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(太宰府天満宮太鼓橋)一番奥の未来が一番慎重になりました。
投稿日 2020年11月11日
太宰府天満宮
太宰府
総合評価:4.0
太鼓橋は、心字池にかかかる赤い橋です。この太鼓橋二つと直橋一つの三つの橋は「過去」、「現在」、「未来」の三世を現わしている様です。この橋を渡ることによって三世の邪念を払うともいわれています。渡る際の注意は、「過去」の橋を渡る時は、後ろを振り返らない。「現在」の橋を渡る時は、立ち止まらない。「未来」の橋を渡る時は つまずかないです。未来が一番慎重になりました。
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(太宰府天満宮大樟)随分離れないと写真に収まりませんでした。
投稿日 2020年11月11日
太宰府天満宮
太宰府
総合評価:4.0
大樟は、本殿の敷地を出た西側にあります。多分、一目で大樟と分かると思います。大正時代の説明版には、樹高は39m、根廻20mと書いてありました。大樟の周囲は大きく柵で囲われていますが、写真撮る分については問題ありません。 随分離れないと写真に収まりませんでした。
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(太宰府天満宮参道)有名な梅ヶ枝餅は行列のお店もありました
投稿日 2020年11月11日
太宰府天満宮
太宰府
総合評価:4.0
太宰府駅を降りてすぐのところが太宰府天満宮に続く参道となっています。行ったときは金曜日でしたが、参道は観光客で活気がありました。有名な梅ヶ枝餅は行列のお店もありました。スタバもおしゃれでした。しかし、まずは拝んで帰りに寄るのが、時間の計算が上手くいくと思います。
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(太宰府天満宮今王社)参道の最初の太鼓橋を渡った所にあります
投稿日 2020年11月10日
太宰府天満宮 今王社
太宰府
総合評価:3.0
今王社は,参道の最初の太鼓橋を渡った所にあります。説明版がないのであまり立ち止まる人はいませんでした。調べると、本殿まで行けず、参拝ができない時に,代わりに拝むための所の様です。太宰府天満宮では末社に位置付けられています。
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(太宰府天満宮中世の大鳥居)太鼓橋を包むようにどっしりしています
投稿日 2020年11月10日
太宰府天満宮
太宰府
総合評価:4.0
太宰府天満宮の入り口の案内所の先の御神牛の左手にある石の鳥居です。遠目で見ると、太鼓橋を包むようにどっしりしています。堂々とした雰囲気で、柱の継ぎ目の他に、笠木の途中にも継ぎ目があるのですが、あまり見たことがなく、造りに感心しました。
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(太宰府天満宮) 年間に約1000万人の参拝者
投稿日 2020年11月10日
太宰府天満宮
太宰府
総合評価:4.0
太宰府天満宮は、菅原道真公の墓所の上に社殿を造営している神社です。「学問・至誠・厄除けの神様」として、年間に約1000万人の参拝者が訪れている様です。903年に亡くなった後、無実が証明され、「天満大自在天神」という位を贈られ、「天神さま」と崇められるようになりました。12,000社ある天神の総本宮です。重みがあります。
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(大濠公園ボートハウス) ゆったりした時間を過ごせる場所です。
投稿日 2020年11月09日
ボートハウス大濠公園
博多
総合評価:4.0
大濠公園の池の北側で、地下街駅出口から池に向かった所にあります。建物に入っているお店は、フレンチレストラン「花の木」やドリンクやベーカリーなどを楽しめるパークショップ、ガラス張りの店内から公園内の景色をのぞめるカフェ&レストラン「Royal Garden Cafe」等があります。ボートは、手こぎボートが30分600円から、白鳥ボートは30分1100円から楽しめます。ゆったりした時間を過ごせる場所です。
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(大濠公園スタバ) 池の東側で、距離的に南北の調度真ん中位の所
投稿日 2020年11月09日
スターバックスコーヒー 福岡大濠公園店
博多
総合評価:4.0
大濠公園の池の東側で、距離的に南北の調度真ん中位の所にあります。スタバの建物は何処にいっても周りと違和感なく調和が取れていますが、大濠公園も溶け込んでました。オープンテラス席で飲んでも良いですが、池の回りのベンチで飲むのも良いと思います。お客さんはほんとに寛いでる感、ありました。
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(舞鶴公園) 舞鶴公園の中心は「福岡城跡」
投稿日 2020年11月09日
舞鶴公園 (福岡城跡)
博多
総合評価:4.0
舞鶴公園の中心は「福岡城跡」で、天守台からは 市内が一望できます。園内には、陸上競技場などのスポーツ施設が整備されている他、ウメ、サクラなど四季折々の花の他、イチョウやカエデなど紅葉する木も多く、行ったときは紅葉が楽しめました。城跡に現存するのは、潮見櫓、石垣、内濠などで国の史跡になっています。
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(福岡城むかし探訪館) 昔の福岡城をCGで再現
投稿日 2020年11月09日
福岡城むかし探訪館
博多
総合評価:4.0
福岡城むかし探訪館は、本丸の北東、昔の平和台球場跡にあります。平屋建ての建物で、入場は無料です。古地図や再現模型から、福岡城を身近に感じる事ができると思います。行ったときは見られませんでしたが、昔の福岡城をCGで再現もしていて、福岡城の天守閣も見ることが出来る様です。
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(大濠公園能楽堂) 本格的な能楽堂です
投稿日 2020年11月08日
大濠公園能楽堂
博多
総合評価:3.5
能楽堂は大壕公園の北側に隣接した本格的な能楽堂です。堂内は 約600の席が舞台を囲むように置かれ、どの席からも演技がよく鑑賞できる様になっています。舞台が檜で作られている為、ホール内は檜の香りに満ちている様です。また、舞台上で結婚式の挙式ができるサービスも行っている様です。
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(大濠公園日本庭園) 大壕公園の北側に隣接した本格的な能楽堂
投稿日 2020年11月08日
大濠公園日本庭園
博多
総合評価:4.0
日本庭園は、大濠公園の南側にあり、公園の開園50周年を記念して昭和59年にできた築山林泉廻遊式の庭園です。白壁と樹林に囲まれた園内には、大池と築山の大池泉庭、曲水の流れ、枯山水庭、茶室等があり、これらを廻遊できるようになっています。茶室や庭では結婚写真用の撮影も行われていました。
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(大濠公園) 散歩やジョギング姿の人が沢山いました。
投稿日 2020年11月08日
大濠公園
博多
総合評価:4.0
大濠公園は総面積が約40万平方メートルで、うち約半分以上が池の公園です。黒田長政が福岡城を建築する時、博多湾の入江であったこの地を外濠として利用したのが原型です。昭和2年の博覧会を機に造園工事を行ない、昭和4年に今の形になっています。公園内には、約2キロメートルの池の周遊道、能楽堂、日本庭園及び4つの橋で結ばれた中の島、ボートハウス等があります。散歩やジョギング姿の人が沢山いました。
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(福岡城潮見櫓) この櫓の本来の名称は不明の様です
投稿日 2020年11月08日
舞鶴公園 (福岡城跡)
博多
総合評価:3.0
潮見櫓は玄界灘や博多湾の監視をする役割で、本来、三の丸の北西角に建てられていたものです。その櫓が時代と共に移築され、現在の位置には昭和30年代に移築復元されています。ただ、その後の調査で、崇福寺仏殿が潮見櫓を移したものだったことが分かったため、現在この櫓の本来の名称は不明の様です。
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(福岡城堀石垣) 土日のみの公開
投稿日 2020年11月08日
舞鶴公園 (福岡城跡)
博多
総合評価:3.0
福岡城跡の石垣は、明治通り沿いで福岡高等裁判所近くにあります。明治時代後半に市内電車敷設の際に埋められましたが、地下鉄工事によって一部が発見され、現在一部が保存されています。市内にはこの他にも二か所見つかっています。堀石垣は土日のみの公開となっています。
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(筥崎宮) 湧出石や筥松等のパワースポットもありま
投稿日 2020年11月08日
筥崎宮
博多
総合評価:4.5
筥崎宮は筥崎八幡宮とも言われ、宇佐、石清水両宮と合わせ、日本三大八幡宮の一つです。祭神は応神天皇の他、神功皇后、玉依姫命です。鎌倉時代、元寇との戦の際、神風が吹き勝ったことから、厄除・勝運の神としても有名です。境内には蒙古軍の船の碇石もあります。また、湧出石や筥松等のパワースポットもあります。
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(筥崎宮筥松) 必勝祈願のパワースポット
投稿日 2020年11月08日
筥崎宮
博多
総合評価:3.5
筥松は、筥崎宮の楼門の前の朱塗りの柵で囲まれた松です。大きな絵馬がかけられていて必勝祈願のパワースポットになっている様です。野球のソフトバンクホークスの他、福岡のラグビーチームやバスケットボールチームもここで必勝を祈願しているようです。
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(筥崎宮湧出石)撫でる時は、膝まづく必要があります。
投稿日 2020年11月08日
筥崎宮
博多
総合評価:4.0
湧出石は筥崎宮の手水舎の近くにあります。この石に触れると「運が湧き出る」という石で、パワースポットになっています。国に一大事があると姿を現すとされ、かつてはこの石で天変地異を占ったとも言われています。現在は、運気上昇、招福開運を願い、参拝者がこの石をなでていました。撫でるときは、石が低い位置にあり柵が邪魔になるので膝まづく必要があります。結構撫でる時間は長めでした。
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(筥崎宮蒙古の碇石)
投稿日 2020年11月08日
筥崎宮
博多
総合評価:3.0
筥崎宮の境内、一之鳥居をくぐって手水舎近くにあります。蒙古軍の船の碇として使用されたと伝わっています。長さ2mを超える大きな石で、昭和15年に博多港で発見されたものです。「蒙古碇石」として、福岡県の文化財に指定されていますが、筥崎宮にあるのは敵国降伏の額のお陰に感謝なのでしょう。
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(筥崎宮楼門) 扉の彫刻は江戸時代の名匠左甚五郎の作
投稿日 2020年11月08日
筥崎宮
博多
総合評価:4.5
1594年に、筑前領主小早川氏が建立したもので、建坪は12坪ですが、83坪ほどの屋根のある建物です。「敵国降伏」の扁額が掲げてあり、物騒だと思いましたが、武力によって敵を降伏させるではなく徳の力をもって導き、相手が自ら靡き(なびき)降伏するという意味を知り安堵しました。その意味で伏敵門とも呼ばれています。扉の彫刻は江戸時代の名匠左甚五郎の作と言われています。