2026/05/31 - 2026/06/23
18位(同エリア193件中)
マリアンヌさん
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村めぐりの旅の中継地としてルーアンを訪れました。
村訪問の前後の2日分を合わせて記録したいと思います。
32年ぶりでしたが、前回はツアーでしたので、今回はのんびりとそぞろ歩きしました。
5/31 羽田発22:05 AF279
6/1 シャルル・ド・ゴール着6:00
6/1,2 パリ
6/3 ジェルブロワ
6/4 ルーアン
6/5 ヴール=レ=ロズ
6/6 ルーアン
6/7,8 ブーヴロン=アン=オージュ
6/9 グランビル
6/10,11 ディナン
6/12 レンヌ
6/13,14 ロシュフォール=アン=テール
6/15,16 ロクロナン
6/17 ヴァンヌ
6/18 トゥール
6/19,20ポワチエ
6/21 ナント
6/22 ナント発18:45 AF7507 パリ発23:00 AF274
6/23 羽田着 19:40
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懸念していたUber taxiが無事到着し(なんとドライバーはパリから来たそう、料金は3,300円ほど)駅に向かった。
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Marseille en Beauvaisis駅 9:24 Abancourt駅 9:46
車両には2人しか乗っていなかった。
Abancourt駅 10:59 Rouen Rive Droite駅 11:54 乗換まで1時間ほどあり、ホームに待つのは2人だった。
ルーアンに向かう列車でちょっとしたハプニングが!
突然、スマホがネットに繋がらなくなったのだ。
接続をチェックしても繋がらず、困ったなと。 -
ルーアン到着。翌朝出発が早いので、駅に近いホテルを予約した。
<Hôtel de Dieppe 1880 Rouen Best Western Plus> -
幸いにしてすぐに部屋に入ることが出来、wifiでネット接続についてAIに聞きながら30分以上チェック。どうもesim会社(Ubigi)の障害としか考えられなかった。
まぁとりあえず観光に行こうかとGoogleマップの位置情報のみで出発。
昔は紙の地図で旅行してたんだからOKということで。 -
ジャンヌダルクの塔。
15世紀の百年戦争下において、捕らえられたジャンヌ・ダルクが監禁され、異端審問裁判中に拷問を受けた場所とのこと。
ルーアン城の遺構としても重要で、13世紀初頭にフランス国王フィリップ2世によって建てられたルーアン城の一部の主塔だったそう。 -
聖ゴダール教会が見えてきた。
実はルーアンは32年ぶり、前回、ジャンヌダルク処刑場十字架に行ったから今回はいいかなと。 -
コロンバージュの家並みが見えてきた。
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暑いからか広場に緑、少しは涼しい。
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美しい家並み。
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裁判所のよう。
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ゴシック建築とコロンバージュだらけ。
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グロ・オルロージュ通りに建つ美味しそうな色合いのコロンバージュ。
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大聖堂が見える。
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反対側へ。
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大時計台が見えた。
昔、ツアーで来た時も写真撮ったなぁ。 -
この通りは、大時計通り(Rue du Gros-Horloge)と呼ばれる旧市街のメインストリート。
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大時計自体のメカニズムは1389年に作られたヨーロッパ最古級のものだそう。
華麗な文字盤は、1529年に再建されたルネサンス様式のアーチにはめ込まれている。
文字盤には時針の1本しかなく、針の先端にはルーアンの象徴である羊がデザインされてるとのこと。 -
大時計の噴水、ルイ15世の噴水。
ギリシャ神話の河神アルペイオとニンフのアレトゥーサの恋愛模様を描いたものだそう。 -
大時計通りをそぞろ歩き。
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家並みの彩りが美しい。
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モネが描いたノートルダム大聖堂(ルーアン大聖堂)。
向かって左側は12世紀の「聖ロマンの塔」、右側は15~16世紀に建てられた「バターの塔(Tour de Beurre)」と呼ばれ、異なる時代や様式が混在している。 -
イチオシ
石のレースと称される精緻で美しいファサード。
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ザ・ゴシックという感じの装飾。
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青空が透けて美しい。
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向かって左側。
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彫刻の下段には、サロメがヘロデ王の饗宴で逆立ちをして踊っている様子が描かれている。
上段には、洗礼者ヨハネの生涯に関連する場面が描かれている。 -
中央。
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「ジェシーの木」をモチーフにしたタンパン。
聖母マリアの先祖を描く聖書の一場面であり、眠っているジェシーの体から木が伸びている様子が表現されている。 -
向かって右側。
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上段 : 中央の楕円形(マンドルラ)の中に、荘厳のキリスト。左右を天使や聖人が囲んでいる。
下段:洗礼者ヨハネの生涯における有名な物語が描かれている。左側から、ヘロデ王の前で踊るサロメの物語や、洗礼者ヨハネが捕らえられ処刑される場面などが描かれている。 -
天井が非常に高く、荘厳な空間。
この街のシンボルとも言えるノートルダム大聖堂の歴史は4世紀に遡ることができ、最初期の建物は841年にヴァイキングによる攻撃を受けて大きく破壊された。現在の建物は12世紀初頭に再建されて以後改築を繰り返し姿を変えたもので、700年以上にも及ぶゴシック建築の変遷を垣間見ることが出来る。
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蝋燭の光が美しい。
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側廊。
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美しいステンドグラス。
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実は大聖堂内にいる時、雷鳴がとどろいていた。雨宿り出来ました。
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翼廊。
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薔薇窓。
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ルーアンの守護聖人である聖ロマンの物語が複雑な構図で表現されているそう。
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周歩廊。
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ここも細かいステンドグラス。
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壮麗な祭壇。
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12世紀のルーアン大司教(1164年没)ユーグ・ダミアン大司教の墓(横臥像、ジザン)。
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重厚な石の円柱やアーチ、彫刻の施されたニッチ(壁の凹み)など、初期のロマネスク様式の特徴を色濃く残している。
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ロマネスク好きには、萌えです。
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フランボワイヤン・ゴシック様式の美しい細工の階段。
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教会の古い部分と思われる。
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鉄格子の扉を覗いてみると、ロマネスク様式の洗礼盤が見えた。
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16世紀初頭(1509年~1540年頃)に建てられた旧財務局とのこと。現在は観光案内所。
クロード・モネは、1892年から1893年にかけて、この建物の2階(当時は衣料品店)にアトリエを構え、あるいは窓辺にキャンバスを置いて、時間や光の移り変わりとともに表情を変える大聖堂のファサードを30点以上描き上げた。 -
建物の装飾が美しい。
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アルバーヌの中庭。
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ゴシック様式の建築が美しい。
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ミントグリーンのコロンバージュがいい感じ。
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古そうな建物、柱に彫刻がある。
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ノルマンディーらしく10分ごとに降ったり止んだりの雲行き。
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コロンバージュの庇の下で雨宿り。
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この建築も古そう。
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柱に彫刻が。
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お洒落な装飾の建物。
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大聖堂界隈を行ったり来たり。
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大聖堂の北側。
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チェックしてきたクレープ屋さんへ。
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残念ながらランチ営業は終了とのこと。
それにしてもコロンバージュの家が多い。 -
観光ガイドによると
「この街には木組みの民家が2000軒以上残っており、絵本の世界に入り込んだかのような可愛らしい街並みが魅力となっている。建築された年代のバリエーションが豊富なのも特徴で、街全体がまるで美術館の様になっている」とのこと。 -
三叉路の広場。
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サン・トゥアン修道院が見える。
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装飾が面白い。
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Maison Vatelier 菓子店へ。
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美味しそうだったので、クロワッサンとチョコレート購入。
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そして夕刻も営業しているクレープ屋さんへ。
<La Régalière> -
雰囲気ある店内。
マリアージュフレールの紅茶が並んでいた。 -
塩キャラメルのクレープと紅茶をオーダー。
とても美味しかったです。 -
このクレープ屋さんは大時計台の近くだった。
夕食をモノプリで購入してホテルに帰った。 -
そしてホテルに戻る頃、ネット接続が復旧した。esim会社(Ubigi)の障害が原因だったようで、お詫びのメールが届き、 次回esim使用時には半額で利用できるとのこと、ともかく復旧して良かった。
翌朝の出発が早かったので夕食は部屋で。
そして朝食も購入してきたクロワッサンで済ませました。 -
ヴール=レ=ロズに一泊後、再びルーアンに戻って来た。
今回は、旧市街にある別の宿を予約した。
<Le Vieux Carré> -
コロンバージュのお宿に荷物を預けて観光に出発。
メトロでPalais de JusticeからSaint-Julienへ。 -
Chapelle Saint-Julien。
ロマネスク教会を見にルーアン郊外にやって来た。
土曜日の午後は開いているはずだったのだけど、残念ながら閉まっていた。 -
でも外観だけでもロマネスクな箇所が沢山あって、楽しめた。
まずは、扉口を観察。 -
柱頭が面白い。
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こぶりな礼拝堂。
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ロマネスクな軒下の持ち送り。
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色々な彫像が面白い。
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ちょっとお気に入り。
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後陣(アプス)。
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Googleマップの写真によると内部はこんな感じらしい。
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帰路はメトロのThéâtre des Artsで降車。
歩いていくと何やら音楽が聞こえてきて。 -
すると大聖堂前でドラムを叩きながら踊っていた。
そういえばこの日6/6は、ノルマンディー上陸作戦D-Day(1944.6.6)だった。
そのイベントとして行われているようだった。 -
思い返すと32年前にルーアンを訪れた時も6/6だった。
折しもノルマンディー上陸作戦50周年だった。その記念イベントでアメリカからも当時の元将兵なども来仏し、ルーアン市街のホテルが満室で郊外のホテルに宿泊した。
お陰でフリータイムの街の散策が出来なかった。 -
フォトスポットかな。
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実は土曜日は市が立つという情報でPl. Saint-Marcへ。
けれど残念ながら午前で終了らしく、広場に到着した午後3時頃はお終いになっていた。アンティークはあったのかどうかも定かではないのだけど。 -
それでは街歩き。
ブルーとレッドがいい感じ。 -
ポルタの装飾が美しい。
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お花やさんで盆栽が売られていた。
フランスでも盆栽、うけているのね。 -
割と基本的な配色のコロンバージュもあるね。
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旧市街の中心へ。
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サン・マクルー教会が見えてきた。
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このあたりの建物の配色もいい感じ。
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サン・マクルー教会。
1437年に建てられたフランボワイヤン・ゴシック様式のサン・マクルー教会は、炎が燃えさかるような外観が印象的。アーチ状になった5つの正面扉口が有名だそう。 -
確かにキャンドルみたいな形のゴシック様式の教会。
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タンパンは最後の審判などが描かれているよう。
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入って見ましょう。
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天使の門のような装飾が目を引いた。
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大聖堂より古い感じのステンドグラスだった。
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バラ窓。
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変わりやすい天気のノルマンディー、ここで雨が降ってきた。
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このアール・ヌーボー的なカフェで雨宿り。
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店内の席へ。
ちなみに外の席は雨よけにパラソルが開いた。 -
雨が上がったので、再び散策。
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ル・セック・デ・トゥネル美術館。
鉄製品コレクションの展示がされているそう。 -
ルーアン美術館へ。
1801年に皇帝ナポレオンの命によって作られた由緒正しき美術館。 -
入場料は無料。
エントランスは高いガラス天井だった。 -
ラウル・デュフィのセーヌ川の流れ(1936-1937年)のパネルが展示されていた。
<キャプション抜粋>
キャンバス上部に描かれた街は、セーヌ川を中心軸としている。
港の入り口を示し、港は輸送橋を中心に広がっている。崖の曲線、サン・マクルー教会、ノートルダム大聖堂、サン・トゥアン修道院教会のシルエットが街の描写を完成させ、蒸気船が行き交うセーヌ川が街の鼓動を刻んでいる。ノルマンディー地方を象徴するモチーフ(リンゴの木、牛、茅葺き屋根の家々)が、鑑賞者の視線を川下へと導いていく。
中央パネル:水浴びをする女性たちは、姉妹愛を示すように手をつないで立っている。 -
ブリュッセル、16世紀末
「ゼノビア女王によるメオニウスの処刑」
羊毛と絹の織物 -
ジェラール・ダヴィッド
フランドル地方ウーデヴィル1460年頃ーブルージュ1523年
「聖母の中の聖母」
ブルージュ、シオンのカルメル会修道院 -
アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ1435年 ーフィレンツェ1525年)
またはデッラ・ロッビア工房
「幼子イエスの礼拝」
この釉薬テラコッタの高浮彫は、ヨーロッパ各地に作品を輸出したフィレンツェのデッラ・ロッビア工房の作品です。錫と鉛から作られた不透明な白色は、当初は磨き上げられた大理石の白さに匹敵する白さを目指して用いられ、描かれた人物の純粋さを表現しています。天然のコバルト鉱物によって得られた空色の青と調和しています。いくつかの植物の要素によって風景が示唆されています。アンチモン酸鉛から作られた黄色と、マンガンから作られた紫色が、作品に活気を与えている。赤や金色のハイライトは非常に繊細なため、低温で塗布され、しばしば最初に消えてしまう。この「聖母子像」における自然主義の追求と表面の輝きは、デッラ・ロッビア一族の作品の特徴である。
ルーアンでロッビアが見れるとは思わなかった。 -
カラヴァッジョ
ミケランジェロ・メリージ、ディット・イル・カラヴァッジオ(ミラノ1571年ー ポルト・エルコレ1610年)
「柱でのキリストの鞭打ち」
カラヴァッジョが見れるとは。やはり迫真力が違う。 -
こんな雰囲気で所蔵品も多かった。
美術館でベランダや窓に近い場所では、DーDayフェスタのパレードと音楽が鳴り響いてきた。 -
フランソワ・ブーシェ(パリ1703年ー パリ1770年)
「 キューピッドとプシュケの結婚」
ルーブル美術館からの貸出
プシュケは、美の女神ヴィーナスの嫉妬を掻き立てる優雅な王女です。ヴィーナスの息子であるキューピッド神(ギリシャ語ではエロス)は彼女に恋をし、彼女を壮麗な宮殿に迎え入れ、彼女と結ばれます。キューピッドは彼女に自分の正体を決して探ろうとしないよう約束させますが、彼女はそれに背き、キューピッドは逃げざるを得なくなります。
プシュケはその後、彼を捜しにヴィーナスの元へ行き、ヴィーナスは彼女を奴隷にし、数々の試練を与えます。冥界への旅から戻った若い女性は深い眠りに落ちますが、キューピッドはついにキスで彼女を目覚めさせます。
若い人間と神の結婚式はついにオリンポス山で執り行われ、結婚の絆の象徴であるその緒を持つユノが式を司る。鳩と天使たちに囲まれた不機嫌そうなヴィーナスは、その場から顔を背ける。 -
フランシス・ヒューソン(ダブリン活動期間:1830年~1849年)
「ハープ」
美しい装飾。 -
ロベール・ルフェーヴル (バイユー1755年 ーパリ1830年)
「愛は矢を研ぐ」 -
アンリ・オットマン(アンセニス1877年ー ヴェルノン1927年)
「バルコニーの貴婦人」
アンリ・オットマンは1903年、ブリュッセルの自由美学展で初めて作品を発表しました。数年後に制作された本作では、印象派の画家たちが好んだいくつかのテーマが再び取り上げられています。
これは、画家自身の妻という愛する人を描いた肖像画であると同時に、家庭生活の喜びを讃える風俗画でもあります。幅広く、断片的な筆致と、ドレスやテーブルクロスに見られる青と緑の陰影によって、この作品は、間接照明の室内風景と陽光あふれる屋外風景との対比を巧みに用いた、先駆者たちの作風を受け継いでいます。 -
クロード・モネ(パリ1840年ー ジヴェルニー1926年)
「サン=ドニ通り、1878年6月30日の祝祭」
この都市風景は、1878年6月30日に万国博覧会開催を記念して開催された「平和と労働の祝祭」を描いたものです。
1870年の敗北とパリ・コミューンの惨禍を経て、この祝祭は国の復興と、長らく危機に瀕していた共和制の確立を祝う機会となりました。わずか数時間で制作されたこの作品では、旗や群衆が、無数の異なる筆致によって表現されています。
この技法によって形が溶け込むほどに、通りに広げられた「フランス万歳」の青い文字の横断幕は、まるで空中に浮かんでいるように見える。
モネのこの絵は、1879年の第4回印象派展に、同じ日に描かれたモントルグイユ通りの風景画とともに展示された。画商のポール・デュラン=リュエルは、1898年に作曲家エマニュエル・シャブリエの死後に行われた競売でこの絵を落札した。数日後、フランソワ・デポーが電報を送り、この絵を予約した。 -
アルフレッド・シスレー(パリ1839年ー モレ=シュル=ロワン1899年)
「太陽の下、坂道を登る」 -
アルフレッド・シスレー(1839年ー1899年)
「ウェールズの海岸」 -
クロード・モネ(パリ1840年ージヴルニー1966年)
「オールトヴィエのセーヌ川 」1894年 -
クロード・モネ(パリ1840年 ージヴェルニー1926年)
「道、夕焼け」1869年
興味深い記述が。
1906年までフランソワ・デポーが所有していたこの絵画は、1932年にショレの実業家アルフォンシーヌ・テュルポーがベルリンのユーゴ・シモンから購入しました。その後、所在は不明です。
1972年、あるドイツ国防軍退役軍人が告解の印の下、この作品を含む27点の作品をマクデブルク司教(旧ドイツ民主共和国)に寄贈しました。このコレクションは、パリ駐屯のドイツ軍将校からこの退役軍人に託されたもので、将校は作品を取り戻す予定でしたが、二度と姿を現しませんでした。これらの作品は東ベルリン博物館に保管され、聖職者はこの件を秘密にするよう命じられました。1994年、ドイツ再統一後、コール首相は仏独首脳会談において、この絵画をミッテラン大統領に正式に贈呈し、押収された他の作品のフランスへの返還を発表しました。これらの作品のうち7点は、その後、財産を奪われた家族に返還されました。この絵画の所有者はまだ特定されていません。作品の正当な所有者の特定につながる情報をお持ちの方は、博物館までご連絡ください。 -
クロード・モネ(パリ 1840年 ージヴェルニー 1926年)
「ルーアン大聖堂の門、灰色の門」1892年
1909年、フランソワ・デポー氏より寄贈
2015年、クレディ・アグリコル・ノルマンディー・セーヌ地方銀行の支援により修復
1892年から1893年にかけて、モネはルーアン大聖堂の西門を、移り変わる光の中で捉えた23点の連作を制作しました。そのうち20点はジヴェルニーで完成し、1894年の日付が記されています。翌年、デュラン=リュエル画廊で展示され、ドガ、セザンヌ、ピサロ、ルノワールといった巨匠たちの賞賛を浴び、クレマンソーによる熱烈な記事の題材となりました。
この風景は、グラン・ポン通り81番地のモーキ雑貨店から描かれたものです。霧のベールから現れた建物は、灰色と青の色調で描かれ、時計盤のオレンジ色のタッチだけが温かみを与えています。1892年3月、モネは妻に「石炭屋が、まず大聖堂の登録を希望している。一つは自分のため、もう一つはルーアン美術館のためだ」と書き送りました。これは、モネの作品を熱心に見守り、このルーアンでの活動の物流上の困難を解消しようと尽力していたフランソワ・ドゥポーのことを指しています。1894年、この美術愛好家はシリーズ作品の最初の購入者となりましたが、美術館のために特定の作品を購入することはありませんでした。 -
アルフレッド・シスレー(パリ1839年ー モレ=シュル=ロワン1899年)
「サユール=ルスールのセニエール川岸」1894年
1894年の夏、アルフレッド・シスレーは2度目のルーアン滞在を果たしました。
彼は、印象派美術の初期の収集家であるウジェーヌ・ミュラーが所有するオテル・デュ・ドーファン・エ・デスパニュに宿泊しました。
1897年当時、このパトロンはシスレーの作品を28点も所有していました。
その後、シスレーはルーアン南東のメニル=エスナールにあるフランソワ・デポーの別荘に滞在しました。
ノルマンディー滞在中、彼は7枚の田園風景画を描き、そのうち5枚は彼のパトロンによって購入された。堂々とした構図のセーヌ川、サユール、突風。ボートの白い帆は、当時都市のブルジョワジーに非常に人気があったレジャー活動である遊覧船が川で重要であったことを想起させる。フランソワ・デポーは、ヨット「ラ・ダム・ブランシュ」でそれをよく行っていた。 -
アルフレッド・アイズレー(パリ1839年ーモレ・シュール・ロワン1899年)
「 ソミュールのセーヌ川、一陣の風 」1894年 -
アルフレッド・シスレー(パリ1839年ーモレ=シュル=ロワン1899年)
「モレ=シュル=ロワンの教会」1893年
1889年11月、シスレーはセーヌ=エ=マルヌ県のモレ=シュル=ロワンに永住の地を定めた。村のゴシック様式の教会は、彼の家の庭を見下ろす場所に建っている。
1893年から1894年にかけて、シスレーはこの教会を四季折々の姿で描いた14点の作品を制作した。
この連作は、モネの「積み藁」と「ポプラ」の連作、そして中世の建造物を題材としたモネの「大聖堂」の連作に呼応する作品と言えるだろう。
両画家とも臨場感を表現しようとしているものの、アプローチは異なっている。モネがモニュメントを光の中に溶け込ませるのに対し、シスレーはモニュメントの巨大な存在感を強調している。 -
アルフレッド・シスレー(パリ1839年 ーモレ=シュル=ロワン1899年)
「ポール=マルリーの洪水時の舟」1876年
1874年にマルリー=ル=ロワに居を構えたシスレーは、1876年の春、近隣の町ポール=マルリーにおけるセーヌ川の洪水を描いた6枚のキャンバス作品を制作しました。
印象派の画家が同一のモチーフを連作で表現しようと試みたのはこれが初めてでした。
光の効果の無限の変化を体系的に分析したいという欲求に触発されたこの手法は、後にモネによって受け継がれ、発展させられることになります。空と水面に映る反射を細く流れるような筆致で表現する一方で、建築物は鮮やかでありながらもより均一な筆致で描かれており、対照的な印象を与えます。 -
アルフレッド・シスレー(パリ1839年ーモレ=シュル=ロワン1899年)
「マルティの犬舎広場、雪の効果」1876年 -
アルフレッド・シスレー
「レディース・カウ、ウェールズ」1897年 -
ピエール=オーギュスト・ルノワール(リモージュ1841年 ーカーニュ=シュル=メール1919年)
「菊の花束」
この見事な構図は、控えめな主題でありながら、そのスケールは野心的で、1884年頃の作品と推定されます。
モネと同様、ルノワールもこの時期、静物画を頻繁に描いていました。静物画は、より複雑な主題や革新的な形式的探求よりも、はるかに売れ行きが良かったジャンルでした。
しかし、この「菊の花束」は、一種類の花、簡素な花瓶、そして非常にシンプルな構図によって、ルノワールの他の花束とは一線を画しています。
花びらの形を通して、花そのものが、ルノワールに絵画全体に用いられる渦巻くような筆致の方向性を決定づけているのです。このフォーク状の技法こそが、キャンバスに独特の個性を与えているのです。ルノワールは生涯を通じて、同じ絵画の中で技法の対比を巧みに操ることを好み、時には本作のように、画面全体に均一な筆致を用いることで、作品全体を統一感のあるものに仕上げていました。 -
ラウル・デュフィ(ル・アーヴル1877年ーフォルカルキエ1953年)
「サンタドレスのビーチにて」1904 年 -
クロード・モネ(パリ1840年 ージヴェルニー1926年)
「ブランシュ・オシェド=モネの14歳の肖像」1879年頃 - 1880年頃 -
ピエール=オーギュスト・ルノワール(リモージュ1841年 ーカーニュ=シュル=メール1919年)
「鏡を見る女」
シャルル・ヴォームース夫妻寄贈、1954年。この作品は第二次世界大戦中に略奪された可能性がある。
1953年に亡くなったアンヌ・クレメンティーヌ・ルージュは、1950年に亡くなった夫シャルル・ヴォームースの追悼として、この絵画を美術館に寄贈した。ルーアンの骨董商の息子であり、大時計博物館の学芸員の甥にあたる彼は、パリで主要な画廊を経営していた。
占領期間中、彼は略奪品の取引に積極的に関わっていた。彼の名前は、戦後ドイツで回収された作品、特にルーアン美術館に所蔵されているモネの「雉のある静物」(MNR 637)を含む作品の取引と深く結びついています。
略奪された可能性のある作品の来歴に関する調査が進行中です。略奪された美術品に関する調査は、2022年にルーアン・ノルマンディー大都市圏によって開始されました。
現在までに、略奪された疑??いのあるこの絵画の来歴は解明されていません。2024年にはさらなる調査が予定されています。また、この調査により、ルーアンの絵画は、略奪が確認されているルノワールの同名の作品「鏡を見る女」とは別物であることが判明しました。作品の正当な所有者の特定に役立つ情報をお持ちの方は、美術館までご連絡ください。 -
クロード・モネ
(パリ1840年 ー ジヴェルニー1926年)
「ヴェトゥイユのセーヌ川」1879年頃
第二次世界大戦終結時に回収され、1954年に国家によりルーアン美術館に寄贈された作品。来歴確認済み:略奪品ではない。
このキャンバスは、1941年10月にフランスからドイツへ輸出され、1946年にムルナウで発見された後、本国に返還され、正当な所有者への返還を待つ国家委託作品リストに登録された。ルーアン・ノルマンディー大都市圏は2022年、美術館所蔵の略奪品の可能性のある作品の来歴に関する調査を委託した。
調査の結果、この絵画は1879年にジョルジュ・ド・ベリオ博士がモネ本人から直接購入し、その後、彼の娘と婿のウジェーヌ・ドノップ・ド・モンシーに渡り、1941年時点でも彼らの所有であったことが判明した。同年、エミールとローラ・モタール夫妻が入手し、その後まもなく、パリの画商ラファエル・ジェラールを通じてミュンヘンの画廊経営者アルマス・ディートリッヒに売却された。ジェラールは後に占領軍との関係を理由に訴追された。自由フランス当局、そして解放政府は、占領中にドイツ軍が行った取引を無効と宣言したが、この絵画は最後の所有者に強制が加えられていないため、略奪品ではない。 -
クロード・モネ (パリ1140年 ージヴェルニー1926年)
「ルーアンの全景」 -
カミーユ・ピサロ(アメリカ合衆国ヴァージン諸島1830年 ーパリ1903年)
「ルーアンのボワエルデュー橋、夕暮れ」1896年
オルセー美術館より貸与
ピサロは1883年から1898年にかけて、4回の滞在期間中にルーアンを題材とした67点の作品を制作しました。この左岸を鳥瞰した作品は、1896年に制作された28点の埠頭を描いた連作の一つです。2月から3月にかけてはオテル・ド・パリに滞在しましたが、目の感染症のため寝室の窓から絵を描きました。
秋の2度目の滞在では、少し下流にあるオテル・ダングルテールに滞在しました。ボワエルデュー橋は、新しく建設されたオルレアン駅へと続いています。その背後には、街灯用のガスを貯蔵する高く円形の貯水槽がそびえ立っている。
産業革命によって形作られ、光によって変容したこの風景は、ピサロを魅了し、彼は息子リュシアンにこう書き送っている。「特に私の興味を引いたのは鉄橋のモチーフだ。 車、歩行者、埠頭の労働者、船、煙、遠くの霧など、交通量が非常に多く、とても活気に満ち、賑やかだ。」彼は後に別の場所で息子にこう書き送っている。「ヴェネツィアと同じくらい美しい」。 -
カミーユ・ピサロ(サン=トマ1830年 ーパリ1903年)
「 雪のないチュイルリー庭園」1900年 -
アルフレッド・シスレー(パリ1839年ーモレ=シュル=ロワン1899年)
「曲がりくねった道、セーヌ川の眺め」1875年 -
メアリー・フェアチャイルド・マック・モニーズ(ニューヘイブン 1858年 ーニューヨーク 1946年)
「バラとユリ」1897年
メアリー・フェアチャイルドは、セントルイス美術学校(米国ミズーリ州)で絵画を学び、女性の人物デッサンへの参加を提唱しました。奨学金を得て、1885年から1888年までパリのアカデミー・ジュリアンに在籍しました。この私立美術学校は女性専用の講座を設けており、何よりも女性がヌードデッサンを学ぶ機会を提供していました。
印象派の画家として認められた彼女は、1887年から1907年にかけてパリのサロンに定期的に出品しました。彫刻家である夫フレデリック・マック・モニーズと共に、1890年以降、ジヴェルニーへ頻繁に旅行しました。そこで彼女たちは、1886年からそこにいたアメリカ人芸術家たちのコロニーと交流した。
1909年に離婚した後、メアリー・フェアチャイルドはアメリカに戻り、そこでキャリアを続けた。『バラとバラ』では、彼女は娘と一緒にいる自分を描いている。女性画家の間で私的な領域からインスピレーションを得た場面が数多くあるのは、社会的な慣習が長い間、彼女たちが外の世界に完全にアクセスすることをより困難にしていたという事実から来ている。 -
ジョージ・ウィリアム・ジョイ(ダブリン1844年 ーダブリン1925年)
「ジャンヌ・ダルクの眠り」1895年
ジャンヌは祈りを捧げるように両手を合わせて眠っている。足元には、ぼんやりとした神秘的な光輪に包まれた天使が、休息する戦士を見守り、翼で彼女を包み込んでいる。
この神秘的な幻影は、現実世界から精神世界へと扉を開く。ジョージ・ウィリアム・ジョイは特定の出来事を描写せず、物語性を排除してジャンヌの姿そのものに焦点を当てている。
横たわる彫像のように佇む若い女性は、農民であり、戦士であり、そして既に聖女としての姿を体現している。この瞬間を表現するため、イギリス人画家は筆致を大胆に操り、色彩豊かな光に躍動感を与えている。こうして彼は、繊細さと夢のような雰囲気に満ちた、内なるヴィジョンを提示している。 -
ウォーター・クレーン作「甲冑をまとった骸骨」(1883年)
バイキングをテーマにしたアーツ・アンド・クラフツ様式の装飾アンサンブル
1883年、アメリカ人のキャサリン・ロリラード・ウルフ(1828-1887)は、アーツ・アンド・クラフツ運動のイギリス人画家ウォルター・クレーン(1845-1915)に、アメリカ東海岸ニューポートにある自宅のための絵画制作を依頼しました。バイキング伝説が邸宅の装飾のテーマとなり、全体の企画はモリス&カンパニー社に委託されました。アーツ・アンド・クラフツ運動は、質の高い職人技を重視し、新たな工業生産への反動として中世の装飾モチーフからインスピレーションを得ていました。
20世紀前半には、アイスランド人のレイフ・エリクソン(970-1020)が1000年頃に探検したアメリカ大陸の領土ヴィンランドがニューポートにあるという説が広く信じられていました。この仮説により、17世紀の水車小屋の塔は、町のヴァイキング時代の遺構の一つとされ、1832年にその基部から鎧を着た男性の骨格が発見されたことで、その説はさらに強固なものとなった。ヘンリー・ロングフェロー(1807-1882)の詩『鎧を着た骸骨』(1841年)はこの解釈を広く知らしめた。キャサリン・ロリラード・ウルフがこの作品を依頼した当時、この仮説はすでに伝説に彩られていた。
クレーンの作品の6つの構図は、詩のエピソードを描いている。「ノルウェーの森でのヴァイキングの英雄の幼少期、王女との出会い、誓いの交換、そして若い女性の父親が結婚を許さないこと、恋人たちの海を渡る逃亡、二人の愛を守る塔の建設と子供の誕生、愛する人の死、英雄の自殺。英雄の鎧をまとった骸骨は塔からそう遠くない場所に眠っていると言われている。」 1987年に元の場所から撤去されたこのインスタレーション全体は、2019年に美術館のコレクションに加わり、2022年に修復された -
ウォーター・クレーン作「甲冑をまとった骸骨」(1883年)の絵画群の修復
2021年から2022年にかけて、フランス文化省傘下のフランス美術館局の認定を受けた修復家グループ(代表はラエティシア・デヴォワとポーリーヌ・ヴォワラン)が、長年にわたり著しく劣化していたこの装飾絵画群の修復を行いました。
綿密な資料調査と徹底的な検証に基づき、数多くの欠損箇所や部分的な塗装の剥落箇所は、錯視技法を用いて補修されました。また、絵画群の最適な保存状態を確保することも目的としていました。
このプロジェクトは、フランス政府(ノルマンディー地方文化財保護局)からの財政支援と、この絵画群を保存すべき重要な芸術作品と認識し、惜しみないご支援をいただいた多くの文化遺産愛好家の皆様のご厚意により実現しました。心より感謝申し上げます。 -
ウィリアム・モリスと共に、生活と芸術の融合を目指す「アーツ・アンド・クラフツ運動」を強力に推進したそうで、ラファエロ前派を感じました。
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作品が大きいので部分的に。
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作品が大きいので部分的に。
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作品が大きいので部分的に。
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ジャック・エミール・ブランシュ (パリ1886年ーオフランヴィレ 1994年)
「アーティストの母親」1890年
この絵昨年アヴィニヨンのアングラドン美術館の企画展で見たわ。 -
アメデオ・モディリアーニ(リヴォルノ1884年 ー パリ1920年)
「ステンドグラスの窓の前に立つポール・アレクサンドル」1913年
1906年にイタリアからパリに到着したアメデオ・モディリアーニは、翌年ポール・アレクサンドル(1881-1968)と出会いました。1909年から1913年にかけて、画家は若き医師であるアレクサンドルの肖像画を5点制作しました。
アレクサンドルはその後、モディリアーニの友人となり、主要なパトロンとなりました。本作は、その連作の最後の作品です。細長く伸びた顔と首、瞳孔のない描写、洗練された鼻など、モディリアーニ独特のスタイルの本質が表れています。
この幾何学的なスタイルは、ファン族(ガボン)の仮面から着想を得ています。モディリアーニとポール・アレクサンドルは、アフリカ美術に共通の関心を持っていました。
彼の友人が収集したバウレ族(コートジボワール)の美術品もまた、この画家による数多くの素描作品にインスピレーションを与えた。 -
アメデオ・モディリアーニ(リヴォルノ1884年ーパリ1920年)
「洗礼者ヨハネと十字架上のアレクサンダー」
サクッと見て回ったけれど館内は広く収蔵品も多く、見応えがあります。 -
行ってみたかったカフェへ。
外観はアール・ヌーボー的。 -
人気店らしく並んで入店。
2階の窓際が素敵なんだけど、1階席に案内された。
お茶とケーキが美味しかった。 -
入口の雰囲気。お土産物も可愛かったけど、荷物になるので断念。
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通りを散策しながら見かけたショーウィンドウ、ドルチェの大きさが半端ない。
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お宿に戻りました。レストランもやっている。
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階段で4階、男性が運んでくれたメルシー。
広くはないけど、キッチュで可愛いお部屋でした。 -
朝食は、レストランスペースでいただいた。
次の美しき村に向かいます。
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この旅行記へのコメント (4)
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- milkさん 2026/07/23 23:40:06
- ジャンヌ・ダルク終焉の地
- マリアンヌさん、こんばんは☆
毎日暑いですね...。
そう!
私はジャンヌ・ダルク終焉の地という事もあってルーアンに行ってみたいのです。
それと、モネの描いた大聖堂も見たくて。
そのルーアンにはコロンバージュのお家がこんなにたくさん建ち並んでいたとは!
思っていた以上に可愛くて、更に行きたくなりました( *´艸`)
ルーアンの大聖堂は中も素晴らしいですね~。
サン・マクルー教会も素敵ですし、カフェ巡りも楽しそう♪
美術館は無料なのに圧巻の所蔵品ですね☆
目の保養になりました。
milk
- マリアンヌさん からの返信 2026/07/25 16:50:45
- Re: ジャンヌ・ダルク終焉の地
- milkさん こんにちは。
ジャンヌダルクの記念十字架は、以前見たからその広場には行きませんでした。
半日×2日なので割と時間がなかったんです。
モネが描いた大聖堂は絵のイメージあるし、見たいですよね。
はい、コロンバージュだらけです(笑)
カフェやクレープリーもあるし、是非行ってみてくださいね。
美術館、時間がなくてサクッと回りましたが、無料なんでおすすめです。
マリアンヌ
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- menchiさん 2026/07/21 23:18:45
- カラヴァッジョが
- マリアンヌさんの大冒険、一緒に歩いてるような感覚を覚えました、素敵な街歩き。
そしてカラヴァッジョ!
そうなのか、ルーアンにありましたか。
見せていただいて、ありがとう♡
- マリアンヌさん からの返信 2026/07/22 07:07:35
- Re: カラヴァッジョが
- menchiさん こんにちは。
ルーアンは2度目の訪問でしたけど32年ぶりでしたし、ツアーだと大聖堂と大時計、ジャンヌダルクの十字架位で街歩きは出来なかったので、コロンバージュだらけの散歩は楽しめました。
カラヴッジョの作品も見れて嬉しかったです。
menchiさんのvacanzaの旅行記も楽しみにお待ちしています。
マリアンヌ
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