2014/03/22 - 2014/03/22
1053位(同エリア2862件中)
entetsuさん
- entetsuさんTOP
- 旅行記672冊
- クチコミ3920件
- Q&A回答16件
- 1,996,948アクセス
- フォロワー97人
3月の三連休、風は少しあったもののいい天気に恵まれ、ウォーキングをしました。もっとも、どちらかというと「散歩」ですが・・・。
今回は、大田観光協会HPのウォーキングコース羽田「漁師まちの名残」を参考に歩きました。
羽田空港は、遠くから眺めるだけで、羽田地区の「羽田七福稲荷」を回ります。
天気最高。
今日は、家内と一緒に出発です!
※大田観光協会HPのコース
http://www.o-2.jp/tour/01haneda.html
※なお、宜しければ、最近ウォーキングした旅行記も併せてご覧いただけると幸甚です。
鶴見市場〜鶴見↓
http://4travel.jp/travelogue/10831490
生麦〜鶴見↓
http://4travel.jp/travelogue/10832388
川崎宿↓
http://4travel.jp/travelogue/10853185
神奈川宿↓
http://4travel.jp/travelogue/10853660
六郷土手〜雑色(ぞうしき)商店街↓
http://4travel.jp/travelogue/10855362
京急川崎〜川崎大師↓
http://4travel.jp/travelogue/10859321
池上本門寺と池上梅園↓
http://4travel.jp/travelogue/10865651
大森海苔のりウォーク↓
http://4travel.jp/travelogue/10866950
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
PR
-
今日も京急の赤い車両(笑)。
-
京急空港線「糀谷」駅。
「こうじや」。
京急に数ある「読み」の分かりにくい駅の一つ。
一番分かりにくいのは、「雑色」(ぞうしき)だと思う(笑)。
今日のウォークはここからスタートです。糀谷駅 駅
-
「糀谷」駅は、明治35年6月28日、羽田支線として蒲田〜稲荷橋間(3.6km)の開通と同時に開業。
糀谷は、江戸時代に麹屋村とよばれていて、麹屋という地名の由来は、定かではないが、言い伝えによると昔農業の傍らに麹を造っている人たちがいたからといわれています。
平成3年10月から駅の改良工事に着手し、連絡こ線橋の新設、ホームの延伸・拡幅および旅客用トイレ・駅舎の新築等一連の工事が平成5年3月に完了した。また、平成6年12月には、都営線方面から羽田駅までの8両編成導入のため、ホームの延伸工事が完成した。
(京急HP) -
まず「糀谷商店街」を歩きます。
-
「リヨン」。
惣菜パンの店。
下町価格で安くて美味しい。 -
商店街の雰囲気はこんな感じです。
地元に根差したアットホームな感じの商店街です。
商店街HP↓
http://www.koujiya-shop.com/html_shop/map.htm -
イチオシ
「肉の太田屋」。
肉の太田屋 グルメ・レストラン
-
コロッケ、エビフライなど地元では有名店。
この日も、既に行列でした。 -
食べながら歩こうと、メンチカツ(80円)とカニクリームコロッケ(90円)を注文。
-
私のがメンチカツ。
肉がしっかり入っていて美味しい。
結構、歯ごたえもありました。 -
「寿司囃し」。
地元では一・二を争う人気の回転すし屋さん。寿司囃し グルメ・レストラン
-
「寿司囃し」は、隣の魚屋さん「魚悦」が経営しているので、新鮮な魚が提供されているとの評判です。
家内の職場の同僚のお嬢さんが、以前、アルバイトしていたそうです。 -
「萩中神社」。
ここには、1番「萩中・東官守稲荷神社」があります。
「身体安全」の稲荷。
今日は、羽田にある「羽田七福いなりめぐり」をして行きます。羽田七福いなりめぐり 祭り・イベント
-
「萩中神社」は、境内も広く大きい神社です。
-
「東官守稲荷神社」は、海における仕事の安全を祈る守護神として、村人達の信仰を集めていましたが、大正6年の風水害により社は被害を受け、萩中神社再建の際、萩中神社の境内に移されました。
さらに、昭和20年4月、戦災の為焼失してしまいました、町民の努力により再建されたとされます。萩中神社 寺・神社・教会
-
「蒲田女子高等学校」、通称「蒲女」です。
TBSテレビ「ニンゲン観察バラエティ モニタリング」の2013.10.10放送回で、タレントのベッキーと木下優樹菜が教師として授業に潜入して、「ばれるか、ばれないか」という、企画をやってました。
ベッキーは、高3の普通科の英語臨時教師、木下優樹菜が総合進学デザイン科でファッションデザイナーの臨時教師として登場しました。
ベッキーは、疑われるも正体はばれず、ユッキーナは、ばれていました(笑)。 -
「報身寺」。
浄土真宗本願寺派の寺院で、創建年代は不詳ですが、関東大震災に被災、昭和3年(1928)築地本願寺寺中から当地へ移転したといわれます。 -
「延徳寺」。
同じく、浄土真宗本願寺派の寺院で、江戸時代中期に汐留に創建、のち築地本願寺寺中に移転したといいます。
関東大震災に被災、昭和4年(1929)当地へ移転したそうです。 -
「福称寺」。
これも、浄土真宗本願寺派の寺院で、創建年代は不詳ですが、麻布谷町にあったものと思われ、その後、築地に移転。関東大震災に被災後、築地本願寺寺中から当地へ移転したといいます。
通りに面したお寺だけ写真を撮りましたが、浄土真宗本願寺派の寺院が、近辺にざっと8つほど集まっています。
いずれも関東大震災後に築地本願寺から移転してきたようです。
また、お彼岸のためか、参拝客もチラホラ見えました。 -
コースに従ってしばらく歩くと、2番「上田・妙法稲荷神社」。
ここは、「招福厄除」の効用ある稲荷とされています。妙法稲荷神社 寺・神社・教会
-
元々は、享和元年9月(1801年)大洪水の被害から立直る為、京都伏見稲荷大社の分霊を賜り、大松の下に社殿を建立し、鎮座されたものと伝えられています。大松の根元には白蛇が住み、神の使いと云われた事から、蛇稲荷とも呼ばれ信仰を集めていました。
関東大震災によって、大松も社殿も焼失しましたが、松の切株の上に八角堂が建立され、妙法稲荷と呼ばれ信仰を集めていたそうです。
昭和20年の戦災によって八角堂は焼失しますが、昭和31年崇敬者並びに地元有志により現在の社殿が建立されたとされます。 -
更に歩きます。
3番「大野・重幸稲荷神社」。
ここは、「開運長寿」のお稲荷さん。 -
昔、この辺り一帯は大野上田と呼ばれていましたが、度々の洪水に悩まされた村人達は、多摩川のほとり旧六郷土堤の際に、田畑の守護と五穀豊穣を祈って社を建立したそうです。
社前の道路は旧六郷土堤で、現在の社の高さが旧堤防の高さだったそう。
境内には樹令400年、幹まわり3.5メートルの楠の大木があったが、昭和20年4月の大空襲で焼失してしまったとのことです。重幸稲荷神社 寺・神社・教会
-
「ホームセンターコーナン」本羽田萩中店。
大阪府堺市本店を持ち、1978年(昭和53年)9月設立のホームセンター。
ホームセンター業界第4位の売上を誇ります。
消費税駆込み需要か、駐車場にドンドン車が入っていってました。 -
斜め前には、「サイゼリア」本羽田店。
サイゼリアの、「真イカとアンチョビのピザ」(399円)は美味いですよ。
プラス99円でチーズを2倍にすると、こりゃぁ堪らん(笑)。 -
この辺りは、バス通りで、羽田空港行きのバスが多く通ります。
バス停は「本羽田三丁目」。
運行は、「羽田京急バス」で、京浜急行バスの子会社です。
また、しばらく歩きます。 -
4番「中村・高山稲荷神社」。
「学業成就」のお稲荷さん。高山稲荷神社 寺・神社・教会
-
昔、この辺りは中村と呼ばれ、社殿は名主 橋爪家(伊勢屋=本羽田3丁目辺り)の前にあったそうですが、昭和4年の六郷土堤改修工事の際、現在地に移転されました。
-
移転前の社が飛騨高山より来た大工によって建築された事から、高山稲荷と呼ばれる様になったと云われています。
-
「本羽田公園」。
本羽田公園 公園・植物園
-
イチオシ
「東京都立つばさ総合高等学校」。
-
2002年に、都立羽田高等学校と都立羽田工業高等学校の全日制課程を統合して開校。
両校の定時制課程は東京都立六郷工科高等学校へ移転しています。
部活動が活発で、運動部では、陸上部(関東大会出場)・サッカー部(関東大会出場、2007年都決勝進出)・ハンドボール部(関東大会出場)・女子バスケット部が高い成績・実績を上げ、文化部では吹奏楽部が有名です。
サッカーが最も有望ですが、都の壁は厚く、なかなか都予選を勝ち上がるまでには行かないようです。
FC東京の「椋原 健太」はここのOB。 -
「産業道路」(東京都道・神奈川県道6号東京大師横浜線)に来ました。
旧東海道の内川橋(現在の大田区大森東二丁目2番先)付近で、羽田方面に至る羽田道に分岐します。
内川橋の付近に、歌舞伎にも出てくる「駿河屋(するがや)」という旅籠があったことから「するがや通り」ともいわれますが、この道を通って多摩川にぶつかるところ(現在の大田区東糀谷三丁目3番付近)に、「羽田の渡し」があり、往来が多かったところです。正蔵院 寺・神社・教会
-
「正藏院」。
真言宗智山派の寺院で、創建年代は不詳ですが、正蔵院住職重仙が宝徳2年(1449)に、蔵院住職乗信が文禄4年(1595)に当寺の本尊不動明王像を修復したといい、室町時代以前の創建と推定されます。
ここにも多くのお彼岸のお墓参りの方がいました。 -
「羽田神社」。
正蔵院の隣にあります。羽田神社 寺・神社・教会
-
狛犬が迎えます。
-
イチオシ
「本殿」。
羽田神社は、小田原北条氏が当地附近を治めていた頃、領主行方与次郎が牛頭天王社を祀ったことにはじまります。
江戸時代には、旧羽田村(本羽田)・旧羽田猟師町(羽田)の鎮守となっていました。
明治維新の神仏分離により、八雲神社と改称。
明治40年に羽田神社に再度改称しています。 -
「疱瘡除祈願御札の碑」。
かつて「疱瘡」(天然痘)は、最も恐ろしい病気で、人々はこの「疱瘡」に対して畏敬の念を表し、その原因を「疱瘡神」によるものとして崇め祀ってきた。
社殿右側に、「疱瘡除祈願御札の碑」があり、この碑は天保12年に、将軍家定が疱瘡治癒祈願に訪れた事績によるものだそうです。
その後、病気平癒の神としても信仰され、病気平癒や身体健全を願う多くの参拝者が訪れます。
震災や戦災を逃れ、石碑は当時の姿を保っているものの、現在保護のためフェンスで覆われています。 -
4つの院内社。
羽田稲荷神社、日枝神社、増田稲荷神社、鈴納稲荷神社です。 -
「神輿殿」
-
羽田地区の守り神「羽田神社」参拝を終え、産業道路を渡り、多摩川沿いに進みます。
ずっと、レンガの土手が続きます。
風合いが美しい。 -
イチオシ
これは、道沿いのレンガの堤防 「羽田・旧レンガ堤」です。
多摩川の河口から2km程さかのぼった辺りから大師橋のたもとまで、現在の堤防より1本奥の道路ぞいにレンガ堤が続きます。
明治40(1907)年と43(1910)年に立続けに大洪水が起り、大正3(1914)年9月16日、現在の川崎市幸区、中原区に住む住民が「多摩川に一刻もはやく堤防を!」と神奈川県庁にアミガサをかぶった人々が押寄せました。
これは「アミガサ事件」とよばれ、これを機に多摩川の下流部(二子橋より下流の22km)を対象とした「多摩川改修工事」が始まります。
ほぼ同じ頃、この辺りには、横浜製糖(後の明治製糖)の工場ができたのを皮切りに、次々と工場が建ち京浜工業地帯が形成され、多摩川を使って荷のあげおろしも盛んに行われるようになります。
しかし大正12(1923)年、関東大震災によって工場の施設はほとんど崩壊してしまいます。
この崩壊を機に、工場では最新式の鉄骨造りの荷揚げ施設がつくられました。
この施設の足場をしっかりと築くために、赤レンガや石づみによって護岸を固めたものが「レンガ堤」でであるといわれています。
結局、震災により「多摩川改修工事」は、大正7(1918)年から8年で完成の予定でしたが、昭和8(1933)年までの16ヵ年継続事業となりました。
そんな変化をじっとみつめてきたのが、この「羽田・旧レンガ堤」です。レンガの堤防 名所・史跡
-
水門も見えます。
多摩川渡し跡 (羽田の渡し) 名所・史跡
-
二本の橋。
左側は、「首都高・1号横羽線」。 -
イチオシ
右側は、「大師橋」。
「産業道路」(東京都道・神奈川県道6号東京大師横浜線)が多摩川にかかる橋です。
1997年(平成9年)のI期工事から、2006年(平成18年)11月12日、II期工事が完了して現在の姿になりました -
「旧 大師橋」の親柱が残されています。
-
昔ながらの船着場があります。
-
「羽田の渡し跡」の碑。
旧東海道の内川橋から分岐した、羽田通りは多摩川にぶつかります。
現在の大田区東糀谷三丁目3番付近です。
ここに、「羽田の渡し」がありました。
主な通行人は、対岸の川崎大師参詣が目的で、多くの人が行き来したようです。
羽田の渡しは、「六左衛門の渡し」とも呼ばれ、昭和14年(1939年)に大師橋が開通するまで利用されていました。多摩川渡し跡 (羽田の渡し) 名所・史跡
-
旧レンガ堤が続く道を歩きます。
先日、富岡製糸場に行って以来、なんかレンガに愛着を感じてしまいます(笑)。 -
5番「仲町・鴎稲荷神社」。
ここは、「開運招福」のお稲荷さん。
その昔、漁師たちが祈願すると鴎(かもめ)が飛来し大漁であったと云うことから、鴎を大漁の兆しとして崇め、以後「鴎稲荷」と呼ばれるようになったということです。
大正13年頃 社屋を新築したが、昭和20年の戦災で焼失してしまった。その後町民により再建されています。鴎稲荷神社 寺・神社・教会
-
多摩川が海に注ぎ込む地点に来ました。
羽田空港国際線ターミナルを遠くに見ながら、歩いていきます。羽田空港(東京国際空港) 空港
-
別格「羽田・玉川弁財天」。
「金運長寿」の稲荷です。 -
江戸名所図会に、「羽田村の南も洲の先にあり、故に羽田弁財天と称せり。本尊は江の島本宮巌屋弁財天と同体にして、弘法大師の作なりといへり。・・・」とあるそうです。
境内の一部に常夜灯があり、沖行く舟の目標であったともいわれます。
現在の羽田空港内にあったものが、昭和20年9月連合軍の強制立退命令により現在地に遷ったとされます。 -
空港には、JAL機らしき飛行機が着陸中でした。
-
これも稲荷のようですが、七福稲荷には入っていないようです。
-
羽田の漁業の碑
-
多摩川河口(羽田)から、沖合いに昇る初日の出の眺めは、遠くから撮影に来る人がいるほどの人気スポットだそうです。
飛行機や東京モノレールと重なる日の出は絶景とのことで、多くのファンをひきつけます。 -
イチオシ
この鳥居、よく見ますね。
「羽田大鳥居」です。
京浜急行「天空橋」駅近く、海老取川と多摩川が合流する河口近くの弁天橋のすぐ脇です。弁天橋交番も近くにあります。
この後訪れる「穴守稲荷神社」は、羽田空港拡張をするため当時あった場所から移動の対象になりました。
神社の社殿や鳥居も移築することになり、GHQによって取り壊されたましたが、門前の赤鳥居だけは撤去できず、羽田空港の駐車場にそのまま残され続けました。
赤鳥居にロープをかけて倒そうとしたところ、そのロープが切れて作業員たちに死傷者が出てしまい、その後も何度か取り壊しや移転案も出ましたが、その度に移転の工事関係者が事故にあったり原因不明の病気になったりと、赤鳥居は「祟る」と言われてきたからです。羽田大鳥居 名所・史跡
-
羽田空港の敷地に場違いな赤鳥居が取り残されたまま、1954年(昭和29年)に東京国際空港ターミナルビルが建設されますが、同時期に行われた滑走路拡張工事でも工事中に死傷者が続出しました。
赤鳥居は人々から畏れられ続けましたが、羽田空港の沖合展開事業(新B滑走路拡張工事)にあたり、社殿の移設から半世紀以上経った1999年(平成11年)にようやく現在地へ移設されたという経緯があります。羽田空港(東京国際空港) 空港
-
「五十間鼻無縁仏堂」。
海老取川と多摩川が交わる場所には、「五十間鼻」という洪水時の急流から岸辺を守るために、長さ50間(約90m)に渡り石を敷き詰め作られていました。
現在では、取り壊されていますが、手前には、水難事故を祀る無縁堂があります。五十間鼻 名所・史跡
-
ここの創建年代は不明ですが、多摩川、関東大震災や第二次世界大戦時の東京大空襲の折には、かなりの数の水難者が漂着しました。
ここは、その方々をお祀りしていると言われております。
元は、多摩川河口寄りの川の中に、角塔婆が一本立っているだけでしたが、初代漁業組合長の故伊東久義氏が管理し、毎年お盆には、盆棚を作り、有縁無縁の御霊供養をしていました。昭和五十三年護岸工事に伴い、現在地に移転したそうです。
新年の水難祈願として、初日の出と共に、羽田本町日蓮宗長照寺の住職並びに信者の方々が、水難者への供養を、毎年行っているそうです。 -
干潮なのか、干潟も美しい。
-
今度は、弁天橋のところで左に折れ、羽田空港を背にして進みます。
羽田空港行きのバス便は沢山通ります。 -
6番「鷹取・白魚稲荷神社」。
ここは、「無病息災」のお稲荷さん。白魚稲荷神社 寺・神社・教会
-
武蔵国風土記に、「漁士白魚を初めて得しときは、まず此の社に供ふる。故にかく云へり」と社名の起源が記されているそうです。
-
多摩川の砂利砂採取が行われるようになった頃、この事業に従事する人たちの信仰を受け、社頭は大いに盛んであったそうです。
また、この附近は藁葺き屋根が多く、漁師町特有の建込んだ家並みから、火事が起らないよう祈願する人も多く、火伏せの神様としても信仰があります。
その為か、この社は先の大戦の戦火を免れたといわれます。 -
6番まで来ました。
後は「穴守稲荷神社」だけです。
近所の民家にあった、ハクモクレンです。
もう、開きそう。 -
途中の公園前には満開の桜。
早咲きの「江戸彼岸」桜でしょうか。
美しい! -
いよいよ、今日のウォーキングコース最後の「穴守稲荷神社」も近くなりました。
穴守稲荷 寺・神社・教会
-
着いたみたいです。
7番「東京羽田・穴守稲荷神社」。穴守稲荷 寺・神社・教会
-
文化元年(1804年)頃、鈴木新田(現在の羽田空港内)開墾の際、沿岸の堤防にしばしば大穴が生じ、被害を受けました。
そこで稲荷大神を祀り御加護を願った所、以後風浪の害も無く霊験あらたかであっそうです。 -
イチオシ
「拝殿」。
後方には「本殿」があって、御祭神である豊受姫命が鎮まります。 -
「穴守稲荷神社」は、先に書きましたように、元々は今の羽田空港のあるところにありました。境内も広く、周辺で潮干狩りもできることや温泉が湧いたこともあり、門前には温泉旅館や芸者の置屋ができるなど、賑わいを見せていきました。
この繁栄を見て、京浜電気鉄道(現在の京浜急行電鉄)は京浜蒲田から穴守稲荷神社へ向けて支線(穴守線、のちに空港線)を伸ばし、1902年(明治35年)には海老取川の手前まで、ついで1913年(大正2年)には川を渡って穴守稲荷門前までの延伸を果たします。このように、交通の整備もあって穴守稲荷神社の界隈はさらに賑わっていきます。
しかし終戦を迎え、1945年(昭和20年)9月27日 連合軍の接収により京浜蒲田〜稲荷橋間を単線化、稲荷橋〜穴守間の営業休止を余儀なくされます。
その後、1964年に空港敷地内に乗り入れた「東京モノレール」開業後は、ローカル線として地域輸送に徹することになります。
(将来の羽田空港乗入に向け、赤字覚悟で運行をしていたらしい)
そしてついに、羽田空港の沖合展開事業の中、拡大する空港及びターミナルに対して、「東京モノレール」だけでは増大する輸送量に対応できないとの判断から、念願の羽田空港乗り入れが認められます。
1993年、羽田駅(現在の天空橋駅)が空港島内に開業して都心方面(本線・都営地下鉄浅草線)からの直通運転が開始され、1998年には羽田空港駅が開業し、羽田空港へのアクセス路線として本格的に機能するようになったという訳です。
その後は、ダイヤ改正の度に「羽田へビュン」と、輸送客を集める戦略が取られ続けています。穴守稲荷 寺・神社・教会
-
奥の宮に通じる赤鳥居(千本鳥居)。
-
イチオシ
何故にお稲荷さんでは、赤い鳥居がたくさんあるのか。
これは、願い事が「通る」ため、あるいは「通った」御礼の意味から、鳥居を奉納する習慣が江戸時代以降に広がった結果だそうです。
くぐって行きます。 -
「奥之宮」。
-
「奥之宮と神砂(あなもりの砂)」。
拝殿右手の千本鳥居をくぐると「お穴さま」とも呼ばれている奥の宮があります。
ここの「お砂」を持ち帰り、敷地内または玄関等に撒く。或いは身につけると所願がかなうと、古くから大勢の信仰を集めています。
(以下穴守稲荷神社HP)
老人が漁に出て魚を釣り上げて魚篭に入れたが、中を見ると湿った砂があるだけだった。翌日も翌々日も大漁となるも、篭をみるとやはり湿った砂があるばかりであった。老人はいぶかしく思い、村人たちにこのことを話すと、村人たちはこれを狐の仕業として稲荷神社を取り囲み、一匹の狐を捕まえる。しかし、老人は狐を許してそれを解き放った。
それ以降、老人が漁にでると必ず大漁となり、篭には多くの魚とわずかばかりの湿った砂が残るようになった。老人が砂を持ち帰って家の庭にまいたところ、客が途切れることなく訪れるようになり、老人は富を得た。そのため、穴守の砂には招福のご利益があるとされ、今も多くの参拝者を集めている。穴守稲荷 寺・神社・教会
-
「お砂のまき方」。
商・工・農・漁業・家内安全の招福には玄関入り口に、
病気平癒の場合は床の下に、
災・厄・禍除降の場合は其の方向へ、
新築・増改築には敷地の中心へ、
だそうです。 -
右は院内社の数々、左は千本鳥居。
-
また、江戸時代には、「穴守」という名前が「『穴』を『(性病から)守る』」に通じると考えられて、遊女達の信仰を集めたともいいます。
-
大木と拝殿。
-
お払い所。
-
拝殿正面の大鳥居。
-
幟旗も、並ぶと美しい。
-
「神楽殿」
節分、初午、例大祭(狐舞)の年3回開放しているそうです。 -
参道を逆方向に来ました。
つまりここが、正規の入口です。
「穴守稲荷神社」、来たのは2度目でしたが、前回は正月でしたのでゆっくり見られなかった。
改めて、ゆっくりお参りしました。
なかなか立派でした。穴守稲荷 寺・神社・教会
-
イチオシ
京急「穴守稲荷」駅に向かう途中、何やらピンと来る感じの店を発見。
-
「キッチンCIEL」。
洋食屋さんですかね。Ciel グルメ・レストラン
-
メニュー表。
なんか、安い・・・。 -
店内はカウンターとテーブル席。
-
壁にメニューの一部が貼ってありますが、ほのぼのしてます。
お母さまと息子さんでやってる店みたいです。 -
まず、ビールで乾杯。
よく歩きました。
プハ〜!
当然、美味い(笑)。 -
店内の壁には、「羽田ヴィッキーズ」のポスター。
大田区を本拠地とする女子バスケットボールチームで、Wリーグ所属です。
元は、「荏原製作所」の実業団チームとして創部されましたが、2012年、WJBL再編に伴いWリーグ所属になり、これに伴い一般社団法人羽田ヴィッキーズ女子バスケットボールクラブが設立されました。
現在リーグ戦真っ最中ですが、「JX-ENEOS」「トヨタ自動車」「富士通」「シャンソン化粧品」など強豪の牙城を崩せず、2014/3/23現在4勝29敗で、12チーム中11位です。
頑張れ!! -
来ました!
私のは、「サイコロステーキ」エビフライ、クリームコロッケ付き。
ライス、スープが付いて880円。 -
凄いボリューム。
味は、これぞ昔のキッチン洋食という感じ。
べっとりケチャップ味のスパゲッティの付合わせが懐かしい。
美味いです。 -
家内は・・・。
こんなに喰っていいのかぁ?
毎日、素っ裸で体重計に乗っている人が・・・。
まぁ、歩いたから・・ね。
「ナポリタン」ミニハンバーグ、目玉焼き付き。
800円。 -
結局、食べ切りました。
こういう料理、昔はあちこちの喫茶店にありました。
ついつい懐かしく・・・。
やはり、蒲田〜羽田地区は下町。
物価は安く、人情は厚い。
エビフライ、あんまり美味しいので10本揚げてもらい、テイクアウトしました。 -
「ホテルJALシティ羽田東京」も見えました。
羽田空港へのアクセスよく、人気のホテル。
それでは、京急に乗って家に帰るとしましょう。ホテルJALシティ羽田 東京 宿・ホテル
-
京急「穴守稲荷」駅の前には、こんな大鳥居があります。
-
京急「穴守稲荷」駅です。
穴守稲荷駅 駅
-
駅前の踏切内から、天空橋・羽田方面を望みます。
トンネルになっています。 -
ホームに来ました。
この駅は平面一階にありますが、羽田方面の隣駅「天空橋」駅は踏切から見たとおり地階駅、そして実は、蒲田方面の隣駅「大鳥居」駅も地階駅になっています。
そして、蒲田方面の2つ隣駅「糀谷」駅は、高架駅となっていて、ややこしい(笑)。 -
イチオシ
今日のウォーキングは、13717歩・約10.2?でした。
3年ほど前の正月、東京都ウォーキング協会の新春ウォークでも歩きましたが、今回はゆっくり家内と二人で、観光も楽しめました。
大田観光協会のモデルでは3時間のコースとありますが、2〜2.5時間で回れます。
http://o-2.jp/tour/tour_1_map.html
羽田といえば、空港というイメージ強いですが、元々は、淡水と海水とが混じり合う豊かな海で中世のころから漁業が行われ、江戸時代になると幕府によって御菜(おさい)八ヶ浦の一つとして保護され、新鮮な魚介類は徳川家に献上されたほどだったのです。
しかし、東京湾の埋め立てが進み、昭和37(1962)年、港湾整備で漁業権を放棄。長らく続いてきた海苔の養殖も幕を閉じました。
しかし、小規模ながらも現在でも、アナゴやエビなどの漁がしっかり続けられています。
今回、この地区を改めて歩いてみて、その「漁師まちの名残」を堪能しました。
ここまで、駄文にお付合い下さり、有難うございました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
旧東海道
-
前の旅行記
京急と大田区の共同イベント、「大森海苔のりウォーク」に参加してみた!!
2014/03/15~
大森・大井町
-
次の旅行記
横浜市鶴見区主催「鶴見・旧東海道食べ歩きウォーク」に参加してみた~。
2014/10/25~
鶴見
-
「横浜旧東海道 みち散歩月間 ウォーキングイベント」に参加してみた!
2013/11/16~
鶴見
-
「生麦魚河岸まつり」に行ってみた!
2013/11/23~
鶴見
-
「品川千躰荒神 海雲寺」秋の大祭と、ついでに「品川寺」&「品川神社」参り(出勤前に・・・?)
2013/11/27~
品川
-
旧東海道「川崎宿」周辺史跡めぐりウォーキングを敢行してみた!
2014/01/25~
川崎
-
連日の旧東海道ウォーキング敢行! 今回は、神奈川宿を歩きました。
2014/01/26~
東神奈川・保土ヶ谷・弘明寺
-
大田区の「六郷土手」~「雑色(ぞうしき)商店街」をウォーク。旧東海道も少し歩きました。
2014/02/01~
蒲田
-
止まらないウォーカ-ズ・ハイ。大田区の「平和島」~「大森海岸」をウォーク。旧東海道も少し歩きました。
2014/02/02~
大森・大井町
-
大雪などで延び延びだったウォーキング復活!今回は旧東海道~多摩川堤防~「川崎大師」へ。
2014/02/16~
川崎
-
京急と大田区の共同イベント、「大森海苔のりウォーク」に参加してみた!!
2014/03/15~
大森・大井町
-
大田区羽田の「漁師まちの名残」コースをウォーキングしました!!
2014/03/22~
羽田
-
横浜市鶴見区主催「鶴見・旧東海道食べ歩きウォーク」に参加してみた~。
2014/10/25~
鶴見
-
横浜市鶴見区主催の「2015鶴見・旧東海道食べ歩きウォーク」に参加してみました
2015/11/23~
鶴見
-
川崎の旧東海道のほんの極々一部を歩きました・・・。
2017/11/05~
川崎
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
この旅行で行ったスポット
もっと見る
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 旧東海道
0
103