Decoさんへのコメント一覧(58ページ)全736件
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三池炭鉱の事実・・・
Decoさん、こんにちは。
囚人労働者については、網走刑務所で詳しく学びました。
その時は、同時に看守も犠牲になるとの事で
看守と言う仕事を選択する人の崇高な精神は
凄いなと思いました。
人を更生させることは一筋縄では行きませんね・・・
三池炭鉱でも、同様の事実があったんですね・・・
三池炭鉱の事実も、一人一人が心に留めておくべき史実の一つですね。
120年間も、人々の生活を支えていたのですから・・・
炭鉱節のルーツは筑豊・田川市!
そうだったんですね。
三池炭鉱と言えば、こちらとばかり思っていました。
Decoさんの旅行記は、取材に基づいて書かれる
ドキュメンタリーです。
旅行記としてここにアップするだけでは
もったいないなと感じました・・・
yamayuri2001Re: 三池炭鉱の事実・・・
yamayuri2001さん、こんにちは。
炭鉱シリーズ、我ながら厳しい内容も含み、説明もわかりにくいと思いますが、読んでいただき本当に感謝しています。
以前、yamayuri2001さんが北海道を旅行されたときの網走刑務所のお話、今も強く印象に残っています。囚人労働というと、囚人の人々の境遇に関心がいきますが、考えてみれば、看守の人々も一緒なわけですね。炭鉱でも監視する立場ながら危険と隣り合わせだったことだろうと思いますし、暴動も何度か起きていて、命を落とされた方も多いと思います。
また、当地には「解脱塔」という、亡くなった囚人の人々を慰霊する碑がありますが、それも三池集治監の吏員の人々によって建立されました。監視する立場ですが、同時に人として悼む気持ちも感じられて、看守の方々も複雑な気持ちで仕事をされていたのではないかと思います。
三池炭鉱の囚人労働、明治30年代の半ば以降は縮小されます。その際、三池集治監の囚人の少なくない人々が北海道に移されたそうです。北海道の方がまだ環境としては良かった、ということのようです。私はyamayuri2001さんの旅行記を拝見して、北海道の監獄の過酷さに驚いていたのですが…三池ではもっと酷かったのかとショックを受けました。
炭鉱節、レコードで♪三池炭鉱の上に~♪と唄われたので、それが広まったようです(私も三池を唄ったものだと長い間思っていました)。筑豊の方々は残念な思いをされているかも…。
炭鉱のお話、実は私の中ではそれとなく避けていたテーマでした。詳しくは知らずとも、そこにはつらい話があるだろうということは、漠然と感じていましたから。でも、いったん知り始めると、もっと知り、自分なりにまとめなければならないと思って書いています。
この旅行記シリーズはガイドの方に教えていただいたり、展示から学んだり、本を読んだり、いろんなものがつめ込まれてまとまりがありませんが、お褒めの言葉をいただき恐縮です。ありがとうございます。
Deco2022年08月17日14時03分 返信する -
もったいないですね。
Decoさん、こんにちは。
海外の中で台湾は好きな場所ですが、好きな理由の一つが古い建物を大切にしてくれること。
それが、占領中の日本の建物でも。
でも、日本は良いなあと思う建物を古いからとか危険だからとか新しい方が人気があるからとかで簡単に壊しちゃうじゃないですか。壊したら戻らないのだから、何とか残して欲しいと思うのです。
ダラダラと書きましたが、大牟田市庁舎を壊しちゃうのはもったいない。
残して欲しい建物です。見ておかなかったことに凄く後悔しています。
宮浦石炭記念公園も当時のものをもっと残して呉れたらなあと思ってしまいますが、それでも一部はのこされ、その写真を見ながらDecoさんの解説を読むと1人で回るよりはるかに学べるように思います。
炭坑節って向かい意味も知らずに盆踊りで踊るきょくでしたから、歌のルーツもとても脅威深いものでした。
捕虜の方達があっての日本の繁栄。
消せない過去ですが、そのことを決して忘れてはいけないと思います。
今回も心に響く旅行記をありがとうございました。
ちちぼーRe: もったいないですね。
ちちぼーさん、こんにちは。
大牟田市庁舎は、炭鉱関係の史跡ではないけど、その時代を反映した建築物であり、またそれ自体が価値あるもの。
確かに市役所としては、バリアフリーなどで大きな欠点がありますが、どのような形であっても残してもらいたいです。
壊したら元に戻らない。そうなんですよ。ゆめタウン大牟田というショッピングモールはかつてコンビナートの端に位置しており、三井三池製作所という会社の、明治時代の煉瓦の建物がありました。製作所が移転してショッピングモールになる際、それをなんらかの形として残したいということでしたが…壊して煉瓦でトイレを作ってしまった…。残しておけば改装してカフェでもレストランでも、いかようにも活用できたのに。ちちぼーさんのコメントを拝見してこのことを思い返しています。
宮浦石炭記念公園は時代を考えれば、あの形でもよく残してくれたと思います。
息子さんもこちらにいらっしゃるし、是非またいらしてくださいね。ちちぼーさんには是非、ガイドのおじいちゃんが必死で逃げた三川坑跡を見ていただきたいと思います。
Deco2022年08月08日18時17分 返信する -
大牟田市庁舎
Decoさん、こんにちは~
炭鉱シリーズ、興味深く拝見しています。
さて、私が注目したのは、壮大な大牟田市庁舎。
少し調べたところ、このような近代建築の市区庁舎で残っているのは、名古屋市庁舎も含め数カ所だけとか。(県庁舎はもう少し多そうですが)
和洋折衷の帝冠様式の名古屋市庁舎より、潔くて格好いいなと思います。
地方都市でこれだけ立派な庁舎を持っているということは、往時の盛況ぶりを反映しているのでしょうか。
無責任な発言は承知ですが、
取り壊しが一旦決定しているようですが、
解体・廃棄・新築の費用=耐震・補修・館内の完全リフォーム費用であれば、
いや多少予算がかかっても、文化的な視点や、環境保全の考え方からも、
徹底的に検討して悔いのないようにしてもらいたいものですね。
暑い日が続きますが、どうぞご自愛くださいませ。
ちゅう。
Re: 大牟田市庁舎
ちゅう。さん、こんにちは。
大牟田市庁舎、地方都市でこれだけの建物が残っているのは、本当に希少だと思います。
おっしゃる通り、石炭産業で栄えて財政的にも豊かな時代があっての市庁舎だと思います。この旅行記で取り上げた三井化学のJ工場や、また大牟田市動物園も、石炭+派生産業で栄えたからこその建築物や施設だと思います。
市庁舎の今後について、以前は随分議論されていろんな意見もありましたが、最近はあまり聞かなくなって、ちょっと調べてみたら、「庁舎整備の今後の方向性」という文書が市役所の公式サイトにありました。
・市庁舎は近隣地に新築、令和10年頃から着工予定
・現庁舎は民間活用を検討し、令和5年までに結論を出す
ことになっているようです。
確かに現庁舎は古くて、入口も正面玄関が二階で外階段で入る形、エレベーターも端っこにあって使いにくく、スロープや回廊が入り組んでわかりにくという欠点があります。
ただ、大牟田市はかつての松屋デパートが解体され、今も三井化学J工場が解体途中です。長年親しまれ、市のアイデンティティとなっている現役の建物は市庁舎だけになってしまいました。どんな形でも残してもらいたいと思います。
現市庁舎は建築物としても大変貴重なものかと思います。九州はちょっと遠いけど、機会があったら是非いらしてくださいね。事前に申し込めば見学もできるようです。
ちゅう。さんも暑さに気を付けてお過ごしくださいね。
Deco2022年08月07日18時45分 返信する -
囚人過重労働の上に、、
こんにちは、Decoさん、
私のような
予備知識を持ち合わせない人間でも、
感じてしまうこと、
人の命の犠牲の上に成り立つものなんて、
あってはならない。持続できる訳がない。
こんな残酷な形での労働の上に
近代日本の産業発展があったという事実
これは、語り継がなければいけない。
そうしなければ、犠牲になった
魂が浮かばれませんよね。これは、戦争と
なんら変わりないと、つくづく思いましたよ…
ありがとうございました。
コトラマダム
Re: 囚人過重労働の上に、、
マダム、こんばんは。
三池炭鉱に限らず、日本の産業の近代化の陰には非人間的なことがあったようです。江戸時代にも、あったとは思いますが、西洋技術が投入されて生産が上がる中で、非人間的な部分も拡大していったと思います。また、明治になり、中央集権の政府ができたことも、囚人労働などにつながったと思います。
炭鉱は、江戸時代はそこそこお給料も良い仕事で、鉱夫と農家を兼業していたり、三池藩に至っては武士の内職でもあったそうで、明治に比べれば平和な時代だったのかも知れません。
囚人労働や外国人労働について、このシリーズで繰り返し書いてしまいますが、一つには自分が暮らしている地域の身近な歴史の中で、こんなにも悲しい出来事があったということが衝撃だったからだと思います。また、炭鉱の歴史を探れば、必ずと言ってよいほど悲しい出来事にぶつかることになります。悲しいことに、これが三池のみならず日本の近代化の姿です。
さて、この旅行記の煙突の所で、炭鉱節と十九の春の関係について書きました。このつながりに大きくかかわった与論島から移住してきた人々は、三池港北側の新港社宅に集まって住んでいたのですが…この社宅には三池港務所という、炭鉱鉄道や港湾に関わる部門の社宅もあったそうです。萩尾望都先生のお父様も港務所にお勤めでしたから、先生も新港社宅にお住まいだったのかも知れません。もしかしたら、与論の人々が歌うラッパ節や十九の春を聞かれたかも…。
萩尾先生のお父様は英語が得意で外国船が入ると通訳をされたりして、萩尾先生も外国人に接することがあったようです(バイオリンの名手でもあったそうです)。幼い頃から様々な文化に接していたことが、先生の漫画にも影響しているのかも知れません。
Deco2022年08月06日18時55分 返信する -
おはようございます。
今回も深く読みました。
こういうふうに私も先日の赤谷炭鉱も仕上げたかったんです。
ところが、大雨で炭鉱跡らしきものには行けず
スノーシェード1本の旅行記に・・。
産業の発展と衰退を背景とするノスタルジアの世界をご紹介したかったのに。
ふふふふ~の真夏の怪奇現象シリーズみたいになっちゃったわ(ToT)
非人道的な労働があったことは、胸をしめつけられる思いですね。
過酷な労働の中で多くの命が失われたのですから。
このような産業遺構をめぐると
「人命を軽視し、命の価値に差をつける」
このような行為が行われていた負の遺産をも、嫌でも同時に目の当たりにします。
二度と繰り返さないことを祈るばかりですね。
それよりも、現代でもコロナ禍で労働に変化が見られましたね。
リモートで出社しなくても仕事が出来るように...と。
これまで昭和から令和までの働き方もある意味、
未来の人からは「遺構」として感じられる日がくるのかしら(^_-)
「昔は大変だったよね~
月曜から金曜まで小さな箱にぎゅうぎゅうに
押し込められて(電車)職場に移動していたんだってよ。」
ってね・・・・。
Re: おはようございます。
チーママ散歩さん、おはようございます。
赤谷炭鉱、天候には恵まれずとも、雰囲気は十分感じられましたよ。大雨の中、ベストの動き方をされたと思います。それに、洞門の写真、ぬらりひょんがいたくお気に入りのようで、「やっぱりチーママ散歩は同族じゃった」とご満悦です。
人命の軽視は当時「犯罪者だから、貧しいから、自分たちとは違う文化や習慣があるから→自分たちとは違う→命の重さも違う」ということだったのだと思います。
人間の世界、様々な試行錯誤を重ねながらも良い方向に向かっていっていると信じたいです。あの時代があって、その反省があって今の時代がある。近代化遺産の意義はそれを忘れず、二度と繰り返さないため、という部分も大きいと思います。働き方にしても、これから随分変わってくると思います。その根っこにあるのは、人の痛みを自分のこととして感じることだったり、自分と違う立場や個性を認めることなのかな、と思います。
私も今は田舎暮らし(!)なのですっかり忘れていますが、東京にいたころの満員電車、忘れられません。数十年後は令和の遺物になっているかも。でも当時、足腰は鍛えられました(笑)
Deco2022年08月06日08時38分 返信する -
今回も勉強になりました
Deco様
マジェッドです。
今回も大牟田の炭鉱シリーズ、たいへん勉強になりました。
実は、Decoさんの旅行記に触発されて、先週の日曜日(7月31日)に大牟田で炭鉱巡りをしたところです。
大牟田市役所、笹林公園(三池炭山創業碑)、宮浦坑も電動自転車で訪れました。
その後、早鐘眼鏡橋→宮原坑と向かう予定が、どこでどう間違えたか、通町のセブンイレブンまで行ってしまうという大失態をやってしまいました。
Decoさんのような旅行記は、到底無理ですが、私も近いうちに旅行記に仕立ててみたいと思います。
今後ともよろしくお願いします。
マジェッドRe: 今回も勉強になりました
マジェッドさん、おはようございます。
過分なお褒めお言葉をいただきありがとうございます。
7月31日炭鉱巡り…暑い中大変でしたね。でも、電動自転車はベストの選択ですね。体力の消耗を避けて小回りがききますからね。
あまりメジャーとはいえない三池炭山創業碑も廻られたとは、下調べして行かれたことと思いますが…早鐘眼鏡橋と通町セブンイレブン、方向的には…体力消耗されたことと思います。ただ、セブンから宮原坑だと、大浦町のコンビナートを通られたかもしれませんが、それはまた貴重な経験だと思います。
私もほかの方が書かれた炭鉱の旅行記、楽しませていただき、参考にさせていただいています。人それぞれ、ルートも視点も感性も違う。だからこそ面白いと感じます。マジェッドさんの旅行記、楽しみにしています。何かお役に立てることがあったら、できるだけのことはしますので、なにかあったら気軽にご連絡くださいね。
Deco2022年08月06日08時22分 返信する -
笠さん、懐かしいです。そして渥美清さんの切ない思い出。
Decoさん
こんにちは!
笠さん、とても懐かしいです。お寺の御出身だったのですね。どおりで、私の記憶にあるドラマに出てくる笠さん、僧の役どころが多くて、今も凛としたお姿が目に浮かびます。正しいことを諭す笠さんが大好きでした。
今のドラマには居ない人ですよね~。
と、同時に渥美清さんの思い出があります。学生時代、お寺でアルバイトをしていたとき渥美清さんが来られ、上司が今ならサインと握手をしてもらえるから行っておいで~と言ってくれたので、走ってお願いに行きましたら、渥美清さん「今はプライベートな時間だからしません」と冷静に言われました。当時若い私はフウテンの寅さんのイメージで渥美清さんはとてもフレンドリーでコミカルな方というイメージだったのですが、
そこでの渥美清さんは笑顔はなく、厳粛なイメージで、臆病な私は凍りついてしまい
ました。俳優の顔ではないのですよね、あたりまえですが。
今、考えると、当然ですよね、プライベートでお寺を訪ねているのに、それを若い学生のミーハーなお願いは相当うざいです。。あとから、渥美清さんは信仰の篤い方だと知りました。そんな時間を邪魔したのだなぁ~と今は反省しきり。
軽く、上司の勧めなど、聞かなければ良かった~とちょっと苦い思い出なんです。
渥美清さんって、真面目でまっすぐで、嘘のない方なんだなぁ~と今も思います。
でも、お話できただけでも、良い思い出ですよね。もう40年も前の出来事でした。
ちょっぴり、恥ずかしい思い出でもあります。笑
明日からは8月です。
どうかこの爆発的なコロナ感染の中、無事に過ごされますように!!
できるだけの感染対策をして、旅を楽しみましょう、できるだけ。
いつもありがとうございます。
Re: 笠さん、懐かしいです。そして渥美清さんの切ない思い出。
Reiseさん、こんばんは。
私は寅さんが大好きで、渥美さんにも興味を持って、渥美さんと親しかったライターが書いた評伝を読んだことがあります。
あの寅さんのイメージとは正反対。かなり難しい人物で、陰影に富んだ人柄だったようです。決して明るいとかフレンドリーなどとは言えず、むしろ陰があり、とっつきにく人だったようです。だから、Reiseさんのお話をうかがて、なるほど、と思いました。
渥美さんは若い頃結核になって、相当苦しい思いをしたり、また戦後間もないことは実際にテキ屋をやったこともあったそうで、その人生経験も影響しているのかも知れません。今寅さんと渥美さんの演技を考えると、単に面白いだけでなくて、人生の苦さや哀しさなども併せて表現していて、本来の複雑な性格が演技にも出ていたのかも、とも思います。
渥美さんは公私を徹底して分ける人で、自分の私生活は表に見せなかったそうです。それは寅さんのイメージを壊さないようにすることもあったかも知れません。渥美さんの息子さんは文化放送に勤めていたそうですが、渥美さんが用事があって職場を訪れて、息子さんの同僚は、彼が「渥美清の息子」であることを初めて知ったそうです。それほどまでに公私を徹底して分けていたのですね。
俳優や芸能人の人たちにもいろんなタイプがいると思います。フレンドリーな人も多いと思いますが…Reiseさんはショックだったでしょうね。でも、国民的俳優の渥美清の素顔にふれたことは、非常に貴重で、滅多にできない経験だったと思います。あの人柄こそが、彼の演技の源だったのでしょうから。
Reiseさんの思い出のお話、寅さんファンの私にもとても貴重なお話でした。ありがとうございます。
Deco2022年07月31日19時16分 返信する渥美清さんについて深いお人柄を知りました。ありがとうございます。
Decoさん
おはようございます。
私の若い、いや苦い思い出にお付き合いいただいてありがとうございます。
Decoさんのお話を伺ったら、やはり様々な経験をされて、あの寅さんの演技に結びついていることがわかりました。関西でも古参の吉本の芸人さんたちも、修羅場をくぐり抜け、それでも私達を笑わせてくれる、そんな芸人さんもいました。
渥美さんのお人柄が一層理解できました。
ありがとうございます。(^^)
そして、またひとつ、サイン握手というと、思い出がありました。
高校生のころ、遠足で訪れた場所に、京塚正子さん(Decoさんはご存知ないかも、、、。)中村勘九郎さん(いまの中村勘九郎さんのお父さんです)そして
大竹しのぶさん、、、この三人が撮影をされていて、ちょうど休憩中のとき、
私達高校生がもう興奮しまくり、その中でも京塚正子さんが日本史の先生にそっくりだったものですから、一緒に写真撮影させていただき、(先生はかなり遠慮がち)私達は「サインをいただけますか?」と大竹しのぶさんを囲みましたら、
あの優しく柔らかい口調で、「あなたたたちにあげると、みーんなにあげないといけなくなるから、ごめんね〜」とやんわりと、お断りになりました。
そのやりとりをみていた、中村勘九郎さんが大笑いをしていたのを覚えています。
ほんわりとした雰囲気で、取り巻きの私達高校生のうるさいこと、、、。
でも、みんな、めちゃくちゃ嬉しくて、「夢のよう、、、」と今でも話しています。
私達高校生と引率の先生の大興奮のなか、お三人もずっと笑っておられて、
休憩中なのに、なんて厚かましかったのだろう〜と今も、こちらも苦い思い出なのですが、中村勘九郎さんや京塚正子さんの笑顔は私達の脳裏に焼き付いています。
そして、大竹しのぶさんも40以上も前のことです、ものすごく若くて可愛い人で
その甘い声も今も記憶にあります。
中村勘九郎さんはその後大ファンになりました。紳士的で、どこか茶目っ気があり、立ち振る舞いが、普通の人と違う、、、と感じたのを覚えています。
引率の先生は私達を制するどころか、ちゃっかりお写真を撮ったり、挨拶を交わしていました。その先生たちも大半は亡くなりました。
こちらも思い出しては笑ってしまいます。懐かしい、思い出です。
その京塚正子さんと日本史の先生二人のショットの写真を探しましたが、見つかりませんでした。でも、今でも私の脳裏にはあります。お二人は笑っていました。
先生は今でもお持ちか、この次聞いてみようと、思います。
ついついこんな思いでも書いてしまいました。
朝から失礼しました。
今週も楽しく安全な1週間になりますように!!
Reise
2022年08月01日07時15分 返信するRe: 笠さん、懐かしいです。そして渥美清さんの切ない思い出。
Reiseさん、昭和のお母さん・京塚さん、今は亡き先代勘九郎、今や大女優大竹しのぶのわかかりし頃、凄い3ショットですね。
大竹さん、その頃既に後の活躍を思わせるオーラがあったようですね。先代勘九郎、とても魅力的な役者でしたね。美男というだけでなく、なんとなく人間的な余裕、飄々とした感じがして。やっぱりそういう人としての幅みたいなものが、演技に関係してくるのでしょうね。
京塚さんにアタックした先生も、茶目っ気があって好奇心があって、良い先生だったのでしょうね。こういう先生と一緒に3ショットを経験したReiseさんが羨ましい(*^^)v
Deco2022年08月01日18時51分 返信する -
定林寺のあじさい・・
Decoさん、こんにちは。
定林寺のあじさい、綺麗でしたね(^_-)-☆
木漏れ日に自然に咲く青い紫陽花も駐車場付近の紫陽花も、ちょうど見頃に思いました。
後日行かれた時の紅いあじさいも、また見事で・・
人混みを感じることなく、お参りを兼ねて心和む時間を過ごされたのですね(^^♪
ふわっくま -
静かな、紫陽花寺、
こんばんは、Decoさん!!
なんて鮮やかな、ブルーでしょうね。
なかなかこれ程の蒼色の紫陽花、
見たことないかも!
今日はまた暑い日でしたので、涼を感じました。
静かな環境で、じっくり
紫陽花と向き合える贅沢ですね。
近所にあったら毎週行くかも(←やりかねない)
観光寺でないところも魅力ですね。
樽鮨さん、これまた
通いつめたくなる、お寿司屋さん、
美味しそう、お値段も、優しい( ^∀^)
Decoさんお勧めのお店は、
本当に行きたくなっちゃいますよ。
また教えてくださいませね、
ありがとうございました!!
コトラマダムRe: 静かな、紫陽花寺、
マダム、こんにちは。
表紙の青い紫陽花、駐車場に咲いていたものですが、あの鮮やかな蒼にはちょと感動しました。
定林寺は、子供の頃訪れたことがあって、その頃はもう少しお手入れされていたような記憶があります。ただ、今の雰囲気も観光化されず、自然な感じで良かったと思います。
樽鮨、消費税増税前は、にぎりが1000円を切るお値段だったのです。本当に普通のランチのお値段で食べられる寿司でした。今も諸物価高騰の中、値段を上げないように努力されているようです。今回は台風あけなどで、ネタに苦労されたかも知れませんが、もっと良いときもあります。
我が家はお財布に優しいお店ばかりを狙っていってるのですが(汗)、樽鮨さんも価格対比ではかなり良いお店です(*^^)v
Deco2022年07月26日16時04分 返信する -
お暑うございます・・いえ・・ブルブルでした。
おはようございます。
随分広いお寺さんですね?
今回はお一人ですか?
お母様歩けたかしらと?
すっかりDeco家の一員の気分で読ませて
いただいて途中心配になりました。
日の光の射す写真素敵ですね。
別の日の雨に濡れたあじさいもいいです。
やっぱりあじさいは雨が似合いますね。
祖門和尚の幽霊伝説。
お寺さんでもそういうの信じられているのですね。
お寺再建のために倹約してきて裏切られるなんて。
死んでまで許せない。怨念ってあるんですね。
怖い~。
その手のお話は苦手ですが、きちんとその後供養が
できてよかったですね。
蒸し暑い真夏の夜 ふと思い出してブルブルブル・・・。
トイレがいかに怖かったか!!!!
親友のぬらりひょん殿へお伝えください。
私にそのような霊気が及ばぬよう妖怪パワーで
お守りくださいと。
Re: お暑うございます・・いえ・・ブルブルでした。
チーママ散歩さん、こんばんは。
定林寺、本堂はそれほど大きくはないようですが、山裾のあじさいや、三池氏供養塔の周辺を含めると、確かに敷地は広いですね。
Deco家族は、一応本堂前のあじさいは見ましたが、さすがに山裾や供養塔はパスしました。
二回目の訪問は、本堂前も花が咲いているかな…と思ったのと、チーママさんが書かれたように、雨の中のあじさいを見たかったからです。
あじさいって、雨が絵になる数少ない花ですよね。
祖門和尚、周囲からは変人扱いされるほどに倹約に勤めて寺を修復しようとしただけに無念だったと思います。金を返さなかった家老の家は不幸に見舞われ、和尚を慰霊したらおさまったとか。
ぬらりひょんは、妖怪よりも人間の怨念の方が怖いと申しておりますが、チーママさんはがっちり守っていると豪語しておりました(笑)
Deco2022年07月25日18時19分 返信する



