
2012/06/28 - 2012/06/29
39位(同エリア159件中)
Halonさん
- HalonさんTOP
- 旅行記548冊
- クチコミ326件
- Q&A回答2件
- 788,792アクセス
- フォロワー175人
6/28(木)夏河から同仁へ草原の道を走った。同仁では隆務寺を少し見て、部屋に戻り休養をとる。夜中に不思議な歌声で眼が覚める。
6/29(金)郊外にある吾屯下寺、吾屯上寺、郭麻日寺を訪問。アムド最大の仏塔を眼にして大いに満足。タンカ工房ではツァンパをご馳走になる。
午後から隆務寺を再訪したら、偶然にも活佛に謁見できた。
6日目 夏河07:30⇒同仁10:00(バス104km,31元)
【隆務寺】
7日目 ワゴン車→吾屯【吾屯下寺、吾屯上寺、郭麻日寺】ワゴン車→同仁、【隆務寺】
同仁の標高:2500m 1元=約12.5円
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
-
早朝に起きて身支度を整える。同室の人を起こさないよう廊下に出てパンと桃で軽く朝食。ユースの廊下にはカウンターが付いていて、照明も5mごとに付いている点は良かった。
6時半すぎにユースを出発。押金55元は昨夜のうちに返してもらっていた。
小雨の中をカッパを着て軒下伝いに早歩きでバスターミナルへ向かう。早めに出てきたつもりだったが、席はほとんど埋まっていた。最後部に近い窓側に座る。 -
7時半、バスが出発。街を出るとすぐ坂道を上り草原の道に出た。阿蘇の草千里の何十倍もあるような緑の中を走る。天気がよければ最高の景色だったろう。
-
その中で山羊を追う遊牧民。
少女が携帯で話しながら草原を歩いている。最寄の家など見当たらないが、どこから歩いてきたのだろう。 -
土塀に囲まれた遊牧民の住居。このあたりはすでに青海省に入っている。
途中の標高は高いところで3400m程度。それでも自分にとっては最高高度更新だ。 -
最後尾には欧米人の老夫婦が乗っていて、景色が変わるたびに右に左に席を移動している。
-
8時53分、瓜什則の村でトイレ休憩。
-
村はずれにはゴンパが見えていたが、これ以上バスから離れる度胸はない。
-
荷物運びのロバたちを追い越す。
-
前方には奇妙な形の山が見えてきた。
-
同仁の街の手前で大きなお寺の横を通りすぎる。
-
10時ごろ同仁の汽車站に到着。欧米人夫婦はロンリープラネットに書いてある○×賓館を探して歩いていった。
壁の時刻表や料金表をチェック。次に行く澤庫は7時半、9時、10時発の3本となっている。
宿の相場を知るためターミナル内の車站賓館に入る。
「外国人は泊まれない」と言うのでソファーで休憩していたら「標準間180元を120元にするから泊まれ」と言って勝手に登記を始めた。「不用」と断り外へ出る。 -
熱貢大橋を横目に見ながら中山路を西へ歩く。ツッチーさんの旅行地図に”安宿たくさん有り”と書いてあった通りを見つけて左へ曲がる。
通りの中ほどにある陽光旅社で30元の部屋に落ちつく。宿の主人はチベット族らしく言葉があまり通じないが、浅黒い肌に目がくりくりして悪い人には見えない。ここの共同トイレの電灯も音でONするタイプだった。トイレとその手前の洗濯部屋全体にカギがかかるので、お湯のポットを持ちこんで行水がしやすいが、他人に占領もされやすかった。 -
部屋は安宿にしてはきれいに掃除してあり、午後には宿の主人みずから洗濯機を回してシーツを洗っていた。唯一の欠点はドアの下のカーペットがめくれてドアが開け難いこと。それも途中からカーペットをドアの部分だけ折り畳んで解決。
-
窓から前の通りが見渡せるのもよかった。しかも交通量が少ないので煩くない。
部屋の満足度:清潔感と窓の見晴らし、立地のよさで70点 -
宿の前の露店でネクタリンを買って食べる。
昼から隆務寺(ロンウォ・ゴンパ )に出かけてみた。 -
まずは巡礼者に付いて寺の周囲を回ることからはじめる。
-
寺の前の広場から熱貢大橋方向を望む。
-
広場の中央には黄金の仏像が祀ってある。
-
隆務寺の入場券は50元。門の外から拝見だけしておく。
-
外周のマニ車の途中に屋内の大きなマニ車が配置してあり、壁には原色の仏画が描かれている。
-
ダライ・ラマとパンチェン・ラマの写真も奥にそっと掛けられていた。
-
仏画の代わりに千仏が置かれたところもある。
-
より細密な仏画もあった。
-
柱の切り口にも模様が施されて目が回るほどの華やかさだ。
-
マニ車堂の天井まで絵と模様で埋め尽くされている。
-
不空員索観音殿(員の上に四)の門の先には
-
寺の内部を突っ切る道。
-
天井には曼荼羅
-
寺院内の標識にはラプラン寺と同じ名称の御殿や学院も並んでいた。
-
夏日巻活佛行宮の階段を上り奥へと入る。
-
山の中腹に建つ本殿には珍しく観光客の姿があり、内部の仏画はほかに比べて最も細密だった。
-
満足感に浸り下界へ降りる。
-
僧坊の中で迷ってしまった。僧侶にこの先ぬけられるかと確かめてから路地を進む。
後ろから来た少年僧はこちらの気を引きたいのかペットボトルを蹴飛ばしている。それが肩に当たったので振り向いてにらみつけると「オ〜、トイプチー」と謝っている。まあ、遊び盛りに出家した僧侶などこの程度のもんだろう。 -
今日の見学時間は45分。まだまだ見きれてないが、体調がもうひとつなので無理せず宿に戻る。
途中の通りでは豆を煎っている姿をよく見かけた。 -
寺の近くで買った巻きパンを食べる(2個で1.4元)。外は硬いが噛みだすと味がある。
-
栄養快線のフルーツヨーグルト味(4元)と一緒に食べたらみるみる力がみなぎってきた。
-
夕方、宿の前の露店ではおかずのようなものを売っていて気になる。窓からしっかり観察後、満を持して買いに行く。”涼伴菜”という名前で1斤6元の量り売りだった。
-
コンブ、きのこ、ユバなどの材料を洗面器に取り入れてタレで和えたら出来上がり。割り箸を貰い部屋に持ち帰って味見。ピリ辛でビールの肴にぴったりだ。
-
そのあと黄河ビールを買いに走り、涼伴菜を肴に飲む。次第に気分がよくなる。アルコールが気付け薬になって体調が戻ったことが何度かあるが、今回もそのパターンのようだ・・・・・・・・夜中に目が覚めたら、外から民謡を歌う甲高い女性の声がする。宴会場で歌っているのかと思い廊下に出てみると、二つ先の真っ暗な部屋から聞こえてくる。何か秘密の儀式でもやっているのだろうか?ドアの前で聴いていたら、近くの部屋の兄ちゃんもおもしろがって出てきた。思い切ってノックしてみると、ランニングシャツ姿のおやじが現れた。聞けば自分たちはホーラン族で、奥さんの歌声をご主人が携帯で録音しているところだった。まさかこんな所で歌っているとは。不思議な夜だった。
-
7日目
今日は郊外にある吾屯村まで出かけてみる。村を通る乗合いワゴン車は熱貢大橋のたもとですぐに見つかったが、ドライバーは「吾屯村まで4元だ」と盛んに強調する。本当は2元だと思うのだが、交渉するほどの値段でもない。吾屯村の下寺前で下車。ここで降りるのは自分だけなので、言い値の4元を払う。 -
7時43分、すでに参拝者が来ている。
-
いちばん奥にド派手なチョルテン(仏塔)が建っていた。その名も時輪解脱塔。英語名はカーラチャクラ塔となっている。カーラチャクラとは時を司る神の名。
-
門が開いていたので、上段へ上がってみる。階段は階ごとに別の位置にあり、ぐるっと一周しないと次へ上がれない。
-
さらに上をめざして階段を探していると、年配で威厳のある僧侶が降りてきて僕を見て驚いている。ここは入ってはいけない場所だったようだ。僧侶について下まで降りると入口のドアにカギをかけられた。やばいやばい、もし僧侶とすれ違っていたら、塔内に閉じこめられるところだった。
-
お供え物を燃やしている子ども。
-
巡礼者に付いて本堂へ入ってみる。
-
大経堂の前で朝のお参りをする女性。
-
となりにある千手千眼観音堂は扉が閉まったまま。今は地元の人だけの時間帯だ。
-
寺の見取り図はチベット文字オンリーで、観光客は多くなさそうだ。
-
吾屯下寺から同仁方向へ5〜6分歩くと吾屯上寺の外周に着く。
-
仏像が手の配置を変えて並んでいた。手を膝に乗せたり、輪を作って合わせたり、手のひらを上に向けて重ねたり。
-
紫色の髪がアニメっぽくて、ついフィギアと呼びたくなる。
-
熱心にマニ車を回す巡礼者たち。
-
下寺よりは小ぶりな仏塔。
-
門をくぐって境内へ
-
境内に建ち並ぶ建物群。
屋根の中央には2匹の鹿と法輪が見られる。 -
こういう旗もタルチョというのかな?
-
吾屯村はタンカ(仏画)の郷ということでタンカの画廊が並んでいたので、描いているところを見学させてもらった。
-
最初は鉛筆で下書き。
-
そのあとに色付け。絵柄は複雑、でも近くで見るとベタ塗りであまり繊細には感じない。
-
モンゴルでもお目にかかったターラ菩薩がまん丸い顔に描かれている。
-
漢族向けだろうか、仙人みたいな人も出てくる。
-
文殊菩薩。インドのカリンポンで見た仏画の描き方とよく似ている。
-
民家の中庭でも絵を描く若者たちがいた。
-
こちらの絵は画法が違うようでより細密に見える。
-
民家の壁には模様が描かれている。
-
郭麻日村へ通じる橋を渡る。
-
橋から10分ほどで郭麻日寺(ゴルマ・ゴンパ)の入口に到着。
-
参道脇には土を塗り固めたような四角い家が並んでいた。
-
門から歩くこと10分、階段を登りきった先に巨大なチョルテン(仏塔)のヤマブキ色がそびえていた。
-
振りかえると、眼下に土作りの家、向こう側の山のふもとには吾屯下寺の仏塔が小さく見える。
-
解説板によれば「ゴルマ・ゴンパは1350年創建、当初はチベット4代宗派のうちニンマ派に属していたが、1651年にシャルサン・カルデン・ラマによりこの地に移されゲルグ派に改宗した」とある。
-
またチョルテンは「パンチェン・ラマ10世の創案で、イエション・ラマ7世と村の商人ラツァイが村民の寄付により1987年に建立。アムド最大の仏塔」とのこと。
-
大門の脇にチケット売場があったが、だれもいないので中へ進む。土壁を伝って歩くと、少年僧たちのお経の声が聞こえてきた。
-
大経堂と弥勒殿。屋根にはガルーダらしき像が向かい合って鐘を鳴らしている。
-
弥勒殿の中。琵琶を持っているから持国天のようだ。
-
緑色のポリタンクを背負った女性信者をよく見かけた。寺まで水を担ぎ上げて徳を積んでいるのだろう。
-
ピンク色の建物はあまり他では見かけなかった。
-
チョルテンまで戻り中を見学。第一階層には屋内にマニ車が並んでいた。
-
再び土壁作りの村を通って帰る。レンガ作りの家もあった。
-
門を裏から見たら、ここも国家AAAA級旅遊景区に2010年11月に指定されていた。
-
途中のタンカ工房にもう一軒立ち寄る。
門には「ラプゴン・アーティストの家」と書いてある。 -
中庭に面したタンカを描く作業場
-
このタンカはネズミを持っているから多聞天だろう。
-
昔、お婆さんが五体投地をするときに使っていた板が飾ってあった。長年手が擦れて穴が開き、足型にえぐれている。
-
祭壇にはモンゴルの紙幣がお供えしてあった。モンゴル人もタンカを求めて訪れているようだ。奥さんの話では、毎年の旧正月には北京や外国から客人が大勢泊まりに来るそうだ。
-
ここでツァンパを初めてご馳走になる。ツァンパの粉にバターと砂糖を加えてお湯で溶いてくれた。お茶は使わなかったからバター茶ではなくツァンパのレシピの一種だろう。
-
うまくもなく不味くもなく予想どおりの味。でもこの手の機能食品は嫌いではない。飲むカロリーメイトといったところだ。
-
再び橋を渡って吾屯村まで戻ってきた。
-
村はずれではタンカ総合センターを建設中だった。工事の垂れ幕によれば制作室、教室、展示場、職人宿舎まであり、2011年10月末完成となっていたが遅れているようだ。
-
吾屯村から同仁までは2元で帰れた。朝4元払ったのはやはりボラれたようだ。
-
通りで風船とゴム製ヘビを売るおじさん。
-
いつも牛肉麺ばかりじゃ新発見がないので、次に蘭州に着くまでは牛肉麺を禁食することにした。代わりに炒麺を注文(10元)。味はすっぱ甘くておいししかったが、瓜系野菜のトッピングがややくどかった。それに量が多すぎたので、袋に入れて持ち帰る。
-
昼食をとった江源面食館は部屋の窓からよく見える。どんな人が入るのか見ているだけでも結構楽しめる。巡礼者の夫婦が食堂の前で思案する姿。近くに診療所があるらしく、点滴の瓶を持って患者に付き添い食堂に入る家族も見かけた。
-
15時、隆務寺のきのう見残した部分を見にいく。午後の通りは賑やかになってきた。
-
店の前で売り物のカーペットを切っている店主。すごく雑な切り口だ。
-
雑貨屋の店先には、よくわからない品々とその奥に酒類が並ぶ。酒は10元以下で買えるようだ。
-
印経院の中門の前にいた男に許可を求めると「どうぞ、どうぞ」と身ぶりで中へ招いてくれた。
建物の中庭には大きな木があり、その周囲のひさしの下で僧侶たちが作業をしている。ひとりの僧侶が立ち上がって「ここはカ索活佛という高僧の住まいです。我々はその方の弟子です」と説明してくれた。日本にも彼の弟子がいると言う。最近ラサでも僧侶が焼身自殺した話をすると「チベットは独立すべきではない」と言っている。
突然、中から活佛が出てこられたので全員起立する。僕が日本人だとわかると握手をして頂き恐縮する。そのあと黄色い布を首から掛けてくれて、おまけに掛ける瞬間の写真撮影まで弟子に指示してくれた。なんかやることが慣れてるなあ。ダライ・ラマ14世のように多くの人に会ってきた方のようだ。 -
僧坊の中を適当に山へ向かって登っていたら、思わずコルラ道に出た。この道を右回りに進めば必ず出口に通じているので安心だ。
-
山腹にロバがつながれていた。
-
あくびをするロバ。その向うで少年僧が携帯電話で話しこんでいる。
-
坂道のマニ車はところどころに段差をつけて下っている。曲がり角にはショートコーナーがある。
-
マニ車が一回転するごとに針金がベルに当たってチンと鳴る。
-
壁の仏画はむかし駄菓子屋にあったシールのような懐かしい色彩をしていた。
-
タンカ工房で壷に模様を入れていた。ここで中国人のカップルに「ハロー!」と声をかけられる。外国人だとわかったようだ。男性の方が「今朝どこにいた?吾屯村でタンカを見ていただろう?」と言う。青いカッパを着て歩くところを見られたようだ。彼は山東省から吾屯村に移り住んでタンカを描いているとのこと。
-
広場の中央に座る黄金の菩薩。
-
ヤクのミルクで作ったヨーグルトを食べる(3元)。チーズ味が強い。次に行く澤庫はヨーグルトの産地のようだ。
-
人通りの多い歩道に来た。
このあたりの坊さんはピンキリのようで、国際的に活躍するかと思えば物貰いと紙一重みたいな人もいる。 -
歩道に冬虫夏草を売る男たちが集まっていた。写真を撮っていたら、「こっちの方を撮ってくれ」と別の籠を指差す。
-
たしかにこちらの方が上物のようだ。一本が40元以上するそうだ。
-
交差点付近でなぜかシルクロードを連想した。まだ行ったことはないけれど。
-
パンを買いたいが、角の露店には10元の巨大パンしかない。
-
仕方なく隆務寺近くの店まで買いに行く。モモと言えばチベット餃子のことだと思っていたが、このあたりではパンのことをモモ(模模:模は食へん)と言っていた。
-
DVD屋からはチベット風の音楽が流れている。
-
17時19分、まだ太陽は高い。ずっと曇っていたので、部屋に西陽があたることに初めて気がついた。ひとりでツインの部屋に泊まるとムダなようでも、片方のベッドが物置にできてあんがい便利ではある。
久しぶりに青島ビールを飲んだが、黄河ビールの方がかえって飲みやすい。 -
昼間に見かけたチベッタン・レストランが気になったので出かけてみる。夕食は食べ終わっていたので見るだけにする。お客さんはチベット水餃子を食べていた。メニューはこの一種類だけとのこと。
店主はレストラン経営以外にタンカを描いているそうで、「明日、部屋に見に来ないか?」と誘われたが、明日は早朝から移動するのでお断りした。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2012 海外20.中国東北部+モンゴル+チベット・アムド
-
中国東北部【1】浦東散策~旅順要塞跡を訪ねて
2012/06/02~
大連
-
中国東北部【2】満州の戦跡めぐりと人民との触合い
2012/06/04~
大連
-
中国東北部【3】臨江→長白 北朝鮮をのぞき見る
2012/06/06~
吉林省
-
中国東北部【4】延吉→図們 冷麺ビビンバ電脳間
2012/06/08~
延吉
-
中国東北部【5】東京城で渤海国史跡を見る
2012/06/10~
黒龍江省
-
中国東北部【6】東寧要塞に入り浸る
2012/06/11~
黒龍江省
-
中国東北部【7】ハルビン→長春 七三一と八大部
2012/06/12~
哈爾濱
-
中国東北部【8】通遼→エレンホト 列車とバスでモンゴルへ
2012/06/14~
エレンホト
-
モンゴル【1】砂とガラス片のザミンウードをさまよう
2012/06/16~
ザミーン・ウード
-
モンゴル【2】寝台急行~市バスでウランバートル観光
2012/06/18~
ウランバートル
-
モンゴル【3】テレルジでゲルに泊まる
2012/06/20~
テレルジ
-
モンゴル【4】ガンダン寺散策~列車とジープで中国へ
2012/06/22~
ウランバートル
-
チベット・アムド【1】 フフホトで寺院門前めぐり
2012/06/23~
呼和浩特
-
チベット・アムド【2】ミラレバ仏閣を仰ぎ見る
2012/06/25~
甘粛省
-
チベット・アムド【3】ラプラン寺のコルラ道を歩く
2012/06/27~
甘粛省
-
チベット・アムド【4】大仏塔とタンカの里
2012/06/28~現在の旅行記
青海省
-
チベット・アムド【5】黄河キャニオンへ~公安に踏みこまれる
2012/06/30~
青海省
-
チベット・アムド【6】高原道を西寧へ~タール寺の宿
2012/07/01~
西寧
-
チベット・アムド【7】湟源古城と青海/甘粛博物館
2012/07/03~
西寧
-
チベット・アムド【完】蘭州観光~硬座で上海へ、のはずが、、、
2012/07/05~
蘭州
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2012 海外20.中国東北部+モンゴル+チベット・アムド
2
116