2025/10/24 - 2025/10/24
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kojikojiさん
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この旅行記のスケジュール
2025/10/24
この旅行記スケジュールを元に
昨日行った「恒山」は道教の五岳の1つでしたが、ここ「五台山」は中国四大仏教名山の1つで、文殊菩薩の霊場といわれます。それ以外には以前行った「峨眉山」は文殊菩薩の霊場で、 地蔵菩薩の霊場である「九華山」、観音菩薩の霊場である「普陀山」があります。まだまだ中国は行かなければならないところがたくさんあります。その「五台山」の名前の由来は5つの主要な木々の生えない台地状の峰によって構成されていることにより、それぞれ「東台 望海峰」「西台 掛月峰」「南台 錦繍峰」「北台 叶斗峰(最高峰で海抜3058メートル)」「中台 翠岩峰」と呼ばれています。昨晩より宿泊したのはその5つの峰の中心にある「霊鷲峰」にある「五台山花卉山荘」でした。朝食を食べた後はバスで一番高い所にある「菩薩頂」の裏側に行きます。ここから緩やかな坂道をあがり参拝を始めます。本来であれば一番低い所から上がってくるのですが、体力的に一番楽なルートを歩くことになります。半日かけて下っていくので年齢層の高いクラブツーリズムのツアーにとっては良いのだと思います。「菩薩頂」は1656年の清の順治13年に宗派もチベット仏教に改められました。石牌坊には清時代の康熙帝が書いた「五台勝境」の扁額が掲げられています。ここから急な石段を下りますが、正面に見える「塔院寺」の「白塔」は完全に修復工事の緑色の囲いに覆われています。現在の「白塔」は1302年の元の大徳6年に建てられ、ネパールの阿権尼哥が設計し、以前の慈寿塔を大塔の腹の中に置き、正式には「釈迦牟尼舎利塔」といいます。1948年4月に毛沢東は中国人民解放軍を率いて延安、黄河を渡り、五台山を経由して周恩来などとこの寺で夜を明かしました。続く「顕通寺」は後漢の永平年間(58年から75年)の創建で、日本の曹洞宗の本山である「永平寺」の名もここから取られたと説明がありました。寺院の参拝はありませんでしたが「羅睺寺」の前も通過しました。羅睺について初めて知ったのは諸星大二郎の「暗黒神話」に出てくる星の名前でした。この星は太陽と月の光を覆って日食や月食を起こすとされます。実際にこの寺院は釈迦と耶輸陀羅(やしゅだら)との間に生まれた息子の羅睺羅(らごら)に由来します。最後の「殊像寺」はここまで参拝してきた「顕通寺」「塔院寺」「菩薩頂」「羅睺寺」と並んで「五台山五大禅処」と併称されます。参拝が終わった後はバスが迎えに来て、宿泊した「五台山花卉山荘」に戻り、お昼を食べた後は山を降りて「平遥古城」に向かいます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
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「五台山花卉山荘」での朝食です。朝早いのでガラガラでしたが食べ終わるころには込み合ってきました。
五台山 寺院・教会
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ここまで黄土高原に広がる玉蜀黍畑を見てきたので食べてみます。中国の玉蜀黍は甘くてモチモチしてとても美味しいです。日本では絶対にお目にかかれない味です。ここでは五穀雑穀と表示されていて、古くから中国で主食とされてきた穀物の総称のことです。
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焼売のようなものは大肉焼麦で、皮のひらひらしたところを麦の穂に見立てたのが焼麦(シャオマイ)です。蒸した山芋も五穀雑穀と常時されていましたが、皮を剥いて食べたらほのかに甘くておいしいです。蒸し鶏を炒めたものやタケノコと豚肉炒め等美味しい料理が並んでいます。
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そしてお粥も好みの味付けにして食べられるので中国では欠かせません。
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このホテルのレストランでも朝から出来立ての刀削麺をいただけました。肉味噌の辛いタレと甘いトマトと玉子のタレがやみつきになります。
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この日の出発は午前8時でした。周囲はまだ霧が立ち込めて幻想的な風景です。標高は2000メートル近くはあるのではないでしょうか。10月下旬でもまだ黄葉が残っていました。
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「五台山」は気候が寒く「清凉山」とも呼ばれているほどです。年平均気温2.2°Cで1月が一番寒く、平均気温は-11.8°Cで、7月は一番暑くても平均気温は15.0°C程度のようです。毎年11月から翌年の3月は非常に寒いそうですが、この日はこの後ポカポカ陽気でした。
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川沿いの道を走って寺院が集まっているエリアに移動します。
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北魏の時期に「大浮図寺」と呼ばれる寺が建立され、それ以後は多数の山岳寺院が建立されました。その最も繁栄した時期には、300以上の寺が林立していたといわれます。
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観光客を受け入れている寺院もありますが、硬く門を閉ざしたままの寺院も数多くあるようです。文化大革命の後は数多くあった寺院も47に減っているようです。
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この日のルートは4つの寺院を参拝しますが、通常のルートだと低い寺院から高い所へと昇ることになるので一番高い場所にある「菩薩頂」の裏側近くまでバスで移動して、その後は「塔院寺」「顕通寺」「殊像寺」と下って来るそうです。
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バスを降りたらすぐに「菩薩頂」かと思っていましたがそんな甘いことはなく、かなり坂道をあがるのだと分かりました。
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登に連れて辺りの風景が開けていき、こんな寺院ばかりの山中にいたことに気が付きます。
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妻と2人で路線バスに乗って旅した雲南省の「香格里拉」を思い出す風景です。もう少しでチベットと思いながらまだ旅することが出来ていないのが気になっています。
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近くの山の頂には真っ白いチベット仏教の仏塔が見えました。
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「菩薩頂」は「五台山」の台懐鎮にある霊鷲峰の頂上に位置する寺院です。「菩薩頂」という名は文殊菩薩の住まう場所を意味しています。裏口から入るのが腑に落ちませんが、自分も含めて年寄りばかりのツアーですから仕方ありません。
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北魏の孝文帝の時代に「大文殊院」として創建され、唐代には文殊菩薩の真の姿(真容)が現れたという言い伝えから「真容院」と改称されました。
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明代の永楽年間以降はモンゴルやチベット仏教の信者が「五台山」に入り、この寺は「五台山」における黄廟(チベット仏教寺院)の筆頭格となりました。
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清代には皇室の帰依を受け、特に清代の康熙帝や乾隆帝が巡幸の際の行宮として利用したことから壮麗な皇室様式の建築群が整えられ、「喇嘛宮」とも称されるようになりました。
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現在も五台山最大のチベット仏教寺院として重厚な歴史と独特の文化的景観で多くの参拝者を集めています。
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境内の後方にある「大鍋院」にはかつて数千人の僧侶に食事を提供したと言われる巨大な銅の鍋が展示されています。
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チベット仏教の仏像には強い思い入れがあり、モンゴルの「ウランバートル」では「VIVANT」そっちのけでザナバザルの作品を見たかったのですが、思うようにいかなかったのがいまだに残念です。
モンゴルのザナバザル:https://4travel.jp/travelogue/11868198 -
その後に行ったネパールではパタン王宮の博物館で満足いくだけの仏像を見ることが出来ました。
バタン王宮博物館:https://4travel.jp/travelogue/11946984 -
「雲版」が吊るされていました。鉄または青銅製の金属板で、雲の形をしていることからこの名があります。もともとは中国の官署で使用が始まり、宋の時代に現在の形が成立したとみられます。鎌倉時代に禅宗の伝来とともに日本に持ち込まれました。
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塔型香炉のルーツは仏教が伝来する前にインドで建設された「ストゥーパ」という釈迦の遺骨(仏舎利)に由来するようです。この仏塔の形が中国の建築様式と融合し、多層の塔になりました。香炉もこの聖なる建造物の形を取り入れることで、神聖な意味合いを持つように変化したようです。
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主殿の大雄宝殿や文殊殿の屋根は宮廷を思わせる黄色や緑色の瑠璃瓦で覆われ、陽光の下で金色に輝く様子は圧巻です。
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この寺院が清代の皇帝の日後にあったということが分かる様な装飾があります。よく見ると五爪の龍なのでびっくりします。それほど古いものではないようですが、清代だったら大変なことになりそうです。
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やはり裏側から逆に参拝しているという感は否めません。参拝者に逆行して進んでいきます。
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寺院内の回転経筒(マニ車)を回す際は筒の胴体部分に直接触れず、下部の取っ手を回すようにします。
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文殊殿にはチベット仏教の様式に則り、頭を傾け腰をひねった生き生きとした姿の文殊菩薩像が祀られています。殿内には乾隆帝の書で「人天無止」と書かれた扁額があります。建物の中は写真撮影が出来ないのが残念です。
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文殊殿は滴水殿とも呼ばれ、雨の日だけでなく晴れた日でも水が滴り落ちる不思議な現象が見られるようです。
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この黄色い文字は3つの図と7つのサンスクリット文字を組み合わせたチベット仏教の演技物である「十相自在(ナムチュワンデン)」というもので、「力を持つ」とか「自分の意のままに出来る」という意味を表します。
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窓枠や扉のデザインがチベットやネパールを彷彿させます。
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東禅院には乾隆帝の御製詩が漢字と満州文字、モンゴル文字とチベット文字の4つの言葉で刻まれた高さ6メートルの石碑(御碑)が建っています。
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大雄寶殿は清朝時代の建築様式で、黄色の瑠璃瓦を乗せた片寄寄棟造りが特徴的です。黄色の瑠璃瓦もうこう手しか使えないいろなので、この寺院の格式の高さを感じさせます。
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カラフルで大きな摩尼車がありました。日本では一切経一式を収めた大型の物が各宗派の大本山に設置され、輪蔵(りんぞう)と呼ばれています。
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本来は最初に参拝する弥勒菩薩の納められた天王殿も裏側の韋駄天から拝むという変な感じです。
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石段の中央の雲龍階石にはガラスのカバーが掛けてあります。この上は皇帝が臣下が担ぐ輿(こし)で通過したわけです。ここまで輿を担いできた臣下はさぞ大変だったことでしょう。
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木造牌楼には康熙帝直筆の「霊峰勝境」という金色の額が掲げられており、皇室との深い関わりを感じさせます。
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「霊峰」は神聖な山や不思議な力があるとされている山を指し、ここでは「五台山」の5つの頂のことで、「勝境」は自然が織りなす美しい景色や、特に優れた場所を意味します。
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康熙帝の直筆だということが分かります。清代の皇帝の御筆の見事なことは春の北京の旅でも感じました。
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本来はここから「勝境」の一部となる「塔院寺」の境内にある「白塔」が真白な姿を見せているはずですが、武骨な工事現場の足場と緑色の安全のためのシートが見えました。
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ここからは急な階段がさらに続いています。その下には「佛」の文字の入った影壁(えいへき)が見えています。階段を転げ落ちたら完全に「お陀仏」になりそうです。
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落ちないように気を付けてくださいね。
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霊鷲峰の頂上にそびえ立つ108段の石階段は、登ることで108の煩悩を踏み越えると言われ、頂上からは台懐鎮の全景を一望できました。下った時の108段では煩悩は消えることはありませんでした。
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影壁(えいへき)は目隠しの効果と風水的な意味合いもあり、邪気や悪霊の侵入を防ぐと信じられています。
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本来はここから「菩薩頂」を登っていくので逆のルートになっています。右側の図面が参考になるかもしれません。
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影壁(えいへき)の壁龕のなかに弥勒菩薩の姿がありました。日本だと布袋の姿ですが中国では全く違う仏とされます。
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弁柄色の寺院の壁に落葉した木々の影がとてもきれいです。ツアーの一番後ろを歩いているとメンバーの入らない写真も撮りやすいです。
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参拝はしませんでしたが、「圓照寺」の境内も通過しました。
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この寺院は元代の大徳年間(1297年から1307年)に建立され、元武宗皇帝が即位すると母である昭憲皇太后の長寿を祈願するするために仏教の中心地としました。寺院内には元代、明代、清代の仏像や石碑や扁額が納められ、王室仏教を知る重要な史料となっているそうです。
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寺院によっては観光客の参拝を拒絶するように扉が閉まっています。
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「羅睺寺」も門が閉ざされた寺院の1つでした。羅睺は釈迦の息子である羅睺羅(らごら)のことです。寺院は唐代の創建され当時は善住閣院と称し、明の弘治5年の1492年に再建されます。万暦年間になると万暦帝の妃の李敬妃が再建します。清の康熙44年の1705年にチベット仏教に改宗されています。
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羅睺というと「羅睺星」を思い出してしまいます。諸星大二郎の「暗黒神話」というコミックの中に出てくる名前で、「宿曜経」の中に「参(しん)は猛悪にして血を好み、羅喉(らごう)は災害を招(よ)ぶ」というセリフがあるのですが、これはどうやら創作だったようです。50年近く覚えているのですが…。
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続いて「顕通寺」の参拝に移ります。この寺は後漢の永平年間の58年から75年の創建で、当時は「大孚霊鷲寺」と称し、北魏時代には「花園寺」と改称、唐の貞観年間に寺は再建され「大華厳寺」と改名されました。
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「五台山」にある最も古く且つ最大規模の寺院です。洛陽の「白馬寺」と並び、中国で最も早く建立された仏教寺院の1つとされます。
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下を通ってきた鐘楼には明の万暦48年の1620年に鋳造された「幽冥鐘」が吊るされています。その重さは9999.5斤(約5トン)もあり、「五台山」最大の銅鐘として知られています。
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通常の寺院のように中心軸があるのではなく、鐘楼から入った参道は2度曲がってから最初の山門に至ります。
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ここからは先ほど裏側から参拝して急な階段を降りてきた「菩薩頂」が見えています。ホテルを出ることは寒かったのですが、午前9時にもなると寒さは感じません。
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鐘楼には登れるようですが団体行動の時間中では入る余裕はありませんでした。
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最初の山門の先はさらに左に折れる参道があり、第2の山門らしき建物が見えてきました。
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暖かそうな僧侶服を着た男性がいらっしゃいました。この季節は朝夕寒いのだと思います。被った帽子にそんなことを感じました。
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現在の名称である「大顕通寺」は明の太祖である洪武帝によって賜られたものです。
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ここからは中心軸線上に建物を配置した伽藍になっています。軸線上に並ぶ七重の殿堂は、観音殿、大文殊殿、大雄宝殿、無量殿、千鉢文殊殿、銅殿、蔵経楼です。
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「顕通寺」には文字が刻まれていない「無字碑」が建っています。この碑は大文殊殿の前の寺の2番目の山門を入ってすぐの場所に、康熙帝の御筆が刻まれた「有字碑」と対称になるように建てられています。
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顕通寺の無字碑がなぜ文字なしで建てられたのかについては、地元でいくつかの伝説が語り継がれています。その中で最も広く知られているのは、康熙帝の五台山巡幸にまつわる逸話です。
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ある時に康熙帝が顕通寺を訪れ、大文殊殿の前から菩薩頂を眺めた際に、その様子がまるで龍が頭をもたげているように見えました。牌楼が龍の頭で2本の幡竿が龍の角、そして108段の長い階段が龍の舌のように見えたため、康熙帝は「ここは真の龍の天子、つまり皇帝が生まれる場所ではないか」と心配しました。当時の人々は迷信を重んじ、皇帝も吉兆を求める傾向にあったために康熙帝は内心穏やかではありませんでした。
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その時に「顕通寺」の住職は皇帝の心中を知らずに、「菩薩頂」が本当に龍である旨を説明してしまいました。これを聞いた康熙帝は清朝の将来を案じ、この龍を「死んだ龍」にする、あるいは「龍ではない」と証明するために、文字を刻まない「無字碑」を建立したと伝えられています。
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ここで40分ほどのフリータイムになったので、中心軸に沿って順に参拝をしていきます。日本の比叡山の高僧である円仁が遣唐使として中国に渡った際に「五台山」を巡礼し、「顕通寺(当時は大花厳寺)」に滞在しました。円仁はここで天台の仏典を書写しています。
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伽藍の配置はこのような図があると非常に分かりやすいです。特に旅行記を作る際には必須になってきます。
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建物の中は写真撮影が出来ないのがちょっと残念でしたが、皆さんたくさんの線香を持って真剣に参拝してらっしゃいました。
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その中心軸上に「日晷(にっき)」と呼ばれる日時計がありました。皇帝は時をも管理するという権力の象徴として計量器の「嘉良」と共に「紫禁城(l故宮博物院)」の大和殿に置かれてありました。この日時計がどのような意味があってここに据えられたかは分かりませんでした。
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「日晷」のその奥の大雄宝殿は重要な仏事が行われる場所で、中央に釈迦牟尼仏、その左右に阿弥陀仏と薬師仏の三世仏が安置されています。三世仏とは過去・現在・未来の3つの世にわたって衆生を救済する仏の総称です。一般的には過去仏、現世仏、未来仏の三尊で構成されます。
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モダンな印象の無量殿は明の万暦年間に建てられたとは思えないデザインです。梁を1本も使わない純粋な煉瓦造りの建築で、その建築技術の高さから「無梁建築の傑作」と称賛されています。
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千鉢文殊殿には千の手にそれぞれ鉢を持ち、鉢の中に釈迦如来が坐すという、独特で珍しい「千臂千鉢千釈迦文殊」銅像が安置されています。
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千鉢文殊殿の中の不思議な仏の姿が少しだけ見えています。
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境内の最も奥にある輝く銅殿は明の万暦37年の1609年に約10万斤(50トン)の銅を用いて鋳造されたものです。
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ここまでは両サイドの階段を登ることで参拝することが出来ます。
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もとは5基の銅塔がありましたが日中戦争中に3基が日本軍によって盗まれ、現在は東西の2基のみが残っているとありましたが、現在は復元されているようです。
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ミャンマーの寺院などで見るパゴダの塔頂部の傘蓋や蕉苞のような姿にも見えます。
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これまで見たことのない塔の姿と黄金色に輝く姿に惹かれます。
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同じようでありながら細部には違いがみられます。
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基壇には仁王が仏たちを護るように足を踏ん張っています。バンコクの王宮寺院の像策を思い出しました。
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万仏殿へと階段を上がっていきます。ミニチュアの金閣寺のようにも見えます。
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美しい打ち出した銅板で覆われています。
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に妃から瓦まで全てが銅板葺きになっています。
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今までいくつもの宮殿や寺院を見てきましたが、このような「走獣」を見たのは初めてです。
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これは中国の伝統建築における極めて重要な装飾要素であり、「走獣(そうじゅう)」または「蹲獣(そんじゅう)」と呼ばれます。
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これらの動物の数と種類を覚えるために、古くから伝わる口訣(くけつ)という暗記のための歌があります。「一龍二鳳三獅子、海馬天馬六狎魚、狻猊獬豸九斗牛、最後行什像個猴」といいます。
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素朴な銀いぶし瓦のような馬や西洋人のような人物像が面白いです。
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龍生九子の1つは火除けのために必ず置かれます。
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ほぼ時間ちょうどに集合場所に戻ってくることが出来ました。
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この香炉で皆さん長い線香に火をつけて、3本1組にして参拝していきます。
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「顕通寺」からは「羅睺寺」の脇を通って次の「塔院寺」に向かいます。
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ここまでずっと緩やかな下り坂ですが、逆コースだったら最後まで歩けただろうかと思います。
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「仏旗」が掲げられています。これは仏教徒のシンボルであり、青、黄、赤、白、樺色(橙色)の5色と、それらが混じり合った「輝き」の6色で構成されています。これらの色は釈迦の身体の各部位や、仏教の教えにおける精神的な意味合いを表現しています。
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ここがフォトポイントですとガイドさんが連れてきてくれましたが、「白塔」がこの状態では写真を撮る人もいませんでした。
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1948年4月に毛沢東は中国人民解放軍を率いて延安から黄河を渡り、「五台山」を経由し、周恩来などとこの寺で夜を明かしたといわれます。
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現在の白塔は元の大徳6年の1302年に建てられ、ネパールの阿権尼哥が設計し、以前の慈寿塔を覆うように造られています。正式には「釈迦牟尼舎利塔」と呼びます。
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「塔院寺」はもともとは「顕通寺」の付属の塔院でした。明の永楽5年の1407年に寺を拡張し、万暦年間(1573年から1620年)に再建されました。
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大慈延寿宝殿は大白塔の南正面にある本堂です。内部には釈迦牟尼仏、文殊菩薩、普賢菩薩の三尊像や十八羅漢などが祀られています。
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堂内では法要が行われていました。
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白塔の周囲には120個の転経筒(摩尼車)が設置されており、参拝者は時計回りに巡りながら回すことができます。
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「六字大明呪(ろくじだいみょうじゅ)」とは、仏教の陀羅尼(呪文)の1つで、サンスクリットの6つの音節からなる観世音菩薩の陀羅尼です。チベット語で六文字となることから「六字真言(ろくじしんごん)」ともいいます。
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手で触った痕で色が変わっている梵字の文字は6つあり、それぞれこの陀羅尼はオーン・マニパドメー・フーンになります。発音はほとんどオンマニペメフンと聞こえます。
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母方の祖父母と両親、母の兄姉のことを想い摩尼車を120基すべてを回し続けました。
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1999年のアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされるなど世界的に高い評価をされたエリック・ヴァリ監督の「キャラバン(Himalaya)」という映画があるのですが、映画の内容も素晴らしい上に ブルーノ・クレーの音楽が最高です。そのサントラの中にある曲の歌詞にも「六字真言(ろくじしんごん)」が出てきます。
https://www.youtube.com/watch?v=1q8c6hzEyr0 -
雲南省の香格里拉や九塞溝、ネパールやモンゴルの旅での移動時にはこのサントラ盤の音楽を聴いていました。もちろん今回も「五台山」へ来るまでのバスの中で聴いていました。
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最期の「殊像寺」までやってきました。ここだけは少し車道を歩いて離れた距離にありました。
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「殊像寺」は東晋の初年に建立され、唐代や元の泰定2年の1325年、明の弘治9年の1496年と万暦年間に4回の寺院再建しています。清の康熙28年の1689年に康熙帝により「瑞相天然」の額を賜りました。
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ここでも20分ほどのフリータイムになり参拝を行いました。
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ここは駐車場からも近いせいかとても参拝者が多かったです。
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奉納される花もこの通りで、鮮やかな色過ぎて祝い花のように見えます。参拝を終えた後は迎えに来たバスに乗って宿泊した「五台山花卉山荘」に戻りました。
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まずは麦般若で喉を潤します。テーブルにはお茶のサービスがあったのですが、そのお茶というのが「金蓮花茶」というもので、鮮やかな黄金色の花を咲かせ、甘くてやわらかい香りが特徴です。「五台山」では買い物をする機会が全く無いので、ホテルの売店でこのお茶を買い求めました。
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昨日も食べたがんもどきと豆腐と白菜のスープ仕立ての料理。
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鶏肉と山芋の辛味炒めはご飯が進みそうですが出てきません。
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鶏肉と大根と太い春雨炒め。
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ジャガイモの細切り炒めですが、ここでは冷菜として出されました。
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山芋と黒きくらげの塩炒めは今回初めて食べましたが、家に帰ったら妻に作ってもらおうと思います。
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これも昨夜食べた山西省の名物料理の「莜麺栲栳栳(ヨウミェンカオラオラオ)」という料理です。トマトと炒り卵を混ぜたチリソースをかけていただきます。
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「饅頭(マントウ)」に囲まれた中には細切りの肉や野菜を炒めたものがあります。半割にした饅頭に挟んで食べましたが美味しい1品でした。
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小松菜のような野菜と湯葉を塩味で炒めた料理はさっぱりしています。
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細切りの豆腐のスープは少しとろみのある塩味で、疲れた体には美味しかったです。
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最後に出てきたのは川魚の煮込み料理です。中国の肩から見たら高級食材の料理なのでしょうが、あまり手を付ける人はいません。昼食を食べ終わった後はバスに乗り、「五台山」を南側に下ります。
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