2015/03/14 - 2015/03/14
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たびたびさん
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今回の旅は、ひな祭りの旅の締めくくりといった位置づけ。各地のひな祭りでも、皆さんやっぱり京都を強く意識していたわけですから、その京都でひな人形の文化というものをなんとか確認しないと収まらないでしょう。
ということで、訪ねたのは丸平文庫。こちらは、日田でも神様みたいに思われていた丸平大木人形店の資料室。代々、大木平藏を襲名して、現在が8代目だそうです。ひな人形で丸平といえば、圧倒的なブランド力となっているにしても、それを担っているのがどういう人たちなのか。どんなことを考えているのか。とっても興味が湧くところですよね。店の女将さんが、展示されたひな人形や宮家の装束写真などを使って、説明すること1時間余り。
いくつか分かったのは、要約すると以下のようなことです。
①天皇をはじめとする宮中の人の衣装を忠実に再現する有職雛が強み。
②丸平のブランドが確立したのは明治以降。内国勧業博覧会で、明治天皇の人形を出品。それを見た明治天皇が微笑まれたことで、あうんの呼吸で内諾を得たと解釈して今日に至る。
③三越と組んだことで、三井家をはじめとして各地の名家・資産家等への販路が確立した。
④京都の各分野の職人の分業制の上に立ち、これをプロデュースすることで、常に良い品質と独創性を確保している。
そして、そうそうたる名家や資産家がもつことで、あこがれがいっそう強くなるといった好循環が生まれている。これは確かにすごいことなんですが、一方で、盲信的になるのも考え物。実は翌日ヨドコウ迎賓館のひな人形を拝見しましたが、注文した側のセンスも光っていて、ただここで買えばいいというようなことでもないように思いました。
蛇足ですが、京都の庭園でも、小川治平や重森三玲の作った庭がすべて名園ではない。施主のコンセプトがしっかりしていて、これとかみ合った時に初めて素晴らしいものができる。これは、私の持論でもあるんですが、野村徳七の碧雲荘とか、その最たるものだと思います。むしろ、丸平の技術や人形を使って、何を表現するのか。結局は持ち主のセンスの問題に戻ってい行くというまっとうな落ちになるような気がします。
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丸平の予約は午後からなので、それまでは、例によって、京都の市街を歩きます。マイナーな観光スポットですが、まあ、それはこちらの気持ち次第でしょう。
茶屋四郎次郎は、呉服商から徳川家康に接近し、朱印船貿易の特権を得て巨万の富を築いた京都の豪商。角倉了以の角倉家などと並んで、「京の三長者」と呼ばれたようです。
ここは御所にも近い辺りで、今でも茶屋町という地名が残ります。石の杭が残るだけですが、京都の華やかな時代を思い出させる遺構の一つだと思います。 -
続いて、澤井醤油本店。この辺りは、京都御所も近い京都の中心部。今だと何でこんな街中に醤油屋さんがあるのかなあと思ってしまうんですが、京都は中心部であっても、元々、水に恵まれた土地。酒屋さんなんかも街中にあったようで、それを考えれば不思議はありません。お店の周辺では、醤油のいい匂いがたち込めているし、建物も雰囲気が残っています。
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奈良や京都は寺の街ですし、そうなれば当然仏像を作っているところもあるはずなんですが、街歩きをしていてもこれまで見かけたことなんかありませんでした。今回、偶然見つけたのは、松本明慶佛像彫刻美術館。ここは仏師の方の工房ですね。
あいにくこの日はお休みだったのですが、外から中をうかがうと展示スペースはそれなりに広そう。ディープな京都を知る施設として面白そうなところだと思います。 -
こちらの護王神社は、和気清麻呂と姉の和気広虫が主祭神。和気清麻呂が宇佐へ流された際、道鏡が送った刺客に襲われ、この時、300頭の猪によって命を救われたという伝説から、境内は至る所に猪があって、猪の神社として知られています。
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境内の一角に、全国から送られてきたという猪の置物などが展示されていました。いや、これまで気が付きませんでしたが、なかなか面白いです。
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同じ並びにあるのは有栖館。有栖川宮邸だった建物ですが、京都地方裁判所所長宿舎として使われていたものを今は平安女学院が取得しています。
たまに、特別公開されるようですが、普段はこの青天門を見るくらい。大正期に造られた門で、国の登録有形文化財となっています。 -
これは、菅原院天満宮神社。
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ここは、菅原道真の曽祖父の邸宅、菅原院があった場所で、菅原道真とその父祖を祀っています。なお、菅原道真はここで生まれたとされており、境内には「菅公御産湯の井」という井戸もあります。
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京都新聞社は、烏丸通沿いの大きな建物。報道機関なので中立性は当然ですが、京都は歴史ある神社仏閣も多いし、国際観光都市でもある。地元では共産党が強かったり、結局、多様な価値観を持つ人がいて、言論活動などを行うには難しい土地柄でしょう。その分、いろんな視点で鍛えられてきた面もあるのではないかと思います。
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フリアンディーズ 烏丸店では、新商品の塩黒豆あんぱんをいただきました。
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塩と黒豆とアンパンって、どう組み合すのか。どれがメインになるのかなあとか思いましたが、それが交じり合っていい感じ。塩パンのうまさも黒豆パンのうまさもアンパンのうまさもそれぞれちゃんと活かされてます。で、敢えて言えば塩パンのうまさが光ってますけど、面白いものができたと思います。
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京都の銘菓、五色豆は、この豆政本店が開発したお菓子だそう。そういう意味では京都でも老舗中の老舗の一つだと思います。
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しかし、五色豆は、ちょっとありきたりの味になってしまってますよねみたいな話をしたら、うちのは豆が違いますとのこと。でも、それをいつも食べていたので、それがスタンダードになってしまっているんですよね。なおで、今回は「味の友」というのを買ってお土産にしました。お店は風格があって、一度は見てみてもいいお店だと思います。
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キンシ正宗堀野記念館は午前中に行ったのですが、開館は11時なんですね。それって、食堂と同じ。隣りにちょっとした食事処もあるので、どうせ来るなら、そっちも利用してということなんでしょうか。観光施設としては、利用しにくい設定かなと思いました。
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ちなみに、創業は天明元年(1781年)。明治に入って、酒造りの拠点は伏見に移っているようですが、当時は京都の街中でも良質な水が豊富にあったのでしょう。いろんな意味で恵まれた環境にあった京都に思いを馳せました。
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ところで、この辺りはパン屋さんが多いんです。
しろはとベーカリーは、押小路通りの住宅地の中。この辺りは、ぽつぽつパン屋さんがあって、もしかしたらそれなりの激戦区なのかも。 -
お店に入ると、フレンチトーストのきれいなパンが目に入って、迷わずそれをいただきました。いやー、とってもうまい。食べ歩きをするにはちょっともったいなかったなあ。喫茶店顔負けの逸品です。
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Flip up!も小さなパン屋さんなんですが、見ていたら、パラパラお客さんが出入りしていて、なかなか人気があるようです。
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イチオシ
私もつられて入って、「やっぱりクリームパン」と書かれたクリームパンをいただきました。なるほど、このクリームってプリンを崩したような感じ。確かにうまいですねえ。新次元のクリームパンだと思います。
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さて、御金神社で、まず驚くのは金色の鳥居でしょう。さすがお金を祭る神社です。
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イチオシ
また、境内に入ると宝くじが当たるようにと言った絵馬がたくさん掛けてあって、まあ、分かりやすいと言えば分かりやすい神社。元は、金光教と関係があったようですが、今は関係ないようです。
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これは、烏丸御池遺跡・平安京跡。烏丸御池の交差点角に碑がありました。
縄文時代から古墳時代の前期にかけて、一帯が集落だったということ。ただ、この頃だと大和朝廷の地盤は飛鳥の方。京都は地方の一つに過ぎなかったわけで、どれだけ価値があるのかはよく分かりません。 -
在原業平邸址は御池通り沿い。石柱がポツンとあるだけですが、在原業平とくればちょっと特別でしょう。
平安初期の代表的歌人で六歌仙の一人。父が平城天皇の皇子ですから、やんごとなき血筋。そして、極め付きは、伊勢物語の主人公だということ。源氏物語の光源氏に並ぶモテモテの貴公子ではないかと思います。 -
御所八幡宮も、その並び。
足利尊氏が邸内の守り神として勧請したと伝えられる神社です。 -
つまり、この辺りは足利尊氏の邸宅だったのですね。八幡宮は武士の神様。新田義貞を討つために挙兵した際は、ここで戦勝祈願をしたりしています。
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亀屋良永は、御池通りから寺町通りの商店街に入る入口。ここは知る人ぞ知るの有名な老舗なんですが、今までなんか縁遠くて、今回やっと初訪問ということになりました。
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いただいたのは、看板商品の御池煎餅。赤ちゃんが食べるような柔らかい米粉のせんべいなんですが、口に入れると、ふわっと溶けてなくなって、その後に優しい甘さが残ります。その加減がまさしく絶妙。これぞ京都の老舗の技といったお菓子だと思います。お見事です。
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ここら辺りからは、マイナースポットを取りあえずチェックしていきますよ〜
こちらは法雲寺というより、菊野大明神の方が前面に出ている感じですね。菊野大明神は、良縁を結び悪縁を絶つ、縁切り縁結びの神様。境内の奥の方にありましたが、建物の薄暗い中に安置されていて、ここだけ何か特別のものといった雰囲気がありました。 -
廣誠院は、門は固く閉まっているし、説明も何も何もないので、これはどうしたものかなあと思ったら、近所の人が声をかけてきて、ここは季節によって公開している寺。普段は見れなませんということでした。ここは、長州藩邸があったところで、庭園が有名なようです。
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カトリック河原町教会は、明治に入ってから、京都で最初に出来た教会。
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外観は、正直言えば、パッとしないなあと思ったのですが、中に入るとステンドグラスがとても立派。
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イチオシ
奥に向かって右手の方しかありませんが、大きさもあるし力強いデザイン。これは一見の価値があると思います。
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酢屋は、坂本龍馬が近江屋で遭難する直前までここで匿われていた場所。有料ですが、二階にその龍馬の部屋というのと最後に姉、乙女に書いた手紙などが紹介されていました。はっきり言えば、それ自体はどれもそんなにお宝というものではないんですが、龍馬が死の前月に大政奉還という大仕事を終え、この場所に居たという事実を思うと自ずと興奮せざるを得ない。やっぱり特別な場所であると思います。
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河原町通り沿いの商店街に出て、これは玉や絲や。この辺りは11時にならないと店が開かないのですが、中に店員さんの姿が見えたので、少し早めに入れてもらってお土産を買いました。ものすごい種類のかりんとうがあって、迷ってしまうのですが、選んだのは生姜のまあるいかりんとう。生姜のさわやかな香りがかりんとうの甘さを包んで、とっても上品な味わいです。
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長仙院は、河原町通りの裏手。この辺りも、いくつもの寺が軒を並べているエリアです。
こちらの見どころは、安倍晴明像。しかし、そんな説明書はまったくなくて、知る人ぞ知るといったレベルかも。予約制で受け付けています。 -
頂源院は、長仙寺の並び。ちょっと奥まった場所にあります。
門前に「京極の水子供養寺」の石標。身寄りのない人を供養する供養塔などもあるようで、お寺だからこそそういった日の当たらないところでも何とかしようということなんでしょうか。頭が下がります。 -
大善寺は、河原町通りの裏手。この路地は、お寺が軒を並べるエリアで、お寺の数はいくつあるか分からないほど多いでしょう。その中で、この寺がどうして観光スポットに登録されているのか分かりませんが、この日は大善寺寄席というイベントがあるようでした。お寺に親しんでもらおうというよりも、お寺でも出来る範囲でこの地域に一定の貢献をしましょうということでしょう。悪いことではないと思います。
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京都鶏卵堂は、新京極から少し裏通りに入った場所。まだ新しく店を出したばかりのような感じですね。
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鶏卵饅頭はカステラの饅頭のことでしょう。そういう意味ではしっとりしたのを予想していたのですが、けっこう水分が少なくて、固い仕上がり。その分、味がギュッと詰まっているような感じで新味があるのではないかと思いました。
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善長寺は、新京極通から参道を入って行く寺。賑やかな商店街に面した寺は錦天満宮のように人の出入りが多くて賑わっているところもありますが、ここはちょっと入るような雰囲気でもないかも。奥には、くさよけ立江地蔵尊のお堂がありますが、このくさというのは天然痘のことのようです。
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西光寺は、新京極から参道が細く続いて、本堂は奥の方。京都十二薬師の11番、寅薬師の寺だそうで、御用があれば呼び鈴を押してくださいと張り紙がありました。たぶんここをお参りした朱印を押してもらうとかだと思います。
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ロンドンヤは、新京極に入ってすぐ。
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ロンドン焼きというのは、小さなカステラ生地に白あんが入った菓子。アメ横の都饅頭とか、ときどき見かけるタイプのお菓子ですね。生地にロンドンヤと焼き印が入って、それがちょっとしゃれている。ひと手間かけた感がいいと思います。
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四条通りに出て、これは冠者殿社。横に、説明書きがあって、当社は八坂神社 の境外末社で、祭神はスサノオノミコトとあります。 福岡でも、歳末大安売りのことを「誓文払い」と言いますが、なんとこのルーツがここなんだそうです。
源頼朝の命を受けた土佐坊は義経の暗殺に失敗。武蔵坊に捕まり、暗殺はしないと誓紙を書いたのに、再びそれを破って処刑された。その誓文の神様と、誓いを破った土佐坊の双方が祭られているということ。これが商売も正直にあろうということに結びついているようです。 -
そのまま四条通を越えて、下がって行きます。
火除天満宮は、ビルの脇スペースが参道になっているのですが、その入り口はかぎが掛かっていて、奥には入れませんでした。辺りを工事していて、そのための用心かもしれませんが、どっちにしても不思議な構造になっています。なお、名前は京における度重なる大火でも類焼をまぬかれたことから。その強運にあやかりたいということです。 -
浄教寺は、平清盛の嫡男、平重盛ゆかりの寺。
始まりは、平重盛が建てた「四十八間の精舎」。これは、平重盛が自邸内に築いたもので、四十八間の精舎の各柱間毎に一体ずつ計48体の阿弥陀仏と燈籠を配置した建物だったそうです。
ちなみに、重盛は清盛より早逝。重盛が亡くなって以降、清盛の言動がおかしくなっていったようにも思えます。重盛、清盛亡き後の平家の総帥は、時子の生んだ宗盛となりますが、二人と比べるとあまりにも器が小さくて、話にはなりません。
境内には「内大臣平重盛公之碑」の碑が立っています。 -
大神宮というのはお伊勢さんの神社です。あまり知られてはいないですが、京都にも京都大神宮という神社があります。ただ、明治になって整備されたものですから、神仏分離令とかを出して無理に神道に統一しようとして混乱した時代を思い起こしてしまいます。
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一方で、建物は一条家の玄関及び書院を移築したものだとか。貴族の邸宅の優美さが目を引く建物だと思いました。
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聖光寺は、800年の歴史を持つ浄土宗の古刹。法然の弟子で、浄土宗の奥義を伝えられたという聖光上人が住んでいたというのが始まりです。
境内の墓地には、忠臣蔵の大石良雄の母や鞍馬天狗の嵐寛寿郎の墓もあるようです。ただ、入れるのかどうか。外から覗くことしかできませんでした。 -
念仏踊りの空也にゆかりの寺と言えば、六波羅蜜寺が有名ですが、この空也寺も空也が開基ということです。本堂は鉄筋コンクリート造りのようで、ちょっと風情には欠けるんですが、空也の名前が付いていることで、やはりそれなりの重さはあるような気はします。
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京都市学校歴史博物館は、明治以降の京都の学校教育の歴史を解説しています。
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そして、京都の教育は、幕末の戦乱による荒廃や東京への遷都で京都が危機に陥った中で、教育の重要性を認識したのが出発点だったとか。
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谷川清次郎商店は、京都市学校歴史博物館の真向かい。キセルの専門店なんて珍しいですよね。思わずお邪魔してしまいました。
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ところで、キセルって日本のものなんですが、たばこ自体、日本のものではないような。
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イチオシ
あれれ。ご主人いわく、たばこは鉄砲何かと同じく伝わった南蛮文化の一つ。パイプでくゆらすのではなく、刻みタバコとしたのは日本の発明。キセルはその刻みタバコ用に造られたのだそうです。刻みタバコは今でもJTが生産していて、やっぱり愛好家はいるんだそう。長い部分は竹だそうでフィルターの役割があるので、長くつかった後は取り換える。知っているようで知らないこといろいろお聞きできました。ありがとうございました。
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汎洛って、「ぱんらく」って読みようですが、キリンの絵の外観に石焼窯の宣伝文句と、なんだかんだと賑やかなんですが、一貫性はないかもしれません。
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店内のパンもそんな感じ。いろんな種類のパンがあれこれと並んでいて、奥の厨房からどんどん焼き上がったパンが運ばれてきます。チーズのパンをいただきましたが、ちょっとお店の雰囲気に飲まれてしまって、どうだったかなあ。味の方の印象が薄くなってしまいました。
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明王院不動寺は、住宅地の真ん中にある小さなお寺。
門前に駒札があって、けっこう詳しい説明がありました。俗に、「松原不動」。
桓武天皇が、平安京の鎮護のため、都の東西南北に一切経の経巻を納めた「平安京四岩倉」を造ったのですが、この寺は、そのうちの一つ「南岩倉」だったということです。 -
長香寺は、徳川家康の御側女中、於古知也(おこちゃ)の発願による創建。ただ、於古知也がどういう人物だったかよく分からないのは、子供を産んでいないからかもしれません。
この寺の修復等にあたっていた大工の中井家の菩提寺となり、その後、その中井家の娘が将軍吉宗を産んでいたことから、幕府の援助を得たようです。
門は立派ですが、境内はざっとした感じ。歴史を秘めている寺の感じはしませんでした。 -
ますやは、住宅街にある地元密着の小さな洋食屋さん。京都はこんな店で隠れた名店があるんだよなあと期待して入ってみました。お店には地元の常連さんがカウンターを囲んでいて、なんかいい雰囲気。
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チキンライスをいただきました。ケチャップたっぷりと言った感じですねえ。しかし、私には味が少し濃いような。ただ、水を含むと濃いケチャップ味の向こうに深い味わいが隠れていることがよく分かる。もっと薄味にしたら、このうまさがストレートに伝わるんだけどなあ。惜しいような気もしましたが、たぶん、これが常連さんの好みに合わせた結果なんでしょう。そういうことだと思います。
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佛光寺は、仏光寺通りの仏光寺。始まりは、越後に流罪となった親鸞が赦免されて、京都に帰ってくると、山科の地に草庵を結びます。その草庵が寺の起源ということです。
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真宗佛光寺派の本山であり、一時は本願寺をしのぐ勢いがあったとも。今でも伽藍は本願寺によく似た豪壮な雰囲気。いきなり見るとちょっとびっくりすると思います。
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門前には、いくつもの同派の寺院が並んでいます。
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大善院や
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大行寺も佛光寺派の寺院の一つ。快慶作の観音菩薩像と珍しい仏足石の寺です。仏足石は境内にあって見れますが、観音菩薩像の方は拝観可能かどうかは不明です。郵便受けに、ギャラリーおてらハウスと出ていましたが、これもどういうことだかよく分かりません。
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八坂神社大政所御旅所は、八坂神社の神輿が渡御した際、八坂神社を出て四条通を経て神泉苑に行く途中、ここで一時安置された場所。ちなみに、祇園会の神輿三基のうち、素盞嗚尊(牛頭天王)と八王子との二基を大政所と呼ぶのだそうです。
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与謝蕪村宅跡は、仏光寺通り。石標と説明板が建っていました。
ちなみに、与謝蕪村は、今の大阪市都島辺りの出身。江戸で俳句を学んだ後、京都では居を転々としたようですが、ここが最後の場所。ここで亡くなったようです。 -
丹波国亀山藩京屋敷跡は、松原通沿い。稲荷神社のように重なった赤い鳥居が目立っています。
亀山は亀岡市のこと。実は、三重にも亀山という地名があって、それとダブっているので、明治になってから亀山を亀岡に名前を変えたんです。
丹波篠山藩主松平信岑がここに藩邸を置いたのですが、その後、丹波国亀山に転封され、そのまま亀山藩邸となったようです。 -
光圓寺は、もとは九条兼実の別邸のあった場所。ここで親鸞が、晩年、妻である玉日君(九条兼実の娘)と過ごし、亡くなったのだそうです。
門前に、「親鸞聖人御入滅之地」の石碑がありました。親鸞は、浄土真宗を開いた人物ですし、ここももう少しメジャーな扱いがされてもいいと思うのですが、どうでしょうか。 -
五條天神社の門前には駒札があって、それによると、桓武天皇の平安遷都にあたり、大和国宇陀郡から天神を勧請したのが始まり。後に、後鳥羽天皇の時代に、「五條天神宮」と改めたということ。
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ちょっと、殺風景な神社ですが、もう一つ知られているのは、ここが義経と弁慶の出会いの場であったこと。ただ、この関係は、境内には見当たりませんでした。
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新玉津島神社は、藤原俊成のゆかりの神社。
和歌山の和歌浦にある玉津島神社に祀られている和歌の神様の分霊を自邸内に勧請したのが始まり。その後、藤原俊成は、後白河法皇の院宣により、この邸宅を和歌所とし、千載和歌集を編纂したということです。 -
ただ、神社は狭くて、ちょっと窮屈な敷地。全体を眺められる場所はありません。
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烏丸通りに出て、これは漢検漢字資料館。何か展示室とかあるのかなあと思ったら、今はやっていないのだとか。
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ロビーにレプリカだと思いますが、その年を象徴する一字の漢字というのがありますが、その展示をしていました。ただ、昨年は「税」だったと思いますが、それはまだ来ていませんでした。
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京都市電の車両は、漢検漢字資料館の並び。看板も何もないのですが、ビルの一階の硝子越しに突然車両が見えるので、ちょっとびっくりしました。中に入ると、なんとか空いたスペースに押し込んだという感じ。中に乗ることもできるんですが、人気もないし、ちょっと妙な気分でした。
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俊成社も、烏丸通を歩いていたら大きなビルにはめ込まれるようにありました。に駒札があって、この辺りは、平安時代末期の歌人である藤原俊成の邸宅跡であったこと。そこで、千載和歌集の編纂をしていたことが説明されていました。
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平等寺は、通称、因幡薬師。六角堂や革堂と並ぶ町堂の一つで、意外に大きな堂宇です。
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「因幡堂縁起」によれば、因幡国司としての任を終えて京に帰ろうとしていた少将橘行平が重い病にかかったところ、夢のお告げを受けて、この薬師如来の像を得たというもの。堂宇の大きさは信仰に支えられた寺であることを示しているのだと思います。
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神明神社は四条通りの一つ南の綾小路通り沿い。
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神社の奥の方に駒札があって、ヌエのいわれが説明してありました。この神社はヌエが退治された屋敷跡とされ、その時、源頼政が奉納した矢じり2本が宝物として伝わっているそうです。
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以上、時間調整をしてきましたが、いよいよ、これが丸平文庫です。
予約をしていたのは、二人連れのひと組みを入れて、全部で4人。私以外はすべて女性です。説明されたことを総合すると前置きに書いた内容のとおり。
まとめて書くとそういうことになるんですが、皇室や宮家の話とか、三井家がどうしたとか、実際に関わり合いがあるから当然なんでしょうが、セレブの話題がとっても多い。こんな話をされたら、普通の人だと気分が舞い上がってしまうんでしょう。
一方で、「京都ではどうして、これといったひな祭りがないんでしょうね」の質問は不発。そんなの関心はなさそうで、人形を提供する側として、そこまでは管轄外ということなんでしょう。あくまで、有職雛の注目対象は皇室。仕方がないかもしれませんが、ちょっと残念な気はしました。 -
イチオシ
ところで、新しいチャレンジとして、お香の世界を探求中なのだとか。
まったく我々の日常生活からは離れている世界なんですが、それが何か高貴な雅な世界であることは想像できる。非日常的な世界へのあこがれといった気持には、これもぴったりなテーマなんでしょう。つまり、それぞれ持ち分があるってこと。健闘を祈ります。 -
今日は、近江八幡の左義長祭りの日。急にそんなことを聞いたので、それではとさっそく訪ねてみました。駅で事前の情報収集をして。
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結局、会場までは、歩いてやって来ました。
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ところで、左義長まつりは、湖国に春を告げるお祭り。今日は、初日にあるダシのコンクールです。
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各町内から日牟禮八幡宮の境内にダシが集まってきます。
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ダシは十二月と呼ばれる赤い紙と正面には今年の干支である羊の飾り物。
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これを担ぎ手が
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威勢よく、
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練って歩きます。
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同じ場所で回転させる時は、回せ回せの意味だと思いますが「まっせ、まっせ。」の掛け声。
で、二日目になるとお互いにダシをぶつけて、つぶし合う。そして、夜には燃やしてしまうんですね。結局、そのぶつかり合いや燃やすのが祭りの華。その二日目の方が見応えがあるようで、これはちょっと、残念でした。 -
コンクールは、日牟禮八幡宮の境内で行われます。
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ちなみに、近江八幡は、豊臣秀次が発展の基礎を作った街。
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この日牟禮八幡宮も豊臣秀次に関わりがありまして、八幡山城築城のため、山の上にあった八幡宮を下の社に合祀したものなんですね。
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干支である羊の飾り物なんですが、
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どれも
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イチオシ
リアルに再現したものばかり。
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工芸品のような
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造りで、
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むしろ、張り子なんかの方が見慣れているので、不思議な感じも受けてしまいます。
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イチオシ
そして、これも結局は焼かれる運命。焼かれる前に、激しくぶつかり合うのですが、この羊の姿だとちょっとイメージできない。ミスマッチも感じます。
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山門から
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奥に入ると
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過去のの干支のダシ。
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イチオシ
もしかして、優勝したらこうやって保存になるのかもしれませんね。
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さてもう一度、元の位置に戻って
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帰ってくるダシを待ち受けます。
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これは子供のダシですね。こっちも、まっせまっせと回してますよ〜
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大人のダシも帰ってきました。
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ちょっと一息入れたと思ったら、
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こっちもまっせまっせ。
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ダシを上下に振ったり、
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回りはじめました。
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お、おー。観光客のすぐそばまで迫ってきます。
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なるほど、これは怖いです。ぶつかり合うシーンがこれでちゃんとわかったような気がします。
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さて、帰りの時間も気になってきました。
で、おみやげは、山上。こちらは、近江八幡では有名な漬物屋さんなんですよね。 -
イチオシ
お勧めを聞いたら、白菜大葉の重ねだそうでしたが、あいにく賞味期限は一週間。ちょっと短すぎるので、なすのからし味噌漬けの方をいただきました。
家に帰ってから食べましたが、からし味噌のクリアな味わいが小気味よくて、ご飯にとってもあってうまい。さすがの出来栄えに家族もみんな大満足でした。 -
もうひとつは、千成亭。
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もう閉店まじかだったと思いますが、近江牛のコロッケがあったのでそれをいただきました。牛のミンチもいいですが、ジャガイモもホクホク。基本がよくできたコロッケだと思います。
これで、近江八幡は終了。京都へ帰ります。 -
晩飯は一休庵。大丸横の路地を錦市場の方に入った場所です。
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いろいろお店を探すのも面倒なので手っ取り早くここで晩飯を済ませようと入った次第。チェーン店か何かなのかなあ。あんまり期待はしていなかったのですが、鰹節の香りの強い出汁が印象的。意外にちゃんと個性のあるうどん屋さんでした。
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さて、いつもの定宿に帰るんですが、途中にあった新風館。ここは、夜景を見るだけでも価値があるということだったので、のぞいてみます。
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中庭にイルミネーションというか光で照らされた一角があって、なるほど、ちょっとした遊園地のよう。わざわざ行くほどのことがあったかと言われれば微妙ですが、記念写真を撮っている若い人もたくさんいて、まあそれなりの名所かもしれません。
さて、これで、今日はおしまい。明日は、ヨドコウ迎賓館のひな人形がメインです。
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