2013/06/11 - 2013/06/11
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hidamari09さん
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太原の北25キロメートルの所に, 千年の歴史の村がある―――陽曲県青龍鎮村。
前からネット上で,この村があることは知っていましたが,これまで出かけていませんでした。山西省の「代県」からの長距離バスの終着駅,太原東客站出口で市内バスを待っていると。表示板の一つに青龍鎮村の文字を見ました。それが,キッカケで次の日に出かけて来ました。
表紙の写真は,清朝の西太后が西への逃走中に宿泊した王家の娘の部屋(多分)
現在,太原市内の交通は大混乱しています。3月に赴任した新市長の鶴の一声で,市内の主要道路の大改造が始まったからです。まず,東客站までのバスに乗るまでが大変です。近くのバスは大方止まっているので,工事中の道路の様子を見ながら東客站行きのバス停まで歩きました。その後のバス路線も,道路工事の影響を受け経路が変わっていました。
青龍鎮村は,明清時代の町並みを持った街でした。まだ,整備中のようで案内も無く,住民のいない工事中の街中を勝手に参観してきましたが,案内の表示も無く,何がなんだか解らないまま見て帰って来ました。
帰ってから,ネットで調べると,青龍鎮村は昔の南北を繋ぐ道路の要所で,
1、日欧八カ国が中国に侵攻した時に,西に逃げた西太后が逃走の途中に宿泊した。
2、日中戦争の時に,日本軍の飛行機が爆撃をした。
3、住民が戦争の被害から身を守るため,地下道を張り巡らし,避難用の砦を持っている。
という,歴史がある街だと知りました。
街の通りの長さは2.5キロメートルあるようですが,そんなこととは知らず,今回歩いたのは其の内の500メートルあまりです。
かっては栄えたこの村も,解放後の中国になってからは衰退の一歩で,「街起こし」として,観光地かとすべく,街を修復中のようです。街の再生のため「街起こし」は良いと思いますが,ここは中国,反面の問題も多少あるようです。
この当たりの事情を紹介した新聞記事があったので,その記事の翻訳(あまり上手でないですが)を使い,紹介していきます。記事はいずれも,街の改修を始めた2007年に書かれたものです。
1)2007年5月16日 来源:山西晚报 (記者 欄玲)>で始まる文。
2)2007年6月 1日 来源:山西新闻网(責任編集 西河)》で始まる文。
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陽曲県侯郷青龍鎮村とは,どこにあるのでしょうか。
太原の北25キロメートルを地図で表示してみました。 -
大雑把に場所を説明します。
① 真武閣
② 清の西太后が宿泊したという場所
③ 文昌祠前の楼閣
④ 龍王廟
⑤ 文昌祠
⑥ 青龍鎮村の住民の仮住まい(多分,勝手な私の推測) -
朝,太原の火車站の北西西にある東客站に向かうべく,并州路を長風路に向かって北上します。
片側三車線あった道路の拡張工事のため掘り返され,中に下水管等を埋め込み,少し埋め戻した状態です。
中国の住居は,路に面した門から入ります。住居の正面の門以外は,高い塀で閉じられるので,この道路に面した住居の住民は,この工事現場を通らないと家に入れません。 -
道路工事開始前の状態です。
片側3車線道路を4車線に拡張するために,道路の中心から片側25メートル以内の建築物は有無を言わさず取り壊されます。
片側25メートルは,もともとの都市計画の幅だったのでしょう。その中に,一時的に立てていた建物は,違法建築として強制撤去されます。
工事の通知の張り紙には,この通知から3日以内に自主的に取り壊せとあります。その場合は取り壊し費用は無料。それ以外は,地元負担。当然,違法建築なので,補償はしないと書いてあります。
すごい国です。 -
どこから湧いてきたのかしりませんが,道路工事の作業員は,道路脇の広場にテントを張って,道路工事の間生活をします。
そして,次の工事現場に移っていくのでしょう。 -
住民は工事中の中を歩いて,通勤、通学、買い物に出かけます。
年内(2003年)には,この当たりの道路工事を終わらせると聞いています。 -
東客站から826路バスに乗りました。北側の道路工事の影響で,バス路線の経路が変わっているようです。
バス停で同じバスを待っていた若い人に聞いたところ,新城というバス停で904路に乗り換えれば良いと教えてもらいました。
距離は20キロメートルほどですが,スピードが遅い,停車が多いで時間がかかります。 -
826路バスに乗っていると,途中に太原の城壁と門が見えました。
当然,最近に修復されたもののようです。 -
904路バスの停留所につきました。幹線道路沿いです。さて,青龍鎮村がどこにあるのかわかりません。左手に停車していた,公安の警察官に聞くと,ここから南に50メートルほど向かい右に曲がればよいと教えてくれました。
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教えられた右手の横道入口には,青龍鎮村の標識がありました。
この先を進むと・・・ -
門が出てきます。工事が終了した暁は,青龍鎮観光地への入口の集金所になるかと推測しています。
>漢代がら現代まで,ここは戦場の地となった,過ぎし千年,古鎮の住民は戦火を避けるために,住居の下に地下道を作り相互に結び,村から3kメートルはなれた砦に洞穴式住居を築き, 民間の設備の整った防御施設を作った。解放五,青龍鎮の軍事的効用は少なくなり, 古鎮は日を追って衰退した。
>太原市が「観光強化都市」の新スローガンを打ち出した後,陽曲県は古鎮に観光化推進総合計画を進めた。2005年,古鎮は太原市政府文化重点産業の一つに認定された,2006年3月に太原市の「十一五」期産業第一批融資を受けた。2006年9月10日,青龍鎮は第一期工事を開始した,見通しでは2007年8月30日に工事が完成する。本日,記者は陽曲県を訪れ,青龍古鎮を探る。 -
先ほどの門の左手のビニールに囲いの中で,木を挽いています。
まだ工事中のようです。
> 5月10日, 陽曲県青龍鎮。青龍鎮村の大部分が工事現場と化して,大型の作業車がひっきりなしに行来し,埃が舞い上がり,大変な勢いだ。工事現場事務所に,工事日程の残り時間が表示されている,5月10日木曜日,古鎮の開発第一期工事残り113日と書かれていた。
> 青龍鎮は陽曲県の南端にある,南は太原市の尖草坪区に接し,村の面積は22600平方メートル,人口は1400人余である。村は小山に挟まれ,土の城壁が村を囲むが多くは既に破損している。村を南北に貫くメイン通りは中上街といい,全長2.5kメートル。通りが村を二分して,建物は通りの両側に並び,窑洞(山崖に掘った洞穴式住居.)が主で,楼閣がその間に点在する。これらの建物は長年修理されず,塀や壁の残骸がいたるところに残る。メイン通りは起伏があり,うねって横たわる巨大な龍のよう,路面の青石敷板はひどく磨り減っている。「龍頭」は北を向き,「龍尾」は南を向く,「龍頭」の両側が,正に修復中の龍王廟と文昌祠である,当地の人はこの二つの建物を龍の両眼に見立てている。街道の先が,千年の流れを持つ柳興河だが,惜しいことに干上がっている。 -
門に上がってみると,中の壁に落書きがしてあります。中国人,どこにでも落書きをします。物を大事にしません。
しばらく前に,エジプトのルクソール神殿で,南京の中学生が神殿内の古代の浮き彫りに落書きをした事件がありました。
子供は,小さい時から,落書きをしていたそうで,母親は注意をしなかったそうです。
中国人が見つけ,ネットで上に中国の恥だと書いて,大騒ぎになりました。
母親は子供に注意をしなかったことを悔いていると書いてありますが。事件を起こしてから悔いても,あとの祭りというものです。 -
先ほどの門を潜り20メートルほど,これも工事中の昔風の建物を抜けると,真武門に出ました。
この門の,向こう側の右手に上に上がる階段があります。右手の建物の中には,住民がいましたが,上がって良いかと聞くと,勝手にという素振りを見せました。
新聞記者が書いている,閣洞とはここのことだったのでしょうか?
> 同行の陽曲県観光局局長李成喜は記者に,かって太原-運城路が開通する前は,南北の行き来はこの古道を通らねばならなかった。平和な時は,道の両側に商店が並び,店先に商号を掲げた倉庫が数え切れないほどだった。メイン通りには,かって5箇所の閣洞(土台にトンネルのある楼閣)があった。一度戦争が起こると,トンネルを閉ざし,南北に走る道路を遮断した。
> 残念なことに,現在,この閣洞は南側に一箇所が残るだけだ,この閣洞は東西の幅が3間,奥行が10メートル,二層のレンガと木材の結構で,上に木組みの楼閣が3間。閣洞と太原の拱積門とは25kメートル,城門は既に壊れ,城壁は剥げ落ち,古い煉瓦の風化が激しい。 -
真武門をくぐった方向から見ています。正面の門を潜り,楼閣に上がります。
説明書きによると,建物の主要な構造部分は清代のものだそうです。 -
中には像が展示され、
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額に書かれた画
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真武門の左手が泰山廟です。
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泰山廟の左手の建物です。
下は住居として使われていますが,左手から上に上がれます。
といっても,中には何もありませんでしたが。
ここと,途中に商店と書かれた庭園内の一間を除き,中上街沿いに住民が居住しているのは見かけませんでした。 -
二階から北に街を望みます。
この写真で,ここの邸宅の作りが垣間見れます。
真ん中に庭があり,庭を囲むように建物があります。 -
真武門の上から,北に向かって街の通りを眺めています。
ぱらぱらと見える観光客以外,住民の姿が見えません。みんな,何処へ行ってしまったのでしょうか? -
さて,ここの家の説明をするのが難しいです。
入ると,庭になります,そしてこの庭を囲むように建物があるという構造です。そして,この庭の奥,または左右の建物の裏に,更に庭があり,その庭を囲んで建物が立てられるという構造です。
結構広く,立派なおうちです。 -
多きな邸宅の場合,表の大門を潜ると目隠しの壁があります。
この壁は,現在でも農村の家に受け継がれています。 -
門を潜って中庭を望むとこんな感じです。
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これがおそらく,西太后の宿泊したという・・・
> 1900年,八カ国連合軍が中国に侵入した時,西太后は慌てて西に逃げた,途中青龍鎮を通り,村の王家の娘の部屋に宿泊した。守りが堅固だったので,西太后が北京に戻った後,青龍鎮王家に颐和園東文西武南龍北鳳的皇家構成の庭園建設を特別に許し,それから,王家はトントン拍子に繁盛した。西太后がここを通ったという碑が閣洞の前に立っている。西太后がかって宿泊した部屋はいまでも残っていて,百年の風雨を浴び,激しい世の移り変わりを受けたが,まだ立派な建物を見ることが出来る。 -
西太后が宿泊した部屋は,このあたりでしょうか。
二階の部屋は空っぽです。 -
裏に回って見てみます。
> 長年の戦乱から,青龍鎮の住民は強い防衛意識を代代受け継いでいて,各家の地化に地下道を掘ってある。
> 記者は方々を当たり,馬秀梅老婆が住む家を知った。地下道の保存状況は完璧だった。老婆は今年72歳,中上街沿いの古い邸宅に住む。家は何時ごろ建てられたのか,老婆も明らかでなかった,彼女が知っているのは,ここは夫の兄の家で28年前に引っ越してきたということ。母屋は3間の窑洞で,中央の部屋に入る,左の部屋が寝室で,右側が物置,中に並べられたのは全て古い家具だった。寝室の北の壁に,ちいさな門が開けられていて,入口のカーテンをはねのけると,中は真っ暗で,水瓶が積まれていた。老婆が言うには,ここは続き間というのだそうだ。続き間の北壁に1.5メートル高さの小さな門がある。この門を開け,かがんで入った,中は広い土の地下道だった。地下道の高さは4メートル,地下十数メートル,中は真っ暗,冷気が襲う。懐中電灯とロウソクを借り見ると,地下道の構造は窑洞と同じ,なにかの植物の根が土の層を貫いていある,さらに奥に進む。突き当りはレンガを積み上げ閉じてあった。老婆が言うには,この地下道は他の家と村の入口の祠堂に繋がっている。各家の地下道につながる部分は,ここほど広くなく,僅かに一人が腰をかがめて進めるほど。何年か前,子供が地下道を出入りしてあそんでいたので思い切って閉じたそうだ。 -
立派な門構えの邸宅が通りの両側に続きます。
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大したものです。
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100メートルほどの通りを抜けると,いきなりこんな建物に出会いました。独立峰の感じで立っています。
あとでわかりましたが,この前方のちょっとした丘の上の建物が文昌祠,左手先が竜王廟になります。 -
先ほどの独立峰建物の土台に張り紙があります。
何が書いてあるかというと,青龍鎮村の中に,勝手に建物を立ててはいけないと書いてあります。 -
竜王廟です。
> 劉節老人は今年77歳,記者にお爺さんの話をしてくれた:清朝の末,社会は揺れ動いていた,青龍鎮をつねに兵馬が通った。戦火を避けるために,おじいさんと家族、作男を併せて30数人が地下道の中で1ヶ月余を過ごした。そのころ,地下道は高低、上り下りがあり,曲がり角と出口には仕掛けがああった。
> 往時は,普通の民家だけでなく商店にも地下道があった。工事現場事務所は昔9窑18洞と呼ばれ,かって王家の質屋があった場所だ。9窑は上中下の三層で,東に位置し西向きで,東向きの各層に6個の洞が開けられ,合わせて18洞だ,第4層には9間がある。これらの洞は平時は物置として使われ,戦時には隠れ場所とされた。惜しむらくは,これらの建物の多数は既に壊れている。
> 青龍鎮でもっとも息を飲ませるのは,村の西1.5kメートルの明代の砦だ。度重なる動乱の中,この砦では村民の命と財産を守る使命を果たしてきた。 -
文昌祠です。
》山西省陽曲県侯郷青龍鎮は漢代から解放前時代の建築があろ,古代の軍事文化と当地の民族文化が凝縮した千年の古鎮だ:もとの建物はもちろん破損していたが意図的に改造された跡はなかった。去年9月, 陽曲県は青龍鎮の開発を始めた開発の過程で,この鎮の文昌祠殿内の彩色画が損傷された,殿上の独特の画は再建後復元できていない。 -
閉められていて中にはいれませんでした。
》古い文昌祠の主殿の屋根瓦は,珍しい「印度孔雀藍瓦」だった,普通の黒い瓦の中に3条の縦線で真ん中は両側の菱形の図形で挟まれていた,庶民は「龍の眼」と呼んでいた,相対して隣り合う「竜王廟」の屋根と似ていた。専門家は,この主の紺碧の「孔雀瓦」非常にまれで,既に焼けなくなているという。
》この殿の大修復の期間,剥ぎ取られ文昌祠の荒地に積み重ねられていた,相当部分が出稼ぎ農民の飯場の屋根の重しとされた。屋根を葺いた後,元々の図案はなくなった,全部普通の黒瓦が使われている。最初に見た時と比べると,頂上の孔雀藍瓦の図案は無くなり,とても奇異でおかしい。
》大改修の後の文昌祠は,元々の建築から変えられている。もともとの正殿の檐はは比較的浅く,古風で飾り気がなかった;改修後は大きく跳ねた檐で,風格のあった元とはまったく違うものになっている。 -
文昌祠を右手に回り込むと,裏手に登る道にトンネルの入口があったので入ってみました。
深さ6メートルほど入ると,埋められて閉ざされていました。途中は左右に深いくぼみが掘られています。
> 1937年,日本軍が侵攻してきて,青龍鎮の老若男女は次々と砦に逃げ込んだ。その当時,劉節老人は6歳で,家族とともに砦に入った。日本軍が青龍鎮に入ったが,村の中は空っぽだった,不思議である。ある日,日本軍が砦の中の人の動きを見つけ,飛行機を飛ばし爆撃した。人々はさらに奥の地下道に隠れ,難を免れた。戦争を避けるために,5、6百の村人は砦に1年以上住んだ。解放戦争当時,村人はまた砦に避難した,何時ごろ解放されるのか,明らかでなかった。直接軍人が砦に入って来て説得して,村人はやっと村に戻った。劉節老人は,このような砦は数多くあったが,比較的良く残っているのはココだけだと言う。 -
トンネルの入口です。新聞記事にあるトンネルはこんな感じでしょう。
>解放後,青龍鎮の軍事的効用は少なくなり,古鎮は日毎に落ちぶれ,加えて「文化大革命」時期に大量に壊された,多くの文化財、遺跡が無くなった。1988年, 陽曲県政府は古い鎮の様相を復活させる構想と提案した。
>太原市政府の提案する「観光強化都市」戦略の道筋を追い,2004年陽曲県政府は観光の専門家を招き,古鎮に対し観光地化推進に向けて総合計画を立てた。後に太原市の重点企業誘致,文化産業の重点項目となった。いまのところ,古鎮は山西省の歴史文化鎮の保護対象となっている。・・省略・・ -
東側の丘に,城壁らしきものがみえます。
-
東にみえた除癖に登ります。
老人は67歳だそうです。
村に住民は帰ることができますかね?と聞くと。
帰ることができるだろう,との返事です。
ただ,その後の深い嘆息が・・・
老人の,そうあって欲しいと願う気持ちを表しています。 -
先ほどの坂を登り,台地の上の通りを中上街が望めるとこまで戻ると,振興青龍と書かれた壁がありました。
先ほどの老人が言っていた,青龍鎮の住民が移転した場所のようです。
辺りに人影がないので,確認できませんでした。 -
画一的な仮設住宅のような,普通に見られるような,住宅が並んでいます。
新聞記事によると,2007年には青龍鎮の開発工事を始めているので,足掛け5年,住民はここに住んでいることになります。
どんな気持ちでしょう。
「街起しの」ためとは家,住み慣れた家を追い出され・・・ -
青龍鎮
どう見たら良いのでしょう。
新聞記事に書かれているように,もともとの建物を基本としているが,もともとのように復元をしているとは限りません。
上海近郊の水郷の街のように,明清時代から住み続け,手入れをしてきた住居がたまたま,観光地としての価値を見出されたのとは異なり。ここは,観光業者が観光地化を目指して作っているところです。当然,意識としては古い時代を残そうとするより,客をいかに惹きつけるかに重点が移ります。
それにしても,5年たっても完成しないとは? -
街道に出ると,通りの向こう側に,これからチベットのラサまで行く巡礼者に出会いました。尺取虫のように,地べたにひれ伏し,伸ばした手のところまで進み,またひれ伏すという動作を繰り返して進むのです。まだ身なりが綺麗なので,スタートしたばかりのようです。
ラサに到着できるのは,1年後か2年後か?
信仰の力には驚かされます。 -
来るときのバスは時間がかかったので,904路バスで陽曲火車站まで来ました。20分後の午後3時20分の列車があるというので,帰りは火車にしました。
切符の購入に身分証の提示は求められませんでした。 -
火車の運賃は2元でした。時間は1時間程だそうです。
時間さえ都合がよければ,火車の利用が最適です。
来るときは,826路(2元)+904路(3元)の5元で,2時間以上を費やしています。 -
ローカル駅は,お客も駅員も顔なじみです。
駅員に見かけない顔だねと言われました。
旅行客が訪れることはまれなのでしょう。 -
駅員に率いられ,線路を渡って向かいのステーションに来ました。
多きな駅と異なり,ステーションの段差は20センチほどです。 -
青龍鎮村・・・
個人的には,色々と考えさせてくれる旅でした・・・
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