2005/03/11 - 2005/03/18
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旅人のくまさんさん
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<2005年3月12日(土)>
前日のメモからです。その日を含めて、前日の予定を添乗員のTmさんが連絡してくれました。「明日の出発は9時丁度、モーニングコールは7時30分、レストランは7時30分からで、ミールクーポンは不要。セーフティボックス使用の場合は受付へ、預かり金が必要。深夜、早朝の散歩は危険なのでお止め下さい」等でした。
<プラド美術館見学>
ぴったりの時間にモーニングコールがありましたが、既に洗面を終えて、シャワーも済んでいました。周りの部屋からも物音がしていましたので、同じような行動だったようです。
今日の最初の見学地がプラド美術館でした。繰り返しますが、今回の一番目の旅行目的でした。開館時間は9時から19時の間で、月曜日が休館です。世界の三大美術館の1つに数えられる人気スポットですから、開館前から行列が出来ていました。その数、数百人といったところでしょうか。
その開館前に時間で面白い鳥を見かけました、韓国でよく見かける尾と羽根が白いカササギです。日本へも飛来し、佐賀県辺りで営巣しています。日本書紀に出てくるカチガラスのようです。つい、辺りの高い樹を見上げましたが、その巣を確認することは出来ませんでした。周りは、ほとんどが鳩でしたから、気が付いた人は少なかったでしょう。
プラド美術館の見学ルールでは、ガイドさんを含めて30人以内のグループにする必要がありました。それで、二人付いてくれた現地ガイドさんの内、人数が少ないグループに入れてもらうことになりました。数人だけですから、小回りが利きます。
その日本人の現地ガイドさんは「キリストの受難」というテーマで、館内の関連する作品の年代を追って解説してくれました。私は写真を撮るのに忙しかったので、説明は飛び飛びに聞く結果になりました。本体の30人グループとも交差したり、合流したりの開館巡りでした。午後にも時間をかけて見学する予定でしたが、重複してもいいので、写真は撮れる内に撮っておこうという考えでした。
案内が終わって、暫くの自由時間がありました。11時15分集合でした。この時にガイドさんと待合せの場所が食い違ってしまいました。私が聞いた積りの場所が「有名なゴヤのマハの絵の前」でしたが、「ゴヤの銅像の前」だったようです。
1階(日本で言う2階)で20分以上待ちましたが、約束の時間を10分ほど過ぎた時点でおかしいと気づき、美術館を出て、ベランダから見下ろしましたら、Tmさんと現地ガイドのヘスースさんが待っていてくれるのが見えました。それは「ゴヤの銅像の前」でした。10分程バスが待っていてくれたようですが、既に出発した後でした。早速、タクシーを拾って次の見学地スペイン広場へ急ぎました。
<スペイン広場、ドン・キホーテの像見学>
スペインにスペイン広場があるのは当たり前ですが、日本ではオードリー・ヘプバーンとグレゴリーペック主演の「ローマの休日」が余りにも人気がありますから、イタリアのスペイン広場の方が最初に頭に浮かびます。ひょっとしたら、世界各国でも同じ事情かも知れません。
余談ですが、2月の上海旅行の時に買ったDVDの一枚が中国語吹替版の「夢馬假日(ローマの休日)」でした。この部分を書き進めながら、その中国語を話す(?)ヘプバーンが演ずるアン王女を観ています。因みにモノクロ映画のこのDVDは、12元、約160円でした。
さて、このスペイン広場にはプラド美術館からタクシーで駆けつけました。先に出発したツアーバスと合流するためです。そのバスは交通渋滞のためかタクシーより大分遅れてやって来ました。
スペイン広場の名物はドン・キホーテとその従者サンチョ・パンサの銅像です。それを見下ろす作者のセルバンテスの像もあります。その像の横には大きなオリーブの木があり、その前には綺麗な水を讃えた泉水もあります。回りの高層ビル群も、同時に見ることが出来ます。
<王宮>
スペイン広場見学の後は王宮見学でした。休館日に当たっていましたから、外観だけの見学です。格好の撮影スポットでした。マンサナレサ川の畔に立つバロック様式と新古典様式が調和した建物です。その建物の前に続くオリエンテ広場にはカステラーニャの歴代王の像が立ち並んでいました。
<マドリッド市内散策>
王宮見学の後は、歩いて近くの革製品の専門店に立ち寄りました。私には余り縁がないお店です。昼食までは、かなり時間がありましたので、その調整でもあったようです。ここからは、昼食のレストランまでバスで移動しました。現地の昼食時間には大分早いようですが、事前の交渉で早く食事が出来るようになったようです。
メインディシュは、シーフードパエリアでした。例によって竹村さんが飲み物の注文をとってくれましたから、白のハーフボトル「ビーニャー・ソール」を頼みました。「太陽のワイン」という意味です。手元の事典(世界の名酒事典、講談社)では、「バルセロナの西方のビラフランカ・デル・ベナデスで17世紀以来の醸造の歴史を誇るトーレス社」とあり、ビーニャー・ソールの特徴は「フルーティーで、フレッシュな味わい」と表現されていました。高い値段のワインではありません。日本のお店では、フルボトルが3〜4千円で飲めるようです。
今日の午後はフリータイムでした。私の場合、午後もプラド美術館を見学する予定でしたからオプショナルツアーは申し込んでいませんでした。オプショナルツアーは、古都トレドでしたから、こちらも随分と魅力がありました。「トレド旧市街」として世界文化遺産に指定された城塞都市であったからです。エル・グレコが活躍した町でもあります。
トレド観光に参加しなかったのは、私を含め数人だけでした。スペイン広場で皆さんとお別れした後、地下鉄でプラド美術館へ向かいました。乗ったのは、地下鉄3号線のプラサ・デ・エスパーニャ駅でした。スペイン広場駅の意味です。
この線路は南北線なので、2つ目のソル駅で2号線に乗り換えました。実は、ここで反対方向の電車に乗ってしまいました。それは、次の駅が路線図に書いてあったオペラだったからです。もう 1つ先のプリンシペピオ駅で、反対方向に乗り換えました。
このプリンシペピオ駅からは、ソル駅を過ぎて4つ目の駅で降りました。プリンシペ・デ・デルガラ駅です。プラド美術館の東側のレティーロ公園の東北角付近でした。ここからプラド美術館まで、市内散策と公園の雰囲気を楽しみました。
ここでガイドさんからお聞きした「シェスタ」について少し紹介しておきます。簡単に言えば昼寝のことです。一番暑い時間をのんびり過ごすための工夫です。このシェスタの風習と合わせ、スペインでの食事時間は、日本とは大分時間帯が異なるそうです。レストランが開くのは、昼食時間は13時頃から、夕食は20時半頃からだそうです。
プラド美術館までの市内散策は、昼食の時間でした。お店の中や、道路に置かれたテーブルはのんびりと昼食を摂る人で一杯でした。レティーロ公園の入口付近では、縫いぐるみの人がパンフレットを配っていました。どうやら、公園内にあるレストランの呼び込みのようでした。
レティーロ公園の北西角には、立派な造りのアルカラ門がありました。1778年、新古典主義のサバティーニの作です。アメリカ独立宣言の2年後です。ここから更に2、300m先のシベレス広場を左折して、南行しました。名古屋で言えば若宮大通りのような道路の東側には、中央郵便局、国防省などの建物が並んでいました。人通りは少なく、のんびりと市内散策を楽しみました。
<再びプラド美術館へ>
シベレス広場から4、500mも南へ下ると、プラド美術館が見えてきました。午前中は東側の門からの入場でしたが、午後は西側からの入場です。午前の団体料金は知りませんが、午後は6ユーロの入場料でした。日本円に換算すれば840円程度です。
出入口近くでは自分が描いた絵を売る人達が、道の脇に並んでいました。商品の場合、余り値段は高くないのでしょうが、値段表示はされていませんでした。それで購入は諦めました。声を掛ければ、間違いなく買わされるでしょうし、値段交渉している人を見かけなかったためです。
朝の時とは違って、行列はありませんでした。日本人の団体客もいませんでしたから、スムーズに入館できました。
午前中に見た名画の数々はもちろん、じっくり時間をかけてお目当てのエル・グレコ、ゴヤ、ルーベンスなどの絵画を鑑賞しました。エル・グレコの展示室だけでも、3室あったのには圧倒されました。
<ホテル近くのスーパー>
プラド美術館からホテルまでの帰りは、タクシーを拾うことにしました。乗り場の見当を付けたのが、美術館を400m程南下したアトーチャ駅でした。実はこの時、この駅が新幹線の始発駅であることは知りませんでした。知ったのは、翌日に新幹線に乗るためにバスで来た時です。
美術館は建物自体が見応えがありますし、道路に面した広い前庭と、そこに植樹された木々も立派でした。前庭に続くとおりの街路樹も大木で、流石に歴史の街の風格を漂わせていました。東側にはゴヤの銅像がありましたが、こちら側にはベラスケスとティツィアーノの銅像があります。
美術館に続く通りには古本屋さんが軒を並べていました。フランスのセーヌ川沿いで見た風景と重なりました。タクシーは駅前付近で直ぐに拾えました。念のためにホテルカードも持参していましたが、「プラガホテル」だけで十分に通じました。行き先を復唱してくれたことで、安心して乗ることが出来ました。
アトーチャ駅前から、プラガホテルまでは僅かの距離です。10分程の乗車です。降りた場所はホテルの前の信号です。道路が込んでいましたので、「メルシー」で合図をしました。料金は3ユーロ85セントでした。4ユーロを出しましたが、お釣りを受け取らずにチップにしました。
ここで降りたのは、ホテルに戻る前にコンビに立ち寄りたかったからです。コンビにでは、既にトレドの観光を終えた人達とも顔を合わせました。竹村さんも買い物を終えてホテルへ戻られる途中でした。皆さんの案内だったかも知れません。時間は既に18時を回っていました。
スーパーは奥行きがあって、品揃えもまずまずでした。買いたい品は最初から決めていました。缶ビール、ミネラルウォーターとつまみです。缶ビールはハイネッケンと地ビール、ミネラルウォーターは適当なサイズ探しで少し時間がかかりました。つまみはソーセージと小さな包みのチーズにしました。
<夕食はホテルで>
ホテルへ戻ったら、Tmさんが1階のフロントに仕事顔(?)で立たれていました。午後の時間が自由時間だったため、全員が戻ってくるのを確認されていたようです。暫くして、全員の顔が確認できたようです。
そこでの立ち話で、「適当に見当を付けて20名分の席を予約しておきました」とお聞きしましたので、ついでに私も予約をお願いしました。このホテルの近くには、余り気の利いたレストランがないことを、予めお聞きしていたからです。
午前中のプラド美術館見学で少し迷惑をおかけしていましたから、Tmさんに「レストランの呼び込みは私に任せてください」とお話して、グループのメンバーの顔を見る度に「Tmさんがレストランを予約されていますから、良かったらどうぞ。Tmさんは、右奥の席に見えますよ」と声を掛けました。
「部屋で飲んで、仕上がってしまいました」、「外で食事を済ませてきました」と話される方も見えましたが、ほぼ20名が、泊まったホテルでの夕食となりました。Tmさんにお願いしてセットコースにしましたが、余りの量の多さに閉口しました。最初のチーズとハムだけでも満腹になりそうな量でした。ワインのつまみには丁度良かったので、色んな種類の中から、端っこだけを食べました。ワインはリオハの白のフルボトルでした。もちろん、これも竹村さんを通じての注文です。プラド美術館見学の余韻も相俟って、実に楽しい夕食でした。
プラド美術館で
一枚の絵に酔痴れしエルグレコ満たる部屋に息は止れる
吾姿絵に留たるゴヤを観てふと想たるヒッチコックを
2回目のプラド美術館見学の途中で
半日のフリータイムを惜む午後プラドを目指す足は速まる
ホテルでの夕食の時
山盛の料理は既に持余しリオハ楽しむ夜は更行く
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 観光バス タクシー
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ホテル到着は23時を回っていましたから、昨晩は外出しませんでした。ここでは2連泊です。その翌朝、入場待ちのプラド美術館前です。
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小さく写ってしまいましたが、ゴヤの銅像です。エル・グレコ、ベラスケスと並ぶプラド美術館の三大巨匠の一人です。歴代王室が蒐集した名品が揃う美術館です。
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世界でも指折りの美術館です。私の今回旅行の最大目的がこの美術館見学でした。開館前からこの行列です。
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フラッシュを焚なければ写真撮影が許されていました。この日の午後の自由時間にも見学に来ましたので、プラド美術館ではゆっくりと撮影できました。
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入口近くの宗教画です。少し変形した形から想像すると、寺院か王室の壁画として描かれたものかも知れません。
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個々の作品は別冊の写真集に譲るとして、取り敢えずは美術館内の鑑賞風景です。一番左の後姿が、添乗員のTmさんのようです。
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多分、エル・グレコの作品です。日本では、大原美術館で1点を見ただけで感激しましたが、プラド美術館では、圧倒される数でした。
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音声ガイドの貸出しもありましたが、利用しませんでした。いつものことですが、マイペースで写真を撮ったり絵を眺めたいからです。ガイドスポットでは、混雑していました。
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数多くの収蔵品を誇るプラド美術館でも、人気第一と言って良い、ゴヤの絵です。着衣のマハと裸のマハが並んで展示してありました。
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人物像の三連作に見入る人達です。リアルで風刺も効いたゴヤの作品群のようです。
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大作の絵が展示されたコーナーです。右手は、馬に跨った王様の肖像画が描かれているようです。今で言えば、記念撮影のようなものでしょうか。
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ツアーのバスの乗り遅れて、タクシーでスペイン広場にやって来ました。道路事情で、先に出発したバスよりも早い到着でした。
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ツアーのバスの乗り遅れたので、添乗員のTmさんと現地ガイドのヘスースさんが待っていてくれました。プラド美術館を案内してくれた日本人現地ガイドさんとの待合せ場所が食い違い、申し訳ないことをしました。
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右手の生い茂った木はオリーブです。その後方に見えるのがドン・キホーテとその従者のサンチョ・パンサの像です。
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その像を見下ろす位置にある像が作者のミゲル・デ・セルバンテスです。1547年に生まれ、1616年に没しました。1564年生まれのイギリスの作家、シェークスピアとほぼ同世代です。
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ドン・キホーテの像の足元では、いい撮影場所を求める若い人がいました。痩せ馬の名前はロシナンテです。
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ドン・キホーテの像の前にはプールのような形をした長方形の泉水が広がっていました。痩せ馬に跨った主従が、飲水に困らないようにでしょうか?
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バスでこの広場に向かった皆さんが着くまでの間に、Tmさんにドン・キホーテの像を後方に、記念撮影のシャッターを押してもらいました。
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正面のビル屋上に「サンタ・ルチア」の看板がありました。「聖ルシア」はキリスト教殉教者です。拷問で目をくり抜かれ、暗闇を照らす守護神です。
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この日、素晴らしい好天に恵まれました。手前のモニュメントと後方の白いビルがその青空に映えました。
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こちらも堂々とした立派なビルです。ホテルでしょうか?この日の午前中の見学を終えて、解散したのが、このスペイン広場付近でした。最寄の地下鉄駅「プラサ・デ・エスパーニャ」が直ぐ近くでした。
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王宮は、スペイン広場からは近い距離にあります。1793年、フェリペ5世により建設が始められ、1764年のカルロス3世の時代に完成しました。
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王宮は閉館日のため、外観だけの見学となりました。ガイドブックでは、バロック様式と新古典様式が調和された建物と紹介されていました。
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こちらが王宮の北端です。マンサナレサ川を見下ろす小高い陸に位置しています。2500枚のタペストリーのコレクションが有名です。
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林の先に、王宮に隣接する教会のドームが見えます。最近、この教会で執り行われた王族の結婚式に、日本から皇太子殿下が出席されたようです。
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林の前に進んで、ドーム方向の撮影です。さすがに王宮らしく堂々として、品格のある建物です。
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足元の銘盤には「EURICO(エウリコ?)」の文字が読めます。484の文字は年号を示すものでしょうか?ガイドブックには、カステラーニャの歴代王の像と解説されていました。
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こちらの像には「ATAULFO」の文字があります。同じように415の文字は年号を示すものでしょうか?やはり、歴代王の一人のようです。
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王宮前の広場です。地図には、王宮に面した東側がバイレン通りと記されていますから、遊歩道みたいなものかも知れません。
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花壇と平行して白い像が並んでいました。ガイドブックには、オリエンテ広場となっていました。先程紹介したカステリャーナ王国の歴代王の像のようです。
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