2005/03/11 - 2005/03/18
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旅人のくまさんさん
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<2005年3月13日(日)>
2泊したマドリッドのホテルともお別れです。昨晩のうちにセーフティボックスから貴重品を取り出しておきました。
現地ガイドの杉本さんが纏めてくれたスペインらしさとは、?イスラム教の影響を受けてヨーロッパでは異色の国、?食材が多い国、?泥臭く人情味がある国民性、等でした。スペインの首都であり、ほぼ中心部に位置する海抜650mのマドリッドの旅を終えて、今日からは南部地帯への旅行です。
<3・11テロから1年>
早く目が覚めていましたが、起き出したのは6時でした。今日の午前中はグラナダへの移動が主でしたから、起き出した後でも時間の余裕がありました。ゆっくり食堂へ顔を出しましたら、既に食事を終えて出てくる我々の団体メンバーを何組も見かけました。
新幹線の乗車駅はアトーチャ駅でした。昨日プラド美術館の見学を終えた後、歩いてやって来た駅です。その時は、新幹線の乗車駅だとは、全く気が付きませんでした。
そのアトーチャ駅に近づいた時、円形の建物を指差して、「あの駅舎が1年ほど前に同時多発テロがあった駅です。新幹線ではなくて、地下鉄や在来線の方の駅です」と説明がありました。駅に着いたのが10時頃、新幹線の発車時刻が11時でした。それで、自由時間が出来ましたので、先程説明があったテロの現場に向かいました。新幹線駅からは直ぐ近くです。
スペインテロのことはインタアーネットでも情報を集めました。今回旅行の時にも海外安全情報の中で気になっていた部分でした。フェリペ?世大学に留学されている加藤さんのレポートからです。同時多発テロの時にNHKのインタビューに答えられた人です。
その情報によると、子供のリュックサックに詰められた13個の爆弾が終点駅と電車に置かれていたそうです。3月11日の朝のラッシュの7時39分を狙って同時爆発が計画されていて、そのうちの10個が爆発しました。アトーチャ駅を狙ったものだと地元では見られています。サリンを使って霞ヶ関の機能を麻痺させようとした、狂気集団、オム心理教の犯行を思い起こさせました。
起爆装置には携帯電話が使われたようです。国際テロ組織、アルカイダの犯行とも見られています。ETA (バスク地方の分離独立を求める非合法組織「バスク祖国と自由」)による犯行の可能性もあります。
犯行翌日の12日、午後7時からスペイン全土で犠牲者を追悼する公式集会が行われ、全国で1400万人以上の参加がありました。殊に事件が起きたマドリッドでは、200万人が追悼集会に参加しました。これは市民の3人に2人が参加した計算になります。追悼の赤い蝋燭、飾りに合掌して、その場を離れました。
<ジャングルのような駅舎、コルドバへ>
テロの現場付近を一通り撮影した後、早めに新幹線駅の方に戻りました。今度は、ジャングルのような駅舎の見学です。ここは、まるで温室のようでした。ガイドブックでは「旧駅舎」として記載されていました。インターネット情報を総合して、紹介します。
アトーチャ駅は1851年に建てられたマドリッドで最初の鉄道駅です。その後火事で焼失し、1892年に建築家ラファエル・モネオによって再建されました。それが大きなドーム型の現在の駅舎です。正面は鉛枠のガラスでできています。
「駅構内の植物園は世界のどこにも例がない。冒険だった」 「熱帯植物が駅の環境に適応するか心配もあったが、自動的に霧で水分を供給する装置などを使い、ほぼ順調に育っている。予想外だったのは、植物園に様々な生物が“出現”、生態系を作ったことだ」
と、フランシスコ・プラッツ駅長(39)が語っています。人気者はミドリガメです。水から首を出す姿がかわいらしく、この日も沢山の亀を見ました。エサをやりに来るファンもいるようです。
このカメたちに結膜炎が広がったときは、獣医師を呼んで治療に当たったそうです。自宅で飼えなくなったカメを駅で飼おうと、甲羅にサッカーチームのシールを張ってペットの印にし、毎日見に来る人もいたそうですが、プラッツ駅長は
「池に入れた時点で公共のもの」
と判断して、シールをはがしているそうです。
池にはコイ、カエル、金魚、熱帯魚もいます。スズメは天井の空気穴から勝手に入って住んでいます。出口近くは湿度が保ちにくいなど問題点もあるようですが、植物園を管理するハビエル・ディアスさん(32)は、
「1番難しいのは人の管理です」
と、話しています。たばこやガムの投げ捨てが絶えないようです。(以上は、小梶勝男さんの取材からの引用です)
<Tmさんのスペイン語教室>
新幹線ではTmさんの後ろの席になりました。お隣の方と話している話題が耳に入ったらしく、「ラ・マンチャは、乾いた大地の事ですよ」と振り返って話されました。Tmさんのスペイン語教室、こちらはバスの中で皆がお聞きしたお話しです。
まず数詞です。「ウノ(1)、ドス(2)、トレス(3)、クワトロ(4)、シンコ(5)くらいを覚えておくと便利です」よから始まりました。「いいえ」は「ノ」で英語と同じ発音です。「イエス」は「シ」ですといった具合でした。
挨拶の方は、「お早うございます」が、「ブエノス ディアス」、「こんにちは」が「ブエノス タルデス」、「今晩は」が、「ブエノス ノーチェス」でした。「さようなら」が「アディオス」です。この言葉は日本でもお馴染みで、歌詞にも良く使われます。一番大切な「ありがとうございます」が、「グラシアス」で、これも日本でもお馴染みの言葉になりました。
次は少し際どい名前の話です。「吉田」さんの発音は、「私はエイズです」と聞こえるそうです。「私」が「ヨ」の発音のようです。もっと可哀想なのが「加賀マリコ」さんです。これは、インターネットでも確認してみました。『「Caga Mariko」は、「マリコがウンコをしている」』とありました。竹村さんは『野瀬(能勢)さんは「私は知りません」という意味です。入国審査で名前を聞かれて「ノセ」と答えたことが、スペインの係官には「私は知りません」と聞こえて、揉めたことが実際あったそうです』と言った話を披露してくれました。
インターネットでは「Te quiero(手、消えろ)=君が好きだ(愛している)」、「Doce vacas ドーセ バカス どーせ 馬鹿す=12頭の雌雄」や「Dame mate ダメ マテ (駄目、待て)=マテ茶をくれ」なども紹介されていました。
ついでに韓国語の面白い単語を、同じように箇条書きで紹介しておきます。
○うそよ(嘘よ)・・・笑ってね(写真を撮るとき、カメラマンが)
○かばよ(カバよ)・・・行ってみてね
○さばよ(鯖よ)・・・買ってみてね
○そばよ(蕎麦よ)・・・立ってみてね
○たまよ(玉よ)・・・(器などに)盛ってね
語尾の「よ」は、英語のプリーズみたいなものです。
○ちびいった(ちびった)・・・家がある
○ハゲ オリンピック・・・夏季オリンピック
○おっ、いぼ・・・服を着ろ
○うへ〜へ〜・・・迂回しろ
○デブ・・・ゴッドファーザー
○ウンチ・・・音痴
等もありました。もう少し続けます。
○あらよ・・・知ってます
○ばっかもんに?・・・はっか食べてるの?
○もっこ李・・・ネックレス
○でっぱ(出っ歯)・・・長ねぎ
○こぐま(小熊)・・・さつまいも
○ぬぐ?(脱ぐ?)・・・誰?
○うんばっち(うん、ばっちい)・・・アルミホイル
以上は、韓国在住の日本人の方の情報でした。大脱線ですが、脱線ついでにイヨンヒさんの「フシギな日本語」(1989年 文藝春秋刊)からもいくつか紹介します。フシギな日本語:韓国語の語源:意味の順です。
○お袋:オボ(親)グロ(懐かしい):懐かしい親、心に描く親
○いざや(いざや):イジャ(今) エェ(行け):今、行け
○あまちゃで かっぽれ:アマ(女)チャッディ(塞がっている)ガボレィ(行きな):女子(おなご)は満員さ!あっちへ行きな!
○泥棒:ドル・ドロ(取る・盗る)ボ(人):「棒]は「人」の意味
○すり:ス(擦る)イ(人):身体を擦りつけて財布などを盗む人
○わっしょい:ワッショ(着きました)イ(ね):とうとう着きましたね
○白馬(あをうま):アヲル(並べる)マル(馬):馬を並べる
○(鯵などの)タタキ:ダダギイ(鈴なり):鈴なり、ぎゅっと詰めた様
等です。普段何気なく使っているフシギな日本語には、語源が韓国である言葉が、他にも沢山ありそうです。私の趣味のライフワークの1つが、万葉集の勉強です。イヨンヒ先生は、万葉集の研究家として大きな成果を上げられた方です。この紹介は、別の機会とします。
<コルドバ到着、昼食の店>
随分話が本道を逸れてしまったようです。しかし、新幹線は快調にコルドバへの線路を疾走しました。ほとんど一直線の線路は揺れもなく、室内アナウンスもない、静かで快適な電車の旅でした。
しかし、車窓の景色は単調で、荒れて乾いた大地が果てしなく続いていました。ところどころに植林されたユーカリの木が、一層、その乾いた大地を象徴しているようでした。乾いた大地、ラ・マンチャの話が出たのは、その西方を通過中の時でした。ガイドブックには風車が紹介されていましたから、強い風が、更に厳しい環境にしているのでしょう。
トンネルがあったのはコルドバが近くなってからです。シエラ・モレナ山脈を越える時だったのでしょう。少し地形や車窓の景色も変化が見えてきました。コルドバは、出発したマドリッドからはやや西に位置しています。シエラ・モレナ山脈を越得た地域からはアンダルシア地方になります。ここが、スペインの最南部です。
グラナダでの停車時間は2分だけです。荷物は客室とは別のコンパートメントになりますから、短い時間での荷物降ろしが大変でした。早めにその場所へ移動して、荷物降ろしの準備をしました。2分の停車時間での荷物降ろしは厳しいものですが、見切り発車をされることはないようでした。列車ダイヤの方を大らかに運用しているようでした。
コルドバへの到着予定時刻は12時44分でしたが、時間ぴったりの到着でした。時間にルーズなスペインで、唯一、時間通りに運行されているのが新幹線、AVEとされています。終点のセビリアまでは、マドリッドから2時間30分の予定です。
昼食の時間には少し早いものも、駅まで迎えに来てくれたバスで、レストランに向かいました。パラドールと言う名前の立派なお店でした。途中、ブリジャンテと呼ばれる高級住宅街を通りました。ピカピカの住宅街と言う意味だそうです。EUに加盟後、スペインは景気が上向いているようです。土地バブルが発生し、少し危うい面も出始めているようです。
レストランは、少し高台になった場所に建っていました。そこからの眺望は素晴らしいものでした。庭自体もそれに劣らない手入れをされたものでした。昼食までの少しの待ち時間を利用して、カフェーで注文した生ビールを片手にこの景色を楽しみました。飲み終わらないうちに準備ができましたから、ジョッキを片手にレストランに移動しました。
残りの生ビールは食前酒(?)です。例によって、竹村さんを通じてワインを注文しました。料理に合わせ、白のハーフボトルにしました。リオハ(Rioja)の2003年と若いワインでした。メモを元に調べた結果、ボベガス・マルケス・デ・カセレス社のマルケス・デ・カセレス(Marqués de Céceres)でした。「軽くかぐわしい」白と評価されていました。確かにフルーティーな軽いワインでしたが、魚介類の料理には良く合いました。
白ワインの醸造では、フランスが絞り汁を使うのに対し、スペインでは皮も一緒に入れて発酵させ、タンニンを強調した造り方になります。私が赤ワインで好きなのが、しっかりしたボディのボルドーです。この会社の赤は「ボルドー醸造法による、しっかりした赤」とも評価されていました。
景色良し、ワインも料理もまた良しで、楽しい昼食を堪能しました。このお店で現地ガイドのイザベル・マリアさんと合流しました。実は、写真のページから先に作成しましたので、この時にはメモを見落としました。仮に呼んだ名前の「マリア」さんは正解でした。Tmさんが話された「マリアは、男性にも女性の名前にも使われます」の言葉が記憶に残っていたからです。Tmさんはイザベルさんのことを「英語とドイツ語が専門ですが、日本語も出来ます」と紹介されていました。
スペインでは女性の年齢はご法度ではないのでしょうか?Tmさんは、イザベルさんを30歳と紹介されていました。勉強中とは言え、日本語も中々でした。
<ユダヤ人旧居住、旧市街地見学>
コルドバでの見学地は、ユダヤ人旧居住地の旧市街地と、イスラム文化とキリスト教文化が融合したメスキータの寺院見学です。「コルドバ歴史地区」として世界文化遺産に登録されています。最初は旧市街地からです。イザベルさんとTmさんが先導しながら案内をしてくれました。
コルドバは、紀元前のローマ帝国時代に建設された古い歴史を持ちます。その後、めまぐるしく支配者が変わり、さまざまな変遷を経たようです。旧市街地への入口には、年代を感じさせる高い塀がありました。イアホンガイドの調子が悪かったので、どの年代のものかは、イザベルさんの説明を聞き漏らしました。この高い塀の向こうが、旧市街の世界文化遺産に指定された地域のようでした。
ユダヤ人居住地の印象を私なりに纏めますと、?迷路のように曲がりくねった細い路地、?全て白に統一された建物の壁、?窓の少ない家屋の造り、?すべての道が石畳、?所々にある立派な中庭(パティオ)、?壁に飾られたテラコッタの花、?静かに客を待つ土産物店、等となりました。観光地ずれしていない静かな町、が全体としての印象でした。
<メスキータ見学>
コルドバの全盛期は、イスラム教支配の10世紀頃とされます。コルドバの人口が100万人を越えた時期です。ヨーロッパ随一の都市として栄えました。
メスキータの建設は、イスラム・カリム王朝の785年に始まるとされます。その後、3度の拡張を経て、987年には2万5千人が礼拝できる規模となったようです。全盛期を迎えた頃です。免罪の門から入場して、オレンジの中庭から見学を始めました。
建設された時代、その国の盛衰を忍ばせる、広大な寺院でした。850本に登るとされる大理石がその寺院を支えていました。イスラム文化とキリスト教文化が融合した、世界に類のない寺院でした。マドリッドの現地ガイドの杉本さんがスペインの特色を概括してくれた「イスラム文化が融合したヨーロッパでは異色に国」の言葉が、実感できるメスキータの見学でした。
<グラナダへ>
現地ガイドのイザベルさんとは、メスキータでお別れしました。お別れした後は、ひたすらグラナダへの道を急ぎました。グラナダの旧市街に別れを告げてグワダルキビール川を渡る時、遠くにローマ橋が見えました。バスの中から、何とかカメラにも収めることができました。
コルドバからグラナダへのバスでの移動は、スペイン国土の広さを実感させましたが、同時に厳しい南部の気候も目の当たりにしました。山脈より北に、乾いた大地、ラ・マンチャが位置していましたが、この地方はもっと厳しい気候ではないかと想像させました。バスの中からの景色からの判断ですから、1年を通じてのことは分かりませんが、いわゆる一年中温暖な地中海沿岸気候のイメージはありませんでした。
荒れた大地には、所々にユーカリの植林がありましたが、民家はたまにしか見ることがありませんでした。その集落の一番高い場所には、決まって寺院の尖塔が見えました。コルドバからグラナダまでは195kmの行程でした。
暗くなってからグラナダに到着しましたが、ほぼ予定の時刻でした。先にホテルへ直行し、チェックインした後での夕食となりました。ホテルの名前はアベン・フメヤでした。他にも大勢の日本人観光客が泊まりましたから、予想した通り、お湯の出が悪くなりました。フローリングの床に木材を随所に使った部屋は、民芸風の落ち着いた雰囲気でした。
夕食のお店のメニューはタパス料理でした。いわゆる居酒屋料理です。それでこの夜は、リオハの赤ワインのフルボトルにしました。ラベルの文字は「Vina del Aga」でしたが、残念ながら、手元の事典では製造会社は見付かりませんでした。メモには「Rioja?」とありました。
マドリッドのホテルで
鈴懸の葉の無き木立静なり暗き街路に働し人
コルドバ市内で
オレンジは古都の街路にたわわなり中世絵画に重なる実り
ユダヤ人旧居住地で
白壁を猶塗重ね灼熱に備える狭き小路の棲家
メスキータで
聖堂を静かに歩み進めつつ世界平和の願い心に
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 観光バス タクシー
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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2泊したプラガホテルの玄関です。マドリッドでの行動は、Tmさん始め現地ガイドさんからも用心するようお聞きし、幸い事故もなかったようです。
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この日の朝はコルドバ行きの新幹線AVEに乗るだけでしたから、時間の余裕がありました。新幹線駅まではバスでの移動です。
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バスは少し狭い坂道を登っていきました。その横でピンクの花が咲いていました。桜の1種のようですが、アーモンドかも知れません。
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沢山の車が写っていますが、運転手さんは見当たりません。全て路上駐車です。長い歴史を持つ町での駐車場の確保は、難しい課題のようです。
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新幹線に乗るためにやって来た、アトーチャ駅です。その駅構内はまるで温室でした。実は昨日、プラド美術館から、駅前まで歩いてやって来ました。
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駅構内を見学する皆さん達です。新幹線に乗るまでには30分ほど余裕がありましたから、その間、自由時間となりました。
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大型の回転扉が出入口にありました。内部は2分割されていて、一度に10人くらいは入れそうな広さでした。
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アトーチャ駅は、今までに見た駅の中では、ユニークさの天では傑出していました。巨大な温室駅は、一度見たら忘れることはありません。
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バスでアトーチャ駅に到着する時に、この建物のことを説明してもらいました。無差別テロに遭った在来線、地下鉄の駅です。
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大時計の針が10時10分前を指しています。新幹線の出発時刻は11時丁度ですから、まだ1時間あります。日本語で表現すれば、ベンガラ色の塗装です。
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無差別テロに遭った建物の周りの慰霊のお供え物です。新幹線側がアトーチャ・プルエタ駅、在来線のこちらがアトーチャ・セルカニエス駅です。
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長かったり、短かったり、並べられた赤い蝋燭に思わず合掌しました。罪のない善良な市民の命を奪う、無差別テロには強い憤りを感じます。
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マドリッド同時多発テロは、2004年3月11日の朝早に起きました。死者は200名、負傷者は1400名以上に上りました。
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地下に降りたところが電車乗り場になっています。スペインでの無差別テロは、外国人を狙ったものではなく、地元の通勤客、駅を狙ったものでした。
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駅前の通りです。舗言う高感覚が確かではありませんが、左手の方に少し行けばプラド美術館の方面になるようです。
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かまぼこ形の屋根の下が温室のような駅構内です。その駅舎を横目に、ご年配の地元の方二人が話し込まれていました。
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30分程の自由時間でしたから、余りとではできません。駅の周辺を散策するだけでした。前方にマドリッドとアトーチャ駅の表示が見えます。
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この場所も、アトーチャ駅の構内です。マドリッドの市内案内図がありました。アトーチャ駅は、中央の一番下辺りのようです。
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スペイン全土か、あるいはこのアトーチャ駅に縁が深い著名人の銅像のようです。政治家と言うより、学者のような雰囲気です。
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竹で囲ってあるのは、水草が水面を全部覆うのを防ぐためです。メダカのような小さな魚が泳いでいました。何匹もの亀もいました。
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南国を思わせる木々、植物が密に植え込まれていました。芭蕉か、極楽鳥花の大型種のような葉をした植物も見えます。
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温室のような駅構内をもう少し紹介しておきます。この写真は同じレベルからです。赤字に黄色の交通標識は一方通行ではなく、立ち入り禁止でした。
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積みあがったトランクにバスケット、忘れ物ではありません。休憩用の腰掛の中央にあったモニュメントです。黄銅製のようでした。
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文字が切り替わる時の撮影ですから、この写真では11時発のセビリア往の文字は読み取れません。セビリアは、セビージャの発音が一般的でした。
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新幹線の開通により、マドリッドからセビリアまでの移動は飛行機主体だったのが、今は圧倒的に新幹線に置き換わったようです。
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これが初めて見たスペインの新幹線です。勾配の緩いエスカレータを下る途中で写しました。写真の左方向に出発しますから、こちらが後部です。
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時計の針は10時38分当たりを指しています。その左の電光板は、11時丁度発のコルドバ往きと表示されています。発車まで、まだ余裕があります。
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車掌さんと並んで記念撮影を頼んでいる人達がいました。私も乗り込み途中で、横目で見ながら1枚撮らせてもらいました。
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振動や揺れが少なく、乗り心地満点の新幹線ですが、車窓の景色は単調です。荒れた大地と、乾燥に強いユーカリの植林ばかりです。
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毎日この景色では面白くないかも知れません。しかし、はじめてみる景色ですから、これも旅ならではの風情と考えることも出来ます。
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