はちのすけさんのクチコミ(3ページ)全3,564件
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投稿日 2025年03月22日
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投稿日 2025年03月22日
総合評価:3.0
「うきしろ」はJR三原駅に隣接している三原城(跡)の異名だ。満々と水をたたえた堀に囲まれているので城が水に浮いているように見えたという。うきしろロビーはイベントホールで、観光案内所はその一角にある。三原市の観光は、街中であればコンパクトに見どころがまとまっている一方で、道がとても狭い。サイクリングが便利だが、ここの観光案内所で自転車でレンタルしてくれる。訪れた2月は街中でひな人形を飾るイベントが繰り広げられており、案内所にもひな壇が展示されていた。
- 旅行時期
- 2025年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2025年03月15日
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投稿日 2025年03月15日
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投稿日 2025年03月13日
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投稿日 2025年03月13日
総合評価:3.0
三原四カ寺の一つで、三原浅野家三代目当主である浅野忠真の側室・月姫の菩提寺だ。月姫は江戸幕府三代将軍徳川家光のご落胤とされ、側室での輿入れは極めて異例。さらに月姫の輿入れで、さまざまな特典が与えられた。大善寺には将軍家の菩提寺である増上寺の寺号を贈られ、増上山大善寺と山号を改めたほか、三つ葉葵の使用が許された。同寺だけでなく、その恩恵は浅野家全体におよび、そのおかげで三原は栄えたとされる。境内にある月姫(月渓院)の墓所は門があるひときわ立派な宝篋印塔だ。案内柱には「側室」ではなく「四代当主の母」とある。
- 旅行時期
- 2025年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2025年03月13日
総合評価:3.5
二月中旬から三月上旬にかけて三原市の中心市街地で開かれるイベント。店舗、事務所、神社仏閣などの軒先にそれぞれのひな飾りを展示する。期間中、二日間に渡って行われるメインイベントは神社やお寺の参道石段をひな壇に見立てた「石のおひなさま」。長々と敷かれた毛せんの上に多数の石びなを飾っている。石びなは子供たちや地元の有志がこしらえたもので、どの顔もユニークだ。店舗の前もその家に伝わるひな飾りやこの日のためにこしらえたひな人形などが飾られ、じっくり見ると楽しい。
- 旅行時期
- 2025年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 催し物の規模:
- 3.0
- 雰囲気:
- 3.5
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投稿日 2025年03月11日
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投稿日 2025年03月10日
総合評価:3.5
天竜二俣駅舎内にあるレトロな売店だ。売店というよりも駅舎内の鉄道ショップと言った方がいい。天浜線関連のグッズでいっぱいだ。最近の〝売り〟はエヴァンゲリオン関連。手を変え、品を変え、いろいろだ。いずれもこの店でしか買えないだけに、オリジナリティーも高い。店が狭いので長居をしにくいが、そうでなければしばらく探索したい店内だ。
- 旅行時期
- 2025年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- お買い得度:
- 4.0
- サービス:
- 3.0
- 品揃え:
- 4.0
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投稿日 2025年03月10日
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投稿日 2025年03月10日
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投稿日 2025年03月06日
総合評価:3.5
非業の死を遂げた徳川家康の嫡男である信康の菩提寺だ。よく知られているように、織田信長から謀反の疑いを掛けられ、母の築山殿と自害して果てた。信康切腹時、この地に浄土宗の寺院がなく、庵があったこの地が埋葬地として選ばれ、その後、菩提寺として開創された。門前に清瀧の滝の流れを引き込んだ池があり、家康はこの流れを見て寺名を定め、清瀧寺殿という謚を秀康に与えた。
寺の本堂前には家康手植えとされるミカンの木(分木)があるほか、境内には本田宗一郎(ホンダ創業者)ゆかりの鐘楼がある。早弁したいがため、時を告げる鐘を早く鳴らした逸話が残る。- 旅行時期
- 2025年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2025年03月09日
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投稿日 2025年03月09日
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投稿日 2025年03月06日
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投稿日 2025年03月06日
総合評価:3.0
徳川家康の居城である浜松城にとって、二俣城は大切な防御拠点だった。それだけに通例の山城以上にさまざまな整備がなされているような気がする。あちこちに石垣が残されているからだ。その城跡が公園として整備されつつある。平地が急に持ち上がったようなかなり急峻な山で、野面積みの石垣があちこちに残されている。近年、二度にわたる大規模な発掘調査が行われ、全容が明らかになった。天守台のほか、非常にわかりやすい空堀、外掘りの役割を果たした天竜川など見どころが多い。
- 旅行時期
- 2025年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2025年03月03日
総合評価:3.0
鳥羽山城址を整備した公園だ。鳥羽山城は二俣城攻略のために使われていたが、家康の関東移封後、堀尾吉晴が入城。二つの城を一つの施設としてみなす別城一郭(別郭一城)とし、二俣城が戦闘施設、鳥羽山城は施迎賓館的な使い方をされた。現代でも鳥羽山城跡は公園整備がされているが、二俣城址はあまり人を寄せつけない雰囲気がある。この日は二俣城址から歩いて向かったが、現地に着いてみるとカップルが数組。自動車で登れるよう、道や駐車場が整備されていた。一角には展望台が設けられており、天竜川に架かる道路橋と鉄道橋など遠望を楽しむことができる。
- 旅行時期
- 2025年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2025年03月03日
総合評価:3.5
清瀧寺から歩いて向かったが、かなり急峻な道のりだ。山と言うよりも平地がボコッと持ち上がった大地のような感じだ.野面積みの石垣があちこちに残されている。小規模な山城にしてはかなり凝った造りだ。戦国期の山城である二俣城は天竜川に面した天然の要害で、今川、徳川、武田、豊臣各氏の争いの場となった。山頂には立派な天守台がある。武田氏と徳川氏の激しい攻防の中で築かれたと思われ、とても実戦的な建築物だったはずだ。この城が落ちれば浜松城の守備がなくなるため、徳川氏にとって生命線の城だった。天守台は上ることができる。今は木が生い茂り眺望はよくないが、往時は城下、天竜川などは展望できたはずだ。
- 旅行時期
- 2025年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2025年03月02日
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投稿日 2025年03月02日
総合評価:4.0
天竜浜名湖鉄道の天竜二俣駅には、蒸気機関車時代の転車台と扇形車庫、同鉄道の歴史的資料を展示する「鉄道歴史館」がある。見学するには同鉄道が主催する見学イベントに参加するのが条件だ。転車台は1937(昭和12)年に設置されたものだが、まだまだ現役。転車台とセットと言ってもいい扇形機関庫は1940(昭和15)年の建設で、全国に12カ所残存している扇形庫の一つ。鉄道歴史館は古い駅施設を活用したもので、歴代車両や記念列車のヘッドマークや古い駅施設、ジオラマ、模型、写真などが展示してあり、見応えがある。
- 旅行時期
- 2025年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 4.0

























































