2025/10/25 - 2025/10/25
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kojikojiさん
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「平遥県政府跡地」の見学の後は町中を歩きながら「日昇昌」という手形に相当するものを発行した金融機関だった所を見学します。清朝の1823年に設立されたと推定され、票号は19世紀のピーク時には「銭荘」と共に中国金融経済をほぼ折半して支配し、その支店は中国の主要都市全体からモンゴル、日本、ロシアを含むいくつかの外国にも広がっていきました。その大豪邸は午後に行く「喬家大院」を想像させるような造りになっていました。新しく造られた手形が売っていたので思わず買い求めてしまいました。その手形は神社のお札のような形で、これを持っていたら株や投資信託が値上がりしそうな気がしました。ここから「市楼」のある通りまで戻って30分ほどのフリータイムになり、昨夜楽しかった「娘家醋坊」に出向き、最後にプレゼントされた蜂蜜醋をお土産に10本ほど購入しました。皆さんと記念写真を撮って今度は本当にお別れです。中国の市井の人たちは本当に親切な方ばかりです。再集合は「平遥古城南門」の近くで、全員揃ったところで城門に上がりました。高い所から眺める「平遥」の町の銀色の甍はとても美しいものでした。最後に「平遥文廟」という孔子を祀った廟の参拝もしました。これは見学というよりは北側に抜けたところにホテルがあるというのも理由の1つだったようです。ホテルに戻った後はレストランで昼食を食べて、カートに分乗して「平遥拱極門(北門)」に向かいます。1泊2日の「平遥」の滞在でしたが、とても充実して楽しいものでした。これからツアーのメインイベントである「喬家大院」に向かいます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
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多くの文化で猿は厄除けや魔除けの象徴とされてきました。中国の文化では猿は特定の漢字の音と同じことから、幸福や成功、出世といった吉兆の象徴と見なされることがあります。例えば「猴(猿)」の発音が「侯(貴族の称号)」と同じため、「早く出世する」といった願いが込められたのかもしれません。
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意外に面白かった「平遥県政府跡地」を見学した後は旧市街の中を歩いて「日昇昌」に向かいます。昨夜ライトアップしている姿を見た「平遥古城西門」が見えています。
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「日昇昌」は中国で初の票号(銀行)として清代の1823年に設立されました。1世紀に渡る波乱万丈と栄華の中で輝かしい実績を誇り、金融界の頂点に君臨しました。
平遥古民居博覧苑 博物館・美術館・ギャラリー
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昨晩は黒い板戸に覆われて華やかな装飾は見えませんでしたが、美しい欄間飾りの彫刻で覆われています。
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入場に当たってはガイドさんが共通の一日券を持っているので後に続いて入城するだけです。以前は髪のチケットでしたが、最近は全てスマホで確認しているようです。
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票号(銀行)の最盛期は30以上の都市と主要な商業港に支店を構え、ヨーロッパ、アメリカ、東南アジアといった国々にも業務を展開しましました。「日昇昌」の誕生は中国国内の資金の流れを円滑にし、資本回転率を加速させることで近代中国の産業発展に大きく貢献しました。
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銀票の偽造防止は山西省の券番号販売業者が使用する為替手形の安全性と信頼性を確保し、偽造を防ぐために採用されました。手形の番号は現地での交換および入金業務に特化しています。 この額の中に書かれた12文字の「謹・防・假・票・冒・取・勿・忘・細・視・書・章」は12カ月を表し、暗号として手形に書き込まれました。
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銀票は精巧な紙で作られており、長さ約23センチ幅10センチで、4折り目があります。最初の面には「券」という文字と特定の模様が印刷され、中央の両面には為替番号の銀製の2桁、年、月、日などが書かれ、尾には「新星」という文字が印刷されています。 為替手形が書かれた後に3つの模様で作られた印章が押されて送金者に手渡されます。 為替手形は手形と約束手形の2種類に分けられます。 請求書は見た瞬間に換金され、約束手形には合意された支払い期間が設定されています。 為替手形は統一された標準、形式、内容を持ち、自由に変更できず、ましてや偽造もできません。
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ここに送金される為替手形は数千両、あるいは数百万両の銀を証明として送金し、別の場所で換金するために安全性と信頼性の確保方法、偽造防止、偽造防止、誤りのないこと、これは紙幣番号の信用に関係し、顧客の財産が失われないことに関係しています。売店では2種類の銀票が売られていて、自社のお札のように見えたので買い求めました。家でお札と共に貼った所ご利益がからりありました。
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古くは「銀鋌(ぎんてい)」と呼ばれ分銅形もしくは長方形でしたが、後に独特のおわん型もしくは馬蹄に似た形状に徐々に形状が変化し、それに伴い「銀錠」と呼ばれるように変化しました。納税や大型取引に使用される際は上に何重にも積み重ねるため、倒れにくいようにおわん型(馬蹄型)の独特な形状に変化していきました。
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この重たい「銀錠(ぎんじょう」を取引に使う際に運搬すると、その重量や保安上に問題が多かったようです。特に盗賊による被害も多かったようです。それが紙1枚の銀票で済むのですからその利便性の向上は計り知れないものがあったのだと思います。
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その手数料で莫大な富を得た「日昇昌」の建物は贅を尽くした造りになっています。各部屋の仕切り扉は「宋銭(そうせん)」の形だと気づきました。さらにその下には「銀鋌(ぎんてい)」を横から見たデザインになっています。
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本店では支店とのあらゆる取引を統括し、市場情報を管理し、指示を出して人員配置を調整する重要な内部組織でした。本店には学者や役人を雇うことも多く、事務員1名と2名から3名の伝令が配置されていました。
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「日昇昌」の前身は「西裕成」という顔料商で、清の道光3年の1823年に、才知に長けた大掌柜(支配人)雷履泰(らいりょくたい)の提言により、専業の為替・預金・貸付業務を行う「票号」へと改組されました。その名は「日々昇り、繁盛する」という願いを込めて付けられ、「匯通天下(かいつうてんか)」をスローガンとしていました。
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晩秋の柔らかな日差しが部屋の中に差し込んでいて、唐木の椅子とテーブルを明るく照らしています。
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「中庁」の「紫垣枢極」の扁額の「紫垣(しえん)」という言葉は、古代中国の天文学における「紫微垣(しびえん)」を指し、転じて天子や宮中を意味します。「枢極」にはそれぞれ回転するや最高のという意味があります。皇帝をほめたたえる言葉のようです。
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この部屋では大口顧客との連絡、本支店間の業務協議を行う場所です。「跑街」と呼ばれる4人から5人の営業担当者が市場における預金や融資、送金業務を担当しています。「跑街(パオジエ)」には「商店の外で業務連絡を行う人」と「買い物や用事のために街へ出かけること」の意味があります。
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この部屋が「日昇昌」の実質的な中心だったのだと思います。
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「三掌柜房」
「掌柜」という言葉は店主や責任者といった意味で使われます。そのため「三掌柜房」は第3の「掌柜」の部屋という意味のようです。 -
「3代目支店長 程大培」
程大培の生没年は不明で幼少期は農業に従事し、嘉慶年間に「漢口」を渡り、「西裕成」に勤めました。銀行の帳簿と資金を守る功績から行頭に任ぜられます。「日昇昌」が設立されると第3行頭に就任しました。毛鴻祥が「日昇昌」を去ると第2行頭に昇格し、徐立泰の銀行経営を補佐しました。 -
「二掌柜房」
この部屋は二掌柜(副支配人室)といったところでしょうか。窓側の半分はオンドルの床になっているようで、その熱で湯も沸かせるような造りです。 -
「大掌柜房」
こちらは大掌柜(支配人室)です。基本的な造りは「二掌柜房」と同じようです。 -
「初代支店長 雷覆泰」
彼も幼少期は貧しかったために商売を始めました。40代で「西裕成」の平遥支店に抜擢され、「漢口」と「北京」の支店長も務めました。先見の明と時代への鋭い洞察力を備え、紙幣高官の手法に精通し、商売の奥義を熟知していました。「西裕成」の天主の李大全と協議した結果、商売を送金と銀両替商に転換することとします。 -
1823年に彼らは30万両以上の銀を持って「日昇昌」を設立し、中国の銀工業会の先駆けとなります。彼は25年間にわたり銀行を率い、2代目支店長の毛鴻祥と3代目支店長の程大培の協力を得て送金、預金、融資業務は繁盛し、国内経済の発展を促進しました。
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「2代目支店長 毛鴻祥」
若い頃は農業を機雷商業に身を投じ、後に「西裕成」に自ら進出しました。誠実で高尚、聡明な人物として主人の評価を得て2代目支店長まで昇格しました。道光6年の1826年に主人と共に「日昇昌」を設立し、中国銀行業界の創始者の1人となります。事業の衰退により辞任した後は地主から銀9万5千両を譲り受け、威台后絹織物を銀行に改組し、同年には4つの組織を改組して五大合弁会社を設立し、総支配人になります。 -
「日昇昌」が確立した先進的な経営管理制度も展示のハイライトで、出資者(財東)と経営者(掌柜)の権限を分離した「両権分離」や、優秀な使用人に利益配分権(身股)を与えて士気を高めた「頂身股」制度は、現代の企業管理にも通じる先見の明を示しています。
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敷地面積は約1402平方メートル、65間の部屋からなる三進院落(3つの区画からなる中庭式建築)で、当時の金融業務の様子を今に伝える貴重な文化財です。
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「客室」ここでは文人や官史、顧客をもてなしました。
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マホガニー製の豪華な天蓋付きの寝台が据えられています。
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「厨房」には興味深い案内板がありました。その1つが「九個碗」というもので、9皿の料理が串焼きや冷菜などそれぞれ供されたようです。さらに「十二器」というものがあり、この宴では山海の幸、鳥獣の幸、野菜や果物様々な食材が使われ、平遥の典型的な中級高級宴会でした。「十二」は1年12カ月と1日の12刻を、24の冷温菜は24節気、4つのメイン料理は四季、料理の五色は五行を表しました。
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「八八宴席」は平遥の伝統的な豪華な宴で、清朝時代には形が整えられていました。道光・光緒年間になると銀行の台頭と共に「八八宴」は盛んになりました。光緒26年の1900年に八カ国連合軍が北京紫禁城に迫り、西太后と光緒帝が西安へ向けて逃亡生活を始めた際に平遥に立ち寄り、東南門にある趙居人の邸宅に滞在し、この宴でもてなして絶賛されたという記録が残っているようです。
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「后庁」は祭事の際に来賓のための集まりや宴会を開いていた場所でした。現在は「日昇昌」の過去の品々が展示され、100年に渡る銀行の歴史を紹介しています。
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本物ではありませんが、馬蹄形の「銀錠」が鈍い輝きを放っています。9月のアラスカクルーズで砂金堀りをやってから現物の美しに魅了されます。
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「日昇昌」の前身である「西裕成」が支店展開していた地図がありました。もっと沿岸部の裕福なエリアなのかと思いましたが、清代までは内陸部の方が裕福だったのでしょうか。
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銀票を印刷するための「票版」という版も展示してありました。よく見ると何分割化されていて、組み合わせを変えることが出来るようです。
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四合院の建築様式の中を歩いていると午後に行く「喬家大院」に似ている造りだと感じます。軒先に吊られた赤い提灯がそう思わせたのかもしれません。
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「喬家大院」へ行く前にここへ来ることが出来て良かったと思います。
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昔は馬車が入った門の中には荷台の付いたオート三輪が停まっていました。
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奥には昔使った馬車が残されています。
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一番奥まで行った後は入り口に向かって戻ります。ここまで見てきた「跑街(パオジエ)」の部屋や通信を司る「信房」の部屋がありました。各支店と本店は頻繁な書簡を通じて行われました。
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「日昇昌」を出た後は郵便局の前を通過したのでポストに絵葉書を投函できました。我が家には「信房」の組織は無いので自分で行わなければなりません。
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この後は昨夜と同じ一番の繁華街で40分ほどフリータイムになりました。
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観光客の多い時間に「市楼」を眺めても感じるものは薄れてしまいます。
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瑠璃瓦をよく見ると「喜」という文字が重なった「囍」が描かれています。2つの重なった慶事、二重の喜びがおとずれる、盆と正月が一緒に来たような意味があり「双喜字」といいます。また「走獣」の姿もあり、格式の高さも感じます。
市楼 建造物
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ガイドさんが「平遥は漆器でも有名です。」というので見てみることにします。平遥推光(すいこう)漆器というもので、油性漆器は手のひらを使って光沢を生み出すことからその名が付いたそうです。
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素晴らしいものでしたがデザイン的には欲しいとは思えず、もっとも値段も手が出ません。
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昨晩楽しく買い物した「娘家醋坊」にも立ち寄りました。たくさん買い物s田の出お店のスタッフがプレゼントしてくれた「蜂蜜酢」がお土産に良さそうなので買うことにしていました。
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1本20元だったので10本買って、昨晩の女性たちとお別れです。「また来てくださいね。」なんて言われると寂しくなってしまいます。
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再集合した「南門(迎薫門)」で買い物に気づいた同じツアーの女性たちがこの「蜂蜜酢」を欲しがったので、スマホで写真を撮ってもらい、店の位置を教えてあげました。少しはお世話になった店のスタッフの方に恩返しができました。ツアーの方も「写真を見せたらすぐに分かってすぐに買えました。」と喜ばれました。
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コスプレした女性は唐時代の宮廷の衣装のようです。
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「南門(迎薫門)」の外には掘割もあり、堅固な要塞のような町だったということが分かります。
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早朝は誰もいなかった城壁の辺りも観光客の姿が多くなってきました。
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再集合した後は全員で城壁の上に登ります。
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急な階段を妻の手を引いて登ります。
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平遥城壁は現存する中国で最も完全な形で保存された古代の県城城壁です。その歴史は古く、西周の宣王時代の紀元前827年から紀元前782年に尹吉甫将軍が北方遊牧民族の侵攻に備えて築いた土塁が起源とされ、約2800年の歴史を持っています。現在の姿の基礎が築かれたのは明の洪武3年の1370年で、旧来の土塁の上にレンガと石を用いて大規模に拡張と再築がされました。
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その後の明清時代を通じて26回以上の修復を経て、今日に見る壮麗な姿となりました。城壁の総延長は約6163メートル、高さ約12メートル、頂部の幅は3メートルから6メートルあり、72の敵楼と3000の銃眼(?口)を備えています。
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この72と3000の数は孔子の「弟子三千、賢人七十二」に由来するという説もあり、儒学思想が城壁に込められている点も興味深いです。
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城壁の上からは古城内の伝統的な街並みと城外の現代的な町のコントラストが一望できます。
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あっという間に通りは観光客で覆われてしまったようです。
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6つの城門それぞれに設けられた「瓮城(おうじょう)」は、防御の要です。敵を城内に引き入れ、内門を閉じて挟み撃ちにする「瓮中捉鱉」の仕掛けとなっており、古代の戦術的知恵を感じさせます。
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城壁の上からは地上からは見ることのできない四合院のホテルの中まで見ることが出来ます。
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こういった旅館は風情があって良いのですが、部屋のすぐ前が廊下になっているのでカーテンも空けることが出来ず、結構窮屈な思いをすることがあります。麗江で宿泊した宿のことを思い出します。
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楼閣にはカラフルな「走獣」が軒を連ねています。走獣の数は建物の格式によって異なり、多いほど格式が高いとされます。「北京」の紫禁城では最大10体の走獣が並びます。これらの走獣は、仙人騎鳳、麒麟、鳳凰、獅子、海馬、天馬、押魚、狻猊(サンゲイ)、獬豸(カイチ)、斗牛(トギュウ)、行什といった神獣たちで構成されています。
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「五脊六獣(ごきろくじゅう)」という言葉は、伝統的な中国建築の屋根の構造と、その上に乗せられる装飾的な獣の総称を指します。時代が下るにつれて、「落ち着かない状態、そわそわしている様子」を比喩する慣用句になりました。
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城壁の上の散策は無粋な工事囲いで行き止まりとなってしまいました。仕方がないので下道を歩き、「平遥文廟」の中を抜けてホテルへ戻ることになりました。
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途中にある「牌楼」には「憲章文武」の文字が見えます。これは「祖述堯舜、憲章文武」という成語の一部で、堯舜(ぎょうしゅん)は古代中国の伝説的な聖天子であり、文王(ぶんおう)と武王(ぶおう)は周王朝を築いた賢明な君主です。孔子は堯舜の道を継承し、文武の制度を模範としました。
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「櫺星門」までやってきました。やはり南門から北門に向かって伽藍が配置されています。文廟とは孔子を祀る廟で、孔子廟とも言われています。中国に現存する孔子廟の中で最も古く、唯一現存する金代の建築物となります。
平遥文廟 寺院・教会
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「大成門」
文廟は平遥古城内でも最大の敷地を誇る観光名所となっており、中央の廟区と東西の学院宮から成ります。 -
美しい中庭を囲むように、正面に大成殿、両側に東楼、西楼があります。両翼の建物には72人の賢者の像が祀られています。大成殿にある15体の主像と合わせると、合計87体の聖像が安置され、中国でも最大規模を誇ります。
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「大成殿」
ここは孔子廟の正殿で、漢代に建立されて現在の建物は晋の大定3年の1163年に再建されたもので、今から860年前のことです。 -
中国に現存する最古の孔子廟建築で、貴重な古代木像建設の例です。かつては孔子と「四聖十哲」を祀る場所でしたが、現在は孔子を始め聖人の群像が祀られています。
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泰安の「泰廟」には「漢柏」と呼ばれる碑文まで備えた古木があった事を思い出しました。ここにも1300年前の古樹がありました。
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孔子に付いて初めて考えるようになったのは中学から高校時代に少年ジャンプに連載された諸星大二郎の「孔子暗黒伝」でした。
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孔子は周末の魯国に生まれ、周初への復古を理想として身分制秩序の再編と仁道政治を掲げました。孔子の弟子たちは孔子の思想を奉じて教団を作り、戦国時代、儒家となって諸子百家の一家をなしました。孔子の死後約400年かけて孔子の教えをまとめ、弟子達が編纂したのが「論語」です。
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約3000人の弟子がおり、特に「身の六芸に通じる者」として七十子がいました。そのうち特に優れた高弟は孔門十哲と呼ばれ、その才能ごとに四科に分けられ、四科十哲とも呼ばれます。徳行(論語古義によると徳行は、言語・政事・文学の三者を兼ねる)に顔回・閔子騫・冉伯牛・仲弓、言語に宰我・子貢、政事に冉有・子路、文学(学問のこと)に子游・子夏がいます。
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身長は9尺6寸(216センチ)の長身で、世に「長人」と呼ばれたといわれます。 容貌は上半身長く、下半身短く、背中曲がり、耳は後ろのほうについていたそうです。
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「平遥文廟」を北に抜けると目の前に宿泊していた「平遥麒麟閣客桟」がありました。この日のお昼はホテル内のレストランでいただくことになります。
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茶碗蒸しの上に甘辛い餡の掛かった卵料理。
ピンヤオ ユフェンヘン ホテル ホテル
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カリフラワーとブロッコリーとトマト炒め。
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トウモロコシと骨付き鶏とパプリカの煮込み料理。
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揚げたジャガイモの煮込み料理。
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豚肉とビーマン炒め。
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山芋と黒きくらげ炒め。
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黄色と緑の割包(グーパオ)に豚肉とピーマンとキュウリを挟む料理。
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これはめちゃくちゃ美味しかったです。
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見た目は昔のヤマザキパンのアンマンのようですが、中には何も入っていない饅頭(マントウ)です。
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衣を付けて揚げた豚肉と唐辛子炒め。
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シンプルな送油味の麺料理。
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シンプルな卵炒飯は美味しいおかずで箸が進みます。
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酸辣湯のようなスープと盛りだくさんでした。とてもではないですが9人で食べきれる量ではありません。ビールも美味しく2本空けました。
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食事が終わると「平遥」の旅も終わりです。荷物を積んでカートに分乗して城外の駐車場に向かいます。
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長年の夢だった「平遥古城」は1泊だけでしたが、夜の姿と深夜の姿、早朝の誰もいない姿も見ることが出来たので満足できました。
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往路とは違った道dえ城壁の内側に沿って電動カートは走ります。もう少し城壁の上を歩きたかったという気持ちは残ります。
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崩れた城壁は修復を待っているようですが、その断面から積み上げられた磚(せん)の形状が良く分かります。
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カートを降りた後は自分たちでトランクを曳いて駐車場のバスに向かいます。
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日本の焼き芋と同じいい匂いがしています。
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電動カートは走れるルートが決まっているようで路線図がありました。
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「平遥」を出た後は「喬家大院」へとバスは進んでいきます。
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