2010/10/18 - 2010/11/01
4位(同エリア21件中)
jijidarumaさん
- jijidarumaさんTOP
- 旅行記574冊
- クチコミ659件
- Q&A回答107件
- 1,007,105アクセス
- フォロワー107人
秋の旅はドイツの南西部・ラインラント・プファルツ州 & ザールラント州を巡る旅である。
期間:2010年10月18日(月)~11月01日(月)15日間の旅
先に主にワイン街道と古城ホテル、古城群を抜粋して掲載し、
次は毎日の食事を朝昼晩と、前後編で掲載しました。
今回は訪れた町々の紹介です。
①この旅はAlzeyアルツァイから始まる。
②ドイツワイン街道を南に走り出す。
③プファルツのバルコニーと称される一帯は美しい秋だ。
④ハールト丘陵にプファルツのブドウ畑の海・秋の波が打ち寄せている。
⑤トリフェルス城を囲む光景は黄葉・紅葉の真っ盛りである。
⑥靴製造のメッカ・ピルマゼンスから公爵家の町ツヴァイブリュッケンへ
⑦7mのGollensteinゴレンシュタイン、巨人が巨石を投げたのか?
⑧パトカーに途中まで先導してもらったザンクト・ヴェンデルにはザールラントで最も美しい教会がある。
⑨ドイツの人々は10月を“黄金の10月”(Der goldene Oktober)と呼ぶ。ザール川沿いの道は文字通りの秋だ。
・・・・・
写真はPerl-Nennig/Moselペアル・ネニッヒのローマのモザイク画
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
10月27日(水)80km 、比較的暖か、朝小雨のち曇り、時々晴れ、8.5℃
起床7:00、朝食8:00~8:30、ホテル ビラ ケラーを9:15に出発。 ->B407 Perl-Borg 17km 9:40(ローマ邸と博物館は11時開園なので、ルート変更)->L?・B419 Schloss Thorn 3km(ワイン醸造所)->B419 Perl-Nennig/Mosel(ローマのモザイク)19km 10:10~10:45 ->B419(Perl)5km ->B153(仏)Sierck 5km(大要塞観光)11:00~12:00 ->B153・406 Perl-Borg 14km (ローマ邸と博物館観光・昼食)12:20~14:15 ->B419 Perl-Nennig/Mosel 17km
ホテル着14:40 (Victor's Residenz-Hotel Schloss Berg;夕食・泊)。
写真はHotel Villa Keller ホテル ビラ ケラーの朝食の間 -
*朝食(8:00~8:30)はホテルの1階にあるレストランで頂く。昨夜の気軽なレストランとは又感じが違ったもので、白い暖炉のあるレストランは良い感じです。銀器風ポットからコーヒーを注ぐと、香りが立ち、気分も上々である。
写真はHotel Villa Keller ホテル ビラ ケラーの朝食 -
食事の後はレストラン前のテラスに出てみた。テラスは小雨で濡れていたが、ザール川の向こう岸に灰色をした屋根の家々が並び、その上には黄葉した森に囲まれたザールブルク城址が見えた。違った季節に又この光景を見たいものだと思った。
写真はホテル ビラ ケラーのテラスから見るザール川とザールブルクの町 -
イチオシ
写真はホテル ビラ ケラーから見るザールブルク城址
-
写真はホテル ビラ ケラーの部屋から見る広い駐車場・・・昨夜は3組のお客だった様子
-
ホテル ビラ ケラーを9:15に出発し、B407でPerl-Borgペアル・ボルクは17kmの距離だ。
9:40に村内の道を案内版に従って、村はずれの草原に行ってみると、目指したRoemische Villa Borgローマ村(邸と博物館)は11時開園だった。
写真はザールラント州の地図・・・今日の走行は左上隅のあたり -
仕方なく順序ルート変更をして、3km先の L?・B419沿いのワイン醸造所 Schloss Thornソーン城に行った。
事前に見たHPのイメージとは大きく差があり、取り立てての印象もなく、ここも車でぐるっとしただけで、早々に退散した。
(Schloss Thornソーン城:ワイン醸造所。 http://www.schloss-thorn.de/site/ )
写真はSchloss-thornソーン城 -
ならばと反転し、同じ道沿いを19kmほど行く。
今夕の古城ホテル傍にPerl-Nennig/Moselペアル・ネニッヒ村にはローマ時代のモザイク画が残っていると云うので、こちらを先に観光することにした。
博物館前に駐車場があり、そこに車を停めて、開いていた鉄格子の門を入った。
写真はPerl-Nennig/Moselペアル・ネニッヒのローマのモザイク画博物館の入口 -
<Perl-Nennig/Moselペアル・ネニッヒのローマのモザイク画>
ザールラント州はとりわけローマ人の生活跡が多い。ここもその一つである。細い道の前方に建物があり、そこが博物館らしい。誰もいないのでローマのヴィラ(ローマ人の屋敷跡)を見て回った。
先日、Homburgホンブルクのシュヴァルツェンアッカー遺跡で見たような石柱跡が並び、石棺が無造作に置かれている。
その内、中年の小母さんが出てきた。何処かで見ていたのだろう。聞いてみると管理人だそうで、博物館の鍵を開けてくれた。もちろん、ここで入館料Euro3を支払った。おもむろに本を読みだした小母さん、考えてみたら、門脇の住居に住んでいるようだ。
150年前にこの遺跡を守る建物が造られたとあり、ドイツでも最も古い部類になる。
写真はペアル・ネニッヒのローマのモザイク画博物館 -
Roemische Villaローマのモザイク床(160㎡)は7シーンが残っていた。
紀元3世紀の初めのものであり、アルプスの北でオリジナルが見られるのは希少だと云う。
よく残っていたものだと、小母さんに言うと、本から目を離した彼女曰く、「原画の10%は欠けてしまったのだよ」とのことだ。
写真はペアル・ネニッヒのローマのモザイク画博物館 -
イチオシ
イタリアなどの遺跡で良く見られる、剣闘士の闘い、熊との戦い、虎がロバを襲うなどのモザイク画が眼下の床に見てとれた。 (10:10~10:45)
http://www.youtube.com/watch?v=SUqJkPwgmbo
写真はペアル・ネニッヒのローマのモザイク画博物館 -
イチオシ
写真はペアル・ネニッヒのローマのモザイク画の拡大
-
写真はペアル・ネニッヒのローマのモザイク画博物館の苑内
-
写真はペアル・ネニッヒのローマのモザイク画博物館の苑内
*この辺りのモーゼル川流域はSchengener Dreieckシェンゲンの三角地帯と言い、独・仏・ルクセンブルク三国の国境がある。
Perlペアルの町の川向こうはSchengenシェンゲンという人口1,500人の小さいワイン村で、ヨーロッパの国々のせめぎ合う国境の小さな村がヨーロッパの象徴的なものになった。
この村の名前を有名にしているのは【ヨーロッパの国家間において国境検査なしで国境を越えることを許可する協定】をここで結ばれたことによる。
(シェンゲン協定) -
今日はこのシェンゲンに向かうわけではなく、古城好きの私のお目当ては10km先にあるフランスの大要塞見学である。
独仏国境を越えて5km行くと、Sierckシェルクの町に入る。
写真はSierckシェルクの町1741年 -
<Sierckシェルク(仏)のSierckfestungジールック大要塞>
Perlペアルの町からモーゼル川上流の仏側に至ると、この大要塞が見えてくる。かつてのロレーヌ公爵家の城である。晴れ間も出てきたので嬉しい。
写真は(仏)のSierckfestungジールック大要塞を登る -
Chaeteau des Ducs de Lorraineロレーヌ公爵領は843年にフランク王国が東(ドイツ)と西(仏)、ロータリンゲン(後のイタリアとロートリンゲン地方)と、三分割した際に"Reich des Lothar"ロータリンゲン王国として成立した事が始まりである。
1766年まで神聖ローマ帝国の一部をなしていた。現在の仏北東部・ロートリンゲン(ロレーヌ)地方になる。
ちょうどモーゼル川が城の左手上流で大きく蛇行する地点にあり、モーゼルを見下ろす岩上にロレーヌの公爵の要塞が長々とした城壁を見せて立っている。
ここから数キロ上流で仏・ルクセンブルクの国境沿いを流れてくるAltbachアルトバッハ川が合流している。
写真は(仏)のSierckfestungジールック大要塞:正面 -
城の歴史;
1036年、Sierckシェルク家により、かつてのローマ軍団の砦跡に戦略的な意味もあって、つまり、モーゼル川からライン川に至る通り道の抑えとして築城された。
1067年には城と町はロレーヌ公爵家の支配下に置かれ、お気に入りの城館となった。
11世紀の城は度々の戦乱で破壊されたが、再建を繰り返し、1475年にはKarl der Kuehneシャルル・ブルゴーニュ公の兵により攻撃され、シャルル公がナンシーの戦いで戦死するまでの2年の間、占領された。
(シャルル公は俗に勇猛ぶりと野心家であったことから突進公、勇胆公と呼ばれた。Herzogtum von Burgundブルゴーニュ公国は、フランスの東部からドイツ西部にかけて支配地を持った。ルイ11世の王政に対抗したフランス第一の強国。)
写真は(仏)のSierckfestungジールック大要塞:シャルル公(突進公) -
1643年、大コンデ・アンギャン公(Herzog von Enghien;この年、モーゼル地方を攻略し、ドイツ軍をライン川の対岸まで、押し返している)により城は攻囲された。
この時にロレーヌ公爵家のお気に入りの城館は罹災し、現在のような壁だけが残った。
1661年、ロレーヌ公爵は時の太陽王ルイ14世に、城と町や支配地の30ヶ村を引き渡すことになった。
1713年、ユトレヒト平和条約により、要塞は取り壊された。
1866年、フランスの町であったシェルクが城址を購入した。
写真は(仏)のSierckfestungジールック大要塞:銃眼からのぞくと、眼下に魔女の塔も見える。 -
さて、城門下の駐車場に車を置き、坂道を登る。
城の歴史を紐解くと、世に知られた人物が出てきて、興味深いものだが、ここでも私共二人だけの見学で、窓口も暇そうにしている。
写真は(仏)のSierckfestungジールック大要塞:モーゼル川のゆったりした流れ、対岸の黄葉の光景 -
窓口でもらった案内に沿って、フランス国旗・ロレーヌ公爵家の旗の上がる城址を巡る。
城壁、砲郭、堅牢な塔、トンネル、稜堡などはまだ良好の様子を残している。銃眼からのぞくと、眼下に魔女の塔も見える。
本丸から見るモーゼル川のゆったりした流れ、対岸の黄葉の光景、今は自然に戻ったような城址を歩き、かつての攻城戦を思い浮かべた。
写真は(仏)のSierckfestungジールック大要塞から街を見る -
写真は(仏)のSierckfestungジールック大要塞
-
写真は(仏)のSierckfestungジールック大要塞
-
今は小さな博物館で中世の常設展示を行い、又、城址が持つ中世の雰囲気を楽しめる様々なイベント(例えば中世祭り)が催されているようだ。
(11:00~12:00 、入場料Euro9.8)
写真は(仏)のSierckfestungジールック大要塞:中世の常設展示 -
写真は(仏)のSierckfestungジールック大要塞:中世祭りの様子
-
1時間ちょっとのフランス滞在で、ドイツに戻る。
二つの国を見ると、どうしてもフランスの家並みや道路が貧弱、かつ汚いなーといった印象が残る。
写真はレーミッシュ ヴィラ ボルク、シェンゲン、ジールック大要塞の地図 -
B153・406を経由し、 Perl-Borgには14kmを走って12時20分に、Archaeologiepark考古学パークと称されるローマ村に着いた。
広い駐車場には朝と違って、観光バスも停まり、そこそこの人たちが見学に訪れていた。
写真はVilla Borgヴィラ ボルク:考古学パークと称されるローマ村 -
<Roemische Villa Borgレーミッシュ ヴィラ ボルク>
100年以上前、教師であったシュナイダー氏により、Borgとその近辺でローマ人の居住跡が発掘された。
1987年以来、地域共同体による発掘が進められ、この地においてザール・モーゼル地域で元も大きなローマ人邸宅跡が見つかった。
現在までの発掘面積は7.5ha。
写真はVilla Borg ヴィラ ボルク:ローマ時代まつり -
ここに紀元2~3世紀の古代ローマの邸宅を模したものが造られている。
日本的には“日光江戸村”のようなものと言えばよいのだろう。
村は塀で周囲を囲まれ、門内に入ると直ぐ窓口があり、チケットと共にお土産品を売るコーナーがある。
最初に目に入るのは左右の二つの池、コイなどが群れている。池を渡る木橋の先に、何故かローマ風庭園ではなく、美しいBarockgartenバロック庭園がある。
2000年6月にEU-Project“国境のない庭園“を通して、邸宅の周辺を美しい庭園で囲んだ。それは内庭園、ハープ庭園、バラ庭園、果実の庭園、野菜の庭園、花の庭園の6つである。
写真はVilla Borg ヴィラ ボルク:古代ローマの邸宅をバックに -
正面に二階家の本棟(博物館)が立ち、左に居住・管理棟があり、会議場に使用されているらしい。右にローマ浴場、パン工房、ローマ人の台所、Taverna食堂、展示・催し会場などの建物が並んでいる。皆新しい建物のようだ。
博物館には発掘品の展示があったが、思っていたよりは発掘品が少ないと思われた。
写真はVilla Borg ヴィラ ボルク:発掘品の展示 -
ローマ風メインサロン、ローマ人の寝室が見られ、別棟にはパン工房、ローマ浴場、野菜やハープ類などの作業場があった。
写真はVilla Borg ヴィラ ボルク:展示・催し会場などの建物 -
ローマ風の衣類を身に付けた女性がローマ村に相応しいローマ風料理メニューを持ってきました。部屋の中はとても暖かで、昼食時間には少しずれてしまった所為か、お客は私共だけなのはもったいないぐらいだ。
ローマ風の素焼きの容器に生ビールを入れて持ってきたのに、ちょっと驚く。しかも実に美味いものです。
写真はVilla Borg ヴィラ ボルク:Die Tavernaタベルナにて
Saarfuerst Pils(生ビール)0.3L 2X2=Euro4 -
当時のローマ人達が食べたであろう、ソーセージと豆、パンの料理はなかなかイケました。
私は細かく切ったソーセージにサラダと太いソラマメ。Euro9.5
家内は栗入りの扁豆(ヘントウ)料理とソーセージ、小麦パン。Euro7.5
写真はVilla Borg ヴィラ ボルク:Die Tavernaタベルナのローマ風料理メニュー -
写真はVilla Borg ヴィラ ボルク:ローマ人の寝室
-
写真はVilla Borg ヴィラ ボルク:ローマ人の工房
-
写真はVilla Borg ヴィラ ボルク:ローマ人の台所、パン工房
-
特に目を引いたのはローマ浴場やサロンの美しい色彩で描かれた壁面、入浴後の休憩サロンにはマッサージ用、あるいは寝ながら談論する為に使うのであろう寝台が置かれていた。
写真はVilla Borg ヴィラ ボルク:ローマ浴場 -
写真はVilla Borg ヴィラ ボルク:ローマ浴場
-
この日は特に催しは無かったが、古きローマ時代のローマ軍団、剣闘士の戦い、ローマ人の手工業品、ローマ人商人が観光客を魅了する“ローマの日”が開かれるようだ。
(12:20~14:15 入場料Euro8)
http://www.villa-borg.de/default.asp
写真はVilla Borg ヴィラ ボルク:ローマ風メインサロン -
写真はVilla Borg ヴィラ ボルク:ローマ人の寝台、娯楽室、集会場
-
今夜の宿泊先はPerl-Nennig/Moselペアル・ネニッヒ村にある古城ホテル・Victor's Residenz-Hotel Schloss Bergビクター レジデンツ ホテル シュロスベルクである。
ローマのモザイク画を見に行った道を走り、古城ホテルには14:40と早い到着になった。
このホテルのグルメレストランで食べる為、わざわざ行程を変え、日程を1日ずらして、今日にした。ホテルの裏手に広い駐車場があり、様々な国(ルクセンブルク、オランダ、フランス、ドイツ)の高級車が停まっていた。
驚いたことにヘリコプターの離着地が設けられていた。この早い到着で、食事までに時間もあり、ゆっくりできそうだ。
写真はビクター レジデンツ ホテル シュロスベルクの案内図 -
(1泊)⑩ Victor's Residenz-Hotel Schloss Berg ・ 古城ホテル
:ビクター レジデンツ ホテル シュロスベルク ;5星、113室。
807号室(地上2階) 、Euro198
ホテルチェーン:Victor's Residenz Hotels
D-66706 Perl-Nennig/Mosel 、Schlossstrsse 27-29
写真はビクター レジデンツ ホテル シュロスベルクの全景ビクターズ レジデンツ ホテル シュロス ベルグ ホテル
-
レセプションに行って手続きをする。荷物もポーターに指示してテキパキと部屋に運ぶ。「ロビーでウエルカムドリンクは如何ですか?」とお嬢さんが聞く。「はい、それは嬉しいですね。喜んでいただきます。」と答える。さすがだな!と思う、応対である。
写真はビクター レジデンツ ホテル シュロスベルクのロビー -
いささか汚れた旅行姿や底が剥がれそうな運動靴が目に入るかなと、気にしつつ、ロビーの席に座った。
写真はビクター レジデンツ ホテル シュロスベルクのロビーでウエルカムドリンクを頂く。 -
そこから見るメインホールや窓の外に広がる空間は誠に美しい。
Lobby Barロビーバーでは、軽食や飲み物のサービスがあるようだ。
写真はビクター レジデンツ ホテル シュロスベルクの正面の景色 -
歓迎のオレンジカクテルを頂いてから、リフトに乗って、最上階の部屋に入った。
このシックな部屋には残念ながら、バルコニーやテラスがない。
下を見るとバルコニー・テラス付きはこの階から下の層(つまり下の方が高い部屋らしい)になるようだ。
チョコレートが脇机の上に、ホテルからの歓迎メッセージがベッドの上に置かれ、浴室用の浴衣もダブルに置いてある。そのうえに室内スリッパ、ガス抜きのお水、プール専用の浴衣が別に用意され、ホテルのサービスは万全だ。
写真はビクター レジデンツ ホテル シュロスベルクのホテル棟 -
イチオシ
写真はビクター レジデンツ ホテル シュロスベルク:古城ホテルとグルメレストランがある
-
写真はビクター レジデンツ ホテル シュロスベルクのグルメレストランの表示
-
イチオシ
夕食;グルメレストランVictor's Gourmet-Restaurant Schloss Berg
ビクター レジデンツ ホテル シュロスベルクにて
19:00~23:00 Euro394.3(45,259円)
ミシュラン3星、GaultMillau 19。全独ランク7位
(2018年はとうとう1位になっている)
席数34、従業員22名、ワイン760種。
シェフ:Christian Bauクリスチャン バウ
尚、この夜の夕食については先に掲載した。
写真はレストラン シュロスベルクにて -
写真はSchloss Bergシュロスベルク:Christian_Yildiz_Bauシェフ クリスチャン バウとシェフ夫人
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
-
前の旅行記
2010年ドイツの秋:⑨ドイツの人々は10月を“黄金の10月”(Der goldene Oktober)と呼...
2010/10/18~
ザールラント州
-
次の旅行記
2010年ドイツの秋:⑪ローマが造ったドイツ最古の都市トリアーはアルプス以北最大、“第二のローマ”と云われた...
2010/10/18~
ラインラント・プファルツ州
-
2010年秋、ドイツワイン街道とラインラント・プファルツ州& ザールラント州の古城群を巡る
2010/10/18~
ラインラント・プファルツ州
-
2010年ドイツの秋:①この旅はAlzeyアルツァイから始まる。
2010/10/18~
ラインラント・プファルツ州
-
2010年ドイツの秋:②ドイツワイン街道を南に走り出す。
2010/10/18~
ラインラント・プファルツ州
-
2010年ドイツの秋:③プファルツのバルコニーと称される一帯は美しい秋だ。
2010/10/18~
ラインラント・プファルツ州
-
2010年ドイツの秋:④ハールト丘陵にプファルツのブドウ畑の海・秋の波が打ち寄せている
2010/10/18~
ラインラント・プファルツ州
-
2010年ドイツの秋:⑤トリフェルス城を囲む光景は黄葉・紅葉の真っ盛りである。
2010/10/18~
ラインラント・プファルツ州
-
2010年ドイツの秋:⑥靴製造のメッカ・ピルマゼンスから公爵家の町ツヴァイブリュッケンへ
2010/10/18~
ラインラント・プファルツ州
-
2010年ドイツの秋:⑦7mのGollensteinゴレンシュタイン、巨人が巨石を投げたのか?
2010/10/18~
ザールラント州
-
2010年ドイツの秋:⑧パトカーに途中まで先導してもらったザンクト・ヴェンデルにはザールラントで最も美しい教...
2010/10/18~
ザールラント州
-
2010年ドイツの秋:⑨ドイツの人々は10月を“黄金の10月”(Der goldene Oktober)と呼...
2010/10/18~
ザールラント州
-
2010年ドイツの秋:⑩ペアル・ネニッヒのローマのモザイク画とペアル・ボルクのローマ村(邸と博物館)
2010/10/18~
ザールラント州
-
2010年ドイツの秋:⑪ローマが造ったドイツ最古の都市トリアーはアルプス以北最大、“第二のローマ”と云われた...
2010/10/18~
ラインラント・プファルツ州
-
2010年ドイツの秋:⑫古代ローマ人が基礎を創ったドイツワイン、モーゼルワイン街道を走る。
2010/10/18~
ラインラント・プファルツ州
-
2010年ドイツの秋:⑬ドイツ宝石街道を走り、ナーエワイン街道を行く。
2010/10/18~
ラインラント・プファルツ州
-
2010年の秋:⑭ドイツ時間が夏時間から通常に戻る日、忘れて1時間早く起きた。
2010/10/18~
ラインラント・プファルツ州
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2010年ドイツの秋:ドイツワイン街道とラインラント・プファルツ州& ザールラント州の古城群を巡る
0
50