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 台湾の北西部、淡水の紹介です。台北市内からMRTの一日乗車券を利用して、これまで何度か見学したことがあります。台北に内に戻った夜は、龍山寺方面に出掛けました。

2013春、台湾旅行記8(9/19):3月9日(8):淡水、紅毛城、龍山寺、華西街夜市

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2013/03/08 - 2013/03/11

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

 台湾の北西部、淡水の紹介です。台北市内からMRTの一日乗車券を利用して、これまで何度か見学したことがあります。台北に内に戻った夜は、龍山寺方面に出掛けました。

  • 解散場所から紅毛城のある方面に引き返す途中での撮影です。混み合い始めましたから、少し急ぐことにしました。

    解散場所から紅毛城のある方面に引き返す途中での撮影です。混み合い始めましたから、少し急ぐことにしました。

  • 淡水川に面した遊歩道の光景です。人で混み合っていても、車が通りませんから、この辺りでは速足で歩いても大丈夫です。

    淡水川に面した遊歩道の光景です。人で混み合っていても、車が通りませんから、この辺りでは速足で歩いても大丈夫です。

  • 目的地の紅毛城は、1629年にスペイン人が淡水河口の丘の上に建設した、サントドミンゴ城が始まりです。スペイン支配時代からオランダ支配に、そしてイギリスから日本支配時代へと変遷しました。

    目的地の紅毛城は、1629年にスペイン人が淡水河口の丘の上に建設した、サントドミンゴ城が始まりです。スペイン支配時代からオランダ支配に、そしてイギリスから日本支配時代へと変遷しました。

  • 淡水川沿いの道から、本通りの方に道を変えました。今度は車が通りますので、急いでいても不用意な行動は危険です。

    淡水川沿いの道から、本通りの方に道を変えました。今度は車が通りますので、急いでいても不用意な行動は危険です。

  • 以前にも見たことがあるモニュメントがある場所までやって来ました。白い大波に翻弄される小舟のモニュメントです。

    イチオシ

    以前にも見たことがあるモニュメントがある場所までやって来ました。白い大波に翻弄される小舟のモニュメントです。

  • 右手の丘の上に塔のような建物が見えてきました。紅毛城に関連した施設間も知れません。17世紀初め、スペイン人が淡水に侵入し、淡水河口の丘の上にサントドミンゴ城を建設したのが始まりです。その後、スペイン人を撃退したオランダ人が、その城跡に、より堅固な城砦を築き、現地の人が紅毛城と呼び始めました。

    右手の丘の上に塔のような建物が見えてきました。紅毛城に関連した施設間も知れません。17世紀初め、スペイン人が淡水に侵入し、淡水河口の丘の上にサントドミンゴ城を建設したのが始まりです。その後、スペイン人を撃退したオランダ人が、その城跡に、より堅固な城砦を築き、現地の人が紅毛城と呼び始めました。

  • 紅毛城の近くまでやってきました。前方の信号のある交差点を右に曲がって、坂を登れば紅毛城です。

    紅毛城の近くまでやってきました。前方の信号のある交差点を右に曲がって、坂を登れば紅毛城です。

  • 信号交差点にあった、『淡水紅毛城』の案内看板です。『紅毛城』の名前は、当時の台湾住民が西洋人を紅毛人と呼んだことに因みます。このため、台湾に複数の『紅毛城』があります。

    信号交差点にあった、『淡水紅毛城』の案内看板です。『紅毛城』の名前は、当時の台湾住民が西洋人を紅毛人と呼んだことに因みます。このため、台湾に複数の『紅毛城』があります。

  • 紅毛城がある場所まで坂を登りますと、再集合の時間に間に合わないようでしたから、今回は場所の確認と、距離の確認だけに留めることにしました。

    紅毛城がある場所まで坂を登りますと、再集合の時間に間に合わないようでしたから、今回は場所の確認と、距離の確認だけに留めることにしました。

  • 右手に見える建物は、紅毛城ではなく、交差点の紅毛城案内の下にあった税務関係の官邸のようでした。紅毛城はもともと灰色の建築でしたが、英国人が入居した時に、赤色に染められまました。

    右手に見える建物は、紅毛城ではなく、交差点の紅毛城案内の下にあった税務関係の官邸のようでした。紅毛城はもともと灰色の建築でしたが、英国人が入居した時に、赤色に染められまました。

  • 淡水での見学を終えて、台北に戻りました。写真紹介は省略しましたが、この日の夕食は四川料理でした。いわゆる日本人向けか、台湾風四川料理ですから、それほどのインパクトはありませんでした。本場、四川での食事を経験した上での感想です。

    淡水での見学を終えて、台北に戻りました。写真紹介は省略しましたが、この日の夕食は四川料理でした。いわゆる日本人向けか、台湾風四川料理ですから、それほどのインパクトはありませんでした。本場、四川での食事を経験した上での感想です。

  • 夕食の後にホテルに戻りました。その『伊楽園大飯店』の建物光景です。ホテルの自室に荷物を置いて、早速台北の夜の散策に出掛けました。因みにオプショナルツアーでは、足ツボマッサージや台北101展望台観光がありましたが、パスしました。

    夕食の後にホテルに戻りました。その『伊楽園大飯店』の建物光景です。ホテルの自室に荷物を置いて、早速台北の夜の散策に出掛けました。因みにオプショナルツアーでは、足ツボマッサージや台北101展望台観光がありましたが、パスしました。

  • 台北市で連泊したホテルは、万崋区西寧南路にある『伊楽園大飯店』でした。最初はホテルの近くの夜の散策です。台北駅からは西南になる地区でした。

    台北市で連泊したホテルは、万崋区西寧南路にある『伊楽園大飯店』でした。最初はホテルの近くの夜の散策です。台北駅からは西南になる地区でした。

  • 台北市の西門地区まで歩いてきました。この辺りは『台北の原宿』あるいは『「台湾の渋谷」とも呼ばれ、若者のファション文化の発信地とされます。素通りだけですが、街歩きを楽しみました。

    台北市の西門地区まで歩いてきました。この辺りは『台北の原宿』あるいは『「台湾の渋谷」とも呼ばれ、若者のファション文化の発信地とされます。素通りだけですが、街歩きを楽しみました。

  • 西門地区は、台北市万華区にある商業エリアです。かつての台北城の西門の外側に当たるため、日本統治時代に『西門町』の名前が付けられ、1890年代後半から繁華街として発展しました。

    西門地区は、台北市万華区にある商業エリアです。かつての台北城の西門の外側に当たるため、日本統治時代に『西門町』の名前が付けられ、1890年代後半から繁華街として発展しました。

  • 西門地区にはライトアップされたビルの姿もありました。10年ほど前の2004年、台湾でも鳥インフルエンザが発生した時、西門一帯は立入制限区域になりました。生きたままの鳥を販売していた市場は、その時に廃止されたようです。

    西門地区にはライトアップされたビルの姿もありました。10年ほど前の2004年、台湾でも鳥インフルエンザが発生した時、西門一帯は立入制限区域になりました。生きたままの鳥を販売していた市場は、その時に廃止されたようです。

  • 西門地区の散策が続きます。日本統治時代から映画の街として知られ、現在でも複数の映画館が残されているようです。街のあちこちに映画のポスターがありました。映画館街として一番栄えたのは、1930年代とされます。

    西門地区の散策が続きます。日本統治時代から映画の街として知られ、現在でも複数の映画館が残されているようです。街のあちこちに映画のポスターがありました。映画館街として一番栄えたのは、1930年代とされます。

  • 街歩きをしながら覗いた、屋外の大型のテレビ画面です。東京ドームでの世界野球大会の中継でした。大勢の地元の野球ファンの人が観戦していました。

    街歩きをしながら覗いた、屋外の大型のテレビ画面です。東京ドームでの世界野球大会の中継でした。大勢の地元の野球ファンの人が観戦していました。

  • テレビでの野球観戦は打ち止めにして、街歩きの再開です。1980年代には台北東部の新市街の発展により活気を失っていた西門町は、1990年代後半以降、歩行者天国となり車の立入りが制限され、年配向けの繁華街から若者向けの繁華街への転換が進みました。この通りは歩行者天国の外側になります。

    テレビでの野球観戦は打ち止めにして、街歩きの再開です。1980年代には台北東部の新市街の発展により活気を失っていた西門町は、1990年代後半以降、歩行者天国となり車の立入りが制限され、年配向けの繁華街から若者向けの繁華街への転換が進みました。この通りは歩行者天国の外側になります。

  • 大雑把な方角の見当をつけて、歩いて向かったのは地下鉄板橋線の西門駅です。龍山寺駅までは1駅、2分で到着です。

    大雑把な方角の見当をつけて、歩いて向かったのは地下鉄板橋線の西門駅です。龍山寺駅までは1駅、2分で到着です。

  • 不夜城のようにライトアップされたビルの光景です。繁華街には誠品116のビルほか、万年商業大楼、獅子林広場、万国百貨など、若者向けのファッションビルが立ち並んでいます。

    不夜城のようにライトアップされたビルの光景です。繁華街には誠品116のビルほか、万年商業大楼、獅子林広場、万国百貨など、若者向けのファッションビルが立ち並んでいます。

  • 街歩きを一旦切り上げて、次は地下鉄に乗って龍山寺に向かうことにしました。最寄り駅の龍山寺駅は、西門駅の西隣の駅です。

    街歩きを一旦切り上げて、次は地下鉄に乗って龍山寺に向かうことにしました。最寄り駅の龍山寺駅は、西門駅の西隣の駅です。

  • 龍山寺は、台北に旅行した時、必ず1回は訪れるお寺です。西門駅からは隣の駅になる、龍山寺駅に到着しました。

    龍山寺は、台北に旅行した時、必ず1回は訪れるお寺です。西門駅からは隣の駅になる、龍山寺駅に到着しました。

  • 同じく、地下鉄の龍山寺駅の構内光景です。龍山寺方面は右方向の矢印です。何度も乗降した駅ですから、迷うことはありません。

    同じく、地下鉄の龍山寺駅の構内光景です。龍山寺方面は右方向の矢印です。何度も乗降した駅ですから、迷うことはありません。

  • 地下鉄の龍山寺駅から、龍山寺までは10分とはかかりません。迷まずすぐに到着しました。ライトアップされた花鳥図です。一番上の鳥は鳳凰のようです。

    地下鉄の龍山寺駅から、龍山寺までは10分とはかかりません。迷まずすぐに到着しました。ライトアップされた花鳥図です。一番上の鳥は鳳凰のようです。

  • 龍山寺の正面入り口付近の光景です。ライトアップされた甍が夜空に浮かび上がっていました。

    龍山寺の正面入り口付近の光景です。ライトアップされた甍が夜空に浮かび上がっていました。

  • ここからは、龍山寺に入場しての撮影です。賑やかな飾りが出迎えてくれました。左がねこさん、右がアヒルさんでしょうか。

    イチオシ

    ここからは、龍山寺に入場しての撮影です。賑やかな飾りが出迎えてくれました。左がねこさん、右がアヒルさんでしょうか。

  • こちらのグループの左手にはエビス(戎)さんのイメージの立姿がありました。背後の大提灯に記された文字は観音佛祖でしたが、この像の名前とは違うようです。

    こちらのグループの左手にはエビス(戎)さんのイメージの立姿がありました。背後の大提灯に記された文字は観音佛祖でしたが、この像の名前とは違うようです。

  • 同じ飾りを別の角度から眺めた光景です。式服に身を包んだ姿の人が四方に立っていました。守護神かもしれません。

    同じ飾りを別の角度から眺めた光景です。式服に身を包んだ姿の人が四方に立っていました。守護神かもしれません。

  • 暗闇の中に浮かび上がった像は、吉祥天でしょうか、吉祥天ですと、仏教の守護神である天部です。ヒンドゥ教の女神、ラクシュミーが仏教に取り入れられたものとされます。

    イチオシ

    暗闇の中に浮かび上がった像は、吉祥天でしょうか、吉祥天ですと、仏教の守護神である天部です。ヒンドゥ教の女神、ラクシュミーが仏教に取り入れられたものとされます。

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