がおちんさんへのコメント一覧全113件
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Very good photos
Hello, I was very excited to see your photo album. I am from the place where you took the photo: Yunnan Ruili, I was only 2 months old at the time. Thank you, let me feel the charm of time and film. Now Ruili has changed a lot , The previous simplicity has completely disappeared -
懐かしい〜☆
はじめまして。1995年芸大で民族衣装(?)の単位を取ってて昆明の民族学校に留学していた先生と出会ったことがきっかけで、当時19歳初の海外旅行女3人で西双版納やガンランパやダーリー行き少数民族に会いに行きました。ふと当時の「あのバンブーハウス」とかインターネットもなくよく辿り着いたなと思い出し「ガンランパ、バンブーハウス」で検索して辿り着いきました。
そうそう!と時期は少し違うと思いますが凄く懐かしくてあなたの雲南記事だいぶ読みました。道が悪く何度も故障する初の海外でビクビクしてましたがジンホンに着く頃には宿のヤモリもスルー。ガンランパまで行き、昆明に戻りダーリーにやっぱ行こうと同じルート、ダーリーの月曜市の豚の刺身(私はたべてませんが)も凄く嬉しくなりコメントしちゃいました〜 -
感動的です。
27年ぶりの再会、感動的です。
1981年東北旅行記 すばらしい旅行記ですよ。 中学生の大冒険最高!
新幹線ができる前には、上野発・特急八甲田がありました。
私は青森県生まれで、野辺地町にも住んでいました。現在は仙台市の隣、
塩釜市に住んでいます。 なので、旅行記の行程がよくわかります。
ラジカセを持って電車の旅、あこがれます。(笑) 今はスマホですね。
太平洋側は3.11の津波で様相が変わりましたが、思い出は永遠に残りますね。
五島列島の海 綺麗♪RE: 感動的です。
うにゃーさんさん
私もまさかK君と再会できるとは思っていなかったので、突然彼から電話がかかってきたときは本当に驚きました。もちろん、彼も東北旅行のことをよく覚えていました。それぐらい中学生にとって旅の印象が強かったのだと思います。
今は新幹線を使えば東北まであっという間ですが、目的地に早く着いても旅の楽しさが増すわけではないですね。むしろ移動時間も旅の楽しさを実感できる大切な要素なのだと思います。(そういう意味では遠野物語ツーリングも似たような趣旨ですね)
私は今でも、1981年当時の時刻表を眺めて旅を回想したり、当時のダイヤで旅の仮想計画を立てたりすることがあります。不思議とワクワクしたりして、けっこう楽しいです。もちろん泊まる宿は時刻表の後ろのページ(広告)から探します(笑)。2015年07月25日23時07分 返信する -
遠野に魅せられて
がおちん様 はじめまして。
遠野物語ツーリングを読みました。
がおちん様が経由した、塩那林道、大川林道、甲子林道は崩落し廃道予定
当時走れたことが羨ましい限りです。
そして、金鶏山鉱泉は建物すらありません。誠に残念です。
がおちん様に刺激を受け、ツーリングの目的を再構築しています。
また、遠野に来るとき是非教えてください。
RE: 遠野に魅せられて
うにゃーさんさん
はじめまして。コメントをありがとうございます。
うにゃーさんさんもオフロード派なのですね。不思議なもので、もう20数年経っているのに、このときのツーリングはついこないだのことのように覚えています。野宿も含めて、林道ツーリングには格別の楽しさがありますね。東北には魅力的な林道がたくさんあったのですが、次々と廃道になってしまうのは時代の流れとはいえ残念です。あの開放感と躍動感は林道ツーリングならでは。なんだかまた走りたくなってきました(笑)。金鶏山鉱泉は存在自体が貴重だったと思います。本当にもったいないですね。
でも、嘆いてばかりもいられないので、今できる旅をお互い存分に楽しみましょう。
では、よいツーリングを!
がおちん
2015年06月12日11時40分 返信する -
待ってました、西への旅。
がおちんさん、こんにちは。
待ちに待った90年代のカイラスへの旅行記!
私もこの時代ならまだ体力もあったので「無理してでも」カイラス巡礼に行きたかったです。
仕事辞めておけば…(後悔しきり)。
今や獅泉河へもラサから民間機が飛ぶ時代なので(チベット航空というのがあるそうです…)、こんな道中の巡礼者や遊牧の人々に出会いながら旅する機会も消えつつあるんでしょうね。
しかし、偽(?)ガイドはいただけません。
命を預けたドライバーさんが良い方で幸いです。
ではでは。
おぎゃん
RE: 待ってました、西への旅。
おぎゃんさん、こんにちは。
この頃のカイラスは遠かったですね。たしかに仕事を辞めなければ行けない場所でした。時代は変わり、今はラサからアリまで1時間半で飛べるんですね。驚きました。
でも、おぎゃんさんのおっしゃるように、旅は道中の過程があるからこそ楽しいし、深く心に刻み込まれるのだと思います。近頃は何でも便利になって手軽に旅ができるようになった反面、感動も薄れていく気がしますね。それって歳なのかな?
偽ガイドは最悪でしたが、ドライバーが良い人で本当に良かったです。当時はバスやトラックが崖から落ちているのをよく見かけました。96年には私たちと同じようにトラックで旅していた西洋人がシガツェ付近で事故に遭って腕を切断し、同行者がRH−型の血液を求めてシガツェの宿にいる旅行者に声をかけて回っていたと、その場に居合わせた人から聞かされました。また、98年にはカイラスに向かった日本人3名が行方不明になったそうです。雲南でも行方不明になったバックパッカーが多かったですが、たぶん移動中に崖から落ちた可能性が高い。そう考えると、私たちはたまたま運が良かっただけなんだと思います。
実際、私達もカイラスから戻る時には病人が出てシリアスな目に遭いました。おぎゃんさんも、入院して10キロも体重が減った後にチベットへ行くなんて、下手したら命に関わりますよね? でも、そんな無茶が出来た時代&世代だったのかもしれませんね。
がおちん
2014年04月14日20時10分 返信するRE: RE: 待ってました、西への旅。
がおちんさん、こんばんわ。
昔の記憶をひも解いてみると、当初の計画ではラサからニャラムー経由でネパールへ陸路向かうという当時のスタンダードなルートを辿る予定でした。
1988年の8月、青海湖からの帰りに病院へ直行した同じころ、ネパールでかなり大きな地震があったそうです。これでネパールとの国境が一時閉鎖になっていたとのこと。
この地震も西寧にいる頃は知るよしもなく、ラサまで入ってからニャラムーから引き返してきたツーリストからの情報で初めて知ったという始末。
大雨が続いてが悪路の中の事故やがけ崩れも多発して転落するバスやトラックを見たとの話を次から次へ聞き、病み上がりの私を抱えた友人は会う人ごとに
「飛行機で成都へ出た方がいい」
と説得されたそうです。
友人に聞くとやはり1人では不安だったラサ行き、病み上がりでも2人の方が心強かったと聞かされ、彼女に連れていってもらえたことに今でも感謝することしきりです。
おぎゃん
2014年04月14日21時14分 返信する -
ラサ暴動の合間
がおちんさん
こんにちは。
ココロ揺れる景色ばかりで、懐かしささえ感じます。まだ移住の漢族も人民解放軍もバルコルで見かけることもほとんどない頃ですね。
私めは登山部の友人、ゴルムドで知り合った人たちとカイラスレストラン(だったかな)に溜っておりました。
今にしてみると訪れた1988年夏は中央政府の締め付けが始まった頃でしたけど、毎年カイラスに馬で巡礼する日本人女性がいたり、チョモランマベースキャンプへもヒッチハイクが可能だったりと、体力・時間さえあればそれなりにゆるやかな旅が出来たころでした。
(それでも秋に入って一瞬ラサからの脱出が難しくなる事態もあったそうですが)
体力がある間にカムルートもトライしたかったものです。
ではでは。
おぎゃん
RE: カムルート
おぎゃんさん
こんにちは。
カムルートの旅は過酷でしたが、これまでの旅で最も印象に残るものとなっています。美しい風景だけではなく、道中で出会ったチベット人の篤い信仰心に心を動かされたからだと思います。ヒッチハイクがきつかったと言ったって、カム地方から五体投地でラサを目指している人を思えばリムジンに乗って移動しているようなものでした。
しかし、私たちが2週間かかった道のり(雲南からですが)も、川蔵鉄道が完成したら成都−ラサが8時間だそうです。きっとその頃のラサは、麗江や西双版納のように遊園地化され、宗教を理解できない人々のために観光ショーが毎日行なわれていることでしょう。
過ぎ去った時間は二度と戻らない。自分の旅行記を振り返っても時代の変化に驚くほどです。
がおちん
2014年04月08日21時09分 返信する -
大作、読ませていただきました♪
掲示板ご来訪ありがとうございました。
がおちんさんの旅日記、夢中で読ませていただきました。
なつかしいですねぇ〜90年代。
情報がない中で、次の街にはどうやって行ったらよいものか、
ビザの残日数は、、、
などと考えてた頃を思い出しました。
浦江飯店、泊まれますよ!
ドミトリーはありませんが
スタッフにいい人が多いので、
上海行くときはだいたい浦江に泊まってます。
しかしいろいろ行かれましたね。
そして写真が上手いです!
路地の風景、町の人のスナップショット、
拝見していて、とにかく旅に出たくなりました。
RE: 大作、読ませていただきました♪
shichoさん
古い旅行記を読んでくださり、ありがとうございます。
先ほど、『2回目の嘉陽小火車&沫江煤電』を一気読みしました。
いい旅をされていますね。
芭溝の宿は一昔前の中国の雰囲気がありますね。裸電球に木の机に熱水瓶。
これで石炭の臭いでもしたらグッと哀愁を感じてしまいそうです。
以前、私が昆明に留学していた頃、雲南にも鶏个線というミニSLが走っていて、鉄道マニアの方が日本からわざわざ乗りに来ていました。私も走っているのを見たことはありますが乗ったことはなく、いつか乗りたいと思ってはいたのですが、少数民族にハマッているうちにチャンスを逃し、気がついたら廃線になっていました。
もう昔のような長旅はできませんが、shichoさんのように狙いを定めて楽しみに行きたくなりました。
がおちん
2014年03月21日22時06分 返信する -
懐かしい!
ご無沙汰しています。
久々に懐かしい大理と麗江の風景を堪能しました。
わたしが訪れてからすでに10年近く経っていたころですが、まだあまり変わっていなかったようです。沈没組がいたことも変わっていないです。
麗江の地震があったのは確かこの直後ではないでしょうか。
昔の写真はおろか、最近の写真さえも整理がおぼつかなくなっていますが、こういう旅行記を見ると、自分もちょっとがんばってみようかと思います。
次回作にも期待しています。
RE: 懐かしい!
のんほさん
こんにちは。
麗江地震は翌96年の2月でした。あの古い街なみが失われてしまったのはとても残念です。古城の再現には成功しても、商売目当ての漢族人口のほうが多くなってしまったのですから、地震以後の麗江は少数民族の街でもなんでもないです。
「もし地震が起きなかったら」とも考えましたが、その後の大理や西双版納のエゲツナイ観光化を見ますと、麗江のテーマパーク化は地震があっても無くても避けられなかったのだと思います。雲南が輝いていたのはギリギリこの頃まででしたね。80年代半ばに行かれたのんほさんが羨ましいです。
気楽にデジカメやスマホでバチバチ撮る現在の旅行よりも、フィルム数を気にしながら、ここぞというところでシャッターを切っていた頃の旅行のほうが、思い入れがあるんですよね。
のんほさんもぜひ、押入れに眠っている写真をスキャンして、当時のエピソードと共に甦らせて下さい。
楽しみにしています。
がおちん2014年03月16日11時33分 返信する



