神田上水取水口「大洗堰」
名所・史跡
3.32
クチコミ・評判
1~20件(全26件中)
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神田上水取水口大洗堰跡
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- 旅行時期:2021/09(約4年前)
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国内初の本格的な上水道の取水口跡です!
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- 旅行時期:2021/08(約4年前)
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『神田上水取水口・大洗堰』は、1590年(天正18年)に「豊臣秀吉」による小田原征伐により領地替えとなった「徳川家康」が江... 続きを読む戸入りの際に「江戸城」周辺に上水(生活用水)を引き込む「小石川上水」として整備が開始され、徳川幕府・第3代将軍「徳川家光」の時代となる1629年(寛永6年)ごろに整備が完了したと伝えられる国内初の本格的な上水道である『神田上水』の取水口として現在の文京区関口付近の「神田川」に架かる「小滝橋」あたりに川の水位を上げるために築かれていた堰です。
ちなみに「徳川家康」が江戸入りした当時の「江戸城」南側周辺には、「日比谷入江」と呼ばれる海辺の湿地帯が広がるエリアが存在し、井戸を掘っても塩分が混入し飲料水に適さない水質であることから「江戸城」を中心とした都市整備を進めるうえで生活用水となる飲料水の確保が重要課題となっていました。
『神田上水』概要は、武蔵野台地の湧き水を水源とする「井の頭池」(現:井の頭恩賜公園)から発する「神田川」の流れに補助水源として「善福寺池」(現:善福寺公園)から発する「善福寺川」さらに「妙正寺池」(現:妙正寺公園)から発する「善福寺川」の流れが「神田川」と合流してから『神田上水取水口』に上水を取り込むために『大洗堰』が築かれ、「神田川」から取り込まれた上水は、「自然流下方式」と呼ばれる高低差を利用した開渠部分の開削水路を流れ途中で「水戸徳川家・江戸上屋敷」(現:小石川後楽園)敷地内を通過したのちに現在の千代田区と文京区の区境を流れる「神田川」に架かる「白山通り(東京都道301号)」の「水道橋」から約100メートル下流部分で「神田川」上部を跨いで上水を流す橋の役割となる木製懸樋を渡し、そこから先は暗渠(地中埋設)部分となり配水管の役割となる木樋などを用いて神田・日本橋方面に拡張しながら上水が供給されています。
『神田上水取水口・大洗堰』の建設時期は定かではありませんが、徳川幕府・第11代将軍「徳川家斉」の時代となる1836年(天保7年)に刊行された地誌「江戸名所図会・4巻(12冊)」の中で『大洗堰』全景が「目白下大洗堰」として堰から流水が大滝のように流れ落ちる様子を描いた絵が紹介されています。
そのほか『大洗堰』の規模についても徳川幕府・第11代将軍「徳川家斉」の時代となる1810年(文化7年)から1830年(文政13年)に編纂された「新編武蔵風土記稿・16巻(豊島郡8)」の中で”石造り、長さ10間(約18メートル)、幅7間(約12.6メートル)、取水口8尺(約2.42メートル)余、側に水番人の小屋あり”と紹介されています。
江戸から東京市となった明治期の1901年(明治34年)に近代水道の敷設が完了すると上水を供給する『神田上水』の役割が終了し、「水戸徳川家・江戸上屋敷」跡地にできた「東京砲兵工廠 (兵器工場)」へ工業用水の供給に代わりましたが、「東京砲兵工廠 (兵器工場)」が1931年(昭和6年)から1935年(昭和10年)まで段階的に九州「小倉工廠」に移転したことに伴い工業用水の供給が1933年(昭和8年)に廃止され『大洗堰』が撤去されています。
今回は、「江戸川橋」周辺エリアを訪れた際に歩行者専用の「小滝橋」を渡り、橋の袂に設置されいる「神田上水取水口大洗堰跡 区指定史跡」案内板で『大洗堰』跡であることが確認できましたが、川底が深く両岸をコンクリート製護岸で築かれている現在の「神田川」からは、「江戸名所図会・4巻(12冊)」に描かれている『大洗堰』から流水が大滝のように流れ落ちる面影を感じることはできませんでした。
この辺りの「神田川」は、川に沿って「神田川桜並木」として自転車・歩行者専用道路とあわせて「江戸川公園」が整備されているので、次回は桜の花が咲く季節に花見として立ち寄ってみたいと思います。
また「江戸川公園」敷地内の一画には、『大洗堰』遺構の一部となる「神田上水取水口の石柱」が残されており、こちらは当時の『神田上水取水口』をイメージすることができました。 閉じる投稿日:2021/09/04
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文京区関口2丁目の江戸川公園内にあります
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- 旅行時期:2021/05(約5年前)
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歴史
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- 旅行時期:2021/05(約5年前)
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現在は橋が架かる
- 2.5
- 旅行時期:2021/01(約5年前)
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石柱を設けたところ
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- 旅行時期:2020/06(約6年前)
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過去の江戸の繁栄に、神田川の存在があった
- 3.5
- 旅行時期:2019/05(約7年前)
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神田上水の歴史を知る
- 3.5
- 旅行時期:2019/01(約7年前)
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現在の状況からはまったく想像も出来ません。
- 3.0
- 旅行時期:2018/11(約7年前)
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胸突坂横にある水神社が守り続けた堰です。
- 3.0
- 旅行時期:2018/11(約7年前)
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「神田上水取水口大洗堰跡」の説明板が立ててあるのみです
- 3.0
- 旅行時期:2018/08(約7年前)
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案内板が昔の様子を伝えるのみ
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- 旅行時期:2018/05(約8年前)
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昭和8年まであったようです
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- 旅行時期:2018/01(約8年前)
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江戸川公園にありました
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- 旅行時期:2017/04(約9年前)
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説明板があります
- 3.5
- 旅行時期:2016/12(約9年前)
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江戸川橋駅そばの江戸川公園内に大洗堰についての説明板が2か所立っています。この辺りに神田川の水をせき止めて江戸の水道につな... 続きを読むいだ堰がありました。それを公園内浅い水場に一部復元されています。復元された堰を見ても説明板に図解がないのでどのようにして神田川の水を堰き止めたかよく分かりませんでした。大滝橋のそばに立っている説明板には大洗堰が上水道として最古の神田上水の取水口だったことが記されています。江戸川公園には神田上水と治水事業についての石碑・治水事業を行った大井玄洞の胸像があり、上水道の歴史を知ることができます。椿山荘の庭園や新江戸川公園と共に訪れることをお薦めします。 閉じる
投稿日:2016/12/24
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お水の分かれ目
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- 旅行時期:2016/12(約9年前)
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大洗堰
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- 旅行時期:2016/04(約10年前)
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神田川から飲み水を引き入れていたのですね
- 4.0
- 旅行時期:2015/11(約10年前)
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木陰の多いところ
- 3.5
- 旅行時期:2015/08(約10年前)
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大洗堰をしのぶものは神田上水取水口の石柱ぐらいしかありませんでした
- 3.0
- 旅行時期:2015/03(約11年前)
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