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神田上水取水口の石柱

名所・史跡

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神田上水取水口の石柱 https://4travel.jp/dm_shisetsu/11353324

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施設情報

施設名
神田上水取水口の石柱
住所
  • 東京都文京区関口2-1 江戸川公園内
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡
登録者
tyatya さん

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

クチコミ(16件)

目白 観光 満足度ランキング 41位
3.31
アクセス:
3.57
東京メトロ有楽町線・江戸川橋駅1a出入口から徒歩5分程度です。 by hiroさん
人混みの少なさ:
4.11
訪れた際は、立ち止まって見る人はいませんでした。 by hiroさん
バリアフリー:
2.85
遺構の廻りは舗装されていません。 by hiroさん
見ごたえ:
2.86
江戸時代初期より江戸府内に生活用水を供給していた取水口の遺構です。 by hiroさん
  • 『神田上水取水口の石柱』は、文京区関口2丁目に位置する荒川水系の一級河川「神田川」に架かる「江戸川橋」北西側の袂を起点に「...  続きを読む神田川」に沿って北側(左岸側)部分を西側(上流方向)に向かっておよそ500メートルにわたり整備されている文京区立「江戸川公園」敷地内の一画(「大滝橋」と「一休橋」の中間付近)に残されている江戸時代に生活用水となる飲料水を供給するための上水道であった「神田上水取水口」の遺構です。
    ちなみに「神田上水」は、1590年(天正18年)に「徳川家康」が江戸入府した際の「江戸城」南側周辺に「日比谷入江」と呼ばれる海辺の湿地帯が広がるエリアが存在しており、井戸を掘っても塩分が混入し飲料水に適さない水質であることから「江戸城」を中心とした都市整備を進めるうえで重要課題であった生活用水となる飲料水を確保するために国内初の本格的な上水道として現在の神田・日本橋エリアへ「神田上水取水口」から「自然流下方式」と呼ばれる高低差を利用した開渠部分の開削水路と暗渠(地中埋設)部分となる配水管の役割をする木樋などを用いて供給する設備として整備が始り徳川幕府・第3代将軍「徳川家光」の時代となる1629年(寛永6年)ごろに整備が完了しています。
    「神田上水取水口」については、武蔵野台地の湧き水を水源とする「井の頭池」(現:井の頭恩賜公園)から発する「神田川」の流れに補助水源として「善福寺池」(現:善福寺公園)から発する「善福寺川」さらに「妙正寺池」(現:妙正寺公園)から発する「善福寺川」の流れが「神田川」と合流したところで現在の「神田川」に架かる「大滝橋」付近に取水口が設けられており、ここで「神田川」の水位を上げるための「大洗堰」を築き上水を取水口に導いています。
    また「江戸川公園」敷地内に残されている『神田上水取水口の石柱』は、1933年(昭和8年)まで「神田川」に残されていた「大洗堰」が撤去された際に取水口に導かれた上水を流水路に取り込む流水量を調節する設備であった「角落し」と呼ばれる板をはめ込むために設置されていた堰柱(石柱)となります。
    また「大洗堰」については、徳川幕府・第11代将軍「徳川家斉」の時代となる1810年(文化7年)から1830年(文政13年)に編纂された「新編武蔵風土記稿・16巻(豊島郡8)」の中で”石造り、長さ10間(約18メートル)、幅7間(約12.6メートル)、取水口8尺(約2.42メートル)余、側に水番人の小屋あり”と紹介されているほかに、同じく徳川幕府・第11代将軍「徳川家斉」の時代となる1836年(天保7年)に刊行された地誌「江戸名所図会・4巻(12冊)」の中で「大洗堰」全景が「目白下大洗堰」として堰からの流水が大滝のように流れ落ちる様子を描いた絵が紹介されています。
    そのほか『神田上水取水口の石柱』までのアクセスは、東京メトロ・有楽町線「江戸川橋駅」1a出入口から約400メートル(徒歩5分程度)となります。
    今回は、「江戸川橋」周辺エリアを訪れた際に「神田川」に沿って整備されている自転車・歩行者専用道路となる「神田川桜並木」および「江戸川公園」に立ち寄り、遺構である『神田上水取水口の石柱』および「神田川」などを写真撮影してみました。
    現在の「神田川」は、川底が深く両岸をコンクリート製護岸で築かれているため「江戸名所図会・4巻(12冊)」で紹介されている「大洗堰」をイメージすることができませんでしたが、『神田上水取水口の石柱』の遺構は江戸時代初期より重要な取水口として江戸府内に生活用水を供給していた当時の様子をイメージすることができました。
    『神田上水取水口の石柱』のある「江戸川公園」周辺は緑豊かな居心地のよいエリアで周辺を散策して廻ったり、休憩場所としてお勧めできます。
    このエリアの「神田川」沿いは桜の名所となっているので、機会があれば桜の咲く季節にまた周辺を散策して廻りたいと思います。  閉じる

    投稿日:2021/10/23

  • 江戸川公園の神田川沿いに保存されています

    • 3.0
    • 旅行時期:2021/06(約3年前)
    • 0

    東京メトロ有楽町線江戸川橋駅から徒歩10分程度、文京区関口2丁目の江戸川公園の神田川沿いに保存されています。徳川家康の命で...  続きを読む日本で最初の上水・神田上水が開かれ、井頭池からの流れをこの場所付近で堰を築き、水位を引き上げて神田や日本橋方面に水を流しました。ここに保存されている石柱は、大洗堰の取水口に上水の流水量を調整する役割の画落(かくおとし)と呼ばれた板をはめ込むための石柱だそうです。説明板が有ったので大事な役割を担った石柱と理解しましたが、まるで江戸川公園に無造作に置かれたオブジェの様でした。   閉じる

    投稿日:2023/04/02

  • 水上の流水量を調整

    • 2.0
    • 旅行時期:2021/01(約3年前)
    • 0

    江戸川沿いの遊歩道沿いにありました。水上の流水を調整するための橋の石碑です。現在は石の橋のような場所に、下が掘られでいまし...  続きを読むたが水が湿った態度に溜まり、大きな石垣いくつかありました。遊歩道に挟まれた場所です。  閉じる

    投稿日:2021/01/16

  • 手摺りかと思った

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/08(約5年前)
    • 0

    いかにも昭和の時代に立てられたような解説が隣にありました。しかし、この解説を読んでも、どれが石柱なのか分かりませんでした。...  続きを読むこれ、水がたまった場所の前にあるので、そこに落ちないように設置された手摺りかと思ってしまいました。  閉じる

    投稿日:2020/08/16

  • 水位調整のための板をはめ込んだ石柱

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/01(約5年前)
    • 0

    江戸時代に築かれた神田上水は関口にある大洗堰で水位を上げて市中に水を流していました。既に大洗堰は撤去されていますが、上水の...  続きを読む流水量を調整するための「角落」と呼ばれた板をはめ込むための石柱が江戸川公園内に残され、間近に見ることができました。当時使用されていたもので、人々の上水を守っていた神田上水の歴史を感じました。  閉じる

    投稿日:2019/01/27

  • 江戸の水道発祥の地

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/01(約5年前)
    • 0

    徳川家康が江戸に幕府を開くにあたり、飲用、生活用水を確保するため、井の頭池を水源とする神田川(当時の早川)を整備し、水道を...  続きを読むつくりました。神田川は自然河川ではありますが、その流路を整備し、さらにここ関口に大洗堰(大きな石で川を堰き止め、水位を上げる堰、余水が石の上を洗うように流れることから「洗い堰」と言い、その水が滝のように流れることから「大滝」とも呼ばれた)をつくって水位を上げ、北側に水路を引いて、江戸市内に配水しました。ここは、その大洗堰跡で、昭和初期まで残っていたというその堰の石組みの一部が公園内に残されています。さらに、少し下流の文京福祉センター前には、その水路跡のようすも一部保管、展示されています。  閉じる

    投稿日:2019/01/17

  • 建設にあたって、取水量の調整には古来からある「角落(かくおとし)の仕組みが造られたそうです。調整用の板を支える、現役だった...  続きを読む石を使ったという石組みがあります。でも、これを見て、取水口「大洗堰」を想像せよとはかなりの無理があると思います。もっと、単純に模型を示して貰った方が日本の水道の原点が分りやすいでしょうね。   閉じる

    投稿日:2018/11/29

  • あんまり有難味の感じられない石組みです。

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/11(約6年前)
    • 0

    江戸川公園の一画に大洗堰の取水口の様子だという石組みがありました。中心の目立つところに使われている石は本物とのことです。こ...  続きを読むの大洗堰では取水量の調整に高さを調整する板を使ったそうです。その仕組みは見られませんが、その板を支えた石柱の一部が今見られているものだそうです。でも、まったく臨場感がありませんから無駄なものの感じます。なお、余計に取り込みすぎた水はお茶の水辺りで放流されたそうですね。   閉じる

    投稿日:2018/11/22

  •  文京区関口2丁目の神田川北側沿いの東西に細長い区立江戸川公園内で近くに説明板が立ててはあるが、通路からやや奥なのと離れた...  続きを読むところからは分かり難く近くから見ても普通の水門位にしか見えないので気を付けてないと見逃してしまいそうです。
     説明板を見ると、この石柱は、この辺りにあった大洗堰の取水口に、上水の流水量を調整すために設けられた装置の石柱で、廃止により撤去された当時のものを移した とのこと。
     が、石柱と説明板を見ただけでは当時の様子など分からず、折角なので更に工夫して欲しい と思うところです。
     場所は、公園の東 (地下鉄・江戸川橋駅) 側から4分位来た右手の藤棚の次で、通路沿いに「大洗堰の由来碑について」の説明板などがある奥 (神田川の反対側) です。  閉じる

    投稿日:2018/08/04

  • 一見ブロックのようにも見えますが

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/01(約6年前)
    • 0

    神田上水取水口の石柱というのが江戸川公園の中にあるのですが、ちょっと分かりにくいかも。遊歩道の脇に古びた説明板があって、そ...  続きを読むれで気が付きました。
    ちなみに、神田上水は井の頭池を源流として延々と水を流していた水道です。一見ブロックのようにも見えますが、そこはちゃんとした石。水質にも配慮しているのだと思います。  閉じる

    投稿日:2018/02/01

  • ロマンが感じられます

    • 3.5
    • 旅行時期:2016/12(約7年前)
    • 0

    都電荒川線・早稲田駅から江戸川橋に向かって散策している途中、江戸川公園内で見つけました。石が組まれた池の端に、やはり石で造...  続きを読むられた小さな橋のようなものが残っています。神田川の下流に造られた堰に使われた石柱だということです。公園内には神田上水取水口大洗堰が築かれた場所に説明板も立っています。神田川の治水に尽力を尽くした大井玄洞や、神田上水を開いた大久保主水の功績が偲ばれるロマンが感じられる遺跡です。  閉じる

    投稿日:2016/12/23

  • 江戸川公園内にあり

    • 3.0
    • 旅行時期:2016/04(約8年前)
    • 0

    江戸の隅々に上水を供給するために椿山荘の前辺りに大洗堰を造りそこから神田上水取水口としたようです。江戸川公園内に大洗堰の石...  続きを読む柱のレプリカがあります。実際はもっと大きなものだと思われますが、だいたいのイメージがわかります。  閉じる

    投稿日:2016/04/10

  • 取水口の堰と石柱の跡が江戸川公園にあります

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/11(約9年前)
    • 0

    永青文庫に春画展を見に行くときに、
    神田川沿いの江戸川公園を抜けて行きました。
    そこには昔の上水の取水口の跡があり、
    ...  続きを読む
    堰や石柱の説明板があります。
    汚れて見えないような昭和13年の物もありました。
    神田川もだいぶきれいになって案内板のように多くの魚が戻ってきているようです。
      閉じる

    投稿日:2016/06/03

  • 神田上水取水口の石柱は江戸川公園の中にあります。横に文京区が設置した説明板があるのでわかりましたが、そうでなければ通り過ぎ...  続きを読むてしまう様な石柱なので注意して探してください。貴重な石柱だと認識されていないためか、桜見物の人がこの石柱をベンチ代わりにして座っていました。  閉じる

    投稿日:2015/04/29

  • 大洗堰跡を偲ばせる石柱

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/01(約10年前)
    • 0

    神田上水の堰であった大洗堰跡に残る石柱です。
    この堰ができた江戸自体当時は見物人も出るほど大掛かりな堰だったようですが今...  続きを読む残っている石柱は本当にこじんまりとしたもの。江戸川公園のちょっとしたオブジェという様子です。  閉じる

    投稿日:2014/01/19

  • 大洗堰跡の近くにあります。

    • 3.5
    • 旅行時期:2013/08(約11年前)
    • 0

    神田上水は大洗堰で水位を上げ、上水路で水戸上屋敷、現在の後楽園一帯に流し入れたそうです。そこから地下を通り、神田、日本橋方...  続きを読む面に給水されました。この大洗堰の取水口に、上水の水量を調節するため角落と呼ばれた板をはめ込むための脊柱が設けられたそうです。この石柱は、当時のもので、昭和八年に撤去されたものを移したそうで、親水公園の一部のようになっています。  閉じる

    投稿日:2013/09/14

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このスポットに関するQ&A(0件)

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