2008/12/29 - 2008/12/29
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ぬいぬいさん
終戦の10日前の1945年8月6日、米軍によって原子爆弾が広島に投下されました。熱線と衝撃波、放射能により広島は焦土と化し、14万人もの人が被爆死しました。その惨劇の象徴が原爆ドームであり、人類史上初めて使用された大量殺戮兵器の惨禍を後世に伝えるための「負の遺産」として世界遺産に登録されています。
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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昨夜広島に到着したのが夜の8時半すぎ。
御当地グルメの広島風お好み焼きとひろしまドリミネーションを遅くまで楽しみ、今朝は朝一番で散歩をかねて、広島訪問の目的のひとつである原爆ドームの見学に出かけました。 -
今回の旅での広島市内滞在は、睡眠時間を除くとわずか数時間。これからまだ山陽本線に乗って今回の旅のゴールである長崎まで行かなければなりません。
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時間を惜しんで、まだ朝の暗い時間から今日はスタートとなりました。
宿泊したホテルから市電で4駅の距離をのんびりと散策しながら到着した時にようやく空が明るくなりました。 -
原爆ドームは、1915年(大正4年)に広島県内の物産品の展示・販売をする施設「広島県物産陳列館」として建てられました。
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設計者はチェコの建築家ヤン・レツル、構造は一部鉄骨を使用した煉瓦造、石材とモルタルで外装が施されていました。
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全体は3階建で、正面中央の銅板葺きの楕円形ドーム部分が5階建ての当時としてはモダンな外観でした。
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当時は、大胆なヨーロッパ風の建物は珍しく、川面に映えるモダンな美しさは広島の名所となっていました。
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その美しいドームの建物が、1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、一瞬のうちに大破しました。
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エノラ・ゲイから投下された人類史上最初の原子爆弾が炸裂したのは、広島県産業奨励館から南東約160メートル、高度約600メートルのところでした。
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原爆炸裂後、建物は0.2秒で凄まじい熱線に包まれ、0.8秒後衝撃波に近い猛烈な爆風が襲い、1秒もかからない内に瞬時に崩壊したとものと推定されています。
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3階建ての本体部分はほぼ全壊したが、中央のドーム部分は奇跡的に全壊を免れ外壁を中心に形が残りました。
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その理由はいくつかあるようです。
ひとつは衝撃波を受けた方向がほぼ真上からだったこと -
二つめは窓が多かったことにより、爆風が窓から吹き抜けたこと
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三つめは、本体部分の屋根は真上からの衝撃により押し潰されましたが、ドームの屋根は鉄よりも融点の低い銅板だっため、爆風到達前の熱線で解けて、爆風が通過してしまったため、崩壊を免れたと考えられます。
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早朝8時15分だったため、建物の一般客はいなかったようですが、館内にいた職員など約30名は熱線と爆風で全員即死したと推定されます。
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ドーム鉄骨部分がむき出しの残骸と化したこの建物は、いつからともなく市民の間で「原爆ドーム」と呼ばれるようになりました。
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展示されているパネルの写真を見ると、原爆投下前はこんな姿をしていました。
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投下後はこんな焼け野原になっています。
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原爆ドームの存廃については「悲惨な記憶を呼び起こすものだから撤去すべき」という意見も少なからずあり、たびたび議論されてきました。
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しかし、1960年に被爆が原因の急性白血病で亡くなった少女の日記の「あの痛々しい産業奨励館だけが、いつまでも、おそるべき原爆のことを後世に訴えかけてくれるだろう」という一文に後押しされる形で永久保存が決定しました。
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1995年国の史跡に指定され、翌1996年12月5日には、二度と同じような悲劇が起こらないようにとの戒めや願いをこめて、ユネスコの「負の世界遺産」に登録されています。
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同じ負の世界遺産にはアウシュビッツ強制収容所、なバーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群などがあります。
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世界遺産の登録にあたっては、こんなエピソードがあります。アメリカは、原爆ドームの登録に強く反対。調査報告書から、「世界で初めて使用された核兵器」の文字を削除させたとか、中国も、日本の戦争への反省が足りないとして、棄権に回ったとか。
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金色の折鶴を捧げ持つ少女のブロンズ像は、昭和33年のこどもの日に建立された原爆の子の像
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三脚のドーム型の台座の上に乗ったこの像の足元には、この像に捧げられる数多くの折り鶴を雨露から守るため、屋根付きの折り鶴台が設けられています。
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こちらは平和の灯火
この火は、1964(昭和39)年8月1日点火されて以来ずっと燃え続けており、「核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けよう」という反核悲願の象徴となっています。 -
丹下健三の設計による原爆死没者慰霊碑は、1952年の原爆記念日に建立されています。
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「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」
この碑文は広島大学の雑賀忠義教授によるもの -
平和記念資料館の南側にあるこの噴水は、1964(昭和39)広島銀行の寄贈により造られました。
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こちらは噴水前にある「嵐の中の母子像」
右手で乳飲み子を抱え、左手で幼児を背負おうとしながら、前かがみ姿勢で生き抜こうとする母の姿を表しています。 -
昭和30年(1955年)に建てられたこの広島平和記念資料館は、都庁の設計者の丹下健三によるもの。
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原爆ドームは、被爆当時の惨状を残す姿がノーモア・ヒロシマの象徴として、時代を越えて核兵器の廃絶と恒久平和の大切さを世界へ訴えるシンボルになっています。
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