近江八幡・安土旅行記(ブログ) 一覧に戻る
湖東三山を参拝した後、バスで五個荘に移動する予定でしたが、<br />三山参拝中に知り合った方に、車で送って頂ける事になりました。<br /><br />群馬から、御開帳に合わせて来られたとの事でしたが、<br />富岡製糸場が世界遺産に登録される事が確定した直後の事で、<br />お近くに住まわれている方だったので、車中色々と貴重な<br />お話を聞く事が出来ました。<br /><br />五個荘の後に訪れた石馬寺でも、お若い住職と話をしているうちに、<br />住職の学生時代の先輩が、私と同じ高校出身だった事が判明し、<br />高校時代の先生まで聞き知っていたというような出会いもありました。<br /><br />一期一会という言葉を改めて実感した旅でした。

滋賀訪問2014⑤(五個荘・石馬寺・近江八幡)

19いいね!

2014/04/26 - 2014/04/29

452位(同エリア1177件中)

旅行記グループ 滋賀訪問

0

50

赤い彗星

赤い彗星さん

湖東三山を参拝した後、バスで五個荘に移動する予定でしたが、
三山参拝中に知り合った方に、車で送って頂ける事になりました。

群馬から、御開帳に合わせて来られたとの事でしたが、
富岡製糸場が世界遺産に登録される事が確定した直後の事で、
お近くに住まわれている方だったので、車中色々と貴重な
お話を聞く事が出来ました。

五個荘の後に訪れた石馬寺でも、お若い住職と話をしているうちに、
住職の学生時代の先輩が、私と同じ高校出身だった事が判明し、
高校時代の先生まで聞き知っていたというような出会いもありました。

一期一会という言葉を改めて実感した旅でした。

旅行の満足度
4.5

PR

  • 百済寺から車で送ってもらった方と、一緒に散策する事になりました。<br />本来バスで30分以上、バス停からもしばらく歩く必要がある場所だったので、<br />有難い申し出でした。

    百済寺から車で送ってもらった方と、一緒に散策する事になりました。
    本来バスで30分以上、バス停からもしばらく歩く必要がある場所だったので、
    有難い申し出でした。

  • 屋敷の塀沿いには、水路が張り巡らされており、錦鯉が泳いでいました。<br />この日は、水が濁り気味で水量が多く、かなりの流れの早さだったので、雨か何かの影響があったのかもしれません。

    屋敷の塀沿いには、水路が張り巡らされており、錦鯉が泳いでいました。
    この日は、水が濁り気味で水量が多く、かなりの流れの早さだったので、雨か何かの影響があったのかもしれません。

  • 所々ポストの上やちょっとしたスペースに、金太郎と錦鯉の人形が飾られていました。<br />金太郎のモデルである坂田金時ゆかりの地なのかなと、近江商人屋敷の方に質問してみましたが、特に金太郎と関係のある場所ではないそうです。

    所々ポストの上やちょっとしたスペースに、金太郎と錦鯉の人形が飾られていました。
    金太郎のモデルである坂田金時ゆかりの地なのかなと、近江商人屋敷の方に質問してみましたが、特に金太郎と関係のある場所ではないそうです。

    近江商人屋敷 名所・史跡

  • まずは、外村繁邸にやってきました。外村繁氏は、滋賀を代表する作家だそうです。<br />外村繁邸・外村宇兵衛邸・中江準五郎邸3個所のセット割引券を購入して、順に廻ることにしました。

    まずは、外村繁邸にやってきました。外村繁氏は、滋賀を代表する作家だそうです。
    外村繁邸・外村宇兵衛邸・中江準五郎邸3個所のセット割引券を購入して、順に廻ることにしました。

    外村繁邸 名所・史跡

  • 屋敷内に水路の水を引き入れる「川戸」と呼ばれる仕組みです。<br />水を引き込み、洗い場として使用したり、魚を飼ったり、防火用水としたりと、多目的に利用していたそうです。

    屋敷内に水路の水を引き入れる「川戸」と呼ばれる仕組みです。
    水を引き込み、洗い場として使用したり、魚を飼ったり、防火用水としたりと、多目的に利用していたそうです。

  • 屋敷内には、立派なお庭もありました。

    屋敷内には、立派なお庭もありました。

  • 襖がすべて取り払われているので、住居の敷地の大きさがよく分ります。<br />外村宇兵衛家の分家として、江戸時代末期に建てられた屋敷だそうです。

    襖がすべて取り払われているので、住居の敷地の大きさがよく分ります。
    外村宇兵衛家の分家として、江戸時代末期に建てられた屋敷だそうです。

  • 和室にソファが置かれていますが、当時はこれも富の象徴だったのかも知れませんね。

    和室にソファが置かれていますが、当時はこれも富の象徴だったのかも知れませんね。

  • ちょうど端午の節句直前だったので、豪華な五月人形が飾られていました。<br />地域の伝統工芸としては、小幡人形というものもあるそうです。

    ちょうど端午の節句直前だったので、豪華な五月人形が飾られていました。
    地域の伝統工芸としては、小幡人形というものもあるそうです。

  • 屋敷に隣接している蔵の内部には、多くの箪笥が設置されています。

    屋敷に隣接している蔵の内部には、多くの箪笥が設置されています。

  • 勉強部屋の表札があります。<br />五月人形がなければ、小さな机だけのシンプルな部屋でした。

    勉強部屋の表札があります。
    五月人形がなければ、小さな机だけのシンプルな部屋でした。

  • 2階から、庭を眺めました。かなり立派な松の木が、立っているのが分ります。

    2階から、庭を眺めました。かなり立派な松の木が、立っているのが分ります。

  • 台所です。大きな竈が複数あるので、多くの方が暮らしていたのかも知れませんね。

    台所です。大きな竈が複数あるので、多くの方が暮らしていたのかも知れませんね。

  • 風呂場です。昔の日本家屋の風呂場は、ほんとに狭いですね。

    風呂場です。昔の日本家屋の風呂場は、ほんとに狭いですね。

  • タヌキの焼き物です。蔵を守る「守護狸」だそうです。

    タヌキの焼き物です。蔵を守る「守護狸」だそうです。

  • 2つ目の近江商人屋敷:外村宇兵衛邸にやってきました。<br />外村宇兵衛氏は、呉服を中心に商いを行い、東京・横浜・京都などにも支店を持っていた全国有数の豪商だったそうです。

    2つ目の近江商人屋敷:外村宇兵衛邸にやってきました。
    外村宇兵衛氏は、呉服を中心に商いを行い、東京・横浜・京都などにも支店を持っていた全国有数の豪商だったそうです。

    五個荘近江商人屋外村宇兵衛邸 名所・史跡

  • こちらも襖が取り払われて、大きな広間になっています。

    こちらも襖が取り払われて、大きな広間になっています。

  • 部屋の天井には、大きな鯉のぼりが飾られていました。

    部屋の天井には、大きな鯉のぼりが飾られていました。

  • 2階には、明治天皇の晩餐会に出席した際の礼服が飾られています。

    2階には、明治天皇の晩餐会に出席した際の礼服が飾られています。

  • 庭には、旅装束の商人?の銅像が建てられていました。

    庭には、旅装束の商人?の銅像が建てられていました。

  • 屋敷間の通りは思ったよりも広く、車も通れるぐらいの広さがあります。<br />郵便ポストが、昭和のポストですね。

    屋敷間の通りは思ったよりも広く、車も通れるぐらいの広さがあります。
    郵便ポストが、昭和のポストですね。

  • 街には、今でも立派な蔵が残っています。

    街には、今でも立派な蔵が残っています。

  • 3軒目の中江準五郎邸にやってきました。<br />戦前に朝鮮半島や中国大陸で、20店舗以上の三中井百貨店を経営していた、中江家4兄弟の末弟準五郎の邸宅です。

    3軒目の中江準五郎邸にやってきました。
    戦前に朝鮮半島や中国大陸で、20店舗以上の三中井百貨店を経営していた、中江家4兄弟の末弟準五郎の邸宅です。

    五個荘近江商人屋敷中江準五郎邸 名所・史跡

  • 蔵では、郷土玩具である小幡人形と全国の土人形が展示されています。

    蔵では、郷土玩具である小幡人形と全国の土人形が展示されています。

  • 色々な小幡でこ人形が、展示されています。<br />だるまや招き猫が、見慣れない色使いのため、怪しい感じになっています。

    色々な小幡でこ人形が、展示されています。
    だるまや招き猫が、見慣れない色使いのため、怪しい感じになっています。

  • でこが出ているから、でこ人形?じゃないよね。。。<br />さっきの人形は、出てなかったし。

    でこが出ているから、でこ人形?じゃないよね。。。
    さっきの人形は、出てなかったし。

  • きっと高価な円机なんでしょうが、豪華なちゃぶ台といった感じにも見えます。

    きっと高価な円机なんでしょうが、豪華なちゃぶ台といった感じにも見えます。

  • 中江4兄弟の写真や、隆盛を誇った三中井百貨店の略歴が紹介されていました。

    中江4兄弟の写真や、隆盛を誇った三中井百貨店の略歴が紹介されていました。

  • 群馬の方を見送った後、五個荘から30分ぐらい歩いて、石馬寺までやってきました。<br /><br />石馬寺は、聖徳太子所縁のお寺です。<br />聖徳太子が馬に乗ってこの辺りにやってきた時、突然馬が立ち止まってしまいました。<br />馬を松につないで山に登った後、戻ってきた時には、馬は石になって傍の池に沈んでいたそうです。<br />この霊瑞を発端に、太子はこの地に寺を建立し、石馬寺と名付けたそうです。

    群馬の方を見送った後、五個荘から30分ぐらい歩いて、石馬寺までやってきました。

    石馬寺は、聖徳太子所縁のお寺です。
    聖徳太子が馬に乗ってこの辺りにやってきた時、突然馬が立ち止まってしまいました。
    馬を松につないで山に登った後、戻ってきた時には、馬は石になって傍の池に沈んでいたそうです。
    この霊瑞を発端に、太子はこの地に寺を建立し、石馬寺と名付けたそうです。

    石馬寺 寺・神社・教会

  • 馬が石になって沈んでいたという池も、すぐそばにありました。

    馬が石になって沈んでいたという池も、すぐそばにありました。

  • かつての大門跡があった場所に、石碑が建っていました。<br />こちらのお寺も、織田氏対六角氏の戦火に巻き込まれ、全山焼失してしまったそうです。

    かつての大門跡があった場所に、石碑が建っていました。
    こちらのお寺も、織田氏対六角氏の戦火に巻き込まれ、全山焼失してしまったそうです。

  • 石馬寺の石碑と石段です。<br />聖徳太子直筆の額の文字を、石碑に用いたものだそうです。<br />石段が不規則な上、段数も多いので足元には注意が必要です。

    石馬寺の石碑と石段です。
    聖徳太子直筆の額の文字を、石碑に用いたものだそうです。
    石段が不規則な上、段数も多いので足元には注意が必要です。

    石馬寺 寺・神社・教会

  • 石馬寺の本堂です。

    石馬寺の本堂です。

    石馬寺 寺・神社・教会

  • 本堂には、聖徳太子が馬をつないだという松が飾られていました。

    本堂には、聖徳太子が馬をつないだという松が飾られていました。

  • 収蔵庫です。館内の撮影はNGです。<br />こちらには平安時代や鎌倉時代に作成された重要文化財の仏像や木像が、11体安置されています。<br />かなり保存状態のいい立派な仏像や役行者の木像などが、安置されていました。

    収蔵庫です。館内の撮影はNGです。
    こちらには平安時代や鎌倉時代に作成された重要文化財の仏像や木像が、11体安置されています。
    かなり保存状態のいい立派な仏像や役行者の木像などが、安置されていました。

  • 随筆家の白洲正子さんが、称賛したという石庭です。<br />一期一会の出会いを大切にしていらっしゃる西住職にお茶とお菓子を頂いた後、しばらく談笑させて頂き、縁側からも石庭を眺めさせて頂きました。

    随筆家の白洲正子さんが、称賛したという石庭です。
    一期一会の出会いを大切にしていらっしゃる西住職にお茶とお菓子を頂いた後、しばらく談笑させて頂き、縁側からも石庭を眺めさせて頂きました。

  • 朝から山腹にある寺院を何度も訪問したため、かなり足に来ていたのですが、<br />近江八幡まで移動し、日牟礼八幡宮にやってきました。<br />鳥居をくぐって橋を渡り、5分程で楼門に到着します。

    朝から山腹にある寺院を何度も訪問したため、かなり足に来ていたのですが、
    近江八幡まで移動し、日牟礼八幡宮にやってきました。
    鳥居をくぐって橋を渡り、5分程で楼門に到着します。

  • 日牟礼八幡宮の立派な楼門です。

    日牟礼八幡宮の立派な楼門です。

  • 拝殿です。<br />平安時代の991年に宇佐八幡宮を勧請して上社を祀り、1005年に下社を建設したそうです。現在残っているのは、下社となります。

    拝殿です。
    平安時代の991年に宇佐八幡宮を勧請して上社を祀り、1005年に下社を建設したそうです。現在残っているのは、下社となります。

  • 本殿です。

    本殿です。

  • 菅原道真公を祀っている天満宮です。<br />道真公の伝承に多く登場する牛の人形が、たくさん奉納されています。

    菅原道真公を祀っている天満宮です。
    道真公の伝承に多く登場する牛の人形が、たくさん奉納されています。

  • 境内には、能舞台も設置されています。

    境内には、能舞台も設置されています。

  • 「負けずの鍔」と書かれています。<br />織田信長が、桶狭間の闘い前に熱田神宮で戦勝祈願をした際に、投げた永楽通宝が表になり勝利を収めた事から、刀の鍔に永楽通宝を埋め込んだ伝説にちなんでいるそうです。

    「負けずの鍔」と書かれています。
    織田信長が、桶狭間の闘い前に熱田神宮で戦勝祈願をした際に、投げた永楽通宝が表になり勝利を収めた事から、刀の鍔に永楽通宝を埋め込んだ伝説にちなんでいるそうです。

  • 近江八幡の水郷めぐりです。

    近江八幡の水郷めぐりです。

  • 日牟礼八幡宮の鳥居の向かい側にある白雲館です。<br />明治10年に八幡東学校として建築され、現在は観光案内所になっています。

    日牟礼八幡宮の鳥居の向かい側にある白雲館です。
    明治10年に八幡東学校として建築され、現在は観光案内所になっています。

  • 当時の家並みが残っている新町通りです。<br />すでに閉館時間でしたが、内部が見学可能な住宅もあります。<br />それでも多くの観光客が散策していました。

    当時の家並みが残っている新町通りです。
    すでに閉館時間でしたが、内部が見学可能な住宅もあります。
    それでも多くの観光客が散策していました。

  • 近江八幡の発展に多大な影響を与えたウィリアム・メレル・ヴォーリズの銅像です。<br />明治38年に英語教師として来日し、昭和39年に亡くなるまで近江八幡で、教育や医療等の社会貢献に力を尽くしたそうです。<br />メンソレータム(現メンターム)で有名な近江兄弟社の設立や、関西一円の西洋風建築にも関わったそうです。

    近江八幡の発展に多大な影響を与えたウィリアム・メレル・ヴォーリズの銅像です。
    明治38年に英語教師として来日し、昭和39年に亡くなるまで近江八幡で、教育や医療等の社会貢献に力を尽くしたそうです。
    メンソレータム(現メンターム)で有名な近江兄弟社の設立や、関西一円の西洋風建築にも関わったそうです。

  • ヴォーリズが設計したアンドリュース記念館です。<br />現在の建物は、昭和10年に立て替えられましたが、当時の様式を踏襲しているそうです。

    ヴォーリズが設計したアンドリュース記念館です。
    現在の建物は、昭和10年に立て替えられましたが、当時の様式を踏襲しているそうです。

この旅行記のタグ

関連タグ

19いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

旅行記グループ

滋賀訪問

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP