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大塚国際美術館へ行って来ました。ここは大塚製薬グループの創業75周年事業として1998年(平成10年)に開設された日本最大級の美術館で、そこに世界25ヶ国、190余の美術館が所蔵する現代絵画まで至宝の西洋名画1,000余点を展示と超弩級の美術館です。<br />ただし名画は本物ではなく大塚オーミ陶業株式会社の特殊技術によってオリジナル作品と同じ大きさに複製したものです。<br /><br />ニセモノ、入場料は日本一高い3,240円、遠い(徳島県・鳴門市)・・・関係ありません、各種口コミでの高評価は見ていましたが想像以上の素晴らしさ。先日(2016年4月)大勢の人をかき分けながら見てきた「カラヴァッジョ展」や「ルノワール展」の名画がここではじっくり見れます。写真も撮れます。触ることもできます!!<br />地下5階、地上3階の展示室を歩くと4km超、5時間程時間をかけましたが、見きれませんでした。たくさん写真を撮ってしまったので自分の整理用に年代・作者別に纏めておきます。<br /><br />バロック期のカラヴァッジョ、レンブラント、ルーベンス、ベラスケスの作品です。<br />【追加】<br />2022年5月、妹と甥っ子(ともちゃん・小1)を連れて再訪しました。新たに写真44枚追加・22枚入れ替えしたので、タイトル以外、ほぼ新しい旅行記となってしまいました。

大塚国際美術館⑧ B2F バロック(カラヴァッジョ、レンブラント、ルーベンス、ベラスケス)

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2016/04/30 - 2022/05/04

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旅行記グループ 大塚国際美術館

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大塚国際美術館へ行って来ました。ここは大塚製薬グループの創業75周年事業として1998年(平成10年)に開設された日本最大級の美術館で、そこに世界25ヶ国、190余の美術館が所蔵する現代絵画まで至宝の西洋名画1,000余点を展示と超弩級の美術館です。
ただし名画は本物ではなく大塚オーミ陶業株式会社の特殊技術によってオリジナル作品と同じ大きさに複製したものです。

ニセモノ、入場料は日本一高い3,240円、遠い(徳島県・鳴門市)・・・関係ありません、各種口コミでの高評価は見ていましたが想像以上の素晴らしさ。先日(2016年4月)大勢の人をかき分けながら見てきた「カラヴァッジョ展」や「ルノワール展」の名画がここではじっくり見れます。写真も撮れます。触ることもできます!!
地下5階、地上3階の展示室を歩くと4km超、5時間程時間をかけましたが、見きれませんでした。たくさん写真を撮ってしまったので自分の整理用に年代・作者別に纏めておきます。

バロック期のカラヴァッジョ、レンブラント、ルーベンス、ベラスケスの作品です。
【追加】
2022年5月、妹と甥っ子(ともちゃん・小1)を連れて再訪しました。新たに写真44枚追加・22枚入れ替えしたので、タイトル以外、ほぼ新しい旅行記となってしまいました。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
交通手段
自家用車
  • バロック時代の作品は、カラヴァッジョの部屋から始まります。

    バロック時代の作品は、カラヴァッジョの部屋から始まります。

  • ローマのサンタ・マリーア・デル・ポポロ聖堂、チェラージ礼拝堂の左右の壁面を飾るカラヴァッジョの「聖ペテロの磔刑」と「聖パウロの回心」

    ローマのサンタ・マリーア・デル・ポポロ聖堂、チェラージ礼拝堂の左右の壁面を飾るカラヴァッジョの「聖ペテロの磔刑」と「聖パウロの回心」

  • カラヴァッジョ「聖ペテロの磔刑」サンタ・マリーア・デル・ポポロ聖堂、ローマ<br />1601年<br />実弟アンデレと共にガラリヤの地で漁師をしているところに主イエスより使命され、キリストの最初の弟子になる、主の昇天後は皇帝から迫害を受けながらもエルサレムやローマで布教活動をおこない、最後はネロ帝によって殉教した聖ペテロの磔刑の場面を描いたもの。

    カラヴァッジョ「聖ペテロの磔刑」サンタ・マリーア・デル・ポポロ聖堂、ローマ
    1601年
    実弟アンデレと共にガラリヤの地で漁師をしているところに主イエスより使命され、キリストの最初の弟子になる、主の昇天後は皇帝から迫害を受けながらもエルサレムやローマで布教活動をおこない、最後はネロ帝によって殉教した聖ペテロの磔刑の場面を描いたもの。

  • カラヴァッジョ「聖パウロの回心」サンタ・マリーア・デル・ポポロ聖堂、ローマ1601年<br />『聖パウロの回心』は、ダマスカスに向かっていたパウロがイエスの幻影を見たことで馬から落ちるとともに視力を失う場面が描かれた作品。

    カラヴァッジョ「聖パウロの回心」サンタ・マリーア・デル・ポポロ聖堂、ローマ1601年
    『聖パウロの回心』は、ダマスカスに向かっていたパウロがイエスの幻影を見たことで馬から落ちるとともに視力を失う場面が描かれた作品。

  • カラヴァッジョ「聖マタイの召命」サン・ルイージ・デイ・フランチェージ聖堂、ローマ 1599年 - 1600年<br />カラヴァッジョにとっては公的な場でのデビュー作、且つ出世作であり、美術史上ではバロック美術への扉を開いた記念碑的作品

    カラヴァッジョ「聖マタイの召命」サン・ルイージ・デイ・フランチェージ聖堂、ローマ 1599年 - 1600年
    カラヴァッジョにとっては公的な場でのデビュー作、且つ出世作であり、美術史上ではバロック美術への扉を開いた記念碑的作品

  • カラヴァッジョ「キリストの埋葬」ヴァティカン美術館、ヴァティカン1602-03年<br />ローマで画家として成功を収めたカラヴァッジョによる、成熟期の代表作。もとはローマに建造されて間もないサンタ・マリア・イン・ヴァリチェッラ教会(キエーザ・ヌオーヴァ)の礼拝堂のために描かれました。17世紀の批評家はカラヴァッジョの最高傑作のひとつと記しています。強い明暗のもと、死せるキリストとその取り巻きを写実的に描いたこの絵は、均衡の取れた構図に、ローマの古典的な美術を研究・消化した跡が窺えます。またキリストの肉体には、ミケランジェロの彫刻《ピエタ》との関連が指摘されています。ルーベンスはこの絵の模写を残しており、ほかにも後世の多くの画家たちの着想源となりました。1797年、ローマを占領したナポレオン軍によってパリに運ばれ、ルーヴル美術館で展示されました。返還交渉の結果1815年に返却されましたが、元の教会ではなくバチカンに戻され、今に至っています。2021年のカラヴァッジョ展で来日予定でしたが、コロナで展覧会が中止となってしまいました。

    カラヴァッジョ「キリストの埋葬」ヴァティカン美術館、ヴァティカン1602-03年
    ローマで画家として成功を収めたカラヴァッジョによる、成熟期の代表作。もとはローマに建造されて間もないサンタ・マリア・イン・ヴァリチェッラ教会(キエーザ・ヌオーヴァ)の礼拝堂のために描かれました。17世紀の批評家はカラヴァッジョの最高傑作のひとつと記しています。強い明暗のもと、死せるキリストとその取り巻きを写実的に描いたこの絵は、均衡の取れた構図に、ローマの古典的な美術を研究・消化した跡が窺えます。またキリストの肉体には、ミケランジェロの彫刻《ピエタ》との関連が指摘されています。ルーベンスはこの絵の模写を残しており、ほかにも後世の多くの画家たちの着想源となりました。1797年、ローマを占領したナポレオン軍によってパリに運ばれ、ルーヴル美術館で展示されました。返還交渉の結果1815年に返却されましたが、元の教会ではなくバチカンに戻され、今に至っています。2021年のカラヴァッジョ展で来日予定でしたが、コロナで展覧会が中止となってしまいました。

  • カラヴァッジョ「聖母の死」ルーヴル美術館、パリ 1601-03年頃<br />ローマのサンタ・マリア・デッラ・スカーラ・イン・トラヴェステヴェレ聖堂のために描いたものですが聖母の死があまりになまなましく描かれているため、受け取りを拒否されました。

    カラヴァッジョ「聖母の死」ルーヴル美術館、パリ 1601-03年頃
    ローマのサンタ・マリア・デッラ・スカーラ・イン・トラヴェステヴェレ聖堂のために描いたものですが聖母の死があまりになまなましく描かれているため、受け取りを拒否されました。

  • カラヴァッジョ「女占い師」ルーヴル美術館、パリ(フランス) 1595年頃<br />おしゃれな洋服を着た少年が、ジプシーの少女に手相を見せるためか、手を預けています。少年の目は、少女を見つめ、少女も少年を見つめ返しているように見えます。<br />しかし、少女の手は、少年の手相を見るのではなく、指輪をこっそり抜き取ろうとしています。少年はそれに気づいていない様子です。

    カラヴァッジョ「女占い師」ルーヴル美術館、パリ(フランス) 1595年頃
    おしゃれな洋服を着た少年が、ジプシーの少女に手相を見せるためか、手を預けています。少年の目は、少女を見つめ、少女も少年を見つめ返しているように見えます。
    しかし、少女の手は、少年の手相を見るのではなく、指輪をこっそり抜き取ろうとしています。少年はそれに気づいていない様子です。

  • カラヴァッジョ「バッカス」ウフィツィ美術館、フィレンツェ1595年頃<br />2016年国立西洋美術館で開催された「カラヴァッジョ展」の目玉でしたが、ここでは誰もみていません(笑)。

    カラヴァッジョ「バッカス」ウフィツィ美術館、フィレンツェ1595年頃
    2016年国立西洋美術館で開催された「カラヴァッジョ展」の目玉でしたが、ここでは誰もみていません(笑)。

  • カラヴァッジョ「キリストの逮捕」 アイルランド国立美術館、ダブリン(アイルランド)1601年<br />キリストがユダの裏切りによって捕縛される場面、ユダの接吻を合図に兵士たちがいっせいになだれ込んできた瞬間です。<br />左端には驚いて逃げ出す弟子、接吻しようとするユダ、捕らえようとする兵士たちの動きの中に目を閉じ停止しているかのようなキリスト。動と静によってキリストの存在感が高まる演出となっています。<br />右端にいるのはカラヴァッジョ自身ではないかといわれています。<br />この作品は制作直後に紛失してしまい、その後400年もの間どこにあるのか分からなかった作品ですが、1991年アイルランドの修道院で発見されました。

    カラヴァッジョ「キリストの逮捕」 アイルランド国立美術館、ダブリン(アイルランド)1601年
    キリストがユダの裏切りによって捕縛される場面、ユダの接吻を合図に兵士たちがいっせいになだれ込んできた瞬間です。
    左端には驚いて逃げ出す弟子、接吻しようとするユダ、捕らえようとする兵士たちの動きの中に目を閉じ停止しているかのようなキリスト。動と静によってキリストの存在感が高まる演出となっています。
    右端にいるのはカラヴァッジョ自身ではないかといわれています。
    この作品は制作直後に紛失してしまい、その後400年もの間どこにあるのか分からなかった作品ですが、1991年アイルランドの修道院で発見されました。

  • カラヴァッジョ「エマオの晩餐」 ナショナル・ギャラリー、ロンドン(イギリス)1601年<br />多くの画家が取り上げてきた、この「エマオの晩餐」に、カラヴァッジョが最初に取り組んだのは、1601年、30歳の時でした。<br />ローマに出てから数年間の下積みを経て、1600年、「聖マタイの召命」を含む「マタイ伝」連作で鮮烈なデビューを果たした、その翌年にあたります。<br />そんな状況下で制作された、このロンドン版「エマオの晩餐」には、「カラヴァッジョ」、という名前からイメージされる、あらゆる要素が詰まっています。

    カラヴァッジョ「エマオの晩餐」 ナショナル・ギャラリー、ロンドン(イギリス)1601年
    多くの画家が取り上げてきた、この「エマオの晩餐」に、カラヴァッジョが最初に取り組んだのは、1601年、30歳の時でした。
    ローマに出てから数年間の下積みを経て、1600年、「聖マタイの召命」を含む「マタイ伝」連作で鮮烈なデビューを果たした、その翌年にあたります。
    そんな状況下で制作された、このロンドン版「エマオの晩餐」には、「カラヴァッジョ」、という名前からイメージされる、あらゆる要素が詰まっています。

  • カラヴァッジョ「果物籠」 アンブロジアーナ絵画館、ミラノ(イタリア)1599年<br />カラバッジョによって描かれた静止画。「果物籠」には、様々な夏の果物をその中に納めた、編みこまれた木の籠がモチーフとして使用されています。<br />モチーフとなった果物籠は、カラバッジョの他の作品である「エマオの晩餐」の中でも、テーブルの端にひっそりと描かれています。「果物籠」には、夏の果物が描かれており、その中に朽ちているものもあれば、虫食いの跡がついているものもあります。

    カラヴァッジョ「果物籠」 アンブロジアーナ絵画館、ミラノ(イタリア)1599年
    カラバッジョによって描かれた静止画。「果物籠」には、様々な夏の果物をその中に納めた、編みこまれた木の籠がモチーフとして使用されています。
    モチーフとなった果物籠は、カラバッジョの他の作品である「エマオの晩餐」の中でも、テーブルの端にひっそりと描かれています。「果物籠」には、夏の果物が描かれており、その中に朽ちているものもあれば、虫食いの跡がついているものもあります。

  • ヘリット・ファン・ホントホルスト「遣り手婆」 ユトレヒト中央美術館、ユトレヒト(オランダ)

    ヘリット・ファン・ホントホルスト「遣り手婆」 ユトレヒト中央美術館、ユトレヒト(オランダ)

  • オランダ美術の黄金期であったバロック期を代表する画家 レンブラント・ファン・レインの作品が並ぶ部屋です。

    オランダ美術の黄金期であったバロック期を代表する画家 レンブラント・ファン・レインの作品が並ぶ部屋です。

  • レンブラント・ファン・レイン「瞑想する学者」 ルーヴル美術館、パリ(フランス)1632年<br />若きレンブラントの作品。左には窓からの陽光をあびて瞑想に耽る哲学者、右にはいっしんにかまどの火をたいている従僕が見えます。あたかも聖と俗を対比しているかの如く見えます。哲学者のまわりを覆うように不気味な螺旋の階段が画面の中央を占め、それはあたかも哲学者の思考を象徴しているように思わせます。

    レンブラント・ファン・レイン「瞑想する学者」 ルーヴル美術館、パリ(フランス)1632年
    若きレンブラントの作品。左には窓からの陽光をあびて瞑想に耽る哲学者、右にはいっしんにかまどの火をたいている従僕が見えます。あたかも聖と俗を対比しているかの如く見えます。哲学者のまわりを覆うように不気味な螺旋の階段が画面の中央を占め、それはあたかも哲学者の思考を象徴しているように思わせます。

  • レンブラント・ファン・レイン「テュルプ博士の解剖学講義」マウリッツハイス美術館、ハーグ(オランダ)1632年<br />レンブラントの名声を確立した最初の傑作。1632年におこなわれたアムステルダム外科組合主任解剖官ニコラス・トゥルプ博士の公開解剖学講義を記念し描かれたもの。

    レンブラント・ファン・レイン「テュルプ博士の解剖学講義」マウリッツハイス美術館、ハーグ(オランダ)1632年
    レンブラントの名声を確立した最初の傑作。1632年におこなわれたアムステルダム外科組合主任解剖官ニコラス・トゥルプ博士の公開解剖学講義を記念し描かれたもの。

  • 「テュルプ博士の解剖学講義」(部分拡大)<br />マウリッツハイス美術館で見た作品の中でも、特に印象に残っている作品の1つです。<br />

    「テュルプ博士の解剖学講義」(部分拡大)
    マウリッツハイス美術館で見た作品の中でも、特に印象に残っている作品の1つです。

  • レンブラント・ファン・レイン「トビアスとその家族と別れる天使」 ルーヴル美術館、パリ(フランス)1637年<br />

    レンブラント・ファン・レイン「トビアスとその家族と別れる天使」 ルーヴル美術館、パリ(フランス)1637年

  • レンブラント・ファン・レイン「ダナエ」 エルミタージュ美術館、サンクト・ペテルブルグ(ロシア)1636年<br />英雄ペルシウスの母、ダナエが主神ゼクスと交わるギリシャ神話の一場面を描いた作品。レンブラントの作品の中では珍しく画面が明るく、若さや喜びが表現されています。

    レンブラント・ファン・レイン「ダナエ」 エルミタージュ美術館、サンクト・ペテルブルグ(ロシア)1636年
    英雄ペルシウスの母、ダナエが主神ゼクスと交わるギリシャ神話の一場面を描いた作品。レンブラントの作品の中では珍しく画面が明るく、若さや喜びが表現されています。

  • レンブラント・ファン・レイン「夜警」 アムステルダム国立美術館、アムステルダム(オランダ)1642年<br />見るものを圧倒する縦3mの大画面。この絵は描かれてから長い年月が経ち、表面のニスが変色し黒ずんだため、夜の風景を描いた絵であるという誤った印象を与えていましたが、洗浄作業でニスが取り除かれた際、絵は明るみを取り戻し昼を描いた絵であることが明らかになっています。

    レンブラント・ファン・レイン「夜警」 アムステルダム国立美術館、アムステルダム(オランダ)1642年
    見るものを圧倒する縦3mの大画面。この絵は描かれてから長い年月が経ち、表面のニスが変色し黒ずんだため、夜の風景を描いた絵であるという誤った印象を与えていましたが、洗浄作業でニスが取り除かれた際、絵は明るみを取り戻し昼を描いた絵であることが明らかになっています。

  • レンブラント・ファン・レイン「ユダヤの花嫁 アムステルダム国立美術館、アムステルダム(オランダ)1665-69年頃<br />レンブラント晩年期の代表作のひとつ。旧約聖書のイスラエルの民の祖アブラハムの息子イサクと妻リベカが抱擁する場面を描いたもの。

    レンブラント・ファン・レイン「ユダヤの花嫁 アムステルダム国立美術館、アムステルダム(オランダ)1665-69年頃
    レンブラント晩年期の代表作のひとつ。旧約聖書のイスラエルの民の祖アブラハムの息子イサクと妻リベカが抱擁する場面を描いたもの。

  • レンブラント・ファン・レイン「放蕩息子の帰宅」エルミタージュ美術館、サンクト・ペテルブルグ(ロシア)1666-68年<br />レンブラント晩年の代表的な宗教画作品のひとつ。本作に描かれるのは、新約聖書ルカ福音書のみに記される≪放蕩息子≫の逸話から、父から財産を等分に与えられた兄弟のうち、弟は家を出て放蕩し財産を消費した後、豚の世話役となり、その餌で餓えを凌いでいたが、最後には実家へと戻るものの、父は息子の帰還を喜び祝福を与えるという、信仰と慈悲と希望を説いた≪放蕩息子の帰還≫の場面で、登場人物の精神性深い感情表現や、放蕩息子と父親を重ねて捉え親子の繋がりを示した場面構成は、画家が生涯で手がけた宗教画の中でも特に秀逸の出来栄えを見せています。本作で放蕩の末に父の下へと帰還した息子の姿は、若くして成功しながらも妻サスキアの死やオランダの急速な景気降下を境に没落していった画家の人生を否が応にも彷彿とさせます。

    レンブラント・ファン・レイン「放蕩息子の帰宅」エルミタージュ美術館、サンクト・ペテルブルグ(ロシア)1666-68年
    レンブラント晩年の代表的な宗教画作品のひとつ。本作に描かれるのは、新約聖書ルカ福音書のみに記される≪放蕩息子≫の逸話から、父から財産を等分に与えられた兄弟のうち、弟は家を出て放蕩し財産を消費した後、豚の世話役となり、その餌で餓えを凌いでいたが、最後には実家へと戻るものの、父は息子の帰還を喜び祝福を与えるという、信仰と慈悲と希望を説いた≪放蕩息子の帰還≫の場面で、登場人物の精神性深い感情表現や、放蕩息子と父親を重ねて捉え親子の繋がりを示した場面構成は、画家が生涯で手がけた宗教画の中でも特に秀逸の出来栄えを見せています。本作で放蕩の末に父の下へと帰還した息子の姿は、若くして成功しながらも妻サスキアの死やオランダの急速な景気降下を境に没落していった画家の人生を否が応にも彷彿とさせます。

  • レンブラント・ファン・レイン「キリスト昇架」 アルテ・ピナコテーク、ミュンヘン(ドイツ)1634年頃<br />

    レンブラント・ファン・レイン「キリスト昇架」 アルテ・ピナコテーク、ミュンヘン(ドイツ)1634年頃

  • レンブラント・ファン・レイン「聖ペテロの否認」 アムステルダム国立美術館、アムステルダム(オランダ)1660年<br />この作品はレンブラントが亡くなるおよそ9年前に描かれた作品です。1660年(万治3年)頃には自分の邸宅を手放し、貧民街へと移っていました。「聖ペテロの否認」は、その当時に描かれたということになります。

    レンブラント・ファン・レイン「聖ペテロの否認」 アムステルダム国立美術館、アムステルダム(オランダ)1660年
    この作品はレンブラントが亡くなるおよそ9年前に描かれた作品です。1660年(万治3年)頃には自分の邸宅を手放し、貧民街へと移っていました。「聖ペテロの否認」は、その当時に描かれたということになります。

  • レンブラント工房「黄金の兜をかぶった男」 ベルリン国立美術館、ベルリン(ドイツ)1650年頃<br />最も有名なレンブラントの肖像作品の一つであったが、この絵画は彼のものとは見なされなくなっています。

    レンブラント工房「黄金の兜をかぶった男」 ベルリン国立美術館、ベルリン(ドイツ)1650年頃
    最も有名なレンブラントの肖像作品の一つであったが、この絵画は彼のものとは見なされなくなっています。

  • レンブラント・ファン・レイン「フローラに扮したサスキア」 ナショナル・ギャラリー、ロンドン(イギリス)<br />レンブラントは1633年、27歳のときに結婚します。<br />相手はレンブラントが尊敬していた画家アイレンブルフの家の親戚の娘サスキアでした。<br />当時、レンブラントはアイレンブルフの家で間借りして住んでいました。<br />裕福な家庭に育ったサスキア。そのおかげでレンブラントも結婚ご資産を手に入れて、名声もより高めました。

    レンブラント・ファン・レイン「フローラに扮したサスキア」 ナショナル・ギャラリー、ロンドン(イギリス)
    レンブラントは1633年、27歳のときに結婚します。
    相手はレンブラントが尊敬していた画家アイレンブルフの家の親戚の娘サスキアでした。
    当時、レンブラントはアイレンブルフの家で間借りして住んでいました。
    裕福な家庭に育ったサスキア。そのおかげでレンブラントも結婚ご資産を手に入れて、名声もより高めました。

  • レンブラント・ファン・レイン「嵐の風景」 ヘルツォーク・アントン・ウルリヒ美術館、ブラウンシュヴァイク(ドイツ)1640年

    レンブラント・ファン・レイン「嵐の風景」 ヘルツォーク・アントン・ウルリヒ美術館、ブラウンシュヴァイク(ドイツ)1640年

  • レンブラント・ファン・レイン「家族の肖像」 ヘルツォーク・アントン・ウルリヒ美術館、ブラウンシュヴァイク(ドイツ)

    レンブラント・ファン・レイン「家族の肖像」 ヘルツォーク・アントン・ウルリヒ美術館、ブラウンシュヴァイク(ドイツ)

  • レンブラント・ファン・レイン「ダヴィデの手紙を持つバテシバ」 ルーヴル美術館、パリ(フランス)1654年<br />当作品はダビデ王が沐浴するバテシバを見初めて強引に関係を持ち、妊娠させた罪に関する旧約聖書の一場面を描いています。

    レンブラント・ファン・レイン「ダヴィデの手紙を持つバテシバ」 ルーヴル美術館、パリ(フランス)1654年
    当作品はダビデ王が沐浴するバテシバを見初めて強引に関係を持ち、妊娠させた罪に関する旧約聖書の一場面を描いています。

  • レンブラントの自画像の部屋です。<br />レンブラントは、約40年間で、約50点の絵画、32点のエッチング、7点のドローイングを含む100枚の自画像を描きました。

    レンブラントの自画像の部屋です。
    レンブラントは、約40年間で、約50点の絵画、32点のエッチング、7点のドローイングを含む100枚の自画像を描きました。

  • 右から<br />「レンブラントの自画像(模写)」 マウリッツハイス美術館、ハーグ(オランダ)<br />「無帽の自画像」 ルーヴル美術館、パリ(フランス)<br />「縁なし帽をかぶった自画像」 ルーヴル美術館、パリ(フランス)<br />「羽飾り帽をかぶったレンブラント」 ベルリン国立美術館、ベルリン(ドイツ)

    右から
    「レンブラントの自画像(模写)」 マウリッツハイス美術館、ハーグ(オランダ)
    「無帽の自画像」 ルーヴル美術館、パリ(フランス)
    「縁なし帽をかぶった自画像」 ルーヴル美術館、パリ(フランス)
    「羽飾り帽をかぶったレンブラント」 ベルリン国立美術館、ベルリン(ドイツ)

  • 「縁なし帽をかぶった自画像」 ルーヴル美術館、パリ(フランス)<br />「羽飾り帽をかぶったレンブラント」 ベルリン国立美術館、ベルリン(ドイツ)

    「縁なし帽をかぶった自画像」 ルーヴル美術館、パリ(フランス)
    「羽飾り帽をかぶったレンブラント」 ベルリン国立美術館、ベルリン(ドイツ)

  • 「サスキアを膝に抱く自画像」 ドレスデン古典絵画館、ドレスデン(ドイツ)1635年<br />レンブラントの30代のときの作品。この絵には、レンブラント本人と最愛の妻サスキアが描かれています。

    「サスキアを膝に抱く自画像」 ドレスデン古典絵画館、ドレスデン(ドイツ)1635年
    レンブラントの30代のときの作品。この絵には、レンブラント本人と最愛の妻サスキアが描かれています。

  • 「死んだゴイサギを掲げる自画像」 ドレスデン古典絵画館、ドレスデン(ドイツ)

    「死んだゴイサギを掲げる自画像」 ドレスデン古典絵画館、ドレスデン(ドイツ)

  • (右)「自画像」 スコットランド国立美術館、エディンバラ(イギリス)<br />(左)「腰に手を当てる自画像」 ウィーン美術史美術館、ウィーン(オーストリア)1652年

    (右)「自画像」 スコットランド国立美術館、エディンバラ(イギリス)
    (左)「腰に手を当てる自画像」 ウィーン美術史美術館、ウィーン(オーストリア)1652年

  • 「カンヴァスに向かう自画像」 ルーヴル美術館、パリ(フランス)

    「カンヴァスに向かう自画像」 ルーヴル美術館、パリ(フランス)

  • 「パレットを持つ自画像」 ケンウッド・ハウス、ケンウッド(ロンドン)1665-69年<br />レンブラント晩年の自画像で、現在はロンドンのハムステッド・ヒース北端にあるケンウッドハウスに所蔵されています。狭い空間に部分的に描かれる二つの円と言う暗号めいた背景と絵画の大きさで有名なこの肖像画では、絵を描いている最中なのか、パレットと杖を握っています。

    「パレットを持つ自画像」 ケンウッド・ハウス、ケンウッド(ロンドン)1665-69年
    レンブラント晩年の自画像で、現在はロンドンのハムステッド・ヒース北端にあるケンウッドハウスに所蔵されています。狭い空間に部分的に描かれる二つの円と言う暗号めいた背景と絵画の大きさで有名なこの肖像画では、絵を描いている最中なのか、パレットと杖を握っています。

  • 右から<br />「聖パウロに扮した自画像」アムステルダム国立美術館、アムステルダム(オランダ)<br />「自画像」ウフィツィ美術館、フィレンツェ(イタリア)<br />「ゼウクシスとしての自画像」ヴァルラフ=リヒャルツ美術館、ケルン(ドイツ)1663年<br />「自画像」マウリッツハイス美術館、ハーグ(オランダ)

    右から
    「聖パウロに扮した自画像」アムステルダム国立美術館、アムステルダム(オランダ)
    「自画像」ウフィツィ美術館、フィレンツェ(イタリア)
    「ゼウクシスとしての自画像」ヴァルラフ=リヒャルツ美術館、ケルン(ドイツ)1663年
    「自画像」マウリッツハイス美術館、ハーグ(オランダ)

  • 「ゼウクシスとしての自画像」ヴァルラフ=リヒャルツ美術館、ケルン(ドイツ)1663年<br />ヴァルラフ・リヒャルツ美術館、舌を噛みそうな名前の美術館。ドイツ第四の都市ケルンの世界遺産の大聖堂近くにあります。日本ではそれほど馴染みのある美術館ではありませんが、中世から近代まで幅広いコレクションを有しており、レンブラントの作品もこの他何点かありました。

    「ゼウクシスとしての自画像」ヴァルラフ=リヒャルツ美術館、ケルン(ドイツ)1663年
    ヴァルラフ・リヒャルツ美術館、舌を噛みそうな名前の美術館。ドイツ第四の都市ケルンの世界遺産の大聖堂近くにあります。日本ではそれほど馴染みのある美術館ではありませんが、中世から近代まで幅広いコレクションを有しており、レンブラントの作品もこの他何点かありました。

  • 「自画像」 マウリッツハイス美術館、ハーグ(オランダ)1669年<br />レンブラントの代表作「テュルプ博士の解剖学講義」を有するマウリッツハイス美術館にある最晩年の自画像

    「自画像」 マウリッツハイス美術館、ハーグ(オランダ)1669年
    レンブラントの代表作「テュルプ博士の解剖学講義」を有するマウリッツハイス美術館にある最晩年の自画像

  • 「自画像」 ナショナル・ギャラリー、ロンドン(イギリス)1669年<br />63歳で逝去した画家の最晩年に描かれたもので、彼の人生最後の作品でもあります。<br />画面の中でレンブラントは深い赤のコートとベレーを身につけ、両手を体の前で握りしめています。

    「自画像」 ナショナル・ギャラリー、ロンドン(イギリス)1669年
    63歳で逝去した画家の最晩年に描かれたもので、彼の人生最後の作品でもあります。
    画面の中でレンブラントは深い赤のコートとベレーを身につけ、両手を体の前で握りしめています。

  • ルーベンスの大きな作品が並ぶ部屋に入ります

    ルーベンスの大きな作品が並ぶ部屋に入ります

  • ピーテル・パウル・ルーベンス「ルーベンスとイザベラ・ブラントの肖像」アルテ・ピナコテーク、ミュンヘン 1609年<br />ルーベンス自身の新婚の肖像。ルーベンス32歳、妻18歳です。<br />

    ピーテル・パウル・ルーベンス「ルーベンスとイザベラ・ブラントの肖像」アルテ・ピナコテーク、ミュンヘン 1609年
    ルーベンス自身の新婚の肖像。ルーベンス32歳、妻18歳です。

    大塚国際美術館 美術館・博物館

  • ピーテル・パウル・ルーベンス「シュザンヌ・フールマンの肖像」ナショナル・ギャラリー、1625年<br />羽根のついた帽子はフェルト帽ですが何故か「麦わら帽子」の愛称で呼ばれている名画です。<br />

    ピーテル・パウル・ルーベンス「シュザンヌ・フールマンの肖像」ナショナル・ギャラリー、1625年
    羽根のついた帽子はフェルト帽ですが何故か「麦わら帽子」の愛称で呼ばれている名画です。

  • ピーテル・パウル・ルーベンス「最後の審判」アルテ・ピナコテーク、ミュンヘン (ドイツ)1615-18年<br />『最後の審判 』は多くの芸術家に好んで取り入れられた作品ですが、ピーテル・パウル・ルーベンスの『最後の審判 』も傑作の一つです。イエスによる人類の救済と断罪の審判の場面が描かれており、画面右下には地獄の使者に頭を噛み砕かれる罪人が恐ろしい表情で描かれており、カラヴァッジョの陰影を使った作風が見られます。一方中央左側には天上へと導かれる救われた者が描かれており、躍動感のある人体表現になっています。ピーテル・パウル・ルーベンスはヴェネツィアでティツィアーノから画面構図の表現を十分に学び、またローマでミケランジェロからは肉体表現を学びましたが、この『最後の審判 』には両者の影響と華やかなルーベンスらしい光の表現が見事に現れています。

    ピーテル・パウル・ルーベンス「最後の審判」アルテ・ピナコテーク、ミュンヘン (ドイツ)1615-18年
    『最後の審判 』は多くの芸術家に好んで取り入れられた作品ですが、ピーテル・パウル・ルーベンスの『最後の審判 』も傑作の一つです。イエスによる人類の救済と断罪の審判の場面が描かれており、画面右下には地獄の使者に頭を噛み砕かれる罪人が恐ろしい表情で描かれており、カラヴァッジョの陰影を使った作風が見られます。一方中央左側には天上へと導かれる救われた者が描かれており、躍動感のある人体表現になっています。ピーテル・パウル・ルーベンスはヴェネツィアでティツィアーノから画面構図の表現を十分に学び、またローマでミケランジェロからは肉体表現を学びましたが、この『最後の審判 』には両者の影響と華やかなルーベンスらしい光の表現が見事に現れています。

  • ピーテル・パウル・ルーベンス「アマゾンの戦い」アルテ・ピナコテーク、ミュンヘン(ドイツ) 1618-20年<br />『アマゾンの戦い』はギリシャ神話の物語を題材にした作品で、1618年から20年頃にピーテル・パウル・ルーベンスによって描かれました。アマゾンとは女のみで構成される部族であり、伝説の最強の戦士たちです。ギリシャとアマゾンは対立しており、この作品は女部族アマゾンの軍勢とギリシア軍による戦闘の場面を描いています。軍神マルスを祖先とする神話上の女部族アマゾンは弓の名手としても知られています。本作は瞬間的な運動性に溢れたバロックの要素を取り入れており、また本作は現存していないティツィアーノによる『カドーレの戦い』に基づき描かれたとされています。現在はミュンヘンのアルテ・ピナコテークに所蔵されています。

    ピーテル・パウル・ルーベンス「アマゾンの戦い」アルテ・ピナコテーク、ミュンヘン(ドイツ) 1618-20年
    『アマゾンの戦い』はギリシャ神話の物語を題材にした作品で、1618年から20年頃にピーテル・パウル・ルーベンスによって描かれました。アマゾンとは女のみで構成される部族であり、伝説の最強の戦士たちです。ギリシャとアマゾンは対立しており、この作品は女部族アマゾンの軍勢とギリシア軍による戦闘の場面を描いています。軍神マルスを祖先とする神話上の女部族アマゾンは弓の名手としても知られています。本作は瞬間的な運動性に溢れたバロックの要素を取り入れており、また本作は現存していないティツィアーノによる『カドーレの戦い』に基づき描かれたとされています。現在はミュンヘンのアルテ・ピナコテークに所蔵されています。

  • ピーテル・パウル・ルーベンス「レウキッポスの娘たちの掠奪」アルテ・ピナコテーク、ミュンヘン(ドイツ) 1616-18年<br />ギリシア神話の物語であり、2人の女性が誘拐される場面『レウキッポスの娘たちの略奪』を題材にした絵画作品は非常に珍しく、そのため18世紀の作家ハインゼが指摘をするまではこの作品の題材は『サニビの娘たちの略奪』であると考えられていました。『レウキッポスの娘たちの略奪』は、ギリシアの神々の主神であるゼウスが美しい白鳥に姿を変えてスパルタ王の妃であったレダと結ばれ、さらにレダは卵を産み、双子の男の子カストルとポルックスが生まれます。そしてその2人が叔父のレウキッポスの娘ヒラエイラとポイベをさらい、妻としたというものです。<br />制作年

    ピーテル・パウル・ルーベンス「レウキッポスの娘たちの掠奪」アルテ・ピナコテーク、ミュンヘン(ドイツ) 1616-18年
    ギリシア神話の物語であり、2人の女性が誘拐される場面『レウキッポスの娘たちの略奪』を題材にした絵画作品は非常に珍しく、そのため18世紀の作家ハインゼが指摘をするまではこの作品の題材は『サニビの娘たちの略奪』であると考えられていました。『レウキッポスの娘たちの略奪』は、ギリシアの神々の主神であるゼウスが美しい白鳥に姿を変えてスパルタ王の妃であったレダと結ばれ、さらにレダは卵を産み、双子の男の子カストルとポルックスが生まれます。そしてその2人が叔父のレウキッポスの娘ヒラエイラとポイベをさらい、妻としたというものです。
    制作年

  • ピーテル・パウル・ルーベンス「三美神」プラド美術館、マドリード 1635年頃<br />ボッティチェリの『春』でも描かれた女神たちであるタレイア、エウプロシュネ、アグライアを描いた『三美神』は「美」「愛」「貞操」を意味しています。1630年代中頃に描かれましたがピーテル・パウル・ルーベンスは本作を生涯手放さず、後年にスペイン国王フェリペ4世により購入されました。ボッティチェリの三美神とは随分異なり、3人とも肉付きがよくふくよかです。ピーテル・パウル・ルーベンスはミケランジェロの人体表現に影響を受けており、この晩年の作品ではそれが顕著に伺えます。そしてこういった華やかで軽快な雰囲気はロココ調へ引き継がれ、さらには印象派の画家ルノワールの作風にも影響を与えています。

    ピーテル・パウル・ルーベンス「三美神」プラド美術館、マドリード 1635年頃
    ボッティチェリの『春』でも描かれた女神たちであるタレイア、エウプロシュネ、アグライアを描いた『三美神』は「美」「愛」「貞操」を意味しています。1630年代中頃に描かれましたがピーテル・パウル・ルーベンスは本作を生涯手放さず、後年にスペイン国王フェリペ4世により購入されました。ボッティチェリの三美神とは随分異なり、3人とも肉付きがよくふくよかです。ピーテル・パウル・ルーベンスはミケランジェロの人体表現に影響を受けており、この晩年の作品ではそれが顕著に伺えます。そしてこういった華やかで軽快な雰囲気はロココ調へ引き継がれ、さらには印象派の画家ルノワールの作風にも影響を与えています。

  • ピーテル・パウル・ルーベンス「鏡を見るヴィーナス」ヴァドゥーツ城リヒテンシュタイン・コレクション、ヴァドゥーツ 1613年

    ピーテル・パウル・ルーベンス「鏡を見るヴィーナス」ヴァドゥーツ城リヒテンシュタイン・コレクション、ヴァドゥーツ 1613年

  • ピーテル・パウル・ルーベンス「マリー・ド・メディシスのマルセイユ上陸」ルーヴル美術館、パリ 1622-25年<br />イタリアのメディチ家出身でフランス国王アンリ四世に嫁いだマリー・ド・メディシスからの注文による彼女の一代記(連作)。アンリ四世に嫁ぐため南仏マルセイユに到着した場面。

    ピーテル・パウル・ルーベンス「マリー・ド・メディシスのマルセイユ上陸」ルーヴル美術館、パリ 1622-25年
    イタリアのメディチ家出身でフランス国王アンリ四世に嫁いだマリー・ド・メディシスからの注文による彼女の一代記(連作)。アンリ四世に嫁ぐため南仏マルセイユに到着した場面。

  • 「マリー・ド・メディシスのマルセイユ上陸」の一部(海の精)

    「マリー・ド・メディシスのマルセイユ上陸」の一部(海の精)

  • ピーテル・パウル・ルーベンス「サン=ドニ聖堂におけるマリー・ド・メディシスの<br />戴冠式」ルーヴル美術館、パリ 1622-25年<br />マリー・ド・メディシスのサン・ドニ聖堂での戴冠式の場面

    ピーテル・パウル・ルーベンス「サン=ドニ聖堂におけるマリー・ド・メディシスの
    戴冠式」ルーヴル美術館、パリ 1622-25年
    マリー・ド・メディシスのサン・ドニ聖堂での戴冠式の場面

  • ピーテル・パウル・ルーベンス「キリスト昇架」アントウェルペン大聖堂、アントウェルペン 1610-11年<br />「フランダースの犬」で主人公ネロが憧れ続けた末に死の間際に見た名画として有名ですね。

    ピーテル・パウル・ルーベンス「キリスト昇架」アントウェルペン大聖堂、アントウェルペン 1610-11年
    「フランダースの犬」で主人公ネロが憧れ続けた末に死の間際に見た名画として有名ですね。

  • ピーテル・パウル・ルーベンス「ケルメス」ルーヴル美術館、パリ(フランス)1635‐38年頃<br />ケルメスとは「村祭り」のことです。

    ピーテル・パウル・ルーベンス「ケルメス」ルーヴル美術館、パリ(フランス)1635‐38年頃
    ケルメスとは「村祭り」のことです。

  • ピーテル・パウル・ルーベンス「ステーンの城館のある風景」ナショナル・ギャラリー、ロンドン(イギリス)1636-38年<br />「早朝のステーン城の風景」は、ピーテル・パウル・ルーベンスの晩年の作品で、宗教画や人物画などさまざまな題材を描いたルーベンスがおそらく自らのために描いた数少ない風景画のひとつ。ドイツに生まれ、アントウェルペンで教育を受けイタリアで画家として修行し、外交官としても画家としても国際的に活躍したルーベンスでしたが、1635年からはアントウェルペン郊外のステーン城を買い取り引退生活を送りました。ステーン城はそののち要塞として、あるいは牢獄として使用され、19世紀の大規模な改修を経て海洋博物館となっていたこともありましたが、現在でも町の観光名所のひとつとなっています。

    ピーテル・パウル・ルーベンス「ステーンの城館のある風景」ナショナル・ギャラリー、ロンドン(イギリス)1636-38年
    「早朝のステーン城の風景」は、ピーテル・パウル・ルーベンスの晩年の作品で、宗教画や人物画などさまざまな題材を描いたルーベンスがおそらく自らのために描いた数少ない風景画のひとつ。ドイツに生まれ、アントウェルペンで教育を受けイタリアで画家として修行し、外交官としても画家としても国際的に活躍したルーベンスでしたが、1635年からはアントウェルペン郊外のステーン城を買い取り引退生活を送りました。ステーン城はそののち要塞として、あるいは牢獄として使用され、19世紀の大規模な改修を経て海洋博物館となっていたこともありましたが、現在でも町の観光名所のひとつとなっています。

  • ピーテル・パウル・ルーベンス「エレーヌ・フールマンと子供たち」 ルーヴル美術館、パリ(フランス)1636年頃<br />エレーヌ・フールマンは、ルーベンスの2番目の妻で、結婚当時の彼女は16歳で、ルーベンスは53歳でした。約10年におよぶ結婚生活で2人の間に5人の子供が生まれています。

    ピーテル・パウル・ルーベンス「エレーヌ・フールマンと子供たち」 ルーヴル美術館、パリ(フランス)1636年頃
    エレーヌ・フールマンは、ルーベンスの2番目の妻で、結婚当時の彼女は16歳で、ルーベンスは53歳でした。約10年におよぶ結婚生活で2人の間に5人の子供が生まれています。

  • ピーテル・パウル・ルーベンス「サムソンとデリラ」 ナショナル・ギャラリー、ロンドン(イギリス)1609年<br />『サムソンとデリラ』はピーテル・パウル・ルーベンスがイタリアからの帰国直後にアントワープ市長ニコラス・ロコックスのために製作した作品で、『サムソンとデリラ』とは旧約聖書の物語です。ペリシテ人の脅威からイスラエルの民を救う先駆者であった怪力者サムソンは、ペリシテ人に対する残虐な仕打ちをしていたため、ペリシテ人から報復をされます。サムソンが恋をしていたペリシテ人の娼婦デリラにサムソンの弱点を探らせ、ついにサムソンは頭髪が弱点であると教えてしまい、ペリシテ人から髪を剃られるのです。この作品にはカラヴァッジョの影響により、明暗を強調するバロックの表現が見られます。

    ピーテル・パウル・ルーベンス「サムソンとデリラ」 ナショナル・ギャラリー、ロンドン(イギリス)1609年
    『サムソンとデリラ』はピーテル・パウル・ルーベンスがイタリアからの帰国直後にアントワープ市長ニコラス・ロコックスのために製作した作品で、『サムソンとデリラ』とは旧約聖書の物語です。ペリシテ人の脅威からイスラエルの民を救う先駆者であった怪力者サムソンは、ペリシテ人に対する残虐な仕打ちをしていたため、ペリシテ人から報復をされます。サムソンが恋をしていたペリシテ人の娼婦デリラにサムソンの弱点を探らせ、ついにサムソンは頭髪が弱点であると教えてしまい、ペリシテ人から髪を剃られるのです。この作品にはカラヴァッジョの影響により、明暗を強調するバロックの表現が見られます。

  • ディエゴ・ベラスケス「卵を料理する老女と少年」スコットランド国立美術館、エディンバラ(イギリス)1618年<br />17世紀スペインを代表する画家の10代の作品。台所や酒場の情景を描いたボデゴン(厨房画)で、油で熱されている卵、陶器や金属の器、ガラスの瓶など様々な物が見事に描き分けられ、若き画家が、自らの力量を世に示そうとした野心的な作品です。スコットランド国立美術館のコレクションで最も魅力的な作品の一つに数えられています。2022年東京都美術館で開催された「スコットランド国立美術館 THE GREATS 美の巨匠たち」に出展された作品。

    ディエゴ・ベラスケス「卵を料理する老女と少年」スコットランド国立美術館、エディンバラ(イギリス)1618年
    17世紀スペインを代表する画家の10代の作品。台所や酒場の情景を描いたボデゴン(厨房画)で、油で熱されている卵、陶器や金属の器、ガラスの瓶など様々な物が見事に描き分けられ、若き画家が、自らの力量を世に示そうとした野心的な作品です。スコットランド国立美術館のコレクションで最も魅力的な作品の一つに数えられています。2022年東京都美術館で開催された「スコットランド国立美術館 THE GREATS 美の巨匠たち」に出展された作品。

  • ディエゴ・ベラスケス「東方三博士の礼拝」 プラド美術館、マドリード(スペイン)1619年頃<br />ベラスケスのセビーリャ時代の作品で、初期の傑作です。登場人物が具体的なモデルに基づいて描かれていることは明らかで、長年の伝承によれば、聖母マリアは前年に結婚した妻フアナ、幼子イエスはこの年に生まれたばかりの長女フランシスカ、三博士のうち手前にひざまずくメルキオールが画家本人、その背後の横顔の老人カスパールが師匠にして岳父パチェーコであるとされます。<br />2018年国立西洋美術館で開催された「日本スペイン外交関係樹立150周年記念 プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」に出展されていました。

    ディエゴ・ベラスケス「東方三博士の礼拝」 プラド美術館、マドリード(スペイン)1619年頃
    ベラスケスのセビーリャ時代の作品で、初期の傑作です。登場人物が具体的なモデルに基づいて描かれていることは明らかで、長年の伝承によれば、聖母マリアは前年に結婚した妻フアナ、幼子イエスはこの年に生まれたばかりの長女フランシスカ、三博士のうち手前にひざまずくメルキオールが画家本人、その背後の横顔の老人カスパールが師匠にして岳父パチェーコであるとされます。
    2018年国立西洋美術館で開催された「日本スペイン外交関係樹立150周年記念 プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」に出展されていました。

  • ディエゴ・ベラスケス「セビーリャの水売り」 ウェリントン美術館 ロンドン(イギリス)1620年<br />「セビーリャの水売り」はベラスケスがまだマドリードに移動する前に描いたもので、ベラスケスが描いたボデゴン(厨房画)の中でも最高傑作と言われている作品です。大きな壺の質感が見事に表現されており、全体的に暗いイメージで描かれている中で、少年が手に持っている丸いグラスの輝きが際立っています。「卵を調理する婆」と同様に手の指の描写が見事で、絵画の中の人物たちはいまにも動き出しそうです。グラスの中にはイチジクの実が入れられていますが、これは水の新鮮さを保つために用いられていた当時の風習で、セビーリャでは現在も行われています。

    ディエゴ・ベラスケス「セビーリャの水売り」 ウェリントン美術館 ロンドン(イギリス)1620年
    「セビーリャの水売り」はベラスケスがまだマドリードに移動する前に描いたもので、ベラスケスが描いたボデゴン(厨房画)の中でも最高傑作と言われている作品です。大きな壺の質感が見事に表現されており、全体的に暗いイメージで描かれている中で、少年が手に持っている丸いグラスの輝きが際立っています。「卵を調理する婆」と同様に手の指の描写が見事で、絵画の中の人物たちはいまにも動き出しそうです。グラスの中にはイチジクの実が入れられていますが、これは水の新鮮さを保つために用いられていた当時の風習で、セビーリャでは現在も行われています。

  • ディエゴ・ベラスケス「バッコスの勝利(酔っ払いたち)」 プラド美術館、マドリード 1628年頃<br />ベラスケス中期の傑作

    ディエゴ・ベラスケス「バッコスの勝利(酔っ払いたち)」 プラド美術館、マドリード 1628年頃
    ベラスケス中期の傑作

  • ディエゴ・ベラスケス「ウルカヌスの鍛冶場」 プラド美術館、マドリード <br />1630年頃<br />ギリシャ神話にちなんだ作品。左の太陽神アポロンが、軍神マルスと通じた愛と美の女神ヴィーナスの不貞を、ヴィーナスの夫である火と鍛冶の神ウルカヌス(左から2番目)に密告するために訪れた場面を描いているといわれています。

    ディエゴ・ベラスケス「ウルカヌスの鍛冶場」 プラド美術館、マドリード 
    1630年頃
    ギリシャ神話にちなんだ作品。左の太陽神アポロンが、軍神マルスと通じた愛と美の女神ヴィーナスの不貞を、ヴィーナスの夫である火と鍛冶の神ウルカヌス(左から2番目)に密告するために訪れた場面を描いているといわれています。

  • ディエゴ・ベラスケス「ブレダの開城(槍)」 プラド美術館、マドリード <br />1634-35年頃<br />ベラスケスを代表する歴史画で、長期にわたる戦いの末、オランダの都市ブレダを征服したジェノバ出身のスペイン軍司令官アンブロジオ・デ・スピノーラが、ユスティノ・デ・ナッサウからブレダの鍵を渡される場面を描いた作品です。

    ディエゴ・ベラスケス「ブレダの開城(槍)」 プラド美術館、マドリード 
    1634-35年頃
    ベラスケスを代表する歴史画で、長期にわたる戦いの末、オランダの都市ブレダを征服したジェノバ出身のスペイン軍司令官アンブロジオ・デ・スピノーラが、ユスティノ・デ・ナッサウからブレダの鍵を渡される場面を描いた作品です。

  • ディエゴ・ベラスケス「道化師パブロ・デ・バリャドリード」 プラド美術館、マドリード <br />1634年頃<br />

    ディエゴ・ベラスケス「道化師パブロ・デ・バリャドリード」 プラド美術館、マドリード 
    1634年頃

  • ディエゴ・ベラスケス「ラス・メニーナス(女官たち)」 プラド美術館、マドリード(スペイン)1656年<br />「ラス・メニーナス」はベラスケスの最高傑作と言われている作品で、当時のスペイン国王フェリペ4世の王女マルガリータを中心に、女官や侍従たちの姿が描かれています。

    ディエゴ・ベラスケス「ラス・メニーナス(女官たち)」 プラド美術館、マドリード(スペイン)1656年
    「ラス・メニーナス」はベラスケスの最高傑作と言われている作品で、当時のスペイン国王フェリペ4世の王女マルガリータを中心に、女官や侍従たちの姿が描かれています。

  • 「ラス・メニーナス(女官たち)」(部分拡大)<br />ウイーンの美術史美術館には、ベラスケスによる王女マルガリータの素晴らしい肖像画がありますが、こちらはプラド美術館にあるマルガリータ5歳がモデルです。

    「ラス・メニーナス(女官たち)」(部分拡大)
    ウイーンの美術史美術館には、ベラスケスによる王女マルガリータの素晴らしい肖像画がありますが、こちらはプラド美術館にあるマルガリータ5歳がモデルです。

  • ディエゴ・ベラスケス「アラクネの寓話(織女たち)」 プラド美術館、マドリード(スペイン)1657年頃<br />「女官たち」と並ぶ晩年の傑作。長らく王室綴れ織り工場で働く女性たちを描いた写実的情景と信じられてきたが、実は、アラクネの寓話という神話が本当のテーマ。<br /><br /><br />

    ディエゴ・ベラスケス「アラクネの寓話(織女たち)」 プラド美術館、マドリード(スペイン)1657年頃
    「女官たち」と並ぶ晩年の傑作。長らく王室綴れ織り工場で働く女性たちを描いた写実的情景と信じられてきたが、実は、アラクネの寓話という神話が本当のテーマ。


  • ディエゴ・ベラスケス「皇太子バルタサール・カルロス騎馬像」 プラド美術館、マドリード(スペイン) 1634-35年<br />フェリペ4世の長男、バルタサール・カルロスが5歳のときに描かれた作品です。この絵はブエン・レティーロ宮の「諸王国の間」に、国王夫妻の騎馬像に挟まれて扉口の上に飾られていました。両脚を高く上げた馬の背でりりしく指揮棒をふるう姿からは、王太子が王位継承者として大切に育てられ、人々に愛されていた様子がうかがえます。この作品が描かれた当時は「風景画」というジャンルがまだあまり確率されていませんでしたが、山の稜線や雲の表現が傑出しています。ほぼ全体が色鮮やかな澄んだ空色で描かれている背景は、王太子の未来が輝いていることを予感させますが、王太子は王位を継ぐことなく16歳で早逝しました。<br />こちらも2018年の「プラド美術館展」に出展された作品。

    ディエゴ・ベラスケス「皇太子バルタサール・カルロス騎馬像」 プラド美術館、マドリード(スペイン) 1634-35年
    フェリペ4世の長男、バルタサール・カルロスが5歳のときに描かれた作品です。この絵はブエン・レティーロ宮の「諸王国の間」に、国王夫妻の騎馬像に挟まれて扉口の上に飾られていました。両脚を高く上げた馬の背でりりしく指揮棒をふるう姿からは、王太子が王位継承者として大切に育てられ、人々に愛されていた様子がうかがえます。この作品が描かれた当時は「風景画」というジャンルがまだあまり確率されていませんでしたが、山の稜線や雲の表現が傑出しています。ほぼ全体が色鮮やかな澄んだ空色で描かれている背景は、王太子の未来が輝いていることを予感させますが、王太子は王位を継ぐことなく16歳で早逝しました。
    こちらも2018年の「プラド美術館展」に出展された作品。

  • ディエゴ・ベラスケス「狩猟服姿の皇太子バルタサール・カルロス」 プラド美術館、マドリード(スペイン)1635-36年<br />上記のカルロス王子の6歳のときの肖像画。

    ディエゴ・ベラスケス「狩猟服姿の皇太子バルタサール・カルロス」 プラド美術館、マドリード(スペイン)1635-36年
    上記のカルロス王子の6歳のときの肖像画。

  • ディエゴ・ベラスケス「教皇インノケンティウス10世の肖像」 ドーリア・パンフィーリ美術館、ローマ(イタリア)1650年<br />ベラスケスが2度目のイタリア旅行中に描いた作品で、彼が描いた肖像画の中でも最高傑作と言われています。この絵のモデルはキリスト教の最高位聖職者であるローマ教皇、本来であれば寛容で神聖な人物として描かれる対象ですが、この絵の人物から感じられるのは狡猾で神経質な冷たい老人といったイメージで、いかにも権力者といった表情でこちらを見ています。

    ディエゴ・ベラスケス「教皇インノケンティウス10世の肖像」 ドーリア・パンフィーリ美術館、ローマ(イタリア)1650年
    ベラスケスが2度目のイタリア旅行中に描いた作品で、彼が描いた肖像画の中でも最高傑作と言われています。この絵のモデルはキリスト教の最高位聖職者であるローマ教皇、本来であれば寛容で神聖な人物として描かれる対象ですが、この絵の人物から感じられるのは狡猾で神経質な冷たい老人といったイメージで、いかにも権力者といった表情でこちらを見ています。

  • ディエゴ・ベラスケス「キリストの磔刑(サン・プラシドのキリスト」 プラド美術館、マドリード(スペイン)1632年頃<br />ドリッドのベネディクト会サン・プラシド修道院の依頼により制作されたため≪サン・プラシドのキリスト≫とも呼ばれる本作の主題は、それまで幾多の画家によって最も多く描かれてきた、ゴルゴダの丘で磔刑に処されるイエスを描いた≪磔刑≫で、セビーリャの伝統的な図像学に基づき、イエスの両足は重ねられることなく平行にされるほか、両手と合わせると合計四本の杭で打ちつけられています。暗中に輝きを放つイエスの表現は、鮮やかに描かれながらも、超自然的な存在感によって、全てを超越した≪神の子≫であることを示しています。

    ディエゴ・ベラスケス「キリストの磔刑(サン・プラシドのキリスト」 プラド美術館、マドリード(スペイン)1632年頃
    ドリッドのベネディクト会サン・プラシド修道院の依頼により制作されたため≪サン・プラシドのキリスト≫とも呼ばれる本作の主題は、それまで幾多の画家によって最も多く描かれてきた、ゴルゴダの丘で磔刑に処されるイエスを描いた≪磔刑≫で、セビーリャの伝統的な図像学に基づき、イエスの両足は重ねられることなく平行にされるほか、両手と合わせると合計四本の杭で打ちつけられています。暗中に輝きを放つイエスの表現は、鮮やかに描かれながらも、超自然的な存在感によって、全てを超越した≪神の子≫であることを示しています。

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