1. ホーム
  2. 国内旅行
  3. 関東地方
  4. 東京
  5. 目白
  6. 目白 観光
  7. 神田上水取水口「大洗堰」
目白×
旅行ガイド
観光
グルメ
ショッピング
交通
ホテル
航空券
旅行記

神田上水取水口「大洗堰」

名所・史跡

目白

このスポットの情報をシェアする

神田上水取水口「大洗堰」 https://4travel.jp/dm_shisetsu/11353323

クリップを編集する

ラベルを選ぶ

  • ラベルはまだありません

公開設定

施設情報

施設名
神田上水取水口「大洗堰」
住所
  • 東京都文京区関口2-1 大洗橋付近
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡
登録者
tyatya さん

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

クチコミ(28件)

目白 観光 満足度ランキング 23位
3.32
アクセス:
3.57
東京メトロ有楽町線・江戸川橋駅1a出入口から徒歩7分程度です。 by hiroさん
人混みの少なさ:
3.86
神田川沿いの自転車・歩行者専用道路(神田川桜並木)を通行する人は常にいますが、気になる程ではありません。 by hiroさん
バリアフリー:
3.25
神田川沿いの自転車・歩行者専用道路(神田川桜並木)に段差はありません。 by hiroさん
見ごたえ:
2.98
現在の神田川からは、当時の大洗堰から流水が滝のように 流れ落ちる面影を感じることはできませんでした。 by hiroさん
  • 神田上水取水口大洗堰跡

    • 3.5
    • 旅行時期:2021/09(約3年前)
    • 0

    神田上水取水口大洗堰跡は江戸川橋駅から徒歩5分ほどの所の江戸川公園内にあります。
    神田川沿いにある史跡で看板が立っていま...  続きを読むす。
    徳川家康が江戸に入った天正18年の少し後に開かれました。井の頭池を水源とし、 明治34年に閉鎖されるまで江戸・東京の人びとに飲用水を供給しました。
    昔の遺構として、辛うじて分かる程度です。  閉じる

    投稿日:2021/09/26

  • 国内初の本格的な上水道の取水口跡です!

    • 3.5
    • 旅行時期:2021/08(約3年前)
    • 2

    『神田上水取水口・大洗堰』は、1590年(天正18年)に「豊臣秀吉」による小田原征伐により領地替えとなった「徳川家康」が江...  続きを読む戸入りの際に「江戸城」周辺に上水(生活用水)を引き込む「小石川上水」として整備が開始され、徳川幕府・第3代将軍「徳川家光」の時代となる1629年(寛永6年)ごろに整備が完了したと伝えられる国内初の本格的な上水道である『神田上水』の取水口として現在の文京区関口付近の「神田川」に架かる「小滝橋」あたりに川の水位を上げるために築かれていた堰です。
    ちなみに「徳川家康」が江戸入りした当時の「江戸城」南側周辺には、「日比谷入江」と呼ばれる海辺の湿地帯が広がるエリアが存在し、井戸を掘っても塩分が混入し飲料水に適さない水質であることから「江戸城」を中心とした都市整備を進めるうえで生活用水となる飲料水の確保が重要課題となっていました。
    『神田上水』概要は、武蔵野台地の湧き水を水源とする「井の頭池」(現:井の頭恩賜公園)から発する「神田川」の流れに補助水源として「善福寺池」(現:善福寺公園)から発する「善福寺川」さらに「妙正寺池」(現:妙正寺公園)から発する「善福寺川」の流れが「神田川」と合流してから『神田上水取水口』に上水を取り込むために『大洗堰』が築かれ、「神田川」から取り込まれた上水は、「自然流下方式」と呼ばれる高低差を利用した開渠部分の開削水路を流れ途中で「水戸徳川家・江戸上屋敷」(現:小石川後楽園)敷地内を通過したのちに現在の千代田区と文京区の区境を流れる「神田川」に架かる「白山通り(東京都道301号)」の「水道橋」から約100メートル下流部分で「神田川」上部を跨いで上水を流す橋の役割となる木製懸樋を渡し、そこから先は暗渠(地中埋設)部分となり配水管の役割となる木樋などを用いて神田・日本橋方面に拡張しながら上水が供給されています。
    『神田上水取水口・大洗堰』の建設時期は定かではありませんが、徳川幕府・第11代将軍「徳川家斉」の時代となる1836年(天保7年)に刊行された地誌「江戸名所図会・4巻(12冊)」の中で『大洗堰』全景が「目白下大洗堰」として堰から流水が大滝のように流れ落ちる様子を描いた絵が紹介されています。
    そのほか『大洗堰』の規模についても徳川幕府・第11代将軍「徳川家斉」の時代となる1810年(文化7年)から1830年(文政13年)に編纂された「新編武蔵風土記稿・16巻(豊島郡8)」の中で”石造り、長さ10間(約18メートル)、幅7間(約12.6メートル)、取水口8尺(約2.42メートル)余、側に水番人の小屋あり”と紹介されています。
    江戸から東京市となった明治期の1901年(明治34年)に近代水道の敷設が完了すると上水を供給する『神田上水』の役割が終了し、「水戸徳川家・江戸上屋敷」跡地にできた「東京砲兵工廠 (兵器工場)」へ工業用水の供給に代わりましたが、「東京砲兵工廠 (兵器工場)」が1931年(昭和6年)から1935年(昭和10年)まで段階的に九州「小倉工廠」に移転したことに伴い工業用水の供給が1933年(昭和8年)に廃止され『大洗堰』が撤去されています。
    今回は、「江戸川橋」周辺エリアを訪れた際に歩行者専用の「小滝橋」を渡り、橋の袂に設置されいる「神田上水取水口大洗堰跡 区指定史跡」案内板で『大洗堰』跡であることが確認できましたが、川底が深く両岸をコンクリート製護岸で築かれている現在の「神田川」からは、「江戸名所図会・4巻(12冊)」に描かれている『大洗堰』から流水が大滝のように流れ落ちる面影を感じることはできませんでした。
    この辺りの「神田川」は、川に沿って「神田川桜並木」として自転車・歩行者専用道路とあわせて「江戸川公園」が整備されているので、次回は桜の花が咲く季節に花見として立ち寄ってみたいと思います。
    また「江戸川公園」敷地内の一画には、『大洗堰』遺構の一部となる「神田上水取水口の石柱」が残されており、こちらは当時の『神田上水取水口』をイメージすることができました。  閉じる

    投稿日:2021/09/04

  • 文京区関口2丁目の江戸川公園内にあります

    • 3.0
    • 旅行時期:2021/05(約3年前)
    • 0

    東京メトロ有楽町線江戸川橋駅から徒歩15分程度、文京区関口2丁目の江戸川公園内の神田川沿いに大洗堰跡の遺構が保存されていて...  続きを読む、近くに説明板が立っています。徳川家康の命で日本で最初の上水・神田上水が開かれ、井頭池からの流れをこの場所付近で堰を築き、水位を引き上げて神田や日本橋方面に水を流していたそうです。神田川の水位を大洗堰で上げていた事、今回初めて知りました。   閉じる

    投稿日:2023/04/02

  • 歴史

    • 4.0
    • 旅行時期:2021/05(約3年前)
    • 0

    江戸川橋駅から歩いて数分のところにあります。神田川上水を歴史を学び得ることができる記念碑です。現在は橋がかかっていて、面影...  続きを読むはないですが、ここに取水口があったと思うと、歴史を感じますね。この記念碑を見た後に神田川沿いを歩くと感慨深いものがありました。  閉じる

    投稿日:2021/06/19

  • 現在は橋が架かる

    • 2.5
    • 旅行時期:2021/01(約3年前)
    • 0

    徳川家康が江戸入り直後からに井の頭池からいくつか流れを合わせて引っ張ってきた取口水跡です。現在は神田川が平地よりかなり下に...  続きを読むあり、橋が掛かっている付近に跡がありました。大正時代には水質、水量とも悪くなったとのことでした。  閉じる

    投稿日:2021/01/16

  • 石柱を設けたところ

    • 3.0
    • 旅行時期:2020/06(約4年前)
    • 0

    神田上水を流れる水量を調節するため「角落」という板をはめこむための石柱があります。石柱は鳥居のように見えますが、使用してい...  続きを読むない余った水を川に戻したということから水を大切していたことがわかります。
    しっかりとした解説板から日本初の上水を誇りに思う郷土愛を感じます。  閉じる

    投稿日:2020/06/30

  • 江戸時代の歴史のひとこま

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/08(約5年前)
    • 0

    江戸川公園をぶらぶらと川沿いに散歩していてこの碑を見つけました。碑じたいはちょっと文字が読みにくくなっていたのですが、それ...  続きを読むに代わる新しめな説明書きがあったので、分かりやすかったです。江戸の歴史のひとこまが垣間見えます。  閉じる

    投稿日:2020/08/16

  • 過去の江戸の繁栄に、神田川の存在があった

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/05(約5年前)
    • 0

    神田上水取水口「大洗堰」は、ホテル椿山荘から江戸川橋方面へ神田川ぞいに歩いていくと、写真の説明板があります。過去の江戸の繁...  続きを読む栄に、神田川の存在があったことを、説明板を読みながら感じられます。オススメの観光アトラクションです。
      閉じる

    投稿日:2019/05/28

  • 神田上水の歴史を知る

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/01(約5年前)
    • 0

    神田川沿いにある江戸川公園を訪れた際に、大滝橋付近に「大洗堰」の説明板を見つけました。江戸時代に重要な飲用水だった神田上水...  続きを読むは、井の頭池を水源として大滝橋付近に設けられた大洗堰で水位を上げて江戸市中に流されていたそうです。昭和8年に廃止されましたが、園内には史跡もあり神田上水の歴史を知ることができました。  閉じる

    投稿日:2019/01/27

  • 現在の状況からはまったく想像も出来ません。

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/11(約5年前)
    • 0

    江戸川公園の中程に石組があり、すこし水の蓄えられたところがあります。その横にほとんど文字の読み取れない「神田上水○蹟碑記」...  続きを読むがありました。ここには大洗堰の由来が書かれているそうで、右横に「目白台・関口の歴史/大洗堰の由来碑の案内」がありました。当時の絵も記されていて、大洗堰は大滝の様だと表現されるほどのものだったそうですが、現在の状況からはまったく想像も出来ません。   閉じる

    投稿日:2018/11/29

  • 胸突坂横にある水神社が守り続けた堰です。

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/11(約5年前)
    • 0

    江戸川公園の一画に大洗堰の由来碑がありました。江戸時代に神田川から神田上水として神田や日本橋方面への取水堰が大洗堰と呼ばれ...  続きを読むていたものです。この堰が出来た時から江戸時代を通じ、さらに昭和8年に廃止されるまで、胸突坂横に祀られた水神社が、ずっと守り続けてきたのは大洗堰です。大きな事故が起きなかったことはご利益があったのですね。   閉じる

    投稿日:2018/11/22

  •  文京区関口2丁目の神田川北側沿いの東西に細長い区立江戸川公園の大滝橋脇の通路沿いに、かつて大洗堰があった辺りとのことで「...  続きを読む神田上水取水口大洗堰跡 区指定史跡」の説明板が立ててあるのみです。
     この説明板は、神田上水について記されているが、大洗堰跡については特に触れられていないです。
     むしろ、ここから100m位東側の通路沿いにある「大洗堰の由来碑について」の説明板などの方が分かり易いと思うので、こちらもご覧になることをお勧めしたいです。  閉じる

    投稿日:2018/08/04

  • 案内板が昔の様子を伝えるのみ

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/05(約6年前)
    • 33

    神田川沿いを歩いていると、江戸川公園にこの案内板を見つけました。場所としては椿山荘の下の神田川沿いの遊歩道になります。神田...  続きを読む川から取水して生活用水として使うのは戦前に役目を終えているため、今では大洗堰跡の説明板が立っているだけです。石碑のすぐ脇には神田上水の取水口のレプリカが造られており、取水口に使われている石材は実際に使用されていたものを使っているそうで、当時の様子をうかがうことが出来ました。
      閉じる

    投稿日:2018/06/29

  • 昭和8年まであったようです

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/01(約6年前)
    • 1

    神田上水取水口「大洗堰」は、江戸川公園の入口に大洗堰跡という説明板があるのですが、ここがその場所というピンポイントでの位置...  続きを読むはよく分かりませんでした。この辺りといった漠とした感じです。ただ、傍らには今でも神田川が流れているし、ここで上水が二分され、内堀の江戸屋敷などに水を送っていたという役割はよく分かりました。昭和8年まであったようです。  閉じる

    投稿日:2018/02/01

  • 江戸川公園にありました

    • 3.0
    • 旅行時期:2017/04(約7年前)
    • 0

    神田川に沿った江戸川公園を歩いていたら小さな橋の脇に文京区教育委員会による説明板が立っていました。
    今となっては想像でき...  続きを読むませんがこのあたりに川を分水するための堰があったそうです。
    このような史跡に分かり易い案内板を残す文京区の試みは貴重だと思いました。   閉じる

    投稿日:2017/04/07

  • 説明板があります

    • 3.5
    • 旅行時期:2016/12(約7年前)
    • 0

    江戸川橋駅そばの江戸川公園内に大洗堰についての説明板が2か所立っています。この辺りに神田川の水をせき止めて江戸の水道につな...  続きを読むいだ堰がありました。それを公園内浅い水場に一部復元されています。復元された堰を見ても説明板に図解がないのでどのようにして神田川の水を堰き止めたかよく分かりませんでした。大滝橋のそばに立っている説明板には大洗堰が上水道として最古の神田上水の取水口だったことが記されています。江戸川公園には神田上水と治水事業についての石碑・治水事業を行った大井玄洞の胸像があり、上水道の歴史を知ることができます。椿山荘の庭園や新江戸川公園と共に訪れることをお薦めします。  閉じる

    投稿日:2016/12/24

  • お水の分かれ目

    • 3.0
    • 旅行時期:2016/12(約7年前)
    • 0

    江戸川公園内にある この跡。
    神田川上水の堰があったところで、二分された余水は江戸川へ落とされ、他は上水として水戸殿に給...  続きを読む水されたそう。昭和8年に取水口はふさがれてしまったそうですが 今もそうであった雰囲気を感じられる小川が流れていました。  閉じる

    投稿日:2016/12/21

  • 大洗堰

    • 3.0
    • 旅行時期:2016/04(約8年前)
    • 0

    神田川周辺の桜巡りをした際案内板を見つけました。
    椿山荘の前辺りにかつて大洗堰を造り神田上水取水口としたようです。ここか...  続きを読むら水戸藩の屋敷(現在の小石川後楽園)を通り江戸中に上水を供給していたようです。近くに堰のレプリカがありますのでそちらも合わせて見られるといいです。  閉じる

    投稿日:2016/04/10

  • 神田川から飲み水を引き入れていたのですね

    • 4.0
    • 旅行時期:2015/11(約8年前)
    • 0

    江戸川公園の近くの神田川には、神田上水取水口大洗堰跡がありました。
    昔、堰どめて水を取り入れていた記念で、
    石柱が残っ...  続きを読むているとか。
    他にも神田川に住んでいる魚が載っていましたが、
    神田川クルーズというショートツアーがあるのですね。
    神田川も綺麗になったのでしょうか。  閉じる

    投稿日:2016/06/01

  • 木陰の多いところ

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/08(約9年前)
    • 0

    この暑い中、散策をしていると熱射病にならないか心配になりますが、この辺りは木陰が多くて涼んでいる人がいます。
    江戸川公園...  続きを読むの中にあり、近くには石組みの池があります。
    神田上水は改修工事に置いて、松尾芭蕉も携わったとのことで、付近に芭蕉庵が復元されています。ぜひそこまで立ち寄りましょう。  閉じる

    投稿日:2015/08/20

1件目~20件目を表示(全28件中)

  1. 1
  2. 2

このスポットに関するQ&A(0件)

神田上水取水口「大洗堰」について質問してみよう!

目白に行ったことがあるトラベラーのみなさんに、いっせいに質問できます。

  • かみめぐろさん

    かみめぐろさん

  • 1500さん

    1500さん

  • hiroさん

    hiroさん

  • kyアガタさん

    kyアガタさん

  • teraさん

    teraさん

  • ディアーヌさん

    ディアーヌさん

  • …他

周辺のおすすめホテル

目白 ホテルランキングを見る

東京 ホテルランキングを見る

このスポットで旅の計画を作ってみませんか?

行きたいスポットを追加して、しおりのように自分だけの「旅の計画」が作れます。
クリップ したスポットから、まとめて登録も!

PAGE TOP