ラインラント・プファルツ州旅行記(ブログ) 一覧に戻る
秋の旅はドイツの南西部・ラインラント・プファルツ州 &amp; ザールラント州を巡る旅である。<br />期間:2010年10月18日(月)~11月01日(月)15日間の旅<br /><br />先に主にワイン街道と古城ホテル、古城群を抜粋して掲載し、<br />次は毎日の食事を朝昼晩と、前後編で掲載しました。<br /><br />今回は訪れた町々の紹介です。<br />①この旅はAlzeyアルツァイから始まる。<br />②ドイツワイン街道を南に走り出す。<br />③プファルツのバルコニーと称される一帯は美しい秋だ。<br />④ハールト丘陵にプファルツのブドウ畑の海・秋の波が打ち寄せている。<br />⑤トリフェルス城を囲む光景は黄葉・紅葉の真っ盛りである。<br /><br />・・・・・<br /><br />写真はPirmasensピルマゼンスの旧市庁舎前で<br /><br />

2010年ドイツの秋:⑥靴製造のメッカ・ピルマゼンスから公爵家の町ツヴァイブリュッケンへ

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2010/10/18 - 2010/11/01

32位(同エリア257件中)

jijidaruma

jijidarumaさん

秋の旅はドイツの南西部・ラインラント・プファルツ州 & ザールラント州を巡る旅である。
期間:2010年10月18日(月)~11月01日(月)15日間の旅

先に主にワイン街道と古城ホテル、古城群を抜粋して掲載し、
次は毎日の食事を朝昼晩と、前後編で掲載しました。

今回は訪れた町々の紹介です。
①この旅はAlzeyアルツァイから始まる。
②ドイツワイン街道を南に走り出す。
③プファルツのバルコニーと称される一帯は美しい秋だ。
④ハールト丘陵にプファルツのブドウ畑の海・秋の波が打ち寄せている。
⑤トリフェルス城を囲む光景は黄葉・紅葉の真っ盛りである。

・・・・・

写真はPirmasensピルマゼンスの旧市庁舎前で

旅行の満足度
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
レンタカー
航空会社
ルフトハンザドイツ航空 ANA
旅行の手配内容
個別手配
  • 10月23日(土)90km 、霜と霧が出た朝は-2.5℃、快晴、9.5℃<br /><br />エデスハイム城を9時に出発。 ->L?・B10(Annweiler am Trifels) ->トンネルが多い。B10 Pirmasens 53km(市内観光)9:55~11:40 ->B10・A8 (途中の駐車場で昼食11:50~12:10)Zweibruecken 31km 、ホテル着12:20、(市内観光;バラ園など)13:15~15:15 <br />ホテル帰着16:30 (Romantik Hotel Landschloss  Fasanerie;夕食・泊)。<br /><br />写真は古城ホテル エデスハイム城で2度目の朝食

    10月23日(土)90km 、霜と霧が出た朝は-2.5℃、快晴、9.5℃

    エデスハイム城を9時に出発。 ->L?・B10(Annweiler am Trifels) ->トンネルが多い。B10 Pirmasens 53km(市内観光)9:55~11:40 ->B10・A8 (途中の駐車場で昼食11:50~12:10)Zweibruecken 31km 、ホテル着12:20、(市内観光;バラ園など)13:15~15:15 
    ホテル帰着16:30 (Romantik Hotel Landschloss Fasanerie;夕食・泊)。

    写真は古城ホテル エデスハイム城で2度目の朝食

    ホテル シュロス エデスハイム ホテル

  • *一番寒い朝だったでしょう。昨日よりは車の上には霜、車の窓は凍っていた。<br />霧が出ている中、エデスハイム城を9時に出発。これでドイツワイン街道ともお別れです。<br /><br />写真は・ラインラント・プファルツ州も地図:Pirmasensピルマゼンス、Zweibrueckenツヴァイブリュッケン

    *一番寒い朝だったでしょう。昨日よりは車の上には霜、車の窓は凍っていた。
    霧が出ている中、エデスハイム城を9時に出発。これでドイツワイン街道ともお別れです。

    写真は・ラインラント・プファルツ州も地図:Pirmasensピルマゼンス、Zweibrueckenツヴァイブリュッケン

  • 昨日の道B10に出ると霧も消え、道は明るくなった。<br />Annweiler am Trifelsを経由し、幾つかのトンネルをくぐって行くと、国道B10はPirmasensピルマゼンスに入った。<br />53kmの道を凡そ一時間かかったことになる。<br /><br />写真はWappen・Pirmasensピルマゼンスの紋章

    昨日の道B10に出ると霧も消え、道は明るくなった。
    Annweiler am Trifelsを経由し、幾つかのトンネルをくぐって行くと、国道B10はPirmasensピルマゼンスに入った。
    53kmの道を凡そ一時間かかったことになる。

    写真はWappen・Pirmasensピルマゼンスの紋章

  • <Pirmasensピルマゼンス><br /><br />山間の町は“靴の町” ・靴製造のメッカとして、知られている。<br />人口43,000人。<br /><br />その昔、デュッセルドルフで近所に住んでいた日本人学校の先生(群馬県から派遣)から、ドイツで知り合った若い方がピルマゼンスの靴の学校で修業し、マイスターの資格を得たと聞いていたこともあって、この町の名前と靴の町であるのを覚えていた。<br /><br />写真はSchlossplatz城広場前の噴水

    <Pirmasensピルマゼンス>

    山間の町は“靴の町” ・靴製造のメッカとして、知られている。
    人口43,000人。

    その昔、デュッセルドルフで近所に住んでいた日本人学校の先生(群馬県から派遣)から、ドイツで知り合った若い方がピルマゼンスの靴の学校で修業し、マイスターの資格を得たと聞いていたこともあって、この町の名前と靴の町であるのを覚えていた。

    写真はSchlossplatz城広場前の噴水

  • ピルマゼンス市内観光;<br /><br />町に入るとSchlosstrasseお城通りがあり、うまいことにPirminiuskircheピリミニウス教会(2つの左右対称の72mの塔を持つカトリック教会)前の駐車場に入ることができた。<br /><br />通りを渡った所で小母さんにAltes Rathaus旧市庁舎は何処かと聞くと、なんと“目の下のSchlossplatz城広場前にあるさ!”と言われてしまった。<br />Hessen-Darmstadtヘッセン‐ダルムシュタット家の Ludwigルートヴィッヒ4世方伯の宮殿がそこにあったが、方伯の死と共に壊されてしまったので、今は記念に広場の名に使っているのだそうだ。<br /><br />上から広場に向かって、大きな角を持った水牛?傍で噴水が噴き出し、冷たいきれいな水が流れ下る階段を下りていく。<br />広場から見上げると2つの高い塔・教会が背景になって、水の落ちてくる様子が上手にデザインされている。<br />紅葉した数本の木が花を添えた形だ。<br /><br />写真は高い塔・教会を背景にして水が勢いよく流れ落ちる

    イチオシ

    ピルマゼンス市内観光;

    町に入るとSchlosstrasseお城通りがあり、うまいことにPirminiuskircheピリミニウス教会(2つの左右対称の72mの塔を持つカトリック教会)前の駐車場に入ることができた。

    通りを渡った所で小母さんにAltes Rathaus旧市庁舎は何処かと聞くと、なんと“目の下のSchlossplatz城広場前にあるさ!”と言われてしまった。
    Hessen-Darmstadtヘッセン‐ダルムシュタット家の Ludwigルートヴィッヒ4世方伯の宮殿がそこにあったが、方伯の死と共に壊されてしまったので、今は記念に広場の名に使っているのだそうだ。

    上から広場に向かって、大きな角を持った水牛?傍で噴水が噴き出し、冷たいきれいな水が流れ下る階段を下りていく。
    広場から見上げると2つの高い塔・教会が背景になって、水の落ちてくる様子が上手にデザインされている。
    紅葉した数本の木が花を添えた形だ。

    写真は高い塔・教会を背景にして水が勢いよく流れ落ちる

  • 旧市役所前を左手のHauptstrasse中央通りはにぎやかな歩行者天国になっている。<br />この町にもピエロ姿の道化師が、道端でにこやかな愛想とポーズをしている。家内と一緒に写真を撮らせてもらった(チップをEuro2)。<br /><br />写真はSchlossplatz城広場前で:ピエロ姿の道化師

    旧市役所前を左手のHauptstrasse中央通りはにぎやかな歩行者天国になっている。
    この町にもピエロ姿の道化師が、道端でにこやかな愛想とポーズをしている。家内と一緒に写真を撮らせてもらった(チップをEuro2)。

    写真はSchlossplatz城広場前で:ピエロ姿の道化師

  • かつてこの町はプファルツの森にひっそりと生きていた村人200人の小さな村だったと云う。<br /><br />200年前頃から、兵士の奥さんたちが家族を養うために、ユニフォームの残り布で簡単な靴つまり、&quot;Schlabben&quot;スリッパと言われるものを作り、行商に出たと云う。<br /><br />それが単一製品文化である靴製造のメッカ・ピルマゼンスとなった初めである。<br />以来、靴製造にたずさわる人口は3万人の規模になっている。<br />町には靴職人になるための専門学校もあり、定期的に靴の見本市が開催される。<br /><br />中央通りで良い買い物をした。まだクリスマスシーズンには早いから出ていないかな!と思っていたStollenシュトレンをパン屋で見つけたのです。@750gと希望の1kgではなかったのですが、目に付いた所で買うのが一番と購入した。<br /><br />お土産はこんなもの:<br />紙ナプキン;5X2.99 =Euro14.95(Presentshop・Pirmasens)<br />Stollenシュトレン@750g 2(3.75+3.95)=Euro7.7(パン屋さん・Pirmasens)<br /><br />写真はちょっとのぞいたお店

    かつてこの町はプファルツの森にひっそりと生きていた村人200人の小さな村だったと云う。

    200年前頃から、兵士の奥さんたちが家族を養うために、ユニフォームの残り布で簡単な靴つまり、"Schlabben"スリッパと言われるものを作り、行商に出たと云う。

    それが単一製品文化である靴製造のメッカ・ピルマゼンスとなった初めである。
    以来、靴製造にたずさわる人口は3万人の規模になっている。
    町には靴職人になるための専門学校もあり、定期的に靴の見本市が開催される。

    中央通りで良い買い物をした。まだクリスマスシーズンには早いから出ていないかな!と思っていたStollenシュトレンをパン屋で見つけたのです。@750gと希望の1kgではなかったのですが、目に付いた所で買うのが一番と購入した。

    お土産はこんなもの:
    紙ナプキン;5X2.99 =Euro14.95(Presentshop・Pirmasens)
    Stollenシュトレン@750g 2(3.75+3.95)=Euro7.7(パン屋さん・Pirmasens)

    写真はちょっとのぞいたお店

  • 近くにSchusterbrunenn靴屋の泉があり、右手にトンカチ、左手に靴を持った銅像が泉の中央に立っている。<br /><br />銅像には銘が書かれており、“靴はここでは大きなことをしでかした。靴と靴屋を見下してはならない。”とある。<br /><br />写真はSchusterbrunenn靴屋の泉

    近くにSchusterbrunenn靴屋の泉があり、右手にトンカチ、左手に靴を持った銅像が泉の中央に立っている。

    銅像には銘が書かれており、“靴はここでは大きなことをしでかした。靴と靴屋を見下してはならない。”とある。

    写真はSchusterbrunenn靴屋の泉

  • 旧市庁舎;<br />1771年、市民たちの手で建てられた。<br />第二次大戦で完璧に破壊されたが、4年をかけて1963年に現在の様に再建された。<br />ここには4つの博物館がある。<br />其々が地下1階から、1階、2階、3階に分かれている。<br /><br />写真は旧市庁舎

    旧市庁舎;
    1771年、市民たちの手で建てられた。
    第二次大戦で完璧に破壊されたが、4年をかけて1963年に現在の様に再建された。
    ここには4つの博物館がある。
    其々が地下1階から、1階、2階、3階に分かれている。

    写真は旧市庁舎

  • Schuhmuseum靴博物館・・<br /><br />靴の手工業、時代とともに変遷してきた靴の展示は興味深い。<br />行商姿の人形、現代のデザインと言ってもおかしくない靴なども。<br /><br />写真は靴博物館の展示

    Schuhmuseum靴博物館・・

    靴の手工業、時代とともに変遷してきた靴の展示は興味深い。
    行商姿の人形、現代のデザインと言ってもおかしくない靴なども。

    写真は靴博物館の展示

  • 写真は靴博物館の展示・行商姿の人形

    写真は靴博物館の展示・行商姿の人形

  • 写真は靴博物館の展示

    写真は靴博物館の展示

  • 写真は靴博物館の展示

    写真は靴博物館の展示

  • 写真は靴博物館の展示・靴職人

    写真は靴博物館の展示・靴職人

  • Scherenschnittkabinett紙切り細工の間・・<br /><br />ピルマゼンス出身のElisabeth Emmlerエリザベート・エムラーの非凡な作品50点を展示している。<br />メルヘンをテーマにした切り絵は素晴らしいもの。<br /><br />写真はメルヘンをテーマにした切り絵

    Scherenschnittkabinett紙切り細工の間・・

    ピルマゼンス出身のElisabeth Emmlerエリザベート・エムラーの非凡な作品50点を展示している。
    メルヘンをテーマにした切り絵は素晴らしいもの。

    写真はメルヘンをテーマにした切り絵

  • 写真はメルヘンをテーマにした切り絵

    写真はメルヘンをテーマにした切り絵

  • Heimatmuseum郷土博物館・・<br />町の創立者となっているLudwigルートヴィッヒ4世方伯時代の展示。小さな森の中の村から、兵隊たちの町に変わって行った時代である。錫の兵隊人形、方伯夫妻の肖像画、兵隊の図、練兵の図、宮殿は1740~90年の頃の様子だ。<br /><br />Buerkelgalerie・・風俗画の創始者であるHeinrich Buerkelハインリヒ・ブリュケル(1802~1869年)の作品20点以上が展示されたギャラリー。<br /><br />写真は兵隊の図、練兵の図

    Heimatmuseum郷土博物館・・
    町の創立者となっているLudwigルートヴィッヒ4世方伯時代の展示。小さな森の中の村から、兵隊たちの町に変わって行った時代である。錫の兵隊人形、方伯夫妻の肖像画、兵隊の図、練兵の図、宮殿は1740~90年の頃の様子だ。

    Buerkelgalerie・・風俗画の創始者であるHeinrich Buerkelハインリヒ・ブリュケル(1802~1869年)の作品20点以上が展示されたギャラリー。

    写真は兵隊の図、練兵の図

  • 町の歴史;<br /><br />860年、文献にその名が記録される。<br />1740年まで、Hessen-Darmstadtヘッセン‐ダルムシュタット家の Ludwigルートヴィッヒ4世方伯の宮殿があった。<br />1763年都市権を獲得。<br />1793年、仏革命で仏領になり、その支配はナポレオン戦争後の1815年、ドイツ連邦成立まで続いた。<br /><br />チョコレート博物館もあるやに聞いていたが、気づかなかった。WAWI-Schokoladeという会社で、町から車で数分の場所に工場、博物館、即売所があるとか・・・。<br />(9:55~11:40)<br /><br />写真は宮殿は1740~90年の頃の様子

    町の歴史;

    860年、文献にその名が記録される。
    1740年まで、Hessen-Darmstadtヘッセン‐ダルムシュタット家の Ludwigルートヴィッヒ4世方伯の宮殿があった。
    1763年都市権を獲得。
    1793年、仏革命で仏領になり、その支配はナポレオン戦争後の1815年、ドイツ連邦成立まで続いた。

    チョコレート博物館もあるやに聞いていたが、気づかなかった。WAWI-Schokoladeという会社で、町から車で数分の場所に工場、博物館、即売所があるとか・・・。
    (9:55~11:40)

    写真は宮殿は1740~90年の頃の様子

  • 昼食;アウトバーンA8の駐車場で<br />8.5℃と戸外は寒いが、朝食で頂いた卵や果物や、ピルマゼンスのパン屋で買ったベルリーナなどと、日本からの携行品等で簡単に済ました。<br />というのも、今夕はミシュランの1星付きレストランの食事予定になっている。  (11:50~12:10)<br /><br />写真はWappen・Zweibrueckenツヴァイブリュッケンの紋章

    昼食;アウトバーンA8の駐車場で
    8.5℃と戸外は寒いが、朝食で頂いた卵や果物や、ピルマゼンスのパン屋で買ったベルリーナなどと、日本からの携行品等で簡単に済ました。
    というのも、今夕はミシュランの1星付きレストランの食事予定になっている。  (11:50~12:10)

    写真はWappen・Zweibrueckenツヴァイブリュッケンの紋章

  • Zweibrueckenツヴァイブリュッケンに31km 、アウトバーンから直ぐにホテルの看板を見つけて、12:20に到着した。<br /><br />写真は古城ホテル・Romantik Hotel Landschloss  Fasanerieロマンティック ホテル ランドシュロス ファザネリの入口

    Zweibrueckenツヴァイブリュッケンに31km 、アウトバーンから直ぐにホテルの看板を見つけて、12:20に到着した。

    写真は古城ホテル・Romantik Hotel Landschloss Fasanerieロマンティック ホテル ランドシュロス ファザネリの入口

  • 森の中の古城ホテル・Romantik Hotel Landschloss  Fasanerieロマンティック ホテル ランドシュロス ファザネリはイメージ通りで、レセプションのお嬢さんたちも大変フレンドリーである。<br />ホテル横手のGalerie‐Zimmer50号室はモダンなもので、バラ園のある森に対している。<br />客室係がウエルカムの意味もある、胡桃のケーキを持参してくれた。お腹に入れてから、ホテルの内外を散策し、室内プール、ホテル前のバロック様式の庭園・噴水、レストランLandhausランドハウス(郷土料理)、グルメレストランTschifflik、Salon Stanislausスタニスワフのサロン(朝食)、Orangerieオランジェリー(地中海料理)などを見て回った。オランジェリーは昼時とあって、お客さんもいっぱいだったのには驚いた。<br /><br />写真はホテル前のバロック様式の庭園・噴水前から、右に本館、左にランドハウスを見る

    イチオシ

    森の中の古城ホテル・Romantik Hotel Landschloss Fasanerieロマンティック ホテル ランドシュロス ファザネリはイメージ通りで、レセプションのお嬢さんたちも大変フレンドリーである。
    ホテル横手のGalerie‐Zimmer50号室はモダンなもので、バラ園のある森に対している。
    客室係がウエルカムの意味もある、胡桃のケーキを持参してくれた。お腹に入れてから、ホテルの内外を散策し、室内プール、ホテル前のバロック様式の庭園・噴水、レストランLandhausランドハウス(郷土料理)、グルメレストランTschifflik、Salon Stanislausスタニスワフのサロン(朝食)、Orangerieオランジェリー(地中海料理)などを見て回った。オランジェリーは昼時とあって、お客さんもいっぱいだったのには驚いた。

    写真はホテル前のバロック様式の庭園・噴水前から、右に本館、左にランドハウスを見る

  • 写真はプールですが、折角な施設も使う事はない。

    写真はプールですが、折角な施設も使う事はない。

  • 写真はバラ園のある森

    写真はバラ園のある森

  • 写真はホテル横手の別棟Galerie‐Zimmer50号室はモダンなもので、バラ園のある森に対している。<br />

    写真はホテル横手の別棟Galerie‐Zimmer50号室はモダンなもので、バラ園のある森に対している。

  • さて、時間も十分にあるので、市内の観光に車で出かけた。<br /><br /><Zweibrueckenツヴァイブリュッケン(二つの橋の意)><br />この地は古くからSchwarzbachシュバルツバッハの川岸にローマ人の居住地があった。<br />フランスから流れ出たHornbachホルンバッハ川(33km)が、ツヴァイブリュッケンの町中を流れてきたシュバルツバッハ(黒い小川は50kmを流れた後、Bliesブリース川に合流する)に町の西で合流する。 <br />1150年、ザールブリュッケン伯がシュバルツバッハ川の蛇行する地点、ホルンバッハ川との合流点にも近い場所に城砦を築き、“二つの橋”を架けた。<br />城と町は防御の要となり、急速に発展したと云われる。<br />その事が町の名前の起源になったと思われる。<br /><br />写真は市庁舎のある一帯の立派なバロック建築群

    さて、時間も十分にあるので、市内の観光に車で出かけた。

    <Zweibrueckenツヴァイブリュッケン(二つの橋の意)>
    この地は古くからSchwarzbachシュバルツバッハの川岸にローマ人の居住地があった。
    フランスから流れ出たHornbachホルンバッハ川(33km)が、ツヴァイブリュッケンの町中を流れてきたシュバルツバッハ(黒い小川は50kmを流れた後、Bliesブリース川に合流する)に町の西で合流する。 
    1150年、ザールブリュッケン伯がシュバルツバッハ川の蛇行する地点、ホルンバッハ川との合流点にも近い場所に城砦を築き、“二つの橋”を架けた。
    城と町は防御の要となり、急速に発展したと云われる。
    その事が町の名前の起源になったと思われる。

    写真は市庁舎のある一帯の立派なバロック建築群

  • 人口34,000人の町は第一にHerzogsstadt公爵家の町である。<br />1410年にプファルツ公Stephanシュテファンがこの地を得てから600年の記念年だそうだ。<br /><br />市内観光の中心は市庁舎のある一帯の立派なバロック建築群や、Herzogliches Schloss公爵の宮殿も1720年に建てられたバロック建築である。重々しい建物らしく、現在プファルツの上級裁判所になっている。<br /><br />とはいえ、第二次大戦末期の英米の空襲で、町の80%が焼失してしまったそうだ。町の再建は大変であったことだろう。<br /><br />写真は市庁舎のある一帯の立派なバロック建築群

    人口34,000人の町は第一にHerzogsstadt公爵家の町である。
    1410年にプファルツ公Stephanシュテファンがこの地を得てから600年の記念年だそうだ。

    市内観光の中心は市庁舎のある一帯の立派なバロック建築群や、Herzogliches Schloss公爵の宮殿も1720年に建てられたバロック建築である。重々しい建物らしく、現在プファルツの上級裁判所になっている。

    とはいえ、第二次大戦末期の英米の空襲で、町の80%が焼失してしまったそうだ。町の再建は大変であったことだろう。

    写真は市庁舎のある一帯の立派なバロック建築群

  • (Ottweilerオットヴァイラーから始まるザールプファルツのBarockstrasseバロック街道はZweibrueckenを通り、Blieskastelブリースカステル、州都であるSaarbrueckenザ-ルブリュッケン等の町をつないでいる道である)<br /><br />写真はHerzogliches Schloss公爵のバロック建築宮殿、現在はプファルツの上級裁判所

    (Ottweilerオットヴァイラーから始まるザールプファルツのBarockstrasseバロック街道はZweibrueckenを通り、Blieskastelブリースカステル、州都であるSaarbrueckenザ-ルブリュッケン等の町をつないでいる道である)

    写真はHerzogliches Schloss公爵のバロック建築宮殿、現在はプファルツの上級裁判所

  • もう一つはRosenstadtバラの町と呼ばれている。<br /><br />ここにはよく知られたRosengartenローズガーデンがあるので、お城広場から公園を通り、バラ園に行ってみた。<br /><br />もう入園者も少なく、残念ながら、バラも盛りを過ぎていた。小さな建物が展示場になっていたので覗いてみると、バラに因んだ、美しい食器やテーブルクロスなどを見ることができた。広い池に白鳥が泳ぎ、園内の花々や、また木々の紅葉をそれなりに楽しめた。<br /><br />(バラのシーズンを終え、明日の10月24日には閉園だ・入園料Euro8 14:20~14:55)<br /><br />写真はRosengartenローズガーデン内

    もう一つはRosenstadtバラの町と呼ばれている。

    ここにはよく知られたRosengartenローズガーデンがあるので、お城広場から公園を通り、バラ園に行ってみた。

    もう入園者も少なく、残念ながら、バラも盛りを過ぎていた。小さな建物が展示場になっていたので覗いてみると、バラに因んだ、美しい食器やテーブルクロスなどを見ることができた。広い池に白鳥が泳ぎ、園内の花々や、また木々の紅葉をそれなりに楽しめた。

    (バラのシーズンを終え、明日の10月24日には閉園だ・入園料Euro8 14:20~14:55)

    写真はRosengartenローズガーデン内

  • 写真はRosengartenローズガーデン内:バラに因んだ、美しい食器やテーブルクロス

    イチオシ

    写真はRosengartenローズガーデン内:バラに因んだ、美しい食器やテーブルクロス

  • 写真はRosengartenローズガーデン内:バラに因んだ、美しい食器やテーブルクロス

    写真はRosengartenローズガーデン内:バラに因んだ、美しい食器やテーブルクロス

  • 写真はRosengartenローズガーデン内:バラに因んだ、美しい食器やテーブルクロス

    写真はRosengartenローズガーデン内:バラに因んだ、美しい食器やテーブルクロス

  • 写真はRosengartenローズガーデン内

    写真はRosengartenローズガーデン内

  • 写真はRosengartenローズガーデン内

    イチオシ

    写真はRosengartenローズガーデン内

  • 写真はRosengartenローズガーデン内

    写真はRosengartenローズガーデン内

  • 写真はRosengartenローズガーデン内

    写真はRosengartenローズガーデン内

  • バラ園前の濠を越えた所は美しい競馬場(1821年最初の競馬が行われた)、この町はまた馬の飼育に熱心な所で州立馬飼育場まであると云う。<br /><br />濠に沿った小道はプラタナスの大木の並木道、まだ黄葉も少ないが、落葉した葉が道をうずめている。<br /><br />写真はプラタナスの大木の並木道

    バラ園前の濠を越えた所は美しい競馬場(1821年最初の競馬が行われた)、この町はまた馬の飼育に熱心な所で州立馬飼育場まであると云う。

    濠に沿った小道はプラタナスの大木の並木道、まだ黄葉も少ないが、落葉した葉が道をうずめている。

    写真はプラタナスの大木の並木道

  • 写真はプラタナスの大木の並木道

    写真はプラタナスの大木の並木道

  • 写真は州立馬飼育場

    写真は州立馬飼育場

  • 写真は美しい競馬場

    写真は美しい競馬場

  • 旅行初めての給油は町中のAral Tankstelleアラル給油所で、41.64L @1.259・L =Euro52.42(6,043円)  (13:15~15:15) <br /><br />ホテル帰着は16:30、まだまだ夕食まで時間がある。<br /><br />休憩後、部屋から室内プールのパビリオンを通り、ホテルのファザネリ(雉の飼育場)の名に因んだFassanファザン雉をモチーフに描いた絨毯の階段を下りて、レストランのオープン時間(予約時間でもある)に行った。<br /><br />もう客が8割方、席に座っていたのにはちょっと驚いた。<br />一日、旅程を調整してきた甲斐がありそうである。<br /><br />写真はFassanファザン雉の置物も飾られたグルメレストランTschifflikチフリック?にて<br /><br />・・・・・<br /><br />明日からザールラント州に向かいます。<br />(ここの料理は先に述べた)

    旅行初めての給油は町中のAral Tankstelleアラル給油所で、41.64L @1.259・L =Euro52.42(6,043円)  (13:15~15:15) 

    ホテル帰着は16:30、まだまだ夕食まで時間がある。

    休憩後、部屋から室内プールのパビリオンを通り、ホテルのファザネリ(雉の飼育場)の名に因んだFassanファザン雉をモチーフに描いた絨毯の階段を下りて、レストランのオープン時間(予約時間でもある)に行った。

    もう客が8割方、席に座っていたのにはちょっと驚いた。
    一日、旅程を調整してきた甲斐がありそうである。

    写真はFassanファザン雉の置物も飾られたグルメレストランTschifflikチフリック?にて

    ・・・・・

    明日からザールラント州に向かいます。
    (ここの料理は先に述べた)

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