神田上水取水口の石柱
名所・史跡
3.31
クチコミ・評判
1~15件(全15件中)
-
江戸時代初期より江戸府内に生活用水を供給していた取水口の遺構です!
- 3.5
- 旅行時期:2021/08(約4年前)
- 2
『神田上水取水口の石柱』は、文京区関口2丁目に位置する荒川水系の一級河川「神田川」に架かる「江戸川橋」北西側の袂を起点に「... 続きを読む神田川」に沿って北側(左岸側)部分を西側(上流方向)に向かっておよそ500メートルにわたり整備されている文京区立「江戸川公園」敷地内の一画(「大滝橋」と「一休橋」の中間付近)に残されている江戸時代に生活用水となる飲料水を供給するための上水道であった「神田上水取水口」の遺構です。
ちなみに「神田上水」は、1590年(天正18年)に「徳川家康」が江戸入府した際の「江戸城」南側周辺に「日比谷入江」と呼ばれる海辺の湿地帯が広がるエリアが存在しており、井戸を掘っても塩分が混入し飲料水に適さない水質であることから「江戸城」を中心とした都市整備を進めるうえで重要課題であった生活用水となる飲料水を確保するために国内初の本格的な上水道として現在の神田・日本橋エリアへ「神田上水取水口」から「自然流下方式」と呼ばれる高低差を利用した開渠部分の開削水路と暗渠(地中埋設)部分となる配水管の役割をする木樋などを用いて供給する設備として整備が始り徳川幕府・第3代将軍「徳川家光」の時代となる1629年(寛永6年)ごろに整備が完了しています。
「神田上水取水口」については、武蔵野台地の湧き水を水源とする「井の頭池」(現:井の頭恩賜公園)から発する「神田川」の流れに補助水源として「善福寺池」(現:善福寺公園)から発する「善福寺川」さらに「妙正寺池」(現:妙正寺公園)から発する「善福寺川」の流れが「神田川」と合流したところで現在の「神田川」に架かる「大滝橋」付近に取水口が設けられており、ここで「神田川」の水位を上げるための「大洗堰」を築き上水を取水口に導いています。
また「江戸川公園」敷地内に残されている『神田上水取水口の石柱』は、1933年(昭和8年)まで「神田川」に残されていた「大洗堰」が撤去された際に取水口に導かれた上水を流水路に取り込む流水量を調節する設備であった「角落し」と呼ばれる板をはめ込むために設置されていた堰柱(石柱)となります。
また「大洗堰」については、徳川幕府・第11代将軍「徳川家斉」の時代となる1810年(文化7年)から1830年(文政13年)に編纂された「新編武蔵風土記稿・16巻(豊島郡8)」の中で”石造り、長さ10間(約18メートル)、幅7間(約12.6メートル)、取水口8尺(約2.42メートル)余、側に水番人の小屋あり”と紹介されているほかに、同じく徳川幕府・第11代将軍「徳川家斉」の時代となる1836年(天保7年)に刊行された地誌「江戸名所図会・4巻(12冊)」の中で「大洗堰」全景が「目白下大洗堰」として堰からの流水が大滝のように流れ落ちる様子を描いた絵が紹介されています。
そのほか『神田上水取水口の石柱』までのアクセスは、東京メトロ・有楽町線「江戸川橋駅」1a出入口から約400メートル(徒歩5分程度)となります。
今回は、「江戸川橋」周辺エリアを訪れた際に「神田川」に沿って整備されている自転車・歩行者専用道路となる「神田川桜並木」および「江戸川公園」に立ち寄り、遺構である『神田上水取水口の石柱』および「神田川」などを写真撮影してみました。
現在の「神田川」は、川底が深く両岸をコンクリート製護岸で築かれているため「江戸名所図会・4巻(12冊)」で紹介されている「大洗堰」をイメージすることができませんでしたが、『神田上水取水口の石柱』の遺構は江戸時代初期より重要な取水口として江戸府内に生活用水を供給していた当時の様子をイメージすることができました。
『神田上水取水口の石柱』のある「江戸川公園」周辺は緑豊かな居心地のよいエリアで周辺を散策して廻ったり、休憩場所としてお勧めできます。
このエリアの「神田川」沿いは桜の名所となっているので、機会があれば桜の咲く季節にまた周辺を散策して廻りたいと思います。 閉じる投稿日:2021/10/23
-
江戸川公園の神田川沿いに保存されています
- 3.0
- 旅行時期:2021/06(約5年前)
- 0
-
水上の流水量を調整
- 2.0
- 旅行時期:2021/01(約5年前)
- 0
-
-
水位調整のための板をはめ込んだ石柱
- 3.5
- 旅行時期:2019/01(約7年前)
- 0
-
江戸の水道発祥の地
- 3.5
- 旅行時期:2019/01(約7年前)
- 0
徳川家康が江戸に幕府を開くにあたり、飲用、生活用水を確保するため、井の頭池を水源とする神田川(当時の早川)を整備し、水道を... 続きを読むつくりました。神田川は自然河川ではありますが、その流路を整備し、さらにここ関口に大洗堰(大きな石で川を堰き止め、水位を上げる堰、余水が石の上を洗うように流れることから「洗い堰」と言い、その水が滝のように流れることから「大滝」とも呼ばれた)をつくって水位を上げ、北側に水路を引いて、江戸市内に配水しました。ここは、その大洗堰跡で、昭和初期まで残っていたというその堰の石組みの一部が公園内に残されています。さらに、少し下流の文京福祉センター前には、その水路跡のようすも一部保管、展示されています。 閉じる
投稿日:2019/01/17
-
もうちょっと本物らしく再現出来ないのでしょうか?
- 3.0
- 旅行時期:2018/11(約7年前)
- 0
-
あんまり有難味の感じられない石組みです。
- 3.0
- 旅行時期:2018/11(約7年前)
- 0
-
-
説明板があるものの分かり難い石柱では と思います
- 3.0
- 旅行時期:2018/08(約7年前)
- 0
文京区関口2丁目の神田川北側沿いの東西に細長い区立江戸川公園内で近くに説明板が立ててはあるが、通路からやや奥なのと離れた... 続きを読むところからは分かり難く近くから見ても普通の水門位にしか見えないので気を付けてないと見逃してしまいそうです。
説明板を見ると、この石柱は、この辺りにあった大洗堰の取水口に、上水の流水量を調整すために設けられた装置の石柱で、廃止により撤去された当時のものを移した とのこと。
が、石柱と説明板を見ただけでは当時の様子など分からず、折角なので更に工夫して欲しい と思うところです。
場所は、公園の東 (地下鉄・江戸川橋駅) 側から4分位来た右手の藤棚の次で、通路沿いに「大洗堰の由来碑について」の説明板などがある奥 (神田川の反対側) です。 閉じる投稿日:2018/08/04
-
一見ブロックのようにも見えますが
- 3.5
- 旅行時期:2018/01(約8年前)
- 0
-
ロマンが感じられます
- 3.5
- 旅行時期:2016/12(約9年前)
- 0
-
江戸川公園内にあり
- 3.0
- 旅行時期:2016/04(約10年前)
- 0
-
取水口の堰と石柱の跡が江戸川公園にあります
- 3.5
- 旅行時期:2015/11(約10年前)
- 0
-
桜見物の人が石柱をベンチ代わりにして座っていました
- 3.0
- 旅行時期:2015/03(約11年前)
- 0
-
大洗堰跡を偲ばせる石柱
- 3.0
- 旅行時期:2014/01(約12年前)
- 0
-
大洗堰跡の近くにあります。
- 3.5
- 旅行時期:2013/08(約12年前)
- 0
1件目~15件目を表示(全15件中)
投稿写真
基本情報(地図・住所)
このスポットに関するQ&A(0件)
神田上水取水口の石柱について質問してみよう!
目白に行ったことがあるトラベラーのみなさんに、いっせいに質問できます。
-
かみめぐろさん
-
hiroさん
-
teraさん
-
ブラリさん
-
Keiichi Fukudaさん
-
旅好者さん
- …他
周辺スポット
周辺のおすすめホテル
-
地図で見る