1990/07/31 - 1990/08/02
427位(同エリア1018件中)
がおちんさん
楽しかった瑞麗の街歩きに続き、ミャンマー国境めぐりへ。畹町(わんちょう・ワンディン)、屯洪、姐告、弄島の4ヶ所をまわりました。
社会主義市場経済が導入される前の辺境貿易は細々としたもので、現在ビルが立ち並ぶ姐告口岸には、水牛が国境をまたいで草を食べていました。
のどかだった時代の瑞麗旅行記です。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 高速・路線バス 自転車 徒歩
-
1990年7月31日(火)
今日は瑞麗の街からミャンマー国境を見に行く。
地元の人から情報を仕入れたところ、4ヶ所ほど回れそうだ。 -
まずは畹町(わんちょう・ワンディン)の国境へ、ミニバスで向う。
どうやら、そこが唯一の貿易拠点となっているらしい。 -
30分ほどで畹町(ワンディン)へ到着。
写真は、当時の雲南では「おおっ」って思ったモダンなビルディング。屋上に掲げられたサインが自慢げだ。
ところが完成しているのは外装のみで、内部はガラーンとしたまま。
対外開放に合わせて建てようとしたけど、間に合わなかったのだろう。 -
ワンディン国境に到着。
暑くてゆるーい雰囲気のなか、国境検査の係員が暇そうに座っていた。 -
写真を撮ってもいいかと、聞きにいく。
「橋を渡らなければ構わない」と快諾。 -
後ろにある橋がミャンマーとの国境。
ワンディンもかつて抗日戦争の舞台となった場所である。 -
畹町橋のプレート。
「1938年に石の橋が建てられ、抗日戦争時に破壊されて鉄製の橋がかけられ、現在のものは1979年に修復された」と、橋の由来があっさり書かれてある。
当時は今のような反日的な表現はされておらず、のちに戦跡として有名になるとは思いもしなかった。中国で急激に反日表現が目立つようになったのは、1994年に江沢民政権が「愛国主義教育実施要綱」を出してからである。それまでの中国の対応はもっとスマートだった。留学中は「悪いのは軍国主義であって、日本人が悪いわけではない」と中国の人から言われたものだが、今や日本人そのものが憎まれる対象になってしまった。
現在、この橋には写真展示や抗日戦争勝利60周年記念の碑まで立っているそうだ。ずいぶん雰囲気も変わったことだろう。 -
国境の橋にはダイ族などが行きかい、ローカルな雰囲気が漂っていた。
地元民は当然のようにフリーパス。
裸足の女の子も、気軽に越境中。
※なお、この橋と国境検査室は、同年に製作された『黒色走廊』という映画のワンシーンに出てきます。麻薬取調べのシーンが、いかにもという感じで笑えます。
主演はブルース・リーのそっくりさん俳優で有名な呂小龍(ブルース・リ、またはブルース・レ)だけあって、完全にC級作品ですが、黒煙を出しながら走るトラジや少数民族のエキストラなど、1990年当時の瑞麗を見ることができて楽しいです。 -
三脚を立ててタイマーで撮ったら、地元の人が写りこんでしまった。
-
ワンディンの市場にて。
タイから入ってきた生活日常品や服などが売られている。
昆明では流通していない品が多く、見ているだけで楽しかった。 -
次に向ったのは姐勒金塔。
交通が不便なので行くのに苦労した。
仏塔は田舎道を歩いた村の中にある。 -
姐勒金塔は、ダイ族の言葉で「廣母賀卯」と呼ばれる。
瑞麗壩の仏塔という意味らしい。 -
中国の他の場所と同じく、文革時に破壊されたため、現在の仏塔は80年代に修復されたものだ。
-
姐勒は歴代の土司の館が建てられ、政治、経済、文化の中心となった地であるという。
村には見事な木が生えていた。 -
お堂にある釈迦牟尼仏の前でポーズをとる、地元の女性。
-
午後は瑞麗に戻り、街をブラブラ。
-
タナカをぬった女性。
瑞麗市街にはミャンマー人が多い。 -
瑞麗では蟹も食えるのだ。
-
1990年8月1日(水)
今日もミャンマー国境めぐりを見に行く。
朝食はミャンマー風味にアレンジされた米線にトライ。
タレがドロッとして、微妙なカレー味。
アヒルの卵はしょっぱかった。 -
効率よく国境めぐりをするために、今日はオート三輪をチャーターした。
荷台に乗り込んで出発。 -
まず向ったのが、瑞麗とミューズ(Muse)を結ぶ屯洪渡口。
後ろが船着場だ。 -
ストゥーパのような形の標識。
漢字とダイ族文字とピンインで表記されている。 -
中国側の船着場。
-
のどかな雰囲気の中、ミャンマーに向けて小船が進む。
-
国境警備員は川の水で掃除中。
-
瑞麗江を往復する小船と乗客。
-
ミャンマー側の船着場。
田舎っぽさがたまらん。 -
オート三輪の運転手はダイ族の青年。
寡黙だが親切な人だった。 -
次に向ったのは姐告の国境。
ここは川を越えた向こうに国境があり、去年(1989年)できたばかりの姐告大橋を渡る。 -
橋は時間差による一方通行になっている。
ちょっと待ってから、GO! -
瑞麗江を渡る。
-
風が気持ちいい。
気分最高! -
姐告に到着。
左手の小屋は検問所だが、別にチェックは無し。 -
と、思ったら、竹で編んだ小屋の窓からは国境警備隊が睨みをきかしていた。
怪しいと思われたら調べられるのかな?
国境線はもうちょっと先に行ったところにある。 -
姐告の国境に到着。
とても開放的なのだ。 -
ダイ族おばさん、ゆっくりとミャンマーに歩いていく。
後ろでは水牛が草を食っている。 -
おそらく雲南省で一番ミャンマーに近い米線屋。
国境線スレスレだ。 -
こっちはミャンマーで最も雲南に近い屋台。
モヒンガーを食べるには越境しなくてはならない。
「大丈夫、おいでよ」とミャンマー青年が誘う。
なんともゆるーい国境だった。 -
次は雲南で最も西南部にある、弄島の国境へと向う。
その途中で、「ちょっと寺に寄って行きましょう」とオート三輪の青年。
急ぐ旅でもないので同意する。 -
喊沙奘寺に着いた。
緑に囲まれており、暑さが少しやわらぐ。 -
迫力ある大木。
-
奘房の内部。
仏像は新しかった。
ここでも文革の嵐が吹いたのだろう。 -
お供え物なのか、紙幣を並べて貼った垂れ幕のような物が吊るされている。
ここの住職は面白い人で、「先日、重要な役で映画に出演したので、ぜひとも観てくれ」と言う。それが、ブルース・レ主演の「黒色走廊」だった。
後日、昆明のデン池電影に観に行くと、たしかに映画には喊沙奘寺が出てきて、小坊主に説法する住職がアップで映っていた。ただ、瑞麗ではなくてミャンマーの寺という設定になっていたけど、住職はそれを知っていたのかなあ?
※しつこいですが、この映画の感想をもう少し。
『黒色走廊』では瑞麗や昆明がロケ地になったので、当時の雲南の様子が垣間見れます。夜の昆明のシーンでは、灯りの暗い広場で少数民族が踊っていたり、公安の車両が並んで登場したりします。瑞麗のロケでも、主演のレが屋台で米線食べるシーンや、ニセモノのワ族の踊りがあって、雲南ファンには笑えます。
また、地下プロレスみたいな場所で大男が羊の内臓を出したり、演技の下手な白人ヒロインのアクション&ラストシーンには呆れてしまいました。戦闘シーンでは戦車まで出てくるし、爆発する場面ではスタントマンは命がけと、変な所に見入ってしまう映画です。
黒と言う字を簡体字にして『?色走廊』か、英語名「Vicious Passageway」で検索すると、ネットで動画が見れます。 -
後ろにある大木の所が、住職が映画でお経をあげていた場所。
-
最後に向ったのは弄島の国境。
通り雨が降ったので、道がぐっちゃぐちゃ。
ダイ族の姉さんも自転車を押して歩くしかない。 -
田んぼの脇にポツンとあった、国境の石碑。
何とも説得力の無い国境だ。 -
弄島も船の渡し場になっており、地元民は自由に往来していた。
-
ミャンマーから来た人々。
これもいちおう国際航路なんだろうな。 -
国境の川で遊ぶ子供たち。
-
対岸に見える、ミャンマーの寺。
-
国境の石碑と記念撮影。
-
瑞麗に帰るとき、オート三輪の運転手が連れて行ってくれたダイ族の村。
この集落までが中国だという。
写真は村にある井戸。 -
この先はミャンマー領になるそうだ。
しかし道は続いている。 -
地元の人に自転車を借りて、ちょっとミャンマーまでサイクリングに行く。
でも、何も変わらん(笑)。 -
「版納みたい」と喜ぶ妻。
元々そこに住んでた地元民からすれば、国境なんてあまり意味の無いものだろう。 -
シブイ家と、そこに住むミャンマーの子供。
-
思わぬオマケも楽しんで瑞麗へと戻った。
-
1990年8月2日(木)
楽しかった瑞麗の旅を終え、朝のバスで盈江経由で騰衝に向った。 -
ところが途中で行われた公安の検査で、リュックの中身をすべて道路にぶちまけられ、妻が憤慨。
おまけに今日の雲南号(バス)はポンコツで窓ガラスも閉じられず、雨が入ってくるので車内で傘をさすはめになる。3人掛けシートは2.5人分の幅しかないため、雨を避けようとして通路側にずれることもできず、服がビショビショになる。
通路側座席のおじさんも半ケツで耐えてくれたが、私たちが窓から遠ざかろうとグイグイ寄るので、しまいには怒り出した。もう最低のバスの旅。
写真は検査で憤慨中の妻。 -
長時間にわたって雨に濡れたため、妻が発熱。騰衝で2日間、寝込むことになってしまった。
宿は木造三階建てで、その古さにもビックリした。
麗江から少数民族の町ニンランへ〜雲南をゆく1990 (15)に続く
http://4travel.jp/travelogue/10640777
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (4)
-
- 李俊颉さん 2019/12/17 21:33:02
- Very good photos
- Hello, I was very excited to see your photo album. I am from the place where you took the photo: Yunnan Ruili, I was only 2 months old at the time. Thank you, let me feel the charm of time and film. Now Ruili has changed a lot , The previous simplicity has completely disappeared
-
- captainfutureさん 2011/12/04 16:41:43
- この時代に行ってみたい!!
- >中国で急激に反日表現が目立つようになったのは、1994年に江沢民政権が「愛国主義教育実施要綱」を出してからである。
ふーむ、そうだったんですか。
>「大丈夫、おいでよ」とミャンマー青年が誘う。
なんか、いいですね〜〜〜〜。
国境をまたぐ、なんては本来はドラマチックな感じがするのでしょうけれど、このゆる〜〜い感じがたまりませんね。
今ではもうこんなことは地元の人でも許されないんでしょうか。
黒色走廊、3分しかありませんでしたがYou Tubeで見ました。
瑞麗、昆明らしきところはほとんどカットされていましたが、
今となっては図らずも貴重なシーンになっているんでしょうね。
不便さを取るか、情緒も無い近代化を取るか。でも今の中国の近代化は情緒が無さすぎのような気が。
ウイグルも雲南もそうですが、もうちょっと配慮してもらいたいですね。
- がおちんさん からの返信 2011/12/05 10:34:28
- RE: この時代に行ってみたい!!
- captainfutureさん
> 国境をまたぐ、なんては本来はドラマチックな感じがするのでしょうけれど、このゆる〜〜い感じがたまりませんね。
おそらく雲南で最も印象が変わったのが、ここだと思います。グーグル画像で「姐告」と検索してみてください。当時の面影は全くないです。
> 黒色走廊、3分しかありませんでしたがYou Tubeで見ました。
> 瑞麗、昆明らしきところはほとんどカットされていましたが、
> 今となっては図らずも貴重なシーンになっているんでしょうね。
映画の後半は雲南ロケなので、当時の長閑さや田舎っぽさは伝わってくると思います。私も久しぶりに動画を見たのですが、ストーリーとは関係ないところで楽しめました(笑)。
↓ここでフルバージョン(90分)が見れます。
http://v.youku.com/v_show/id_XMTg2MTEyNTMy.html
> 不便さを取るか、情緒も無い近代化を取るか。でも今の中国の近代化は情緒が無さすぎのような気が。
> ウイグルも雲南もそうですが、もうちょっと配慮してもらいたいですね。
同感です。民族独自のものを残しておいて欲しいですね。
がおちん
- captainfutureさん からの返信 2011/12/05 23:13:20
- RE: RE: この時代に行ってみたい!!
- がおちんさん、
>グーグル画像で「姐告」と検索してみてください。当時の面影は全くないです。
見ました。スゴイ変わり様です!
>ここでフルバージョン(90分)が見れます。
さすが中国、フルバージョンがUPされているっていうところもこれまたスゴイです。^^; あとでじっくり見てみます!
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
4
60