2025/10/23 - 2025/10/23
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kojikojiさん
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この旅行記スケジュールを元に
引き続き「雲崗石窟」の第7窟から第20窟の見学が続きます。狭い石窟の中にたくさんの人が入っているので圧倒されますが、怯んでいては見学も出来ないし写真も撮れません。もっとのんびり見学するには20年ほど来る時期が遅かったのかなとも思います。第16窟から第20窟までの5つの石窟はこの「雲崗石窟」を開いた「曇曜(どんよう)」が製作にかかわった「曇曜五窟」と呼ばれるもので、その出来栄えは素晴らしいと思えます。雲崗の石窟寺院の造営事業は自ら熱心な仏教徒であった北魏の文成帝によって推進されました。仏教復興事業を牽引したのは北魏によって滅ぼされた北涼の僧の「曇曜(どんよう)」でした。文成帝と曇曜の出会いは、たまたま帝が馬に乗っていたときに曇曜とでくわしたと言われます。そのとき帝の馬がすすんで曇曜の法衣を口にくわえたことがきっかけで、このエピソードは忽ち有名になり「馬は善人を知る」とほめたたえられました。曇曜は故国の北涼に近い敦煌石窟をモデルに、都である平城の西15キロの雲崗にある武周山の岸壁を切り拓き、石窟五カ所を造りそれぞれに大仏像を彫り出させました。これら「曇曜五窟」は北魏の初代皇帝の道武帝から、明元帝、景穆帝、太武帝、文成帝の五帝になぞらえています。この五窟に続き開削が行われ、大規模なもので42を数えます。大小無数の仏像はガンダーラ様式のものもあり、グプタ様式のものもありますが、わずか40年で孝文帝の漢化政策により、都が洛陽に移されたために雲崗の造営も終焉してしまいました。ここまでかなりの距離を歩き、妻はへとへとになっていましたが、ガイドさんの「帰りはカートに乗りましょう。」の言葉に勇気づけられていました。カートを降りてからもお土産物街を通り抜けてかなり歩きましたが、途中で絵葉書を買ったり遅れないようにするのが大変でした。出口には「ケンタッキー・フライド・チキン」の店がありましたが、立っていたのは妙に中華風のカーネル・サンダースでした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 船 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
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「第7窟/第8窟」は修復工事中のために外からも全く見えないようになっていました。工事囲いのバナーに写真が数枚印刷されていましたが、あまり状態はよくありません。ここでも資料の写真を備忘録として掲載しておくことにします。
雲岡石窟寺院群 寺院・教会
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「第7窟」「第8窟」は5カ月間にわたるデジタル化作業および保護修復工事が終了し、我々が見学に訪れた4日後の10月27日に見学客の受け入れを再開しました。
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「第7窟」では四方の壁に仏像を安置するためのくぼみである龕(がん)が層状に配置されています。天井は中国の古建築に用いられる装飾的な藻井(そうせい)で、諸仏の周囲を飛び回って礼賛すると考えられた飛天や蓮の花が飾られています。
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中央の6体の天人は優雅な姿で並び、「雲岡六美人」と称されます。
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雲岡研究院は2025年の5月13日から、「第7窟」と「第8窟」を臨時閉鎖して、データ収集と洞窟の調査を集中して実施しました。
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今回の保護工事では洞窟の亀裂の封鎖と危険な岩体の補強だけでなく、温度や湿度、照度などの環境指標についての警報をリアルタイムで出す動態監視システムを構築しました。
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ほんの数日違いで見学できなかったのは非常に残念でした。
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「第8窟」は「第7窟」と一対の石窟であり、孝文帝と馮太后が共同執政時代に7年をかけて造られました。少数民族出身の王遇が掘削を担当し、孝文帝の時代に宕昌公の爵位を得て陵墓や宮殿の建設プロジェクトを指揮しました。
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王遇は3代の皇帝の宦官を歴任し、北魏時代の建築界を司り、馮太后から厚く信用され、平城(現在の大同)や他の都市に数多くの傑作を残しました。
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「第8窟」は「第7窟」と内部の仏像のレイアウトや寸法は基本的に同じで、建設時には木造の楼閣建築で覆われていました。
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大自在天(だいじざいてん)はヒンドゥ教のシヴァ神の仏教における姿で、摩醯首羅(マヘーシュヴァラ)と呼ばれ、妻は烏摩妃(パールヴァティ)です。インドの「エローラ」や「アジャンタ」で観てきたようなレリーフが中国にあるというのは驚きです。シヴァの乗り物である聖なる牛のナンディンに乗っています。
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さらに鳩摩羅天(くまらてん)の梵名は「クマーラ」で童子を意味し、無執着の徳を表すといいわれます。大自在天(ヒンドゥ教のシヴァ神)の息子とされており、韋駄天と同一視されます。起源はヒンドゥー神スカンダで、韋駄天が軍神として甲冑姿で描かれるのに対して、鳩摩羅天は孔雀に乗る少年神として描かれます。
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この石窟は事前に写真集で見ていて見学できるのを楽しみにしていたので残念です。
エローラ遺跡:https://4travel.jp/travelogue/11915581
アジャンタ遺跡:https://4travel.jp/travelogue/11909994 -
「第9窟:阿閦(あしゅく)佛洞」
「第7窟」と「第8窟」の前にあった楼閣建築は失われていますが、「第9窟」と「第10窟」の前には現在も残されています。失われた楼閣は「鎮国寺」でこちらは「護国寺」で、馮太后が国を鎮めて国を護るという意味です。 -
中国史上何人かの摂政にあたる皇后や女帝が現れました。漢の高祖劉邦の皇后である呂皇太后や唐の高宗の皇后である則天武后、清の咸豊帝の側妃であった西太后が良く知られていますが、北魏の馮太后はあまり注目されていません。
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「第9窟」と「第10窟」は同じ形状を取り、同じように前殿後室の構造となっています。前殿には4本の柱があり、その柱の間から後室に収められた阿閦仏(あしゅくぶつ)の顔が見えます。奈良の東大寺大仏殿の「観相窓」を思い出す造りですが、ここでは元々は洞窟を掘削し始めた際の穴なのかもしれません。
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インドの「エローラ遺跡」の「カイラサナータ寺院」も1つの岩山を掘削して巨大寺院を掘り出していましたが、掘り出す際には完成形が定まっていないとやり直すことが出来ないと感じましたが、ここでも同じようなことを感じました。
カイラサナータ寺院:https://4travel.jp/travelogue/11915754 -
前殿の比較的狭い範囲にもかかわらず壁面から天井にかけては彫刻で埋め尽くされています。
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正確に彫り上げられた部分と微妙にゆがんだ部分の入り混じった不思議な魅力を感じます。
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彩色の岩絵の具は変色と剥離をしていますが、それでも余りある美しさを感じます。往時の極彩色を想像しながら歩を進めていきます。
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柱の基壇部分と背面の像にはインドの天竺の習慣と仏教教養の高さを感じます。入り口から入った「霊巌寺」へ続く長大な「佛光大道」に並ぶ「六牙白象(ろくげはくぞう)」が背負っていたのはこの柱をモチーフとしたものです。
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北面に座す主仏は阿閦如来です。密教における金剛界五仏(五智如来)の一尊で、金剛界曼荼羅では大日如来の東方に位置します。
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周囲に配された菩薩の姿の美しさにも驚かされます。
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幾度かの修復は行われているとはいえ、1500年前に造られた仏たちを現在見ることが出来るのですから。
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現代ではスマホやアプリのお陰で世界中の画像や映像を瞬時に見ることが出来てしまうので若い人のパスポート取得率も下がっていると聞きます。でもはy区分は一見にしかずで、実際にその地へ行くことには意味があるように思います。
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5日間で十数万円の費用は掛かりますが、妻つは2人で元気に動けるうちは旅を続けようと話し合っています。まだまだ見ていない世界はたくさんあります。
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「第10窟:毘盧佛洞」
「第9窟」と双窟と呼ばれる「第10窟」の見学に移ります。ここの見どころはまず前室にあるということです。 -
「第11窟:来迎佛洞」5世紀後半
この石窟は「第13窟」までが1つのセットを構成しています。シンプルな前室から洞内へと進んでいきます。 -
こちらも塔柱窟で塔の高さは13.3メートルあります。上下2層に分かれ、下層の正面には本尊の脇侍に遼時代に補完された菩薩像が安置されています。
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日は市壁の上層には太和7年の483年の造像銘があり、これは「雲崗石窟」の現存するもっとも古くて長い題記であり、平城魏碑書道の傑作とされます。
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窟内の4面に配置された仏龕は北魏時代に民間資金で彫られたものと推定されています。
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この西壁の屋形仏龕びは7体の波状の髪形をした大きな体に褒衣博帯の衣装をまとう立仏が威風堂々と並んでいます。
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小さい千仏の1つ1つがその当時の人々の祈りのように思えてきます。
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「第12窟:離垢地菩薩洞」5世紀後半
前室の明窓と門の間には須弥山が精緻に彫刻され、中央山脈が連綿と起伏しています。その中腹には2匹の龍が飛び絡み、その両脇には三面四臂の天神像が太陽と月を手に持っています。反対側では多面六臂の天神が弓を手に護法の市井を取っています。 -
東西両壁の屋形殿堂には弥勒菩薩と弥勒仏が対照的に安置され、大乗仏教の思想を象徴的に表現しています。
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驚くべきは木造楼閣の天井を模した梁や格天井に施された彫刻の数々です。
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全く隙間の無いほどに埋め尽くされた仏や飛天には言葉もありません。
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ガイドさんの説明で気が付くほどですが、歌姫、舞姫、縦笛、横笛、琵琶、太鼓、尺八、喇叭を演奏する楽団が描かれています。
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インドで観てきた数々の寺院やギリシャ建築にも通じる装飾美を感じます。
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そして入り口側の天井にある1体の彫刻に目が止まります。
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これは手に指揮棒を持った指揮者だということです。ガイドさんによると世界最初の楽団の指揮者は中国が発祥だということでした。世界の中心ですからね。中国は。
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洞内に入った正面の主仏は毘盧遮那仏です。大乗仏教における信仰対象である如来の一尊で、華厳経において中心的な存在として扱われる尊格で、密教においては大日如来と同一視されます。
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宝冠や瓔珞の装飾を見るとやはりインドの影響を強く感じてしまいます。
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木製の像で仏を表現した日本とインドやスリランカや東南アジア、中国の違いを強く感じます。
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「第13窟:文殊菩薩洞」5世紀後半
「第11窟」からこの「第13窟」は「曇曜五窟」が完成した後の第2期工事の最初に造られました。 -
この3つの石窟は献文帝が亡き父の文成帝のために造ったと言われています。「第9窟」から「第12窟」は清の時代に彩色を施したので「五花祠」とも呼ばれます。
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この洞の天井も極彩色の彩色が見事に残されています。
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主仏は高さ12.5メートルの弥勒仏で方形の座に座り、両足が地に垂れ、自然に膝を曲げ、左手を膝に置き、右手を上げています。
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宝冠を被り、首には涼月の首飾りと瓔珞を身に着け、胸元には蛇の装飾を施し、斜めにリボンをかけています。
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右手と右膝の間には4本の腕を持つ力士の腕を支えています。この腕だけでももの凄い重さがあり、この力士があることで1500年の月日を耐えているそうです。
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「第14窟」6世紀初期
石窟の中央には楣拱龕(まゆき)が設けられ、内部には大型立像の輪郭が残存していることからかつては大仏洞であったことが分かります。 -
この西壁の下層にある方形仏龕には左に維摩像、右に文殊菩薩像が配され、中央の菩薩立像は右手に鉢を持ち、左手に蓮華を執る姿で「維摩詰経」の「観衆生品」の場面を描いています。これは中国に現存する最古のものです。
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「第15窟:万佛洞」
堂内には主仏の姿はなくその壁面は千仏で覆われています。時期としては孝文帝が洛陽遷都を実施するためにぞんざいに作られたようです。 -
馮太后(文成文明皇后)が崩御の前に孫である孝文帝に先祖の偉業を脅かす敵は北方の民族ではなく南朝であると語ります。そのためには漢民族の支配する南朝を征服するには北魏の鮮卑人(北方の騎馬民族)は漢民族の文化を受け入れて同化することで漢民族を支配し、始めて北魏が天下統一できると説きます。
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漢化政策(かんかせいさく)とは北魏の孝文帝が推し進めた政策で、漢人が占領下の異民族に強制したり、利便性から漢人に近づけるために配下の異民族の習俗を漢人のものに合わせようとする政策を指します。
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千仏といいながらどう見てもそれ以上の仏が彫られています。万仏洞と俗称で呼ばれるのもうなずけます。
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「曇曜五窟」と称せられる5体の大仏は北魏仏教の性格を端的に表すものとして著名です。この後の「第16窟」より「第20窟」に至る石窟に彫られた大仏は、それぞれ北魏の太祖である道武帝、2代明元帝、3代太武帝、4代南安王、5代文成帝までの5代の皇帝の姿に似せて彫らせたものであると言われています。これは「皇帝即如来」とまで言う北朝仏教の考え方を造形化したものです。
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「第16窟:立佛洞」5世紀中期
この洞窟に彫られたのは阿閦如来(アクショーブヤ)で、大乗仏教における信仰対象である如来の一尊です。東方の現在仏で、梵名のアクショーブヤとは「揺れ動かない者」という意味があり、この如来の悟りの境地が金剛(ダイヤモンド)のように堅固であることを示します。 -
「第16窟」と「第17窟」は並ぶように造られています。どちらも天窓を大きく開いた形で展開されています。
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蓮華座に立つ13.5メートルの像は髪形がモダンで、袈裟を羽織った姿が韓国の民族衣装に似ているそうです。ガイドさんの説明では前に垂れたものはネクタイの原型で、世界最古のものだということでした。同じような話は山東省で世界最古のサッカーとか聞くことが多いです。ネクタイはやはりクロアチアが起源だと思います。
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「第17窟:弥勒三尊洞」5世紀中期
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この洞の主仏は交脚の弥勒菩薩像で、高さは15.6メートルあります。宝冠を被り、首には首飾りを施し、胸には蛇の装飾と瓔珞を飾り、腕輪もしています。大業を成し遂げた道武帝(拓跋珪)を模した仏像であることから宝冠を被るのもうなずける気がします。
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「第18窟」:立三佛洞」5世紀中期
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「雲崗石窟」初期の彫像の壁はもっとも複雑であると言われています。阿弥陀仏像の高さは15.5メートルで、その視線は遠くを見つけているようです。
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千仏が刻まれた襞(ひだ)のある袈裟を被り、その傍らには脇侍である菩薩像と弟子の像が彫られ、合わせて阿弥陀仏五仏像を構成しています。
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宝冠を被った菩薩の表情に惹かれます。本尊だけでなく周囲にも目を配らないといろいろなものを見落としてしまいそうです。
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これらの彫刻技法はインド出土の彫像とほぼ同じであることからインドの影響を受けていると思われます。
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我が家の菩薩はすでに疲れ果てて、その上仏像を見るのにも飽きてしまったようです。
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洞への入り口のゲートにも隙間なく壁龕と小さな仏が彫り込まれてあります。わずかに彩色もの固定るように感じることから往時はどれほどの極彩色の世界だったのでしょう。
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「第19窟:宝生佛洞」5世紀中期
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ここも同の入り口は大小の壁龕に彫られた仏像とその間を千仏で埋め尽くしています。
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「第19窟」は構造が独特で、3つの洞窟で構成されていル歳代の石窟です。
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北壁の主仏は高さ16.8メートルで「雲崗石窟」における第2の大仏です。主仏は北方不空成就仏で「蓮華三昧経」によると釈尊と異名同体であると言われます。密教では金剛界の五知如来とされ、北方は涅槃位に当たるとされます。この像には脇侍の仏が無いのは交脚が大きすぎて掘るスペースが無かったようです。
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そのために外側に脇侍を掘る場所を確保したようです。左右には文殊菩薩と普賢菩薩が納められています。
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時折視線を感じて目をやるとそこにはまた新たな仏の姿があります。
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「第20窟:白佛爺洞」
ようやく曇曜五窟と称せられる5体の大仏の最後まで来ました。 -
この石窟は元々あった頂上部が崩れ、北面の座像が露出したことで有名になり、「雲崗石窟」の代表作として知られています。
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大仏の高さは13.7メートルで顔がふくよかで、鼻筋が高く、唇がやや小さく、眉が細長く口ひげを生やしています。釈迦の姿の32の特徴を表した「三十二相八十種好」を思わず思い出してしまいます。
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体の全ての毛の先端が全て上になびき、右に巻いて紺青色を呈し柔軟である。というのもその1つですが、ここでは螺髪にはなっていません。ただ後年になって造られた他の石窟の像はそれに習っていました。日本人の感性でいうと彩色されたオリジナルよりもづ浮かしたこのような石仏の方が好まれると思います。
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仏像の光背には大きく分けて頭部から光が放たれる「頭光(ずこう)」と、全身から光が放たれる「挙身光(きょしんこう)」の2種類があります。これらは仏の聖なる光を視覚化したもので、「後光(ごこう)」とも呼ばれます。
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光背は仏像が放つ偉大な光を表現し、その神聖さやありがたさを象徴しています。初期の仏像では単純な円形でしたが、時代とともに多様なデザインが作られるようになりました。ここでは千仏光(せんぶつこう)という光背全体に小さな仏像が多数配置されたもので、壮大な仏教宇宙観を表現し、飛天光(ひてんこう)という天女(飛天)も描かれています。
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この仏の右手とタッチする写真を撮るのが流行りのようで、中国の観光客はみなトライしていました。自撮りも上手く撮れない我々は何度やってもダメでした。
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この先にもまだ延々と石窟が続いています。「雲崗石窟」には147の石窟があるそうです。北魏王朝が平城(大同)に遷都しなければこの石窟は存在せず、さらなる遷都により終焉を迎えていきます。仏教における諸行無常を感じました。
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最後に来年の年賀状用の2人の写真を撮って2時間の見学が終わりました。
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妻が心配していたのは帰り道も歩くということでしたが、ガイドさんが帰りはバスですよと説明してくれて大喜びです。
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電動カートのバスで送られた出口には古い石臼を敷き詰めた歩道がありました。我が家にも父が田舎から持ってきた石臼が鎮座していましたが、実家の解体と共に失われてしまいました。
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たっぷり2時間かけての見学が終わりました。石窟は「第21窟」以降も続いていますが、遠目に見ても見学する必要は無さそうに思えました。この時は年明けに「龍門石窟」を見に行くと期待していたのですが。
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石窟のエリア内ですが、裏手の方に泥付きの美味しそうなネギが干されてありました。まだ関越自動車道が無かったころ、苗場などに向かうスキーバスは国道17号を走り、深谷辺りの道路脇ではアセチレンライトに照らされたネギが延々と売られていたのを思い出しました。
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出口に向かいながら隙を見て絵葉書を買ったり本を買い求めたりします。この手打ちの「香酥餅(シャンスービン)」も美味しそうでしたが、出来上がりまで待っていたら迷子になります。「酥」という漢字は「パイ」や「クッキー」、「サクサクした歯ざわり」といった意味を持ち、古くから中国菓子に用いられています。
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ケンタッキー・フライド・チキンの店もありましたが、カーネル・サンダースはこんな姿になっていました。これってちゃんと認めているのでしょうか?急いでバスに乗ってお昼を食べに行きますが、かなり走るようです。
懸空寺 山・渓谷
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