ラインラント・プファルツ州旅行記(ブログ) 一覧に戻る
秋の旅はドイツの南西部・ラインラント・プファルツ州 &amp; ザールラント州を巡る旅である。<br />期間:2010年10月18日(月)~11月01日(月)15日間の旅<br /><br />先に主にワイン街道と古城ホテル、古城群を抜粋して掲載し、<br />次は毎日の食事を朝昼晩と、前後編で掲載しました。<br /><br />今回は訪れた町々の紹介です。<br /><br />①この旅はAlzeyアルツァイから始まる。<br />②ドイツワイン街道を南に走り出す。<br /><br />・・・・・<br /><br />写真はダイデスハイムの市庁舎

2010年ドイツの秋:③プファルツのバルコニーと称される一帯は美しい秋だ。

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2010/10/18 - 2010/11/01

19位(同エリア243件中)

jijidaruma

jijidarumaさん

秋の旅はドイツの南西部・ラインラント・プファルツ州 & ザールラント州を巡る旅である。
期間:2010年10月18日(月)~11月01日(月)15日間の旅

先に主にワイン街道と古城ホテル、古城群を抜粋して掲載し、
次は毎日の食事を朝昼晩と、前後編で掲載しました。

今回は訪れた町々の紹介です。

①この旅はAlzeyアルツァイから始まる。
②ドイツワイン街道を南に走り出す。

・・・・・

写真はダイデスハイムの市庁舎

旅行の満足度
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
レンタカー
航空会社
ルフトハンザドイツ航空 ANA
旅行の手配内容
個別手配

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  • <10月20日(水)52km、朝曇り、のち快晴・今日も終日寒く7℃><br /><br />起床5:45、朝食7:40~8:20、Hotel Tennerを9時に出発。->L516  Wachenheim 13km(市内観光;Wachtenburg)9:20~10:45 ->L516・527 Deidesheim 6km(市内観光・Deidesheimer -Hofでお茶)11:00~12:15 ->B271 ・L? ハンバッハー城 22km(城内見学)13:00~14:15 -> Neustadt 6km(市内観光;旧市街・パン屋さんでお茶・夕食は中華)14:35~18:45 ->B271 ・L? Haardt  5km  <br />ホテル着19:00 ・(Hotel Tenner泊)。<br /><br />写真はドイツワイン街道・Pfalz‐Mapプファルツの地図

    <10月20日(水)52km、朝曇り、のち快晴・今日も終日寒く7℃>

    起床5:45、朝食7:40~8:20、Hotel Tennerを9時に出発。->L516  Wachenheim 13km(市内観光;Wachtenburg)9:20~10:45 ->L516・527 Deidesheim 6km(市内観光・Deidesheimer -Hofでお茶)11:00~12:15 ->B271 ・L? ハンバッハー城 22km(城内見学)13:00~14:15 -> Neustadt 6km(市内観光;旧市街・パン屋さんでお茶・夕食は中華)14:35~18:45 ->B271 ・L? Haardt  5km  
    ホテル着19:00 ・(Hotel Tenner泊)。

    写真はドイツワイン街道・Pfalz‐Mapプファルツの地図

  • 三日目も早い起床5:45。朝食(7:40~8:20)を明るいレストランで頂く。昨夜、夕食から帰ると、ホテルの駐車場は車で一杯でしたから、朝食をとる旅行者、ビジネス客など様々の客がいる。<br /><br />女主人が私共の写真を撮ってくれながら、古城ホテル・ハールト城の倒産の話になる。<br /><br />写真はホテルの庭から遠くハンバッハー城が見える。

    三日目も早い起床5:45。朝食(7:40~8:20)を明るいレストランで頂く。昨夜、夕食から帰ると、ホテルの駐車場は車で一杯でしたから、朝食をとる旅行者、ビジネス客など様々の客がいる。

    女主人が私共の写真を撮ってくれながら、古城ホテル・ハールト城の倒産の話になる。

    写真はホテルの庭から遠くハンバッハー城が見える。

  • 朝食後、ホテルの庭に出た。少しずつ明るくなり始めて、前面に広がる黄ばみ始めたブドウ畑も美しい。<br /><br />遠くに今日訪れるハンバッハー城が見え、右手の丘の上にはちょっぴり!!未練を残したハールト城も見えた。“Balkon der Pfalz”プファルツのバルコニーと称される意味が良く実感できた。<br /><br />写真は未練を残したハールト城も見えた。

    イチオシ

    朝食後、ホテルの庭に出た。少しずつ明るくなり始めて、前面に広がる黄ばみ始めたブドウ畑も美しい。

    遠くに今日訪れるハンバッハー城が見え、右手の丘の上にはちょっぴり!!未練を残したハールト城も見えた。“Balkon der Pfalz”プファルツのバルコニーと称される意味が良く実感できた。

    写真は未練を残したハールト城も見えた。

  • 写真は広い中庭

    写真は広い中庭

  • そして、ホテルの窓辺に赤いゼラニウムが美しく彩りを添えて、この辺りの温暖さを示している。<br /><br />写真はHotel Tennerホテル テナーの前景

    そして、ホテルの窓辺に赤いゼラニウムが美しく彩りを添えて、この辺りの温暖さを示している。

    写真はHotel Tennerホテル テナーの前景

  • Hotel Tennerを9時に出発し、坂を下りL516に出た。<br />最初に向かったのはBurgruine Wachtenburg ヴァハテンブルク城址である。途中、ブドウ畑の丘の上に立つ古城を遠望する。一気に晴れてきたので、周辺の眺望も美しい。是非、城の上から眺めたいもの・・・。<br /><br />写真はヴァハテンブルク城址の遠望

    イチオシ

    Hotel Tennerを9時に出発し、坂を下りL516に出た。
    最初に向かったのはBurgruine Wachtenburg ヴァハテンブルク城址である。途中、ブドウ畑の丘の上に立つ古城を遠望する。一気に晴れてきたので、周辺の眺望も美しい。是非、城の上から眺めたいもの・・・。

    写真はヴァハテンブルク城址の遠望

  • 写真はヴァハテンブルク城址一帯も秋の景観

    写真はヴァハテンブルク城址一帯も秋の景観

  • <Wachenheimヴァッヘンハイム><br />ハールトから13kmでワインの町Wachenheimヴァッヘンハイムのインフォーメーションに着いた。<br /><br />ここで案内書をもらって、Steinhausserscher Hof・Sektkellereiゼクト醸造場(15世紀にSteinhausenシュタインハウゼンの騎士の屋敷跡、1888年以来、Schloss Wachenheimの名前で知られた、大きなゼクト工場)の裏手の駐車場に入り、城を目指して、細道を15分かけて登った。<br /><br />写真はヴァハテンブルク城址の天守閣

    <Wachenheimヴァッヘンハイム>
    ハールトから13kmでワインの町Wachenheimヴァッヘンハイムのインフォーメーションに着いた。

    ここで案内書をもらって、Steinhausserscher Hof・Sektkellereiゼクト醸造場(15世紀にSteinhausenシュタインハウゼンの騎士の屋敷跡、1888年以来、Schloss Wachenheimの名前で知られた、大きなゼクト工場)の裏手の駐車場に入り、城を目指して、細道を15分かけて登った。

    写真はヴァハテンブルク城址の天守閣

  • <Wachtenburgヴァハテンブルク城><br />この城は12世紀、シュタウフェン王朝・神聖ローマ帝国の城として築城された。当初は“Veste Wachenheimヴァッヘンハイム要塞”と呼ばれていた。中央に高い天守閣(1329年)を持ち、周囲に城壁をめぐらし、5つの塔がある。<br />1375年、ライニンゲン伯とWorms・Mainz・Speyerの三都市連合の戦いで、破壊された。<br />その後も城址の所有は変遷し、現在はヴァハテンブルク城址保存協会が所有している。<br /><br />写真はヴァハテンブルク城址から望む景色も素晴らしい

    イチオシ

    <Wachtenburgヴァハテンブルク城>
    この城は12世紀、シュタウフェン王朝・神聖ローマ帝国の城として築城された。当初は“Veste Wachenheimヴァッヘンハイム要塞”と呼ばれていた。中央に高い天守閣(1329年)を持ち、周囲に城壁をめぐらし、5つの塔がある。
    1375年、ライニンゲン伯とWorms・Mainz・Speyerの三都市連合の戦いで、破壊された。
    その後も城址の所有は変遷し、現在はヴァハテンブルク城址保存協会が所有している。

    写真はヴァハテンブルク城址から望む景色も素晴らしい

  • 一部の塔部は修復中であった。Burgschaenke城のお休み処も無人(週末は開店!)で、汗をかいて登ってきたけれど、お茶も飲めない。<br /><br />写真はヴァハテンブルク城址

    一部の塔部は修復中であった。Burgschaenke城のお休み処も無人(週末は開店!)で、汗をかいて登ってきたけれど、お茶も飲めない。

    写真はヴァハテンブルク城址

  • 天守閣は鍵がかかっていたので上らなかったが、塔からの眺望は十分に素晴しく、ヴァッヘンハイムの町、その周辺を囲む黄葉の木々、ブドウ畑(凡そ320ha)の連なりが陽の光の下で、輝いて見える。この辺りもプファルツのバルコニーと称されるそうだ。<br /><br />写真はヴァハテンブルク城址

    天守閣は鍵がかかっていたので上らなかったが、塔からの眺望は十分に素晴しく、ヴァッヘンハイムの町、その周辺を囲む黄葉の木々、ブドウ畑(凡そ320ha)の連なりが陽の光の下で、輝いて見える。この辺りもプファルツのバルコニーと称されるそうだ。

    写真はヴァハテンブルク城址

  • 古城からの晴れた日の眺望はライン平野を見渡すことができ、ライン川の先、オーデンの森、黒い森も明瞭に見ることができると云うが、この日はなだらかな平野の先、ライン川あたりは雲がかかっていた・・・。<br /><br />プファルツ地方のライン平野・・・海抜100~200mにあり、2,000haを超すブドウ畑でワインを生産していると云う。<br /><br />写真はヴァハテンブルク城址とヴァッヘンハイムの町

    古城からの晴れた日の眺望はライン平野を見渡すことができ、ライン川の先、オーデンの森、黒い森も明瞭に見ることができると云うが、この日はなだらかな平野の先、ライン川あたりは雲がかかっていた・・・。

    プファルツ地方のライン平野・・・海抜100~200mにあり、2,000haを超すブドウ畑でワインを生産していると云う。

    写真はヴァハテンブルク城址とヴァッヘンハイムの町

  • 写真はヴァハテンブルク城址の展望台で

    写真はヴァハテンブルク城址の展望台で

  • この町は周囲をブドウ畑に、後背を自然公園プファルツの森に囲まれている。Freinsheim同様にかつては1.3kmの市城壁に囲まれていたそうで、一部にその跡が残っている。<br /><br />写真はヴァッヘンハイム

    この町は周囲をブドウ畑に、後背を自然公園プファルツの森に囲まれている。Freinsheim同様にかつては1.3kmの市城壁に囲まれていたそうで、一部にその跡が残っている。

    写真はヴァッヘンハイム

  • Simultanikrche St.Georg教会(1707年;Simultankircheという言葉が前についた教会で、私も知らなかった言葉で、”共通の”と言う意味だそうです。<br /><br />不思議なことに、説明書を読むと宗教改革で西の部分が新教・プロテスタントの教会、東の部分が旧教・カトリックの教会にしたと云います。<br />つまり共同使用していた教会と言うことですが、初めて見ました。<br />尚、さすがに旧教部分は新たに教会を作った為、その時以来、東部分は宗教目的には使用していないとあります)<br /><br />写真はヴァッヘンハイム:Simultanikrche St.Georg教会

    Simultanikrche St.Georg教会(1707年;Simultankircheという言葉が前についた教会で、私も知らなかった言葉で、”共通の”と言う意味だそうです。

    不思議なことに、説明書を読むと宗教改革で西の部分が新教・プロテスタントの教会、東の部分が旧教・カトリックの教会にしたと云います。
    つまり共同使用していた教会と言うことですが、初めて見ました。
    尚、さすがに旧教部分は新たに教会を作った為、その時以来、東部分は宗教目的には使用していないとあります)

    写真はヴァッヘンハイム:Simultanikrche St.Georg教会

  • ここから、Alte Muenzeアルテミュンツェ(1436~1471年、Pfalz-Zweibruecken家の貨幣鋳造所。現在はレストラン)にお茶でもと、行ってみると、本日はお休みでした。残念! <br /><br />写真はヴァッヘンハイム:Alte Muenzeアルテミュンツェ

    ここから、Alte Muenzeアルテミュンツェ(1436~1471年、Pfalz-Zweibruecken家の貨幣鋳造所。現在はレストラン)にお茶でもと、行ってみると、本日はお休みでした。残念! 

    写真はヴァッヘンハイム:Alte Muenzeアルテミュンツェ

  • 写真はヴァッヘンハイムは人口約5,000人。  (9:20~10:45)<br />

    写真はヴァッヘンハイムは人口約5,000人。  (9:20~10:45)

  • ヴァッヘンハイムから、L516・527で南下する Deidesheimダイデスハイムに6kmと近い。ちょうど、駅前に市庁舎があって、無料駐車場がうまい具合に空いたので、利用させてもらう。ついでに役所内のトイレも利用。<br /><br />写真はWappen・Deidesheimダイデスハイムの紋章

    ヴァッヘンハイムから、L516・527で南下する Deidesheimダイデスハイムに6kmと近い。ちょうど、駅前に市庁舎があって、無料駐車場がうまい具合に空いたので、利用させてもらう。ついでに役所内のトイレも利用。

    写真はWappen・Deidesheimダイデスハイムの紋章

  • インフォーメーション前のGeissbockbrunnen雄山羊の噴水(1985年)、左にタウンホール、右にかつての水城(Speyerシュパイヤーの領主司教が13世紀に築城。)、駅前通りをまっすぐマルクト広場に向かう。<br /><br />写真はダイデスハイム:雄山羊の噴水

    インフォーメーション前のGeissbockbrunnen雄山羊の噴水(1985年)、左にタウンホール、右にかつての水城(Speyerシュパイヤーの領主司教が13世紀に築城。)、駅前通りをまっすぐマルクト広場に向かう。

    写真はダイデスハイム:雄山羊の噴水

  • 写真はダイデスハイム:駅前通りをまっすぐ

    写真はダイデスハイム:駅前通りをまっすぐ

  • <Deidesheimダイデスハイム><br />ダイデスハイムの中心であるマルクト広場には趣のあるバロック様式の旧市庁舎(16世紀)が建っている。<br /><br />中央の階段前で“Deidesheimer Geissbockversteigerung雄山羊の競売”という歴史劇が毎年Pfingsten聖霊降臨祭の火曜日に催され、この時ばかりは観光客で町の人口は三倍、四倍にもなると云う。<br /><br />写真はダイデスハイム:バロック様式の旧市庁舎

    イチオシ

    <Deidesheimダイデスハイム>
    ダイデスハイムの中心であるマルクト広場には趣のあるバロック様式の旧市庁舎(16世紀)が建っている。

    中央の階段前で“Deidesheimer Geissbockversteigerung雄山羊の競売”という歴史劇が毎年Pfingsten聖霊降臨祭の火曜日に催され、この時ばかりは観光客で町の人口は三倍、四倍にもなると云う。

    写真はダイデスハイム:バロック様式の旧市庁舎

  • 写真はダイデスハイム:バロック様式の旧市庁舎の側面

    写真はダイデスハイム:バロック様式の旧市庁舎の側面

  • <Deidesheimer Geissbockversteigerung雄山羊の競売><br />この歴史劇は近隣のLambrechtラムブレヒト(バート・デュルクハイムの一地区)とダイデスハイムとの古くからの町同士の取り決めからきている。<br /><br />その昔、ラムブレヒトはダイデスハイムに属した森林地帯と牧草地に入る“入会権”を持つ為に、使用料を払うことになっていた。毎年、ラムブレヒトの町は一匹の雄山羊をダイデスハイムの町まで連れて行き、競売にかけた。この競売の金をダイデスハイムが得た。つまり、使用料を雄山羊で支払ったことになる。<br />この事が年とともに、町の伝統ある歴史劇の催しになっていった。<br /><br />因みに1900年から、競売の記録が残り、昨年の2009年はRoyal Society MannheimがEuro4,000で購入したとある。面白い伝統です。<br /><br />写真はDeidesheim:“Deidesheimer Geissbockversteigerung雄山羊の競売”という歴史劇・かつての祭りの様子

    <Deidesheimer Geissbockversteigerung雄山羊の競売>
    この歴史劇は近隣のLambrechtラムブレヒト(バート・デュルクハイムの一地区)とダイデスハイムとの古くからの町同士の取り決めからきている。

    その昔、ラムブレヒトはダイデスハイムに属した森林地帯と牧草地に入る“入会権”を持つ為に、使用料を払うことになっていた。毎年、ラムブレヒトの町は一匹の雄山羊をダイデスハイムの町まで連れて行き、競売にかけた。この競売の金をダイデスハイムが得た。つまり、使用料を雄山羊で支払ったことになる。
    この事が年とともに、町の伝統ある歴史劇の催しになっていった。

    因みに1900年から、競売の記録が残り、昨年の2009年はRoyal Society MannheimがEuro4,000で購入したとある。面白い伝統です。

    写真はDeidesheim:“Deidesheimer Geissbockversteigerung雄山羊の競売”という歴史劇・かつての祭りの様子

  • 写真はDeidesheim:“Deidesheimer Geissbockversteigerung雄山羊の競売”という歴史劇に大人数の見物客が

    写真はDeidesheim:“Deidesheimer Geissbockversteigerung雄山羊の競売”という歴史劇に大人数の見物客が

  • 旧市庁舎傍にはピンクの壁、鮮やかなゼラニウムの花で飾った、プファルツ最古のガストハウスDie Kanne(1160年修道院の宿泊施設として建てられ、今はヴァッヘンハイムのワイン醸造家が所有)が立っている。<br /><br />その他の観光名所はSt.Ulrich教区教会(15世紀)、マルクト広場、噴水、Deidesheimer -Hof 、博物館などがある。<br />人口3,700人ですから、日本的には村と言った方が良いかな・・・。 <br />(11:00~12:15)<br /><br />写真はダイデスハイム:右手にガストハウスDie Kanne

    旧市庁舎傍にはピンクの壁、鮮やかなゼラニウムの花で飾った、プファルツ最古のガストハウスDie Kanne(1160年修道院の宿泊施設として建てられ、今はヴァッヘンハイムのワイン醸造家が所有)が立っている。

    その他の観光名所はSt.Ulrich教区教会(15世紀)、マルクト広場、噴水、Deidesheimer -Hof 、博物館などがある。
    人口3,700人ですから、日本的には村と言った方が良いかな・・・。 
    (11:00~12:15)

    写真はダイデスハイム:右手にガストハウスDie Kanne

  • 写真はダイデスハイム

    写真はダイデスハイム

  • 写真はダイデスハイム:なかなか良さそうなガストハウスDie Kanneカンネ

    写真はダイデスハイム:なかなか良さそうなガストハウスDie Kanneカンネ

  • このルネッサンス風の館(14世紀)・5星ホテルは町の中心・マルクト広場に面している。ちょうどレストランスタッフがテラスレストラン用にテーブル・椅子を準備し始めていた。<br /><br />ダイデスハイマーホフの左手はレストラン、右手はホテルとなっていて、客室数28室と中規模だが、パンフレットを頂きにレセプション・ロビーに行くと、丁寧な対応とロビーの素晴らしさに驚かされた。<br /><br />写真はダイデスハイム:マルクト広場前に立つ5星ホテルDeidesheimer -Hofダイデスハイマーホフ

    このルネッサンス風の館(14世紀)・5星ホテルは町の中心・マルクト広場に面している。ちょうどレストランスタッフがテラスレストラン用にテーブル・椅子を準備し始めていた。

    ダイデスハイマーホフの左手はレストラン、右手はホテルとなっていて、客室数28室と中規模だが、パンフレットを頂きにレセプション・ロビーに行くと、丁寧な対応とロビーの素晴らしさに驚かされた。

    写真はダイデスハイム:マルクト広場前に立つ5星ホテルDeidesheimer -Hofダイデスハイマーホフ

    ホテル デイデスハイマー ホフ ホテル

  • お茶;Deidesheimer -Hofダイデスハイマーホフで<br />D-67146 Deidesheim/Weinstrasse、Am Marktplatz<br /><br />Helmut Josef Michael Kohlヘルムート・コール元ドイツ首相はダイデスハイム近くのLudwigshafenルートヴィックスハ-フェンが生まれ故郷である。<br />そのこともあって、ダイデスハイマーホフを特別、御贔屓にした。ここでしばしばヨーロッパ各国との首脳を接待したと云われている。又、当地のワインがお好みでサミットや、1993年に天皇陛下が訪独された際の晩餐会にも提供させて、好評を得たと云う。<br /><br />写真はダイデスハイマーホフ:Weinstube Sankt Urbanレストラン聖ウルバン

    お茶;Deidesheimer -Hofダイデスハイマーホフで
    D-67146 Deidesheim/Weinstrasse、Am Marktplatz

    Helmut Josef Michael Kohlヘルムート・コール元ドイツ首相はダイデスハイム近くのLudwigshafenルートヴィックスハ-フェンが生まれ故郷である。
    そのこともあって、ダイデスハイマーホフを特別、御贔屓にした。ここでしばしばヨーロッパ各国との首脳を接待したと云われている。又、当地のワインがお好みでサミットや、1993年に天皇陛下が訪独された際の晩餐会にも提供させて、好評を得たと云う。

    写真はダイデスハイマーホフ:Weinstube Sankt Urbanレストラン聖ウルバン

  • 先に亡くなられたコール元ドイツ首相はWeinstube Sankt Urbanレストラン聖ウルバンにある、民族色豊かな“Wappenzimmer紋章の間”をとりわけお気に入りであると云われている。<br /><br />前任のヘルムート・シュミット元首相はカミソリと謳われたが、これと対照的にグルマンなコール元首相は巨大な体躯を持てあます印象から、田舎くさい鈍重な印象でしたが、在任16年に及ぶコール元首相の第一の功績はドイツ再統一を果たしたことでしょう。<br /><br />写真はダイデスハイマーホフ:Weinstube Sankt Urbanレストラン聖ウルバンの“Wappenzimmer紋章の間”

    先に亡くなられたコール元ドイツ首相はWeinstube Sankt Urbanレストラン聖ウルバンにある、民族色豊かな“Wappenzimmer紋章の間”をとりわけお気に入りであると云われている。

    前任のヘルムート・シュミット元首相はカミソリと謳われたが、これと対照的にグルマンなコール元首相は巨大な体躯を持てあます印象から、田舎くさい鈍重な印象でしたが、在任16年に及ぶコール元首相の第一の功績はドイツ再統一を果たしたことでしょう。

    写真はダイデスハイマーホフ:Weinstube Sankt Urbanレストラン聖ウルバンの“Wappenzimmer紋章の間”

  • Restaurant Weinstube Sankt Urban聖ウルバンは主に昼食から夕食を供し、郷土料理が中心になったレストラン。様々な部屋があり、上述のWappenzimmer紋章の間, Geissbockstube雄山羊の間、 Weinbibliothekワイン図書館、 Schmankerlstubeパン菓子の間、そして天気の良い日はマルクト広場のテラスレストランがある。<br /><br />写真はダイデスハイマーホフ:Weinstube Sankt Urbanレストラン聖ウルバン

    Restaurant Weinstube Sankt Urban聖ウルバンは主に昼食から夕食を供し、郷土料理が中心になったレストラン。様々な部屋があり、上述のWappenzimmer紋章の間, Geissbockstube雄山羊の間、 Weinbibliothekワイン図書館、 Schmankerlstubeパン菓子の間、そして天気の良い日はマルクト広場のテラスレストランがある。

    写真はダイデスハイマーホフ:Weinstube Sankt Urbanレストラン聖ウルバン

  • 尚、このホテルのグルメレストランはRestaurant Schwarzer Hahn黒い雄鶏である。ミシュラン1星、Gault Millau17点、全独ランク40位。<br />300年もの歴史ある砂岩で造られた地下の丸天井レストラン。<br />席数48席、ワインは700種。<br />火~土の18:30~22:00のオープン。予約はした方が良いとのこと。メニューはEuro60~115。<br />ゲストはクラシックなフランス料理、あるいはプファルツ地方料理を好みで選ぶことができるのだと云う。珍しい名前は経営者のHahn氏の名と、かつてのシェフSchwarz氏の名前を採ったものだそうで、1989年以来のレストランである。<br /><br />写真はダイデスハイマーホフ:Weinstube Sankt Urbanレストラン聖ウルバン

    尚、このホテルのグルメレストランはRestaurant Schwarzer Hahn黒い雄鶏である。ミシュラン1星、Gault Millau17点、全独ランク40位。
    300年もの歴史ある砂岩で造られた地下の丸天井レストラン。
    席数48席、ワインは700種。
    火~土の18:30~22:00のオープン。予約はした方が良いとのこと。メニューはEuro60~115。
    ゲストはクラシックなフランス料理、あるいはプファルツ地方料理を好みで選ぶことができるのだと云う。珍しい名前は経営者のHahn氏の名と、かつてのシェフSchwarz氏の名前を採ったものだそうで、1989年以来のレストランである。

    写真はダイデスハイマーホフ:Weinstube Sankt Urbanレストラン聖ウルバン

  • ダイデスハイムを12:15にスタートし、Neustadtノイシュタットの町中を抜けて、丘陵地帯に向かう。山間に入り、SchlossstrasseK9である一方通行の道を登って行くと、片側に駐車スペースがあった。22kmの距離である。<br />車を停めて、ハンバッハー城に徒歩で登った。<br /><br />写真はハンバッハー城からの眺望

    ダイデスハイムを12:15にスタートし、Neustadtノイシュタットの町中を抜けて、丘陵地帯に向かう。山間に入り、SchlossstrasseK9である一方通行の道を登って行くと、片側に駐車スペースがあった。22kmの距離である。
    車を停めて、ハンバッハー城に徒歩で登った。

    写真はハンバッハー城からの眺望

  • この高さから見る眺望はすこぶる良く、晴天に感謝である。城内見学はガイドなしで、大勢のドイツ人たちと城内に入った。<br /><br />写真はハンバッハー城からの眺望

    この高さから見る眺望はすこぶる良く、晴天に感謝である。城内見学はガイドなしで、大勢のドイツ人たちと城内に入った。

    写真はハンバッハー城からの眺望

  • 博物館料金はEuro9で、館内はドイツの民主主義の歴史的な経緯を展示したもので、一巡するとその歴史が分かるように説明されている。参観者は熱心に説明を読んでいたが、取り立てて、貴重なものは無い。<br /><br />写真はハンバッハー城をバックに

    博物館料金はEuro9で、館内はドイツの民主主義の歴史的な経緯を展示したもので、一巡するとその歴史が分かるように説明されている。参観者は熱心に説明を読んでいたが、取り立てて、貴重なものは無い。

    写真はハンバッハー城をバックに

    ハンバッハ城 城・宮殿

  • 唯一、1832年当時に掲げられた三色旗のオリジナルが、端が切れた古びた格好で、ガラスの仕切り内に展示されていた。色を傷めると言うことで、写真は不可でした。<br /><br />写真はハンバッハー城の展示

    唯一、1832年当時に掲げられた三色旗のオリジナルが、端が切れた古びた格好で、ガラスの仕切り内に展示されていた。色を傷めると言うことで、写真は不可でした。

    写真はハンバッハー城の展示

  • ドイツの三色旗の翻るハンバッハー城は博物館、レストラン、コンサート、会議、結婚式なども手掛ける会社組織のものになっているようだ。(13:00~14:15)<br /><br />写真はハンバッハー城の展示<br /><br />*Hambacher Schlossハンバッハー城:<br />(11世紀に築城・ドイツ民主主義の記念碑)<br />Neustadtの南5kmにある、この城はドイツ民主主義のシンボルとして世界的に知られている。1832年5月27日に34人のノイシュタット市民の呼び掛けに応じて、ドイツ各地から、約2万5千人の市民たちがドイツの統一と自由のために集結した。<br />その時、ドイツ国旗の黒・赤・金の三色旗が、初めて使われたと云う。<br />因みに、現在のドイツの国旗は上から順に黒・赤・金の三色で構成されている。<br />この色は1813年のナポレオン戦争時、ルートヴィヒ・アドルフ・ヴィルヘルム・リュッツオウ(Ludwig Adolf Wilhelm von Luetzow)が率いた義勇軍の軍服・・・(黒地に赤の襟、金のボタンをシンボルカラーにしていた。)が由来と云われている。<br />また、神聖ローマ帝国の紋章(即ち、金地に赤の嘴と爪をもった黒い鷲)に由来するとも云われている。黒は勤勉、赤は情熱、金は名誉を表す。<br />

    ドイツの三色旗の翻るハンバッハー城は博物館、レストラン、コンサート、会議、結婚式なども手掛ける会社組織のものになっているようだ。(13:00~14:15)

    写真はハンバッハー城の展示

    *Hambacher Schlossハンバッハー城:
    (11世紀に築城・ドイツ民主主義の記念碑)
    Neustadtの南5kmにある、この城はドイツ民主主義のシンボルとして世界的に知られている。1832年5月27日に34人のノイシュタット市民の呼び掛けに応じて、ドイツ各地から、約2万5千人の市民たちがドイツの統一と自由のために集結した。
    その時、ドイツ国旗の黒・赤・金の三色旗が、初めて使われたと云う。
    因みに、現在のドイツの国旗は上から順に黒・赤・金の三色で構成されている。
    この色は1813年のナポレオン戦争時、ルートヴィヒ・アドルフ・ヴィルヘルム・リュッツオウ(Ludwig Adolf Wilhelm von Luetzow)が率いた義勇軍の軍服・・・(黒地に赤の襟、金のボタンをシンボルカラーにしていた。)が由来と云われている。
    また、神聖ローマ帝国の紋章(即ち、金地に赤の嘴と爪をもった黒い鷲)に由来するとも云われている。黒は勤勉、赤は情熱、金は名誉を表す。

  • ハンバッハー城からの下り道K14・Freiheitstrasse自由通りをNeustadtノイシュタットに戻る。6kmで旧市街に入った。<br /><br />写真はノイシュタット:旧市街

    ハンバッハー城からの下り道K14・Freiheitstrasse自由通りをNeustadtノイシュタットに戻る。6kmで旧市街に入った。

    写真はノイシュタット:旧市街

  • <Neustadtノイシュタット(新しい町の意)an der Weinstrasse><br />ノイシュタットの名前の町はドイツのみならず、近隣諸国にも多くのノイシュタットがある。ドイツ国内でも27の町を数える。<br /><br />面白いことに、同じ名前の町”Neustadt in Europa”ヨーロッパのノイシュタットという友好組織ができている。中欧6ヶ国の36都市が参加し、参加都市の人口は50万人以上を数える。<br /><br />この町名の後ろにはan der Weinstrasse(ワイン街道にある)がついてNeustadt an der Weinstrasse(かつてはNeustadt an der Haardt)と称し、他の町と区別している。<br /><br />写真はNeustadtノイシュタット_in_Europa欧州図

    <Neustadtノイシュタット(新しい町の意)an der Weinstrasse>
    ノイシュタットの名前の町はドイツのみならず、近隣諸国にも多くのノイシュタットがある。ドイツ国内でも27の町を数える。

    面白いことに、同じ名前の町”Neustadt in Europa”ヨーロッパのノイシュタットという友好組織ができている。中欧6ヶ国の36都市が参加し、参加都市の人口は50万人以上を数える。

    この町名の後ろにはan der Weinstrasse(ワイン街道にある)がついてNeustadt an der Weinstrasse(かつてはNeustadt an der Haardt)と称し、他の町と区別している。

    写真はNeustadtノイシュタット_in_Europa欧州図

  • この町は歴史のある旧市街がメインだ。旧市街にはマルクト広場に立つ市庁舎(1729年)、ライオン像、噴水、美しい木組み建築の家Scheffelhausシェッフェルハウス(シェッフェルは穀物の数量単位;今はワイン・レストラン)、Vizedomeiヴィジェドメイ(1737年、領主の代理者の住居)や、マルクト広場の周囲を囲む木組みの家など、彩りも美しい建物がある。<br /><br />写真はノイシュタット:旧市街・マルクト広場の噴水

    この町は歴史のある旧市街がメインだ。旧市街にはマルクト広場に立つ市庁舎(1729年)、ライオン像、噴水、美しい木組み建築の家Scheffelhausシェッフェルハウス(シェッフェルは穀物の数量単位;今はワイン・レストラン)、Vizedomeiヴィジェドメイ(1737年、領主の代理者の住居)や、マルクト広場の周囲を囲む木組みの家など、彩りも美しい建物がある。

    写真はノイシュタット:旧市街・マルクト広場の噴水

  • この地の収穫祭やワイン祭りは盛大に繰り広げられるようだが、10月も中旬までに終わってしまった。鉄道博物館もあったが、こちらは省略。<br />選帝侯の大学Casimirianumカジミリアヌム(1578年創立)が傍にあるだけに、立派な本屋がある。そのBuch Habeブーフ ハーベで、旅最初のお土産にいつものように2011年のカレンダーを3つ(風景・花・花=Euro31.9)購入した。<br /><br />写真はノイシュタット:旧市街・マルクト広場に立つ市庁舎(1729年

    この地の収穫祭やワイン祭りは盛大に繰り広げられるようだが、10月も中旬までに終わってしまった。鉄道博物館もあったが、こちらは省略。
    選帝侯の大学Casimirianumカジミリアヌム(1578年創立)が傍にあるだけに、立派な本屋がある。そのBuch Habeブーフ ハーベで、旅最初のお土産にいつものように2011年のカレンダーを3つ(風景・花・花=Euro31.9)購入した。

    写真はノイシュタット:旧市街・マルクト広場に立つ市庁舎(1729年

  • 写真はノイシュタット:旧市街・マルクト広場に立つ市庁舎前のライオン像

    写真はノイシュタット:旧市街・マルクト広場に立つ市庁舎前のライオン像

  • ノイシュタットの歴史;<br />1245年、文献に町の名が記録された。<br />1368年、64mと57mの二つの高い塔を持つStiftkirche参事会教会が建設される。<br />1525年、農民戦争<br />1688年、プファルツ継承戦争で仏軍の占領下におかれる。<br />1832年5月27日、ハンバッハー城に市民がドイツの統一と自由のために集結した。<br /><br />写真はノイシュタット:旧市街・マルクト広場に立つ、美しい木組み建築の家Scheffelhausシェッフェルハウス(今はワイン・レストラン)

    イチオシ

    ノイシュタットの歴史;
    1245年、文献に町の名が記録された。
    1368年、64mと57mの二つの高い塔を持つStiftkirche参事会教会が建設される。
    1525年、農民戦争
    1688年、プファルツ継承戦争で仏軍の占領下におかれる。
    1832年5月27日、ハンバッハー城に市民がドイツの統一と自由のために集結した。

    写真はノイシュタット:旧市街・マルクト広場に立つ、美しい木組み建築の家Scheffelhausシェッフェルハウス(今はワイン・レストラン)

  • Hauptstrasse中央通り、Friedrichstrasseフリードリヒ通り、Kellerstrasseケラー通りなどは歩行者天国、旧市街の中心にあって、様々な店が軒を並べ、買い物客も多く、混雑していた。<br /><br />目に着いたCotto Wohnaccessoires・Neustadt 、Hauptstrasse76で、紙ナプキンを5X3.75=Euro18.75、テーブルセンター110X110 プラム柄(Pflaume)=36 小計54.75 (6,306円)を購入。<br />大変気にったテーブルセンターが買えて、家内は上機嫌だ。<br /><br />1時間ほど歩行者天国をうろうろしたことになる。 人口56,000人。<br /> (14:35~18:45)<br /><br />写真はノイシュタット:旧市街の歩行者天国

    Hauptstrasse中央通り、Friedrichstrasseフリードリヒ通り、Kellerstrasseケラー通りなどは歩行者天国、旧市街の中心にあって、様々な店が軒を並べ、買い物客も多く、混雑していた。

    目に着いたCotto Wohnaccessoires・Neustadt 、Hauptstrasse76で、紙ナプキンを5X3.75=Euro18.75、テーブルセンター110X110 プラム柄(Pflaume)=36 小計54.75 (6,306円)を購入。
    大変気にったテーブルセンターが買えて、家内は上機嫌だ。

    1時間ほど歩行者天国をうろうろしたことになる。 人口56,000人。
     (14:35~18:45)

    写真はノイシュタット:旧市街の歩行者天国

  • ここの中華料理(夕食)が旅行中で一番美味しかった事に満足した。<br />ノイシュタットを18:45に出て、走りなれた道を戻る。<br />Hotel Tennerには19時に着いた。<br /><br />今日一日短い距離(52km)だったが、面白い日だった。しかし、よく歩いた。ドイツの秋も美しい黄葉・紅葉を見ることができた。明日も晴れるかな!<br /><br />写真はノイシュタット:旧市街・花屋さんの店頭で

    ここの中華料理(夕食)が旅行中で一番美味しかった事に満足した。
    ノイシュタットを18:45に出て、走りなれた道を戻る。
    Hotel Tennerには19時に着いた。

    今日一日短い距離(52km)だったが、面白い日だった。しかし、よく歩いた。ドイツの秋も美しい黄葉・紅葉を見ることができた。明日も晴れるかな!

    写真はノイシュタット:旧市街・花屋さんの店頭で

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この旅行記へのコメント (2)

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  • frau.himmelさん 2018/03/14 15:23:22
    カトリックとプロテスタントが共存する教会
    jijidarumaさん、こんにちは。

    ドイツのヴァイン街道の旅行記順調にはかどっていますね。
    もはや私の知らない町や村ばかり、やはりレンタカーでの旅の強みですね。

    さて、ヴァッヘンハイムのSt.Georg教会。
    プロテスタントとカトリックが共存した教会というのにに興味を抱きました。
    昔そんな教会に行ったことがあったなーと思い調べてみました。

    2013年にドレスデン近郊のバウツェン、そうですソルブ人が住む街です。
    その街の聖ペトリ大聖堂がそうでした。
    カトリックとプロテスタントが同居している珍しい教会としてはドイツ一古い教会だそうです。同じ教会の中に祭壇が二つ、パイプオルガンも2つ。
    そんな場合ミサはどうするのだろうという疑問が起きまして、係員に質問しましたら、時間を分けて執り行われるということでした。
    教会の入り口にカトリックは9時から、プロテスタントは10時半からと案内がありました。

    2013年の旅と言えば、コーゼルの館の旅行記で、jijidarumaさんとお知り合いになったんだった~、と懐かしく思い出しました。
    今後ともよろしくお願いいたします。

    himmel

    jijidaruma

    jijidarumaさん からの返信 2018/03/14 23:47:54
    RE: カトリックとプロテスタントが共存する教会
    himmelさん、
    こんばんは。いつもありがとうございます。

    ドイツワイン街道という狭い地域を5日間うろうろ走りましたから、
    様々な町や村を巡り、中々良い地域だと思いました。
    この年の旅は観光本に殆ど掲載が無く、確かに日本人には馴染みがないです。
    ヴァッヘンハイムもそうですが、ブドウ畑の丘の上に立つ古城の景観は
    やはり良いもので、秋の旅の醍醐味を感じたものです。
    それでもレンタカーですから、有名銘柄のゼクト醸造場で飲めないのは残念。
    プロテスタントとカトリックが共存した教会も小さな町の知恵なのでしょう。

    そういえば、今年の5月のフランケンへの旅、2009年の旅を参考にしようと
    読んでいたら、フランケンオスイスにあるレストランでお会いしたご夫婦、
    そのご主人、大学教授のような方が曰く
    『一つの町に教会が2つ、3つのビール会社』と謎々的な話をされた事を
    思い出しました。・・・つまり、この数はフランケンのスイス地方の様子を
    言っていて、どんな小さな町でも教会は新旧の宗派に従って、2つある。
    更に驚くのはビール会社の数が多いということだ。この辺りを走った一日、
    その通りの光景に出合った。
    その光景はウンターアウフゼス城から下を見たら、ビール工場が見えた。
    世界で最も醸造所密度の高い市町村はギネスブックによれば、Aufsess
    アウフゼスである。この村には約1,500人の村民に対して、4つのビール醸造所
    があると云う。・・・と書いてありました。
    ヴァッヘンハイムの如く、プロテスタントとカトリックが共存した教会では
    ありませんが、30年戦争後のドイツの地方が、いがみ合うのではなく、
    其々を尊重した様子が感じられる話です。

    コーゼルの館の旅行記、懐かしいですね。一度コーゼル伯爵夫人の事を
    纏めようと思っていましたが、いまだに出来ていません(苦笑)。

    今年の旅は例の3人組でしたね。
    私共は久しぶりにフランケン、オーバープファルツを巡ります。
    5月10日から24日までの15日間、飛行機便もホテルも予約済みです。
    アルトミュールタルも久しぶりで、いま行程に傾注し、三分の二を完了しました。
    まだまだ知らない町も多く、St. Walburga聖ヴァルブルガや、"Schrammhans「
    シュラム(傷跡がある)ハンス」"と異名で呼ばれたGottfried Heinrich
    Graf zu Pappenheimゴットフリート・ハインリヒ・パッペンハイム伯
    (30年戦争期のボヘミアの傭兵隊長・ヴァレンシュタイン将軍の旗下で活躍し、
    ライプツィヒ南西Schlacht bei Luetzenリュッツェンの戦いで戦死した)のこと
    など、かつての旅で知った顔ぶれが、この旅でも出てきて大変面白いです。

    それではまた、お邪魔します。

    jijidaruma


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