2025/10/22 - 2025/10/22
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kojikojiさん
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この旅行記スケジュールを元に
「大同賓館」で晩御飯を食べてしまうとこの日のツアーは終了になります。ガイドさんに近くに散歩して良いところがあるか尋ねましたが、古城までは遠いですよとのことでした。しかし「大同」には有名な「九龍壁」もあり、今回のツアーでは町の中の観光は一切無いのでこの日の夜にしか街歩きは出来ません。グーグルマップで見てみると30分ほど歩けば繁華街に出ることが分かったので1人で出掛けてみることにします。もちろん妻は部屋で休んでいます。確かにホテル周辺には何も無く、スマホを頼りに町の北側に向かってみます。途中にあった1軒のレストランの壁に大同の見どころを描いたイラストがあり、牌楼の絵の隣に「永泰街」と書かれてあります。どうやらその辺りが繁華街のようなのでググっておきます。中国ではLineやグーグルやヤフーが使えないので、我が家では一応グローバルWi-Fiでそれらが使える契約にしています。しばらく北に進むと掘割が見えてきて、さらに進むと立派な城壁が目の前に広がり、ライトアップされてとても美しいです。これは無理行ってでも妻を連れてきてあげればよかったなと思います。城壁の門をくぐるとその先には「善化寺」があり、さらに奥には「華厳寺」など立派な寺院がありますが、午後9時過ぎではどこも門は固く閉じられています。寺院には入れませんが再現されたテーマパークのような周囲の美しい町並みはライトアップされて幻想的な風景を見せてくれます。驚いたのは大きな交差点から四方に広がる街路の名前を冠した4基の牌楼です。「和陽街」「武定街」「清遠街」「永泰街」と4つの牌楼が組み合わさったものは初めて見ました。その先には巨大な「櫺星門」があったので「孔廟」なのだと分かります。そして通りを挟んだ南側に「九龍壁」がありました。その姿は見られないと思っていましたが、鉄製のフェンス越しではありますがライトアップした巨大な「九龍壁」も見ることが出来ました。ここまで1時間以上かかりましたが、頑張って歩いて来た甲斐がありました。散策はさらに回教寺院の「清真大寺」、再現された街並みを通り抜けて「帝君廟」にも行きました。ここは夜10時近くでも門を開けていて参拝することが出来ました。これまでいくつもの関帝廟を見てきましたが、この町の物は規模も大きく、夜間で人が少ないこととライトアップが美しく心に残るものでした。これでほぼ旧市街を周れたものとしてホテルに戻ることにします。ところが途中でWi-Fiルーターの電源が切れてしまい、方角は分かっても通り抜けられない道だったり苦労しました。そのお陰で巨大な城門にも行くことが出来ました。結局ホテルに戻ると3時間が過ぎていました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 船 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
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午後7時半にホテルを出て町中の散策に出掛けることにします。もちろん妻は部屋で休んでいます。ホテルの敷地には9頭の馬の像が並んでいました。9頭の馬は「馬九行く(うまくいく)」という語呂合わせから縁起が良いとされています。
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ガイドさんに尋ねても近くに散歩するようなところはありませんよということでした。
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ホテルを出てスマホのグーグルマップを頼りに来たに向かって歩いて行くと飲食店の壁にこのような巨大なバナーがあり、ここからも「大同」の見どころが見えてきます。
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北都街に出て楼房巷に入るとこんな看板が出てきました。
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そして「大同古城」のライトアップした美しい姿を見ることとなります。
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大同は紀元前4世紀、戦国時代に趙の要塞「平城」として始まり、北魏の時代(398年)には都として定められ、政治・文化の中心地として栄えました。
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北魏は仏教を積極的に取り入れ、世界遺産である「雲岡石窟」が造営されたのもこの時期です。
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唐代や宋代、元から明と清の各時代にも軍事的な要衝として重要視され、特に明代には堅固な城壁が築かれました。
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古城は日中戦争で破壊されたものを再建しているようで、当時の復元ではなく観光客向けに新しく再構築されたもののようです。なのでこのように車道も整備されています。それでもものすごい迫力があります。
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古城内に入るとこのような飲食街などが広がり、宿泊しているホテルの近くとは全く雰囲気が違います。
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山西省は麺料理が有名なので、そんな料理を名物にした店がたくさんありました。この辺りまで歩いて来るのに30分近くかかっています。
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そんな街並みをさらに北に向かって歩いていきます。先程のバナーにあった永泰街の牌楼を目指して歩いてみます。初めての町ですが、グーグルマップを見ながら迷うことも無くどんどん進めます。
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ここまでの商店街を抜けたと思ったら広大な空間が広がって圧倒されます。
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その近くには「鳳臨閣」という飲食店がありました。この店は大同の有名店で、500年ほどの歴史があるようです。待っている方がいましたが巨大な建物なので中をちょっと覗いてみましたが素晴らしい建物でした。
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ホテルでの料理もいいですが、出来ればこういった老舗で食事をしたいものです。メニューを見ましたが、それほど高くもないので時間があれば立ち寄りたいところです。
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広場に出ると左手には巨大な寺院の塀と門が続いています。
華厳寺 寺院・教会
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大同の「華厳寺」は遼代の1038年に創建され、北中国における華厳宗の中心寺院として栄えました。寺院は東西2つの区域に分かれ、とくに西華厳寺の大雄宝殿は中国最古級の木造建築の1つだそうです。
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堂内には遼代の仏像や彩色塑像や壁画が現存し、当時の高度な仏教芸術が見られるようです。また、清代に再建された東華厳寺の蔵経楼も見どころで、貴重な仏典を収蔵していました。
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寺院前には広い広場があり、何でこんな素晴らしいところがツアーに含まれていないのだろうと思います。
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広場の反対側は再現された街並みが飲食店や商店として営業されています。
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もっと早い時間だったら寺院内を参拝して見学できたのに残念です。
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明かりに惹かれて商店街を散策することにします。
鳳臨閣 中華
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「天宮閣」という橋の下を抜けていきます。この夜景は本当に素晴らしく、無理行って妻を連れてくれば良かったと思います。
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反対側から広場越しに「華厳時」の伽藍を眺めてみます。
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商場を抜けて大西街に出ると「鐘楼」が美しくライトアップされています。東西に延びる大西街は西に「鐘楼」があり、中央には4本の「牌楼」が居並び、その東には「鼓楼」という配置になっています。
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ライトアップは数十秒ごとに変化しているので見ていても飽きないです。でも赤色が一番映えるように思います。
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大西街を東に進んでいくと「牌楼」が4本見えてきました。東西南北に向かって4本建つ「牌楼」なんて見るのは初めてでした。
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歩いてきた西側に向かって建つ「牌楼」には「清遠街」の扁額が掲げられ、北側には「武定街」、東側には「和陽街」、南側には「永泰街」とあります。ここから東は大東街と通りの名前が変わります。
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そのロータリーから南には「鼓楼」が見えました。
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「牌楼」のロータリーの中には特に何もないようで、一部は工事中でした。
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そこへデコトラのようなEV仕様のデコバスがやってきました。
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「櫺星門」は「孔子廟」にはなくてはならない建築物で、「櫺星門」は「牌坊」の形をしています。「大同孔子廟」は北魏の時代に建立されたと伝えられています。その後の金や元、明代、清代の各時代にも修復が行われ、て現在の姿になったようです。度重なる戦乱や災害により一部損壊した時期もありましたがその都度再建され、地域の信仰の中心として大切にされてきました。
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中国建築の門では一般の仏教寺院は四天王を、普通の廟では民間信仰により神荼と鬱壘などと門神を描きますが、「孔子廟」の「櫺星門」には門神を描きません。これは古い門の建築様式に則ったものです。ここも遅い時間なので中に入ることは出来ません。
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「大同孔子廟」の前の大東街の南側には「大同九龍壁」が見えていました。ここまで約1時間かけて歩いてきたのはこの壁を見るためでした。
九龍壁 史跡・遺跡
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「大同九龍壁」は明代の1392年に造られた中国最古の現存する九龍壁で、明の太祖である朱元璋の第十三子の朱桂の王府の前に築かれました。
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全長45.5メートル、高さ8メートルの巨大な壁には色鮮やかな琉璃瓦で九頭の龍が躍動的に描かれており、雲や波などの装飾も精緻です。
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これは権威と吉祥を象徴する建築であり、北京の九龍壁よりも早く保存状態も良好といわれます。
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中国には「中国三大九龍壁」と呼ばれるものがあり、「故宮九龍壁」は故宮博物院内にある皇極門の向かい側にある瑠璃装飾の壁で、乾隆帝37年の1772年に建造されました。同じ「北京」の「北海公園」の九龍壁は故宮の北西に位置する庭園内にある全長27メートル壁で両面ガラス張りになっています。そしてこの「大同九龍壁」です。これでその3つを実際に見ることが出来ました。
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入口の門がありますがさすがに午後9時過ぎでは閉まっています。周囲のフェンスが10センチほど空いた縦柵なので手を入れて写真を撮ることは出来ました。
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今度は2階建てのバスが走ってきました。根あバスで街を巡って見たかったです。
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「大同清真大寺」は唐の貞観2年の628年に建立され、中国最古のイスラム教モスクの1つとなっています。現存する建物群は清朝時代に遡り、東西の中心軸に沿って、正門、衝立壁、ミナレット、盤橋、祈祷殿、石彫の衝立壁、西門が並び、その両側には石碑の回廊と脇殿があるようです。2本のミナレットが印象的で、以前行った「西安」の回教寺院や門前の飲食店街が思い出されます。
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「牌楼」のあるロータリーから南に下って「鐘楼」まで歩いてきました。特に買い物をするわけでも食べるわけでもありませんが、ライトアップされた古い町並みを歩くのは中国旅行の醍醐味です。
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ここからは「鼓楼東街」を歩いてみることにします。この辺りも夜遅くまで店が開いている繁華街です。
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「鼓楼東街」には立派な石造りの「牌楼」が建っています。
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この通りは再現された古い町並みながら商店やレストランが並びとても賑わっていました。ツアーではこういったところに来ることは無いので自力で何とかしなければなりません。
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2025年4回目の中国旅行の目的の1つは「雲崗石窟」を見学するというもので、2026年の最初の旅も中国西安へ行き「龍門石窟」を見学するという予定でした。既に見学した「大足石刻」の3カ所を尋ねた後にシルクロードの敦煌の「莫高窟」へ行こうと考えていましたが、その後の日中関係を考えるとツアー中にこのように夜遊びにも行けないなと考え、11月になってキャンセルするこのにしました。
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再現された街並みは伝統的な四合院の造りになっているようです。そのほとんどがホテルやレストランでした。
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赤い提灯を見ていると「平遥古城」へ行った後に行く「喬家大院」が思い出されます。映画「紅夢(大紅灯篭高高掛)」は今回の旅の前に何度か観直してきました。
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誰も歩いていないこんな街並みは勿体ない気もします。
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グーグルマップを元に目指していたのは「大同関帝廟 」でした。廟に対峙するように「演真楼」が建っています。元々は「皇城舞台」「戴望府舞台」とも呼ばれ、 舞台はもともと黄城街の「戴王府」にあり、明の洪武帝時代に建設されました。
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「大同関帝廟 」の入り口は門が開かれているので中に入ってみることにします。
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「大同関帝廟」は明代の創建以来、再建と修復が繰り返されてきました。現在の主要な建築群は清代のもののようです。中華圏にはたくさんの「関帝廟」があり、各地で参拝してきましたが、こんな厳かな雰囲気の所は初めてです。
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「山門」に入った両脇には三国志に由来する武将と馬の塑像が置かれてありました。背後の壁画には「虎牢関三英戦呂」と書かれてあります。虎牢関の戦いは、小説「三国志演義」に登場する架空の戦闘で、191年に袁紹率いる「反董卓連合」と董卓軍が洛陽郊外の虎牢関において一時的に衝突した戦いのことです。緒戦は連合軍が有利でしたが、猛将といわれる呂布の奮戦により董卓軍は危機を脱しましたが徐々に押されていき 、董卓は洛陽から長安に遷都しました。
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こちらの塑像の背後の壁画には「玉泉山関公顕聖」が描かれています。関羽は三国志の時代に蜀漢の武将として活躍しました。しかし彼は樊城(はんじょう)の戦いの後に呉に捕らえられ処刑されてしまいます。この悲劇的な死は多くの人々に衝撃を与えました。
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関羽廟は中国の古典建築様式にしたがって、南から入って北へと進んでいきます。「天子南面す」という言葉は中国古来からの考え方を示したもので、君主は北を背に南に向かって君臨し、政務を司るというきまりがありました。 長安をはじめとする古代中国の王城都市は都の北部中央に王が鎮座する宮城があり、南に向かって区画が広がる構造になっており、それに習った配置というわけです。
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「祟経殿」の扁額に書かれた「気貫長虹」は気力が天の虹を貫くという言葉で、意気壮大である、気勢が天をも揺がさんばかりであるという意味になります。
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通称「通殿」と呼ばれる「祟経殿」は幅3間、奥行き2間の楼閣で、片軒切妻屋根が特徴です。殿内には三国志でおなじみの「水淹七軍」や「生擒龐徳」などの場面をえがいた壁画で埋められています。
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「関公喜得赤兎馬」の場面も描かれていました。三国志演義では西方との交易で得た汗血馬といわれ、「赤い毛色を持ち、兎のように素早い馬」の意味があります。
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殿内には赤兎馬に乗った関羽の像もありました。赤兎馬は稀代の名馬で、一日に千里を駆けることができたといわれます。はじめは董卓が持っていましたが、呂布とその養父の丁原を離間させるために李粛の策で呂布に贈られました。
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呂布はその見返りに丁原を殺し董卓に仕えましたが、赤兎馬は後に呂布を討った曹操の手に移ります。しかし赤兎馬は気性が荒く誰にも乗りこなせずにいました。当時曹操は関羽を自分の部下にしたいがために軟禁状態に置き、気を引くために様々な贈り物を与えていました。しかし一向に効果がなかったため、「貴殿なら乗りこなせるだろう」と赤兎馬を与えたところ彼は見事にそれを乗りこなしたといいます。
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それまで何を贈っても喜ばなかった関羽が大喜びしたので、曹操はその理由を尋ねます。関羽は「この馬は一日に千里を駆けると知っております。今幸いにこれを得て、もし兄の劉備の行方が知れましたら、一日にして会うことが出来ましょうぞ」と答えたために曹操は愕然とし、また後悔したといいます。そののちに関羽が処刑され、赤兎馬は呉の馬忠に与えられましたが、馬草を食わなくなって死んだといいます。
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正面に「正殿」が見えています。ここまで建物は一直線に北に向かっています。その前に左右にある「東殿」、「西殿」を見学することにします。
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この「正殿」の建物は大同市に現存する唯一の元代の木造建築だそうです。日中であれば屋根の瑠璃瓦がきれいだったのだと思います。
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「東殿」と「西殿」の扁額にはそれぞれ「の扁額が掛けられています。
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「東殿」には2名の武将の塑像が安置されています。これまでに観てきたいくつもの映画やドラマ、横山光輝の「三国志」や吉川英治の本を読んだことが思い出されます。
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張飛は劉備が黄巾の乱に臨んで郷里の涿郡で義勇兵を集めようとした時、他所から流れてきた関羽と共にその徒党に加わり、腹心の配下となりました。以後は関羽と共に劉備から兄弟のような親愛の情を受けることとなり、大勢の前では劉備を主君として立て、命がけで護衛の任務を務めたといいます。関羽の方が数歳年長であったため、関羽を兄のように敬愛して仕えていました。
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趙雲は「長坂の戦い」で蜀漢初代皇帝となった劉備の子劉禅(阿斗)を救ったことで知られ、小説「三国志演義」では「常山の趙子龍」の名乗りで活躍します。ここでようやく気が付きましたが、先の関羽像とこの2つの殿内に安置された4人の武将を合わせると「五虎大将軍」になるということです。
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対峙する「西殿」も全く同じ造りの建物のようです。こちらも見学するのが楽しみになってきます。
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こちらにも武器を交えた2人の武将の姿がありました。
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馬超は曹操の西征に反発して韓遂ら諸軍閥と共に造反しましたが敗北しました。羌胡の支持のもとに涼州において捲土重来を果たすも現地の士大夫らに離反され拠点を失なってしまいます。流浪の末に身を寄せた劉備の下で厚遇されました。馬超の最大の見せ場は「三国志演義」において曹操に父の馬騰を殺された復讐戦「潼関(どうかん)の戦い」だと思います。渡河を試みる曹操軍に奇襲をかけ、曹操を討ち取る寸前まで追い詰め、護衛の許褚との一騎打ちを繰り広げ、許褚が真っ裸で馬超と打ち合う場面は圧巻です。
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黄忠は劉表に仕えていましたが劉表が亡くなり曹操が荊州を降伏させた後は、曹操より仮の裨将軍に任じられ、職務はそのままで長沙太守であった韓玄の配下につきました。「赤壁の戦い」の後に劉備が荊州南四郡を平定すると、黄忠は劉備に帰順して仕えて益州に入り、劉備軍の一将として劉璋を攻撃し、常に先駆けて敵の陣地を攻め落とすなど、その勇猛さは軍の中でも鳴り響いたといわれます。3月に行った荊州古城の城壁が頭に浮かんできます。
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さて「正殿」の見学に移ります。扁額には「大義参天」とあります。「大義が天に届く」というような意味です。
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この殿内にも左右に2体の像が安置されています。関帝廟に並んでいる像については表示などが全くないために「三国志演義」を読んでいないと誰だか分からないと思います。
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右側に納められた像は「三国志演義」では両腕に1千斤の怪力があり、鉄板のような厚い胸板に、渦を巻くような形の縮れ髭の容姿であると描かれた周倉(しゅう そう)です。関羽の側近として有名なため実在の人物ではないのですが「関帝廟」には関平と共に関羽の従者として祀られています。
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ということで周倉に対峙するように祀られているのは関平(かん ぺい)です。劉備の養子である劉封と行動をともにする場面が多く、新野に夏侯惇が攻めて来た際や、益州の地を取りに行くと称し劉備を殺そうとした周瑜を防いだ際、また益州攻略戦への従軍などで描かれています。
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益州攻略戦において龐統が戦死したため、諸葛亮たち荊州守備勢の助けを得るため使者として向かい、そのまま関羽と共に荊州に留まります。その後は関羽に従い襄陽攻めなどで活躍しますが、呂蒙に攻められ関羽と共に首を斬られています。
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そして殿内の正面には関羽の像が祀られています。蜀漢の創始者である劉備への忠義を貫き、その人並み外れた武勇や義理を重んじたことから曹操など同時代の多くの人から称賛されました。
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諡号は歴代王朝から多数贈られ、死後になっても後世の人々に神格化され関帝(関聖帝君・関帝聖君)となり祀られるようになります。見事な鬚髯(しゅぜん)をたくわえていたため、諸葛亮からは「髯(ひげ)」と呼ばれ、「三国志演義」などでは「美髯公(びぜんこう)」などとも呼ばれます。
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像の前に置かれてあるのは青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)だと分かります。長い柄の先に湾曲した刃を取り付けたものですが、刃は幅広で大きくなっています。 柄の長さは刃の大きさに対してやや短いのは、主に馬上で片手での取り回しの良さを考慮したためです。
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これまで見てきた関帝廟の中でも一番素晴らしく、とても印象に残るものでした。午後10時になっても開いていたので係りのおじさん以外に参拝者もいなかったのも幸いしました。
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そろそろホテルを出て2時間が過ぎ、午後10時も過ぎたので戻ろうと思いながらも往路とは違った道を彷徨い歩いています。
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街並みは東西南北に碁盤の目のように通りが切られているので、南の方向に歩いているのは分かっています。ただ、だいぶ東に来てしまっているので南西方向へ向かわなければなりません。
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40代になるまでの1人旅をしていた頃はこういった夜の散歩が好きで町へ繰り出していましたが、最近はめっきり少なくなっているのが少し寂しくもあります。年齢と共にだんだんと旅への強い思いが薄れてきているようです。
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こんなライトアップを見るとフラフラと道を曲がってしまいます。
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ようやく城壁まで戻ってきましたが、先ほど歩いてきたところとは楼閣の姿が違うのでもっと西に向かわなければならないようです。それにしてもあまりにも美しい夜景です。これだけのものを近年になって再現してしまう中国の力の強さを感じます。
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大同古城は398年に建てられ、千年以上の歴史を有する城市でした。かつて建設された156本もの伝統的な街路や四合院を代表とする住居1519戸がそのまま残っていました。また大同も昔は城壁によって街全体が囲われていました。
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しかし北魏時代から唐・遼・金時代、そして明代から清代にわたって造られ、街全体を囲っていた城壁が戦火で焼失し、特に日中戦争では日本の関東軍が大同を占領した際にそのほとんどが破壊され、城壁、外壁、および櫓がなくなり、内部の土壁の部分しか残っていませんでした。それを考えると複雑な思いも残ります。
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「大同古城」の南の入口までたどり着きました。早い時間であればここから城壁の上に登れるようです。
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こんな所を午後11時前に歩いているのは地元の人でもほとんどいません。そしてここでスマホの電源が切れてしまうという事態に陥りました。ホテルの方角は見当ついているので、細い道を降りて行ったら行き止まりだったり、失敗しながらも元の道に戻り、大きな道を歩くことにします。
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結局3時間町を彷徨い歩きましたが、歩けたのはほんの一部だったと思います。それでも素晴らしい夜景を見ることが出来て良かったと思いました。部屋に戻ると妻に「ずいぶん遊んで来たわね。」といわれ、風呂に入ってビールを飲んで翌日に備えます。
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