中国の風景さんのクチコミ(50ページ)全2,038件
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上海の共同租界(西)・膠州路の南はお屋敷街、現在もお屋敷が残っています。北は工場地帯でしたが今は高層ビルになりました。
投稿日 2015年04月04日
総合評価:4.0
膠州路は上海市の静安区と普陀区を跨る1本の南北に向う道です。南は愚園路を起点に、北は長寿路に達します。長い1868m、幅は12.5m~18.3mまであります。昔からの路で膠州路の沿道は南端に住宅地区があり、北へ行くに従がって労働者の工場地区になります。有名な住宅が膠州路260弄ある、膠州路522弄の龍コン氏の住宅、膠州路561号など。1930年代、米国の耶蘇会は康定路の交差点に金科中学(高校)を創設します。1935年、公共の租界は膠州路とシンガポール路(今余姚路)の交差点に40ムーの膠州公園を建設しました。体育活動を支援しました。1937年の淞濾の会戦の中で西蔵路橋の袂の四行倉庫を謝普元将軍は孤軍奮闘し日本軍を撤退させます。抗日戦争後の国民政府は膠州公園を晋元公園に改名します。1949年以後に静安区工人体育場に変えて、北部は江寧映画館を建設しました。
- 旅行時期
- 2015年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- 地下鉄静安寺、昌平路、長寿路駅。
- 景観:
- 4.0
- お屋敷街です。
-
上海の共同租界(西)・南陽路・新開路・昌化路はお屋敷が集まっています。
投稿日 2015年04月04日
総合評価:4.0
外灘から西蔵中路まで広げた英国租界は南京西路を主要道路として、英国、米国、その他12ヶ国の共同租界として西は延平路まで、北は蘇州河、南は仏国租界との境界の延安中路まで拡大いたしました。東の揚浦区にも近代工業地帯としての共同租界を拡大いたしました。共同租界(西区)は南側に住宅地域として特に南京西路付近はお屋敷街として大邸宅が建てられました。今でも上海優秀歴史建築として活用保護されています。北の蘇州河周辺は水運を利用した工場(綿紡績工場)が多く建設されました。現在は取り壊され、高層住宅地に再開発されています。工場の名残りとして日本の内外綿の社員住宅が上海住民の住居として活用されて残っています。共同租界(西区)に残る上海優秀歴史建築を見て廻りました。個人の住宅や企業の建物として活用されていますので中に立ち入る事は許可されません。外から眺めるだけとなりますが、共同租界(西区)の雰囲気が感じられます。
- 旅行時期
- 2015年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- 地下鉄駅あり。
- 景観:
- 4.0
- 優秀歴史建築。
-
第一次フランス租界拡張期の石庫門住宅「梅蘭坊」は上海優秀歴史建築に認定されました。
投稿日 2015年01月08日
総合評価:4.0
仏租界・黄陂南路にある上海優秀歴史建築に指定された石庫門住宅「梅蘭坊」は赤煉瓦の綺麗に改装された住宅です。表は綺麗ですが中は一緒です。通路の上に洗濯物、通路にバイク、室内にトイレ、浴室、台所は有りません。台所は共同のようです。1部屋に一世帯、寝る場所だけ、後は全て外です。住人がいますので覗きまわる訳には行きませんので細かい所は不明です。
新天地は旧フランス租界に石庫門と呼ばれる古い長屋住宅を取り壊し、新たに再現した再開発地区です。2000年に興業路を挟んで北里と南里が開業いたしました。レストラン、ショッピングセンター、事務所ビル、住居用マンション等を揃え新たな観光名所となりました。特に夜のクラブが有名で欧米人で混雑しています。その後企業天地一期から五期、新天地時尚と広がり、現在も周辺を再開発中で、上海で一番広いショッピングエリアと成るでしょう。
初期仏国租界は1849年に英国租界の境界線の延安東路と上海県城(上海住民居住区・人民路と中華路)の間の狭い場所で、東は外灘から西は西蔵南路までの地域で真中を金陵東路(騎楼が続く)が中心です。英国租界に比べたら大変狭い物です。1861年に第一次拡張で
西は重慶南路、南は自忠路で今の新天地を中心とする付近です。仏租界・黄陂南路には上海優秀歴史建築は2軒- 旅行時期
- 2014年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- 地下鉄の黄陂南路駅から徒歩。
- 景観:
- 4.0
- 優秀歴史建築物で住民は生活しています。
-
優秀歴史建築を生かしながら新たなショッピングセンターを造る。
投稿日 2015年03月23日
総合評価:3.0
初期の英国租界の外灘と河南南路の間の南京東路が再開発されています。河南南路と南京東路の東角に新世界大丸百貨が2015年にソフトオープンしました。その斜め前の1ブロックを現在再開発中です。その名前は「南京東路179号街坊成片保護改建工程」と言います。竣工は2017年12月31日と記されています。このブロックには上海優秀歴史建築、第3回、美倫大楼/上海晒図厂等、班公建筑、1916年、 黄浦区南京東路171-151号があります。タイトル通りですとこの建物が建替えられて復活するのでしょうか?現在の工事も外壁を先に工事しています。繁華街の外観を気にしているのでしょうか?南京東路にまた新しいショッピングセンターが出来るでしょう。
- 旅行時期
- 2015年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 5.0
- 南京東路駅近く。
- 景観:
- 4.0
- 優秀歴史建築が多い
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 南京東路歩行街と外灘の間
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外白渡橋の袂から南蘇州路が始まります。付近では結婚写真を撮っています。
投稿日 2015年03月23日
総合評価:4.0
南蘇州路は中国上海市を虹口区から閘北区までの一本の蘇州河沿いの道です。東西を結ぶ路で東は大名路から始まり西は西藏北路に至る路で、長さ1960m,幅は9mから28m。蘇州河沿いには遊歩道が完成し河沿い散策を楽しめる路です。ガーデンブリッジ付近は外灘源としての改装工事が終わり、新婚さんの写真スポットとして注目されています。
交差する路は大名路、呉淞路、乍浦路、四川北路、江西北路、河南北路、山西北路、福建北路、浙江北路、甘粛路、文安路、西藏北路。
上海優秀歴史建築は以下の通りです。- 旅行時期
- 2015年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- 南京東路駅から近い。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 4.0
- 美しい歴史建物が並んでいます。
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英国租界の西の端に位置する西蔵中路、隣接して競馬場(現在の人民公園)が造られた。
投稿日 2015年03月23日
総合評価:4.0
1864年から、太平軍の脅威を除去し、租界の拡張と第三世代の競馬場の建設するのに従って、埋め立てた街の小川は租界の重要な地区の中の一つの路に成りました。その年、労働者部局は小さな川の流れ以東で小さい道路を建設するのを始めて、そして西蔵路と命名して、同時にそれがその時の英米租界の最も西端に位置するため“西の外灘”とも称されました。その後西蔵中路の西側を列強各国の共同租界として開発されて行きました。主要道路の南京路は西蔵中路の東側は南京東路、西側は南京西路に分けられました。北は蘇州路
から南は延安東路まで南北の路です。
上海優秀歴史建築は下記の通りです。
第2回 東方飯店 市工人文化宮 黄浦区西藏中路120号
第1回 慕楽堂 沐恩堂 1930年 黄浦区西藏中路316号
第1回 大上海大劇院 大上海電影院 1933年 黄浦区西藏中路520号
西蔵中路と交差する道は次の通りです。
南蘇州路、厦門路、新閘路、北京西路、北京東路、古令路、風陽路、南京西路、南京東路、九江路、漢口路、福州路、人民大道、汕頭路、广東路、武勝路、北海路、延安東路- 旅行時期
- 2015年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- 地下鉄人民広場駅
- 景観:
- 4.0
- 人民公園に隣接
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 南京東路に隣接
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マカオに1869年6月に最初の郵便局が開設された。1884年3月1日にマカオ専用の郵便切手を発行した。
投稿日 2015年05月01日
総合評価:4.0
「セナド広場・議事亭前地」の入口に建つ郵政局の建物。
1869年6月に最初の郵便局が開設された。1878年に万国郵便連合に加盟し1884年3月1日に
ポルトガル本国政府が澳門郵政庁の設立を認可し、同日、マカオ専用の郵便切手を発行した。1917年からは郵便貯金事業を開始した。
1999年12月にマカオの行政権が中国に返還され、マカオ郵電局に改組されたが、2000年に組織改組により現在の体制になった。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- 友人
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- セナド広場の入り口に建つ。
- 展示内容:
- 4.0
- 当時の建物が残っています。
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半島の中央に位置し地勢は抜群で、あらゆる方角を見渡すことができます。
投稿日 2015年05月01日
総合評価:4.0
大砲台。モンテの砦、日本語の説明。
聖パウロの砲台とも呼ばれ、1617年に着工し、10年の年月をかけ1626年に完しました。砲台は丘の上にあり、さほど高度はないものの、半島の中央に位置し地勢は抜群で、あらゆる方角を見渡すことができます。面積はおよそ八千平方メートルで、砲台内には貯水池、火薬貯蔵庫、武器貯蔵庫、や官兵の兵舎などの設備も整っており、当時のマカオの防衛の中心でした。砲台は32門の大砲が設置でき、他の砲台と合わせ海岸の東西に渡って広い防衛網を敷くことができました。長期にわたり軍用の立ち入り禁止地区でしたが、1965年もと兵舎のあった場所に気象台が建てられ、1976年からは観光地として開放されました。1996年9月、マカオ博物館の建設工事が始められ、1998年竣工、一般開放されました。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- 友人
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- セナド広場の北。
- 展示内容:
- 4.0
- 砲台は32門の大砲が設置できる。
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5段からなるファサード形態の2段目はイエズス会の4人の聖人のブロンズ像です。
投稿日 2015年05月01日
総合評価:4.0
聖パウロ学院教会(天主堂)前壁。日本語説明。
通称「聖パウロ天主堂址」と呼ばれる教会前壁は聖パウロ学院教会(聖母教会)の一部です。聖母教会は1602年の大火で教会も学院も消失しました。地元での一般的な呼び名は「大三巴牌坊」(だいさんぱぱいふぉん)です。これは中国式の牌楼によく似ているためで、「三巴」は「サンパウロ」(SAO PAULO)の当て字で、前に「大」をつけてもう一つの小三巴教会と区別したのです。前壁は横23メートル、高さ25.5メートルで、バロック様式に東洋的色彩が加えられた設計になっています。5段からなるファサード形態は独特です。一番下の段にはラテン語で聖母を意味する「MATER DEI]と彫られています。その上の段にあるのはイエズス会の4人の聖人(向かって左から、フランシスコ・ボルジャ、イグナチウス・ロヨラ、フランシスコ・ザビエル、ルイス・ゴンザガ」)のブロンズ像です。その上の段には、聖母マリア像があり、7つの首を持つ怪獣や帆船、漢字による警句が彫られています。同じ段の両端には、中国風の獅子の怪獣(吐水口)が見られます。更に上の段にはキリスト像、その両側には受難の際の拷問具の浮き彫りが配置されています。最上段の三角形の破風中央には、聖霊を表す一羽のはとが見られ、その上にはカトリック信仰のシンボルである十字架が置かれています。ファサードは、全体として東洋と西洋の建築が融合した特徴を持ち、世界のカトリック教会のなかでもまたとないものになっています。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- 友人
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- セナド広場の北。
- 展示内容:
- 4.0
- バロック様式に東洋的色彩が加えられた。
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宣教師たちが、中国本土、日本、および近隣地区へ伝道に赴くマカオの基地を形成していました。
投稿日 2015年05月01日
総合評価:4.0
日本語の説明書。裏口と同じものです。
聖ヨセフ(ジョゼ)神学院と聖堂 聖若瑟修院及聖堂。
聖ヨセフ(ジョゼ)神学院(修学院)は1728年にイエズス会によって設立されました。神学院に連結した聖堂は1758年に落成しました。聖ヨゼフ神学院はかつての聖パウロ学院と共に、イエズス会宣教師たちが、中国本土、日本、および近隣地区へ伝道に赴くマカオの基地を形成していました。聖堂は、聖母教会と同じように中国では稀なバロック様式です。主祭壇には聖ヨゼフ像が祭られ、左右の両祭壇にはキリストと聖母マリア像が祭られています。聖堂の平面はギリシャ十字形で、4つのヴォールト(穹窿)に支えられたドームは、直径が12.5メートルで高さは19メートル、風通しと採光のため2層の円環部に各々16個の窓が取り付けられています。聖堂内には聖フランシスコ・ザビエルの前腕骨が納められています。それはかつて聖母教会に収蔵されていたものです。
教会の中に入る時は帽子を脱ぎましょう。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- 友人
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- セナド広場の南です。
- 展示内容:
- 4.0
- 中国では稀なバロック様式
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船乗りの家族は教会の石段に集まり、航海の無事を静かに祈ったと言われています。
投稿日 2015年05月01日
総合評価:4.0
聖老楞佐教堂 ローレンソ教会の日本語の表示。聖ローレンソ教会は、もともと、1560年以前にイエズス会によって建てられ、マカオで最も古い三つの教会の一つに数えられています。最初は簡単な木造建築で、1618年に改修され、現在の規模のものは、1864年、マカオの建築家トマス・アキノの設計に基づき、修築されました。プライア・グランデ湾(南湾)が開発される前、この教会は浜辺に面していたため、ポルトガル人船乗りの家族は教会の石段に集まり、航海の無事を静かに祈ったと言われています。「風順堂」というもうひとつの呼び名は順風順水を祈る、その故事に由来します。教会は新古典様式建築で、内部は優雅かつ品格を感じさせます。周りのステンドグラスは聖書をモチーフにした図案とモダンなダザインが融合し、複雑さと簡潔さがマッチ、町の喧噪の中の静けさが感じられます。
- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- 友人
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- セナド広場の南
- 展示内容:
- 4.0
- 新古典様式建築
-
中国で始めての西洋式劇場で、その名称は、ポルトガル国王ドン・ペドロ5世(在位1853年~1861年)に由来します。
投稿日 2015年05月01日
総合評価:4.0
ドン・ペドロ5世劇場・崗頂劇院・伯多禄五世劇院の日本語説明。
中国で始めての西洋式劇場で、その名称は、ポルトガル国王ドン・ペドロ5世(在位1853年~1861年)に由来します。設計はマカオ生まれのポルトガル人ペドロ・ジェルマノ・マルケスが担当、中国最初の西洋式劇場です。主要部分は1860年に建築され、正面は1873年に増築されました。座席は276席あり、当時のマカオに住むポルトガル人の重要な社交の場所でした。建物は新古典主義様式で、前面にロビーがあり、観客席は円形になっています。両側の長い廊下で休憩することができ、階段で二階に上がればバルコニー式客席があります。劇場の正面ファサードには幅が15.7メートルのローマ様式のアーチがあり、最上部は三角形の切妻になっています。下にはイオニア様式の4本の柱が3つの空間を区切り、側面にはローマ式のアーチ窓が9つ配置されています。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- 友人
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- セナド広場の南
- 展示内容:
- 4.0
- 建物は新古典主義様式
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中央の身廊は荘厳で「受難のイエス」像が主祭壇に飾られています。
投稿日 2015年05月01日
総合評価:4.0
聖オーガスティン(アゴスティーニョ)教会
聖奥斯定教堂(龍嵩廟)日本語説明。
スペインのアウグスチノ修道会により1591年に建てられました。当初は簡素な建物で、屋根を覆うヤシ科のトウビロウの葉が風に吹かれて龍のひげのように立っていたので、龍髭廟の別名もあります。1874年に修築され、今日の姿になりました。教会は南向きに建っており正面ファードはシンプルで、ヨーロッパのルネサンス時期の新古典様式でデザインされています。外壁はクリーム色に塗られ、上部は三角切り妻、真ん中に聖母像が飾られています。傾斜のある屋根や木の骨組など、基本構造は木の組合わせで作られています。入口にはトスカーナ様式の2本の石柱がそびえ、教会内部は平面的にはバシリカ形式を採用し、中央の身廊と側廊があります。中央の身廊は荘厳で「受難のイエス」像が主祭壇に飾られ、奥行き20メートル、幅11メートル、高さ12メートル、広く奥行きのあるものになっています。教会は毎年、2日間に渡って受難のイエス像の行進を行い、マカオのカトリックにとって重要な行事になっています。
教会に入る時は帽子を脱ぎましょう。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- 友人
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- セナド広場の南
- 展示内容:
- 4.0
- 新古典様式のデザイン。
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豪商ロバート・ホートンが没後、住居とお金をマカオ政府に寄付、図書館に改造した。
投稿日 2015年05月01日
総合評価:4.0
ロバート・ホートン図書館 何東故居の日本語説明。
ロバート・ホートン図書館
1894年以前に建てられ、香港の豪商ロバート・ホートン(何東)が1918年に購入し、マカオ滞在の際に住居として利用した建物です。1955年にホートン氏がこの世を去り、遺族は故人の遺志により建物と2万5千香港ドルをマカオ政府に寄付、公共の図書館へと姿を変え、図書が購入されました。1958年に正式に開放され、香港・マカオで唯一の庭園を備えた図書館になりました。2階は古書を所蔵し、貴重なな古書としては嘉業堂の蔵書が16種類あります。古い宗教書籍や線装本という中国式の糸綴じ本や、中国語ポルトガル語辞書、中英辞書など5000冊を所蔵しています。建物の前には広々とした庭園が広がり、噴水や小さな丘があり、静と動がバランスよくミックスされています。後ろに広がる花壇は静かで優雅、自然の台地が生かされた屋外の閲覧場所となっています。
上海に何東故居があります。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- 友人
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- セナド広場の南の崗頂広場
- 展示内容:
- 4.0
- 豪商ロバート・ホートン(何東)の住居
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マカオ総督は、新任の際この教会で祝福を受けるのが慣わしでした。
投稿日 2015年05月01日
総合評価:4.0
カテドラル.(大聖堂)の日本語説明文。
大聖堂(カテドラル)
大聖堂は、カトリックマカオ教区の司教座がある中心的教会です。「望人寺」あるいは「大廟」の呼び名もあります。かつて、マカオ総督は、新任の際この教会で祝福を受けるのが慣わしでした。教会は、最初1622年頃に石灰、土、藁などを混ぜた「タイパ」と呼ばれる建材で建てられ、のちに台風で損壊したため、1844~1850年にマカオ出身の建築家によって再建されました。外形は荘厳かつ清楚、内部も至ってシンプルな新古典様式です。教会入り口の門には、ラテン語で「この教会は聖母マリア生誕に捧げられた(“SS.M.V.MARIAE NASCENTI")」と刻まれています。
教会に入る時は帽子を脱ぎましょう。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- 友人
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- セナド広場近く。
- 展示内容:
- 4.0
- 内部も至ってシンプルな新古典様式です。
-
清朝末期の繊細な風合いを持った広東中部の典型的な民間住宅です。
投稿日 2015年05月01日
総合評価:4.0
世界遺産、盧家屋敷の日本語の説明。
盧家屋敷(大堂巷7号住宅)
清朝の光緒15年(1889年)頃建てられたマカオの有名な商人である盧華紹(盧九)一族の旧住居です。盧華紹は広東省新会の人で、清の咸豊6年(1857年)ごろマカオに移住しました。家系図には「早くに頼みを失い生活は困窮、成人ののちマカオへ行き両
替商に従事、幾ばくかの蓄えを得て、大きな質・両替商を経営、商才に恵まれたため財を成した」とある。盧家屋敷は中国式の灰色レンガの建築物で清朝末期の繊細な風合いを持った広東中部の民間住宅の典型的な作品です。屋敷は奥行きが三部屋分あり二階建て、天窓が多数取り付けられて風通しや採光が十分にできるようになっています。石柱が上まで貫く空間は吹き抜けで、僅かについたてで区切られいるだけです。屋内の装飾は趣向が凝らされ、嶺南地区によく見られる石彫りや、石膏の彫刻、掛落の飾り、飾り窓」があり、その他にも洋式の飾り窓やブラインド、満州窓、鉄の欄干など中洋折衷の様々な特色が融合し、マカオ独特の住宅建築文化を反映しています。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- 友人
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- セナド広場近く。
- 展示内容:
- 4.0
- 清朝の両替商の豪邸が残る。
-
聖ドミニコ(ドミンゴ)教会は(王攵)瑰堂と広東語で表記され、ドミニコ修道会が中国で初めて建てた教会です。
投稿日 2015年05月01日
総合評価:4.0
日本語の説明もあります。
聖ドミニコ(ドミンゴ)教会・(王攵)瑰堂
1587年に建設され、ドミニコ修道会が中国で初めて建てた教会です。最初は木の板を使って建てられたため、地元の華人は「板障廟(板張りの廟)または「板障廟」と呼んでいました。また、薔薇の聖母を祀っていたことから「(王攵)瑰堂(薔薇の教会)」との名
前がつきました。1929年ポルトガルのファティマの聖母があがめる教会とされ、毎年5月13日にはファティマの聖母の巡礼が行われて、マカオ・カトリックの重要行事になっています。教会の建築は威風堂々、4階建てで左右対称、3階ドミニコ修道会の紋章が中央に据えられ、荘厳かつ神聖さを感じさせます。内部の設計はバシリカ形式で、中央の身廊と側廊があります。主祭壇は、奥行き・幅ともに広く、重なり合う柱には見事なカーブを描く花が彫られ、美しく細かなうねりを見せ、華麗なバロック様式を見る事が出来ます。教会は1997年に修復され、鐘楼に開設された「宗教美術館」には、300点あまりのマカオ・カトリックの貴重な文化財が所・展示蔵されています。
教会に入る時には帽子を脱ぎましょう。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- 友人
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- セナド広場の1画のあり。
- 展示内容:
- 4.0
- 宗教美術館がある。
-
関帝廟にお参りしてからカジノへ行くと儲かると言われています。商売の神様。
投稿日 2015年05月01日
総合評価:4.0
1792年に建てられた関帝を祀る廟。関帝は三国志の英雄で、信を重んじた所から商売の神様になった。マカオでは加護と安定をもたらすとして多くの人が家庭や職場、そしてカジノでも関帝を祀っています。この廟はかつての「三街会館」で、付近にある營地大街、関前正街、草推街の商店会の役割を果たしていました。1912年にマカオ中華総商会という団体ができてからは三街会館としての役割は終わりました。
- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- 友人
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- セナド広場から路地を入る。
-
中庭へ行く途中の壁にはポルトガルの青いタイル(アズレージョ)が美しく飾られています。
投稿日 2015年05月01日
総合評価:4.0
セナド広場・議事亭前地、の向いに建つ「民政総署」です。民政総署大楼はマカオ街歩きのランドマークであるセナド広場の真向かいにある建物です。現在はマカオの地方自治局があります。最初の建物は1584年に完成したとされており、その後、何度か改築されたが、マカオの市政はずっとここで管理されてます。中庭へ行く途中の壁にはポルトガルの青いタイル(アズレージョ)が美しく飾られています。中庭にはポルトガルの詩人ルイス・カモンエス、作家ジョアン・デ・デウスの胸像、ポルトガルの大航海時代を彷彿とさせる天球儀を表した石像などが見られます。
- 旅行時期
- 2015年04月
- アクセス:
- 4.0
- 新馬路のバス停近くセナド広場向かい。
- 展示内容:
- 4.0
- ポルトガル時代の建物が残る。
-
マカオの中心地、セナド広場は議事亭前地と言う広東語の表記になります。
投稿日 2015年05月01日
総合評価:4.0
「セナド広場・議事亭前地」、入口に建つ郵政局の建物。中央に噴水があることから地元の人からは「噴水池」と呼ばれる広場。波模様をあしらった石畳が敷き詰められ風情がありますが、クリスマスや中国の伝統的な祝日の際には広場が装飾されて、とてもにぎやかになります。広場に面して、民政総署ビル、郵便局、仁慈堂ビル、マカオ観光局のインフォメーションセンターもあります。更にショップ、レストラン、喫茶、マクドなどの店に囲まれています。
- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- 友人
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- 外港からバスで新馬路で下車。
- 景観:
- 4.0
- ポルトガル時代の建物が残る。







































































































