドイツに最初にカトリックの司教座(314年・皇帝コンスタンティヌス時代)が置かれたのもトリアーであり、8世紀にはカール大帝により、大司教座となる。後世には広大な支配地と、強大な権力を持つ領主・司教(トリアー選帝侯)となり、この地方を治めた。<br /><br />写真はTrier:DBP_1958_1000年の記念切手・中央広場

    <世界遺産トリアーの歴史>

    この町は元々、ケルト人の居住地があった。紀元前14年にローマ皇帝アウグストゥスの命により、ローマ軍団の根拠地が造られた。
    この時からでも2000年の歴史を持ち、旧市街を中心にローマの遺跡が点在する。ライン川を自然の防衛ラインとしたローマはこの川に沿って軍団基地を設け、当時のゲルマン人に対した。現在、ドイツの大都市になったボン、ケルンなどはローマの軍団・植民都市の名残である。ラインと水運でつながるモーゼル川と当時のガリア主要都市との幹線道路が交差したトリアーは軍団を統括する重要な拠点となり、アルプス以北最大の、“第二のローマ”として、西方世界の首都と称された。
    その当時、8万人の人口を誇った都市に発展したと云う。

    トリアーが再びその人口数を回復したのはつい最近のことで、現在の人口は10万人である。ドイツに最初にカトリックの司教座(314年・皇帝コンスタンティヌス時代)が置かれたのもトリアーであり、8世紀にはカール大帝により、大司教座となる。後世には広大な支配地と、強大な権力を持つ領主・司教(トリアー選帝侯)となり、この地方を治めた。

    写真はTrier:DBP_1958_1000年の記念切手・中央広場

  • トリアー見物を終え、カイザー・ヴィルヘルム橋を渡って、向こう岸を走るB53でSchweichシュバイヒ(14km)に向かう。その先14kmでFoehrenフェーレンの村に入った。<br /><br />古城ホテルは森の中と聞いていたが、村の子供たちに聞いても、私の発音が悪かったのか、教えてもらった方向には城が見当たらず。元に戻って、改めて聞いてみた。<br />するとこの道を行くのだよと、目の前の村道を指す。先は森の中に通じているようだが、ホテルの表示がない(後で聞いたところによると、誰かが酔って壊したのだと云う。)<br /><br />ともあれ前進とまっすぐ行くと、嬉しい事にシュロスフェーレンの宮殿が目に入った。<br /><br />写真はSchloss Foehrenフェーレン城:玄関前は今夕の結婚披露宴の準備中

    トリアー見物を終え、カイザー・ヴィルヘルム橋を渡って、向こう岸を走るB53でSchweichシュバイヒ(14km)に向かう。その先14kmでFoehrenフェーレンの村に入った。

    古城ホテルは森の中と聞いていたが、村の子供たちに聞いても、私の発音が悪かったのか、教えてもらった方向には城が見当たらず。元に戻って、改めて聞いてみた。
    するとこの道を行くのだよと、目の前の村道を指す。先は森の中に通じているようだが、ホテルの表示がない(後で聞いたところによると、誰かが酔って壊したのだと云う。)

    ともあれ前進とまっすぐ行くと、嬉しい事にシュロスフェーレンの宮殿が目に入った。

    写真はSchloss Foehrenフェーレン城:玄関前は今夕の結婚披露宴の準備中

  • 目の前の宮殿には人気がなく、怖そうな犬二匹が柵の中でうろうろしている。ちょうど通りかかった小父さんに聞いてみると、親切にも柵の中に入って、宮殿の内側を見てくれた。犬も吠えずにいたから、ここの従業員のようだ。<br /><br />入ってきた門の方に戻り、そこに付随した建物のドアを開けて、呼びかけてくれた。中からジーパン姿の中年女性が出てきて、お互いに自己紹介をすることになった。古城ホテルの女主人は伯爵夫人の名刺を出し、歓迎してくれた。<br />ホテルに16:30にたどり着いた次第だ。<br /><br />写真はウエルカムドリンク<br /><br />お茶のサービスを一階のサロンでうけた。<br />17:30~18:15 <br />荷物を整理し、一息ついた頃に伯爵夫人からお茶に呼ばれた。<br />一階のサロン(朝食の間でもある)で、“古城ホテルにようこそ!”と歓迎されたのです。<br /><br />テーブル上には美味しそうなチョコレートが出てきて、香り高い紅茶をサービスされた。しかも嬉しい事に立派な銀器で御持て成しを受けたのだ。<br />

    目の前の宮殿には人気がなく、怖そうな犬二匹が柵の中でうろうろしている。ちょうど通りかかった小父さんに聞いてみると、親切にも柵の中に入って、宮殿の内側を見てくれた。犬も吠えずにいたから、ここの従業員のようだ。

    入ってきた門の方に戻り、そこに付随した建物のドアを開けて、呼びかけてくれた。中からジーパン姿の中年女性が出てきて、お互いに自己紹介をすることになった。古城ホテルの女主人は伯爵夫人の名刺を出し、歓迎してくれた。
    ホテルに16:30にたどり着いた次第だ。

    写真はウエルカムドリンク

    お茶のサービスを一階のサロンでうけた。
    17:30~18:15 
    荷物を整理し、一息ついた頃に伯爵夫人からお茶に呼ばれた。
    一階のサロン(朝食の間でもある)で、“古城ホテルにようこそ!”と歓迎されたのです。

    テーブル上には美味しそうなチョコレートが出てきて、香り高い紅茶をサービスされた。しかも嬉しい事に立派な銀器で御持て成しを受けたのだ。

  • 1445年以来600年近くの間、トリアー選帝侯の係累であり、神聖ローマ帝国・Kesselstattケッセルシュタット伯爵家一族は、ここシュロスフェーレン宮殿に代々居住し、古城ホテルなどの事業経営者は、いまだにGraefinグレーフィン伯爵夫人と称する。たいへん不思議な感じがしたものです。<br /><br />彼女は50代と思われる、とても気さくな、親切な方でした。<br /><br />写真はウエルカムドリンク

    1445年以来600年近くの間、トリアー選帝侯の係累であり、神聖ローマ帝国・Kesselstattケッセルシュタット伯爵家一族は、ここシュロスフェーレン宮殿に代々居住し、古城ホテルなどの事業経営者は、いまだにGraefinグレーフィン伯爵夫人と称する。たいへん不思議な感じがしたものです。

    彼女は50代と思われる、とても気さくな、親切な方でした。

    写真はウエルカムドリンク

  • 写真はフェーレン城:かつての水城の絵

    写真はフェーレン城:かつての水城の絵

  • 宮殿を取り巻く建物の一部をGaestehausゲストハウス用に使用していて、Das Forsthausフォルストハウス(かつての山林監督の官舎の意味)と称していた。<br /><br />伯爵夫人に案内された部屋はフォルストハウスの2階で、3つの部屋があった。<br />「ご予約された部屋はこちらのHirschzimmer(鹿の間)ですが、もしお好みに合わなければ、他の部屋に替えていただいて結構ですよ」と言われる。<br /><br />写真はHirschzimmer(鹿の間)

    イチオシ

    宮殿を取り巻く建物の一部をGaestehausゲストハウス用に使用していて、Das Forsthausフォルストハウス(かつての山林監督の官舎の意味)と称していた。

    伯爵夫人に案内された部屋はフォルストハウスの2階で、3つの部屋があった。
    「ご予約された部屋はこちらのHirschzimmer(鹿の間)ですが、もしお好みに合わなければ、他の部屋に替えていただいて結構ですよ」と言われる。

    写真はHirschzimmer(鹿の間)

  • 写真はHirschzimmer(鹿の間)

    写真はHirschzimmer(鹿の間)

  • 写真はHirschzimmer(鹿の間)に飾られたご先祖様の肖像画

    写真はHirschzimmer(鹿の間)に飾られたご先祖様の肖像画

  • 写真はトリアー市内にあると言うPalais Kesselstattケッセルシュタット家の宮殿、 現在

    写真はトリアー市内にあると言うPalais Kesselstattケッセルシュタット家の宮殿、 現在

  • (2泊)⑪⑫ <br />Das Forsthaus  Schloss Foehren :古城ホテル・シュロスフェーレン<br />D-54343 Foehren (Trier) 、Hofstrasse 27 <br />4部屋、及びDie Ferienwohnung2部屋<br />Hirschzimmer(鹿の間・2階)(朝食のみ);現金払い Euro119X2=238<br />28日の夕食は19時に近くのレストラン予約をお願いした。<br /><br />写真はSchloss Foehren:Weihnachtsmarkt城内でのクリスマス市

    (2泊)⑪⑫ 
    Das Forsthaus  Schloss Foehren :古城ホテル・シュロスフェーレン
    D-54343 Foehren (Trier) 、Hofstrasse 27 
    4部屋、及びDie Ferienwohnung2部屋
    Hirschzimmer(鹿の間・2階)(朝食のみ);現金払い Euro119X2=238
    28日の夕食は19時に近くのレストラン予約をお願いした。

    写真はSchloss Foehren:Weihnachtsmarkt城内でのクリスマス市

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