tabi47さんのクチコミ(181ページ)全4,355件
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投稿日 2015年11月13日
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投稿日 2015年11月13日
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投稿日 2015年11月11日
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投稿日 2015年11月11日
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投稿日 2015年11月11日
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投稿日 2015年11月11日
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投稿日 2015年11月11日
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投稿日 2015年11月11日
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投稿日 2015年11月11日
山本覚馬 八重邸跡 (吉田稔麿終焉の地) 二条・烏丸・河原町
総合評価:3.5
河原町御池の交差点の南西の角に石碑が建っています。「北隣地 明治時代 山本覚馬 八重邸宅跡」と「此付近 池田屋事件 吉田稔麿殉節之碑」と、1つの石碑に書かれています。
大河ドラマ「八重の桜」も「花燃ゆ」も見てるので、なじみのある名前ですが、演じた役者さんの顔が浮かんでしまいます。
明治初期に京都府顧問となった山本覚馬がこの辺りに住んでいたところに、八重さんとお母さんが会津から尋ねてきたようなシーンが思い出されます。
吉田稔麿の最期に関しては、いろんな説があるようですが、この辺りで亡くなったんですね…。- 旅行時期
- 2015年10月
- アクセス:
- 4.0
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投稿日 2015年11月11日
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投稿日 2015年11月11日
総合評価:3.5
高瀬川の一之船入のすぐそばに「高瀬川開鑿者 角倉氏邸址」のという石碑があります。
高瀬川を開削した角倉了以が邸宅をこの辺りにかまえていたようです。幕末までの間、角倉家が高瀬川を運行する船より通行料を取り、管理を行っていたそうです。- 旅行時期
- 2015年10月
- アクセス:
- 3.5
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投稿日 2015年11月11日
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投稿日 2015年11月11日
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投稿日 2015年11月10日
総合評価:3.5
木屋町通りをてくてく。御池通りを越えて更に進むと右手に「桂小五郎・幾松寓居跡」という石碑が、旅館&料亭の「幾松」の前に建っています。
ここは当時、長州藩の控屋敷だったそう。旅館になった今でも「幾松の部屋」が残っていて、抜け穴、飛び穴、のぞき穴、つり天井などを残しているそう。12~4月までの期間限定で見学できるようです。- 旅行時期
- 2015年10月
- アクセス:
- 3.5
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投稿日 2015年11月10日
総合評価:3.5
木屋町通りをてくてくと…御池通りに出るすぐその場所に、加賀藩邸跡の石碑がありました。
高瀬川から川原町通りまでの間に、江戸初期より藩邸があったようです。加賀藩は江戸時代の外様の最大の大名。よく「加賀百万石」って言う言葉を聞きますねー。- 旅行時期
- 2015年10月
- アクセス:
- 3.5
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投稿日 2015年11月10日
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投稿日 2015年11月09日
総合評価:3.0
木屋町通りから御池通りに出て右手に行くと、夏目漱石の句碑と出会います。
「木屋町に宿をとりて川向の御多佳さんに
春の川を 隔てゝ 男女哉 漱石」
近くに建つ案内板によると、こう書かれているようです。生涯で4度京都を訪れた漱石。その最後の訪問となった4度めの時に木屋町通りの宿をとったそうです。その時に祇園のお茶屋「大友」の女将、お多佳さんと交友を持ったそう。
ある日、小さな行き違いが生じる。漱石は木屋町の宿から鴨川を隔てた祇園のお多佳さんを思いながら発句したそうです。
この碑は、漱石の生誕100年を記念して、この句にゆかりのあるこの地に「漱石会」により、昭和41年(1966年)に建てられたようです。- 旅行時期
- 2015年10月
- アクセス:
- 3.5
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投稿日 2015年11月09日
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投稿日 2015年11月09日
総合評価:3.0
三条から木屋町通りを少し上がったところに「ちりめん洋服発祥の地」が「武市瑞山先生寓居之跡」の碑と並んで建っています。
昭和47年(1972年)に、木屋町生まれの田中佐起三が、ちりめん素材を使った婦人用のワンピースやスカートなどの洋服を製作地だそうです。- 旅行時期
- 2015年10月
- アクセス:
- 3.5
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投稿日 2015年11月09日







































