2014/03/28 - 2014/03/28
254位(同エリア1013件中)
玄白さん
江戸時代の測量家、伊能忠敬が17年に及ぶ測量で作り上げた日本地図。原本は火災で焼失しまっているが、日本、フランス、アメリカなどに散逸していた副本や模写図を集め、「完全復元伊能図全国巡回フロア展」というイベントが宇都宮で開催されたので、見に行ってきました。
伊能忠敬が江戸幕府に上程した地図(大日本沿海輿地全図、通称伊能図)は大図214枚、中図8枚、小図3枚でした。大図は1枚が約畳一畳分の大きさ。これらを体育館のフロアいっぱいに広げ、地図の上を自分の足で歩くというイベントです。何よりも地図の正確さに驚き、自分が住んでいる場所や実家周辺に今でも残っている地名を地図の中で発見したり、旅行で出かけた地域を地図でなぞったりと、面白がって地図の上を歩き回り、あっという間の2時間の日本一周旅行でした。
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会場は宇都宮市河内体育館で3月27日から4日間の開催。
協賛金として¥500払って入場。 -
まず、2階の観覧席に上がって全体を俯瞰。
奥が北海道、手前が九州で、214枚の地図が繋ぎ合わされて日本全国図になっている。左側には中図、小図が置かれている。中図、小図はいわばダイジェスト版。 -
ともかく、巨大な地図なので体育館フロアに収まりきらず、北海道だけは空いているスペースに置かれている。
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伊豆七島や屋久島、種子島など離島の地図も作られている。
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一階に下りて地図の上を歩く前に隅に展示されている説明パネルで予備知識を仕入れよう。
214枚の太図の所蔵場所が色別に示されている。国会図書館、国立歴史民俗博物館、アメリカ議会図書館、海上保安庁海洋情報部など6箇所から集められている。中図はフランスにもあったという。 -
伊能忠敬の肖像。自分のハンドルネームに使っている杉田玄白と、どことなく風貌が似ているような・・・
伊能忠敬は千葉県九十九里生まれで幼名は三治郎と言い、18歳で造り酒屋の伊能家の婿養子となる。傾いた家業を立て直したり、本業以外に彼が38歳のときに起きた天明の大飢饉では私財を投げ打って窮民救済活動をしたりということが幕府に認められて、苗字帯刀を許された。50歳で隠居すると、子供の頃から興味があった天文学を学ぶために江戸に出る。浅草に幕府天文暦方局があり、そこにいた当代一の天文学者、高橋至時に弟子入りをする。
人生50年といわれた時代に50歳を過ぎてから新たな学問を学ぼうという向学心、年長者を敬う儒教の価値観の時代に、プライドを捨てて20歳も年下の人間に頭を下げて弟子入りする気概! まだ働こうと思えば働ける歳なのにリタイアして好きなことをやって遊んでいる我が身を振り返ると、ちょっぴり「穴があったら入りたい」という気分になった。 -
オランダで作られた世界地図。
当時、地球は丸いという知識は西洋から伝えられていたが、地球の正確な大きさが分かっておらず、それを知りたいというのが高橋至時や伊能忠敬の大きな関心事だった。当時の暦は正確性を欠いており、もっと正確な暦法のためには正確な地球の大きさを知る必要があったからである。忠敬は江戸と遠く離れた蝦夷の2地点で北極星の仰角を測って緯度差を観測し、江戸〜蝦夷間の距離を測ることで地球の大きさを測定しようとした。ただ、蝦夷へ行くには幕府の許可が必要で、日本沿岸の地図を作るという名目で幕府に許可を願い出たということらしい。当時はロシアの艦船が日本沿岸に出没して幕府としても海防上正確な地図が必要ということで、許可された。 -
第1次測量(蝦夷)、2次(東日本太平洋側、伊豆)3次(東北日本海側)、4次(東海、北陸)の測量を行い、69枚の地図に纏め上げて幕府に上程。幕府は江戸城大広間に並べて、11代将軍徳川家斉に上覧したところ、家斉は、その出来映えの見事さを絶賛したという。
結果、伊能忠敬は、町人の身分から幕府御家人の身分となり、西日本の測量も命じられた。日本全国の測量・地図作成が正式な国家プロジェクトに格上げされたということになる。 -
測量の様子を描いた絵が残されている。西日本測量のときは、東日本地図の実績により幕府の支援も大きくなっていたので、測量隊は大人数だった。刀を持っていると磁石に誤差を与える可能性があるので、測量作業のときは、帯刀は人足に預けるというルールもあったようだ。
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昼間は測量を行い、夜は天体位置観測をやって緯度・経度を求めて地図の精度を上げるという作業が連日続けられた。
緯度の測定は北極星の高度を測定することで簡単にできるが、時間の測定が必要になるので経度の測定はちょっと厄介だ。伊能忠敬は正確な時間測定のために垂揺球儀という一種の振り子時計を持ち歩いていた。この時計を使って江戸と測定地点における星や太陽の南中時の時間差から経度を求めていたという。西国測量の後半では、木星の衛星食の観測による経度測定という当時の最先端の手法も使っていたそうだ。 -
伊能忠敬がやった測量法は導線法というもので、目標地点に梵天という棹を立て、そこまでの距離と方位を測る作業を繰り返していくものである。距離測定は、最初は歩数を数えるという単純な方法だけだったが、鉄鎖や量程車という道具も使っている。測量を開始する前に正確な歩幅で歩く訓練を念入りにやったそうだ。
この方法の弱点は、誤差が累積してしまうことで、誤差を減らすために交叉法(山の頂上のような目印の方位を2地点で測定して誤差補正をする)を併用したり、天体観測で緯度経度を測定したりしたのである。 -
方位を測定するための半円方位盤。
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こんな予備知識を持って伊能図の上を歩いてみよう。履物は脱いで袋に入れて持ち歩き、靴下で歩かなくてはならない。
見学に来た皆さん、思い思いの場所で地図に見入っている。 -
富士山と静岡県東部。
地図は読むものであって眺めるものではないと言われるが、伊能図の中の富士山は絵画としての鑑賞にも堪えられるほどだ。伊能測量隊の中には、地図の中に山のような風景的な絵を入れるために絵師を同行させていた。 -
玄白の実家がある焼津市。吉永、高新田、藤守、下小杉、一色、田尻などの地名は今でもそのまま残っている。
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この親子が座り込んで眺めているのは広島県と岡山県の境の辺りかな。
「ママが生まれたのは、この辺なの?」なんて会話が聞こえてくる。 -
江戸
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横浜
当時は横に長い砂浜があるだけの辺鄙な漁村だった。地名の由来がよく分かる。 -
銚子の犬吠埼付近。
どれくらい正確か、撮った写真を元に、現代の地図と比較してみた。右が伊能図、左がGoogleMap。導線法というプリミティブな測量法で作った地図としては、驚くべき正確さだ! -
我が町、宇都宮。
奥州街道沿いは初期の第2次測量のときだったので、西日本の地図に比べると、あっさりしている。地図上の宇都宮の次の街道沿いの村、竹林というのは、今でもある地名で、今の町並みと比べると、当時の宇都宮は小さな宿場町程度だったということが分かる。 -
現在の宇都宮市地図に伊能忠敬が測量していった経路が赤線で示されている。
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栃木県と福島県の県境の那須町、白河あたり。上に那須岳が描かれている。
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仙台
伊達政宗の居城だった青葉城も描かれている。当時の藩主だった松平政千代の名を冠した城の名前が付いている。 -
東日本大震災で甚大な被害を受けた地域のひとつ、気仙沼付近
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本州最北端、津軽半島、下北半島まで来た。
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日本海側を南下し、佐渡島へ。
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加賀藩、金沢。
北陸の測量は第4次で、この時はまだ国家プロジェクトではなかったが、一応幕府のお墨付きは得ており、各藩に伊能測量隊に領内通過時の協力、情報提供するように通達は出ていたが、藩によって協力する態度に温度差があったらしい。加賀藩は、伊能忠敬は幕府の隠密と疑っていて、もっとも非協力だったそうだ。そのため、海岸から金沢城下まで、途中の地名が入っておらず直線が引かれているだけ。村の名前すら教えてもらえなかったらしい。 -
京都
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大阪
当時の大阪城の南部は、淀川の広大なデルタ地帯だったことが読み取れる。 -
中図も見てみよう。
こちらは、全国を8枚にまとめたダイジェスト版。
富士山を中心に駿河と南関東一帯の図 -
近畿地方。
中図では、驚くべきことに緯度経度が記入されていて、1°の大きさは現代と同じで、経度は地球を360等分した単位を1°としている。ただし、経度の基準は(当たり前だが!)グリニッヂではなく、京都御所を通る経線が経度ゼロになっている。幕府のプロジェクトなのに、江戸城本丸ではなく京都御所の位置が基準というのが興味深い。近世日本史上の朝廷と幕府の関係を表しているようで面白い。 -
我が町宇都宮を含む下野国。
上方の中禅寺山とあるのは、男体山のことらしい。日光山は、女峰山ということかな。
山の頂上から何本もの赤線が引かれているが、これは、街道沿いの各地で山の頂上が見える方位を測定して誤差を減らす交叉法測量の線である。
伊能図には後日譚がある。地図が完成した40年後、開国した日本でイギリス海軍が日本地図を作りはじめていた。当時のイギリス海軍は地図作りでは世界最高水準だったが、幕府から提供された伊能図の写しを見てその正確さに驚き、自分達での地図作りをあきらめて伊能図をベースに海図を作成したという。西洋人に、日本が極東の未開な野蛮国ではなく高度な文明を持った優れた民族だという認識をさせる一助になったのである。 -
伊能忠敬の初期の距離測定である歩測法の体験コーナー。やってみませんかと声をかけられたので、やってみた。
2組のコーンの距離を、最初は目測で、次に10歩歩いて実測して自分の歩幅を測り、コーン間の距離を歩測で測るというもの。結果は、目測22mと申告し、歩測結果は16.06mだったが、正しい距離は17.16mだった。
17mで1mの誤差が出るようでは、とても地図は作れないし、目測による距離感のいい加減さに我ながらあきれ果てて、会場を後にしたのであった。
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