2016/08/21 - 2016/08/21
73位(同エリア620件中)
ウェンディさん
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ヒトは、忘却というシステムを供えている生き物だ。
【記憶】という脳のメモリーに【忘れる】という能力あるからこそが、ヒトは記憶を上書きしながら、人生を全うする。
【忘却】は生きて行く為には必要な働きだ。
でも、時として、忘れてはいけないコト、覚えておかなければならないコト、忘れられないコトもある。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 自家用車
-
8月。
夏は嫌いではないのだが、ここ何年か8月がやってくると何かが起こる。
昨年の8月は、母の交通事故。
そして、今年の8月は父の手術。
親がそういう年齢に差し掛かっただけだと云われてしまえば、その通りだとは思う。
そんな訳で、今年の夏もお見舞いを兼ねて実家のある新潟へと帰省することとなった。
幸い父の手術は緊急性を要するものではなく、本人はいたってのんびりと構えており、逆に1年ぶりとなる娘の帰省を喜んでくれた。
そして、父の調子も悪くはないので、ちょっとだけドライブに行こうか…なんていう話になり、私のリクエストで山古志(やまこし)にある棚田を見に行くことに。
山古志で有名なものと言えば、棚田の風景と錦鯉。
山古志の錦鯉は世界中のバイヤーがやってくるほどのクオリティだという事だ。
(写真:小千谷駅前の錦鯉形の地下道入口) -
父が運転する車は田舎道を走り、長岡市山古志へ。
でも、最初に向かったのは私がリクエストした有名な山古志の棚田ではなく、山古志の木篭(こごも)集落だ。
現在は長岡市に属する山古志地区だがその昔は山古志村と呼ばれ、小さな畑が山間に点々と散らばる昔ながらの農村地帯で、日本の農村の原風景が残る地域としても名高いところだった。
しかし現在の山古志の木篭集落では、かつての昔ながらの景色はもう誰も見ることは出来ない。
その理由は平成16年10月に新潟県中越地方を襲ったM6.8(震度6強)の地震。
地震により集落と集落を結ぶ道が崩れ、木篭集落は陸の孤島となった。
12年前の震災の光景。
それが、此処、木篭集落ではそのままの形で保存されている。
(写真:土砂崩れによる水害で埋もれてしまった家屋) -
12年前に新潟県中越地方を襲った大地震。
土砂崩れ、道路寸断、家屋崩壊…。
ヒトも家も一瞬で空中に飛び、次の瞬間には引力に従い床にたたきつけられ、落ちた躰の上に次々と家財が降り注ぎ、直下型の地震は村に壊滅的なダメージを与えた。
そして、地震から数時間後。
木篭集落では、更に恐ろしいことが起こり始めていた。
木篭集落があったのは山と山の間の谷間。
村の家々の間には小さな河川である芋川が流れていた。
地震で起きた土砂崩れはその芋川の下流を堰き止め、芋川の水位がどんどんと高くなってきたのだ。
ついに芋川をせき止めた土砂は土砂ダムとなり河道閉塞を起こし、ダムとなった川は谷の底にある家々をのみこみ始めた。
(展示写真:当時の芋川の状況) -
村人たちは地震直後に山の高いところへと避難をした為、人的被害は最低限に抑えられたが、時の経過と共に堰き止められた芋川の水位はどんどん上がり、無事であった山の上迄危険な状況に…。
(展示写真:当時の芋川の状況) -
このままの水位の上昇が続くと、水没を免れた家々も危険な状態になってしまう。
そして、時は10月。
もうすぐ雪の舞う冬がやってくる。
冬を迎えれば、豪雪地帯である山古志は雪で白く覆われる。
春を迎え、その雪が溶けはじめた時、芋川の水位はどうなってしまうのだろうか。
更なる二次災害、三次災害を引き起こすことは明白だった。
芋川の水位対策として、新潟県が決断した苦渋の選択。
それは、水のバイパス水路の造成。
(展示写真:橋の再建後の山古志を撮影した方の写真パネル:撮影者のお名前は伏せました) -
川にバイパス水路を作り、水の逃げ道を作ることは技術的にはそんなに難しい事ではない。
しかし、この時の木篭集落の地形では、バイパスを作ることのできる地形は1か所だけしかなかった。
その場所は、木篭集落の(旧)東竹沢小学校の校舎のある土地。
小学校の校舎の壁が破られ、学校の腹を通す形でバイパス水路が作られ、芋川の水は逃げ道を通り下流へと排水され、集落全滅という最悪の事態は避けられた。
(展示写真:当時の雑誌コピー) -
当時の水没地域が、川沿いの水色に塗られた家々。
家だけではなく、牛の繋がれていた牛舎も濁流に飲みこまれている。
(写真:山古志木籠ふるさと会ホームページ↓より)
http://yamakoshikogomo.com/intro -
地震から3年後。
木籠集落の避難指示が解除され、村人たちは自分たちの村へと帰ることが出来た。
しかし、そこで目にした光景は、変わり果てた村の姿。
映像では何度も見ていて分かっているはずなのに、実際に目の前に広がる景色に彼らは言葉が無かった。
でも、そこで諦めないのが木籠のヒトたち。
24世帯中14世帯が帰村し、再び村で暮らし始めた。
そして、自分たちの経験した地震の恐ろしさ、人と人との支えあい、災害への備え等の震災で学んだ事を後世に伝えていくために、水の引いた部分に残る家屋を震災遺構として残すことにした。
それが、この橋の下にある家々だ。 -
この震災遺構の二棟の家があるエリアは、芋川沿いの地区の中でも比較的高台部分であり、一時は屋根の上まで水があったが、バイパス水路をつくることにより川の水位が低くなり、1階部分が土砂に埋まった当時の姿のまま保存されている。
-
かつては家と家を結ぶ道や畑があったと思われる場所も、現在では草が生え、当時の面影をしのぶモノは何も残ってはいない。
-
木籠集落において震災遺構として残されている住宅は川下橋の両側に見えるこの二棟の家だけで、まだ大半の家々が水嵩を増した芋川が作った自然ダムの底に沈んでいる。
車で走っていると道路脇に湖の様に見える水面があり、よく見ると水面からは立ち枯れた木々がまるで骸骨のように突き出していた。
あの水の下には、当時の家が沈んでいる。
村の人たちが逃げ出した時のまま、12年前の時計の針が止まった状態で、沈んでいるのだ。 -
目の前に広がる自然ダムの上を渡る橋。
この橋の姿と、パネル展示してあった震災時に泥水と土砂で覆い尽くされた橋の写真が頭の中でシンクロする。
地形が似ているので、展示してあった震災時の写真は、多分この橋の建て替え前の光景だと思われる。
何気ない日常をひっくり返す地震。
橋の上を走っていて、ハンドルにいつもとは違う揺れを感じたその瞬間に車の脇の土砂が崩れ道を覆いつくし、川の水位があっという間に高くなり目の前に濁流が迫りくる。
現実とは思えない光景が、一瞬だけ目の前に広がる。
その光景は瞬きをする間に脳裏からは消え去り、今の穏やかな農村の橋へと入替わる。
いつ、どこで発生するか分からない巨大地震。
その怖さを忘れない為にも、かつてこの地で起きた災害を忘れない為にも、木籠集落の震災遺構の存在価値は大きい。 -
車はトンネルを潜り抜け、棚田が美しい山古志の油夫(ゆふ)地区と虫亀(むしがめ)地区へと向かう。
-
道路沿いの棚田には特に案内看板もない為、車を走らせていて綺麗だな…と思う風景のところで車を停め、その景色を眺める。
-
イチオシ
今回は全く下調べをする時間が無かったので、主要道路沿いで車からその景色を眺めることのできる油夫地区と虫亀地区のみからの眺めだが、山肌沿いに段々に作られた棚田の美しい景色を見ることが出来た。
-
8月も下旬に近かったので遠くに見える稲穂も頭を垂れている稲も多く、山肌が緑色の黄金色のグラデーションだ。
-
イチオシ
美しい棚田なのだが、私には不思議なことがあった。
それは、田んぼの水。
山の上側の棚田には水が張ってある所が多く、下に行くにしたがって稲が植えられている感じだった。山古志の主要道路沿いから見ることのできる棚田【油夫と虫亀】 by ウェンディさん山古志の棚田 名所・史跡
-
季節が春ならば水が張ってある棚田も田植え前の風景としてごく当たり前なのだが、なぜ収穫時期を迎える夏の終わりに田に水が張られているのか。
その答えは散歩をされていた地域の方が教えてくれた。 -
震災前までは、この辺りは秋になれば稲穂が一面に揺れる棚田が連なる地域だった。
しかし、震災により帰村する村民も減り、手間がかかる稲の棚田は敬遠されるようになり、昔は稲穂がたなびく美しい棚田であった場所も、現在では錦鯉の養殖の為の養鯉池(ようりいけ)として利用されているという事。 -
水のきれいな上流側に水の張られている棚田が多いのは鯉の養殖の為…という納得の理由だったが、昔ながらの秋になると黄金色の稲穂がたなびく山の斜面一面の棚田の景色は、もう見ることが出来ない過去の記憶となってしまったのかと思うと、なんだか淋しい気がする。
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道を下ると斜度がなだらかな丘陵地帯の田んぼは稲穂が黄色く色づき始め、その頭も重そうで、もう少しで収穫時期を迎えそうな雰囲気だ。
-
久々に見る田舎の田園風景に心も和む。
棚田を見おろし、涼しい風に吹かれ、新潟の高原気分を満喫…と言いたいところなのだが、新潟の夏は時折フェーン現象とよばれる気象で気温が一気に高くなる日がある。
実はこの日がそんなフェーン現象の起きた日。
フェーン現象とは太平洋側で発生した湿った空気が日本の背骨にぶつかり、その水分を太平洋側地域で落とし、日本海側へは乾いた温かい(熱い)空気を運んでくる気象現象で、この日の新潟の最高気温は35℃近く。
車から1歩外へと出ると、汗を吹きだしてくるような猛暑だった。 -
こんな時に触りたいのは、冷たい水。
父が次に連れて行ってくれたのは杜々(とど)の森と呼ばれる栃尾(とちお)にある全国名水百選にも選ばれた水源のある森。かつては女人禁制の神の森☆2016の水は煮沸する方が良いかも/杜々の森名水公園 by ウェンディさん杜々の森名水公園 公園・植物園
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森の中の木陰へと足を踏み入れると、一気に体感気温が5℃程さがり、心地よいひんやりとした空気。
流れ出る湧水を手で汲み、口へと運ぶ。
口あたりのよい軟水で、ごくごくと飲めてしまう。
(私は生水も平気な方だが、お腹が弱い方は2016年の生水はやめておく方が良いかも)
水源からは、1日平均2000トンの水が湧き出ているそうだ。
ただし、今年(2016年)の夏は例年に比べ水の量が少なめ。
その理由は、冬に積雪量が少なかったから。
杜々の森の湧水の原水は冬に積もる雪の雪解け水の為、その水量は積雪量に左右される。
2015年の冬は暖冬だったため、その影響は2016年の夏の湧水量にダイレクトに現れた。
湧水量が少ない今年の夏は、大腸菌などの発生の心配もあるため、生飲みは推奨されてはいなかった。 -
湧水の脇の小さな山の上には湧水を守る社があり、水源を見守っている。
昔はこの辺りの森は女人禁制の神域で、水を守る神がおわす神域として、木を切ることも禁じられていた場所だったそうだ。
水源を犯すようなことをした者には馬頭人身の神が遣わされ、その者には死を与えた…という言い伝えが残る地域でもある。 -
先人たちが見つけだし、大事にしてきた水源を守る御神木。
御神木の枝を通して、太陽の木漏れ日が地面に落ちる。
現在の杜々の森は万人に開放され、女人禁制ではない。
しかし、先人たちに倣い、杜を敬い大切にするのは大事なことだ。
美味しい水が湧くのは、豊かで清浄な森があるから。
山の中がヒトの手により汚染されてしまったら、水質はあっという間に劣化してしまうだろう。
近年では、名水を求めて県外からも水を汲みに来る方もいるとのことだが、利用する者みんなが水源を常に清潔に保つよう、環境保全を念頭に置きながら水を利用する必要があるのだと思う。 -
この日、最後に訪れたのは父が選んだ場所。
多分、父の趣味(古文書)に近い部分があるのだろう。
この茶色い建物は、諸橋轍次記念館【漢学の里】。
諸橋轍次(もろはしてつじ)って、いったい誰?と思う人も多いだろう。
恥ずかしながら、私もそんな一人だった。
諸橋轍次は漢学者なのだが、漢学者…と言われても、あまりなじみのないその言葉のイメージは???で、一体なんなの…?という感じだ。
そんな想像をしにくい諸橋轍次なのだが、一つの仮定の話をたとえ話とすると彼の業績はとても分かりやすいと思う。
一つの仮定:それは現代に欠かせないパソコンについて。
もし諸橋轍次の業績が無かったならば、現在、私達が日々使っている日本語入力のPCやワープロは生まれていなかったかもしれない。
たとえPCに日本語変換機能があったとしても、その語彙は非常に貧弱なモノで、PCやワープロで日本文を作成するのは難しく、2016年となっても日本語を書く時には手書きが主流であったかもしれない…との説明を受けたならば、彼がどの位偉大な人物であったか分かるだろう。漢字のデータベースを作った漢学オジサン by ウェンディさん漢学の里 諸橋轍次記念館 美術館・博物館
-
諸橋轍次が成し遂げたこと。
それは、日本で初めてとなる大漢和辞典の編纂。
自らの半生を費やし、著名な友人たちの協力を得て、コツコツと資料を調べて膨大な語彙を一つ一つ確定していった。
作業は全て手作業。
漢字は分類され、カード形式に纏められ、引き出し式の資料棚がいくつも作られた。 -
そして、13年を歳月を費やし、高さが2メートルにもなる大漢和辞典の初版の原稿が出来た。
しかし運命とは酷なモノで、時は1945年。
初版が出来上がった2か月後、関東を焼け野原とした東京大空襲で、それらの原稿は全て灰となってしまった。
諸橋は一旦は漢和辞典の編纂を諦めかけたのだが、東京理科大の名誉教授となってから、周囲の手助けもあり、再び大漢和辞典の編纂に取り組み、構想から32年後の1960年に日本で最初の大漢和辞典、全13巻の世界最大となる漢和辞典が出来上がった。 -
もし、諸橋轍次が大漢和辞典の編纂に取り掛かっていなかったならば、現在のPCは違ったものになっていただろう。
基礎となるデータベースが無くしては、PCの日本語入力は現在の様に簡単にはできなかった筈だ。
親漢字数:5万、語彙:50万、総ページ数1万5千頁にも及ぶ壮大なデータベースである大漢和辞典。
日頃親しんでいるPCの背後に、32年間にもわたり漢字と格闘し続けた方がいた…なんて知らなかった。
日頃、家や職場で利用しているPCの内部には、この大漢和辞典を源とする頭脳が眠っている。
そんな風に考えると、いつもは目的の漢字がでてくるまでキーを押し続ける漢字の変換作業も何だか楽しく思えてくる気がする。 -
記念館には、諸橋のお父さんが書いた日記も残っていて、里山で見られる生き物の絵が残されていた。
お父さんは小学校の校長先生を歴任されていたという事で、何となく専攻は理科だったのではないかな…等と想像してしまう。 -
子供の頃、轍次少年はお母さんから中国の昔話を寝物語に教えてもらい、家の前の山林の風景を中国の山に見立て、漢字の文化圏への憧れを感じていた。
轍次少年のお気に入りの話は西遊記。
栃尾の雄大な景色に西遊記の場面を重ね合わせていたそうだ。 -
そんな轍次が少年時代を過ごした生家が現在も記念館の裏手に残されている。
家の内部にも入ることができるのだが、内部には豪華な部分はなく、質素一筋。
1階部分の屋根は瓦ではなく、板の上に石を載せてある庶民的な造りだった。 -
この日のちょっとしたドライブもそろそろおしまい。
お昼ご飯は、父のお勧めの場所へ連れて行ってくれるとのこと。
何処へ連れて行かれるのかと思ったら、到着した先は、ゴルフ場。
父曰く、ゴルフ場のランチは結構イケるんだよ〜と。
私はゴルフをしないので、コースのあるゴルフ場へとやってくるのは生まれて初めて。
クラブハウスのテラスからはゴルフコースを一望でき、緑の芝と青い空のコントラストがとっても綺麗。
冷房の効いたテラス席から眺める夏の風景。
ちょっとした避暑地気分だ。ゴルフ場ランチのコスパは良! by ウェンディさん下田城カントリー倶楽部 ゴルフ場
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ランチのスターターは、草鞋(わらじ)。
草鞋と言っても、履物ではなく、草鞋サイズの油揚げの事。
栃尾は油揚げの一大生産地で、有名なのは巨大油揚げ。
その油揚げをこんがりと焼き、生姜醤油で食べる。
油揚げというとギトギトのイメージもあるが、栃尾の油揚げはふんわりしていて油っぽくはなく、美味しい。 -
メインは父のお勧めの和風ステーキ。
正直に言えば、ゴルフ場のクラブハウスでランチと聞いた時にはあんまり期待はしていなかったのだが、これが結構イケた。
街のレストランで食べたら2000円以上はしそうなランチの内容だったが、ゴルフ場のレストランでは2000円でお釣りが来てしまう。
ゴルフ場のクラブハウスは思いの外、コスパが良いのかもしれない。 -
イチオシ
父のお見舞いをメインに帰省した8月の新潟は天気も良く、海岸線からは佐渡島の島影が見えていた。
そして、予想外に調子の良さそうな父に誘われて出かけたドライブでは、地震の爪痕が残る山古志を訪れ、忘れてはならない光景を目に焼き付け、更に道すがら訪れた杜々の森の湧水や漢学の里では、森を守る大切さや日本語入力のデータベースとなった大漢和辞典について知ることが出来た。関屋浜海水浴場 ビーチ
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イチオシ
実は、今回の私の帰省には父の見舞い以外に、祖母に会うと云うもう一つの目的があった。
祖母は今年100歳を迎えるのだが、数日前から食べものを受け付けなくなってきていると連絡を受けたのだ。
病院で面会した祖母は、1年前よりもぐっと小さくなっていた。
殆どの時間を目を閉じて過ごしていた祖母だったが、私が訪れ、話しかけた時には見える方の目を薄く開け、私に何かを話しかけようとした。
しかし、喉に痰が絡み咳込み、祖母の発した言葉は音にはならなかった。
これが生きている祖母と会った最後の時。
私が会いに行った3日後、彼女は静かに別れを告げ、ひと足先に旅だった祖父の元へと新たな旅を始めた。
今年の夏。
忘れてはいけない記憶の積み木が、また一つ重なった。
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この旅行記へのコメント (15)
-
- のんき茂野さん 2016/09/22 11:28:34
- こんにちは〜
- ご両親ともご健在なのですね〜
いろいろ心配事も多いでしょうが
お幸せですね〜
何時も思うのですが、世の果かなさ無情を思います。
文明が発達して行くのは万民にとって幸せなことでは
ありますが・・・
若い頃には先輩に怒られ、時には叩かれ必死で覚えた
写植の場所やら記事の配列・・・
現在は机の上の小さな宝箱で鍵盤をポンポンとたたき
ここから〜ここまで切り取り、こちらに貼り付け
これは・・・念のためにコピ〜 これの意味は・・・はい!検索!
な〜るほど!
はい!編集長メールしますたからチェックお願いしますだ〜!
『まぁ〜これで良いじゃろう〜』『そこの挿絵は?』
はい・・・○X先生からメールで届いていますが、
背景を再考依頼しております。届けば貼り付けします・・・OK
では・・・プレビューで最終チェック・・・はい全てOKです!
じゃ〜 印刷ね! ポン! で輪転機が仕事をはじめます。
インクも速乾性で直ぐに製本へ・・・編集長! テストプリント
できますた〜 最終の最終チェックをお願いします!
横で定年後の再雇用をしてもらった人生の大半を写植であけくれた
Bさん・・・うっすらと目光るものが・・・・あ・ぁ〜 無情なり!
のんき茂野も青春の一時・・・
必死でオリベッティのタイプライターを練習したものです。
まぁ〜これはキーボードの配列も同じですから、
まだ幸せかもね〜
http://img.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/45/54/46/src_45544628.jpg?1474510696
播磨の国から のんき茂野
- ウェンディさん からの返信 2016/09/23 20:05:17
- RE: こんにちは〜
- のんき茂野さん こんばんは。
お仕事は新聞や雑誌の編集をされていたのでしょうか。
最近は何でもかんでもコンピュータ化されてしまい、手紙ですら手書きではなく、印刷された紙が送られてくることも多くなりました。
PCで省力化も結構なことだとは思いますが、心を込めて一文字ずつ書く手紙の良さは、私は捨てられないです。
私が会社に入ったころはPCは各部署に1台しかなく、更に電源を入れてから立ち上がるまでにかかる起動時間も5分位かかり、立ち上げている間にコーヒーを一杯飲めるくらいの時間がありました。
それが今では、ひとり一台のPCにメールアドレスを与えられた恵まれた環境となりました。
でも、何でもかんでもPCに頼るシステムは電気の供給に依存するシステム。
ひとたび停電が起きれば、たとえ瞬停でも分析機器は停止し全てただの箱と化してしまいます。
PC98の頃はまだ瞬停には耐えうる力があったのですが、最近の繊細な機械たちはちょっとした電圧の乱れにも即座に反応する神経質な輩ばかりですね。
文明の利器の利用は難しいです。
ところで、最近のお若い方々はスマホばかりを触るせいかPC操作が苦手な方が増えてきているとか。
これから、様々なモノはどう変わっていくのでしょうね。
ウェンディ
- のんき茂野さん からの返信 2016/09/23 21:55:58
- RE: RE: こんにちは〜
- > のんき茂野さん こんばんは。
> お仕事は新聞や雑誌の編集をされていたのでしょうか。
・・・地元の小さな小さな従業員が3名〜4目の零細の零細
企業です。当初は貿易業務をしましたが、自分で金融機関に
出向き実地で覚えるより仕方がありませんでした。
ただ社長が素晴らしい方で、国交回復前の中国
広州市だけですが、香港から汽車で国境までいき、
中央が香港と中国の境目の鉄橋を歩いて渡りました。
このような経験者は少ないでしょうね〜
生きて行くには与えられた仕事をこなし、自分で仕事を
見つけなければ雇用されません。
しかも、社会保険も無く、ですから厚生年金も無く
自分で国民年金に入らなければなりませんでしたし、
現在ほど常識化も無く、よって資格ギリギリの加入年数
=食べても行けない年金支給額・・・後期高齢時代を
迎えられるのか?=のんき茂野です。
>心を込めて一文字ずつ書く手紙の良さは、私は捨てられないです。
・・・私文章と言うのでしょうか?
親しい方には手書きが見直されてきましたね〜
字が下手だから後期高齢者になればお稽古しないと・・・?
>
> 私が会社に入ったころはPCは各部署に1台しかなく、
更に電源を入れてから立ち上がるまでにかかる起動時間も
5分位かかり、立ち上げている間にコーヒーを一杯飲める
くらいの時間がありました。
・・・のんき茂野の頃は、電卓も無かったですよ〜
ドラム式のもので、足すときは時計方向にその数だけ、
引く時は反時計方向に・・・廻している回数なんて
覚えられませんよね〜
唯一、昔の印字式のレジのようなものが電動で
出来ました。
そのあとカシオさんが電卓を販売し、カードサイズも
できましたが、ポケットから出し忘れて洗濯機に・・・
よく怒られますた〜
> それが今では、ひとり一台のPCにメールアドレスを与えられた恵まれた環境となりました。
> でも、何でもかんでもPCに頼るシステムは電気の供給に依存するシステム。
> ひとたび停電が起きれば、たとえ瞬停でも分析機器は停止し全てただの箱と化してしまいます。
> PC98の頃はまだ瞬停には耐えうる力があったのですが、最近の繊細な機械たちはちょっとした電圧の乱れにも即座に反応する神経質な輩ばかりですね。
・・・初めてのPCは90年頃ウインドウズができて、半分手作りの
もので説明書を見ながら真っ黒な画面にでてくる英文を勘で
さぐり初期設定したのを覚えています。
>
> 文明の利器の利用は難しいです。
>
> ところで、最近のお若い方々はスマホばかりを触るせいかPC操作が苦手な方が増えてきているとか。
> これから、様々なモノはどう変わっていくのでしょうね。
・・・アイホンのシリさんが教えてくれるかも?
アメリカのタクシーは自動運転化されるとか?
このあたりが答えかもしれませんね〜
のんき茂野のような離職会話難民にはアイホンのシリさん
嬉しい遊び友達です。
返信が長文になり申し訳けありません。 のんき茂野
>
> ウェンディさんへ
>
-
- 備前屋ねこさん 2016/09/01 22:09:47
- おばあさま
- 去年の8月はウェンディさんのお母様の事故の話でエエッ!と思った記憶がありますが、今年はお父様の手術とおばあさまがお亡くなりになってしまったりと今年も大変な8月になってしまったんですね。。。
ウェンディさんのおばあさまのご冥福をお祈りします。
おばあさまは100歳だったとは!
すごく長生きされていたんですね。
ウェンディさんのお母様もとても元気だと思ってましたがおばあさまもその年齢まで長生きできたのはやはり元気な方だったのでしょうね。
1年ぶりに会いに行った3日後にお亡くなりになってしまったなんて、まるでウェンディさんに最後に会えるのを待っててくれたみたいに思えてしまいます。
ウェンディさんの記憶の中にはこれからもずっとおばあさまがそこにいるんじゃないかな。
旅行記の中にいくつかの「忘れない」があったけど、おばあさまはきっと「忘れられない」と思います。
明るい日差しと緑いっぱいの8月の新潟の風景
とっても素敵でした。
またそれを来年も見る度におばあさまもウェンディさんの記憶の中で会いにきてくれそうですね。
備前屋ねこ
- ウェンディさん からの返信 2016/09/02 00:46:36
- RE: おばあさま
- 備前屋ねこさん こんばんは。
気持ちの整理をする意味で書いた旅行記【わすれない】。
備前屋さんをはじめとする皆さんから、コメントをたくさん頂いて吃驚しています。
8月は怒涛の1か月で、あっという間でした。
100歳を迎える祖母も夏を越えることはできずに、祖父の元へ。
でも、祖父が他界したのも暑い8月でしたので、おじい様に呼ばれたのかもしれません。
祖母が亡くなる前に会いに行くことが出来て良かったです。
山古志は地震の爪痕は今は震災遺構がその主たるものですが、一面黄金色の稲穂が見られると思っていた棚田が、錦鯉の養殖池になっていたとは、若干ショックでした。
棚田は手がかかるので、年配の方たちだけでは維持が難しいのでしょうね。
さて、8月はあっという間に過ぎてしまった私ですが、明日から台風に殴り込みをかけに出かけます。
一応、気持ちの整理をする旅…という事で西日本の島旅です。
天気予報が目まぐるしく変わるので、旅の動き方を未だに決めかねていますが、もうサイコロの目に任せようか…という気分になっています。
行先が島なので、台風の進路によっては島から出る船が欠航〜なんてことも考えられ、今からドキドキ♪
明日は朝一番の飛行機で、自宅出発は朝の4時台。
頑張って早起きですね。
忘れない…って、とても難しい事ですが、祖父母と過ごした日々の思い出はずっと忘れない気がします。
殴り込み猫
-
- fujickeyさん 2016/09/01 16:17:12
- 新潟の雪も少なかったんですね。
- ウェンディさん。
おばあ様に会えてよかったですね、と軽く言ってはいけないような・・・
いつまでおばあ様が生きられるかは事前にわかるものでもないし、
でもこのタイミングで会えたのは目に見えない力が動いたのかもしれないな、と
最後の景色の写真を見て思ってしまいました。
そのくらいドラマチックな写真ですね。
中越地震が起きた時はすでに社会人で都内で働いていましたが、
その時は都内も揺れました。
当時の状況をそのまま残すのはいろいろと大変なこともありそうですね。
(建物の修繕やそれらにかかる費用などなど・・・)
この冬の積雪量は新潟県でも少なかったんですね。
関東、といっても私が知ってるのは群馬県のみなかみ地域だけですが、
そちらも積雪が少なくて・・・
その影響でダムの水も少なく水不足と騒がれていましたね。
今年の冬はどうなるのかしら???
お父様おすすめのゴルフ場のランチ!草鞋サイズの油揚げが美味しそう!!
ステーキのお肉よりもこちらに目がいってしまったのは
胃腸が夏バテ気味なのかしら(笑)
今日のお昼もツルツルっとお蕎麦をいただきました♪
9月になりましたがまだまだ残暑が厳しいようですので
ウェンディさんも体調を崩されませんように。
fujickey
- ウェンディさん からの返信 2016/09/01 23:45:25
- RE: 新潟の雪も少なかったんですね。
- fujickeyさん こんばんは。
今日も暑い1日でしたね。
暑いと、食事もつい喉通りの良いものが欲しくなりますが、毎日ツルツル系の麺類ばかりだと栄養が偏って、夏バテしてしまいますよ。
秋旅に向けての体力作りのためにも夏バテはトラベラーの敵。
シッカリとお食事をしてくださいね。
栃尾のゴルフ場で食べた草鞋、もとい、巨大油揚げ。
全然油っぽくなく、カリっと火であぶってから白髪ねぎをタップリ乗せて生姜醤油で食べると、美味しいんです。
新潟の隠れたB級グルメですが、お勧め♪
今度、群馬を通り越して新潟まで行く時には是非、食べてみてください。
昨年の冬は全国的に暖冬だったみたいです。
だから、訪れた杜々の森の湧水も今年も水の量は少なめでした。
埼玉に居ると冬の寒さが緩い暖冬はWelcomeなのですが、山の湧水にその影響が出るとは…とは意外でした。
祖母に会いに行った日。
実は、最初に計画していたのは父の手術の予定日であった木曜日。
でも、その前週の木曜日に何だか急に新潟に行く方が良い気がして、急きょ週末の実家行を決めました。
当初の予定通りに新潟へと行っていたら、生きている祖母に会う事は出来なかったと思います。
もしかしたら、呼ばれたのかもしれません。
ウェンディ
-
- こあひるさん 2016/09/01 11:05:23
- 忘れてはいけないこととわかっていながら・・・
- ウェンディさん、こんにちは。
山古志の災害・・・山古志の人たちが、あの災害の酷さを忘れてはいけない・・・と残した村の姿・・・でも、あれから同じような災害は止むこともなく・・・大自然の中で生きなければならない人間の脆さや小ささや無力さを・・・何度も繰り返し知らしめる・・・同じような犠牲が止むことがないのが悲しいです。
ウェンディさんの8月には色々なことがあったのですね・・・。そんな重いものに対して、哀しいほど美しい日本の原風景・・・。
お祖母さま・・最後になにを伝えたのでしょうね・・・死の際まで、きっと家族の幸せを願って逝かれたのでしょうか・・・。
それぞれ忘れていけない・・・忘れない・・・出来事がありますが、辛いことほど忘れないと押しつぶされてしまうこともある・・・忘れようとするのは人間のずるさなのか生きるすべなのか・・・でも、心して忘れないようにできるのも人間ですものね。
こあひる
- ウェンディさん からの返信 2016/09/01 23:29:53
- RE: 忘れてはいけないこととわかっていながら・・・
- こあひるさん こんばんは。
あっという間に8月も過ぎ、9月が始まりましたね。
毎日が、まるで矢のように足早に過ぎ去ってしまい、私自身が体験した3.11の地震のことだって、今ではあの時は…と言った感じの思い出の様に感じてしまう事も有ります。
しかし、今回、父が連れて行ってくれた山古志の震災遺構を見て、最近、また増えてきた小さな地震の事について思いめぐらすようにもなりました。
平和ボケというのは嫌な言葉ですが、震災直後は色々と気にしながら生活をしていましたが、喉元過ぎるとなんとやら…で、ついつい気も緩みがちになってしまいます。
地震列島に住んでいる以上、どこかの場所でプレートの歪の修正の為、地殻変動が起きるのは避けることが出来ないのは周知の事実。
山古志の様に目に見える形で残してこそ、防災意識として常に住民の頭の片隅に意識できるのかもしれません。
祖母との思い出、忘れられない思い出は沢山あります。
怒られたことも、一緒に遊んだことも。
思い出を回想し、誰かに語ることで、亡くなった方たちを追悼できる。
日本の仏教における法事は、そんな機会なのだな…と最近あらためて思いました。
生まれてから全ての記憶を持ち続けていたら、人間の脳はパンクしてしまうでしょうし、第一、心休まる時が無くなってしまいます。
だから、忘れるという脳の機能は非常に大事な部分ですね。
(学生の時は、一晩寝るとすっかり忘れてしまう記憶力の悪さには悩まされましたが…)
一方で、忘れてはいけない記憶があるのも事実。
私の8月には忘れてはいけないことが、沢山ありました。
ウェンディ
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- スイカさん 2016/09/01 02:22:45
- たくさんのわすれない
- こんばんは、ウェンディさん
旅行記、いろいろな、わすれないが出てきました。
おばあさん。わすれなければ、思い出すことをわすれなければ、そこにいるんだと私は思います。
私は子供の頃、母親に「お化けっているの?」と聞いたことがあります。お母さんは「昔、お母さんもお婆ちゃんに聞いたらね」、お婆ちゃんは「わからないけど、もしいるなら、お婆ちゃんが死んだら出てきてあげる」って言ってたそうです。
結局、出てこなかったそうです(^_^;)。
スイカ
- ウェンディさん からの返信 2016/09/01 23:00:49
- RE: たくさんのわすれない
- スイカさん こんばんは。
スイカさんは、中国で実地訓練中でしょうか。
おばあ様のお化け話、面白いですね。
私は幽霊は信じませんが、お化けはなんとなくありそうな気がします。
猫又とか付喪神とか、なんとなくいたら楽しそうですし。
亡くなった祖母とは沢山の思い出があります。
たまたま、祖母、母、私と三代が同じ女子高校に通ったこともあり、祖母とはよく話もしていました。
だから、これからは夢の中に出てきてくれて、また話が出来れば良いな♪と思っています。
ウェンディ
-
- ippuniさん 2016/09/01 01:30:07
- 忘れてはならないこと
- ウェディさん、こんにちは
おばあさまのご冥福をお祈りいたします。
私もここ数年毎年のように身内の不幸がありました。
一昨年は同じく100歳の旦那の祖父母、去年は私の叔父が。
両親も病気がちで、つい先日も母が肺炎になりもう会えないかと心配しました。
一度大病を患い、免疫機能が完全に低下しているので。
父も6月に肋骨を折りあと少しで肺に刺さるところでとても危険だったと言われました。
両親もいつどうなるかわからない年になり、遠く離れている身としては心配です。
お父様の御体がドライブが出来るほど快復され、良かったですね。
それに、おばあさまとも、亡くなる直前にお会いできましたね。
きっとウェンディさんにお会いするのを待っていてくれたのかもしれませんね。
最近は里帰りする旅に、両親との思い出の一ページを綴っています。
毎回、これが最後のページになりませんように、って祈りながら帰国しています。
本当に、人は忘れてはならないことを必死に上書きしながら頭に刻み込んでいる気がします。
ippuni
- ウェンディさん からの返信 2016/09/01 22:22:51
- RE: 忘れてはならないこと
- ippuniさん こんにちは。
親の姿のイメージは私が子供の時のままですが、実際は私が親元を独立して20年以上の時が経ち、親もそれなりの年齢に差し掛かっています。
何時までも元気でいるというのは、私達の希望であり、現実はそうとは限らないようです。
(実際、今年の夏は私自身も乳がんの検診でひっかり要検査となりましたし、自分自身の健康も要チェックですね)
父の状態は緊急性はないものの、早めに手術をしなくてはならない状態です。
全身麻酔となるので若干心配していたのですが、8月の手術の予定は祖母の他界と重なったため、9月に延期。
父は、好きなこと(ゴルフや庭仕事)も禁止されているので、なかなか大変そうです。
祖母や祖父には小さい頃、沢山可愛がってもらいました。
初めて廻らないお寿司屋さんへ連れて行ってもらったのも、祖父と祖母。
夏休みになると自身の実家に居る期間よりも祖父母宅に滞在していた時間の方が長かった気がします。
プールも、ラジオ体操も夏祭りも祖父母宅の地域の行事に参加していた記憶があります。
だから、思い出も沢山。
晩年の祖母がどの位記憶を維持していたかは分かりませんが、彼女が最後に言いたかった言葉。なんだったのかな…。と思いました。
ウェンディ
-
- kayoさん 2016/09/01 00:40:40
- 同じ境遇です。
- ウェンディさん、今晩は☆
この度はお悔やみ申し上げます。いいね!を押すのに躊躇しましたが。
お父様はお元気なようで良かったですね〜。
私もこの8月は忘れられないと言うよりは信じられない出来事に遭遇しました。
まだ50代の姉が余命宣告され、泣き暮れた1ヶ月。
同時に相棒がフィリピンで行方不明。
姉は余命宣告より長く生きてくれているので、
残された時間、楽しい思い出を必死で作ろうと思っています。
明日は病院から外出許可が下り、酸素ボンベに車椅子の姉を、
姉がかねてから行きたがっていたイタリア料理店へ連れて行くことに。
姉の事が精一杯なので、相棒の行方不明は放ったらかし。
落ち着いたらフィリピン警察と連絡取ったらいいかと。
何故か同じ8月になってしまったので、やたら共感しちゃいました。
kayo
- ウェンディさん からの返信 2016/09/01 21:06:11
- RE: 同じ境遇です。
- kayoさん こんばんは。
8月も通り過ぎ、9月が始まりました。
お互いに怒涛のひと月であった葉月。
kayoさんもお姉さまの事で心を痛めていらしたのですね。
お姉さまのご病気、深刻な病状なのだろうと察します。
少しでも楽に過ごせたらいいですね。
そして、スペイン旅に一緒に行かれた相棒さん、行方不明なのですか?
それはそれで一大事の気もしますが、大丈夫なのでしょうか。
我が家の8月は父の病気の発症に始まり、手術予定の前日に祖母が他界し、手術は9月に延期。
緊急性はないものの、不具合のある体を抱えての生活は結構大変そうです。
以前よりもすぐに疲れるそぶりも多くなったので、父が本調子ではないのは確かです。
お姉さまの事、相棒さんのこと、心配事は沢山あるとは思いますが、心配し過ぎるとご自身の体に影響が出てしまいます。
心穏やかに過ごすのは難しいとは思いますが、自分の為の休息時間もしっかりと確保してくださいね。
ウェンディ
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