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戦国時代が好きな夫にとっては、中山道歩きの最大のイベントとも言える関ヶ原古戦場。<br />ついに、来ることができました。<br />2021年12月からスターとした中山道歩き、長い道のりだったなあと感慨深げな夫ですが<br />中山道はまだ続きますよ!<br />ぐちゃぐちゃ言わずに「オレについてこい!!」<br />って、どっちが夫でどっちが妻?な我が家。<br /><br /><br /><br />(61話)

【中山道】22-6 (39日目)関ヶ原古戦場が終わっても中山道は終わらない。オレについてこい! (59番今須宿)

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2024/01/14 - 2024/01/14

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ちちぼー

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戦国時代が好きな夫にとっては、中山道歩きの最大のイベントとも言える関ヶ原古戦場。
ついに、来ることができました。
2021年12月からスターとした中山道歩き、長い道のりだったなあと感慨深げな夫ですが
中山道はまだ続きますよ!
ぐちゃぐちゃ言わずに「オレについてこい!!」
って、どっちが夫でどっちが妻?な我が家。



(61話)

  • 夫は念願だった関ヶ原古戦場を見学して

    夫は念願だった関ヶ原古戦場を見学して

    岐阜関ケ原古戦場記念館 美術館・博物館

  • 戦略武将カレー1380円を食べ、満足の様子。<br /><br />食べ終わったら歩くよーっ!

    戦略武将カレー1380円を食べ、満足の様子。

    食べ終わったら歩くよーっ!

  • 春日神社に福島正則陣跡があります。<br />まだお正月の飾りが残っています。<br />福島正則は、幼少より豊臣秀吉に仕え豊臣家を慕っていましたが、石田三成とは仲が悪く、関ケ原の戦いでは東軍となりました。

    春日神社に福島正則陣跡があります。
    まだお正月の飾りが残っています。
    福島正則は、幼少より豊臣秀吉に仕え豊臣家を慕っていましたが、石田三成とは仲が悪く、関ケ原の戦いでは東軍となりました。

    福島正則陣跡 名所・史跡

  • 樹齢800年の「月見宮大杉」は関ケ原合戦図屏風にも描かれています。<br />合戦の時もここにあったのですね。

    樹齢800年の「月見宮大杉」は関ケ原合戦図屏風にも描かれています。
    合戦の時もここにあったのですね。

  • これより中山道ということは、東から来た私達はここで関ヶ原が終わり。

    これより中山道ということは、東から来た私達はここで関ヶ原が終わり。

  • 不破関の庁舎跡と大海人皇子の兜掛石  沓脱石の案内があります。

    不破関の庁舎跡と大海人皇子の兜掛石 沓脱石の案内があります。

  • 完全に個人のお宅の敷地内ですね。<br />お邪魔します。

    完全に個人のお宅の敷地内ですね。
    お邪魔します。

  • 不破関の庁舎跡と兜掛石<br />不破関の庁舎がこちらにあり働く人のための場所でした。<br />また、壬申の乱の際、大海人皇子がこの石に兜を架けたと言われています。

    不破関の庁舎跡と兜掛石
    不破関の庁舎がこちらにあり働く人のための場所でした。
    また、壬申の乱の際、大海人皇子がこの石に兜を架けたと言われています。

  • 沓掛石はこちら。

    沓掛石はこちら。

  • こちらが不破関<br />古代東山道の関所でした。<br />関所って江戸時代のイメージだけど、壬申の乱後に律令体制のもとで都の警護のために設けられたもの。

    こちらが不破関
    古代東山道の関所でした。
    関所って江戸時代のイメージだけど、壬申の乱後に律令体制のもとで都の警護のために設けられたもの。

  • こちらが不破関守址

    こちらが不破関守址

    不破関資料館 美術館・博物館

  • 藤古川<br />壬申の乱ではこの川を挟んで両軍が<br />睨み合いをしたところ。

    藤古川
    壬申の乱ではこの川を挟んで両軍が
    睨み合いをしたところ。

    藤古川 名所・史跡

  • 写真は分かれ道の右を歩くんだよって思って写しましたが、<br />後から見ると地蔵堂の前には大谷吉隆の墓となっています。<br />大谷吉隆は大谷吉継のことだって話ですが、大谷吉継の墓は別のところにあるのでは??

    写真は分かれ道の右を歩くんだよって思って写しましたが、
    後から見ると地蔵堂の前には大谷吉隆の墓となっています。
    大谷吉隆は大谷吉継のことだって話ですが、大谷吉継の墓は別のところにあるのでは??

  • 矢尻の池<br />大海人皇子軍の兵士が水を求めて矢尻で掘った池<br /><br />があるはずなんですが、水はかれてありませんでした。

    矢尻の池
    大海人皇子軍の兵士が水を求めて矢尻で掘った池

    があるはずなんですが、水はかれてありませんでした。

  • 黒血川<br />壬申の乱のとき両軍が衝突して、この時の両軍の兵士の流血で川底の岩石が黒く染まったことからこの名がついたのだそう。<br />関ケ原の戦いでもここは戦いの場だったのだそう。<br />

    黒血川
    壬申の乱のとき両軍が衝突して、この時の両軍の兵士の流血で川底の岩石が黒く染まったことからこの名がついたのだそう。
    関ケ原の戦いでもここは戦いの場だったのだそう。

  • ちょっと横道にそれて登っていきます。<br />もう1人は下で待っているそうです。<br />

    ちょっと横道にそれて登っていきます。
    もう1人は下で待っているそうです。

  • 自害峯の三本杉<br />壬申の乱で負けた大友皇子の御首は首実検の後こちらに埋められたそうです。<br />全国各所にあるようですが。<br /><br />そんな場所こわいだろうって登ってこなかったもう1人は<br />黒血川の横にいるってそっちだって怖いじゃないね。<br /><br />

    自害峯の三本杉
    壬申の乱で負けた大友皇子の御首は首実検の後こちらに埋められたそうです。
    全国各所にあるようですが。

    そんな場所こわいだろうって登ってこなかったもう1人は
    黒血川の横にいるってそっちだって怖いじゃないね。

  • こちらでちょっと寄り道

    こちらでちょっと寄り道

  • 若宮八幡神社の鳥居をくぐります。<br />鳥居の先には線路があります。

    若宮八幡神社の鳥居をくぐります。
    鳥居の先には線路があります。

  • 線路を渡ると若宮八幡神社。<br />こちらで手を合わせますが、ここに来る大半の人はほかに目的があると思います。

    線路を渡ると若宮八幡神社。
    こちらで手を合わせますが、ここに来る大半の人はほかに目的があると思います。

  • 大谷吉継の陣跡

    大谷吉継の陣跡

    大谷吉継陣跡 名所・史跡

  • 大谷吉継のお墓はさらに進まないといけないので<br />やめようということになりました。<br />大谷吉継顔出しがあって、陣もあるけどお墓もこのあたりだと思うと顔出しもねえってことになったけど、<br />午前中のガイドツアーで大谷吉継オシの女性がいて、大谷吉継陣まで歩いていきたいって言ったら、ガイドさん簡単に行けるって答えていたけど<br />2キロぐらい歩かなきゃいけないしちょっと登りもあるけど大丈夫だったかしら?<br />多分あのガイドさんここまできたことないんじゃないかな?

    大谷吉継のお墓はさらに進まないといけないので
    やめようということになりました。
    大谷吉継顔出しがあって、陣もあるけどお墓もこのあたりだと思うと顔出しもねえってことになったけど、
    午前中のガイドツアーで大谷吉継オシの女性がいて、大谷吉継陣まで歩いていきたいって言ったら、ガイドさん簡単に行けるって答えていたけど
    2キロぐらい歩かなきゃいけないしちょっと登りもあるけど大丈夫だったかしら?
    多分あのガイドさんここまできたことないんじゃないかな?

  • 松尾山眺望地<br />松尾山は西軍から東軍に寝返ったといわれる小早川の陣地

    松尾山眺望地
    松尾山は西軍から東軍に寝返ったといわれる小早川の陣地

  • カメラのズームをめいいっぱいで黄色い小早川の旗が見えました。<br />

    カメラのズームをめいいっぱいで黄色い小早川の旗が見えました。

  • ここは関ヶ原と今須の間の宿山中。<br />関ケ原と今須の間の距離って4.1㎞。<br />短い距離だけど、間の宿があることもあるんですね。<br />高札場や立場茶屋もあったようです。

    ここは関ヶ原と今須の間の宿山中。
    関ケ原と今須の間の距離って4.1㎞。
    短い距離だけど、間の宿があることもあるんですね。
    高札場や立場茶屋もあったようです。

  • 鶯の滝<br />江戸時代には鶯が鳴く旅人の休憩場所だったようです。<br />

    鶯の滝
    江戸時代には鶯が鳴く旅人の休憩場所だったようです。

  • 常盤御前の墓<br />常盤御前は源義朝の側室で、源義経(牛若)の母。<br />

    常盤御前の墓
    常盤御前は源義朝の側室で、源義経(牛若)の母。

  • 常盤地蔵<br />常盤御前ゆかりの地蔵です。

    常盤地蔵
    常盤御前ゆかりの地蔵です。

  • ちょっと登り道を歩きます。

    ちょっと登り道を歩きます。

  • 今須峠<br />昔は難所だったようです。<br />旅人の疲れを癒すお休み処として茶店もありにぎわっていた場所。<br />今は、他に人が通らない静かなところです。

    今須峠
    昔は難所だったようです。
    旅人の疲れを癒すお休み処として茶店もありにぎわっていた場所。
    今は、他に人が通らない静かなところです。

  • 日本橋から114里目の今須の一里塚

    日本橋から114里目の今須の一里塚

  • シャッターには今須宿の絵が描かれていました。

    シャッターには今須宿の絵が描かれていました。

  • 今須宿に入ったことを示す石碑<br />こちらが今須宿本陣跡になります。

    今須宿に入ったことを示す石碑
    こちらが今須宿本陣跡になります。

  • ちょっと寄り道するので東海道本線の下を通ります。

    ちょっと寄り道するので東海道本線の下を通ります。

  • 妙応寺へ向かいます。<br />奥の方には美濃今須城跡があったようです。

    妙応寺へ向かいます。
    奥の方には美濃今須城跡があったようです。

  • 妙応寺には家康が関ヶ原後に石田三成の居城を<br />攻める際に腰掛けた石があります。<br />実際にあったのは、別のところでしたがこちらに移動したようです。

    妙応寺には家康が関ヶ原後に石田三成の居城を
    攻める際に腰掛けた石があります。
    実際にあったのは、別のところでしたがこちらに移動したようです。

  • 宿場の雰囲気が残っている今須宿

    宿場の雰囲気が残っている今須宿

  • こちらは問屋場だったところ<br />美濃にある十六の宿場の内、当時のまま残っている問屋場はここだけだそうです。

    こちらは問屋場だったところ
    美濃にある十六の宿場の内、当時のまま残っている問屋場はここだけだそうです。

  • 金比羅大権現永代常夜燈

    金比羅大権現永代常夜燈

  • このあたりからベンガラの建物が多くなります。<br />

    このあたりからベンガラの建物が多くなります。

  • 車返坂<br />京の二条良基(南北朝時代)が、「荒れ果てた不破関で見る月が風流だと聞きつけて牛車でここまで来たものの、修理されてしまったので風情がないということで、牛車を引き返した坂。

    車返坂
    京の二条良基(南北朝時代)が、「荒れ果てた不破関で見る月が風流だと聞きつけて牛車でここまで来たものの、修理されてしまったので風情がないということで、牛車を引き返した坂。

  • 21号線はここで滋賀県に入ります。

    21号線はここで滋賀県に入ります。

  • おくのほそ道 芭蕉道<br />奥の細道というと東北のイメージですが、全行程は2400キロメートルで最後は美濃路をあるき大垣で終わりだったそう。<br /><br />さて、この隣にあるのが私が楽しみにしていたところです。<br />もったいぶらせて、つづく。

    おくのほそ道 芭蕉道
    奥の細道というと東北のイメージですが、全行程は2400キロメートルで最後は美濃路をあるき大垣で終わりだったそう。

    さて、この隣にあるのが私が楽しみにしていたところです。
    もったいぶらせて、つづく。

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