2025/10/25 - 2025/10/25
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kojikojiさん
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この旅行記のスケジュール
2025/10/25
この旅行記スケジュールを元に
夜の「平遥古城」を楽しんだ後は夜明けの古城内も散策してみました。まだ暗い中を「天主堂」の外観を眺め、城壁の表まで足を延ばしてみました。その後は城内のメインストリートではない裏道を探して歩いてみました。打ち捨てられた住宅や朽ち果てた建物の崩れたレンガの壁や屋根瓦を見ると、建設された数百年前の空気を感じることが出来ました。それらの部材は大切に保管されて他の建物の修復に使われるようで、奇麗に積み上げられているのも印象的でした。共産党による現代中国とは違った本来の中国の精神を見たような気がします。細い路地を歩いていても終いには東大街にでてしまい、「平遥市楼」のある明清一条路に入ります。まだ店も開かない時間で早朝の散策もいいものだなと思えます。そのまま「平遥古城南門」まで進んでみます。残念ながら城壁に上ることは出来ませんでした。そこまでで散策を終えてホテルに戻り、朝ご飯を頂きます。荷造りを済ませてフロントに預けてガイドさんと市内観光に移ります。早朝に散策したルートで「聴雨楼」を抜けた「平遥県政府跡地」から見学します。ここは元代から清代まで平遥県の政治の中心だった場所で、政治だけではなく警察から納税、裁判までを行っていた屋敷です。ここ数年妻が中国ドラマにハマっていて、その中には面白くて一緒にハマったものもいくつかありました。その1つが「唐朝詭事録」という狄仁傑(てき じんけつ)という唐代で太宗の時期に続いて安定していたといわれる武則天の治世において最も信頼され宰相を務めた人物が主人公の番組です。彼が地方での難事件を解決していくのですが、その滞在先が同じような県政府なので非常に興味深く見学することが出来ました。そして彼が旅の終わりの山西省の太原出身だったことも思い出しました。「平遥」の観光はまだまだ続きます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
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「平遥」の夜は楽しく、2時間のマッサージのお陰か夜明け前に目が覚めたので散歩に出掛けます。デジカメの感度のせいで明るい空に見えますが実際はもっと暗いです。
平遥古城 城・宮殿
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城内にいても城壁は見えないので外まで歩いてきましたが、ここまで完璧に残されているのだとは分かりませんでした。
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明代から清代にかけての中国の典型的な城郭(城牆)は修復は行われたと思いますが、14世紀からの姿をほぼ原形のままにとどめています。
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平遥古城にある「天主堂」は1910年に建てられその建設費用は清朝政府が支払った庚子賠償金(義和団事件の賠償金)が充てられました。建築様式と特徴 ヨーロッパ古典様式のレンガと石造りの建築で、元々は3階建てでした。
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1階は礼拝堂で2階は音楽ホール、3階は鐘楼として使われていましたが、文化大革命の際に破壊されてしまい、現在の「天主堂」は簡素な礼拝堂と鐘楼で再建されたものです。平遥古城の古民家の甍の中に突出した十字架が見られるのが特徴です。
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5月に旅してきたイギリスやスコットランド、アイルランドでも見たレンガ造りの建物を思い出します。中国のレンガは磚(せん)と呼ばれ、石を主原料にした黒色レンガのことです。磚の特徴は強還元炎で焼かれたその黒色にあります。
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「北京」の紫禁城の床にも敷かれていますが、地面には8000万敷かれた磚は深さ1.5メートル(縦横に13層)まで敷き詰められていいます。これは皇帝の暗殺のために穴を掘ったりできないようにしたのだそうです。
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昨晩歩いたところに行っても新しい発見が無いので、「天主堂」の前から北に延びる雷家圓街を北に進んでみます。
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山西人と酢は深い関わりを持ち、山西省の酢醸造の歴史は約3000年にもなります。北魏には12通りの酢醸造方法あり、これは山西人の醸造方法だと考証されています。その中の「作米酢法」は「山西老陳酢」の醸造方法で、酢の故郷である「平遥」には今でも民間に酢醸造の遺風が残っているようです。
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商店などが無いこのエリアでもおしゃれなホテルはあるようですが、宿泊客でないと中に入れないようです。
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清代のまま時間が止まったような風景です。オーバーツーリズム気味の「平遥」ですが、美しいものはそのまま残されていました。
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50種類の福の文字が書かれた銘板が掲げてありますが、背後の磚の古びた壁も味があります。
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使われなくなっている住宅も近い将来は民宿や飲食店になってしまうのでしょう。
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「泰山石敢當」は元来は福建省を発祥とする中国の風習で、山東省の「泰山」の頂上にも石敢當が存在します。中国本土のほか、沖縄や台湾、香港、マレーシア、ベトナム、シンガポールなどでも見られます。「石敢當」という名称の由来は後漢代の武将の名前とも名力士の名前とも言われますがはっきりしないようです。
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崩れた磚の奥にも当たり前ですが積まれた磚が見えます。中国の伝統建築でよく見られる主要な積み方には「敷平(フーピン)積み」という磚を平らに並べて積む基本的な方法、「立掛(リーグァ)積み」という垂直に立てて積む方法、「花格(ホァーグァ)積み」というレンガを様々に組み合わせて、透かし彫りのような模様を作る方法があります。
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長年人が住まなくなった建物は朽ち果ててしまうようで、撤去最中の現場も見ることが出来ました。一応隣との間には防火壁なのか防犯のための壁なのかレンガが積まれてあります。
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撤去された古い丸瓦などはきちんと整理されているので、残った古民家の補修用に使われるのだと思います。
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建物や使う場所によって形状も違うようです。なかなか出会えないものを見ることが出来た気がします。
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ぶらぶら歩いていると「平遥市楼」に近くに出ました。
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深夜の「市楼」もライトアップされて美しかったですが、早朝の姿も素晴らしいです。
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ここで初めて緑と黄色の瑠璃瓦が葺かれていることに気が付きました。
市楼 建造物
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通りには食材を届ける軽トラやバイクが数台通るだけで、時間が止まったような光景です。
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賑やかな夜の時間帯と深夜の誰もいない光景、そして早朝の姿を見てようやく「平遥」を感じることが出来た気がしました。
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早朝の時間帯はこの通りで商売する人は車両で通行しても良いのだと分かりました。
市楼 建造物
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通りを南に下ると「南門(迎薫門)」が見えたので、もしかすると城壁に上れるかもしれないと思い、近くまで行ってみることにします。
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「南門(迎薫門)」
「平遥古城」は南北に1つずつ、東西に2つずつの城門を構えていますが、これが亀の形状に似ていることから「亀城」とも呼ばれています。南門が頭で東西の城門が足、北門が尾に相当します。 -
残念ながら城壁へ上がる階段には料金所があり、この時間は上には行けないと分かりました。そのまま城門の先まで歩いてみることにします。
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何年前に敷かれた石か分かりませんが、車輪が通る場所には轍が出来ていました。いったいどれだけの物資が馬やロバに運ばれたのでしょう。繁栄した「平遥」の時代を物語っているように思えました。
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南門は平遥古城の正門であり、「迎薫門」とも呼ばれます。迎薫は詩歌などで使われる表現で、夕暮れ時を意味して吉兆や繁栄や大きな喜びを暗示する縁起の良い言葉です。
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「杜子春(とししゅん)」は大正9年の1920年に雑誌「赤い鳥」にて発表された芥川龍之介の短編小説です。 元々は中国に伝わる伝奇小説「杜子春」を童話化したものです。
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唐王朝の洛陽の都の西門で、春の日の日暮れに杜子春という若者が1人佇んでいました。彼は金持ちの息子でしたが親の遺産で遊び暮らして散財し、乞食同然になっていました。そんな彼を哀れんだ不思議な老人が「この場所を掘る様に」と言い含めます。その場所からは荷車一輌分の黄金が掘り出され、たちまち杜子春は大富豪にななりますが、財産を浪費するうち3年後には一文無しになってしまいます。杜子春はまた西門の下で老人に出会っては黄金を掘り出し、再び大金持ちになっても遊び暮らして文無しになってしまいます。
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3度目に西門の下に来た杜子春の心境には変化があり、金持ちの自分は周囲からちやほやされるが、一文無しになれば手を返したように冷たくあしらわれる。人間というものに愛想を尽かした杜子春は老人が仙人であることを見破り、仙術を教えてほしいと懇願します。そこで老人は自分が鉄冠子という仙人であることを明かし、自分の住むという「峨眉山」へ連れて行きます。
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「峨眉山」の頂上に1人残された杜子春は試練を受け、鉄冠子が帰ってくるまで何があっても口をきいてはならないと言われます。虎や大蛇に襲われても、彼の姿を怪しんだ神に突き殺されても、地獄に落ちて責め苦を加えられても、杜子春は一言も発しません。怒った閻魔大王は畜生道に落ちた杜子春の両親を連れて来させると、彼の前で鬼たちにめった打ちにさせます。無言を貫いていた杜子春でしたが、苦しみながらも杜子春を思う母親の心を知り、耐え切れずに「お母さん」と一声叫んでしまいます。
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親が地獄の責め苦を受ける場面で「あの時もし声を出さなかったら、お前を殺していた」と鉄冠子は語り、「泰山」の麓にある一軒の家と畑を与えて去っていきました。今回の旅では「恒山」や「五台山」へ行ったことから「峨眉山」が頭に浮かび、この門を見て「杜子春」の物語を思い出したようです。
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以前「九塞溝」と「黄龍」へ行った話を母にしたところ、「私は九塞溝や黄龍より、子供の頃に読んだ杜子春に出てくる峨眉山を見て見たかった。」という話も思い出しました。「峨眉山」の山頂では杜子春を真似て杖にまたがってみましたが、「洛陽」へ飛ぶことは出来ませんでした。現代の放蕩息子も放蕩娘も仙人にはなれないようです。
峨眉山:https://4travel.jp/travelogue/11130152 -
貸衣装の店のウインドウには苗族の衣装が飾ってありました。これは結構よく出来た衣装でした。妻と行った貴州省の旅が思い出されました。
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我が家のコスプレは17年前にすでにピークを迎えていました。この頃はまだ妻も可愛らしさが残っていました。この当時の貴州省の旅は最高に楽しかったです。村を1つ貸し切って200人くらいの方に歓迎式を開いてもらっても1万円しない時代でした。
季刀苗塞:https://4travel.jp/travelogue/10354647 -
行った先々で衣装を借り、違う民族の村に入ると通りすがりの背格好の似た人からも婚礼衣装をお借りして着させてもらいました。
長角苗族:https://4travel.jp/travelogue/10354530
まだ、こんな旅は出来るのだろうかと思います。 -
「城隍廟」は早朝も開いていないので見学できないと分かりました。
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そろそろホテルに戻って荷造りをして、朝食を食べないと出発に贈れてしまいます。
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ホテルの部屋に戻ると先ほど見た「天主堂」の尖塔がどんよりとした朝日の中に浮かび上がっていました。
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朝食は昨夜と同じ1階のレストランでした。モチモチのトウモロコシ、豆腐干と野菜炒め、豚の腸の和え物、麻花というねじった揚げ麺など美味しい料理が並んでいました。
ピンヤオ ユフェンヘン ホテル ホテル
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そして細いうどんのような麺には醤油味のスープ、そして海苔や干しエビや香菜などを乗せて好みの味にします。
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ホテルのフロントに荷物を預けて、午前8時に市内の観光に移ります。まずは「平遥県衙」に向かって歩きます。歩くのが嫌いな妻は電動カートみたいなものを見つけて立ち止まってしまいました。
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南大街から衙門街に入り、西に向かって歩くと「聴雨楼」が見えてきました。
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「聴雨楼」はその名の通り「雨の音を聴く楼閣」という何とも風流な名前です。
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この門を通り抜けると県政府の役所が置かれた「平遥県衙」があります。
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「平遥」はかつては「古陶」や「平陶」と呼ばれていましたが、北魏の時代に「平遥県」に改称されました。県衙はこの北魏の時代に建設が始まり、元代、明代、清代の時代を経て完成しました。
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現存する最古の建築物は元代の1346年まで遡り、600年以上の歴史があります。県衙の建物は「坐北朝南」と言う南向きで、中心軸に対して対称になるように配置されています。南北軸は200メートル、東西軸は100メートル以上の規模になります。
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2番目の門は「儀門」と言い、明代の万暦帝の時代1619年に建てられました。普段は閉門されており、知事の任命など厳粛な儀式が執り行われる時のみ開かれました。門の両側には扉があり、東側(人門)が通常使用され、西側は「鬼門」または「九門」と呼ばれ、囚人や死刑囚の処刑場への護送時のみ使われました。
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県衙で一番重要な建物である「大堂」では殺人事件を含む県内のあらゆる重大事件が審理されました。この建物を見ると感慨深いものがあります。
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妻が中国の歴史ドラマにハマっていて、その中に「唐朝詭事録」という番組があります。狄公の直弟子で抜群の知略を持つ蘇無名という洛州従五品・長史(昇格したり降格したりですが)が長安金吾衛の正四品・中郎将だった盧凌風と難事件を解決していくという物語です。もう1つ「大唐狄公案」という作品もあり、なかなか面白いので木乃伊取りが木乃伊になった状態です。
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番組の中では県知事が真ん中に座り、両脇に長い棒を持った官吏が出てくるシーンがあるのですが、あのような裁判が実際に粉われていた場所が残っているとは思いませんでした。
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「六房」は「大堂」前の東西両側に並ぶ部屋で、中央官庁の六部に対応し、「吏(人事)」「戸(財政)」「礼(儀式・教育)」「兵(軍事)」「刑(司法)」「工(工事)」の各事務を分担していました。
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唐代から宋代の刑罰制度は北朝から唐初に完成した「唐律」を根幹とし、「笞刑(むち打ち)」「杖刑(つえ打ち)」「徒刑(強制労働)」「流刑(島流し)」「死刑(死刑)」の「五刑」が確立します。
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ここに並ぶのはそんな「杖刑」の道具や拷問道具も並んでいます。
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「正堂粛静」は主に議会や法廷などの場で使われる言葉で、秩序を保ち、静粛にするよう求める際に用いられます。この言葉は以下の4つの漢字から成り立っています。
正 (せい):場所や態度が正しいこと。
堂 (どう):公的な建物や場所のこと。
粛 (しゅく):おごそかに、静かにすること。
静 (せい):静かな状態であること。
ここでは刑事裁判が行われたので、傍聴人や被告原告に対して使われたのでしょう。 -
その奥には「宅門」があり、ここでは門番である「門子」がいました。県知事へのとりなしをするのですが、ここでは賄賂が必要だったようです。そこから「走門子」という言葉が出来ました。「走門子」とは自分の目的を達成するために、権力のある人に働きかけたり、個人的な繋がりや賄賂を利用したりすることを意味します。延々と現代にまで続く中国の根幹となるルールです。
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「二堂」は県衙の中心的な建物の1つで、具体的には執務の場として県令が公務を執り行う場所でした。また、民事や刑事の審理として裁判を行う場所としても使われていました。
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特に民事裁判はここで行われ、その場合は傍聴人などはいないので先の「正堂粛静」のような板は必要なかったようです。
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一対の漢槐は漢代に植えられ、2000年の歴史がありますが、現在の木は5代目で600年前に植えられたものです。孔子を訪ねた山東省の旅では「泰山」の麓の「泰廟」に樹齢2000年といわれる柏の古木があったことを思い出しました。
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「内宅」は県令の官邸で住居として使われ、寝室や居間、書斎などがありました。中庭にある東西の棟は高官や県令の同級生や友人の来訪時の居室として使われました。
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清時代には妻子との同居が許されていなかったため、県令はこの部屋に1人で済んでいました。
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こんなスペースがあったら自宅にある骨董品を並べてみたくなります。妻にはこれ以上木箱が増えるなら骨董品ではなく、家を買いなさいと言われています。妙に納得できる指摘です。
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「大仙楼(狐船塔)」は元代に建てられたもので、県衙庁舎の独特な特徴を備えています。それは官印を護るための狐仙の精霊を祀っています。
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1階は県令の食堂として使用され、中庭の東側には厨房、西側には料理人の居住空間があります。
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2階には狐を祀った部屋があります。
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「守印大仙」は古代の民間信仰では狐が修行を積むと神の使いとなり、神通力を持つと信じられていました。人々は狐仙を敬い、信じることでご利益があるとされていました。
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清朝の慣習では清朝の多くの役所で官印を守るために狐仙を祀る習慣があったそうです。
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2階からは周囲の町並みを見渡すことが出来ました。美しい甍の波が続いています。
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早朝の散策で見てきたレンガの磚(せん)がここでも見えます。手前の柵には「花格(ホァーグァ)積み」というレンガを様々に組み合わせて、透かし彫りのような模様を作る方法が用いられています。
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ここにも火伏せの魔除けである「走獣(そうじゅう)」の姿がありました。
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「棋閣」は元代の智正年間末期に元帥府長官の劉基(龍伯文)は数々の挫折に見舞われ、職を辞して祖先を祀るために故郷である平遥市竹杭村に戻り、ここで県令だった大如海度と将棋を指しました。
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その奥は「消防博物館」になっていましたが、扉は閉ざされたままでした。
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磚(せん)で囲われた井戸には横に伸びるトンネルがあり、緊急時にはここから脱出することが出来たそうです。
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積み上げられた古い磚(せん)の壁が美しいです。
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「牢」は県衙の西側に位置し、重罪用の「重獄」、軽罪用の「軽獄」、女性用の「女獄」に分かれていました。高い壁と小さな窓を持つ監房は、当時の刑罰制度を偲ばせます。
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巨大な「獄」の文字が出迎えてくれます。
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最初の部屋は「牢神廟」がありました。
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清の時代の中国の牢獄は現代とは比べ物にならないほど厳しく、劣悪な環境でした。規律を保つためだけでなく、囚人の逃亡を防ぐためにも、さまざまな種類の足枷が用いられていました。
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数人が入れられる雑居房は床がオンドルになっているのが分かります。ここは比較的快適に過ごせるのではないかと感じます。
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その横の重罪人用の房は木で造られた檻のようなものが見えました。ここには入れられたくない気がします。
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多分この床に敷き詰められた磚(せん)も逃亡できないように何十にも敷かれているのだろうと思えます。「北京」の紫禁城では皇帝を暗殺する刺客などが穴を掘って入れないようにされていましたが、ここでは逆の発想です。
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