2026/05/31 - 2026/06/23
72位(同エリア80件中)
マリアンヌさん
- マリアンヌさんTOP
- 旅行記394冊
- クチコミ25件
- Q&A回答1件
- 390,826アクセス
- フォロワー143人
ディナンを出発し、次の村への中継点としてレンヌを訪れました。フランス王妃アンヌ・ド・ブルターニュ所縁の地として知られるこの街は、古くからブルターニュ公国の中心都市として栄えたそうです。
5/31 羽田発22:05 AF279
6/1 シャルル・ド・ゴール着6:00
6/1,2 パリ
6/3 ジェルブロワ
6/4 ルーアン
6/5 ヴール=レ=ローズ
6/6 ルーアン
6/7,8 ブーヴロン=アン=オージュ
6/9 グランビル
6/10,11 ディナン
6/12 レンヌ
6/13,14 ロシュフォール=アン=テール
6/15,16 ロクロナン
6/17 ヴァンヌ
6/18 トゥール
6/19,20ポワチエ
6/21 ナント
6/22 ナント発18:45 AF7507 パリ発23:00 AF274
6/23 羽田着 19:40
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ディナンの宿から駅まで荷物を引きずって徒歩で20分ほどだった。
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ちょっといい感じの駅前のカフェがあった。
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塔にDINAN、わかりやすい駅。
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駅の壁にブルターニュ公国とディナンの街の地図が描かれていた。
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列車の案内板が、電光掲示でなくてアナログ。
車両は確か2両だった。
Dinan 9:04
Dol de Bretagne 9:32 -
Dol de Bretagne 9:37
Rennes 10:15 -
レンヌ駅は、モダンな建築で大きな駅だった。
駅ピアノが設置されていて素敵な演奏にしばし耳を傾けた。 -
経由地としてのレンヌ、駅から5分のお宿。
<Kyriad Rennes Centre Gare>
荷物を預けて観光へ。 -
建築家ジャン・ポワリエが設計したアール・デコ様式の建物「イムブル・ポワリエ」。
建物: 1928年頃に建てられたアパートで、アール・ヌーヴォーとアール・デコの折衷様式が特徴。 -
装飾: Isidore Odorico(イシドール・オドリコ)によるモザイク装飾が壁面に施されている。
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ウィーンで見かけそうなアール・デコな館。
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エミール・ゾラ高校(Lycée Émile-Zola)
1802年に設立された、フランスで最初の9つの公立高校のうちの1つです。歴史的な建物で、ドレフュス事件の再審が行われた場所としても有名。
ナポレオン・ボナパルトによる教育改革の一環として、1802年にフランスで最初に創設された9つのリセ(高等批評・中等教育機関)の一つ。
エミール・ゾラ自身がこの学校に通っていたわけではない。しかし、ゾラはドレフュス事件の際、新聞に『私は告発する』という有名な公開書簡を発表し、命がけでドレフュス大尉の無実を訴えた。事件の再審がこのレンヌの学校で行われたという歴史的実効性と、ゾラが示した正義への貢献を称え、後に彼の名前が校名に採用されたのだという。 -
サン・ジェルマン教会が見えた。
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テラス席は絵になるね。
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立派な建物が、見えてきた。
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メリー広場にやって来た。
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レンヌ市庁舎。一見高級ホテル風。
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ブルターニュ地方の首都だけあって、立派な建築に囲まれた市庁舎広場(メリー広場)。
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ちょっと涼しそうな装飾。
この日はまだ温度が低くて、トレーナー着用位。 -
サン・タンヌ広場にやって来た。
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緑のプラタナスの下に赤いパラソルのカフェ、絵になるね。
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広場にはお約束のメリーゴーランド。
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サン・ジェルマン教会。
主に15世紀から17世紀にかけて建設された、美しいフランボワーズ・ゴシック様式(後期ゴシック様式)の教会。 -
身廊。
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美しい薔薇窓。
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ゴシックらしくステンドグラスが広がる。
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聖書の物語やブルターニュ公国の歴史などが描かれているのでしょうか。美しいステンドグラス。
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堂内でギターの演奏をしていた。耳を傾けながら一休み。
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そぞろ歩き再開。
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郷土料理のような写真が。
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モスグリーンの雰囲気あるお店。
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落書きも多い。
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コロンバージュが多くなってきた。
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藤が窓を囲んでいい感じ。
モスグリーンのお店は、クレープリーだった。 -
イチオシ
高低差かあり、いい雰囲気の街角。
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格子柄のコロンバージュ。
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サン=ソヴァール・バシリカ(Basilique Saint-Sauveur de Rennes)
イタリアの教会を思わせるファサード。 -
「奇跡と徳のノートルダム(Notre-Dame des Miracles et Vertus)」とも呼ばれ、古くから厚い信仰を集めるカトリック教会の聖堂なのだそう。
中に入った途端、堂内に満ちる神秘的な雰囲気を感じた。
折しも鐘楼の鐘が響いていた。 -
中央祭壇とバルダカン(天蓋)。
正面奥に見える、金色の光が放射状に広がるような華麗な装飾のバルダカン(天蓋)は、この聖堂の最も象徴的な家具調度の一つ。 -
装飾的な説教壇が印象的。
重厚な石造りのアーチや天井の美しいヴォールト構造が、古典的かつ荘厳な空間を作り出している。 -
中央には、十字架や紋章のモチーフが描かれている。
このステンドグラスは、18世紀後半の古典主義の要素を含んでいるとされているそう。 -
「奇跡と徳の聖母(Notre-Dame des Miracles et Vertus)」の礼拝堂の祭壇。
中央に安置されているのは、幼子イエスを抱きマントを羽織った「奇跡と徳の聖母」の像。
1357年、百年戦争中にイギリス軍がレンヌを包囲し、教会の床下までトンネルを掘り進めていた。その際、この聖母像の腕が動き、教会の鐘が自ずと鳴り響いて街に危機を知らせ、見事襲撃を防いだという有名な奇跡の伝説が残されている。
1875年にフォリオによって作られたネオ・ロマネスク様の大理石の祭壇と、1912年にクアズノンが手掛けた豪華なロココ調のレターブル(祭壇背後の飾り壁)が組み合わされており、上部の色鮮やかなステンドグラスが像を美しく引き立てている。 -
「メゾン・ア・コロンバージュ」と呼ばれる中世の建築様式で、特徴的な木造の枠組みと赤いレンガの壁が外観を彩っている。
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ここも古そうな一角。
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現在はレンヌの観光案内所として使われているサン・イヴ礼拝堂。
15世紀に建てられたフランボワイヤン・ゴシック様式の建物で、かつては病院の礼拝堂だったが、19世紀には金物屋として使われていたそう。 -
ブルターニュの言葉で「古い家」を意味する歴史的建造物「アン・ティ・コズ(An Ti Kozh / Ti Koz)」の愛称で知られる家。
1505年に大聖堂の司祭たちのために建てられた、レンヌに現存する屈指の古さを誇る建物。ファサードには1505年の刻印があり、聖セバスティアヌスなどの美しい木彫りの装飾が施されている。 -
サン・ピエール大聖堂。
この街の宗教の中心、ブルターニュ地方唯一の新古典派様式の教会。
高さは50mにもおよび、中央には太陽王ルイ14世を示す紋章が彫られているとのこと。 -
外部と内部にそれぞれ44本の円柱が用いられていることが特徴的で、教会内の柱はモン・サン・ミシェル近郊の島から切り出された花崗岩に、本物の大理石と見紛う程の見事な塗装が施されているのだそう。
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その歴史は6世紀に遡り、現在の建物は17~19世紀にかけて再建されたものだそう。
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フランドル派が手掛けた黄金色に輝く16世紀の祭壇画。
中世後期の最も美しい祭壇画とも謳われるそう。 -
正直、先ほど見たサン=ソヴァール・バシリカと比べて、さっぱりガランとした感じだった。
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扉の装飾も細やか。
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伝統的な石造りの古い建物と急勾配の屋根が美しい、中世を思わせる風情。
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もとサン・ティヴ礼拝堂(Chapelle Saint-Yves)。
閉じられているけど装飾が美しい。 -
ヴィレーヌ川沿いに並ぶ建物。
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このレストラン雰囲気が良かったのだけど、メニューがわかりにくかったのでパスした。
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落ち着きのある色合いの木組みの家々が細い路地に建ち並ぶ歴史地区のシャピトル通りへ。
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建物の右側に見える看板には「ChatPitre(シャピトル)」と書かれており、以前は歴史ある居酒屋・レストラン(Auberge du ChatPitre)として営業していたそう。
上の階に行くにつれて建物が外側にせり出しているのが特徴。これは中世の建築特有の構造で、当時の敷地面積や税金対策、あるいは雨水が1階の木を濡らさないための工夫と言われていまるそう。
長年の歳月を経て少し斜めに歪んでいる姿が、独特の味わいを生み出している。 -
1720年にレンヌの街の大部分(約900~1,000棟)を焼き尽くす「レンヌ大火」が発生した。
しかし、このシャピトル通り周辺やサンピエール大聖堂の近くは奇跡的に類焼を免れ、当時の姿を今に伝えている。 -
可愛い意匠。
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結局、メニューのわかりやすいイタリアンでランチ。
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牛肉のタルタルと野菜のグリルなどをいただいた。
美味しかった。 -
お洒落な店が続く。
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小さな広場に出た。
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塔に導かれて進むと。
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メリー広場に戻ってきた。レンヌ歌劇場(Opéra de Rennes)が見える。
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反対側に市庁舎。
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レンヌ市庁舎へ。
1720年の大火後に建てられたバロック様式の建築物で、ヴェルサイユ宮殿の建築家ジャック・ガブリエルによって設計されたそう。 -
中に入ってみた。
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結構モダン。
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有名な歴史的広場「シャン・ジャケ広場(Place du Champ-Jacquet)」に建つ木組みの家(コロンバージュ)。
網の目のように組まれた木枠に、フランスの伝統的な「聖アンドレの十字(Croix de Saint-André)」などの幾何学模様が施されている。
建物全体がまるで倒れそうなほど斜めに傾いている。
これは、15世紀の古い城壁に寄りかかるように建てられたことや、のちに周辺の道路を通すために土台が影響を受けたことなどが原因だが、構造上しっかり補強されており崩落の危険はあないそう。
当時レンヌの街の大部分を焼き尽くした歴史的な大火災から、奇跡的に焼け残った貴重な建物です。広場の反対側には、火災後に建てられた対称的な「石造り」の18世紀建築が並んでおり、新旧の対比が見られる。 -
お洒落な店が並ぶ。
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壁にトルソーのプリントが可愛い。ランジェリーショップかな。
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ブルターニュ高等法院。
この街のみならずブルターニュ地方のシンボルとしても名高いブルターニュ高等法院は、フランス王国直属の裁判所として17世紀に建てられた。
街の大部分を焼き尽くした1720年の大火災からも被害を免れたものの、1994年の暴動に巻き込まれ大きく破損。
しかしその後の修復により、見事にかつての威厳溢れる姿を取り戻している。
一番の見どころは、豪華絢爛な装飾が施された大広間ということらしいので、観光案内所に見学予約に行ったけど残念ながら入れなかった。 -
お散歩は続く。
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いい感じの古い建物。
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木彫が飾られている。
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地方都市として、ショッピングやレストランも多く、街の大きさもほどほどで住み良さそうな街だった。
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好きな雰囲気のテラス席。
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朝、見かけたサン・ジェルマン教会。
元々は12世紀の小さな礼拝堂から始まり、街の発展とともに裕福な商人や議会関係者が集う重要な中心的な教会となりました。1914年にはフランスの歴史的建造物(モニュメント・ヒストリック)に指定されています -
15世紀後半から17世紀にかけて建設され、細い柱や美しい曲線を持つアーチが特徴のブルターニュ地方独特のゴシック様式。
上部を見上げると、船底をひっくり返したような形をした、連続する見事な木製の木造丸天井(バレルヴォールト)。
歴史の積み重ねを肌で感じる空気感が満ちていた。 -
正面奥の主祭壇の上には金色の豪華な装飾、後ろにはステンドグラス。
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フランスのガラス装飾芸術家マックス・イングラン(Max Ingrand)の作品など美しいステンドグラス。
1944年の第二次世界大戦の爆撃により、教会にあった貴重な中世のステンドグラスが破壊されてしまった。
彼はその破壊された古い中世のガラスの破片を丁寧に拾い集め、現代的な感性で見事なモザイク状の美しいステンドグラスとして蘇らせたのだそう。
新旧の光が織りなす、この教会で最も芸術的価値の高い見どころ。 -
中世のゴシック建築らしい石造りのリブ・ヴォールト天井。
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身廊の後方には、歴史的な価値を持つ素晴らしいパイプオルガンが設置されている。
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キュートな雑貨屋さん、買いそうに(笑)
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歴史的な「ホテル・バール(Hôtel Barré)」。
現在は、デュラン・ショコラティエとして営業している。
ファサードは19世紀の彫刻家ジャン=バティスト・バールによって装飾された、美しいルネサンス様式。 -
外から眺めて。
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レンヌ美術館。
地方都市とは思えないほどコレクションが充実している。 -
無料ですが収蔵品は多いです。
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アントワーヌ・コワペル(パリ、1661年 - パリ、1722年)
左:1699年以前のイダ山におけるジュピターとジュノー
右:1699年以前のヴィーナスがアイネイアスに武器を届ける場面 -
ピエール・アントワーヌ・オーギュスタン・ヴァフラール
(パリ、1777年 - パリ、1837年)
デュ・ゲクランへの栄誉、1805年頃 - 1806年頃
ベルトラン・デュ・ゲクランは、1320年頃、ディナン近郊のラ・モット=ブルーン城で生まれました。彼はシャルル5世の主要な同盟者の一人として名を馳せました。1380年6月、カルラ城(オーヴェルニュ地方)を攻略した後、デュ・ゲクランはル・ピュイへと進軍し、住民の要請を受けて、シャトーヌフ=ド=ランドン城塞に居座っていたイングランド軍を駆逐しました。デュ・ゲクランが病に倒れ、7月13日に亡くなったのは、城の包囲戦の最中でした。左側には、彼の臨終の床に敵が象徴的に街の鍵を置いています。この騎士道精神に満ちた行為によって、彼らは10日以内に救出されなければ降伏するという約束を守ったのです。 -
気になった絵画だけ写真を撮りました。
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中世ゾーン。
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ピエトロ・ベレッティーニ、通称ピエトロ・ダ・コルトーナ
(コルトーナ、1596年 - ローマ、1669年)
聖母子と聖マルティナ、1643年頃
ピエトロ・ダ・コルトーナは、17世紀ローマにおけるいわゆるバロック絵画の最も偉大な代表者の一人です。
感情に満ちたこの作品は、聖マルティナが聖母子と神秘的な出会いを果たす場面を描いています。三人の人物が交わす緊迫した視線のやり取りは、見る者を惹きつけます。ピエトロ・ダ・コルトーナは、巧みなポーズと衣服のドレープの躍動感を通して、威厳と力強さを力強く表現しつつ、絵画全体に穏やかで家庭的な雰囲気を醸し出しています。 -
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール
(ヴィック=シュル=セーユ、1593年 - リュネヴィル、1652年)
「新生児」1645年頃
ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの『新生児』は、17世紀フランス絵画の中でも特に人気が高く、ブルターニュ地方の美術館に所蔵されている絵画の中でも間違いなく最も有名な作品です。しかし、この名声は、ごく限られた傑作にのみ与えられる特権であり、わずか1世紀前には『新生児』がル・ナン兄弟の作品として誤って紹介され、真の作者は不明であり、主題も十分に理解されていなかったという事実を覆い隠してしまっています。
この絵画が提起した疑問のいくつかを解明するには、数世代にわたる美術史家の研究と、その後の研究の集積が必要でした。ラ・トゥールの再発見の始まりとなるこの調査は、まだすべての疑問に答えているわけではありません。 -
この作品は、フランス革命中にレンヌで押収され、美術館の所蔵品となった際に、レンヌに現れた。作者が再発見されたのは、1915年にドイツの美術史家ヘルマン・フォスによってである。後に、ラ・トゥールの他の作品との比較により、これは単なる母子像ではなく、聖母マリア、聖母の母アンナ、そして幼子イエスを描いた宗教的な主題であることが明らかになった。この作品は、ローマでカラヴァッジョが確立した美的原則、すなわち民衆的なモデル、夜間の照明、そしてニュートラルな背景を採用している。表現の簡素さは、瞑想的で静謐な雰囲気を際立たせるのに大きく貢献している。ここで画家は、普遍的な要素、すなわち子供の誕生という奇跡を強調している。
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「ペルセウスによるアンドロメダの解放」
パオロ・カリアーリ(ヴェロネーゼとして知られる)、ヴェローナ、1528年 - ヴェネツィア、1588年
この神話画は、英雄ペルセウスによるアンドロメダの救出を描いています。エチオピアの王女アンドロメダは、カシオペア王妃の怒りを買った海の神ポセイドンの怒りを鎮めるため、海の怪物への生贄として捧げられようとしていました。 -
「二つの時代に挟まれた女性」
作者不詳、パリの工房作 1580年頃~1590年頃
この場面はイタリア喜劇の登場人物を描いています。不釣り合いに大きな股当てをつけた老人パンタローネは、美しい若い女性に拒絶されます。彼女は同年代の男性を好み、彼の小指をつまんで愛の印を示します。古代彫刻に着想を得た女性の身体は、その力強い体つきから、同じ部屋に飾られているヴェネツィアの「アンドロメダ」を彷彿とさせます。 -
作者不詳、フランドル地方 16世紀
「スザンナと長老たち」 -
パブロ・ピカソ
(スペイン、マラガ、1881年 - ムージャン、1973年)
「帽子をかぶった男の胸像」1970年
ピカソはこの作品を90歳近くになってから描きました。これは、銃士や闘牛士を想起させる一連の作品群に属しています。これらの作品は、自由奔放で力強く、そして鮮やかな色彩で描かれていますが、当時の一般大衆や批評家からは子供の落書きのようだと酷評されました。
本作では、正面と横顔が同時に描かれています。表情の本質は、鋭い眼差しに凝縮されています。人物の頭部を囲むプリーツ状の襞襟は、スペイン黄金時代の紳士の肖像画、特にベラスケスの作品を彷彿とさせます。キャンバスには1970年11月4日と24日の2つの日付が記されている。
ピカソは構図を修正するために再びこの絵に取り組み、藤色の背景の上に絵を描くことで、胸像が競技場のような堂々とした正面性をもって浮かび上がるようにした。 -
アンリ・ド・ワロキエ(パリ、1881年 - パリ、1970年)
『三つの十字架のある風景』、1917年
この風景画は、画家が1917年にスペインを旅した際に着想を得たもので、ナバラ地方のエステラ市の風景を描いています。
ワロキエは健康上の理由から第一次世界大戦中は動員されず、制作を続けることができました。
『三つの十字架のある風景』の建築的で記念碑的な構図は、キュビスムと未来派の絵画の影響を受けており、赤い斜線が構図にダイナミズムと緊張感を与えています。
都市の風景は荘厳で、威圧感さえ漂わせています。宗教的な要素(墓、教会、十字架)は強調され、神秘的な雰囲気を一層際立たせています。後にワロキエはキュビスムから離れましたが、悲劇的で、時には終末論的な主題への嗜好は持ち続けました。 -
モーリス・マリノ(トロワ、1882年 - トロワ、1960年)
「レ・ノエの教会、朝日の差し込む朝」1905年
トロワ近郊のレ・ノエ村にある教会を描いたこの作品で、モーリス・マリノは、強烈な朝日の効果を探求しています。
彼は、陽光を浴びた家のファサードのレモンイエローと、影の紫といった、鮮やかな色彩の対比を巧みに用いています。 -
現代に近い作品ゾーン。
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ジョゼフ・ブラン(パリ、1846年 - パリ、1904年)
「儀式」1890年
この習作は、パリのオデオン劇場の装飾のために依頼されたタペストリーのための準備習作です。
ジョゼフ・ブランがレンヌ裁判所第一法廷のタペストリーの下絵制作に取りかかる直前に構想されたこの作品は、フランスで最も有名な作家であり俳優でもあるモリエールに敬意を表しています。
オデオン劇場はもともとコメディ・フランセーズのために建てられました。 -
オーギュスト・ゴルゲ(パリ、1862年 - パリ、1927年)
「噴水のある女性」、1900年頃 -
オーギュスト・ゴルゲ(パリ、1862年 - パリ、1927年)
『ブルターニュの寓意』
花飾りで飾られたルネサンス様式の建物の傍らに、二人の天使が昇り、そのうちの一人が古代の石板を掲げている。石板には「ARMOR」と刻まれている。この言葉は古ブルトン語で「海の近く」(ar)、「海」(mor)を意味し、内陸部を指すアルゴア(またはアルコート)とは対照的に、ブルターニュの沿岸地域を指している。この用語の選択は、海と切り離せないブルターニュ地方の独特な特徴を強調している。
このタペストリーは残念ながら1997年のボバン工房の火災で焼失してしまったが、国立家具博物館は、この作品の原型と大きな下絵を所蔵しており、いずれも2016年にレンヌに寄託された。 -
拡大して。
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アンリ・モレ(シェルブール、8856-プリ、1913)
「メン・デュ、フィニステール」1899 年 -
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー(パリ、1796年 - パリ、1875年)
「浅瀬の渡河、夕暮れ』、1868年
コローは幼い頃から、師であるアシル=エトナ・ミシャロンに戸外での制作を奨励されていました。過去の巨匠たちにはあまり関心を示さず、自然の研究に専念し、特にイタリア滞在中(1834年と1843年)には、自然を直接観察しながら制作に励みました。コローは自然の要素の配置に独特のセンスを磨き、それらを柔らかな光の中に溶け込ませました。1834年にイタリアから帰国すると、バルビゾン派の画家たちに加わり、淡い光を作品の重要な特徴として確立しました。それ以降、彼は時に妖精を描き、ほとんど言葉では言い表せないほどの叙情的な詩情を湛えた風景画を制作し続けました。
レンヌ美術館所蔵のこの絵画は、1865年から1870年の間に制作された作品の一つです。この作品は、構図、色彩、筆致においてより簡素さを追求する傾向にあったコローの後期の作風を代表するものです。画面には、大地、川、空が完璧な調和で溶け合い、暗い木々の塊によってその調和が途切れています。力強く描かれたすべての形は、柔らかな光に包まれ、作品全体に静謐で瞑想的な雰囲気を醸し出しています。 -
アルフレッド・シスレー(パリ、1839年 - モレ=シュル=ロワン、1899年)
「セーヌ渓谷の風景」1875年
当初「セーヌ川の岸辺」と題されていたこの絵画は、「サンジェルマンのテラスから見たセーヌ川」、そして「サン=クルーのセーヌ川の湾曲」と改題され、最終的にはより地理的に正確な題名に落ち着いた。 -
ギュスターヴ・カイユボット(パリ、1848年 - ジュヌヴィリエ、1894年)
「小舟」1878年
1876年、カイユボットはこの作品を、ポール・デュラン=リュエルがパリで開催した第2回印象派展に出品しました。彼自身はこの絵を「装飾パネル」と表現しています。
『小舟』は、首都近郊の夏の楽しみを、日曜日の余暇という新たな社会的文脈の中で描き出しています。この絵は三連祭壇画の中心となる作品で、他の2枚のパネルには釣りの場面と水浴の場面が描かれています。
この三連祭壇画は、モンジュロンにある彼の邸宅の応接間に飾るために制作されました。細やかな筆致、屋外と現代生活の営みを融合させた主題、写真のような写実性と日本画のような構図、そして雰囲気を捉えようとする姿勢は、いずれもカイユボットが印象派の理念を忠実に守っていたことを示しています。 -
ポール・ゴーギャン(パリ、1848年 - アトゥーナ、1903年)
「花瓶の花」1880年頃 -
ポール・ゴーギャン(パリ、1848年 - アトゥオナ、1903年)
「.オレンジのある静物」1881年頃
パリに生まれたゴーギャンは、幼少期をペルーで過ごし、13歳でフランスに戻りました。船員として働き、数年間世界各地を旅した後、1867年に母が亡くなったのを機にフランスへ戻りました。
写真家ギュスターヴ・アローザの後見人のおかげで株式仲買人となり、さらに重要なことに、モネ、ドガ、ドーミエ、ピサロなどの絵画を収集していたアローザの芸術に出会いました。
カミーユ・ピサロとの交流を通して、ゴーギャンは独自の画風を確立しました。それまで、彼の風景画や静物画はコローの影響を強く受けていましたが、今では自然を題材とした印象派の作風が顕著に表れています。
1881年、ゴーギャンは第6回印象派展に出品し、画商デュラン=リュエルは彼の作品を十数点買い集め始めた。この芸術的評価を得た頃に制作された「オレンジのある静物」は、空間表現に軽やかなタッチが感じられる。果物鉢の後ろにある青みがかった部分と、壁紙で描かれた壁のぼやけ具合によって、奥行き感が損なわれている。オレンジは鮮やかな黄金色を帯びており、絵具が光を捉えて柑橘類に立体感を与え、この小さなキャンバスに貴重な趣を添えている。 -
ポール・ランソン(リモージュ、1861年 - パリ、1909年)
「リンゴ摘み」1895年頃
ポール・ランソンの良いんだテーマの一つは、屋外で活動する女性像です。摘む女性などです。特徴的な装飾要素です。 -
ジャン=ベルトラン・ペゴ=オジェ(サラマンカ、1877年 - ムーラン=スー=トゥーヴァン、1915年)
「赦免の朝 」1913年 -
諸聖人教会(Église Toussaints de Rennes)
17世紀のバロック様式で設計されたカトリックの礼拝堂。 -
内部はこんな感じだった。
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新聞「ウエスト・フランス(Ouest-France)」の旧本社ビル。
アール・ヌーボーやベル・エポック様式の特徴を持つ建物。
美しい装飾だね。 -
サイドにはこんな装飾も。
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ジュール・シモン通り。綺麗な通りだね。
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ラ・クリエ中央市場へ。
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午後でも開いてる店があります。
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ラザニア的なものを夕食用に購入。
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石畳の通り、歴史感じる石の家並み、雰囲気がある通り。
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お洒落なカラーのショップが並び、街の豊かさを感じる。
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奥に見える特徴的なドーム型の建物は、旧証券取引所であるパレ・ドゥ・コメルス(Palais du Commerce)。
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ベランダからレンヌ駅が見えるホテルの部屋は、浴槽付きで清潔でとても使いやすかった。
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翌朝の朝食も色々選べて美味しかった。
次の村は楽しみにしていたロシュフォール=アン=テールへ向かいます。
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