2010/10/18 - 2010/11/01
32位(同エリア257件中)
jijidarumaさん
- jijidarumaさんTOP
- 旅行記574冊
- クチコミ659件
- Q&A回答107件
- 1,007,105アクセス
- フォロワー107人
秋の旅はドイツの南西部・ラインラント・プファルツ州 & ザールラント州を巡る旅である。
期間:2010年10月18日(月)~11月01日(月)15日間の旅
先に主にワイン街道と古城ホテル、古城群を抜粋して掲載し、
次は毎日の食事を朝昼晩と、前後編で掲載しました。
今回は訪れた町々の紹介です。
①この旅はAlzeyアルツァイから始まる。
②ドイツワイン街道を南に走り出す。
③プファルツのバルコニーと称される一帯は美しい秋だ。
④ハールト丘陵にプファルツのブドウ畑の海・秋の波が打ち寄せている。
⑤トリフェルス城を囲む光景は黄葉・紅葉の真っ盛りである。
・・・・・
写真はPirmasensピルマゼンスの旧市庁舎前で
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
10月23日(土)90km 、霜と霧が出た朝は-2.5℃、快晴、9.5℃
エデスハイム城を9時に出発。 ->L?・B10(Annweiler am Trifels) ->トンネルが多い。B10 Pirmasens 53km(市内観光)9:55~11:40 ->B10・A8 (途中の駐車場で昼食11:50~12:10)Zweibruecken 31km 、ホテル着12:20、(市内観光;バラ園など)13:15~15:15
ホテル帰着16:30 (Romantik Hotel Landschloss Fasanerie;夕食・泊)。
写真は古城ホテル エデスハイム城で2度目の朝食ホテル シュロス エデスハイム ホテル
-
*一番寒い朝だったでしょう。昨日よりは車の上には霜、車の窓は凍っていた。
霧が出ている中、エデスハイム城を9時に出発。これでドイツワイン街道ともお別れです。
写真は・ラインラント・プファルツ州も地図:Pirmasensピルマゼンス、Zweibrueckenツヴァイブリュッケン -
昨日の道B10に出ると霧も消え、道は明るくなった。
Annweiler am Trifelsを経由し、幾つかのトンネルをくぐって行くと、国道B10はPirmasensピルマゼンスに入った。
53kmの道を凡そ一時間かかったことになる。
写真はWappen・Pirmasensピルマゼンスの紋章 -
<Pirmasensピルマゼンス>
山間の町は“靴の町” ・靴製造のメッカとして、知られている。
人口43,000人。
その昔、デュッセルドルフで近所に住んでいた日本人学校の先生(群馬県から派遣)から、ドイツで知り合った若い方がピルマゼンスの靴の学校で修業し、マイスターの資格を得たと聞いていたこともあって、この町の名前と靴の町であるのを覚えていた。
写真はSchlossplatz城広場前の噴水 -
イチオシ
ピルマゼンス市内観光;
町に入るとSchlosstrasseお城通りがあり、うまいことにPirminiuskircheピリミニウス教会(2つの左右対称の72mの塔を持つカトリック教会)前の駐車場に入ることができた。
通りを渡った所で小母さんにAltes Rathaus旧市庁舎は何処かと聞くと、なんと“目の下のSchlossplatz城広場前にあるさ!”と言われてしまった。
Hessen-Darmstadtヘッセン‐ダルムシュタット家の Ludwigルートヴィッヒ4世方伯の宮殿がそこにあったが、方伯の死と共に壊されてしまったので、今は記念に広場の名に使っているのだそうだ。
上から広場に向かって、大きな角を持った水牛?傍で噴水が噴き出し、冷たいきれいな水が流れ下る階段を下りていく。
広場から見上げると2つの高い塔・教会が背景になって、水の落ちてくる様子が上手にデザインされている。
紅葉した数本の木が花を添えた形だ。
写真は高い塔・教会を背景にして水が勢いよく流れ落ちる -
旧市役所前を左手のHauptstrasse中央通りはにぎやかな歩行者天国になっている。
この町にもピエロ姿の道化師が、道端でにこやかな愛想とポーズをしている。家内と一緒に写真を撮らせてもらった(チップをEuro2)。
写真はSchlossplatz城広場前で:ピエロ姿の道化師 -
かつてこの町はプファルツの森にひっそりと生きていた村人200人の小さな村だったと云う。
200年前頃から、兵士の奥さんたちが家族を養うために、ユニフォームの残り布で簡単な靴つまり、"Schlabben"スリッパと言われるものを作り、行商に出たと云う。
それが単一製品文化である靴製造のメッカ・ピルマゼンスとなった初めである。
以来、靴製造にたずさわる人口は3万人の規模になっている。
町には靴職人になるための専門学校もあり、定期的に靴の見本市が開催される。
中央通りで良い買い物をした。まだクリスマスシーズンには早いから出ていないかな!と思っていたStollenシュトレンをパン屋で見つけたのです。@750gと希望の1kgではなかったのですが、目に付いた所で買うのが一番と購入した。
お土産はこんなもの:
紙ナプキン;5X2.99 =Euro14.95(Presentshop・Pirmasens)
Stollenシュトレン@750g 2(3.75+3.95)=Euro7.7(パン屋さん・Pirmasens)
写真はちょっとのぞいたお店 -
近くにSchusterbrunenn靴屋の泉があり、右手にトンカチ、左手に靴を持った銅像が泉の中央に立っている。
銅像には銘が書かれており、“靴はここでは大きなことをしでかした。靴と靴屋を見下してはならない。”とある。
写真はSchusterbrunenn靴屋の泉 -
旧市庁舎;
1771年、市民たちの手で建てられた。
第二次大戦で完璧に破壊されたが、4年をかけて1963年に現在の様に再建された。
ここには4つの博物館がある。
其々が地下1階から、1階、2階、3階に分かれている。
写真は旧市庁舎 -
Schuhmuseum靴博物館・・
靴の手工業、時代とともに変遷してきた靴の展示は興味深い。
行商姿の人形、現代のデザインと言ってもおかしくない靴なども。
写真は靴博物館の展示 -
写真は靴博物館の展示・行商姿の人形
-
写真は靴博物館の展示
-
写真は靴博物館の展示
-
写真は靴博物館の展示・靴職人
-
Scherenschnittkabinett紙切り細工の間・・
ピルマゼンス出身のElisabeth Emmlerエリザベート・エムラーの非凡な作品50点を展示している。
メルヘンをテーマにした切り絵は素晴らしいもの。
写真はメルヘンをテーマにした切り絵 -
写真はメルヘンをテーマにした切り絵
-
Heimatmuseum郷土博物館・・
町の創立者となっているLudwigルートヴィッヒ4世方伯時代の展示。小さな森の中の村から、兵隊たちの町に変わって行った時代である。錫の兵隊人形、方伯夫妻の肖像画、兵隊の図、練兵の図、宮殿は1740~90年の頃の様子だ。
Buerkelgalerie・・風俗画の創始者であるHeinrich Buerkelハインリヒ・ブリュケル(1802~1869年)の作品20点以上が展示されたギャラリー。
写真は兵隊の図、練兵の図 -
町の歴史;
860年、文献にその名が記録される。
1740年まで、Hessen-Darmstadtヘッセン‐ダルムシュタット家の Ludwigルートヴィッヒ4世方伯の宮殿があった。
1763年都市権を獲得。
1793年、仏革命で仏領になり、その支配はナポレオン戦争後の1815年、ドイツ連邦成立まで続いた。
チョコレート博物館もあるやに聞いていたが、気づかなかった。WAWI-Schokoladeという会社で、町から車で数分の場所に工場、博物館、即売所があるとか・・・。
(9:55~11:40)
写真は宮殿は1740~90年の頃の様子 -
昼食;アウトバーンA8の駐車場で
8.5℃と戸外は寒いが、朝食で頂いた卵や果物や、ピルマゼンスのパン屋で買ったベルリーナなどと、日本からの携行品等で簡単に済ました。
というのも、今夕はミシュランの1星付きレストランの食事予定になっている。 (11:50~12:10)
写真はWappen・Zweibrueckenツヴァイブリュッケンの紋章 -
Zweibrueckenツヴァイブリュッケンに31km 、アウトバーンから直ぐにホテルの看板を見つけて、12:20に到着した。
写真は古城ホテル・Romantik Hotel Landschloss Fasanerieロマンティック ホテル ランドシュロス ファザネリの入口 -
イチオシ
森の中の古城ホテル・Romantik Hotel Landschloss Fasanerieロマンティック ホテル ランドシュロス ファザネリはイメージ通りで、レセプションのお嬢さんたちも大変フレンドリーである。
ホテル横手のGalerie‐Zimmer50号室はモダンなもので、バラ園のある森に対している。
客室係がウエルカムの意味もある、胡桃のケーキを持参してくれた。お腹に入れてから、ホテルの内外を散策し、室内プール、ホテル前のバロック様式の庭園・噴水、レストランLandhausランドハウス(郷土料理)、グルメレストランTschifflik、Salon Stanislausスタニスワフのサロン(朝食)、Orangerieオランジェリー(地中海料理)などを見て回った。オランジェリーは昼時とあって、お客さんもいっぱいだったのには驚いた。
写真はホテル前のバロック様式の庭園・噴水前から、右に本館、左にランドハウスを見る -
写真はプールですが、折角な施設も使う事はない。
-
写真はバラ園のある森
-
写真はホテル横手の別棟Galerie‐Zimmer50号室はモダンなもので、バラ園のある森に対している。
-
さて、時間も十分にあるので、市内の観光に車で出かけた。
<Zweibrueckenツヴァイブリュッケン(二つの橋の意)>
この地は古くからSchwarzbachシュバルツバッハの川岸にローマ人の居住地があった。
フランスから流れ出たHornbachホルンバッハ川(33km)が、ツヴァイブリュッケンの町中を流れてきたシュバルツバッハ(黒い小川は50kmを流れた後、Bliesブリース川に合流する)に町の西で合流する。
1150年、ザールブリュッケン伯がシュバルツバッハ川の蛇行する地点、ホルンバッハ川との合流点にも近い場所に城砦を築き、“二つの橋”を架けた。
城と町は防御の要となり、急速に発展したと云われる。
その事が町の名前の起源になったと思われる。
写真は市庁舎のある一帯の立派なバロック建築群 -
人口34,000人の町は第一にHerzogsstadt公爵家の町である。
1410年にプファルツ公Stephanシュテファンがこの地を得てから600年の記念年だそうだ。
市内観光の中心は市庁舎のある一帯の立派なバロック建築群や、Herzogliches Schloss公爵の宮殿も1720年に建てられたバロック建築である。重々しい建物らしく、現在プファルツの上級裁判所になっている。
とはいえ、第二次大戦末期の英米の空襲で、町の80%が焼失してしまったそうだ。町の再建は大変であったことだろう。
写真は市庁舎のある一帯の立派なバロック建築群 -
(Ottweilerオットヴァイラーから始まるザールプファルツのBarockstrasseバロック街道はZweibrueckenを通り、Blieskastelブリースカステル、州都であるSaarbrueckenザ-ルブリュッケン等の町をつないでいる道である)
写真はHerzogliches Schloss公爵のバロック建築宮殿、現在はプファルツの上級裁判所 -
もう一つはRosenstadtバラの町と呼ばれている。
ここにはよく知られたRosengartenローズガーデンがあるので、お城広場から公園を通り、バラ園に行ってみた。
もう入園者も少なく、残念ながら、バラも盛りを過ぎていた。小さな建物が展示場になっていたので覗いてみると、バラに因んだ、美しい食器やテーブルクロスなどを見ることができた。広い池に白鳥が泳ぎ、園内の花々や、また木々の紅葉をそれなりに楽しめた。
(バラのシーズンを終え、明日の10月24日には閉園だ・入園料Euro8 14:20~14:55)
写真はRosengartenローズガーデン内 -
イチオシ
写真はRosengartenローズガーデン内:バラに因んだ、美しい食器やテーブルクロス
-
写真はRosengartenローズガーデン内:バラに因んだ、美しい食器やテーブルクロス
-
写真はRosengartenローズガーデン内:バラに因んだ、美しい食器やテーブルクロス
-
写真はRosengartenローズガーデン内
-
イチオシ
写真はRosengartenローズガーデン内
-
写真はRosengartenローズガーデン内
-
写真はRosengartenローズガーデン内
-
バラ園前の濠を越えた所は美しい競馬場(1821年最初の競馬が行われた)、この町はまた馬の飼育に熱心な所で州立馬飼育場まであると云う。
濠に沿った小道はプラタナスの大木の並木道、まだ黄葉も少ないが、落葉した葉が道をうずめている。
写真はプラタナスの大木の並木道 -
写真はプラタナスの大木の並木道
-
写真は州立馬飼育場
-
写真は美しい競馬場
-
旅行初めての給油は町中のAral Tankstelleアラル給油所で、41.64L @1.259・L =Euro52.42(6,043円) (13:15~15:15)
ホテル帰着は16:30、まだまだ夕食まで時間がある。
休憩後、部屋から室内プールのパビリオンを通り、ホテルのファザネリ(雉の飼育場)の名に因んだFassanファザン雉をモチーフに描いた絨毯の階段を下りて、レストランのオープン時間(予約時間でもある)に行った。
もう客が8割方、席に座っていたのにはちょっと驚いた。
一日、旅程を調整してきた甲斐がありそうである。
写真はFassanファザン雉の置物も飾られたグルメレストランTschifflikチフリック?にて
・・・・・
明日からザールラント州に向かいます。
(ここの料理は先に述べた)
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
-
前の旅行記
2010年ドイツの秋:⑤トリフェルス城を囲む光景は黄葉・紅葉の真っ盛りである。
2010/10/18~
ラインラント・プファルツ州
-
次の旅行記
2010年ドイツの秋:⑦7mのGollensteinゴレンシュタイン、巨人が巨石を投げたのか?
2010/10/18~
ザールラント州
-
2010年秋、ドイツワイン街道とラインラント・プファルツ州& ザールラント州の古城群を巡る
2010/10/18~
ラインラント・プファルツ州
-
2010年ドイツの秋:①この旅はAlzeyアルツァイから始まる。
2010/10/18~
ラインラント・プファルツ州
-
2010年ドイツの秋:②ドイツワイン街道を南に走り出す。
2010/10/18~
ラインラント・プファルツ州
-
2010年ドイツの秋:③プファルツのバルコニーと称される一帯は美しい秋だ。
2010/10/18~
ラインラント・プファルツ州
-
2010年ドイツの秋:④ハールト丘陵にプファルツのブドウ畑の海・秋の波が打ち寄せている
2010/10/18~
ラインラント・プファルツ州
-
2010年ドイツの秋:⑤トリフェルス城を囲む光景は黄葉・紅葉の真っ盛りである。
2010/10/18~
ラインラント・プファルツ州
-
2010年ドイツの秋:⑥靴製造のメッカ・ピルマゼンスから公爵家の町ツヴァイブリュッケンへ
2010/10/18~
ラインラント・プファルツ州
-
2010年ドイツの秋:⑦7mのGollensteinゴレンシュタイン、巨人が巨石を投げたのか?
2010/10/18~
ザールラント州
-
2010年ドイツの秋:⑧パトカーに途中まで先導してもらったザンクト・ヴェンデルにはザールラントで最も美しい教...
2010/10/18~
ザールラント州
-
2010年ドイツの秋:⑨ドイツの人々は10月を“黄金の10月”(Der goldene Oktober)と呼...
2010/10/18~
ザールラント州
-
2010年ドイツの秋:⑩ペアル・ネニッヒのローマのモザイク画とペアル・ボルクのローマ村(邸と博物館)
2010/10/18~
ザールラント州
-
2010年ドイツの秋:⑪ローマが造ったドイツ最古の都市トリアーはアルプス以北最大、“第二のローマ”と云われた...
2010/10/18~
ラインラント・プファルツ州
-
2010年ドイツの秋:⑫古代ローマ人が基礎を創ったドイツワイン、モーゼルワイン街道を走る。
2010/10/18~
ラインラント・プファルツ州
-
2010年ドイツの秋:⑬ドイツ宝石街道を走り、ナーエワイン街道を行く。
2010/10/18~
ラインラント・プファルツ州
-
2010年の秋:⑭ドイツ時間が夏時間から通常に戻る日、忘れて1時間早く起きた。
2010/10/18~
ラインラント・プファルツ州
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
-
ホテル シュロス エデスハイム
3.12
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2010年ドイツの秋:ドイツワイン街道とラインラント・プファルツ州& ザールラント州の古城群を巡る
0
40