2005/03/11 - 2005/03/18
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旅人のくまさんさん
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<2005年3月15日(火)>
前日にお聞きしていた予定です。モーニングコールは7時15分、食堂は7時45分から使用可能、廊下への荷物出しは8時45分までに、出発は9時15分でした。午前中にセビリア市内を見学し、その後に、国境を越えてポルトガルのリスボンに向かう計画でした。旅行のリズムにも慣れてきましたし、余裕のスケジュールでした。旅の友のオールド・パーが残り少なくなってきました。
<博覧会跡地、市庁舎見学>
午前中はセビリア市内見物です。最初が市庁舎の見学です。1929年から1930年にかけて行われたイベロ・アメリカ博覧会会場跡です。その広大な広場はスペイン広場と呼ばれています。緩い弧を描いて左右に広がる巨大な建物は、建築家アルバニ・ゴンザレスの設計になるイスラム建築です。
この建物には、スペイン各都市の文字と紋章に歴史物語の場面を表すタイルのベンチが、セットで連なっていました。その数58個とされます。博覧会の時の、各都市のブースの跡です。建物に沿っては半円の池があり、建物に向かって4つの橋が架かっています。
暫く自由時間になりましたから、市庁舎の2階を歩いて見学しましたが、歩き疲れるほど、長大な建物でした。博覧会の10年以上前から、建築に取り掛かっていたようです。
<歌劇カルメン、旧タバコ工場>
セビリアはローマ時代からアンダルシア地府の中心都市だったとされます。闘牛やフラメンコの本場として、日本でも良く知られている町です。何よりもビゼー作曲の歌劇・カルメンの舞台になったことで有名です。私もその昔、第1、第2組曲のLPを良く聴きました。歌劇の方は、今は亡きマリア・カラスのカルメンが一番好きでした。
カルメン組曲が懐かしく、つい脱線です。手元を調べましたら、LP1枚とCDが2枚ありました。CDがショルツ指揮、ロンドン・フェスティバル管弦楽団とアバド指揮、ロンドン交響楽団です。LPの方はグールド指揮、彼の管弦楽団でした。早速、ショルツ指揮のCDの方をパソコンでBGMに流しながら、この稿を書き進めています。カルメンはビゼーの死の前年、1784年に完成しました。彼が36歳で生涯を閉じる時、その公演の最中であったとされます。
レコードの解説と併せ、名曲解説全種14の歌劇・下(音楽の友社)を参考としました。その中に挟んでいたメモに1969年4月29日に聴いたカラヤン指揮のウィーンフィルのカルメンがありました。カルメン役はレオンタイン・プライス、ドン・ホセ役はフランコ・コレルリでしたが、主役より、可憐なミカエラ役のミレッラ・フレーニが強く印象に残りました。フレーニはその後、大歌手になりました。
ビゼー自身はパリの生まれですが、オペラ・カルメンの舞台は1820年頃のセビリアです。フランスの小説家メリメの作品「カルメン」をオペラ化する際、ビゼーはカルメンがタバコ工場に働いていたと設定しました。18世紀に建てられたバロック様式の建物は、現在セビリア大学の法学部になっています。今回、降りての見学はできませんでしたが、バスの中からの見学ができました。
Tmさんがバスの中でかけてくれたCDのジャケットを見せて貰いましたら、「サー・トーマス・ビーチャム指揮、フランス合唱団、東芝EMI」となっていました。多分、1959年録音のフランス国立放送管弦楽団によるものでしょう。ビーチャム(1879〜1961)は、イギリスの指揮者です。
<セビリア旧市街、ヒラルダの塔見学>
旧市街に入って直ぐに目に飛び込んだのが、陶器で出来た水道管の断面でした。かなり古い時代の物のようです。ひょっとしたらローマ時代に遡るかも知れません。グアダルキビール川畔の地域です。狭い路地を現地ガイドさんの先導で歩きながら見学しました。
ヒラルダの塔は、スロープを歩いて頂上まで上り、セビリアの市街全部の眺望を楽しみました。階段でなく、スロープとなった理由は、老牧師が馬に乗って階上まで登れるようにしたためだと、現地ガイドさんが教えてくれました。もともとはモスクの鐘楼だったものを、台座部分を利用し、上部を継ぎ足したことも、現地ガイドさんが説明してくれました。
カテドラル、大寺院はローマのサン・ピエトロ寺院、ロンドンのセント・ポール大寺院に次ぐ第3位の規模を持つとされます。フラッシュを焚かなければ、写真撮影が出来ました。素晴らしいステンドグラスや絵画、像、レリーフなどをカメラに収めました。ムリーリョ作の「聖アントニオの奇跡」が一番の見もののようでしたが、現地ではどの絵画か、見当がつきませんでした。
<変な名前の昼食>
この日の昼食の名物は、ソパ・デ・アホでした。にんにくのスープです。「アホ」がにんにくのことです。阿呆ではありません。ついでに、馬鹿ではない「バカ」は、肉のことです。「ソパ・デ・アホ・バカ」はにんにく、肉スープになるのでしょうか?
前菜のにんにくスープは記憶に残っていますが、その他の料理は余り記憶にありません。固いパンがあったような気はします。白ワインを飲んだことだけはメモにありましたが、そのラベルのメモもありませんでした。白ワインの横に「パンデロ」の文字がありましたが、これはカステラのことで、別の話題の時のメモでした。どうやら、アホ・スープが効いてしまったようです。
<閑話休題、闘牛と闘牛士の話>
最初に闘牛の話です。日本では余り知られていませんが、ポルトガルにも闘牛があるそうです。ただし、こちらの闘牛は止(とど)めを刺さず、8人で押さえ込んだ牛が、戦闘意欲を失ったところで、離してしまうそうです。リーダーが最初に角を押さえ、他の人が、この後に続きます。最後に尻尾を握って暴れないようにする役もいます。インターネットでもこの様子を見ました。牛の角には危険防止のカバーが付けられています。
「スペイン人は残酷だから牛を殺すが、ポルトガル人は優しいから絶対に牛を殺しません」と話す、ポルトガル人の科白があるそうです。確かに、マドリッドでは緊張感が漂いましたが、リスボンでは、その緊張感は消えていました。「最初に日本を訪れたのが、ポルトガル人ではなくスペイン人であったとすれば、インカ、マヤ文明が亡ぼされたように、日本の文明は亡ぼされ、メキシコ、チリ、フィリピンのような状態になっていたであろう」とも言われます。
次はスペインの闘牛士の話です。闘牛士学校のことですが、現地ガイドさんだったか、Tmさんだったかは、メモしませんでした。国内に8つのトレアドール学校があるそうです。国籍、性別を問わないそうですが、4つの要件が必須とされるそうです。その4つを列挙します。?闘牛が好きなこと(全生活をかけること)、?神経が図太いこと、?美しい姿勢なこと(芸術性)、?リズム感がいいこと、の4つです。身長は、余り高くても駄目で、170〜175cmが好ましいとされるそうです。
<リスボンへ、国境の川>
昼食の後は、今回のバス移動でもっとも長いリスボンまでの389kmです。ずっと見てきたオリーブの畑が少なくなり、オレンジ畑が目立つようになってきました。ビニルハウスも良く見かけるようにうなってきました。こちらはイチゴ栽培のようです。
スペインとポルトガルの最南部の国境は、大西洋のカディス湾に注ぐグアディアナ川です。近代的なデザインの橋が架かっていました。スペイン、ポルトガルともに国境警備の人はいませんでした。EU加盟後、国際サッカー試合などでフーリガンの侵入を防ぐ時など、特別な場合以外は、国境警備はされないそうです。
スペイン、ポルトガルの南部の海岸地帯にはリゾート地帯があり、ヨーロッパのほかの国からの観光客で賑わっているそうです。EU内では、両国が物価が安いことがその理由のようです。山でスキーをした後、海に泳ぎに行くといった離れ業もあるそうです。
ところが、スペイン、ポルトガルともに次第と物価が高くなり、リゾート地をアジアに振り替える人が多くなってきたそうです。その矢先のスマトラ島沖の大地震、大津波でした。この災害で、ヨーロッパ観光客の人的被害が大きかった理由のようです。
<ポルトガルの南部地帯>
スペイン側に適当な休憩所がなく、ポルトガルの国内に入ってから休憩を取りました。ここで缶ビールを買い、ベンチに座ってポルトガルへの入国の第一歩を記しました。
ポルトガルの国境地帯も荒地が多く、民家は見掛けませんでした。暫く西へ向かって走った後、今度はリスボンへ向かって北上しました。北上した後は広大な牧草地帯と、コルク樫の林が続きました。コルクは世界一の生産量を誇るようです。
コルクは木の皮をぐるりと丸く剥いで、次の収穫までは9年の歳月を要します。厳格な国の管理の下に、植樹して25年、幹周りが70cm以上にならないと樹皮を剥ぐことはできないそうです。その時期も6月から8月の間と決まっているようです。剥いだ木の皮には、その年の下1桁の数字が書き込まれているそうです。剥いだばかりの白い色から、茶色、黒色と変化しているさまが、バスの中からでも観察できました。
私も蘭の1種、デンドロビュームの栽培に、コルク材を園芸店で定期的に求めています。5、60cmの幅のものが、3千円程度ですから、いい値段で売られています。ポルトガルにとって、日本は大切な輸出先のようです。ワインなどの栓のほか、多用途に使われています。クッション性、防音性、断熱性、天然の質感、防滑性など多くの特徴を有しています。
<夕刻のリスボン到着>
リスボン市内が見えてきたのは、大西洋に夕日が沈む頃でした。市街地から少し東側の橋を渡ってから、中心部へ向かいました。2泊するローマホテルは、リスボン空港への途中の新市街にありました。今回の旅行で一番設備が整ったホテルでした。
夕食はそのホテル内でした。ワインはTOPÁZIOの2002年物でした。すっきりした白の辛口でした。日本へ輸入されているポルトガルワインが少ない時代の事典では、その製造会社は見付かりませんでした。ヴィニョ・ヴェルデ、ダン、マテウスなど限られたワインか載っていなかったためです。事典に載っていたのは、それと、食前酒の甘いポルトワインくらいでした。
リスボンへ向うバスの中で
モノラルのファドを聴つつ川越る国の境を護る人無し
時超てファドは心に染渡る歌うアマリアロドリゲス
イベリアの半島やがて西近くオリーブ尽て蜜柑畑に
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 観光バス タクシー
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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3月15日、火曜日の朝です。イタリアとスペインの修学旅行客70名の宿泊があり、夜通し大変だったようです。私は余り気になりませんでした。
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ホテルの居室からの眺めです。まだ目が覚めていなかったのでしょうか?かなり写真が傾いてしまいました。
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泊まったホテルの名前は「Hispalis(イスパリス)」でした。スペイン語では「H」は発音しないようです。セビリア中心街からは東の郊外に位置していました。高速道路が直ぐ近くです。
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ホテルの自室です。私にとっては、可もなし不可も無しと言ったところですが、添乗員の竹村さんにとっては、修学旅行の生徒との戦いで、かなりの鬼門だったようです。
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セビリア市庁舎は、1929年から30年にかけて行われたイベロ・アメリカ博覧会場跡地です。10年以上の歳月をかけて建設された会場の建物です。
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竹村さんが紹介されるセビリアの現地ガイドさんです。この地方では珍しく、日本語が出来る人だそうです。普通のガイドさんの場合、英語などから更に通訳しなくてはならないようです。
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この博覧会跡地は、スペイン広場と呼ばれています。その入口にあったお土産物店です。半円形の広場は、映画の舞台にもなったようです。
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毛色には、鹿毛を先祖として、黒鹿毛、青鹿毛、栗毛、栃栗毛、尾花栗毛、芦毛(鹿毛芦毛、栗毛芦毛)、青毛、佐目毛、河原毛、粕毛、月毛(パロミノ)、アパルーサ、白毛、粕鹿毛等があるようです。(ウィキペディア)この馬は、芦毛のようです。
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セビリア市庁舎の中で一番高い建物です。赤みが買った色の石が使われているようです。寺院の尖塔などと同じように、矢張り高い塔が無いとメリハリが利かないようです。
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セビリア市庁舎の正面です。左右に翼を広げたような相似形をしています。広大な前庭があります。
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緩い弧を描いて左右に伸びる建物は、建築家、アルバニ・ゴンザレスの設計になるものです。タイルをふんだんに使ったイスラム建築です。
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黄色で塗られた部分がマドリッド地方です。中央のマドリッド市から縦横に道路が延びて、交通の要所にもなっています。
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マドリッドの文字が入ったタイル絵です。数え切れないくらいの都市名と当時のブース跡がありました。残念ながら掲載には紙数が足りません。
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マドリッドの紋章です。博覧会の時、スペインの各都市がそれぞれに出展したようです。各市の紋章と歴史上の一番の出来事を示す絵がセットです。
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マドリッドの次はパンプローナ市です。ピレネー山脈の南西端、フランスとの国境地方です。地図の右上、白い部分はフランスです。
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パンプローナは9世紀に王国が成立しました。スペインへの統合に反対する歴史を持つバスク地方です。この戴冠式は王国成立の時でしょうか。
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パンプローナ市の市章です。
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首都マドリードから北東へ約200キロ、木々が疎らで起伏の豊かな標高1100メートルの丘陵地帯に、ソリア市があります。
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ソリア市の歴史を調べてみましたが、少しローカル過ぎて見付かりませんでした。丘陵地帯ですから、今は、クロスカントリーが盛んなようです。
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ソリア市の市章です。
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テルエル市は、トゥリア河左岸に位置します。1930年代、スペイン内戦の時に激しい戦いがあった歴史も持ちます。
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サン・マルティンの塔、エル・サルバドルの塔など重要なムデハル様式の建築が、世界遺産に登録された町です。タイル画は、戴冠儀式のようです。
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テルエル市の市章です。マドリッドから唯一直交バスが無い都市とも言われます。
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アーチ型になった建物の廊下です。2階へ上がっても撮影しましたが、これは1階で撮ったもののようです。相当な規模の建物です。
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天井に描かれた幾何学模様です。六角形と菱形の組合せです。濃い色の枠の中にも、薄い色で文様が描かれています。
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正面の建物を真下から見上げて撮った一枚です。現在も市庁舎の執務室として使われていました。
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アーチから透かし見る尖塔も一興があります。とにかく大きな建物です。回廊を歩くのにも、骨が折れるほどでした。
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スペイン広場の噴水です。映画「ローマの休日」の舞台となったイタリアのスペイン広場が有名ですが、当然ながら、スペイン各地にあるようです。
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アーチが並ぶ建物です。博覧会のために10年余りをかけて恒久建築を作り、今も使用されているのは、示唆に富みます。
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セビリア市庁舎の見学を終えて、移動途中で撮影したものです。右の赤と黄(金色)の2色の旗が今の国旗です。左青色の旗は、イベント用のデザイン旗でしようか。
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