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埋木舎

名所・史跡

彦根

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埋木舎 https://4travel.jp/dm_shisetsu/10005093

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施設情報

井伊直弼が青春時代を過ごした舎。 「世の中をよそに見つつも埋もれ木の埋もれておらむ心なき身は」と直弼は和歌を詠み、自ら「埋木舎」と名付け、文武両道の修練に励みました。徳川幕府の大老として開国の父となった才能は、ここで培われたといわれています。

施設名
埋木舎
住所
  • 滋賀県彦根市尾末町1-11
電話番号
0749-23-5268
アクセス
彦根駅 徒歩 10分
予算
【料金】 大人: 300円 大学生: 200円 高校生: 200円 中学生: 100円 小学生: 100円 備考: 団体20名1割引
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

クチコミ(60件)

彦根 観光 満足度ランキング 6位
3.43
アクセス:
3.57
JR彦根駅からは徒歩10分余りかかります。 by パリが大好きさん
人混みの少なさ:
4.11
訪れる人はほとんどいません。 by パリが大好きさん
バリアフリー:
3.10
大きな高低差はありません。 by パリが大好きさん
見ごたえ:
3.68
江戸幕府の大老までなった人物の心の中が見えてくるような場所です。 by パリが大好きさん
  • 満足度の高いクチコミ(22件)

    一言一会はこの場所から。

    5.0

    • 旅行時期:2021/07
    • 投稿日:2024/04/15

    彦根藩11代藩主井伊直中の十四男として生まれ、後に幕府大老となる井伊直弼は幼少の頃から行く末が全く分からない不遇の時期を過...  続きを読むごしていた場所である。埋木舎の名付けは直弼本人であり、大名家の屋敷であっても〝控え屋敷〟と呼ばれる質素なものであった。現埋木舎である尾末町御屋敷は井伊家の〝控え屋敷〟のひとつであり、直中死去後藩主となった兄直亮の下弟の直恭とともこの控え屋敷で暮らすようになった。300俵の捨扶持の部屋住みの身分だった二人だが、数年後他家への養子の話があり、兄弟そろって江戸へと向かうが、選ばれたのは弟の方であり、直弼は以前の生活へと帰るしかなかった。ただ結果として兄であり藩主であった直亮には実子がおらず、異母弟の直元を養嗣子にするが早世し唯一国元に残っていた直弼を養嗣子にする。直亮の死去を受けて彦根藩15代藩主となる。 その後の活躍は知られたものとなっているが、その下積みは15年間の〝控え屋敷〟での生活にあったと言っても過言ではない。埋木舎と屋敷を命名するにあたり、自らを花の咲くことのない埋もれ木に例えて〝逆境に於ける安住の地〟とし、為すべきことが多々あるとしてこの屋敷に於いて文武両道の修練に励んでおり、苦悩と屈託の多い青春であったことが窺い知れる日記が残っている、 日米修好通商条約・安政の大獄・桜田門外の変等〝悪評〟の絶えない直弼ではあるが、一文化人としては驚くべき才能を持っていたことは周知の事実である。しかし苦労をし続けたことから〝功を急いだ〟感が強く、時代の流れに飲み込まれた人生であったようにも思う。尊王攘夷運動が活発になり始めた頃の大老職であったがためにそうなったのではと、この埋木舎と由来文を読んだ私にはそう思えたのであった。  閉じる

    たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。

    by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)

    彦根 クチコミ:8件

  • 井伊直弼が17歳から32歳までの間、過ごした屋敷が復元されています。
    井伊直弼は11代彦根藩主井伊直中の14男でしたが、...  続きを読む嫡子ではなく、庶子(側室の子)であったため、12代将軍の直亮の時代にはお城から出て、城外のこちらの屋敷で質素な暮らしをしていました。
    ここでの暮らしをまるで埋もれ木のよう、と和歌に残し、そこから埋木舎とよばれるようになったそうです。

    ここでの生活の中で、剣術、馬術、茶道、和歌、謡曲、さらに政治などの学びも続けています。茶室もあり、井伊直弼が使った茶器や調度品なども展示されています。
    屋敷の中に入ることはできませんが、外から屋敷の様子を見学できます。

    その後、13代の彦根藩主となり、画期的な藩政改革を行います。ペリー来航があり、国政の難局を打開するために、1858年には大老に就任、安政の大獄もおこり、1860年の桜田門の変によって46歳の生涯を終えます。
    時代の大きなうねりのなかで、表に出て活躍できる時がきたものの、それはとても短い時間です。

    お城から出て、この屋敷で、一生暮らすことになるだろう~と思いつつ、華やかではない、質素な生活を送っていたこの時期がとても穏やかで静かな時であったことがうかがわれました。

    お庭には季節の花々があり、苔むした風情のある雰囲気です。

      閉じる

    投稿日:2024/03/29

  • 井伊直弼が

    • 3.5
    • 旅行時期:2023/12(約5ヶ月前)
    • 0

    井伊直弼が17歳から15年間過ごしたというところで、文武両道の修養に励んだそうです。昔でいうと立派な家なのかもしれませんが...  続きを読む思ったよりも小さいなと感じました。なので見学にはそれほど時間はかかりません。ちょうど紅葉がきれいで時で入口のもみじは色鮮やかでした。  閉じる

    投稿日:2024/01/20

  • 埋木舎は「うもれぎのや」と詠みますが、彦根城の東側中堀に面する所にひっそりと残されています。簡素な武家屋敷で門のところに埋...  続きを読む木舎と彫られた碑が立っています。井伊直中の子に生まれ、幼少時に生母を失い、多感な時期に父を亡くした井伊直弼が、17~32歳までここで部屋住みとして暮らした場所です。直弼はお茶を好み、その中で禅の精神を学んだと言われています。自らを埋木にたとえて詠んだ句が残されていますが、その詩にちなみ埋木舎と名が付けられています。  閉じる

    投稿日:2023/04/30

  • 「いろは松」から濠沿いの道を辿るとほどなく中濠沿いに立つ武家屋敷があります。ここが埋木舎(うもれぎのや)です。門の横には碑...  続きを読むがあり、井伊直弼が17~32歳になるまでわずか300俵の部屋住みの身として過ごしたところです。直弼はここで身心の修練に努め、茶道の精神に学んだといわれています。直弼に「世の中をよそに見つつも、うもれ木の埋もれておらむ、心なき身は」と自分を詠った句がありますが、その句にちなみ埋木舎となったそうです。茶室澍露軒(じゅろけん)が残っています。  閉じる

    投稿日:2023/04/20

  • お城の近く

    • 3.0
    • 旅行時期:2023/03(約1年前)
    • 0

    お城の近く、お濠沿いの道を途中で曲がっていくとたどり着きました。護国神社の裏に当たる場所です。井伊直弼が若いころにここで暮...  続きを読むらしていたそうです。埋木という名前に感情が籠っている気がします。最後は桜田門外の変で殺されてしまいましたが、もし現代に生きていたらテレビに出ているような文化人だったろうな、と想像してしまいました。  閉じる

    投稿日:2023/04/16

  • ひっそりと佇む舎

    • 4.0
    • 旅行時期:2022/11(約1年前)
    • 0

    彦根城の堀を歩いて回ると小径の途中にひっそりと佇む感じで埋木舎がありました。通り過ぎてしまいそうなところです。入館料300...  続きを読む円。井伊直弼学問所とのこと。NHK第1回台がドラマの舞台になったそうで当時の写真などが飾られていました。  閉じる

    投稿日:2022/11/12

  • 井伊直弼、若き日の住まい

    • 4.0
    • 旅行時期:2022/10(約2年前)
    • 0

     第14代藩主の十四男だった井伊直弼が、17歳で父親と死別後、第15代藩主の兄の世子となるまでの15年間を過ごした邸宅です...  続きを読む。家の周りを歩いて庭から部屋の中を見学するシステムでした。開国150年記念事業で修復した井伊直弼の駕籠も展示されていました。また、仏間の釘隠しのモチーフがうさぎになっていました。開運招福のうさぎとのことです。ご先祖の井伊直孝は、ひこにゃんのモデルの猫に助けられましたが、直弼のお墓は直孝ゆかりの招き猫のお寺、豪徳寺にあるそうです。  閉じる

    投稿日:2024/02/23

  • 井伊直弼が過ごした!

    • 3.0
    • 旅行時期:2022/06(約2年前)
    • 0

    「うもれぎのや」と読みます。彦根城のお堀沿いにある、古い建物です。井伊直弼が、17歳から32歳のときに過ごしました。ここで...  続きを読む、歌道や茶道などを修行したそうです。井伊直弼ほどの有名人が過ごしたにしては、質素な建物なので印象的です。  閉じる

    投稿日:2022/11/24

  • 井伊直弼の原点

    • 3.5
    • 旅行時期:2021/12(約2年前)
    • 0

    井伊直弼が少年時代から藩主を継ぐまで過ごした屋敷です。彦根城からだと佐和口から出て中堀を渡り、いろは松には向かわずに中堀沿...  続きを読むいを護国神社の裏手に進んでいったところにあります。屋敷内には入れないようになっており、玄関先や軒先に並べられた展示品を庭から見学するようになっています。展示品は井伊直弼に関する資料や実際に使用していた品々でした。
    井伊直弼の人物伝から小さい屋敷を想像していましたが、現代人の感覚だとそこまで狭いとは感じませんでした。確かに大名屋敷や御殿と比較すれば小さいのでしょうが、部屋数も結構ありますし、茶室も設えられているので結構立派な屋敷だと思います。井伊直弼がハングリー精神を養った場所だと思っていたので、庶民が暮らす長屋に毛の生えたような粗末な建物を想像していましたが、結構肩透かしを食いました。個人的には、井伊直弼が文武に励んだという痕跡を感じることはできませんでした。
    観光地としてはそれほど見どころはありませんが、幕末史に名を残す人物と深く関わりのある場所なので、幕末史が好きな方なら訪れる価値はあると思います。  閉じる

    投稿日:2022/01/29

  • 井伊直弼が住んだところ

    • 4.0
    • 旅行時期:2021/11(約2年前)
    • 0

    彦根藩といえば桜田門外の変で命を失った井伊直弼が有名ですが、その直弼が部屋住みの身として住んでいた住居が埋木舎です。彦根城...  続きを読むへ向かういろは松のわき道に入ったところに、中堀に面して簡素な武家屋敷が立っていました。17歳から32歳までの15年間を住んでいたそうですが、とても簡素で俗世から離れた感じがする建物でした。このような場所から政治の表舞台に飛び出した直弼の人生に驚かされます。  閉じる

    投稿日:2023/10/29

  • 大河ドラマの世界が目の前に。

    • 4.0
    • 旅行時期:2021/11(約2年前)
    • 0

     まず驚いたのが彦根市が所有しているのではなく家臣の末裔が江戸時代より維持していること。全国に豪商の末裔が維持している歴史...  続きを読む遺産は多いが武家は少ない。

    彦根城の二の丸のお堀端にあるので屋敷前から見た堀と二ノ丸の景観が美しい。井伊直弼が見ていた景観を追体験できます。

     井伊直弼は本来なら藩主にはなれなかった人なので、そのような人が幼少期暮らした屋敷としては妥当な大きさの家だと思います。
     大河ドラマ「花の生涯」の再放送で見た撮影舞台としても興味深く見学しました。
     
     残念だったのが建物の中に入れなかったこと。建物には入れれば加点できます。
       閉じる

    投稿日:2022/08/13

  • 井伊直弼の青春時代の舎

    • 3.5
    • 旅行時期:2021/10(約3年前)
    • 0

    彦根出張の際に訪れました。夕刻からの会議だったため、それまでの間あちこち観光して周る中でここも訪れました。彦根城に向かう道...  続きを読むの途中、少し右に入ったところにあります。曲がり角には看板が出ているので分かり易いです。後に大老となる井伊直弼が青春時代を過ごしたそうですが、側室の子で、しかも14男、当時は後の出世など思いもよらない境遇で、本当に小さな、寂しい佇まいの舎です。  閉じる

    投稿日:2022/07/29

  • 井伊直弼が若き日を過ごした場所

    • 3.5
    • 旅行時期:2021/08(約3年前)
    • 0

    彦根城の東端に隣接する場所に位置しており、彦根駅から彦根城に向かうと、彦根城エリアに入る少し手前です。

    若き日の井伊...  続きを読む直弼が青春時代を過ごした場所。
    建物の名前は自身が詠んだ短歌に由来しており、井伊家の家督を継ぐ本流ではなく、世間から捨てられて顧みられない身の上を重ね合わせた名前です。

    華やかでザ・観光地という雰囲気の彦根城と打って変わり、こちらは非常に落ち着いた雰囲気。1759年の建造と言われますが、20世紀中盤に豪雪で倒壊してしまい、今の埋木舎 は1970年代に再建されたものになります。

      閉じる

    投稿日:2023/05/27

  • 藩主の14男で、側室の子だった井伊直弼は殿様になれる見込みもなく、この屋敷で過ごしていました。
    みすぼらしい屋敷でとても...  続きを読む殿様の御曹司の住む屋敷には見えず、まるで下級武士の家です。
    普通なら腐ってしまうところでしょうけど、彼は1日4時間の睡眠で学問、剣術、茶道等を極めていたそうです。
    さすがに歴史に名を残す人はすごいものだ、と感心しました。  閉じる

    投稿日:2021/08/25

  • 井伊直弼が青年時代を過ごした屋敷

    • 3.5
    • 旅行時期:2021/08(約3年前)
    • 0

    彦根城のお濠端にあります。護国神社の近くです。彦根藩第十三代藩主で江戸幕府大老を務めた井伊直弼が17歳から32歳までを過ご...  続きを読むした屋敷です。直弼は十一代藩主井伊直中の十四男で、嫡子ではなく庶子だったので、十二代藩主直亮の時代、この屋敷で質素な生活を送りました。直弼はここで剣術や馬術、政治・海外事情の学習、「禅」の修行、さらに茶道や和歌、謡曲や鼓など、また国学や薬草等各種学問まで、文武両道の修養に励んだそうです。訪れた時は夕方近くで門が閉まっていて入れず外だけ見ました。趣ある門でした。静かな雰囲気でした。  閉じる

    投稿日:2021/08/19

  • 井伊直弼が過ごした場所

    • 3.0
    • 旅行時期:2021/08(約3年前)
    • 0

    彦根城のお濠沿いに「埋木舎」はありました。彦根藩第15代藩主であった井伊直弼が青春時代(藩主になるまで)を過ごした場所だそ...  続きを読むうです。井伊直弼と言えば、日米修好通商条約の調印、安政の大獄、桜田門外の変が有名ですが、不遇の青春時代であったとは意外でした。  閉じる

    投稿日:2021/08/15

  • 彦根藩11代藩主井伊直中の十四男として生まれ、後に幕府大老となる井伊直弼は幼少の頃から行く末が全く分からない不遇の時期を過...  続きを読むごしていた場所である。埋木舎の名付けは直弼本人であり、大名家の屋敷であっても〝控え屋敷〟と呼ばれる質素なものであった。現埋木舎である尾末町御屋敷は井伊家の〝控え屋敷〟のひとつであり、直中死去後藩主となった兄直亮の下弟の直恭とともこの控え屋敷で暮らすようになった。300俵の捨扶持の部屋住みの身分だった二人だが、数年後他家への養子の話があり、兄弟そろって江戸へと向かうが、選ばれたのは弟の方であり、直弼は以前の生活へと帰るしかなかった。ただ結果として兄であり藩主であった直亮には実子がおらず、異母弟の直元を養嗣子にするが早世し唯一国元に残っていた直弼を養嗣子にする。直亮の死去を受けて彦根藩15代藩主となる。

    その後の活躍は知られたものとなっているが、その下積みは15年間の〝控え屋敷〟での生活にあったと言っても過言ではない。埋木舎と屋敷を命名するにあたり、自らを花の咲くことのない埋もれ木に例えて〝逆境に於ける安住の地〟とし、為すべきことが多々あるとしてこの屋敷に於いて文武両道の修練に励んでおり、苦悩と屈託の多い青春であったことが窺い知れる日記が残っている、

    日米修好通商条約・安政の大獄・桜田門外の変等〝悪評〟の絶えない直弼ではあるが、一文化人としては驚くべき才能を持っていたことは周知の事実である。しかし苦労をし続けたことから〝功を急いだ〟感が強く、時代の流れに飲み込まれた人生であったようにも思う。尊王攘夷運動が活発になり始めた頃の大老職であったがためにそうなったのではと、この埋木舎と由来文を読んだ私にはそう思えたのであった。  閉じる

    投稿日:2021/07/28

  • 井伊大老も学んだ埋木舎

    • 4.0
    • 旅行時期:2021/01(約3年前)
    • 2

    護国神社からお城のお濠に出る道を右に曲がると、武家屋敷のような家が残っています。これが埋木舎で、「うもれぎのや」と読みます...  続きを読む。元来は藩主以外が学んだ場所だそうで、井伊直弼大老は藩主となるまでの時期をここで過ごしたそうです。命名は大老に依ります。


      閉じる

    投稿日:2021/01/24

  • 井伊直弼の不遇時代の住まい

    • 3.5
    • 旅行時期:2020/12(約3年前)
    • 0

    うもれぎのや。佐和口御門に近い中堀に面した質素な屋敷。十三代藩主、さらには幕府大老にまでなった、井伊直弼が青年時代を過ごし...  続きを読むた場所です。16歳からの15年間の不遇時代をここで過ごしたのち、いきなり歴史の表舞台へ躍り出たことになります。埋木舎は直弼の命名とのこと。  閉じる

    投稿日:2021/03/01

  • 井伊直弼が過ごしたところです

    • 4.0
    • 旅行時期:2020/10(約4年前)
    • 0

    井伊直弼が17歳から32歳までの15年間を過ごしたところだそうで「うもれぎのや」と読みます。外側から室内を見られるようにな...  続きを読むっていて、庭のつきあたりまで行ったら引き返すようになっています。こじんまりとしていますが、歴史が感じられるたたずまいでした。  閉じる

    投稿日:2020/12/22

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