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パリ2日目は、パリ市立近代美術館とクリュニー美術館を訪れました。<br />その後、パサージュを散歩しましたが、あっという間のパリ2日間でした。<br /><br />5/31     羽田発22:05  AF279<br />6/1       シャルル・ド・ゴール着6:00<br />6/1,2     パリ<br />6/3    ジェルブロワ<br />6/4     ルーアン<br />6/5  ヴール=レ=ロズ<br />6/6    ルーアン<br />6/7,8   ブーヴロン=アン=オージュ<br />6/9       グランビル<br />6/10,11 ディナン<br />6/12     レンヌ<br />6/13,14  ロシュフォール=アン=テール<br />6/15,16  ロクロナン<br />6/17    ヴァンヌ<br />6/18 トゥール<br />6/19,20ポワチエ<br />6/21 ナント<br />6/22 ナント発18:45 AF7507   パリ発23:00  AF274<br />6/23          羽田着  19:40

薔薇の咲くフランスの美しき村々を訪ねて【2】パリNo.2

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2026/05/31 - 2026/06/23

1276位(同エリア17156件中)

マリアンヌ

マリアンヌさん

パリ2日目は、パリ市立近代美術館とクリュニー美術館を訪れました。
その後、パサージュを散歩しましたが、あっという間のパリ2日間でした。

5/31 羽田発22:05 AF279
6/1 シャルル・ド・ゴール着6:00
6/1,2 パリ
6/3 ジェルブロワ
6/4 ルーアン
6/5  ヴール=レ=ロズ
6/6 ルーアン
6/7,8 ブーヴロン=アン=オージュ
6/9 グランビル
6/10,11 ディナン
6/12 レンヌ
6/13,14 ロシュフォール=アン=テール
6/15,16 ロクロナン
6/17 ヴァンヌ
6/18 トゥール
6/19,20ポワチエ
6/21 ナント
6/22 ナント発18:45 AF7507 パリ発23:00 AF274
6/23 羽田着 19:40

  • パリ2日目は朝食後、2つの美術館へ出かけた。<br />まずメトロ7番でPoissonnière駅からChaussée d&#39;Antin  La Fayette駅へ。<br />乗り換えて9番でIéna駅へ。

    パリ2日目は朝食後、2つの美術館へ出かけた。
    まずメトロ7番でPoissonnière駅からChaussée d'Antin La Fayette駅へ。
    乗り換えて9番でIéna駅へ。

  • 小雨降る中、パリ近代美術館へ。

    小雨降る中、パリ近代美術館へ。

  • 常設展は無料。

    常設展は無料。

  • ミシェル・デュフェ 1888年<br />デヴィル=レ=ルーアン(フランス)生まれ、1985年、パリ(フランス)没<br />机と肘掛け椅子。紳士の書斎を構成する要素。1930年、パリのサロン・ドートンヌに出品。<br /><br />アールデコデザインが美しい。

    ミシェル・デュフェ 1888年
    デヴィル=レ=ルーアン(フランス)生まれ、1985年、パリ(フランス)没
    机と肘掛け椅子。紳士の書斎を構成する要素。1930年、パリのサロン・ドートンヌに出品。

    アールデコデザインが美しい。

  • ウジェーヌ・プリンツ 1889 パリ-1948 年<br />パリのチェスト。<br /><br />こちらのチェストもデザインが美しく、目を引いた。

    ウジェーヌ・プリンツ 1889 パリ-1948 年
    パリのチェスト。

    こちらのチェストもデザインが美しく、目を引いた。

  • ルイーズ・ブルジョワ<br />1911年、パリ(フランス) - 2200年、ニューヨーク(アメリカ合衆国)<br />スパイダー 1995年<br /><br />有名な作品ですよね。

    ルイーズ・ブルジョワ
    1911年、パリ(フランス) - 2200年、ニューヨーク(アメリカ合衆国)
    スパイダー 1995年

    有名な作品ですよね。

  • 自分が気になった作品だけパチリ。<br /><br />モーリス・ユトリロ、1883年、パリ(ファサード) 1955年、ダックス(フランス)<br />ベルリオーズ邸、1914年

    自分が気になった作品だけパチリ。

    モーリス・ユトリロ、1883年、パリ(ファサード) 1955年、ダックス(フランス)
    ベルリオーズ邸、1914年

  • モーリス・ユトリロ、1883年、パリ(フランス)  1955年、ダックス(フランス)<br />ブラン・マントー教会、パリ、1??911 年

    モーリス・ユトリロ、1883年、パリ(フランス) 1955年、ダックス(フランス)
    ブラン・マントー教会、パリ、1??911 年

  • パブロ・ピカソ 1881年、マラガ-1973年、ムージャン<br />喚起(カサジェマスの埋葬)<br />キャプションより。<br />「ピカソはスペイン滞在中、友人のカルロス・カサヘマス(20歳)が失恋の末、パリのカフェで自殺したことを知った。<br />この衝撃的な出来事が、ピカソの創作活動における決定的な時期の幕開けとなった。<br />「カサヘマスが死んだと思い込んでいるうちに、私は青で絵を描き始めた」とピカソは語っている。<br />『葬儀』は、スルバランとエル・グレコを想起させることで、スペインの宗教画の様式を転換させている。<br />エル・グレコからは、地上と天上の二つの領域を重ね合わせる手法を取り入れている。<br />聖人伝の図像を現代の売春の世界に再配置することで、ピカソはサン・ラザール女子刑務所の玄関を描いている。<br />やつれ果てた娼婦たちが故人を見守り、他の娼婦たちは馬に乗って青みがかった雲へと昇っていく故人に付き添っている。」<br /><br />青の時代っていいですよね。

    パブロ・ピカソ 1881年、マラガ-1973年、ムージャン
    喚起(カサジェマスの埋葬)
    キャプションより。
    「ピカソはスペイン滞在中、友人のカルロス・カサヘマス(20歳)が失恋の末、パリのカフェで自殺したことを知った。
    この衝撃的な出来事が、ピカソの創作活動における決定的な時期の幕開けとなった。
    「カサヘマスが死んだと思い込んでいるうちに、私は青で絵を描き始めた」とピカソは語っている。
    『葬儀』は、スルバランとエル・グレコを想起させることで、スペインの宗教画の様式を転換させている。
    エル・グレコからは、地上と天上の二つの領域を重ね合わせる手法を取り入れている。
    聖人伝の図像を現代の売春の世界に再配置することで、ピカソはサン・ラザール女子刑務所の玄関を描いている。
    やつれ果てた娼婦たちが故人を見守り、他の娼婦たちは馬に乗って青みがかった雲へと昇っていく故人に付き添っている。」

    青の時代っていいですよね。

  • アンリ・マティス 1869年 ル・カトー=カンブレシ(フランス) 1954年 ニース(フランス)<br />横たわるヌード 1907

    アンリ・マティス 1869年 ル・カトー=カンブレシ(フランス) 1954年 ニース(フランス)
    横たわるヌード 1907

  • 好きな作家。<br />ラウル・デュフィ、1877年、ル・アーブル(フランス) <br />1953年、フォルカルキエ(フランス)<br />レガッタ、1907 ~ 1908年

    好きな作家。
    ラウル・デュフィ、1877年、ル・アーブル(フランス)
    1953年、フォルカルキエ(フランス)
    レガッタ、1907 ~ 1908年

  • ラウル・デュフィ<br />1877年、ル・アーブル(フランス) 1953年、フォルカルキエ(フランス)<br />食前酒、1908年

    ラウル・デュフィ
    1877年、ル・アーブル(フランス) 1953年、フォルカルキエ(フランス)
    食前酒、1908年

  • モーリス・ド・ヴラマンク、1876年、パリ(フランス) <br />1958年、リュエイユ・ラ・ガデリエール(フランス)<br />シャトゥーのセーヌ川岸、1906 年

    モーリス・ド・ヴラマンク、1876年、パリ(フランス)
    1958年、リュエイユ・ラ・ガデリエール(フランス)
    シャトゥーのセーヌ川岸、1906 年

  • パブロ・ピカソ、1881年、マラガ(スペイン)  1973年、ムージャン(フランス)<br />男の頭、1912年

    パブロ・ピカソ、1881年、マラガ(スペイン) 1973年、ムージャン(フランス)
    男の頭、1912年

  • ジョルジュ・ブラック 1882、アルジャントゥイユ (ヴァル ドワーズ、フランス) - 1963 年、パリ (フランス)<br />パイプのある静物画、1914 年

    ジョルジュ・ブラック 1882、アルジャントゥイユ (ヴァル ドワーズ、フランス) - 1963 年、パリ (フランス)
    パイプのある静物画、1914 年

  • パブロ・ピカソ<br />1881年、マラガ(スペイン) - 1973年、ムージャン(フランス)<br />「オールド・マーク」、1914年頃<br />キャプションより。<br />「ジラルディーナは1920年に美術商のレオンセ・ローゼンバーグからこの作品を入手した。ローゼンバーグは1915年にピカソ本人から直接この作品を購入した。<br />これは彼のコレクションに加わった最初のキュビスム作品であり、1921年にダニエル=アンリ・カーンワイラーによる差し押さえによる最初のオークションでブラックとピカソの作品6点を好機と捉えて購入することでコレクションを完成させた。<br />この作品は総合的キュビスム(1912年~1919年)と呼ばれる時期に属する。静物画であり、カフェの静物画の古典的な要素(グラス、フォーク、ボトル、ハム、パン、ナプキンなど)をすべて取り入れ、砂、模造木材、新聞紙、壁紙といった様々な質感で構成されている。<br />藤色や黄色などの鮮やかな色彩と装飾的なモチーフの再導入により、もはや解体された空間ではなく、切り抜きや現実または架空のテイクオフから再構築された空間が作り出されている。」

    パブロ・ピカソ
    1881年、マラガ(スペイン) - 1973年、ムージャン(フランス)
    「オールド・マーク」、1914年頃
    キャプションより。
    「ジラルディーナは1920年に美術商のレオンセ・ローゼンバーグからこの作品を入手した。ローゼンバーグは1915年にピカソ本人から直接この作品を購入した。
    これは彼のコレクションに加わった最初のキュビスム作品であり、1921年にダニエル=アンリ・カーンワイラーによる差し押さえによる最初のオークションでブラックとピカソの作品6点を好機と捉えて購入することでコレクションを完成させた。
    この作品は総合的キュビスム(1912年~1919年)と呼ばれる時期に属する。静物画であり、カフェの静物画の古典的な要素(グラス、フォーク、ボトル、ハム、パン、ナプキンなど)をすべて取り入れ、砂、模造木材、新聞紙、壁紙といった様々な質感で構成されている。
    藤色や黄色などの鮮やかな色彩と装飾的なモチーフの再導入により、もはや解体された空間ではなく、切り抜きや現実または架空のテイクオフから再構築された空間が作り出されている。」

  • フェルナン・レジェ、1881年、アルジャンタン(フランス)  1955年、ギフ・シュル・イヴェット(フランス)<br />円盤、1918 年<br />キャプションより。<br />「フェルナン・レジェの「円盤」は、1918年に始まった、いわゆる「機械時代」を代表する絵画作品です。形態、線、色彩の対比は、現代世界の激動を象徴しています。画家自身は「現代社会は、以前の時代よりも断片化され、スピードが増している」と述べています。ここでは、シンコペーションのリズムを刻む色とりどりの円盤が、機械、その歯車、そして速度を表しています。抽象的でありながら具象的なこれらの円盤は、現代都市生活の力強さとダイナミズム、そしてその不協和音と喧騒を想起させます。」

    フェルナン・レジェ、1881年、アルジャンタン(フランス) 1955年、ギフ・シュル・イヴェット(フランス)
    円盤、1918 年
    キャプションより。
    「フェルナン・レジェの「円盤」は、1918年に始まった、いわゆる「機械時代」を代表する絵画作品です。形態、線、色彩の対比は、現代世界の激動を象徴しています。画家自身は「現代社会は、以前の時代よりも断片化され、スピードが増している」と述べています。ここでは、シンコペーションのリズムを刻む色とりどりの円盤が、機械、その歯車、そして速度を表しています。抽象的でありながら具象的なこれらの円盤は、現代都市生活の力強さとダイナミズム、そしてその不協和音と喧騒を想起させます。」

  • ジャン・エリオン(1904年、フランスのクテルヌ生まれ、1987年、フランスのパリ没)<br />工房、1953

    ジャン・エリオン(1904年、フランスのクテルヌ生まれ、1987年、フランスのパリ没)
    工房、1953

  • 見学授業なのか小・中学生の団体をいくつか見かけた。

    見学授業なのか小・中学生の団体をいくつか見かけた。

  • フランシス・ピカビア<br />1879年、パリ(フランス)<br />1953年、パリ(フランス)<br />恋人たち(雨上がり)、1924年頃~1925年頃<br />キャプションより。<br />「ピカビアはダダ革命で最も影響力のある芸術家の一人である。バルセロナで、彼は1917年に雑誌「391」を創刊した。<br />その後、彼はトリスタン・ツァラとアンドレ・ブルトンに出会った。<br />ブルトンは後に「恋人たち(雨上がり)」を一時的に所有することになる。この二重タイトルの曖昧さは、彼がマルセル・デュシャンと共有していた皮肉な性質を典型的に表している。<br />リポリン(美術材料ではなく工業用塗料)の使用は、色彩パレットだけでなく、絵画的および社会的慣習をも爆発させる。」

    フランシス・ピカビア
    1879年、パリ(フランス)
    1953年、パリ(フランス)
    恋人たち(雨上がり)、1924年頃~1925年頃
    キャプションより。
    「ピカビアはダダ革命で最も影響力のある芸術家の一人である。バルセロナで、彼は1917年に雑誌「391」を創刊した。
    その後、彼はトリスタン・ツァラとアンドレ・ブルトンに出会った。
    ブルトンは後に「恋人たち(雨上がり)」を一時的に所有することになる。この二重タイトルの曖昧さは、彼がマルセル・デュシャンと共有していた皮肉な性質を典型的に表している。
    リポリン(美術材料ではなく工業用塗料)の使用は、色彩パレットだけでなく、絵画的および社会的慣習をも爆発させる。」

  • フランシス・ピカビア<br /> 1879年、パリ(フランス)<br /> 1953年、パリ(フランス)<br /> 花瓶ドフルール。  1924年から1926年まで<br /> リポラン、フィル・ド・プロム、ブリン・ド・パイユとフィセル・シュール・トワール<br />キャプションより。<br />「ピカビアは、静物画や肖像画といった伝統的な絵画の主題に取り組むことで、共犯者であるマルセル・デュシャンが絵画全般、特に多くの画家を特徴づけると考えていた「テレピン油中毒」を嘲笑している。<br />大胆で滑らかな色彩と弾力性のある質感を持つ、住宅塗装や各種コーティング用の塗料であるリポリンを使用することで、ここでは伝統的な花束を、導火線コイルと藁の束のコラージュへと皮肉的に転換させている。」

    フランシス・ピカビア
    1879年、パリ(フランス)
    1953年、パリ(フランス)
    花瓶ドフルール。 1924年から1926年まで
    リポラン、フィル・ド・プロム、ブリン・ド・パイユとフィセル・シュール・トワール
    キャプションより。
    「ピカビアは、静物画や肖像画といった伝統的な絵画の主題に取り組むことで、共犯者であるマルセル・デュシャンが絵画全般、特に多くの画家を特徴づけると考えていた「テレピン油中毒」を嘲笑している。
    大胆で滑らかな色彩と弾力性のある質感を持つ、住宅塗装や各種コーティング用の塗料であるリポリンを使用することで、ここでは伝統的な花束を、導火線コイルと藁の束のコラージュへと皮肉的に転換させている。」

  • フランシス・ピカビア<br />1879年、パリ(フランス) 1953年、パリ(フランス)<br />オプトフォン II、1922 ~ 1925 年<br />キャプションより。<br />「視覚障害者向けに作られたオプトフォンは、光の変化を音の変化に変換する装置です。フランシス・ピカビアは、標的と女性の身体を重ね合わせ、円の視覚的遊戯の観察者であり目撃者でもある目によって強調された抽象的な形態と伝統的な裸体図像を組み合わせています。<br />彼は1924年の映画『ルラッシュ』で視覚的眩惑のテーマを再び取り上げます。1922年に完成したこの作品は、3年後に、当時実験していた光沢のある工業用塗料であるピンクと緑のリポリンを追加することで、アーティストによって修正されました。」

    フランシス・ピカビア
    1879年、パリ(フランス) 1953年、パリ(フランス)
    オプトフォン II、1922 ~ 1925 年
    キャプションより。
    「視覚障害者向けに作られたオプトフォンは、光の変化を音の変化に変換する装置です。フランシス・ピカビアは、標的と女性の身体を重ね合わせ、円の視覚的遊戯の観察者であり目撃者でもある目によって強調された抽象的な形態と伝統的な裸体図像を組み合わせています。
    彼は1924年の映画『ルラッシュ』で視覚的眩惑のテーマを再び取り上げます。1922年に完成したこの作品は、3年後に、当時実験していた光沢のある工業用塗料であるピンクと緑のリポリンを追加することで、アーティストによって修正されました。」

  • ラウル・デュフィ 1877年、ル・アーブル(フランス) 1953年、フォルカルキエ(フランス) <br />「30歳」または「バラ色の人生」、1931年<br /><br />この絵に恋して何年でしょう。やっと実物を見ることができました。この絵を見るためにこの美術館に来ました。<br /><br />絵の見方をAIに聞いてみると・・・<br />まず制作年は1931年、画面にされた年は1901年、 タイトルからすると1931年のデュフィは50代後半、「30年前の自分を、今の自分が振り返る」という構造になっている。<br /><br />タイトルだけ見ると幸福な人生賛歌のようだけど、どこか夢のようで、現実感が薄く、 記憶の断片のよう。<br />幸せな青春の記憶なのか、もう戻れない青春への郷愁なのか。<br /><br />普通の絵画は、物語を読み解こうとするけど、この作品は、昔のアルバムをめくったときに浮かぶ印象に近くて、何だか懐かしいようや少し切ない感じをうける。<br />

    ラウル・デュフィ 1877年、ル・アーブル(フランス) 1953年、フォルカルキエ(フランス) 
    「30歳」または「バラ色の人生」、1931年

    この絵に恋して何年でしょう。やっと実物を見ることができました。この絵を見るためにこの美術館に来ました。

    絵の見方をAIに聞いてみると・・・
    まず制作年は1931年、画面にされた年は1901年、 タイトルからすると1931年のデュフィは50代後半、「30年前の自分を、今の自分が振り返る」という構造になっている。

    タイトルだけ見ると幸福な人生賛歌のようだけど、どこか夢のようで、現実感が薄く、 記憶の断片のよう。
    幸せな青春の記憶なのか、もう戻れない青春への郷愁なのか。

    普通の絵画は、物語を読み解こうとするけど、この作品は、昔のアルバムをめくったときに浮かぶ印象に近くて、何だか懐かしいようや少し切ない感じをうける。

  • AI君なかなか共感できる絵の見方を提示してくれた。<br />私自身、何故心惹かれるのだろうと改めて考えてみると・・<br />ただバラ色で綺麗な絵だというわけではなく、俯瞰的なバラ色、ノスタルジー的な感じを受ける。過ぎてしまえば遠い過去の思い出も辛かったことも薔薇色に変わる、変えたいという感じでしょうか。<br />妙齢になった昨今、人生が終わる時、この絵のイメージが走馬灯のように駆け巡るといいなと感じます。

    AI君なかなか共感できる絵の見方を提示してくれた。
    私自身、何故心惹かれるのだろうと改めて考えてみると・・
    ただバラ色で綺麗な絵だというわけではなく、俯瞰的なバラ色、ノスタルジー的な感じを受ける。過ぎてしまえば遠い過去の思い出も辛かったことも薔薇色に変わる、変えたいという感じでしょうか。
    妙齢になった昨今、人生が終わる時、この絵のイメージが走馬灯のように駆け巡るといいなと感じます。

  • ラウル・デュフィ<br />1877年、ル・アーブル(フランス) 1953年、フォルカルキエ(フランス)<br />パドック、1913 年<br />キャプションより。<br />「ラウル・デュフィはジラルダン夫妻の親友で、1920年代に彼らと出会いました。彼の作品は彼のアパートの目立つ場所に飾られていました。彼は約30点の作品を所有していましたが、現在美術館に所蔵されているのはわずか14点です。<br />この作品は1929年に購入されたもので、コレクターがデュフィの作品に時代を超えて関心を寄せ始めた時期を示しており、1936年には16点以上の作品を収集するまでに至りました。<br />「パドック」は競馬を題材とした最初の主要な絵画の一つで、競馬は後に彼のお気に入りの題材の一つとなります。<br />ポール・ポワレに誘われてこの華やかなイベントに参加したデュフィは、競馬前の雰囲気を描きました。<br />そこでは、競馬関係者、調教師、騎手、そして最新のファッションに身を包み日傘を差した優雅な女性たちが、燕尾服とシルクハットを身に着けた男性たちと入り混じっていました。<br />ポワレはデュフについて「私と同じように、生命、動き、そして色彩を愛する画家を発見した」と述べています。<br />セザンヌの影響を受けたシンコペーションのリズムで構成されたこの作品では、2頭の馬が頭と尾を重ね合わせ、そこに人物像を混ぜ込むことで奥行きを一切排除している。<br />色彩、効果(点描、縞模様、ハッチング)、そして方向性のある筆致だけが、この場面を理解する手がかりとなる。<br />すでに、後にデュフィの作風となる色彩と線描の分離が、この段階で現れ始めている。」

    ラウル・デュフィ
    1877年、ル・アーブル(フランス) 1953年、フォルカルキエ(フランス)
    パドック、1913 年
    キャプションより。
    「ラウル・デュフィはジラルダン夫妻の親友で、1920年代に彼らと出会いました。彼の作品は彼のアパートの目立つ場所に飾られていました。彼は約30点の作品を所有していましたが、現在美術館に所蔵されているのはわずか14点です。
    この作品は1929年に購入されたもので、コレクターがデュフィの作品に時代を超えて関心を寄せ始めた時期を示しており、1936年には16点以上の作品を収集するまでに至りました。
    「パドック」は競馬を題材とした最初の主要な絵画の一つで、競馬は後に彼のお気に入りの題材の一つとなります。
    ポール・ポワレに誘われてこの華やかなイベントに参加したデュフィは、競馬前の雰囲気を描きました。
    そこでは、競馬関係者、調教師、騎手、そして最新のファッションに身を包み日傘を差した優雅な女性たちが、燕尾服とシルクハットを身に着けた男性たちと入り混じっていました。
    ポワレはデュフについて「私と同じように、生命、動き、そして色彩を愛する画家を発見した」と述べています。
    セザンヌの影響を受けたシンコペーションのリズムで構成されたこの作品では、2頭の馬が頭と尾を重ね合わせ、そこに人物像を混ぜ込むことで奥行きを一切排除している。
    色彩、効果(点描、縞模様、ハッチング)、そして方向性のある筆致だけが、この場面を理解する手がかりとなる。
    すでに、後にデュフィの作風となる色彩と線描の分離が、この段階で現れ始めている。」

  • ラウル・デュフィ作、1877年、ル・アーブル(フランス)、1953年、フォルカルキエ(フランス)<br />マルヌ川の岸辺、舟に乗る人々、1925年

    ラウル・デュフィ作、1877年、ル・アーブル(フランス)、1953年、フォルカルキエ(フランス)
    マルヌ川の岸辺、舟に乗る人々、1925年

  • ラウル・デュフィ、1877年、ル・アーブル(フランス) <br />1953年、フォルカルキエ(フランス)<br />オンフルールの桟橋、1928 年

    ラウル・デュフィ、1877年、ル・アーブル(フランス)
    1953年、フォルカルキエ(フランス)
    オンフルールの桟橋、1928 年

  • ピエール・ボナール<br />1867年、フォントネー・オ・ローズ(フランス) 1947年、ル・カンネ(フランス)<br />庭園、 1936年頃<br />キャプションより。<br />「19世紀末のナビ派時代から、ピエール・ボナールはキャンバス上の色彩の相互作用に独特の関心を持ち続けており、1890年のモーリス・ドニの有名な言葉「絵画とは、本質的には一定の順序で配置された色彩で覆われた平面であることを忘れてはならない」がそれを物語っている。<br />この絵画には豊かな植生が広がり、小道だけが唯一残された空間的な基準点となっている。したがって、主題は鮮やかな色調、質感効果、そして空間構成の並置のための単なる口実に過ぎないように見える。」

    ピエール・ボナール
    1867年、フォントネー・オ・ローズ(フランス) 1947年、ル・カンネ(フランス)
    庭園、 1936年頃
    キャプションより。
    「19世紀末のナビ派時代から、ピエール・ボナールはキャンバス上の色彩の相互作用に独特の関心を持ち続けており、1890年のモーリス・ドニの有名な言葉「絵画とは、本質的には一定の順序で配置された色彩で覆われた平面であることを忘れてはならない」がそれを物語っている。
    この絵画には豊かな植生が広がり、小道だけが唯一残された空間的な基準点となっている。したがって、主題は鮮やかな色調、質感効果、そして空間構成の並置のための単なる口実に過ぎないように見える。」

  • ピエール・ボナール<br />1867年、フォントネー・オ・ローズ(フランス) 1947年、ル・カンネ(フランス)<br />お風呂でのヌード、1936年から1938年

    ピエール・ボナール
    1867年、フォントネー・オ・ローズ(フランス) 1947年、ル・カンネ(フランス)
    お風呂でのヌード、1936年から1938年

  • ピエール・ボナール<br />1867年、フォントネー・オ・ローズ(フランス)、1947年、ル・カンネ(フランス)<br />昼食、1932年頃

    ピエール・ボナール
    1867年、フォントネー・オ・ローズ(フランス)、1947年、ル・カンネ(フランス)
    昼食、1932年頃

  • ピエール・ボナール、1867 年、フォンテー・オー・ローズ (フランス) 1947 年、ル・カンネ (フランス)<br />トイレにいる女性、1934年頃<br /><br />ボナールの作品は、昨年トゥールーズのアセザ館で多くの作品を見れたなぁ。

    ピエール・ボナール、1867 年、フォンテー・オー・ローズ (フランス) 1947 年、ル・カンネ (フランス)
    トイレにいる女性、1934年頃

    ボナールの作品は、昨年トゥールーズのアセザ館で多くの作品を見れたなぁ。

  • アンリ・マティス、1869年、ル・カトー・カンブレシ(フランス) ? 1954年、ニース(フランス)<br />眠っているマルグリット、1920 年

    アンリ・マティス、1869年、ル・カトー・カンブレシ(フランス) ? 1954年、ニース(フランス)
    眠っているマルグリット、1920 年

  • アンリ・マティス、1869年、ル・カトー・カンブレシ(フランス) 1954年、ニース(フランス)<br />肘掛け椅子に座るオダリスク、1928 年

    アンリ・マティス、1869年、ル・カトー・カンブレシ(フランス) 1954年、ニース(フランス)
    肘掛け椅子に座るオダリスク、1928 年

  • アンリ・マティス、1869年、ル・カトー・カンブレシ(フランス) 1954年、ニース(フランス)<br />座るダンサー、1942

    アンリ・マティス、1869年、ル・カトー・カンブレシ(フランス) 1954年、ニース(フランス)
    座るダンサー、1942

  • ジュール・パスキン、1885年、ヴィディン(ブルガリア)、1930年、パリ(フランス)<br />リトル ダンサー、1924 年<br /><br />家に絵葉書があるし、来日した時に見たなぁ。

    ジュール・パスキン、1885年、ヴィディン(ブルガリア)、1930年、パリ(フランス)
    リトル ダンサー、1924 年

    家に絵葉書があるし、来日した時に見たなぁ。

  • ジュール・パスキン、1885年、ヴィディン(ブルガリア)、1930年、パリ(フランス)<br />ジメットとミレーユ、1923 年<br />キャプションより。<br />「ブルガリア生まれのジュール・パスキンは1905年にパリに到着し、第一次世界大戦後に再びパリに定住しました。<br />その後、彼はパリのナイトライフにどっぷりと浸かり、芸術家や作家が集まる数々のパーティーを主催しました。<br />この二人の肖像画は、彼のいわゆる「真珠のような」時代を象徴する作品です。<br />この時代、彼は主に女性モデルを描き、透明感を出すために絵具を極端に薄めました。下絵はそのまま残され、空白のキャンバスは構図の不可欠な一部となり、未完成の印象を与えます。くすんだ色調で描かれた二人の若い女性からは、物憂げで静かな郷愁が漂っています。<br />この絵画は、パスキンの自殺から数年後、彼の遺族によってパリ市に寄贈されたコレクションの一部です。」

    ジュール・パスキン、1885年、ヴィディン(ブルガリア)、1930年、パリ(フランス)
    ジメットとミレーユ、1923 年
    キャプションより。
    「ブルガリア生まれのジュール・パスキンは1905年にパリに到着し、第一次世界大戦後に再びパリに定住しました。
    その後、彼はパリのナイトライフにどっぷりと浸かり、芸術家や作家が集まる数々のパーティーを主催しました。
    この二人の肖像画は、彼のいわゆる「真珠のような」時代を象徴する作品です。
    この時代、彼は主に女性モデルを描き、透明感を出すために絵具を極端に薄めました。下絵はそのまま残され、空白のキャンバスは構図の不可欠な一部となり、未完成の印象を与えます。くすんだ色調で描かれた二人の若い女性からは、物憂げで静かな郷愁が漂っています。
    この絵画は、パスキンの自殺から数年後、彼の遺族によってパリ市に寄贈されたコレクションの一部です。」

  • スザンヌ・ヴァラドン<br />1865年、ベシーヌ・シュル・ガルタンプ(フランス) 1938年、パリ(フランス)<br />ヴァイオリンボックス、1923年

    スザンヌ・ヴァラドン
    1865年、ベシーヌ・シュル・ガルタンプ(フランス) 1938年、パリ(フランス)
    ヴァイオリンボックス、1923年

  • レオナール・フジタ<br />1886年、東京(日本)<br />1968年、チューリッヒ(スイス)<br />裸体、1922年<br />キャプションより。<br />「1922年、レオナール・フジタは、日本の伝統にはないジャンルであるヌード画の連作を描いた。<br />エドゥアール・マネの『オランピア』や、ティツィアーノとアングルのオダリスクに自由に触発されたこの作品では、真珠のように白い、自然な肉体を持つ女性が鑑賞者をまっすぐに見つめている。白いシーツがたなびくベッドにゆったりと横たわり、胴体をわずかに持ち上げている。<br />フジタが選んだアジア系の容姿を持つモデルは、他ならぬキキ・ド・モンパルナスだった。墨で輪郭が描かれているものの、そのフォルムは広がりを感じさせる官能的な肉体は、トワル・ド・ジュイの布で覆われた壁龕の中に配置されている。<br />限られた色彩(セピア、白、黒)が、ヌードと背景との間に強いコントラストを生み出している。」

    レオナール・フジタ
    1886年、東京(日本)
    1968年、チューリッヒ(スイス)
    裸体、1922年
    キャプションより。
    「1922年、レオナール・フジタは、日本の伝統にはないジャンルであるヌード画の連作を描いた。
    エドゥアール・マネの『オランピア』や、ティツィアーノとアングルのオダリスクに自由に触発されたこの作品では、真珠のように白い、自然な肉体を持つ女性が鑑賞者をまっすぐに見つめている。白いシーツがたなびくベッドにゆったりと横たわり、胴体をわずかに持ち上げている。
    フジタが選んだアジア系の容姿を持つモデルは、他ならぬキキ・ド・モンパルナスだった。墨で輪郭が描かれているものの、そのフォルムは広がりを感じさせる官能的な肉体は、トワル・ド・ジュイの布で覆われた壁龕の中に配置されている。
    限られた色彩(セピア、白、黒)が、ヌードと背景との間に強いコントラストを生み出している。」

  • 昨年、軽井沢の安東美術館にランス美術館コレクションを含めてフジタの絵を見に行った。一度にあれほど多くのフジタ作品を見たのは初めてで「乳白色の下地」の小作品も数点見たけど、この「裸婦」は白眉というか圧巻。

    昨年、軽井沢の安東美術館にランス美術館コレクションを含めてフジタの絵を見に行った。一度にあれほど多くのフジタ作品を見たのは初めてで「乳白色の下地」の小作品も数点見たけど、この「裸婦」は白眉というか圧巻。

  • アメデオ・モディリアーニ<br />1884年、リヴォルノ(イタリア) 1920年、パリ(フランス)<br />青い目の女性、1918年頃<br />キャプションより。<br />「アメデオ・モディリアーニは1920年に亡くなりました。<br />ジラルダンは画家本人とは面識がありませんでしたが、1920年に彫刻家のレオン・インデンバウムから彼の肖像画を購入し(そして1948年に売却しました)。<br />彼は画家の作品を7点所有していました。「青い目の女」と「イヤリングの女」は1926年に匿名の売主から入手しました。1916年以降、アメデオ・モディリアーニの肖像画は洗練されたスタイルへと進化し、モデルの似姿を再現することよりも、その親密な独自性を表現することを目指しました。<br />胴体の広がり、肩のわずかな傾斜、そして顔の卵形を強調する首の表現豊かな伸長が、彼の人物像の特徴です。<br />ここでは、受胎告知の聖母の図像を思わせる伸ばされた手が、イメージに静かで優しい雰囲気を与えています。グレーとブルーの淡い色調を用いた色彩処理は、モデルとの直接的な対話のシンプルさを際立たせている。」

    アメデオ・モディリアーニ
    1884年、リヴォルノ(イタリア) 1920年、パリ(フランス)
    青い目の女性、1918年頃
    キャプションより。
    「アメデオ・モディリアーニは1920年に亡くなりました。
    ジラルダンは画家本人とは面識がありませんでしたが、1920年に彫刻家のレオン・インデンバウムから彼の肖像画を購入し(そして1948年に売却しました)。
    彼は画家の作品を7点所有していました。「青い目の女」と「イヤリングの女」は1926年に匿名の売主から入手しました。1916年以降、アメデオ・モディリアーニの肖像画は洗練されたスタイルへと進化し、モデルの似姿を再現することよりも、その親密な独自性を表現することを目指しました。
    胴体の広がり、肩のわずかな傾斜、そして顔の卵形を強調する首の表現豊かな伸長が、彼の人物像の特徴です。
    ここでは、受胎告知の聖母の図像を思わせる伸ばされた手が、イメージに静かで優しい雰囲気を与えています。グレーとブルーの淡い色調を用いた色彩処理は、モデルとの直接的な対話のシンプルさを際立たせている。」

  • シャガール 1887年、ヴィテプスク(ベラルーシ、ロシア帝国) 1985年、サン=ポール=ド=ヴァンス(フランス)<br />夢、1927

    シャガール 1887年、ヴィテプスク(ベラルーシ、ロシア帝国) 1985年、サン=ポール=ド=ヴァンス(フランス)
    夢、1927

  • ベルナール・ビュッフェ、1928年、パリ(フランス) 1999年、トゥルトゥール(フランス)<br />網を持つ女、1948年

    ベルナール・ビュッフェ、1928年、パリ(フランス) 1999年、トゥルトゥール(フランス)
    網を持つ女、1948年

  • アラン・ジャケ<br />1939年、ヌイイ=シュル=セーヌ(フランス) 2008年、ニューヨーク(アメリカ合衆国)<br />芝生の上の昼食 1964年

    アラン・ジャケ
    1939年、ヌイイ=シュル=セーヌ(フランス) 2008年、ニューヨーク(アメリカ合衆国)
    芝生の上の昼食 1964年

  • ニキ・ド・サンファル<br />1930年、ヌイイ=シュル=セーヌ生まれ - 2002年、サンディエゴ没<br />ノートルダム・ド・パリ 1962年<br />キャプションより。<br />「ヌーヴォー・レアリスム(新写実主義)グループ唯一の女性メンバーであったニキ・ド・サンファルは、社会が女性に課す役割に挑みました。<br />1961年、彼女は個人的、そして集団的な解放の手段として「タブロー・ティール」(撃つ絵画)を考案しました。<br />これは、白い絵具で完全に覆われたオブジェをライフルで撃ち、その下に隠された絵具の袋を破裂させるパフォーマンスでした。<br />1962年の作品「ノートルダム・ド・パリ」は、より批判的なアプローチを示しています。金色の地に貼り付けられた、拾い集めたオブジェや玩具が、塔と下層部が黒く汚れた大聖堂を形成しています。<br />この作品のやや嘲笑的で恐ろしい側面は、ヴィクトル・ユーゴーの小説のグロテスクな世界を想起させ、当時の政治情勢を反映しています。」<br /><br />立体的な造形が印象的だった。

    ニキ・ド・サンファル
    1930年、ヌイイ=シュル=セーヌ生まれ - 2002年、サンディエゴ没
    ノートルダム・ド・パリ 1962年
    キャプションより。
    「ヌーヴォー・レアリスム(新写実主義)グループ唯一の女性メンバーであったニキ・ド・サンファルは、社会が女性に課す役割に挑みました。
    1961年、彼女は個人的、そして集団的な解放の手段として「タブロー・ティール」(撃つ絵画)を考案しました。
    これは、白い絵具で完全に覆われたオブジェをライフルで撃ち、その下に隠された絵具の袋を破裂させるパフォーマンスでした。
    1962年の作品「ノートルダム・ド・パリ」は、より批判的なアプローチを示しています。金色の地に貼り付けられた、拾い集めたオブジェや玩具が、塔と下層部が黒く汚れた大聖堂を形成しています。
    この作品のやや嘲笑的で恐ろしい側面は、ヴィクトル・ユーゴーの小説のグロテスクな世界を想起させ、当時の政治情勢を反映しています。」

    立体的な造形が印象的だった。

  • マティスの『ラ・ダンス(La Dance)』最終版(1931?1933)<br /><br />下は、マティスの習作、『未完成のダンス(La Danse inachevée)』最終版の一つ。<br />習作では、青と白でざっくりとかたちが描かれている。これは人物の動き・構図を試している段階なのだそうだ。マティスは「生きているもの、歌うものを求めるには、試行錯誤しかない」と語ったという。<br /><br />1992年、マティス家が60年間も放置されていた3枚の大きなキャンバスを発見。そのうちの一つが『未完成のダンス(La Danse inachevée)』と呼ばれるようになったそう。

    マティスの『ラ・ダンス(La Dance)』最終版(1931?1933)

    下は、マティスの習作、『未完成のダンス(La Danse inachevée)』最終版の一つ。
    習作では、青と白でざっくりとかたちが描かれている。これは人物の動き・構図を試している段階なのだそうだ。マティスは「生きているもの、歌うものを求めるには、試行錯誤しかない」と語ったという。

    1992年、マティス家が60年間も放置されていた3枚の大きなキャンバスを発見。そのうちの一つが『未完成のダンス(La Danse inachevée)』と呼ばれるようになったそう。

  • ラウル・デュフィの《電気の精》<br /><br />1937年パリ万博のために制作された縦10m×横60mの巨大な壁画で、古代ギリシャの神々から現代の科学者・発明家まで100名以上の偉人を描くことで、人類の科学と文明の発展を賛美した彼の最高傑作といわれている。<br /><br />本作が誕生した1937年は、第二次世界大戦(1939-45)前夜の不穏な空気が漂う時代ではあったが、『電気の精』は幸福に向かう人類の進化への動きが描かれており、<br />デュフィの未来に向けた本来の進化の願いが込められているそう。<br />万博では、電気・エネルギーなど近代文明の進化を讃えるための「電気館」が設けられ、本作はイラストレーター兼アーティストとしての評判を得て、大盛況を博したそう。<br />同じ万博で、スペインのパビリオンに出品されたのは、パブロ・ピカソの傑作「ゲルニカ」。当時訪れた人の多くが、戦争の悲劇を描いた「ゲルニカ」に背を向け、デュフィの「電気の精」を目にするために行列を作ったという。

    ラウル・デュフィの《電気の精》

    1937年パリ万博のために制作された縦10m×横60mの巨大な壁画で、古代ギリシャの神々から現代の科学者・発明家まで100名以上の偉人を描くことで、人類の科学と文明の発展を賛美した彼の最高傑作といわれている。

    本作が誕生した1937年は、第二次世界大戦(1939-45)前夜の不穏な空気が漂う時代ではあったが、『電気の精』は幸福に向かう人類の進化への動きが描かれており、
    デュフィの未来に向けた本来の進化の願いが込められているそう。
    万博では、電気・エネルギーなど近代文明の進化を讃えるための「電気館」が設けられ、本作はイラストレーター兼アーティストとしての評判を得て、大盛況を博したそう。
    同じ万博で、スペインのパビリオンに出品されたのは、パブロ・ピカソの傑作「ゲルニカ」。当時訪れた人の多くが、戦争の悲劇を描いた「ゲルニカ」に背を向け、デュフィの「電気の精」を目にするために行列を作ったという。

  • 舞台の始まりは古代ギリシャ。三哲学者「アルキメデス・タレス・アリストテレス」のいる牧歌的風景から物語が始まる。

    舞台の始まりは古代ギリシャ。三哲学者「アルキメデス・タレス・アリストテレス」のいる牧歌的風景から物語が始まる。

  • レオナルド・ダ・ヴィンチ、R.ベーコン、パスカルの姿も。<br />

    レオナルド・ダ・ヴィンチ、R.ベーコン、パスカルの姿も。

  • 見つけられなかったけどフランクリンやニュートンなども描かれている。

    見つけられなかったけどフランクリンやニュートンなども描かれている。

  • その他、新しい発明が次々と世に生み出され、モールスの電信機、レントゲンの実験器具、さらにエジソンの電球など108名の「科学者・技術者の姿」が描かれているそう。

    その他、新しい発明が次々と世に生み出され、モールスの電信機、レントゲンの実験器具、さらにエジソンの電球など108名の「科学者・技術者の姿」が描かれているそう。

  • 背景に中世の町並み。都市の発達にみる文明の進化が描かれていく。<br />

    背景に中世の町並み。都市の発達にみる文明の進化が描かれていく。

  • 改めてラウル・デュフィとは。<br />20世紀の巨匠の一人、唯一の「色彩としての光」を生み出した。<br /><br />油彩と水彩における光の表現を追求し、生きる喜びに満ちた高揚感溢れる独自の作風が評価されている。<br />1877年、北フランスの港町に貧しくも音楽が大好きな一家の9人兄弟の長男として生まれたデュフィ。<br />家計を助けるために一度ブラジルコーヒーの輸入会社に勤めるも、18歳の時には画家を目指し夜間クラスを受講するように。<br /><br />

    改めてラウル・デュフィとは。
    20世紀の巨匠の一人、唯一の「色彩としての光」を生み出した。

    油彩と水彩における光の表現を追求し、生きる喜びに満ちた高揚感溢れる独自の作風が評価されている。
    1877年、北フランスの港町に貧しくも音楽が大好きな一家の9人兄弟の長男として生まれたデュフィ。
    家計を助けるために一度ブラジルコーヒーの輸入会社に勤めるも、18歳の時には画家を目指し夜間クラスを受講するように。

  • その才能は絵画に留まらず、挿画、舞台美術、タペストリーや織物のテキスタイイルデザイン、陶器の装飾、更には「VOGUE」表紙などを手がけるなど、多くのシーンで活躍した。<br /><br />今年1月アールデコ展でラウル・デュフィの絵画数点とテキスタイルをみることが出来た。<br />https://4travel.jp/travelogue/12027019

    その才能は絵画に留まらず、挿画、舞台美術、タペストリーや織物のテキスタイイルデザイン、陶器の装飾、更には「VOGUE」表紙などを手がけるなど、多くのシーンで活躍した。

    今年1月アールデコ展でラウル・デュフィの絵画数点とテキスタイルをみることが出来た。
    https://4travel.jp/travelogue/12027019

  • 近代の発電所、飛行機、無線塔、ネオンサインなどが描かれ、人類が電気を手に入れて発展していく歴史が表現されている。

    近代の発電所、飛行機、無線塔、ネオンサインなどが描かれ、人類が電気を手に入れて発展していく歴史が表現されている。

  • 軽やかなタッチを表現するために、水彩を好んで多く描いていたデュフィだが、「電気の精」は壁画なので、油彩で描かれた。しかし、デュフィは壁画制作にあたり、水彩のような淡い色遣いを表現するため、化学者のジャック・マロジェとともに顔料の不透明性を取り除く溶剤「メディウム」を開発。<br />油彩で軽やかな筆運びが再現可能となり、その後も自身の作品に積極的に採用する様になった。

    軽やかなタッチを表現するために、水彩を好んで多く描いていたデュフィだが、「電気の精」は壁画なので、油彩で描かれた。しかし、デュフィは壁画制作にあたり、水彩のような淡い色遣いを表現するため、化学者のジャック・マロジェとともに顔料の不透明性を取り除く溶剤「メディウム」を開発。
    油彩で軽やかな筆運びが再現可能となり、その後も自身の作品に積極的に採用する様になった。

  • 当時はデュフィ以外の画家は、「メディウム」を見向きもしなかったが、今では多くの画家が使うポピュラーなものとなったそう。<br /><br />私もデュフィの絵画に初めて出会った時、何ともいえない明るい色彩、穏やかな幸福感に包まれる感じを受け、ファンになった。<br />

    当時はデュフィ以外の画家は、「メディウム」を見向きもしなかったが、今では多くの画家が使うポピュラーなものとなったそう。

    私もデュフィの絵画に初めて出会った時、何ともいえない明るい色彩、穏やかな幸福感に包まれる感じを受け、ファンになった。

  • エジソン(白熱電球、エジソン効果)、ベル(電話機発明)、ピエール・キュリー (圧電効果)、 マリー・キュリー(ラジウム)、 ヘルツ(電磁波)が見えた。

    エジソン(白熱電球、エジソン効果)、ベル(電話機発明)、ピエール・キュリー (圧電効果)、 マリー・キュリー(ラジウム)、 ヘルツ(電磁波)が見えた。

  • 電気の妖精が世界をめぐり、電気のおかげで人々の生活が豊かになり、最終話は、地上からの光を浴びて電気の精が飛翔する場面で締めくくられている。<br />

    電気の妖精が世界をめぐり、電気のおかげで人々の生活が豊かになり、最終話は、地上からの光を浴びて電気の精が飛翔する場面で締めくくられている。

  • Alma-Marceau駅からメトロ9番でStrasbourg - Saint-Denis駅へ。乗り換えてメトロ4番でCité駅へ。<br />歴史を感じる地下鉄駅構内。

    Alma-Marceau駅からメトロ9番でStrasbourg - Saint-Denis駅へ。乗り換えてメトロ4番でCité駅へ。
    歴史を感じる地下鉄駅構内。

  • 地下鉄出口にお花屋さん。

    地下鉄出口にお花屋さん。

  • 昨日見たサント・シャペルが見える。

    昨日見たサント・シャペルが見える。

  • シテ島からプティ・ポン橋を渡る時、バトー・ムーシュが通りかかった。

    シテ島からプティ・ポン橋を渡る時、バトー・ムーシュが通りかかった。

  • シテ島の歴史的建造物を背景にいつも観光客で溢れたバトー・ムーシュ。

    シテ島の歴史的建造物を背景にいつも観光客で溢れたバトー・ムーシュ。

  • さすが旧市街の中心、レストランが多い。

    さすが旧市街の中心、レストランが多い。

  • 少し進むと教会が見えた。

    少し進むと教会が見えた。

  • サン・セヴラン教会。<br />13世紀の鐘楼で知られるゴシック教会。無料。

    サン・セヴラン教会。
    13世紀の鐘楼で知られるゴシック教会。無料。

  • カルチェラタン界隈にあるが、ほど近いノートルダム大聖堂の喧騒と違ってひっそりと佇んでいる。

    カルチェラタン界隈にあるが、ほど近いノートルダム大聖堂の喧騒と違ってひっそりと佇んでいる。

  • クチコミによると。<br />「フランスで初めての外科医手術が行われたところとして知られる。その実験台になったのは死刑囚で、手術が無事成功してその後釈放されたという。」

    クチコミによると。
    「フランスで初めての外科医手術が行われたところとして知られる。その実験台になったのは死刑囚で、手術が無事成功してその後釈放されたという。」

  • 厳かな雰囲気の礼拝堂。

    厳かな雰囲気の礼拝堂。

  • 結構広い。

    結構広い。

  • 美しいステンドグラス。

    美しいステンドグラス。

  • 静かで良い雰囲気だった。

    静かで良い雰囲気だった。

  • パリらしい建物。

    パリらしい建物。

  • クリュニー中世美術館(Musée de Cluny)へ。<br /><br />残念ながら修復中で閉ざされてしまっている礼拝堂の赤い扉。見事な装飾の彫刻。<br /><br />

    クリュニー中世美術館(Musée de Cluny)へ。

    残念ながら修復中で閉ざされてしまっている礼拝堂の赤い扉。見事な装飾の彫刻。

  • この展示室はフリギダリウムFrigidariumと呼ばれているそう。<br />フリギダリウムというのは、古代ローマの公衆浴場で熱い風呂を楽しんだ後に入る大きな冷水のプールがある部屋のこと。<br />

    この展示室はフリギダリウムFrigidariumと呼ばれているそう。
    フリギダリウムというのは、古代ローマの公衆浴場で熱い風呂を楽しんだ後に入る大きな冷水のプールがある部屋のこと。

  • 古代ローマ遺跡をそのまま使うって素晴らしい。<br />パリにいるのにローマみたい。ローマ帝国ってホントにすごいなと改めて実感。

    古代ローマ遺跡をそのまま使うって素晴らしい。
    パリにいるのにローマみたい。ローマ帝国ってホントにすごいなと改めて実感。

  • ミルフルール:ユニコーンと鹿 ウールとシルクのタペストリー 1500年頃<br />ニューヨーク、個人蔵、ザイン=ヴィトゲンシュタイン美術コレクション所蔵<br />キャプションより。<br />「白いユニコーンと茶色の鹿が、大小さまざまな赤、黄、白の花が咲き乱れる野原で戯れています。この種のタペストリーは「ミルフルール」と呼ばれ、「千の花」という意味です。これらの花のうち、いくつ名前を挙げられますか?また、花の中に隠れている他の動物はどれでしょう?」

    ミルフルール:ユニコーンと鹿 ウールとシルクのタペストリー 1500年頃
    ニューヨーク、個人蔵、ザイン=ヴィトゲンシュタイン美術コレクション所蔵
    キャプションより。
    「白いユニコーンと茶色の鹿が、大小さまざまな赤、黄、白の花が咲き乱れる野原で戯れています。この種のタペストリーは「ミルフルール」と呼ばれ、「千の花」という意味です。これらの花のうち、いくつ名前を挙げられますか?また、花の中に隠れている他の動物はどれでしょう?」

  • キャプションより。<br />「ユニコーンは、ヨーロッパ中世の神話上の生き物の中で最もよく知られ、最も魅惑的な存在ですが、その起源ははるか昔、紀元1千年紀の初めにアジアに遡ります。<br /><br />古代から、あらゆる人々がユニコーンについて何らかの記述を残してきました。聖書、哲学者アリストテレス、著述家プリニウス、中世の動物寓話集、ルネサンス期の探検家や医師、詩人など、枚挙にいとまがありません。ユニコーンは普遍的な生き物であり、並外れた力を持つと言われています。<br />本展では、この長い歴史を辿ります。中世の人々は特にユニコーンに魅了され、中世のタペストリーの傑作2点の主役に据えました。パリのクリュニー美術館20号室に展示されている「貴婦人とユニコーン」と、ニューヨークのクロイスターズ美術館に展示されている「ユニコーンのタペストリー」です。 <br /><br />この伝説の生き物は、その後数世紀にわたり、科学出版物や旅行記の扉絵や挿絵として、また宮殿やコレクション、王侯貴族の食卓を飾る作品にも登場し、その存在感を少しも失うことはありませんでした。単独で、あるいは若い女性と共に、神秘的で捉えどころがなく、野生的あるいは従順なユニコーンは、二次元や三次元の作品、そして今や映画の題材として、芸術家たちにインスピレーションを与え続けています。<br />本展は9つのセクションに分かれており、ユニコーンの多様な側面を探究するとともに、この魔法のような唯一無二の生き物を描いた作品の数々を発見、あるいは再発見する機会となるでしょう。」

    キャプションより。
    「ユニコーンは、ヨーロッパ中世の神話上の生き物の中で最もよく知られ、最も魅惑的な存在ですが、その起源ははるか昔、紀元1千年紀の初めにアジアに遡ります。

    古代から、あらゆる人々がユニコーンについて何らかの記述を残してきました。聖書、哲学者アリストテレス、著述家プリニウス、中世の動物寓話集、ルネサンス期の探検家や医師、詩人など、枚挙にいとまがありません。ユニコーンは普遍的な生き物であり、並外れた力を持つと言われています。
    本展では、この長い歴史を辿ります。中世の人々は特にユニコーンに魅了され、中世のタペストリーの傑作2点の主役に据えました。パリのクリュニー美術館20号室に展示されている「貴婦人とユニコーン」と、ニューヨークのクロイスターズ美術館に展示されている「ユニコーンのタペストリー」です。

    この伝説の生き物は、その後数世紀にわたり、科学出版物や旅行記の扉絵や挿絵として、また宮殿やコレクション、王侯貴族の食卓を飾る作品にも登場し、その存在感を少しも失うことはありませんでした。単独で、あるいは若い女性と共に、神秘的で捉えどころがなく、野生的あるいは従順なユニコーンは、二次元や三次元の作品、そして今や映画の題材として、芸術家たちにインスピレーションを与え続けています。
    本展は9つのセクションに分かれており、ユニコーンの多様な側面を探究するとともに、この魔法のような唯一無二の生き物を描いた作品の数々を発見、あるいは再発見する機会となるでしょう。」

  • 様々なユニコーン装飾。<br /><br />並外れた力を持つ普遍的な生き物ユニコーン、MLBのドジャースで活躍する大谷選手、仲間から彼はユニコーンって言われてますよね。

    様々なユニコーン装飾。

    並外れた力を持つ普遍的な生き物ユニコーン、MLBのドジャースで活躍する大谷選手、仲間から彼はユニコーンって言われてますよね。

  • ピエール・レミエ(1368-1396年頃活動)「聖アントニウスの誘惑」<br />ヴァンサン・ド・ボーヴェ(1190年頃-1264年)「スペクルム・ビストリアレ」、ジャン・ド・ヴィニェによるラテン語からの翻訳、羊皮紙に彩色、14世紀後半<br />パリ、フランス国立図書館、フランス語写本部門<br /><br />「聖アントニウスの誘惑」によれば、このキリスト教の隠者は、悪を象徴する野獣に襲われた。この絵では、ユニコーンが最も凶暴で、聖人の額を牙で突き刺している。

    ピエール・レミエ(1368-1396年頃活動)「聖アントニウスの誘惑」
    ヴァンサン・ド・ボーヴェ(1190年頃-1264年)「スペクルム・ビストリアレ」、ジャン・ド・ヴィニェによるラテン語からの翻訳、羊皮紙に彩色、14世紀後半
    パリ、フランス国立図書館、フランス語写本部門

    「聖アントニウスの誘惑」によれば、このキリスト教の隠者は、悪を象徴する野獣に襲われた。この絵では、ユニコーンが最も凶暴で、聖人の額を牙で突き刺している。

  • ライン川上流または中流域の小箱(蓋部分)<br />「ユニコーンに乗った女性との狩猟」<br />ツゲ材、碧玉、絹 1460~1470年頃 <br />ウィーン美術史美術館

    ライン川上流または中流域の小箱(蓋部分)
    「ユニコーンに乗った女性との狩猟」
    ツゲ材、碧玉、絹 1460~1470年頃 
    ウィーン美術史美術館

  • セラファン - メデリック・ミユーズメント (1840-1905)<br /> 「天使、ユニコーンに乗ってドラゴンと戦う」 1870~1890年<br /> シャラントン・ル・ポン、パトリモワーヌと写真のメディアテーク

    セラファン - メデリック・ミユーズメント (1840-1905)
    「天使、ユニコーンに乗ってドラゴンと戦う」 1870~1890年
    シャラントン・ル・ポン、パトリモワーヌと写真のメディアテーク

  • 画面下は<br />マルク・レスキュイエ(画家)ロバート・ド・クロイの聖歌集『グラドゥアル』より<br />「ロバート・ド・クロイの腕を支えるユニコーン」<br />羊皮紙に描かれた挿絵、1540年

    画面下は
    マルク・レスキュイエ(画家)ロバート・ド・クロイの聖歌集『グラドゥアル』より
    「ロバート・ド・クロイの腕を支えるユニコーン」
    羊皮紙に描かれた挿絵、1540年

  • 美術館の建物は<br />古代ローマ浴場跡の隣接地に、ブルゴーニュの強力なクリュニー修道院がパリでの拠点として建てた貴族の邸宅(オテル)とのこと。ゴシック建築の優美な尖塔や石彫装飾が随所に見られる、中世の豪華な住居建築の代表例だそう。

    美術館の建物は
    古代ローマ浴場跡の隣接地に、ブルゴーニュの強力なクリュニー修道院がパリでの拠点として建てた貴族の邸宅(オテル)とのこと。ゴシック建築の優美な尖塔や石彫装飾が随所に見られる、中世の豪華な住居建築の代表例だそう。

  • 修道院内の教会のポルタイユだったのかな、萌えです。

    修道院内の教会のポルタイユだったのかな、萌えです。

  • パリの聖人や使徒の首のない像11体。<br />キャプションより。<br />「これらの像は、フランス革命中に控え壁に改造され、1839年に再発見されましたが、ほとんどすべてが識別に必要な特徴を失っています。ここでは、切断された頭蓋骨の帽子と司教杖の柄から聖ドニが特定され、裸足から使徒が特定されます。」

    パリの聖人や使徒の首のない像11体。
    キャプションより。
    「これらの像は、フランス革命中に控え壁に改造され、1839年に再発見されましたが、ほとんどすべてが識別に必要な特徴を失っています。ここでは、切断された頭蓋骨の帽子と司教杖の柄から聖ドニが特定され、裸足から使徒が特定されます。」

  • このゾーン、思いの外ロマネスクの柱頭が展示されていて嬉しい。<br /><br />回廊の柱頭 5点<br />・アカンサスの葉<br />・向き合うバジリスクとパルメットの束<br />・パルメットの束を挟んで向き合う鳥と人魚(セイレーン)<br />・頭部に前脚を乗せて向き合うグリフィンとキマイラ<br />・アカンサスの葉とライオンの頭部(破損あり) 1145年頃<br />サン=ドニ修道院の回廊より。<br />キャプションより。<br />「サン=ドニ修道院の回廊は、1145年頃、シュジェール修道院長の主導で再建されました。18世紀半ばに破壊されたその回廊の柱列は、単純な柱頭と二連柱頭を交互に配することで装飾されており、一部の柱頭は小柱状の彫像を支えていました。これら5点の柱頭は、初期ゴシック期の彫刻家たちが、コリント式柱頭の枠組みの中に空想上の生き物を含む多様なモチーフを適応させ、いかにして作品に変化をもたらしていたかを示しています。」

    このゾーン、思いの外ロマネスクの柱頭が展示されていて嬉しい。

    回廊の柱頭 5点
    ・アカンサスの葉
    ・向き合うバジリスクとパルメットの束
    ・パルメットの束を挟んで向き合う鳥と人魚(セイレーン)
    ・頭部に前脚を乗せて向き合うグリフィンとキマイラ
    ・アカンサスの葉とライオンの頭部(破損あり) 1145年頃
    サン=ドニ修道院の回廊より。
    キャプションより。
    「サン=ドニ修道院の回廊は、1145年頃、シュジェール修道院長の主導で再建されました。18世紀半ばに破壊されたその回廊の柱列は、単純な柱頭と二連柱頭を交互に配することで装飾されており、一部の柱頭は小柱状の彫像を支えていました。これら5点の柱頭は、初期ゴシック期の彫刻家たちが、コリント式柱頭の枠組みの中に空想上の生き物を含む多様なモチーフを適応させ、いかにして作品に変化をもたらしていたかを示しています。」

  • 小柱2本と小柱の区画3つ<br /><br />・小柱:アカンサスの葉を基部に配し、上から下までパルメットの束で装飾された螺旋状の帯<br />・小柱の下部:向かい合う一対の鳥とグリフィンが葉の中に重ねて配置され、広がるパルメットの束(おそらく次の項目の補完的な要素)<br />・小柱の上部:向かい合う一対のグリフィンと、葉のモチーフで翼を広げた鳥; 広がるパルメットの束(おそらく前の項目の補完的な要素)<br />・小柱の下部:向かい合う一対の鳥とグリフィンの間に裸の人物像が重ねられ、その上に裸の戦士が重ねられている<br />・小柱:螺旋状の帯状装飾に、植物の葉と広がるパルメットの束が描かれている。イル=ド=フランス地方、1135年頃~1140年頃<br /><br />サン=ドニ修道院教会の西側正面、北側と南側の入口の柱。<br />これらの小柱は、教会の西側入口の柱を飾っていた。<br />フランス革命中に剥ぎ取られた。ここに示されている3つの部分は、そのうちの2~3本の唯一の遺構であり、1820年代半ばに再利用のために切り取られ、バシリカ内部の低い手すりの支柱として使われている。

    小柱2本と小柱の区画3つ

    ・小柱:アカンサスの葉を基部に配し、上から下までパルメットの束で装飾された螺旋状の帯
    ・小柱の下部:向かい合う一対の鳥とグリフィンが葉の中に重ねて配置され、広がるパルメットの束(おそらく次の項目の補完的な要素)
    ・小柱の上部:向かい合う一対のグリフィンと、葉のモチーフで翼を広げた鳥; 広がるパルメットの束(おそらく前の項目の補完的な要素)
    ・小柱の下部:向かい合う一対の鳥とグリフィンの間に裸の人物像が重ねられ、その上に裸の戦士が重ねられている
    ・小柱:螺旋状の帯状装飾に、植物の葉と広がるパルメットの束が描かれている。イル=ド=フランス地方、1135年頃~1140年頃

    サン=ドニ修道院教会の西側正面、北側と南側の入口の柱。
    これらの小柱は、教会の西側入口の柱を飾っていた。
    フランス革命中に剥ぎ取られた。ここに示されている3つの部分は、そのうちの2~3本の唯一の遺構であり、1820年代半ばに再利用のために切り取られ、バシリカ内部の低い手すりの支柱として使われている。

  • 拡大して。

    拡大して。

  • 12個の埋め込み柱頭<br />組紐模様、人物像、聖体拝を持つ威厳あるキリスト、人物像 <br />溝彫り模様とパルメット、パルメット、サムソンとライオン、ライオンの穴の中のダニエル、パルメットと動物、パルメットなど。<br /><br />1020~1030年頃サンジェルマン・デ・プレ修道院教会身廊より。<br />12個の柱頭は、ロマネスク様式初期に現存する最も重要な彫刻群の一つです。  1820年代に元の場所で行われた修復工事中に取り外され、交換されたこれらの彫刻は、3人の彫刻家によるものとされている。<br />1人目は植物の装飾を専門としており、もう1人は物語的な場面を制作した。1人は聖体拝領に捧げられた円形彫刻に取り組んでおり、おそらく1022年にオルレアンの神学者から攻撃を受けていた聖体を守るためであった。

    12個の埋め込み柱頭
    組紐模様、人物像、聖体拝を持つ威厳あるキリスト、人物像 
    溝彫り模様とパルメット、パルメット、サムソンとライオン、ライオンの穴の中のダニエル、パルメットと動物、パルメットなど。

    1020~1030年頃サンジェルマン・デ・プレ修道院教会身廊より。
    12個の柱頭は、ロマネスク様式初期に現存する最も重要な彫刻群の一つです。 1820年代に元の場所で行われた修復工事中に取り外され、交換されたこれらの彫刻は、3人の彫刻家によるものとされている。
    1人目は植物の装飾を専門としており、もう1人は物語的な場面を制作した。1人は聖体拝領に捧げられた円形彫刻に取り組んでおり、おそらく1022年にオルレアンの神学者から攻撃を受けていた聖体を守るためであった。

  • 摩耗しているのが多いが、図像がはっきりしているものを拡大して。

    摩耗しているのが多いが、図像がはっきりしているものを拡大して。

  • 「双子座の柱頭」として知られる柱頭<br /><br />「水瓶座の柱頭」として知られる柱頭。<br /><br />

    「双子座の柱頭」として知られる柱頭

    「水瓶座の柱頭」として知られる柱頭。

  • 「創世記の柱頭」として知られる柱頭<br /><br />ブドウの蔓で装飾された柱頭

    「創世記の柱頭」として知られる柱頭

    ブドウの蔓で装飾された柱頭

  • パリ、サント=ジュヌヴィエーヴ修道院教会<br /><br />この部屋の中央に展示されている4つの大きなロマネスク様式の柱頭は、教会の身廊を見下ろしていました。教会は1100年頃に建てられ、宇宙と人間の時間を表しています。後陣は、パリの守護聖人である聖ジュヌヴィエーヴの聖遺物箱を囲むように、約30年後に建てられました。ここに展示されている彫刻装飾の断片は、初期ゴシック美術の好例です。教会は1807年に破壊されました。

    パリ、サント=ジュヌヴィエーヴ修道院教会

    この部屋の中央に展示されている4つの大きなロマネスク様式の柱頭は、教会の身廊を見下ろしていました。教会は1100年頃に建てられ、宇宙と人間の時間を表しています。後陣は、パリの守護聖人である聖ジュヌヴィエーヴの聖遺物箱を囲むように、約30年後に建てられました。ここに展示されている彫刻装飾の断片は、初期ゴシック美術の好例です。教会は1807年に破壊されました。

  • 8つの回廊柱頭のうち5つ。<br />アダムとイブの物語、ノアの物語、アブラハムの物語、<br />向かい合う立つライオン、向かい合うライオン<br />北カタルーニャ、12世紀第4四半期、<br /><br />サン・ペレ・デ・ロデス修道院(カタルーニャ)の回廊より<br />これらの柱頭はすべて同じ寸法です。し出所が判明している類似の作品と比較すると、1870年代に解体され、その所蔵品が散逸したサン・ペレ・デ・ロデス修道院の回廊に由来するものと考えられます。様式や構成の違いは、ジローナとルシヨン地方の中間地点にあるこの建築現場で、複数の彫刻家が共同で制作に携わったことに起因すると考えられます。

    8つの回廊柱頭のうち5つ。
    アダムとイブの物語、ノアの物語、アブラハムの物語、
    向かい合う立つライオン、向かい合うライオン
    北カタルーニャ、12世紀第4四半期、

    サン・ペレ・デ・ロデス修道院(カタルーニャ)の回廊より
    これらの柱頭はすべて同じ寸法です。し出所が判明している類似の作品と比較すると、1870年代に解体され、その所蔵品が散逸したサン・ペレ・デ・ロデス修道院の回廊に由来するものと考えられます。様式や構成の違いは、ジローナとルシヨン地方の中間地点にあるこの建築現場で、複数の彫刻家が共同で制作に携わったことに起因すると考えられます。

  • 南ロマネスク美術<br /><br />ロマネスク美術と呼ばれる装飾様式と建築様式の最初の例は、1000年以降、南ヨーロッパ、特にカタルーニャとイタリアに現れました。イスラム教徒が支配したスペイン(アル=アンダルス)とファーティマ朝が支配したシチリア、そしてアドリア海沿岸におけるビザンツ帝国の存在は、東洋の素材と芸術家が西洋に伝わる道を開きました。南ロマネスク美術は、こうした出会いの結果として生まれたものです。

    南ロマネスク美術

    ロマネスク美術と呼ばれる装飾様式と建築様式の最初の例は、1000年以降、南ヨーロッパ、特にカタルーニャとイタリアに現れました。イスラム教徒が支配したスペイン(アル=アンダルス)とファーティマ朝が支配したシチリア、そしてアドリア海沿岸におけるビザンツ帝国の存在は、東洋の素材と芸術家が西洋に伝わる道を開きました。南ロマネスク美術は、こうした出会いの結果として生まれたものです。

  • 寺宝的な展示も。

    寺宝的な展示も。

  • この柱頭の説明ではないけど。<br /><br />&lt;東西の出会い&gt;<br />中世には、巡礼者や十字軍による交易や旅行のおかげで、東西間の強い結びつきが生まれました。こうした交流は人々の想像力を掻き立て、文学や美術作品の中で、東洋の幻想的なイメージが形作られました。ビザンチンやイスラムの芸術家からインスピレーションを得た図像や様式、そして異国情緒あふれる素材は、西洋の人々を新たな地平への夢で魅了しました。

    この柱頭の説明ではないけど。

    <東西の出会い>
    中世には、巡礼者や十字軍による交易や旅行のおかげで、東西間の強い結びつきが生まれました。こうした交流は人々の想像力を掻き立て、文学や美術作品の中で、東洋の幻想的なイメージが形作られました。ビザンチンやイスラムの芸術家からインスピレーションを得た図像や様式、そして異国情緒あふれる素材は、西洋の人々を新たな地平への夢で魅了しました。

  • パリのサント・シャペル<br />1239年と1241年、ルイ9世はキリストの受難の聖遺物一式、すなわち茨の冠と真の十字架の断片を入手しました。それらを適切な環境で保存するため、彼は宮殿の中心部、シテ島に巨大な聖遺物箱として2階建ての礼拝堂を建設させました。天上のエルサレムを彷彿とさせるこのレイヨナン・ゴシック様式の傑作は、国王が十字軍遠征に出発する直前の1248年に献堂されました。19世紀の修復の際にサント・シャペルに保存されなかった装飾品、特にステンドグラスや使徒像は、この部屋に集められています。<br /><br />聖別十字架を携えた十二使徒の像が、上部礼拝堂の支柱に並んでいます。この革新的な配置は時代を超えて広く普及し、繰り返され、キリストの仲間たちを教会の柱として象徴しています。1797年に撤去され散逸しましたが、19世紀半ばの記念碑修復工事の際に6体の像が元の場所に戻されました。残りの6体は損傷が激しいと判断され、クリュニー美術館に送られました。

    パリのサント・シャペル
    1239年と1241年、ルイ9世はキリストの受難の聖遺物一式、すなわち茨の冠と真の十字架の断片を入手しました。それらを適切な環境で保存するため、彼は宮殿の中心部、シテ島に巨大な聖遺物箱として2階建ての礼拝堂を建設させました。天上のエルサレムを彷彿とさせるこのレイヨナン・ゴシック様式の傑作は、国王が十字軍遠征に出発する直前の1248年に献堂されました。19世紀の修復の際にサント・シャペルに保存されなかった装飾品、特にステンドグラスや使徒像は、この部屋に集められています。

    聖別十字架を携えた十二使徒の像が、上部礼拝堂の支柱に並んでいます。この革新的な配置は時代を超えて広く普及し、繰り返され、キリストの仲間たちを教会の柱として象徴しています。1797年に撤去され散逸しましたが、19世紀半ばの記念碑修復工事の際に6体の像が元の場所に戻されました。残りの6体は損傷が激しいと判断され、クリュニー美術館に送られました。

  • トランペットを吹く天使<br />イル・ド・フランス地方、1297年以降<br />ポワシー(イヴリーヌ県)のサン・ルイ修道院教会より

    トランペットを吹く天使
    イル・ド・フランス地方、1297年以降
    ポワシー(イヴリーヌ県)のサン・ルイ修道院教会より

  • 聖ロマン・ド・ブライエの祭壇画<br />キリストの洗礼(中央);聖マルティヌスがロバに乗って聖ロマンの偶像崇拝に対する説教を助けている(左); 聖マルティンが聖ロマンの臨終の床に現れる(右、イル=ド=フランス地方、13世紀半ば<br />イデ<br />ルテシアン石灰岩、多色装飾の痕跡<br />サン=ドニ修道院教会(セーヌ=サン=ドニ県、フランス)の聖堂後陣から、南側の最初の放射状礼拝堂<br />聖マルティン、ルテシアン石灰岩。<br />サン=ドニ修道院教会の後陣から放射状に伸びる礼拝堂は、約100年前にシュジェール修道院長によって建てられ、13世紀半ばに改修されました。各礼拝堂には、祭壇の上に聖遺物箱が置かれ、特定の聖人の聖遺物が安置されていました。多くの場合、聖遺物箱のすぐ下には、聖人の生涯を描いた祭壇画が置かれていました。この作品は、聖マルティンの仲間であった聖ロマン・ド・ブライエの生涯の2つのエピソードを描いています。

    聖ロマン・ド・ブライエの祭壇画
    キリストの洗礼(中央);聖マルティヌスがロバに乗って聖ロマンの偶像崇拝に対する説教を助けている(左); 聖マルティンが聖ロマンの臨終の床に現れる(右、イル=ド=フランス地方、13世紀半ば
    イデ
    ルテシアン石灰岩、多色装飾の痕跡
    サン=ドニ修道院教会(セーヌ=サン=ドニ県、フランス)の聖堂後陣から、南側の最初の放射状礼拝堂
    聖マルティン、ルテシアン石灰岩。
    サン=ドニ修道院教会の後陣から放射状に伸びる礼拝堂は、約100年前にシュジェール修道院長によって建てられ、13世紀半ばに改修されました。各礼拝堂には、祭壇の上に聖遺物箱が置かれ、特定の聖人の聖遺物が安置されていました。多くの場合、聖遺物箱のすぐ下には、聖人の生涯を描いた祭壇画が置かれていました。この作品は、聖マルティンの仲間であった聖ロマン・ド・ブライエの生涯の2つのエピソードを描いています。

  • 「フィリップ4世(美王)とその息子たちの治世下におけるフランス美術」<br />フィリップ4世(美王)とその息子たちの治世(1285年~1328年)において、彫刻はより簡素で優雅な方向へと発展しました。<br /><br />「サン・シュルピス・デュ・タルン三連祭壇画」として知られる三連祭壇画」<br />東方三博士の礼拝、聖母子像、神殿奉献(下段)<br />十字架を担うキリスト、磔刑、十字架降架(上段)<br />パリ、1300年頃 サン・シュルピス教会<br /><br />この祭壇画は、その大きさゆえに、主要な要素が欠けているにもかかわらず、並外れた作品である。中央パネルの高浮彫りの人物像と、建築的な構成のバランスが、記念碑的な風格を与えている。

    「フィリップ4世(美王)とその息子たちの治世下におけるフランス美術」
    フィリップ4世(美王)とその息子たちの治世(1285年~1328年)において、彫刻はより簡素で優雅な方向へと発展しました。

    「サン・シュルピス・デュ・タルン三連祭壇画」として知られる三連祭壇画」
    東方三博士の礼拝、聖母子像、神殿奉献(下段)
    十字架を担うキリスト、磔刑、十字架降架(上段)
    パリ、1300年頃 サン・シュルピス教会

    この祭壇画は、その大きさゆえに、主要な要素が欠けているにもかかわらず、並外れた作品である。中央パネルの高浮彫りの人物像と、建築的な構成のバランスが、記念碑的な風格を与えている。

  • 「ラ・マルシュ伯シャルルとブルゴーニュのブランシュの子供とされる2体の横臥像」<br />横臥像はジャンヌ・ド・フランス(1321年頃)とされ、頭部のない横臥像はフィリップ・ド・フランス(1322年頃)とされる。イル・ド・フランス地方、1325年頃。<br /><br />ポン・オー・ダム修道院教会より<br />(フランス、セーヌ=エ=マルヌ県)<br />ラ・マルシュ伯であったシャルル4世(美男王、在位1322年~1328年)は、フィリップ4世の三男で末っ子であり、最初の妻であるブルゴーニュのブランシュとの間に2人の子供をもうけた。ブランシュは1314年、ネッル塔事件の後、姦通罪で投獄された。 二人の子供は幼くして亡くなり、ポン=オー=ダムのシトー会修道院教会の身廊に埋葬された。彼らの年齢にふさわしく、ここには白い大理石でできた小さな横臥像が二体安置されている。

    「ラ・マルシュ伯シャルルとブルゴーニュのブランシュの子供とされる2体の横臥像」
    横臥像はジャンヌ・ド・フランス(1321年頃)とされ、頭部のない横臥像はフィリップ・ド・フランス(1322年頃)とされる。イル・ド・フランス地方、1325年頃。

    ポン・オー・ダム修道院教会より
    (フランス、セーヌ=エ=マルヌ県)
    ラ・マルシュ伯であったシャルル4世(美男王、在位1322年~1328年)は、フィリップ4世の三男で末っ子であり、最初の妻であるブルゴーニュのブランシュとの間に2人の子供をもうけた。ブランシュは1314年、ネッル塔事件の後、姦通罪で投獄された。 二人の子供は幼くして亡くなり、ポン=オー=ダムのシトー会修道院教会の身廊に埋葬された。彼らの年齢にふさわしく、ここには白い大理石でできた小さな横臥像が二体安置されている。

  • 「聖母子像」<br />ル・ド・フランス地方、14世紀半ば<br />ロンシャルン修道院(パリ)出土?<br />この作品は、ルイ14世の妹イザベル・ド・フランスがブローニュの森の端に創建した修道院に由来すると伝えられています。この修道院はフランシスコ会の貧しいクララ会修道女たちに託され、聖母の謙遜に捧げられました。カペー朝末期の王たちの間で特に崇敬を集め、フィリップ5世(長身王)の娘で修道女であったブランシュ・ド・フランス(1358年没)の埋葬地でもあります。<br /><br />「カニラック家の紋章が刻まれた小箱」<br />キリスト、聖ペテロと聖パウロ、竜退治の聖ミカエル、聖クレア、聖母子、受胎告知、聖人たち<br />ラングドックまたはプロヴァンス、14世紀中頃

    「聖母子像」
    ル・ド・フランス地方、14世紀半ば
    ロンシャルン修道院(パリ)出土?
    この作品は、ルイ14世の妹イザベル・ド・フランスがブローニュの森の端に創建した修道院に由来すると伝えられています。この修道院はフランシスコ会の貧しいクララ会修道女たちに託され、聖母の謙遜に捧げられました。カペー朝末期の王たちの間で特に崇敬を集め、フィリップ5世(長身王)の娘で修道女であったブランシュ・ド・フランス(1358年没)の埋葬地でもあります。

    「カニラック家の紋章が刻まれた小箱」
    キリスト、聖ペテロと聖パウロ、竜退治の聖ミカエル、聖クレア、聖母子、受胎告知、聖人たち
    ラングドックまたはプロヴァンス、14世紀中頃

  • 「14世紀北ヨーロッパの美術」<br />14世紀、フランスとイングランドの間で百年戦争として知られる一連の紛争と疫病の流行がヨーロッパを襲いました。大規模な建築事業に続き、小規模な建築事業(礼拝堂、祭壇装飾など)も行われました。<br />パリでは活発な金細工職人集団が豪華な七宝細工を制作しました。彫刻工房では、祭壇画、聖母像や聖人像を石や木で彫刻し、象牙製の板や鏡箱も制作しました。<br />優雅で洗練されたパリ様式はフランス王国内外に広がり、この部屋で見られる絵画パネルの著しい発展はその証拠と言えるでしょう。

    「14世紀北ヨーロッパの美術」
    14世紀、フランスとイングランドの間で百年戦争として知られる一連の紛争と疫病の流行がヨーロッパを襲いました。大規模な建築事業に続き、小規模な建築事業(礼拝堂、祭壇装飾など)も行われました。
    パリでは活発な金細工職人集団が豪華な七宝細工を制作しました。彫刻工房では、祭壇画、聖母像や聖人像を石や木で彫刻し、象牙製の板や鏡箱も制作しました。
    優雅で洗練されたパリ様式はフランス王国内外に広がり、この部屋で見られる絵画パネルの著しい発展はその証拠と言えるでしょう。

  • 「巡礼バッジ」<br />13世紀から16世紀初頭にかけて西ヨーロッパで広く普及したこれらのブローチは、衣服や帽子に付けて身につけ、誓いの印として川に投げ入れられました。現在ここに所蔵されているものの中には、キリスト教の聖地を記念した品が世俗的な装飾品よりもはるかに多く見られます。これらは中世における巡礼の旅の重要性を物語るものであり、私たちに巡礼者たちの足跡を辿らせてくれます。

    「巡礼バッジ」
    13世紀から16世紀初頭にかけて西ヨーロッパで広く普及したこれらのブローチは、衣服や帽子に付けて身につけ、誓いの印として川に投げ入れられました。現在ここに所蔵されているものの中には、キリスト教の聖地を記念した品が世俗的な装飾品よりもはるかに多く見られます。これらは中世における巡礼の旅の重要性を物語るものであり、私たちに巡礼者たちの足跡を辿らせてくれます。

  • 通路にも美しいタペストリーが、展示されていた。<br />学校の授業なのか小学生から高校生位の生徒たちを多く見かけた。小さい頃から本物見れるってすごいよね。

    通路にも美しいタペストリーが、展示されていた。
    学校の授業なのか小学生から高校生位の生徒たちを多く見かけた。小さい頃から本物見れるってすごいよね。

  • この「貴婦人と一角獣」シリーズを見にやって来た。<br />狭い部屋だが、課外授業の生徒たちや一般客で満員状態。<br /><br />「貴婦人と一角獣」は、ル・ヴィスト家の紋章をあしらった6枚組のタペストリーで、背景に花々散りばめられた特徴的なミルフルール様式の傑作。<br /><br />この《貴婦人と一角獣》のタペストリーは1841年、歴史記念物監督官で小説家でもあったプロスペル・メリメがブサック城(Château de Boussac)で発見した。<br />(タペストリーが織られたのが15世紀末(つまり1400年代末)らしい)<br />タペストリーは保存状態が悪く傷んでいたが、小説家ジョルジュ・サンドが『ジャンヌ』(1844年)の作中でこのタペストリーを賛美したことで世の関心を集めることとなった。1882年、このタペストリーはクリュニー美術館に移され、展示されている。<br /><br />6つの作品があり、「触覚」、「味覚」、「嗅覚」、「聴覚」、「視覚」、「我が唯一の望み」が<br />描かれている。<br /><br />「触覚」<br />若い貴婦人は立って自ら右手で旗を掲げて、左手は一角獣の角に触れている。<br /><br /><br /><br />

    この「貴婦人と一角獣」シリーズを見にやって来た。
    狭い部屋だが、課外授業の生徒たちや一般客で満員状態。

    「貴婦人と一角獣」は、ル・ヴィスト家の紋章をあしらった6枚組のタペストリーで、背景に花々散りばめられた特徴的なミルフルール様式の傑作。

    この《貴婦人と一角獣》のタペストリーは1841年、歴史記念物監督官で小説家でもあったプロスペル・メリメがブサック城(Château de Boussac)で発見した。
    (タペストリーが織られたのが15世紀末(つまり1400年代末)らしい)
    タペストリーは保存状態が悪く傷んでいたが、小説家ジョルジュ・サンドが『ジャンヌ』(1844年)の作中でこのタペストリーを賛美したことで世の関心を集めることとなった。1882年、このタペストリーはクリュニー美術館に移され、展示されている。

    6つの作品があり、「触覚」、「味覚」、「嗅覚」、「聴覚」、「視覚」、「我が唯一の望み」が
    描かれている。

    「触覚」
    若い貴婦人は立って自ら右手で旗を掲げて、左手は一角獣の角に触れている。



  • 「味覚」<br />若い貴婦人は侍女から白い粒の甘いお菓子を受け取っている。<br />左手に止まった鳥へ餌付けしているのでしょうか。<br />足元の猿も赤い実をほおばっている。<br /><br />このデザインのクッションカバーを何故かイタリアで購入した。<br /><br /><br />「ロドヴとユニコーン」は、その独創性と、タペストリーの原画を描いた画家、下絵師、織り手の共同作業によって生み出された質の高い仕上がりにおいて、他に類を見ない作品です。数々の歴史的経緯や、意図せず行われた様々な修復作業にもかかわらず、タペストリーは幅広い魅力を保ち続けています。最近の修復と博物館の改修は、保存の質と、15世紀の傑作に対する人々の理解を深めることを目的として行われました。

    「味覚」
    若い貴婦人は侍女から白い粒の甘いお菓子を受け取っている。
    左手に止まった鳥へ餌付けしているのでしょうか。
    足元の猿も赤い実をほおばっている。

    このデザインのクッションカバーを何故かイタリアで購入した。


    「ロドヴとユニコーン」は、その独創性と、タペストリーの原画を描いた画家、下絵師、織り手の共同作業によって生み出された質の高い仕上がりにおいて、他に類を見ない作品です。数々の歴史的経緯や、意図せず行われた様々な修復作業にもかかわらず、タペストリーは幅広い魅力を保ち続けています。最近の修復と博物館の改修は、保存の質と、15世紀の傑作に対する人々の理解を深めることを目的として行われました。

  • 「嗅覚」<br />若い貴婦人は立ち上がって、花輪を作っている。侍女は花が入った籠を持っている。猿は貴婦人の後ろで花の匂いをかいでいる。

    「嗅覚」
    若い貴婦人は立ち上がって、花輪を作っている。侍女は花が入った籠を持っている。猿は貴婦人の後ろで花の匂いをかいでいる。

  • 「聴覚」<br />若い貴婦人はトルコじゅうたんを掛けた机の上のポジティブオルガン(小型のパイプオルガン)を弾いている。侍女は机の反対側に立ってオルガンのふいごを動かしている。一角獣はおとなしく座わりこんで貴婦人の演奏する音楽に耳を傾けている。<br /><br /><br /><br /><br />

    「聴覚」
    若い貴婦人はトルコじゅうたんを掛けた机の上のポジティブオルガン(小型のパイプオルガン)を弾いている。侍女は机の反対側に立ってオルガンのふいごを動かしている。一角獣はおとなしく座わりこんで貴婦人の演奏する音楽に耳を傾けている。




  • 「視覚」<br />若い貴婦人は右手に手鏡を持ち、一角獣が膝に前足を乗せることを許してる。<br />一角獣は貴婦人の手鏡に映る自身の姿を見ている。

    「視覚」
    若い貴婦人は右手に手鏡を持ち、一角獣が膝に前足を乗せることを許してる。
    一角獣は貴婦人の手鏡に映る自身の姿を見ている。

  • 「我が唯一の望み」<br />第六感と言われる「理解力」や「愛」、「処女性」などが有力とされているが、いずれも十分な証拠がなく推測の域を出ていないのが現状とのこと。<br />人間と動物たちとの相違の一つである「物欲」であるという新説も浮上しているが、制作者の本当の意図は何だったのでしょうか。その真相は今も謎に包まれたままだそう。<br /><br />中央に設けられた深青色のテントの前に立つ貴婦人が、侍女が差し出す箱の中から首飾りを取り出して(または箱へ戻して)いる。<br />そして、テントの上方部に書かれた謎のメッセージ「À Mon Seul Désir」(我が唯一の望みに、の意)。<br />この2点が何を暗喩しているのか、その解釈をめぐって実は研究者の間でもいまだに決着がつけられていないそう。<br /><br />貴婦人と一角獣を通じて至上の愛を謳うとか嫁ぐ娘の幸せを願うetc.いろんな見方があるよう。

    「我が唯一の望み」
    第六感と言われる「理解力」や「愛」、「処女性」などが有力とされているが、いずれも十分な証拠がなく推測の域を出ていないのが現状とのこと。
    人間と動物たちとの相違の一つである「物欲」であるという新説も浮上しているが、制作者の本当の意図は何だったのでしょうか。その真相は今も謎に包まれたままだそう。

    中央に設けられた深青色のテントの前に立つ貴婦人が、侍女が差し出す箱の中から首飾りを取り出して(または箱へ戻して)いる。
    そして、テントの上方部に書かれた謎のメッセージ「À Mon Seul Désir」(我が唯一の望みに、の意)。
    この2点が何を暗喩しているのか、その解釈をめぐって実は研究者の間でもいまだに決着がつけられていないそう。

    貴婦人と一角獣を通じて至上の愛を謳うとか嫁ぐ娘の幸せを願うetc.いろんな見方があるよう。

  • 拡大して。<br /><br />19世紀前半、ナポレオンの時代、王政復古、そして第二共和政と、政権が次々と変わる激動の時代にあってダヴィッドの「ナポレオンの戴冠」など権力者がプロパガンダに使っていた。そんな中、19世紀の初頭頃から、ロマン主義の流れの中で、古いものに美を発見する、中世美術に回帰し始めていたそう。<br /><br />19世紀、何人かの文学者が「貴婦人と一角獣」の存在に気づいて、それを文章に残していますが、ロマン主義の作家ジョルジュ・サンドもその一人とのこと。<br />昨日訪れたギュスターブ・モローも一角獣を描いていますよね。

    拡大して。

    19世紀前半、ナポレオンの時代、王政復古、そして第二共和政と、政権が次々と変わる激動の時代にあってダヴィッドの「ナポレオンの戴冠」など権力者がプロパガンダに使っていた。そんな中、19世紀の初頭頃から、ロマン主義の流れの中で、古いものに美を発見する、中世美術に回帰し始めていたそう。

    19世紀、何人かの文学者が「貴婦人と一角獣」の存在に気づいて、それを文章に残していますが、ロマン主義の作家ジョルジュ・サンドもその一人とのこと。
    昨日訪れたギュスターブ・モローも一角獣を描いていますよね。

  • 貴婦人に甘えているみいたいな一角獣が可愛い。<br /><br />タペストリーは14世紀から人気を博し、近代を通じてその人気は衰えることがない。教会、城、そして上流階級の邸宅を飾るために、タペストリーは非常に重宝された。<br />

    イチオシ

    貴婦人に甘えているみいたいな一角獣が可愛い。

    タペストリーは14世紀から人気を博し、近代を通じてその人気は衰えることがない。教会、城、そして上流階級の邸宅を飾るために、タペストリーは非常に重宝された。

  • 一角獣は旗を捧げ持って、前足を上げて、貴婦人に恭順の姿勢。<br /><br />何故か心惹かれるユニコーン、古代から人気だったのね。私も好きです。

    一角獣は旗を捧げ持って、前足を上げて、貴婦人に恭順の姿勢。

    何故か心惹かれるユニコーン、古代から人気だったのね。私も好きです。

  • 一角獣が前足を上げて、求愛のポーズをとっているのだそう。気性の激しい一角獣も愛する女性に対しては、従順に愛を捧げるのだとか。

    一角獣が前足を上げて、求愛のポーズをとっているのだそう。気性の激しい一角獣も愛する女性に対しては、従順に愛を捧げるのだとか。

  • キャプションより。<br /><保存状態と過去の修復><br />「19世紀におけるタペストリーの保管状況は、残念ながら非常に劣悪であったことが広く認められています。1853年には、3枚のタペストリーが「ブサック市庁舎の片隅に放置され、巻かれたままになっていた。ネズミと湿気が端から侵食し始めており、間もなく深刻な損傷を引き起こすだろう」と記録されています。<br />1882年に美術館に到着した際、タペストリーは一般公開できるよう修復されました。その主な目的は、欠損していた下部を補うことでした。 最初の修復家は、とりわけ「どこにも見つけられなかったあのありえない赤色」、ヴーヴ・プリスタットなどを挙げて、この仕事を諦めた。ゴブラン織工房のタペストリー修復家が1882年に最初の修復を担当し、1883年にはラメールがそれに続き、主な目的は主要部分を「やり直す」ことだった。<br />しかし、ラメールが追加した彩色部分はすぐにひっくり返り、新しく任命された美術館館長アルフレッド・ダルセルは、代わりに織り直すことにした。この作業は、ゴブラン織工房の芸術家兼室内装飾家J.ラヴォーに委託され、1892年に完了した。<br />1920年代には、縦糸の劣化が心配になり、ゴブラン織工房で行われた調査で、タペストリー全体の補強が必要であると結論付けられた。 この新たな修復作業は1941年に開始され、ブレジェール工房によって実施されました。作業の進捗状況を確認するために複数回会合を開いた委員会が監督にあたりました。当時、このような委員会による監督は絵画の修復にのみ用いられていた慣例であり、第二次世界大戦の真っ只中においてタペストリーがいかに重要な位置を占めていたかを物語っています。1889年から1892年にかけてラヴォーによって織られた下部は保存し、欠損部分や著しく損傷した部分のみを修復することが決定されました。<br /><br /> 2012~2013年の修復作業<br />空気中の高濃度の粉塵は繊維に摩耗作用を及ぼすことが証明されており、円形ホールの展示環境によってさらに悪化していたため、新たな修復作業が必要となりました。まず、粉塵除去、洗浄、そして織物構造を新しい裏地で補強し、弱点部分の張力を軽減する特殊な技術を用いました。2013年の部屋の改修は修復プロジェクトの最終段階であり、粉塵の発生と繊維への過度の引っ張りに最善の対策を講じるために計画されました。」

    キャプションより。
    <保存状態と過去の修復>
    「19世紀におけるタペストリーの保管状況は、残念ながら非常に劣悪であったことが広く認められています。1853年には、3枚のタペストリーが「ブサック市庁舎の片隅に放置され、巻かれたままになっていた。ネズミと湿気が端から侵食し始めており、間もなく深刻な損傷を引き起こすだろう」と記録されています。
    1882年に美術館に到着した際、タペストリーは一般公開できるよう修復されました。その主な目的は、欠損していた下部を補うことでした。 最初の修復家は、とりわけ「どこにも見つけられなかったあのありえない赤色」、ヴーヴ・プリスタットなどを挙げて、この仕事を諦めた。ゴブラン織工房のタペストリー修復家が1882年に最初の修復を担当し、1883年にはラメールがそれに続き、主な目的は主要部分を「やり直す」ことだった。
    しかし、ラメールが追加した彩色部分はすぐにひっくり返り、新しく任命された美術館館長アルフレッド・ダルセルは、代わりに織り直すことにした。この作業は、ゴブラン織工房の芸術家兼室内装飾家J.ラヴォーに委託され、1892年に完了した。
    1920年代には、縦糸の劣化が心配になり、ゴブラン織工房で行われた調査で、タペストリー全体の補強が必要であると結論付けられた。 この新たな修復作業は1941年に開始され、ブレジェール工房によって実施されました。作業の進捗状況を確認するために複数回会合を開いた委員会が監督にあたりました。当時、このような委員会による監督は絵画の修復にのみ用いられていた慣例であり、第二次世界大戦の真っ只中においてタペストリーがいかに重要な位置を占めていたかを物語っています。1889年から1892年にかけてラヴォーによって織られた下部は保存し、欠損部分や著しく損傷した部分のみを修復することが決定されました。

    2012~2013年の修復作業
    空気中の高濃度の粉塵は繊維に摩耗作用を及ぼすことが証明されており、円形ホールの展示環境によってさらに悪化していたため、新たな修復作業が必要となりました。まず、粉塵除去、洗浄、そして織物構造を新しい裏地で補強し、弱点部分の張力を軽減する特殊な技術を用いました。2013年の部屋の改修は修復プロジェクトの最終段階であり、粉塵の発生と繊維への過度の引っ張りに最善の対策を講じるために計画されました。」

  • キャプションより。<br />「この織物は高度な技術力を示しており、当時最盛期を迎えていた芸術的実践が提供するあらゆる可能性を最大限に活用しています。<br />この織物の職人技は、主に約30種類の異なる色合いと色に大きく依存しています。<br />ここで使用されている天然染料のほとんどは、中世末期には一般的だったもので、赤にはラダー、黄色にはウェルド(「ダイアーズロケット」とも呼ばれる)、青にはウォードなどが使われています。<br /><br />しかし、ある種の地衣類から抽出されるオルセインから得られる濃い紫色など、より珍しい色合いも確認できます。タペストリーの裏側ははるかに良好な状態を保っており、作品に用いられている本来の色をより正確に把握することができます。<br />これは特に緑色のパレットに当てはまります。表側は、黄みが失われたために青く退色しています。それぞれの色は、手織り職人によって巧みに用いられた、明るい、中間、暗いの3つの異なるグラデーションを経ています。 」

    キャプションより。
    「この織物は高度な技術力を示しており、当時最盛期を迎えていた芸術的実践が提供するあらゆる可能性を最大限に活用しています。
    この織物の職人技は、主に約30種類の異なる色合いと色に大きく依存しています。
    ここで使用されている天然染料のほとんどは、中世末期には一般的だったもので、赤にはラダー、黄色にはウェルド(「ダイアーズロケット」とも呼ばれる)、青にはウォードなどが使われています。

    しかし、ある種の地衣類から抽出されるオルセインから得られる濃い紫色など、より珍しい色合いも確認できます。タペストリーの裏側ははるかに良好な状態を保っており、作品に用いられている本来の色をより正確に把握することができます。
    これは特に緑色のパレットに当てはまります。表側は、黄みが失われたために青く退色しています。それぞれの色は、手織り職人によって巧みに用いられた、明るい、中間、暗いの3つの異なるグラデーションを経ています。 」

  • フランドル地方のものも。

    フランドル地方のものも。

  • キリストの受難と幼少期を描いた祭壇画<br />十字架を担うキリスト、磔刑、そして七つの秘蹟、十字架降架(上段) 受胎告知、聖母訪問、キリスト降誕、東方三博士の礼拝、割礼、聖母への奉献(下段) アントワープ、1515~1520年頃<br />彩色木(オーク材)<br />アントワープの多色装飾と祭壇画の完成を示す商標(祭壇上部右側の城の上に描かれた二つの手)<br />この祭壇画は、彩色された側板が失われているものの、アントワープの作品を代表するものです。祭壇上部(中央構造)は三つの主要な区画に分かれており、それぞれに高浮彫りの物語が描かれ、華麗な建築装飾で飾られています。中央区画の高さは、身廊と側廊を備えたゴシック教会のシルエットを彷彿とさせます。

    キリストの受難と幼少期を描いた祭壇画
    十字架を担うキリスト、磔刑、そして七つの秘蹟、十字架降架(上段) 受胎告知、聖母訪問、キリスト降誕、東方三博士の礼拝、割礼、聖母への奉献(下段) アントワープ、1515~1520年頃
    彩色木(オーク材)
    アントワープの多色装飾と祭壇画の完成を示す商標(祭壇上部右側の城の上に描かれた二つの手)
    この祭壇画は、彩色された側板が失われているものの、アントワープの作品を代表するものです。祭壇上部(中央構造)は三つの主要な区画に分かれており、それぞれに高浮彫りの物語が描かれ、華麗な建築装飾で飾られています。中央区画の高さは、身廊と側廊を備えたゴシック教会のシルエットを彷彿とさせます。

  • キリストの受難と幼少期を描いた祭壇画<br />祭壇中央部<br />十字架を担ぐキリスト、磔刑、十字架降架(祭壇上部);キリスト降誕;東方三博士の礼拝(両側);受難の道具を捧げる天使たち(祭壇下部) 彩色木彫(オーク材)<br />2s;n<br />翼<br />立つ十二使徒;下部:十二預言者の胸像(内側);受胎告知;両側:寄進者を紹介するま聖人、聖人司教;下部:四福音書記者(外側) 油彩、木彫(オーク材)<br />te ant<br />S 北イル=ド=フランス(ボーヴェ?) 1520~1530年頃 シャンドゥイユのサン=マルシャル教会より

    キリストの受難と幼少期を描いた祭壇画
    祭壇中央部
    十字架を担ぐキリスト、磔刑、十字架降架(祭壇上部);キリスト降誕;東方三博士の礼拝(両側);受難の道具を捧げる天使たち(祭壇下部) 彩色木彫(オーク材)
    2s;n

    立つ十二使徒;下部:十二預言者の胸像(内側);受胎告知;両側:寄進者を紹介するま聖人、聖人司教;下部:四福音書記者(外側) 油彩、木彫(オーク材)
    te ant
    S 北イル=ド=フランス(ボーヴェ?) 1520~1530年頃 シャンドゥイユのサン=マルシャル教会より

  • ボーヴェのサン・ルシアン修道院の聖歌隊席の装飾。

    ボーヴェのサン・ルシアン修道院の聖歌隊席の装飾。

  • アルマン・ポワン(1861-1932)<br />「王女と一角獣」1897-1899年頃  パリ、個人蔵<br /><br />画家アルマン・ポワンは、イタリア・ルネサンスからインスピレーションを得て、横顔の王女を描いたこの肖像画を制作しました。王女は古典的な女神の翼付き兜を被り、長い髪は編み込まれています。一角獣のたてがみも同様です。ポワンの中世美術への関心は、七宝技法の使用にも表れています。

    アルマン・ポワン(1861-1932)
    「王女と一角獣」1897-1899年頃  パリ、個人蔵

    画家アルマン・ポワンは、イタリア・ルネサンスからインスピレーションを得て、横顔の王女を描いたこの肖像画を制作しました。王女は古典的な女神の翼付き兜を被り、長い髪は編み込まれています。一角獣のたてがみも同様です。ポワンの中世美術への関心は、七宝技法の使用にも表れています。

  • ギュスターヴ・モロー(1826-1898)<br />「女性とユニコーン」1885年頃-1898年、パリ、ギュスターヴ・モロー美術館<br />クリュニー美術館、1883年制作<br /><br />ギュスターヴ・モローはクリュニー美術館の常連客であり、ユニコーンは彼の世界観の一部でした。特に1883年にタペストリー「貴婦人とユニコーン」が美術館のギャラリーに飾られてからは、その思い入れは一層強くなりました。本作では、モローは女性とユニコーンという二つの存在を、官能的で神秘的なイメージで描き出しています。

    ギュスターヴ・モロー(1826-1898)
    「女性とユニコーン」1885年頃-1898年、パリ、ギュスターヴ・モロー美術館
    クリュニー美術館、1883年制作

    ギュスターヴ・モローはクリュニー美術館の常連客であり、ユニコーンは彼の世界観の一部でした。特に1883年にタペストリー「貴婦人とユニコーン」が美術館のギャラリーに飾られてからは、その思い入れは一層強くなりました。本作では、モローは女性とユニコーンという二つの存在を、官能的で神秘的なイメージで描き出しています。

  • 脇にはローマの浴場の遺跡。1世紀~3世紀のもので、セーヌ川から水を引き入れて沸かしていたという。この浴場跡に、15世紀にブルゴーニュのクリュニー修道会がパリの拠点として修道院長の別宅を建て、後に中世の美術品を集めた美術館となったそう。<br /><br />なかなか充実の美術館見学だった。

    脇にはローマの浴場の遺跡。1世紀~3世紀のもので、セーヌ川から水を引き入れて沸かしていたという。この浴場跡に、15世紀にブルゴーニュのクリュニー修道会がパリの拠点として修道院長の別宅を建て、後に中世の美術品を集めた美術館となったそう。

    なかなか充実の美術館見学だった。

  • サンジェルマン大通りをすすんで。

    サンジェルマン大通りをすすんで。

  • パリのカフェはどこもお洒落にみえてしまう。

    パリのカフェはどこもお洒落にみえてしまう。

  • カラフルなショップ。

    カラフルなショップ。

  • 雨が振ったり、日が差したり変わりやすい天気だったが、突然大粒の雨が降ってきた。テラス席で雨宿り。

    雨が振ったり、日が差したり変わりやすい天気だったが、突然大粒の雨が降ってきた。テラス席で雨宿り。

  • 少ししたら雨があがったので、そぞろ歩き。

    少ししたら雨があがったので、そぞろ歩き。

  • ショーウィンドウに素敵なスツールが。

    ショーウィンドウに素敵なスツールが。

  • なんかカッコいいクラシックカー。

    なんかカッコいいクラシックカー。

  • サン・ジェルマン・デ・プレ教会(修道院)。<br /><br />教会の歴史は古く、542年に修道院の付属教会として建てられたパリ最古の教会。<br />542年のスペイン遠征の際に当時のパリ王であったキルデベルト1世がキリスト磔刑の十字架と聖ヴァンサン(3世紀スペインの殉教者)のチュニカを持ち帰った。<br />それらの聖遺物を納めるために当時はまだパリ郊外であった野原に修道院を建立。<br />これがのちのサン・ジェルマン・デ・プレ教会(修道院付属の教会)となったそう。

    サン・ジェルマン・デ・プレ教会(修道院)。

    教会の歴史は古く、542年に修道院の付属教会として建てられたパリ最古の教会。
    542年のスペイン遠征の際に当時のパリ王であったキルデベルト1世がキリスト磔刑の十字架と聖ヴァンサン(3世紀スペインの殉教者)のチュニカを持ち帰った。
    それらの聖遺物を納めるために当時はまだパリ郊外であった野原に修道院を建立。
    これがのちのサン・ジェルマン・デ・プレ教会(修道院付属の教会)となったそう。

  • ポルタイユ。<br /><br />キルデベルト1世はフランク王国(メロヴィング朝)の初代国王クロヴィスの息子で、この時代のパリ国王となった人物。のちにこの教会に自身も埋葬され、それ以降ここがメロヴィング朝の霊廟となった。(サント=ジュヌヴィエーヴの丘に葬られた初代国王クロヴィスとサン・ドニへの埋葬を選んだ最後の国王ダゴベルトの2人は例外)。<br /><br />576年にパリ司教であった聖ジェルマンが葬られたことから、「野原の聖ジェルマン」を意味するサン・ジェルマン・デ・プレ教会と呼ばれるようになったそう。

    ポルタイユ。

    キルデベルト1世はフランク王国(メロヴィング朝)の初代国王クロヴィスの息子で、この時代のパリ国王となった人物。のちにこの教会に自身も埋葬され、それ以降ここがメロヴィング朝の霊廟となった。(サント=ジュヌヴィエーヴの丘に葬られた初代国王クロヴィスとサン・ドニへの埋葬を選んだ最後の国王ダゴベルトの2人は例外)。

    576年にパリ司教であった聖ジェルマンが葬られたことから、「野原の聖ジェルマン」を意味するサン・ジェルマン・デ・プレ教会と呼ばれるようになったそう。

  • 少しロマネスク風。<br /><br />8世紀には大小1万7000の修道院をまとめるベネディクト修道会の一翼を担い、この修道会から教皇24名、皇帝43名、国王44名、枢機卿200名などを輩出し、ローマ教皇以外に逆らえるものがいないほどの権力を持つ大修道院だったそう。<br />その後9世紀に侵入してきたノルマン人のために4度に渡り破壊され、現在の教会は990年から1021年に再建されたものとのこと。

    少しロマネスク風。

    8世紀には大小1万7000の修道院をまとめるベネディクト修道会の一翼を担い、この修道会から教皇24名、皇帝43名、国王44名、枢機卿200名などを輩出し、ローマ教皇以外に逆らえるものがいないほどの権力を持つ大修道院だったそう。
    その後9世紀に侵入してきたノルマン人のために4度に渡り破壊され、現在の教会は990年から1021年に再建されたものとのこと。

  • 18世紀のフランス革命期になると、権力の象徴であった大修道院は廃止され、膨大な蔵書は没収された。メロヴィング朝の歴代の王が眠る墓碑はなくなり、王政復古期以降に修復されてきたそう。<br /><br />内陣、後陣は、ロマネスク様式の建築が残っている。

    18世紀のフランス革命期になると、権力の象徴であった大修道院は廃止され、膨大な蔵書は没収された。メロヴィング朝の歴代の王が眠る墓碑はなくなり、王政復古期以降に修復されてきたそう。

    内陣、後陣は、ロマネスク様式の建築が残っている。

  • 静かな佇まいだった。

    静かな佇まいだった。

  • 思ったより綺羅びやかな雰囲気ではあったけど、壁の厚い建築に昔の姿を感じられた。

    思ったより綺羅びやかな雰囲気ではあったけど、壁の厚い建築に昔の姿を感じられた。

  • 彫刻のある柱頭はすべて11世紀の作品を模倣したものだそうで金ピカだった。<br />実物はカルチェラタンにあるクリュニー中世美術館に、さっき見たね。

    彫刻のある柱頭はすべて11世紀の作品を模倣したものだそうで金ピカだった。
    実物はカルチェラタンにあるクリュニー中世美術館に、さっき見たね。

  • さっきのクラシックカー、目を引くね。

    さっきのクラシックカー、目を引くね。

  • ドゥ・マゴ。<br />マラルメ、ヴェルレーヌ、ランボーらパリの多くの文化人から愛されてきた。<br />クロード・モネ、ピエール=オーギュスト・ルノワール、アルフレッド・シスレーらが集まる場所でもあった。

    ドゥ・マゴ。
    マラルメ、ヴェルレーヌ、ランボーらパリの多くの文化人から愛されてきた。
    クロード・モネ、ピエール=オーギュスト・ルノワール、アルフレッド・シスレーらが集まる場所でもあった。

  • ショーウィンドウに誘われて「メゾン・ジョルジュ・ラルニコル」へ。<br />後で知ったのだけどブルターニュ地方発祥の人気ショコラトリーとのこと。<br />マカロン、チョコレート、クイニーアマンを購入。<br />

    ショーウィンドウに誘われて「メゾン・ジョルジュ・ラルニコル」へ。
    後で知ったのだけどブルターニュ地方発祥の人気ショコラトリーとのこと。
    マカロン、チョコレート、クイニーアマンを購入。

  • Odéon駅からメトロ4番でGare de l&#39;Estへ。乗り換えて7番でLe Peletier駅へ。

    Odéon駅からメトロ4番でGare de l'Estへ。乗り換えて7番でLe Peletier駅へ。

  • パサージュ・ヴェルドーへ。

    パサージュ・ヴェルドーへ。

  • パサージュをそぞろ歩きしたくてやって来た。

    パサージュをそぞろ歩きしたくてやって来た。

  • ガラス張りの天井がいい感じ。

    ガラス張りの天井がいい感じ。

  • 古い地図やアートプリント、アンティークのファッション画などが売られていた。

    古い地図やアートプリント、アンティークのファッション画などが売られていた。

  • レトロで美しい空間。

    レトロで美しい空間。

  • あら、こけし売ってる。

    あら、こけし売ってる。

  • 洒落たポストカードなどスーベニールショップ。

    洒落たポストカードなどスーベニールショップ。

  • パサージュ・ジュフロワ。<br />床のタイルも懐かしい感じ。

    パサージュ・ジュフロワ。
    床のタイルも懐かしい感じ。

  • 綺羅びやかな商品につられて、入店。

    綺羅びやかな商品につられて、入店。

  • パリなのにイタリア製の木製コースター購入(笑)

    パリなのにイタリア製の木製コースター購入(笑)

  • パサージュ・ジュフロワにある有名な蝋人形館グレヴァン美術館とのこと。

    パサージュ・ジュフロワにある有名な蝋人形館グレヴァン美術館とのこと。

  • パサージュにいる時、雷鳴が!ちょうど雨宿り出来て良かった。<br />しばらくすると雨が止んだ。

    パサージュにいる時、雷鳴が!ちょうど雨宿り出来て良かった。
    しばらくすると雨が止んだ。

  • パサージュ・デ・パノラマ。<br />パリで最も歴史のあるアーケード街で、1800年に建築され、国の歴史的建造物にも指定されているそう。

    パサージュ・デ・パノラマ。
    パリで最も歴史のあるアーケード街で、1800年に建築され、国の歴史的建造物にも指定されているそう。

  • 飲食店が並ぶ。

    飲食店が並ぶ。

  • 可愛らしいグッズも。

    可愛らしいグッズも。

  • 来た通路を戻って行きます。<br />なかなか楽しいパサージュ散策だった。

    来た通路を戻って行きます。
    なかなか楽しいパサージュ散策だった。

  • ホテルまで徒歩圏内なので散歩がてら帰ります。

    ホテルまで徒歩圏内なので散歩がてら帰ります。

  • 途中のパン屋さんでバゲットサンドを購入。

    途中のパン屋さんでバゲットサンドを購入。

  • レストランが開店するのは19時頃、明日は田舎に出発するのでホテルの部屋でゆっくりしようと部屋食にした。

    レストランが開店するのは19時頃、明日は田舎に出発するのでホテルの部屋でゆっくりしようと部屋食にした。

  • 野菜の並べ方がお洒落。<br /><br />通勤と思われる自転車の方々の人数が半端なかった。

    野菜の並べ方がお洒落。

    通勤と思われる自転車の方々の人数が半端なかった。

  • ディティールの凝った装飾に目が奪われる。

    ディティールの凝った装飾に目が奪われる。

  • 秀逸な扉口装飾。

    秀逸な扉口装飾。

  • バケットサンドを夕食にデザートはマカロン、朝食にクイニーアマンでした。<br />明日はパリ北部ピカルディー地方の美しき村ジェルブロワに向かいます。

    バケットサンドを夕食にデザートはマカロン、朝食にクイニーアマンでした。
    明日はパリ北部ピカルディー地方の美しき村ジェルブロワに向かいます。

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  • ことりsweetさん 2026/07/03 19:06:45
    夢いっぱいのフランス旅♪
    マリアンヌさん、こんばんは。
    お久しぶりです。

    パリ市立近代美術館ではデュフィのバラ色の人生の
    実物をずっと観たいと思っていたんですね。
    ネットや本でみてもやはり現物の色や
    タッチの感じなど直接見られる喜びがありますよね。
    私もこの絵をみるとお花のモチーフと
    色の組合せがマリアンヌさんと同じくとても好きだな~って思います。
    思い出をイメージするのも絵の力ですよね。
    レオナール・フジタの絵も素敵ですね~
    肌の色が絶妙です。

    クリュニー美術館では
    貴婦人とユニコーンのタベスタリーを
    沢山ご覧になりましたね。
    私は六本木でこれらを見ましたが、
    いつかパリでの展示も見てみたいと思っていたことを
    思い出しました。
    「触覚」、「味覚」、「嗅覚」、「聴覚」、「視覚」、「我が唯一の望み」のテーマに沿ったタペストリーは
    一つずつじっくり見た思い出があります。
    現地でのそれらをみるのはもちろん至福の時ですね。

    夕食のパンも美味しそうだし
    プラスデザートはマカロン♪
    フランスの「やりたいこと」を詰め込んだ
    一日でしたね。
    次はジェルブロワ。6月の薔薇の時期ですね。
    あ~私も行きたくなってます。(#^^#)

    ことりsweet

    マリアンヌ

    マリアンヌさん からの返信 2026/07/03 23:19:17
    RE: 夢いっぱいのフランス旅♪
    ことりさん こんばんは☆

    ご無沙汰しています。
    そうなんです、しばらくパリに行っていなかったので、デュフィのバラ色の人生をずっと見れなかったんです。
    来年、来日するようですけど(笑)

    色々なタイプの好きな画家はいるのですが、デュフィの絵は色がきれいですよね。
    ことりさんもバラ色の人生、お好きですか。

    ユニコーンのタベスタリーを六本木で見られたのですね。
    魅惑的な一角獣ですよね。
    遠い昔から人気者で不思議な魅力がありますもんね。

    夕食は、部屋でパンでしたけど買ってきたデザートは美味しかったです♪

    ジェルブロワ、ことりさん行かれていましたよね。
    いいなぁと指をくわえて憧れていました。
    良かったら続きもご覧になって下さいませ。

    マリアンヌ

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