ファイブさんのクチコミ(12ページ)全668件
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投稿日 2019年07月28日
総合評価:3.5
訪問当時にはまだ建っていた。
文字どおり、SONYが持っている?管理している?ビルで、
訪問した当時は色々なものを展示していた。展示会の名前は写真のとおり。
筆者がWalkmanを始めソニー製品ユーザーなので訪問してみた。- 旅行時期
- 2017年03月
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投稿日 2019年07月28日
総合評価:3.5
何気なく映っている「丸の内TOEI」の看板であるが、
実は東映株式会社の本社である。
東宝株式会社と紛らわしいかもしれないが、歴とした別の会社。
この会社も色々と子会社や知的財産があるのでそうそうつぶれない会社だろう。- 旅行時期
- 2017年03月
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投稿日 2019年07月28日
総合評価:3.5
狭い東京にまとまった土地がある場所というのは、
だいたいが、元・大名屋敷である。
古地図などを見ると、町人などが住んでいた場所と大名屋敷では敷地の広さが全然違うのである。それが官に所属が移ったことでできるようになったと。
そういうこともあって歴史は古いはずで、
戦前の「東京節」にも
♪東京の中枢は丸の内 日比谷公園 両議院
と登場している。- 旅行時期
- 2017年03月
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投稿日 2019年07月28日
総合評価:3.5
(注)この橋は名所ではあるけれども、実際にわたることはできません。ただちに皇宮護衛官に止められます。
※警察官ではありません。なお、似たようなガードマン?に国会の議警職(衛視)がいます。
東京メトロ(株)の千代田線の二重橋前はこの近くに出ることができます。- 旅行時期
- 2017年03月
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投稿日 2019年07月28日
総合評価:3.5
文字どおり、皇居の外にある庭園とでも言うべき場所であり、
写真には写っていないが一般の人も普通に入り込める場所であるし、
実際にそういう人もいた。
これは道の左側(大手町側)なのだが、反対側の広場からは二重橋が見える。- 旅行時期
- 2017年03月
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投稿日 2019年07月28日
総合評価:3.5
東京駅の正面から皇居の大手門までの道で、
確か、大使が就任して最初に天皇に謁見する際に、馬車か車かでこの東京駅から向かうという話だったと思う(もしかすると国賓の間違いかも)。
とはいえ、普段であれば一般の人でも歩ける場所だし、東京駅の写真スポットでもある。- 旅行時期
- 2017年03月
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投稿日 2019年07月28日
総合評価:3.5
大手門が焼失したのはいつだろうということで、
この案内看板を見ると戦災によるのだそうだ。
非常に残念で仕方のないところ。
徳川家ゆかりのものでいえば、増上寺(の一部)も戦災で焼失しており、
どうしても残念である。- 旅行時期
- 2017年03月
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投稿日 2019年07月28日
総合評価:3.5
名前というのは直球な由来であることが少なくないが、
〇〇橋というのもまた同じで、
これも大手門に繋がる橋だから大手門橋ということで、
旧江戸城(江戸城跡)にかかるほかの橋も同様なのである。
大手門の全景を写すならこの辺から- 旅行時期
- 2017年03月
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投稿日 2019年07月28日
総合評価:3.5
大手町に面した門である。
このため、近くにあるコンクリートジャングルというか高層ビル群といったものと、
(多分再現とはいえ)伝統的な建築物が共存している、
ある意味でものすごく日本的な風景を見ることができる。- 旅行時期
- 2017年03月
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投稿日 2019年07月28日
総合評価:3.5
元々、江戸期から庭園として活用されていた場所ではあるが、往時のものは焼失している。
現在の回遊式の庭園は、昭和43年の皇居東御苑の公開の開始に当り、九代将軍徳川家重の時代に作成された庭園の絵図面を参考に造られたものである。- 旅行時期
- 2017年03月
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投稿日 2019年07月28日
総合評価:3.5
ある意味で、「皇居」(天皇をはじめとする皇室の方が居られる場所)らしい場所である、二の丸庭園のうち、特に樹木が植えられているところを指して「二の丸雑木林」というそうで、このような立て札があったのである。
- 旅行時期
- 2017年03月
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投稿日 2019年07月28日
総合評価:3.5
日本の城跡あるあるで、上物というのか建物自体は特に残っておらず、
その基礎というか石垣だけが残っているという門である。
調べてみると、壊れたのは廃城令ではなく関東大震災が原因らしく、
これは致し方なしであろう。- 旅行時期
- 2017年03月
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投稿日 2019年07月28日
総合評価:3.5
番所というのは、今でいえば詰め所(それこそSEC〇Mとかの)であり、本丸の入り口にある大事な場所である。
大、とあるからには、きっと大きかったのだろう。
写真に写っている建物はあくまで再現(のはず。ちがったらごめんなさい)。- 旅行時期
- 2017年03月
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投稿日 2019年06月22日
総合評価:3.5
櫓というのは基本的に専ら防衛施設であり、
この富士見櫓はお堀に面したものとなっている。
なお、往時は19もの櫓があったそうだが、
歴史を経て―それが明治期の動乱なのか災害なのか戦災なのかはわからないが―これを含めて3つのみが現存する。- 旅行時期
- 2017年03月
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投稿日 2019年06月22日
総合評価:3.5
非常に大きな廊下であるとともに、
有名な「忠臣蔵」のフィクションの元ネタとなった一連の事件の発端の事件が発生した場所がこの「松の廊下」である。
今は何も建物はないので、案内板と碑がその場所を示すのみなのである。- 旅行時期
- 2017年03月
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投稿日 2019年06月22日
総合評価:3.5
案内板によると、多聞というのは、「防衛を兼ねて」作られた倉庫とのことである。
確かに、江戸城が作られた初期のころにおいては、というよりそもそも城郭建築というのは大概は防衛拠点のためのものなので、そういった施設があるのも自然である。- 旅行時期
- 2017年03月
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投稿日 2019年06月22日
総合評価:3.5
宮内庁は、根拠法である宮内庁法(昭和二十二年法律第七十号)によると、皇室関係の国家事務及び政令で定める天皇の国事に関する行為に係る事務をつかさどり、御璽国璽を保管するとされている(同法第一条第二項)。
その中に、雅楽に関すること(同法第七条第三号)を所管しており、そのうち「楽部」の庁舎が、音楽堂の隣に立っている。- 旅行時期
- 2017年03月
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投稿日 2019年06月22日
総合評価:3.5
天守台(跡)から見下ろすと、
広場のような場所があるのだが、
ここは本丸と呼ばれる建物が置かれていた。
大奥とか松の廊下とか非常に有名な建物もあったのだが、
今や広場が広がるばかりで、何がどこにあるかは、この図がないとよくわからない。- 旅行時期
- 2017年03月
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投稿日 2019年06月22日
総合評価:3.5
名前は天守閣跡とされているが、
実際のところ、大火で燃えた天守閣は天守台を修復するのみで
天守閣が再建されることはなかった。
このため、天守閣跡というよりも、天守台、またはその跡地と言ったほうが実態に合う。- 旅行時期
- 2017年06月
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投稿日 2019年06月22日
総合評価:3.5
このため、残念ながら一般の人は入ることができない場所となっている。
実際、筆者の撮影した当時の写真においても、入口は締め切られているところが写っている。
非常に近代的な見かけのとおり、作られたのは戦後のことになる。- 旅行時期
- 2017年03月























