2024/01/13 - 2024/01/13
272位(同エリア275件中)
ちちぼーさん
この旅行記スケジュールを元に
朝から雨が降っていますが、歩くことにしました。
昨日夫が駄々をこねていましたが、無理やり進んだのは
この日に関ヶ原まで行きたかったから。
妻の心夫知らずです。
関ケ原の決戦の当日雨が降り、野外での炊飯が困難になり
生米しか残っていない中、家康は兵士たちに水に生米をつけ戌の刻(午後8時ごろ)まで待つよう指示しました。
米を浸した川の水は戦死者の血で赤くなっており水に浸した米は不気味な色をしていましたが、兵士たちは空腹に耐えられずこの米を食べたそうです。
そんな、兵士たちと食事をするところが見つからない自分たちを重ねたわけではないですが、
どうにか食事をして、いざ関ケ原へ!
(59話)
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雨の中、赤坂宿へ向かいました。
食事をするところもなく、どうしたものか。 -
向かったのは博愛会病院
おなかすきすぎで、倒れた? -
いえ、病院に外部の人も食べられるレストランがあると知り、往復で1.5キロ余分に歩くことになりましたが、昼食をいただくことができました。
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冷たい雨で手がかじかんできたという夫。
持っている手袋ではスマホで写真がとれないから結局手袋していない。
中山道に戻って歩いているとショッピングセンターが。
安い手袋でいいんですよ、指先の開いているヤツ。
ダイソーなら濡れたら困るからって予備も買えちゃう。
ところで、お隣にあるのはピザハットじゃない?
1.5キロも歩かなくてもここで食べられたんじゃ・・・ -
向かいにポンチョ軍団。
スタジアムから出てきた少年サッカーチーム? -
垂井追分道標
中山道と美濃路の分岐点垂井追分道標 名所・史跡
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垂水宿東見附の案内板が左の人の頭で隠れています。
この方たちスタジアムの前を歩いていたポンチョの人たちでした。
ツアーの参加者です。
ツアー代は結構するから、ただで横で説明聞くのも気まずいし
地図見たいけど近づくの悩んじゃいますよね。
あちらから「中山道歩いているんですか?お互い雨の中大変ですよね?どちらまで」と声をかけてくださったので、地図を見ることができました。
私はツアーに参加することがほとんどないけど、こういう時の雰囲気って参加メンバーによる気がします。
良いメンバーでこの後も一緒になっても気まずくならずに済みました。 -
旧旅籠亀丸屋
江戸時代から続く旅館でした。
参考にさせていただいた旅行記などでは旅館を営業していると書かれていたけど
今は閉業されたようです。
ご高齢の方がやってらっしゃるということだったのでここ数年で、閉業しちゃったのでしょうね。 -
紙屋塚
説明は難しくてよくわかりませんでしたが
美濃紙の発祥の地といわれ、紙屋の守護神「紙屋明神」が祀られているということのようです。 -
力餅屋さん。
シャッター閉まっていたし、雨だと食べ歩きもしずらいよね。 -
垂井宿の本陣跡
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南宮大社石鳥居
幅4m、高さ7mの大きな鳥居 -
大衆食堂、現役でしょうか?
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ちょっと道をそれて玉泉寺へ
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垂井の泉は、大ケヤキの根本から湧出し、「垂井」の地名の起こりとされていました。
垂井の泉 自然・景勝地
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樹齢800年の大ケヤキは樹勢の衰えがみられるようになったため保存活動をしていたようですが、2015年に台風で地盤が緩んだ際に倒れてしまったようです。
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玉泉寺には関ケ原の戦いで西軍の武将として奮闘した平塚為広のお墓と居城跡があります。
歴史に疎い私は平塚為広の名前初めて知りました。ごめんなさい!垂井城跡 名所・史跡
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磯野家住宅主屋
手前だけしか目がいかなかったのですが、奥にはずっと黒塀が続く土蔵があったようです。
なかなかの雰囲気の土蔵のようで見たかったなあ。 -
中山道垂井宿お休み処旧旅籠長浜屋
中に入れるのは土日のみのようです。 -
本龍寺は浄土真宗大谷派の寺院
山門は垂井宿脇本陣移築したものです。
ここに高札場がありましたが明治時代に撤去され、その後復元されました。本龍寺 寺・神社・教会
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油屋を営んでいた宇吉家から小林家が譲り受け、昭和初期まで「亀屋」という旅籠を営んでいた建物で、幕末頃にたてられたもの。
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垂井宿の西の見附
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広重の中山道57番目の宿場 垂井宿
広重の浮世絵は西の見附のあたりだそうです。
わかりにくいですが、広重の浮世絵も雨の日でした。
浮世絵と私たちおんなじ!
上の写真にもあるように見附には石垣がありました。
幕府領(大垣藩預り領)(1843年(天保14年))
人口:1179人
家数:315軒
本陣:1軒
脇本陣:1軒
旅籠:27軒 -
見附を出たところ。
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垂井一里塚の案内板があります。
実際は、線路(東海道本線)を渡った先。
一里塚にこれだけ力を入れているのも珍しいですね。 -
日守の茶所
中山道を通る人の休憩所として、昭和初期まで利用されていました。 -
日守の茶所の横にあるのが江戸から112里目の垂井一里塚
中山道の一里塚は草津までで129ありますが、国指定史跡は3里目の志村の一里塚とここの2か所のみです。
ここは浅野幸長陣跡にもなっています。
浅野幸長は浅野長政の息子。(浅井長政とは違う人だったので、わかってないけど)
もともと浅野親子は秀吉の家臣でしたが、石田三成と対立し東軍として関ケ原では戦ったそうです。垂井一里塚 名所・史跡
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関ケ原に入ったようですね。
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野上七つ井戸
野上宿は垂井宿と関ヶ原宿の間宿
江戸時代から旅人がのどを潤し休憩した場所ですが
現在もここの水を汲むことができますが、飲んではいけませんとのこと。
私のスマホ、ギャラクシーだから?空が実際より青く写ります。
だから晴れているように見えますが、実際はまだ雨が降っています。
しかもちょっと斜めに降っているから、冷たい雨で眼鏡が見えにくくなっていたから
この井戸のところでいったんメガネをはずしてポンチョのポケットに入れたんです。
でも、途中でメガネがないことに気が付いて、でも結構歩いていたしどこで落としたかもわからないので、諦めました。 -
真念寺
こちらには班女の観音堂というのがありますが、話が長いのでパス。
興味ある方は調べてね。 -
雪が残っています。
寒いはずですね。 -
大海人皇子野上行宮跡
ダイソーで購入した手袋をさっそく使っている人の手が写っています。
頭悪いので、関ヶ原の戦いが徳川家康の東軍と石田三成の西軍ということが
ようやくわかったレベルの私なのに「壬申の乱」とか言われたら、思わずフリーズ。大海人皇子VS大友皇子で大海人皇子が勝利して天武天皇として即位したってこと、でいい??
ここは大海人皇子本拠地だったところ。 -
中山道に戻ります。
徳川家の葵の御紋と石田三成の家紋があるのは、ホースの格納庫。 -
山内一豊陣跡
織田信長の家臣だったけど、関ヶ原の戦いでは家康側の東軍として活躍。 -
この辺り松並木があります。
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桃配山の説明
大海人皇子が壬申の乱の際、兵士たちに桃を配って戦いに勝利したので
桃配山と呼ばれています。 -
車関係の会社はトイレを貸してくださいます。
ありがとうございます!! -
徳川家康最初陣地の案内板
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ここが徳川家康最初陣地である桃配山
壬申の乱で大海人皇子が勝利したことから、徳川家康は縁起の良いこの地を初陣の地としました。徳川家康最初陣地 名所・史跡
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でも、徳川の旗が折れちゃってちょっと縁起悪くない?
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向こうに見えるのが決戦の地、関ヶ原。
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若宮八幡神社
壬申の乱のときはこの地の人たちは大友皇子側についていたそう。
負けた大友皇子を祀るために建てられたのがこちらの神社。
関ヶ原の戦いで炎上した後、徳川家康の寄付で復旧しました。 -
「このまち、まるごと、古戦場」
さすが天下分け目の関ヶ原! -
桃配山なんてもう雨やんだと思っちゃう写真だけど
朝からずーっと降っている雨はだんだん雪が混じってきた。
さむーい! -
関ヶ原たまりという雰囲気のある醸造所。
このあたりに江戸から113里目の関ケ原一里塚がありました。
正確にはここの向かいの酒店と言われていますが。
明治16年に道路拡張の際、取り潰されそのあと何も作られていないのだとか。
岐阜県には33の一里塚がありそのうち32は石碑など一里塚があったことを示すものがあるのに、関ケ原だけないのだそう。
歴史を大切にする関ケ原、棒1本たてるだけでも違うのに
古戦場に力を入れているから中山道なんてどーでもいいんでしょうか? -
関ヶ原駅前観光交流館はもう閉まっていました。
関ヶ原駅前観光交流館 名所・史跡
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関ケ原駅に向かいます。
関ケ原駅 駅
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東海道本線に乗って岐阜駅まで。
なんだかさあ、中山道を歩いているのに東海道本線って、自分が東海道を歩いているような気になっちゃうよね。
メガネがないと不便なので(予備を忘れた)、メガネ屋さんへ。
予定外の出費だけどね。
誰の参考にもならないとおもうけど、メガネのキクチ名鉄岐阜駅前店さん
すごく良い対応でした。
特に当時の店長さん、旅先での不便を心配してくださった。 -
夕飯は岐阜コインの使えるお店へ。
最初行ったところは、混んでいるので近くの姉妹店を案内された。
食事は普通。
メニューの写真の撮り方が上手だからか、実際は写真よりかなり少ない。 -
シメのラーメン。
かなり油を感じるラーメンだった。
ホテルに戻って、2人にとっては関ヶ原の戦いより熾烈なトイレ争奪戦となる。
多分、このラーメンの油のせいだと思った。
いいかげん、自分に合わないと思ったら残すということを学んだほうがいいと思う。2人とも。 -
この日歩いたのは20.9キロでした。
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