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ゆるキャラブームの火付け役、ひこにゃんの故郷:彦根を訪問です。<br /><br />井伊家2代目直孝が、豪徳寺にある木の下で雨宿りを<br />していた時、手招きしている白猫を目にします。<br />直孝が白猫に歩み寄った瞬間、雨宿りしていた木に雷が落ち、<br />難を逃れたのは白猫のおかげと、豪徳寺を菩提寺にしたそうです。<br /><br />この白猫が、ひこにゃんの由来だそうです。<br />井伊家由来のネコと言う事で、井伊家の赤備えの兜を被っています。<br /><br />豪徳寺は、白猫のおかげで多くの寄進を受けた事もあり、<br />白猫が死んだ後、和尚さんがネコのお墓を建てて祀ったそうです。<br />のちに右手を上げている招福猫児(まねぎねこ)が作られるようになり、<br />これが現在の招き猫の由来の一つとなっているそうです。

滋賀訪問2014③(彦根:彦根城・龍潭寺・五百羅漢他)

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2014/04/26 - 2014/04/29

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ゆるキャラブームの火付け役、ひこにゃんの故郷:彦根を訪問です。

井伊家2代目直孝が、豪徳寺にある木の下で雨宿りを
していた時、手招きしている白猫を目にします。
直孝が白猫に歩み寄った瞬間、雨宿りしていた木に雷が落ち、
難を逃れたのは白猫のおかげと、豪徳寺を菩提寺にしたそうです。

この白猫が、ひこにゃんの由来だそうです。
井伊家由来のネコと言う事で、井伊家の赤備えの兜を被っています。

豪徳寺は、白猫のおかげで多くの寄進を受けた事もあり、
白猫が死んだ後、和尚さんがネコのお墓を建てて祀ったそうです。
のちに右手を上げている招福猫児(まねぎねこ)が作られるようになり、
これが現在の招き猫の由来の一つとなっているそうです。

旅行の満足度
4.5

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  • 彦根駅で自転車をレンタルし、龍潭寺までやってきました。<br />駅からは少し離れていて、自転車で約15分ぐらいでしょうか。

    彦根駅で自転車をレンタルし、龍潭寺までやってきました。
    駅からは少し離れていて、自転車で約15分ぐらいでしょうか。

  • 龍潭寺垣と呼ばれる竹垣の間に、石田三成の銅像が建っていました。<br />お寺自体は、三成の後に佐和山城主となった井伊家に所縁のお寺です。

    龍潭寺垣と呼ばれる竹垣の間に、石田三成の銅像が建っていました。
    お寺自体は、三成の後に佐和山城主となった井伊家に所縁のお寺です。

  • 山門が見えてきました。

    山門が見えてきました。

  • 山門の脇のくぐり戸から、境内に入ります。

    山門の脇のくぐり戸から、境内に入ります。

  • 方丈です。<br />元々浜松の井伊谷に行基が開山したお寺で、平安時代から井伊家の菩提寺となったそうです。<br />関ヶ原戦後、井伊家が遠江から近江に転封となったのを機に、昊天禅師が佐和山山麓に分寺したお寺です。

    方丈です。
    元々浜松の井伊谷に行基が開山したお寺で、平安時代から井伊家の菩提寺となったそうです。
    関ヶ原戦後、井伊家が遠江から近江に転封となったのを機に、昊天禅師が佐和山山麓に分寺したお寺です。

  • 桃山時代に描かれた「桜の図」と書かれています。<br />描かれてから、400年以上経っていますが、花の色もしっかりと残っていますね。

    桃山時代に描かれた「桜の図」と書かれています。
    描かれてから、400年以上経っていますが、花の色もしっかりと残っていますね。

  • 獅子の間です。<br />彦根藩に仕えた武士の森川許六が、方丈の襖絵を描きました。<br />許六は松尾芭蕉の門人で、六芸に通じた才人という意味で、芭蕉が許六と名付けたそうです。蕉門十哲の一人にも数えられています。<br />絵画は、狩野安信(探幽の弟)に学んだそうです。<br />

    獅子の間です。
    彦根藩に仕えた武士の森川許六が、方丈の襖絵を描きました。
    許六は松尾芭蕉の門人で、六芸に通じた才人という意味で、芭蕉が許六と名付けたそうです。蕉門十哲の一人にも数えられています。
    絵画は、狩野安信(探幽の弟)に学んだそうです。

  • 「ふだらくの庭」と呼ばれる庭園です。<br />観音菩薩の浄土である補陀落山(ふだらくさん)をイメージした、枯山水の庭園です。<br />真中の高い石は、観音様の立ち姿を表しています。

    「ふだらくの庭」と呼ばれる庭園です。
    観音菩薩の浄土である補陀落山(ふだらくさん)をイメージした、枯山水の庭園です。
    真中の高い石は、観音様の立ち姿を表しています。

  • 「寒山拾得図」です。

    「寒山拾得図」です。

  • 巨大なだるまさんが、安置されています。<br />ちょっと目がコワイかな。。

    巨大なだるまさんが、安置されています。
    ちょっと目がコワイかな。。

  • 毎年「だるままつり」が開かれる、だるま寺として親しまれているそうです。

    毎年「だるままつり」が開かれる、だるま寺として親しまれているそうです。

  • 書院です。

    書院です。

  • 書院東の庭は、「蓬莱池泉庭」と呼ばれています。<br />江戸時代龍潭寺は、全国有数の禅宗の学寮として栄えており、「園頭科」では、日本で初めて造園学を学ぶ事が出来る場所だったそうです。

    書院東の庭は、「蓬莱池泉庭」と呼ばれています。
    江戸時代龍潭寺は、全国有数の禅宗の学寮として栄えており、「園頭科」では、日本で初めて造園学を学ぶ事が出来る場所だったそうです。

  • 鴨が、飛び石を渡っているように見えます。

    鴨が、飛び石を渡っているように見えます。

  • だるま寺からの訓戒ですね。ふむふむ。<br />横読みで「おいあくま」。お寺で悪魔とは、しゃれが利いていますね。

    だるま寺からの訓戒ですね。ふむふむ。
    横読みで「おいあくま」。お寺で悪魔とは、しゃれが利いていますね。

  • 龍潭晩鐘です。<br />昊天禅師が、佐和山城の陣鐘だったものを、井伊直孝から拝領したものだそうです。

    龍潭晩鐘です。
    昊天禅師が、佐和山城の陣鐘だったものを、井伊直孝から拝領したものだそうです。

  • 大洞観音堂です。

    大洞観音堂です。

  • 藍渓和尚伝来の七福神です。

    藍渓和尚伝来の七福神です。

  • 佐和山です。<br />ここに石田三成が、佐和山城を築いていました。

    佐和山です。
    ここに石田三成が、佐和山城を築いていました。

  • 佐和山城の予想復元天守模型です。<br />家老の島左近と共に、三成に過ぎたるものと謳われた、立派な5層の天守が建てられていたと伝わります。

    佐和山城の予想復元天守模型です。
    家老の島左近と共に、三成に過ぎたるものと謳われた、立派な5層の天守が建てられていたと伝わります。

  • 彦根のシンボル彦根城にやってきました。二ノ丸の虎口に向かいます。<br />子供の頃連れてきてもらった時に、この道を車で通った記憶があります。

    彦根のシンボル彦根城にやってきました。二ノ丸の虎口に向かいます。
    子供の頃連れてきてもらった時に、この道を車で通った記憶があります。

    特別史跡 彦根城跡 名所・史跡

  • 重要文化財の二ノ丸佐和口多聞櫓です。

    重要文化財の二ノ丸佐和口多聞櫓です。

  • 遠くに天守が見えてきました。

    遠くに天守が見えてきました。

  • ひこにゃんの登場です。<br />GWの最中という事もあり、大勢の観光客が集まり歓声を挙げていました。

    ひこにゃんの登場です。
    GWの最中という事もあり、大勢の観光客が集まり歓声を挙げていました。

  • ひょこひょこ歩く仕草が、かわいらしいですね。

    ひょこひょこ歩く仕草が、かわいらしいですね。

  • シャキーンと決めポーズ。

    シャキーンと決めポーズ。

  • 廊下橋です。<br />籠城時には、橋を落として敵の侵入を防げるようになっていました。

    廊下橋です。
    籠城時には、橋を落として敵の侵入を防げるようになっていました。

  • 廊下橋の向こうには、左右対称の天秤櫓が建っています。<br />長浜城の大手門を移築したものと伝わります。

    廊下橋の向こうには、左右対称の天秤櫓が建っています。
    長浜城の大手門を移築したものと伝わります。

  • 井伊家の旗です。井をモチーフにした絵柄になっていますね。

    井伊家の旗です。井をモチーフにした絵柄になっていますね。

  • 重要文化財の太鼓門櫓です。<br />城内合図のための太鼓が置かれていた事から、名付けられました。

    重要文化財の太鼓門櫓です。
    城内合図のための太鼓が置かれていた事から、名付けられました。

  • 彦根城天守の東面です。<br />現存12天守のうち、犬山城、松本城、姫路城と共に国宝に指定されています。<br />個人的には、好きな天守の一つです。

    彦根城天守の東面です。
    現存12天守のうち、犬山城、松本城、姫路城と共に国宝に指定されています。
    個人的には、好きな天守の一つです。

    特別史跡 彦根城跡 名所・史跡

  • 天守の南面です。

    天守の南面です。

  • 中を見る事は出来ませんが、この引き戸の奥には、隠し狭間が設けられています。

    中を見る事は出来ませんが、この引き戸の奥には、隠し狭間が設けられています。

  • 天守内の廊下です。<br />この日は、急な階段で渋滞が出来て行列になるほど、多くの人が訪れていました。

    天守内の廊下です。
    この日は、急な階段で渋滞が出来て行列になるほど、多くの人が訪れていました。

  • 重要文化財の西の丸三重櫓です。

    重要文化財の西の丸三重櫓です。

  • 彦根城に接している玄宮楽々園です。<br />江戸時代には、槻御殿と呼ばれていた彦根藩の下屋敷と庭園です。

    彦根城に接している玄宮楽々園です。
    江戸時代には、槻御殿と呼ばれていた彦根藩の下屋敷と庭園です。

    楽々園 名所・史跡

  • 庭園からも、天守が見えていますね。

    庭園からも、天守が見えていますね。

  • 彦根藩15代目当主の井伊直弼の銅像です。<br />江戸時代に大老として、日米修好通商条約に調印し、安政の大獄で反対派の粛清を行ったことで有名ですね。<br />桜田門外の変での暗殺など、日本史の教科書には必ず出てくる偉人です。

    彦根藩15代目当主の井伊直弼の銅像です。
    江戸時代に大老として、日米修好通商条約に調印し、安政の大獄で反対派の粛清を行ったことで有名ですね。
    桜田門外の変での暗殺など、日本史の教科書には必ず出てくる偉人です。

  • 重要文化財の馬屋も公開されていました。<br />全国で唯一、城内に残っている馬屋だそうです。

    重要文化財の馬屋も公開されていました。
    全国で唯一、城内に残っている馬屋だそうです。

  • 二ノ丸佐和口多聞櫓の手前にある、埋木舎にやってきました。

    二ノ丸佐和口多聞櫓の手前にある、埋木舎にやってきました。

    埋木舎 名所・史跡

  • 11代藩主:井伊直中の十四男として生まれた直弼が、17歳から32歳までの15年間を暮らした館です。

    11代藩主:井伊直中の十四男として生まれた直弼が、17歳から32歳までの15年間を暮らした館です。

  • 直弼は、国学、書、禅などの学問、武術、馬術、柔術、弓術などの武道、湖東焼、楽焼などの陶芸まで、一日4時間の睡眠だけで、毎日文武両道の修練に励んでいたそうです。

    直弼は、国学、書、禅などの学問、武術、馬術、柔術、弓術などの武道、湖東焼、楽焼などの陶芸まで、一日4時間の睡眠だけで、毎日文武両道の修練に励んでいたそうです。

  • 茶室です。<br />直弼には、「茶、歌、ポン」というあだ名があったほど、茶道、和歌、能の達人であったそうです。

    茶室です。
    直弼には、「茶、歌、ポン」というあだ名があったほど、茶道、和歌、能の達人であったそうです。

  • 居間です。<br />直弼は、この部屋で多くの趣味に没頭していました。

    居間です。
    直弼は、この部屋で多くの趣味に没頭していました。

  • 佛間では、普段身の回りの世話をしていた女性が紹介されていました。

    佛間では、普段身の回りの世話をしていた女性が紹介されていました。

  • 座禅の間には、井伊大老を描いた第一回大河ドラマに関する写真が展示されています。

    座禅の間には、井伊大老を描いた第一回大河ドラマに関する写真が展示されています。

  • 五百羅漢の天寧寺にやってきました。<br />こちらは、五百羅漢が安置されている仏殿(羅漢堂)です。

    五百羅漢の天寧寺にやってきました。
    こちらは、五百羅漢が安置されている仏殿(羅漢堂)です。

  • 仏殿には、如来と十大弟子、五百羅漢が安置されています。

    仏殿には、如来と十大弟子、五百羅漢が安置されています。

  • 一体一体表情の違う羅漢像が、並んでいる姿は壮観です。

    一体一体表情の違う羅漢像が、並んでいる姿は壮観です。

  • 天寧寺は、井伊直弼の父である直中が、手打ちにした腰元と初孫の菩提を弔うため、建立されたお寺です。<br />男子禁制の槻御殿で子供を宿した腰元がいるとの噂が広がり、噂を耳にした直中が相手の名を詰問しましたが、最後まで相手を明かしませんでした。<br />腰元は不義の罪で手打ちとなりましたが、後に不義の相手が直中の長男直清である事が分り、直中は自分の過失に心を痛め、母子を供養するために寺を建立したそうです。

    天寧寺は、井伊直弼の父である直中が、手打ちにした腰元と初孫の菩提を弔うため、建立されたお寺です。
    男子禁制の槻御殿で子供を宿した腰元がいるとの噂が広がり、噂を耳にした直中が相手の名を詰問しましたが、最後まで相手を明かしませんでした。
    腰元は不義の罪で手打ちとなりましたが、後に不義の相手が直中の長男直清である事が分り、直中は自分の過失に心を痛め、母子を供養するために寺を建立したそうです。

  • 石庭です。

    石庭です。

  • 仏殿の石庭に面した場所に、1.2M、300kgの木像日本一の大きさを誇る布袋さんが安置されていました。

    仏殿の石庭に面した場所に、1.2M、300kgの木像日本一の大きさを誇る布袋さんが安置されていました。

  • 仏足石と井伊文子氏の歌碑です。<br />井伊文子氏は、琉球王朝の末裔で井伊家の末裔と結婚された歌人だそうです。

    仏足石と井伊文子氏の歌碑です。
    井伊文子氏は、琉球王朝の末裔で井伊家の末裔と結婚された歌人だそうです。

  • 手前が井伊直弼公の供養塔。左側が、直弼の腹心長野主膳の墓です。

    手前が井伊直弼公の供養塔。左側が、直弼の腹心長野主膳の墓です。

  • 天寧寺は高台にある為、彦根市街が見渡せます。<br />遠くに彦根城も見えています。

    天寧寺は高台にある為、彦根市街が見渡せます。
    遠くに彦根城も見えています。

    特別史跡 彦根城跡 名所・史跡

  • 彦根城のすぐ横にある夢京橋キャッスルロードです。<br />通りに面した建物は、白壁と黒格子で統一されています。

    彦根城のすぐ横にある夢京橋キャッスルロードです。
    通りに面した建物は、白壁と黒格子で統一されています。

  • 夢京橋キャッスルロードの銀行支店看板も和風になっています。

    夢京橋キャッスルロードの銀行支店看板も和風になっています。

  • 彦根駅は、JRと近江鉄道が乗り入れています。<br />入場しませんでしたが、駅に面して近江鉄道ミュージアムがありました。<br />近江鉄道の客車や工事車両などが、複数並んでいました。

    彦根駅は、JRと近江鉄道が乗り入れています。
    入場しませんでしたが、駅に面して近江鉄道ミュージアムがありました。
    近江鉄道の客車や工事車両などが、複数並んでいました。

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