2014/03/08 - 2014/03/08
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たびたびさん
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鎌倉なんて、もう回り尽くしたと思ってましたけど、今回は、これまであまり縁のなかった御成り通りから、辻説法、扇ガ谷、腹切りやぐら。それぞれメジャーな観光ではないんですが、丁寧に回ってみました。鎌倉って、結局そういうこまごましたスポットを味わうことが鎌倉らしい観光のよさなのかもしれませんね。
京都だと、こまごましたスポットでももうちょっと味わいや歴史の意味が深くなるんですが、鎌倉は、歴史の表舞台に立った時代は一度だけなので、それは仕方がない。しかし、一方で、鎌倉時代の文化はやはり独特。鎌倉で花開いた禅宗や慶派のリアルな仏像は、争いの絶えなかった武家社会の、いわば現実主義の中でこそ育まれたものであり、京都や奈良の好みとは違うように思います。
ただ、面白いのは鎌倉仏教という場合には、あまり禅宗は積極的には言わないような。浄土真宗や日蓮宗、時宗とか。仏教が大衆化したということで使われると思います。大ざっぱにいえば、(鎮護国家→末法思想の中では限られた一部の人のための宗教に矮小化→密教も加持祈祷が脚光を浴びたのも同じ→鎌倉仏教で、初めて大衆仏教へ)の流れなんですが、この最後の段階が極めて画期的。鎌倉仏教の価値はここにあるんですが、このことと鎌倉は、残念ながらあまりはっきり結びついてはいませんね。
さて、話を戻すと、鎌倉の活力は、大小の寺社群が鎌倉時代の文化の香りを伝えるだけじゃなくて、江戸時代には江戸からそこそこ近い観光地として、また、明治以降は文化人が住んだり、ちょっとハイクラスなエリアとしての顔も持ち始める。それらの要素がうまく融合しながら、今の鎌倉の香りを醸し出したということでしょう。
それにしても、予想以上に時間がかかって、予定した場所を回るのに二日かかってしまいましたが、その融合具合が改めて確かめられたような。相応の収穫はあったと思います。
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鎌倉駅に到着して、まず向かったのは旧安保小児科。鎌倉駅西口から歩いて5分くらいの御成商店街の中ほどです。この建物は、大正13年に建てられたもの。平成7年まで医院として使用されていたそうです。
三方に向かった切妻屋根を持って、ちょっと華やかな外観。これも、鎌倉らしい建物というべきでしょう。 -
その先にある鎌倉市立御成小学校は、かつての鎌倉御用邸が払い下げられ、小学校となったもの。道から鎌倉市立御成小学校旧講堂という昭和8年に建ったという古風な建物が見えているのですが、この木造建築には屋根の上に2つの望楼が付いていて、とてもインパクトのある景色となっています。
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御成り通りを出たところが、江ノ電ビューポケットパーク。
線路の脇にある小さなスペースには、プレートと小さなベンチがあるだけなんですが、プレートには江ノ電の歴史が説明されていました。
説明によれば、「江ノ電は、1902年に藤沢〜片瀬(現江ノ島)が開通し、その後鎌倉に向かって延長され1910年に藤沢〜小町(後に鎌倉に改称)が全線開通しました・・・」といった具合です。 -
続いて、延命寺。ここは、5代執権北条時頼の夫人が建てた寺。
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運慶作と伝えられる「木造地蔵菩薩立像」は、身代わり地蔵と呼ばれるもの。北条時頼夫妻が「負けた方が裸になる」という賭けをして双六をしていたところ、負けそうになった夫人に代わって、裸の地蔵菩薩が双六盤の上に現れたという言い伝えです。
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イチオシ
若宮大路に戻って由比ヶ浜の方に少し歩くと、真っ白で美しい教会の建物が見えてきます。それが鎌倉教会。大正15年に、ハリス記念鎌倉メソジスト教会会堂として建てられました。遠くから見ると細い塔のようなスタイルですが、近くで見ると横幅もあって堂々とした姿でした。なお、内部の見学はできません。
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鶴岡八幡宮の参道は若宮大路と呼ばれますが、由比ヶ浜から八幡宮まで鎌倉の街を南北に貫いています。
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一の鳥居は、由比ヶ浜のエリア。白い石造りの鳥居です。辺りは、何の木か分かりませんが、異様に大きな並木があって、段かずらとはまた違った趣のある雰囲気です。
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ここからは、改めて寺回りです。
北村牛肉店は、その途中。まだ朝早かったので、コロッケはないけど、シューマイならありますとのこと。 -
不安に思いながらも、ではそれをいただきます。ところが、これが抜群にうまい。肉屋さんなので、中の?は当然うまいのですが、シューの皮がもっちりしていて、本格的なシューマイです。これは逸品です。
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で、やってきた本興寺は、日蓮宗の寺院。ここは、日蓮上人の鎌倉辻説法の由緒地でもあることから、日蓮の門弟によって建立されました。
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江戸の初期、この本興寺から妙満寺に移った日経は不受不施を説いたのですが、幕府から激しい弾圧を受ける事件が起きます。
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慶長の法難というのだそうです。
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続いての別願寺は小さなお寺ですが、鎌倉公方代々の菩提寺。また、鎌倉での時宗の中心として栄えた寺です。
境内には、室町幕府に対して「永享の乱」を起こした足利持氏(4代鎌倉公方)の供養塔があります。持氏は関東管領上杉憲実と対立したのですが、6代将軍足利義教によって討伐されました。 -
はす向かいの上行寺は、日蓮上人の孫弟子にあたる日範上人が開いた寺。境内に、瘡守稲荷(かさもりいなり)と身がわり鬼子母神。癌封じなどが書かれていました。
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本堂の前には、七福神の人形。こちらは笑顔のかわいらしい姿でした。
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八雲神社は、ぼたもち寺の並び。入口は、何でもないような神社なのですが、
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奥に入ると立派な宝蔵殿があります。
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外から窓越しに見るだけですが、大町まつりで使用される神輿がありました。
なお、ここは、高時腹切りやぐらに抜ける祇園山ハイキングコースの登山口にもあたります。 -
教恩寺は、平清盛の子で重衡ゆかりの寺。重衡は、一ノ谷の合戦で捕らえられ鎌倉に護送され、源頼朝より一族の冥福を祈るよう、阿弥陀像を与えられます。その阿弥陀像が教恩寺の本尊で、運慶作と伝えられます。
ただ、重衡は、その後、奈良の東大寺や興福寺を焼いたこともあって、再度南都衆徒に引き渡され、さらし首となっています。 -
山門には見事な十六羅漢の彫刻もありました。
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イチオシ
本覚寺は、ここも、日蓮上人ゆかりの寺。日蓮上人が佐渡配流から戻って、一時はこの寺の夷堂に住まいし、辻説法の拠点としていました。その縁もあって、後に、元々は天台宗だた寺を日蓮宗に改めて、本覚寺としたのだとか。また、さらに後、身延山より日蓮の遺骨を分骨して本覚寺に納めたので、東見延とも呼ばれるのだそうです。ちなみに、境内は広くて、よく整備されています。
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さらに進むと、蛭子神社。小町の鎮守です。
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蛭子は「ひるこ」と読むそうですが、「えびす」と読むこともできるそう。蛭子は、いざなぎの神といざなみの神との間に生まれた子で、障害を持った子だったため、船で海に流されます。しかし、海上でたくましく成長し、漂着した地で漁業や商業の神として崇められたということです。
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そして、これが日蓮上人辻説法跡です。
日蓮宗の開祖日蓮は、毎日のようにこの辻に立って、熱心に法華経の布教に努め、「為政者が邪教を信じ、法華経をないがしろにすれば日本は滅亡する」と予言、鎌倉幕府に対しても強烈な批判をしたことはよく知られています。
本当に元寇が起きてしまうのですが、そうでなくても激動の時代。平安貴族のように浄土を願うだけではやっていけない時代であることは間違いないことだったでしょう。 -
こちらは、鎌倉雪ノ下教会です。
雪ノ下には、若宮大路に面したカトリック雪ノ下教会もあって、ちょっと紛らわしいのですが、こちらはプロテスタントの教会です。建物は新しい感じですが、けっこう人の出入りもあって、活気があるようです。中で何か行事をしているのが外からでもよく分かりました。 -
細い路地に入ったところが宇都宮稲荷神社。傍らには、辻子幕府跡の石碑がたっています。
北条政子が亡くなり、源氏三代の政権が終わると、北条泰時は北条政権の確立を図るため、この地に新しい御所を移転します。それが辻子幕府。北条泰時は、この地で新将軍、藤原頼経の元服式を行うとともに、武家の初の法律、御成敗式目を制定しています。 -
カトリック雪ノ下教会の方は、若宮大路に面していて、大きな教会です。
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教会は開放されていて見学は自由。ちょっと中を覗いて見ましたが、意外にシンプルな構造の静かな空間です。入口に、ちょっとした売店もあって、観光客に優しい教会だと思いました。
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並びの鎌倉彫会館にも寄ってみます。
この会館は800年の伝統を持つ鎌倉の伝統工芸、鎌倉彫の活動拠点として、鎌倉彫協同組合により建てられた施設です。内部は1階に鎌倉彫資料館があって、鎌倉彫の歴史や技術が学べるほか、小さいですが鎌倉彫の売店もあります。 -
ちなみに、鎌倉彫は、木を彫刻をして漆塗りをした工芸ですが、禅宗寺院の仏像や仏具を作っていた仏師の技術がルーツ。中国の堆朱を真似たものになります。ほか、文様だと、渦巻文様である屈輪文(ぐりもん)、牡丹文、椿文。くり物、指物、引き物の技術など。詳しいビデオで、その奥深さを説明していました。
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イチオシ
では、再び寺回りですね。
妙隆寺は、「不受不施義」を初めて唱えたとされる、日親ゆかりの日蓮宗の寺。日親は、6代将軍足利義教への説法の際に、他宗の喜捨を説くものの、その後、投獄。拷問を受けた際に灼熱の鍋を被せられたまま説法を行ったという伝説から「鍋かぶり上人」と呼ばれた人物です。 -
境内には梅が咲き始め。
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重たい話もありましたが、これで少し息をつきました。
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イチオシ
鶴岡八幡宮の方に向かって、これは二の鳥居。若宮大路の中ほどです。ここから鶴岡八幡宮に向かっては、一段高くなった段かずらが伸びています。赤い鳥居の前には、巨大な白い狛犬が鎮座していて、圧巻。なお、これから桜のシーズンには桜のトンネルができて、素晴らしい景色になります。
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では、そろそろ昼飯にしましょう。
玉子焼 おざわは、楽しみにしていたお店。 -
11時半開店なのですが11時過ぎに行くともうかなりの行列が出来ていました。一回転目の客が帰って二回転目で入ったので、結局、一時間近く待ったかも。すごい人気ですねえ。
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イチオシ
いただいたのは、玉子焼き御前。メインの出汁巻き卵は、ふわふわでほんのり甘い味系。焼くのに使った油が、何の油か分かりませんが、香りが良くて、ちょっとアクセントになっていると思います。
まあ、一度は食べてもいいかなというくらいでしょうか。。 -
長嶋家は小町通りを入ってすぐ。粟大福というのが気になって、寄ってみます。
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粟は、黄色っぽい粒々が透けて見えています。見た目はもう少し堅いのかなあと思いましたが、ふわふわの触感。しかし、逆に、その分、口の中でお餅と餡子が溶け合って、逆に特徴が分かりにくい大福になっているような気もします。
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鎌倉駅に戻って、ちょっと情報整理。鎌倉市観光総合案内所です。
覚園寺への行き方を確認したのですが、ここは、拝観時間が決まっていて、その時間に行かないと入れてもらえませんとの情報。危うく時間が無駄になるところでした。施設の拝観時間や料金などの一覧表があって、これももらうと便利ですね。 -
イチオシ
では、時間調整のために、駅の周辺を再度チェックします。
鎌倉駅旧駅舎時計台は、鎌倉駅の西口を出てすぐ。三角形の小さな広場があって、そこに立っています。これは、大正5年に建てられた旧駅舎の象徴で、長い間「とんがり帽子の時計台」として市民に親しまれてきたものだそうです。 -
茶近は、小町通りにもあるのですが、こちらは鎌倉西口店。
こちらは、ドライフルーツのお店で、バナナや柑橘系など様々な材料で作ったお菓子が種類豊富に並んでいます。 -
ただ、お勧めは、生姜。白いのと黒いのがあるんですが、黒いのが風味も豊かだし、体にも効きそう。ここのお店にかかるとこんなことになるんですかと言うくらいすごい商品になってます。
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鎌倉の商店街もこの時間になるとお店が開いています。小町通りに比べるとマイナーですが、この商店街も意外に楽しい商店街です。
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レストランや喫茶店にクレープ屋さんなどがちらほらあって、ぶらぶら歩きが楽しめます。この通りを抜けるとさっきの由比ヶ浜のエリア。一の鳥居へも近道でしたね。
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利々庵は、御成り通りから住宅地の方に少し入ったところ。ハード系のパンがうまいと聞いて訪ねました。
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確かに、程よい焼き加減とかハード系に特徴があるような。そして、中のフルーツとかナッツ類がこれでもかと言うくらい入っていて、びっくりする人も多いでしょう。ただ、私としては、これではちょっと多く入れ過ぎのような。基本はしっかりしているので自信を持って、自然体でやっていいと思います。
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鎌倉壱番屋は、小町通りの中ほど。オープンな店構えと山と積まれた商品に惹かれてお客さんが次々寄って行く人気店です。
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私もつられて焼き立てせんべいをいただきました。煎餅が持ちやすいように小さな海苔を付けてくれるのが新味ですが、まあ味は何と言うことはないかと思います。
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ともやは、小町通りの奥、もう鶴岡八幡宮に近い方。酒饅頭の看板のあるお店です。
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白と茶色の二種類の小さな饅頭がもうもうとした湯気の中に見えて、いい感じ。一ついただきましたが、餡子の甘さが素直な味わい。でも、ちょっと一個100円は高いかもしれません。
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小町通りを抜けて、これは鎌倉市川喜多映画記念館。現在の東宝東和を設立し、ヨーロッパ映画の輸入を始めた川喜多長政・かしこ夫妻の旧宅跡です。夫妻は、海外の名作映画を日本に紹介すると同時に日本の映画を海外に広く紹介し、日本映画の発展に尽くしました。
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映画のポスターが壁一面に貼られていて、見たことのない映画ばかりでしたが、いい作品を紹介したいという夫妻のひたむきな熱意が伝わってくるようでした。
こうした文化人が、また、本人たちが意識していたかどうかは分かりませんが、鎌倉のハイセンスなイメージにも一役買っているということ。いろんな貢献をしています。 -
さらに進んで、岩窟不動尊。
細い入り口を入って行った先です。 -
かつては、名前の通り、岩窟の中に仏がいたようですが、今は崩落の危険があり、手前に小さなお堂が作られ、そこに石の不動が鎮座していました。鎌倉幕府の吾妻鏡にも「窟堂」という名で出てくるようです。
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そばにある八坂大神は、扇ヶ谷の鎮守。相馬次郎師常という人物が自邸の守り神として勧請したのが始まり。ちなみに、師常は、源頼朝の鎌倉入りを進言した千葉常胤の子。奥州征伐でも武勲をあげたようです。本殿に向かう参道に参道を覆い隠すような大木が左右に立っていて、不思議な光景です。
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増田屋豆腐は、うまそうな豆乳プリンの情報があって、チェックしていました。
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なるほど。プルンプルンのプリンで、豆乳の香りはするんですが、ほどよい粘りがプリンそのものです。自然のエキスをいただいたように思いました。
ただ、後でもう一度調べると、ネット情報ではカラメルもあり。あのー、私はそれもらいませんでしたけど。。まあ、なくても、おいしかったです。 -
少し元気が出たところで、もう終盤。あとひと踏ん張りです。
英勝寺は、扇ガ谷にあって、 -
扇谷上杉家の重臣であった太田道灌邸跡と言われます。
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浄土宗の寺院で、今では鎌倉では唯一の尼寺。
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境内は梅が真っ盛り。
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立派な山門に仏殿を梅林が囲んで、
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イチオシ
埋め尽くすような感じでした。
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一角には黄色いミツマタ。
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イチオシ
輝くような黄色が本当に鮮やかです。
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扇ヶ谷のさらに奥に進んで薬王寺。ここは、日蓮宗の寺。かつては、真言宗だったようですが、日蓮の弟子日像により日蓮宗に改宗したのだとか。江戸の初期に、徳川忠長の室、松孝院の援助で不受不施派の僧日達が再建しています。
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入口に大きな白梅があって、こちらもまさに満開でした。
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護国寺も、日蓮宗の寺。日蓮にゆかりの深い鎌倉ですが、創建は昭和44年とまだ新しいよう。通りかかると、駐車場のような広場で甘酒を振る舞っていて、ご相伴にあずかりました。日蓮上人の一代記のようなパネルも設置していました。
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扇谷上杉管領屋敷跡は、護国寺の隣り。
それまでこの辺りを指していた亀ヶ谷という名に対し、扇ヶ谷という名が一般的になったは、室町時代に上杉氏がこの地に住み、「扇谷殿」と呼ばれるようになったことからだそうです。
ちなみに、上杉氏は、第6代将軍宗尊親王が鎌倉に下向する際、公家であった上杉重房が親王に従って下向してきたのがはじまり。宗尊親王は鎌倉を追放されますが、その後も重房は鎌倉に留まり、武士として鎌倉幕府に仕えています。そして、足利氏と婚姻関係を結び、重房の孫清子は、尊氏・直義を生む関係。鎌倉公方を補佐する関東管領は上杉家が世襲することとなります。 -
こちらの浄光明寺は、扇ガ谷では一番メジャーな寺でしょう。
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開基は北条長時。ただ、足利氏との縁もあって、最も栄えたのは室町時代になってからとのこと。この日は天気も良かったので、本尊の阿弥陀如来に両脇侍坐像が公開されていまして、お寺の方が詳しく説明してくれました。特徴は、肩、袖、脚部などに見られる浮き彫り状の「土紋」。鎌倉地方の仏像に特有の技法なのだそうですが、土を型抜きして花などの文様を表し、これを貼り付けたもの。実物では、はっきりしませんでしたが、写真ではくっきり。リアルな文様で装飾されていました。
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綱引地蔵は、浄光明寺の一番奥。
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岩山を登った高台の見事なやぐらの中にありました。
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地蔵像は石造り。昔のこと、由比ガ浜で漁の網にかかって引き上げられたと伝えられます。なお、さらにこのやぐらの上には、冷泉家の祖である冷泉為助の墓もあります。
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冷泉為相の墓は、綱引地蔵のやぐらの上です。冷泉為相は、「れいぜいためすけ」と読みます。冷泉家の祖。
鎌倉との関係は、所領や文書の相続の問題で異母兄の為氏と争い、たびたび鎌倉へ下り幕府に訴えたことから。その際に鎌倉における歌壇を指導し、晩年は鎌倉に移住して将軍を補佐することとなりました。 -
浄光明寺から扇ガ谷をさらに奥に進んだところにある泉の井。道端のすぐ脇にある小さな井戸で、今でも、底の方には水が湧いているような。水面が見えています。これは鎌倉十井の一つで、その中でも一番の井戸とされたものです。
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妙伝寺は、扇ヶ谷の終点です。日蓮宗の寺で、東京の文京区白山にあった紀州徳川頼房の祈願所だった寺ですが、昭和49年に、この地へ移転してきたようです。林に囲まれた平地に立派な本堂が建っていますが、妙伝寺であることを示す看板も何もなくて、それと確認することがちょっと難しいです。
扇ヶ谷は、これで終了。街の中心部に戻りましょう。 -
鶴岡八幡宮 三の鳥居まで帰ってきました。
鶴岡八幡宮の入口に建つ鉄筋コンクリート製の赤い大きな鳥居は、関東大震災で倒壊後に、再建されたもの。それ以前の鳥居は石造りうで、一の鳥居、二の鳥居とともに、徳川4代将軍家綱によって寄進されたものだったそうです。 -
こちらは、宝戒寺。北条高時の邸宅跡なんですが、今日は腹切り櫓の方が目当てなので、
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山門の梅をチェックして
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もう帰りますけど、
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イチオシ
青い空に白い梅がいい感じ。スカッとするような眺めではあります。
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史跡紅葉山やぐらは、宝戒寺の裏手。川向こうになります。昭和10年に発見されたもの。この辺りは北条得宗家の屋敷の敷地内であったことから、北条一族ゆかりの納骨場であったとされています。他のやぐらと違って、厳重に施錠された柵がつけられていました。
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寄り道しましたが、やっと腹切り櫓の方に向かいます。
で、東勝寺橋は、高時の腹切りやぐらに向かう途中。この橋は、大正13年に造られたアーチ橋。関東大震災の復興に際しては、このようなアーチ橋が多く造られたのだそうです。
東勝寺は、北条氏一族がここで籠ったという場所。 -
この辺りの風景を見ると川が堀の役割をして守りに適した場所であったこともよく分かります。風景をスケッチしている人が何人かいて、そちらの方でも人気の場所のようですね。
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少し進むと東勝寺跡。これが、正真正銘、鎌倉幕府滅亡の最期の戦い東勝寺合戦が行われた場所です。東勝寺は、第3代執権の北条泰時が創建した寺で、北条氏の菩提寺ですが、始めから有事の際を想定した造りだったよう。その想定通り、新田義貞の軍勢を迎え撃つべく、北条高時ら北条氏一門がこの寺にこもって戦いました。
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少し進んだ、こちらの奥が
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最後は自ら火を放って、自刃した腹切りやぐらです。
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新田義貞の鎌倉攻めによって敗れた北条高時とその一族、約870名は、ここで自刃します。
ちなみに、新田義貞の挙兵は、1333年。巨福呂坂、仮粧坂、極楽寺切通の三方から攻め、ついに稲村ヶ崎から鎌倉への突入に成功し、これによって実質的には勝敗が決したとされています。
高時はバカ時とか言われますが、政権は、制度疲労を起こしていたのでしょう。荘園を地頭が浸食したように、悪党と呼ばれた新興勢力も力を付け、新たな保護者を求めていた。そして、それは建武の新政の思想とまったく違っていたことは言うまでもないことでしょう。 -
以上でおしまい。
駅に向かいながら、甘いもので疲れを癒します。
旭屋本店は、鶴岡八幡宮の裏手の和菓子屋さん。豆大福をいただきました。 -
ここの豆大福は、四角いお餅で筒状に巻いたもの。これって、伊勢佐木町でも見ましたよと言ったら、「いや、これは先代が考案したもので、うちが元祖です」とのこと。
ちなみに、こういう形だと、餅の部分が厚くできるのが利点。お餅のうまさを強調した豆大福にできるんですよね。 -
三河屋本店というのは、酒屋さん。若宮大路に面した、明治33年創業という老舗です。建物は昭和2年築というので、関東大震災の直後に再建されたものでしょう。鎌倉でも関東大震災の被害は大きく、街全体がぺしゃんこになっている写真を見たことがあります。
店の前には、この店の解説があります。脇にレールが敷かれていて、裏にある蔵と繋がっているようです。 -
鉄の井は、小町通りの鶴岡八幡宮側の出口のすぐ脇。傍らに石碑があって、「昔、この井戸から高さ5尺(1.5m)余りの鉄観音(くろがねかんのん)の首を掘り出したことから、 この井戸を鉄の井(くろがねのい)と名付けた。」と書かれています。
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露西亜亭は、ピロシキのお店。以前何となく食べたら、その濃い旨味のおいしさにびっくりしました。小町通りを通るたびに、必ずのぞいてみているんですが、すぐに売り切れるのかここしばらく空振りが続いています。出来上がりの時間が書いてあって、それを目指していくのがいいんでしょうか。ここまで空振りが続くと、ちょっと、方針転換をする必要があるのかもしれん。
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納言志るこは、小町通り入ってすぐを少しわき道に入った場所。人気のお汁粉屋さんです。粒の残った田舎汁粉をいただきました。
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ちょっと濃いめのお汁粉は、始めはくどいかなあと思ったのですが、すいすい入る感じ。甘さの質がいいんでしょう。お餅の方も、適度な伸びがあってバランスがいいですね。ふきの漬物がちょこっとついて、口直しも完璧。名店だと思います。
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キビヤベーカリーは、小町通り沿いにある天然酵母パンの人気店。本店はここではないようで、たぶん、そっちから持ってきたパンを売っているんだと思います。
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ゴマのパンをいただきましたが、かじるとものすごいゴマの香り。ぷーんと口いっぱいに広がります。けっこう固いパンですが、ちょっと酸味のある味わいも含めて、やっぱりなにかこだわりのある仕上げだなあと思いました。
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大巧寺は、鎌倉駅から歩いて数分。かつては大行寺という名前だったのですが、この寺で頼朝が軍議を行った結果、大勝利を収めたため、頼朝の命により「大巧寺」という名称に改名したのだそうです。
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また、難産で死んだ女の霊を成仏させたという伝承から、安産祈願に利益がある「おんめさま信仰」の寺でもあります。
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椿が一輪咲いていました。
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松風堂は、二の鳥居そばにある酒饅頭のお店。見るからに老舗のお饅頭屋さんなのですが、ネットなんかだとあまり出ていないですね。女夫饅頭は、「みょうとまんじゅう」と読むのだそう。このみょうとは義経と静御前のことなのだそうです。
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ところで、これは正真正銘の酒まんじゅう。なので、時間を置くと固くなりやすい。たぶん、それがお客さんには扱いにくいと思われているのかも。固くなってからでも、酒饅頭独特の風味があって、これも価値があると思うのですが、なかなかそれが分かる人は少ないかもしれません。
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鎌倉駅前店にある井上蒲鉾店。帰りの電車で食べようと、ごぼう天を買いました。天ぷらは、すけそうだらとか北海道の魚を使うとプリプリ感があっておいしい。
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ここもそんな天ぷらかなあと思ったのですが。ゴワゴワっとした食感。ただ、魚の味が濃いし、これはこれでうまいですね。地の魚を使った鎌倉の味なのかもしれません。ちょっと、印象に残る味わいです。
さて、今日は頑張ったんですが、予定のコースはまだまだ回りきれていない。明日、もう一度続きを回ります。
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この旅行記へのコメント (2)
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- pedaruさん 2014/06/14 20:36:35
- 鎌倉
- たびたびさん こんばんは
鎌倉は電車で乗り換えなしで気楽に行けるところなので、時々出かけてます。
たびたびさんの旅行記を拝見して、奥が深いな〜と思いました。
建物一つとっても良く調べられていて、旅の印象が深まる感じです。
鎌倉は小学6年生の時の修学旅行で初めて行きました。群馬県の小学生の私ははじめて海を見たのはこの時です。という訳で、鎌倉は特別な思いがあります。
鎌倉のクチコミ情報、たくさん書いていらっしゃいますね。これには脱帽しました。改めて、少しずつ拝見して行きたいと思っています。
pedaru
- たびたびさん からの返信 2014/06/26 15:41:01
- RE: 鎌倉
- pedaruさんには、いつもありがたいコメントをいただいて恐縮しています。
今まで行ったことがないところに行ってみようと思って、細かく回ってみたのですが、鎌倉と言ってもいろんな人が暮らして、いろんな出来事があったわけで、一つ一つは小さな事実なのですが、結果としては、その端々からおぼろげに鎌倉の歴史を考えてみるということだったかと思います。
しかし、話は変わりますが、京都ではどこが一番よかったですかという質問があって、ちょっと困ることがあります。
私としては、「いろいろ行くより、やっぱり、清水寺に銀閣寺、金閣寺や天龍寺といった有名スポットが基本。妙なところに行くより、メジャーなところに何度も行く方が絶対いいですよ」と言っていて、本心でもそう思っているんですが、これで納得する人は正直少ないです。「もう行ったからいいです」っていうことですよね。でも、清水寺や銀閣寺の本当にきれいな姿って、見たことあるのかなあと思ってしまうんです。季節や天気、場合によったらこっちの気持ち。そんなものが合わさって、これはという美しい姿が見れるんですが、それは何度も行ってるうちに偶然出会えるものなんですよ。私はそういうものに会わないで、京都がどうとか言ってほしくないんです。
鎌倉はそういう意味では、やっぱり私は分かってないんだろうなあと思います。今回も行ってないところに行ってみたいというだけのレベルです。いつか、鎌倉愛みたいなものが見えてきた時に、鎌倉は本当はここがいいんですよ〜とかちゃんと書けたら、それこそ素晴らしいことなんでしょうね。pedaruさんのコメントを読んで、そんな気持ちになりました。ありがとうございました。
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