埋木舎
名所・史跡
3.42
埋木舎 クチコミ・アクセス・周辺情報
彦根 観光 満足度ランキング 5位
井伊直弼が青春時代を過ごした舎。 「世の中をよそに見つつも埋もれ木の埋もれておらむ心なき身は」と直弼は和歌を詠み、自ら「埋木舎」と名付け、文武両道の修練に励みました。徳川幕府の大老として開国の父となった才能は、ここで培われたといわれています。
ピックアップ クチコミ
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満足度の高いクチコミ
井伊直弼が17歳から32歳までの時期を過ごした屋敷が復元されています。
5.0
- 旅行時期 2024/03
- by hijunoさん
井伊直弼が17歳から32歳までの間、過ごした屋敷が復元されています。 井伊直弼は11代彦根藩主井伊直中の14男でしたが、... 続きを読む嫡子ではなく、庶子(側室の子)であったため、12代将軍の直亮の時代にはお城から出て、城外のこちらの屋敷で質素な暮らしをしていました。 ここでの暮らしをまるで埋もれ木のよう、と和歌に残し、そこから埋木舎とよばれるようになったそうです。 ここでの生活の中で、剣術、馬術、茶道、和歌、謡曲、さらに政治などの学びも続けています。茶室もあり、井伊直弼が使った茶器や調度品なども展示されています。 屋敷の中に入ることはできませんが、外から屋敷の様子を見学できます。 その後、13代の彦根藩主となり、画期的な藩政改革を行います。ペリー来航があり、国政の難局を打開するために、1858年には大老に就任、安政の大獄もおこり、1860年の桜田門の変によって46歳の生涯を終えます。 時代の大きなうねりのなかで、表に出て活躍できる時がきたものの、それはとても短い時間です。 お城から出て、この屋敷で、一生暮らすことになるだろう~と思いつつ、華やかではない、質素な生活を送っていたこの時期がとても穏やかで静かな時であったことがうかがわれました。 お庭には季節の花々があり、苔むした風情のある雰囲気です。 閉じる
クチコミ・評判
3.42
(61件のクチコミ)- アクセス:
- 3.55
- JR彦根駅からは徒歩10分余りかかります。 by パリが大好きさん
- 人混みの少なさ:
- 4.11
- 訪れる人はほとんどいません。 by パリが大好きさん
- バリアフリー:
- 3.10
- 大きな高低差はありません。 by パリが大好きさん
- 見ごたえ:
- 3.65
- 江戸幕府の大老までなった人物の心の中が見えてくるような場所です。 by パリが大好きさん
1~20件(全61件中)
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第13代彦根藩主井伊直弼が17才から32才までを過ごした屋敷
- 3.5
- 旅行時期:2024/05(約2年前)
- 0
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井伊直弼が
- 3.5
- 旅行時期:2023/12(約2年前)
- 0
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江戸幕府の大老井伊直弼の考えが少しは分かるような気持ちがします。
- 3.5
- 旅行時期:2023/04(約3年前)
- 0
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歴史に残るような人物はどのような境遇で若い時代を過ごしたのか興味があって訪れました。
- 4.0
- 旅行時期:2023/04(約3年前)
- 0
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お城の近く
- 3.0
- 旅行時期:2023/03(約3年前)
- 0
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ひっそりと佇む舎
- 4.0
- 旅行時期:2022/11(約3年前)
- 0
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井伊直弼、若き日の住まい
- 4.0
- 旅行時期:2022/10(約3年前)
- 0
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井伊直弼が過ごした!
- 3.0
- 旅行時期:2022/06(約4年前)
- 0
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井伊直弼の原点
- 3.5
- 旅行時期:2021/12(約4年前)
- 0
井伊直弼が少年時代から藩主を継ぐまで過ごした屋敷です。彦根城からだと佐和口から出て中堀を渡り、いろは松には向かわずに中堀沿... 続きを読むいを護国神社の裏手に進んでいったところにあります。屋敷内には入れないようになっており、玄関先や軒先に並べられた展示品を庭から見学するようになっています。展示品は井伊直弼に関する資料や実際に使用していた品々でした。
井伊直弼の人物伝から小さい屋敷を想像していましたが、現代人の感覚だとそこまで狭いとは感じませんでした。確かに大名屋敷や御殿と比較すれば小さいのでしょうが、部屋数も結構ありますし、茶室も設えられているので結構立派な屋敷だと思います。井伊直弼がハングリー精神を養った場所だと思っていたので、庶民が暮らす長屋に毛の生えたような粗末な建物を想像していましたが、結構肩透かしを食いました。個人的には、井伊直弼が文武に励んだという痕跡を感じることはできませんでした。
観光地としてはそれほど見どころはありませんが、幕末史に名を残す人物と深く関わりのある場所なので、幕末史が好きな方なら訪れる価値はあると思います。 閉じる投稿日:2022/01/29
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井伊直弼が住んだところ
- 4.0
- 旅行時期:2021/11(約4年前)
- 0
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大河ドラマの世界が目の前に。
- 4.0
- 旅行時期:2021/11(約4年前)
- 0
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井伊直弼の青春時代の舎
- 3.5
- 旅行時期:2021/10(約4年前)
- 0
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井伊直弼が若き日を過ごした場所
- 3.5
- 旅行時期:2021/08(約4年前)
- 0
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井伊直弼が不遇の時代を過ごした場所。みすぼらしい屋敷で驚きました
- 5.0
- 旅行時期:2021/08(約4年前)
- 0
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井伊直弼が青年時代を過ごした屋敷
- 3.5
- 旅行時期:2021/08(約4年前)
- 0
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井伊直弼が過ごした場所
- 3.0
- 旅行時期:2021/08(約4年前)
- 0
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一言一会はこの場所から。
- 5.0
- 旅行時期:2021/07(約4年前)
- 7
彦根藩11代藩主井伊直中の十四男として生まれ、後に幕府大老となる井伊直弼は幼少の頃から行く末が全く分からない不遇の時期を過... 続きを読むごしていた場所である。埋木舎の名付けは直弼本人であり、大名家の屋敷であっても〝控え屋敷〟と呼ばれる質素なものであった。現埋木舎である尾末町御屋敷は井伊家の〝控え屋敷〟のひとつであり、直中死去後藩主となった兄直亮の下弟の直恭とともこの控え屋敷で暮らすようになった。300俵の捨扶持の部屋住みの身分だった二人だが、数年後他家への養子の話があり、兄弟そろって江戸へと向かうが、選ばれたのは弟の方であり、直弼は以前の生活へと帰るしかなかった。ただ結果として兄であり藩主であった直亮には実子がおらず、異母弟の直元を養嗣子にするが早世し唯一国元に残っていた直弼を養嗣子にする。直亮の死去を受けて彦根藩15代藩主となる。
その後の活躍は知られたものとなっているが、その下積みは15年間の〝控え屋敷〟での生活にあったと言っても過言ではない。埋木舎と屋敷を命名するにあたり、自らを花の咲くことのない埋もれ木に例えて〝逆境に於ける安住の地〟とし、為すべきことが多々あるとしてこの屋敷に於いて文武両道の修練に励んでおり、苦悩と屈託の多い青春であったことが窺い知れる日記が残っている、
日米修好通商条約・安政の大獄・桜田門外の変等〝悪評〟の絶えない直弼ではあるが、一文化人としては驚くべき才能を持っていたことは周知の事実である。しかし苦労をし続けたことから〝功を急いだ〟感が強く、時代の流れに飲み込まれた人生であったようにも思う。尊王攘夷運動が活発になり始めた頃の大老職であったがためにそうなったのではと、この埋木舎と由来文を読んだ私にはそう思えたのであった。 閉じる投稿日:2021/07/28
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井伊大老も学んだ埋木舎
- 4.0
- 旅行時期:2021/01(約5年前)
- 2
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井伊直弼の不遇時代の住まい
- 3.5
- 旅行時期:2020/12(約5年前)
- 0
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井伊直弼が過ごしたところです
- 4.0
- 旅行時期:2020/10(約5年前)
- 0
投稿写真
基本情報(地図・住所・アクセス)
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