2015/11/03 - 2015/11/03
733位(同エリア1274件中)
滝山氏照さん
JR鳴門線終点鳴門駅から徒歩約25分、鳴門市街並びに小鳴門海峡を見下ろす妙見山山頂(比高60m)にある撫養城(むやじょう、徳島県鳴門市撫養町林崎)は古くは戦国時代前半、阿波守護細川氏に取って替わった重臣三好氏の支配する所となり配下の四宮氏が城番として護ります。
天正10年(1582)四国統一をめざし土佐の長曾我部元親(ちょうそかべ・もとちか、1539~1599)の阿波進出により当城は重臣である真下氏の管理下に置かれます。
長宗我部氏征伐で勝利を収めた関白豊臣秀吉は天正13年(1585)戦功あった蜂須賀家政(はちすか・いえまさ、1558~1639)に阿波一国を与え、入封した家政は新たに現在の徳島に近世城郭を築城、併せて国内支配を固めるため阿波国内に九の支城を配置、その一つとして家政は異母弟である益田正忠(ますだ・まさただ、生誕死没不詳)を鳴門海峡の関門を監視するため撫養城に城番として配します。
然しながら元和元年(1615)の幕府による一国一城令が発せられ、徳島藩でも九つの支城も廃される事になり撫養城も廃城となり後に妙見神社が建立されることを機に妙見山と称されることになります。
妙見神社脇の説明板には次の説明が記されています。
「史蹟 撫養城址
天正十三年(1585)蜂須賀家政が阿波に入国し国内九か所に城塞を設けた。阿波の九城という。
撫養城は淡路渡海の押さえとして異母兄弟の益田内膳正忠を城番にし手勢三百名をもって守らせた。
寛永十五年(1638)一国一城の令により阿波九城は破却された。
社殿後方の城石は当時の面影を残している。」
- 旅行の満足度
- 4.0
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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JR鳴門駅ホーム
高徳線池谷駅から分かれて終点鳴門駅まで約8.5Kmを走り、その間の5駅はとなります。 -
鳴門駅車止め
盲腸線には必ず見かける車止めがあります。 -
なると観光マップ
駅舎前に描かれた鳴門市周辺地図で訪問先である「妙見山公園」を確認します。 -
妙見山道順
駅前の通りを郵便局で左折、文明橋を渡っての直進コースとなります。 -
模擬天守遠景
途中の道路から天守閣が視野に入ります。 -
模擬天守
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妙見神社社標
撫養城跡は廃城後は妙見神社となっているようです。 -
妙見神社鳥居
鳥居を潜ると急斜面に施された石段を登ります。 -
奉納金石標
額面から考慮すると相当古い時期の奉納金と云えます。 -
参道
登っている石段を途中で振り返ります。 -
改修工事中の模擬天守閣
残念ながら工事中とのことで立入禁止となっています。 -
改修工事中の模擬天守閣
せっかくですからできるだけ接近して天守閣の雄姿を撮ります。 -
イチオシ
妙見神社
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妙見神社・撫養城跡説明
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手水舎
境内に配されている手水舎が見えます。 -
イチオシ
妙見神社拝殿
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狛犬
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狛犬
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境内風景
拝殿から鳥居方向を一望します。 -
妙見神社本殿
拝殿に続く本殿には背後から石垣が迫っています。 -
本殿と城郭石垣
本殿の後方には石垣は蜂須賀藩九城として築城された当時に積まれたものと思われます。 -
イチオシ
本殿を取り囲んだ石垣
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イチオシ
本殿と石垣
本殿の一部は石垣を利用して置かれ、その状況が通路越しに確認できます。 -
本殿左と石垣
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妙見公園展望台
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小鳴門海峡展望
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模擬天守台
妙見公園展望台から振り返れば模擬天守台が視野に入ります。 -
小鳴門海峡
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妙見神社絵馬堂
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天井に描かれた家紋
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市街展望
絵馬堂から夕暮れの鳴門市街を一望します。 -
鳴門駅舎
妙見山を離れて鳴門駅に戻ります。辺りは夕暮れが漂ってきました。 -
モニュメント
鳴門駅前に建つ阿波踊りと渦潮を併せてデザイン化したモニュメントが見えます。
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