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国宝犬山城(天守/国宝・史跡/犬山城跡)。<br />天文6年(1537)に織田信長の叔父・信康が築城。現存12天守の中で日本最古。<br />信長・秀吉・家康が、それぞれの時代に犬山城を手にしたことで天下人への道を進んでいます。<br />江戸時代に入り、元和3年(1617)尾張徳川家の重臣成瀬正成が拝領。この時、改良が加えられ現在の天守の姿ができたといわれ、以後、成瀬家が幕末まで城主を務めました。<br />明治4年(1871)廃城。廃藩置県で愛知県の所有となり天守以外のほとんどの建物が取り壊された後、明治24年(1891)マグニチュード8.4の濃尾大地震によって天守が半壊。<br />明治28年(1895)に修理を条件として県から旧藩主の成瀬家に無償で譲与され、成瀬家と犬山町民が義援金を募り修復されました。<br />昭和40年(1965)解体修理完了。全国唯一の個人所有の城として保存されてきましたが、平成16年(2004)に財団法人犬山城白帝文庫の所有となり現在に至っています。<br />

お城と紅葉と夜景を見る旅。3日目その1。天守が現存する国宝・犬山城へ。

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2023/11/24 - 2023/11/27

421位(同エリア1341件中)

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chemire

chemireさん

国宝犬山城(天守/国宝・史跡/犬山城跡)。
天文6年(1537)に織田信長の叔父・信康が築城。現存12天守の中で日本最古。
信長・秀吉・家康が、それぞれの時代に犬山城を手にしたことで天下人への道を進んでいます。
江戸時代に入り、元和3年(1617)尾張徳川家の重臣成瀬正成が拝領。この時、改良が加えられ現在の天守の姿ができたといわれ、以後、成瀬家が幕末まで城主を務めました。
明治4年(1871)廃城。廃藩置県で愛知県の所有となり天守以外のほとんどの建物が取り壊された後、明治24年(1891)マグニチュード8.4の濃尾大地震によって天守が半壊。
明治28年(1895)に修理を条件として県から旧藩主の成瀬家に無償で譲与され、成瀬家と犬山町民が義援金を募り修復されました。
昭和40年(1965)解体修理完了。全国唯一の個人所有の城として保存されてきましたが、平成16年(2004)に財団法人犬山城白帝文庫の所有となり現在に至っています。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
一人旅
交通手段
徒歩

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  • 11月26日(日)旅3日目<br />8:59<br />ホテルをチェックアウト後、荷物を預かってもらい歩いて犬山城へ。<br />

    11月26日(日)旅3日目
    8:59
    ホテルをチェックアウト後、荷物を預かってもらい歩いて犬山城へ。

  • 犬山城の城下町は、第二次世界大戦の戦火を免れたため、江戸時代の町割りがそのまま残存しています。<br /><br />旧磯部家住宅。江戸時代から柏屋の屋号で呉服商を営み、製茶・販売業に転じ、主屋・土蔵など5棟を無料公開。 <br />犬山甲冑制作同好会の方が作った甲冑の飾られた部屋もあり、担当の方が詳しく説明してくれました。触ることもできるので、甲冑好きな方にはいいかも。<br />

    犬山城の城下町は、第二次世界大戦の戦火を免れたため、江戸時代の町割りがそのまま残存しています。

    旧磯部家住宅。江戸時代から柏屋の屋号で呉服商を営み、製茶・販売業に転じ、主屋・土蔵など5棟を無料公開。 
    犬山甲冑制作同好会の方が作った甲冑の飾られた部屋もあり、担当の方が詳しく説明してくれました。触ることもできるので、甲冑好きな方にはいいかも。

    旧磯部家住宅 名所・史跡

  • 道の左右に老舗が並びますが、9時台では開店前のお店が多く通りは静か。<br />

    道の左右に老舗が並びますが、9時台では開店前のお店が多く通りは静か。

  • 松栄本店 専門店

  • 9:23<br />大手門。<br />

    9:23
    大手門。

  • 大手門枡形跡。

    大手門枡形跡。

  • 敬道館跡。<br />天保11年(1840年)に建てられた藩校跡で、流れを継ぐ犬山北小学校の金庫には、当時に記された敬道文庫が保管されているそうです。<br />

    敬道館跡。
    天保11年(1840年)に建てられた藩校跡で、流れを継ぐ犬山北小学校の金庫には、当時に記された敬道文庫が保管されているそうです。

  • 犬山焼。文化7年(1810年)丸山に開窯。中国明時代の呉州風赤絵、犬山城主成瀬正寿の意匠による光琳風の桜と紅葉の絵が特徴。<br />買いたかったけど、家の食器棚には、もう収納スペースがないと思って我慢しました。<br /> 

    犬山焼。文化7年(1810年)丸山に開窯。中国明時代の呉州風赤絵、犬山城主成瀬正寿の意匠による光琳風の桜と紅葉の絵が特徴。
    買いたかったけど、家の食器棚には、もう収納スペースがないと思って我慢しました。
     

  • 9:29<br />三之丸 武術稽古場跡。<br />

    9:29
    三之丸 武術稽古場跡。

  • 9:31<br />犬山駅西から本町通りを歩いて来ると、犬山城の南の登城入り口にある三光稲荷神社、針綱神社の鳥居が現れました。ここまで、寄り道しなければ駅から徒歩20分くらい。<br />犬山城をお護りしているであろう神社を素通りするのはいかがなものかと思いながらも、一礼して鳥居をくぐり天守へと向かいましたが、これが大正解。神社にお参りしていたら、天守閣に上るのは40分待ちになっていたかも。<br /><br /> ・・・・・・・<br /><br />(向かって右側)<br />針綱神社<br />御祭神<br />尾治針名根連命(おわりはりなねむらじのみこと)<br />創建年は不明ですが、1000年以上前より現在の犬山城天守閣付近に鎮座され濃尾の総鎮守として崇められているそうです。<br />天守見学後に参拝したら、七五三のお参りにみえたご家族であふれていました。<br />

    9:31
    犬山駅西から本町通りを歩いて来ると、犬山城の南の登城入り口にある三光稲荷神社、針綱神社の鳥居が現れました。ここまで、寄り道しなければ駅から徒歩20分くらい。
    犬山城をお護りしているであろう神社を素通りするのはいかがなものかと思いながらも、一礼して鳥居をくぐり天守へと向かいましたが、これが大正解。神社にお参りしていたら、天守閣に上るのは40分待ちになっていたかも。

     ・・・・・・・

    (向かって右側)
    針綱神社
    御祭神
    尾治針名根連命(おわりはりなねむらじのみこと)
    創建年は不明ですが、1000年以上前より現在の犬山城天守閣付近に鎮座され濃尾の総鎮守として崇められているそうです。
    天守見学後に参拝したら、七五三のお参りにみえたご家族であふれていました。

  • 9:39<br />黒門。<br />

    9:39
    黒門。

  • 岐阜城で石垣をじっくり見なかったのが心残りだったので、進む、立ち止まるの繰り返し。<br />

    岐阜城で石垣をじっくり見なかったのが心残りだったので、進む、立ち止まるの繰り返し。

  • 今なら待ち時間なしのよう。<br /><br />

    今なら待ち時間なしのよう。

  • 鏡石みたいな巨石。でも、他にも大きめな石を見かけたので、手に入った石を積んだだけなのかも。<br />

    鏡石みたいな巨石。でも、他にも大きめな石を見かけたので、手に入った石を積んだだけなのかも。

  • この角が、すてき。<br /><br />

    この角が、すてき。

  • 岩坂門。<br /><br />

    岩坂門。

  • <br />


  • 9:44<br />本丸を守る厳重な櫓門。現在の門はRC造の模擬門です。<br />

    9:44
    本丸を守る厳重な櫓門。現在の門はRC造の模擬門です。

  • この時点で門を出て行く人が結構いて、皆さんかなりの城好きなのかななんて思っていましたが、早く天守に向かった方が良いと後で分かりました。<br />

    この時点で門を出て行く人が結構いて、皆さんかなりの城好きなのかななんて思っていましたが、早く天守に向かった方が良いと後で分かりました。

  • 本丸に到着。<br /><br />国宝犬山城。<br />天文6年(1537)に織田信長の叔父・信康が築城。現存12天守の中で日本最古。<br />天守構造は望楼型、三重四階地下二階の複合式天守(本丸地上より約24m)。<br />南北に唐破風、東西には入母屋破風を有しています。最上階外壁にある華頭窓は木枠のみで開閉ができず、格式を重んじて飾られたそうです。<br />

    イチオシ

    本丸に到着。

    国宝犬山城。
    天文6年(1537)に織田信長の叔父・信康が築城。現存12天守の中で日本最古。
    天守構造は望楼型、三重四階地下二階の複合式天守(本丸地上より約24m)。
    南北に唐破風、東西には入母屋破風を有しています。最上階外壁にある華頭窓は木枠のみで開閉ができず、格式を重んじて飾られたそうです。

  • 一重目は下見板張り、二重目が白漆喰総塗籠(そうぬりごめ)、最上層が真壁造(しんかべづくり)になっています。<br />

    一重目は下見板張り、二重目が白漆喰総塗籠(そうぬりごめ)、最上層が真壁造(しんかべづくり)になっています。

  • 真壁造は柱や長押を見せる構造で、最上層の軒裏は白木のまま。お寺や神社の建築方として用いられることが多く、お城ではとても珍しい造りで、白木が見られるのは現存12天守では犬山城と丸岡城のみ。<br /><br />華頭窓同様に格式を高めるための造りだそうで、またひとつ、お城の楽しみ方を学びました。<br />

    真壁造は柱や長押を見せる構造で、最上層の軒裏は白木のまま。お寺や神社の建築方として用いられることが多く、お城ではとても珍しい造りで、白木が見られるのは現存12天守では犬山城と丸岡城のみ。

    華頭窓同様に格式を高めるための造りだそうで、またひとつ、お城の楽しみ方を学びました。

  • イチオシ

  • 付櫓。<br />敵が天守入り口に差し掛かった時には側面から攻撃を加えることができ、犬山城以外の現存天守では備中松山城、彦根城、松江城が付櫓を有していますが、2つ(南東隅と西北隅)付くのは犬山城だけ。<br />

    付櫓。
    敵が天守入り口に差し掛かった時には側面から攻撃を加えることができ、犬山城以外の現存天守では備中松山城、彦根城、松江城が付櫓を有していますが、2つ(南東隅と西北隅)付くのは犬山城だけ。

  • 9:52<br />数分並んでから、いよいよ天守閣内へ。靴を脱ぎ用意されたポリ袋に入れ、手に持っての登城です。<br />

    9:52
    数分並んでから、いよいよ天守閣内へ。靴を脱ぎ用意されたポリ袋に入れ、手に持っての登城です。

  • 天守内部は全面一方通行というわけではありませんが、先に最上階から見学するような流れが出来ていました。<br /><br />上階へと進む途中、窓から覗いた屋根瓦に桃形の留蓋を発見。<br />

    天守内部は全面一方通行というわけではありませんが、先に最上階から見学するような流れが出来ていました。

    上階へと進む途中、窓から覗いた屋根瓦に桃形の留蓋を発見。

  • <br />


  • 赤い絨毯敷きの階段が出現。これまでの階段は急勾配ながら左右に分かれて昇降できたのに、最上階となる4階へと続く階段は狭く、係りの方の誘導に従って上り下りを交互に進みます。<br />

    赤い絨毯敷きの階段が出現。これまでの階段は急勾配ながら左右に分かれて昇降できたのに、最上階となる4階へと続く階段は狭く、係りの方の誘導に従って上り下りを交互に進みます。

  • 最上階・4階「高欄の間」<br />階段から続く赤い絨毯が現代風で気になりましたが、昭和の大修理で銅の鋲と壁際に鋲がうたれた跡が見つかり鋲に繊維が付着してたことから、以前から絨毯が敷かれていたということが判明したそうです。<br />江戸時代に絨毯を海外から手に入れたなんて、成瀬家にはどれほどの経済力があったんだろう。 <br />

    最上階・4階「高欄の間」
    階段から続く赤い絨毯が現代風で気になりましたが、昭和の大修理で銅の鋲と壁際に鋲がうたれた跡が見つかり鋲に繊維が付着してたことから、以前から絨毯が敷かれていたということが判明したそうです。
    江戸時代に絨毯を海外から手に入れたなんて、成瀬家にはどれほどの経済力があったんだろう。 

  • 高欄の間の外には、廻縁と、その手すりである高欄が巡り眺望が楽しめます。<br />

    高欄の間の外には、廻縁と、その手すりである高欄が巡り眺望が楽しめます。

  • 廻縁からは素晴らしい景色が望めるけれど、風が吹きつけてきて、みんな寒いを連発していました。<br />靴を脱いでいるので足底は冷たいし、真冬に登城しなくてよかった。<br />

    廻縁からは素晴らしい景色が望めるけれど、風が吹きつけてきて、みんな寒いを連発していました。
    靴を脱いでいるので足底は冷たいし、真冬に登城しなくてよかった。

  • この山の方向に夕日が沈むそうで、赤く染まる空も見てみたい。<br />

    この山の方向に夕日が沈むそうで、赤く染まる空も見てみたい。

  • <br />


  • 廻縁に出られるのは犬山城と高知城だけだそう。高欄に擬宝珠などはなく、とてもシンプルです。<br /><br />

    イチオシ

    廻縁に出られるのは犬山城と高知城だけだそう。高欄に擬宝珠などはなく、とてもシンプルです。

  • 瓦の上の留蓋を見下ろせるのは、廻縁に出られるからこそ。亀の甲羅に桃が乗せられた魔除けを意味する瓦は、唐破風に4個、付櫓に4個あるそうです。<br />

    イチオシ

    瓦の上の留蓋を見下ろせるのは、廻縁に出られるからこそ。亀の甲羅に桃が乗せられた魔除けを意味する瓦は、唐破風に4個、付櫓に4個あるそうです。

  • 廻縁を一周後、高欄の間に戻りました。<br /><br />

    廻縁を一周後、高欄の間に戻りました。

  • 国宝指定書<br />三重四階 地下二階付 本瓦葺<br /><br />

    国宝指定書
    三重四階 地下二階付 本瓦葺

  • 3階へ。<br />唐破風の間。<br />

    3階へ。
    唐破風の間。

  • 天井が低い入母屋造り(二重目)の屋根裏。装飾として成瀬氏により南北に唐破風の間が増築されたとありますが、窓がない階だったので明かり取りの役目も果たしたよう。 東西には入母屋破風が施されています。<br />

    天井が低い入母屋造り(二重目)の屋根裏。装飾として成瀬氏により南北に唐破風の間が増築されたとありますが、窓がない階だったので明かり取りの役目も果たしたよう。 東西には入母屋破風が施されています。

  • 最上階へと続く階段以外は、こんな風に左右に分かれて昇降します。写真を見て思い出したけど、右側通行だったのね。<br />

    最上階へと続く階段以外は、こんな風に左右に分かれて昇降します。写真を見て思い出したけど、右側通行だったのね。

  • 2階。 <br />中央に武具の間。その周りに武者走り。 屋根がとにかく高いです。<br />

    2階。
    中央に武具の間。その周りに武者走り。 屋根がとにかく高いです。

  • <br />


  • 国宝5城。犬山城、松本城、姫路城、彦根城、松江城。<br />この日の犬山城登城により、5つのお城を制覇できました。<br />

    国宝5城。犬山城、松本城、姫路城、彦根城、松江城。
    この日の犬山城登城により、5つのお城を制覇できました。

  • 梁の形が場所によって違うのに気付いて、首が痛くなるほど見上げてしまいました。アーチを描いているもの、端を削ったり、木の形そのままのもの。説明のパネルはなかったけど、内部の造りを見るのも楽しい。<br />

    梁の形が場所によって違うのに気付いて、首が痛くなるほど見上げてしまいました。アーチを描いているもの、端を削ったり、木の形そのままのもの。説明のパネルはなかったけど、内部の造りを見るのも楽しい。

  • 1階へ。<br />付櫓。3カ所の窓があり遠くまで見渡すことができます。<br />

    1階へ。
    付櫓。3カ所の窓があり遠くまで見渡すことができます。

  • 確かに外がしっかり見えます。<br /><br />

    確かに外がしっかり見えます。

  • 四戦場の図(複製)。犬山城を描いた絵の中では1番古いものだそうですが、制作年の説明はありませんでした。<br />

    四戦場の図(複製)。犬山城を描いた絵の中では1番古いものだそうですが、制作年の説明はありませんでした。

  • 右から左に、姉川の戦い、続長久手の戦い、簗瀬の戦い、関ヶ原の戦いと時系列に配置され、元の絵は石川県金沢市の前田土佐守家資料館に展示されているそうです。<br /><br />窓から光が差し込んで反射してしまうと思ったら、あれ?映り込んだ格子の形が違う。<br />

    右から左に、姉川の戦い、続長久手の戦い、簗瀬の戦い、関ヶ原の戦いと時系列に配置され、元の絵は石川県金沢市の前田土佐守家資料館に展示されているそうです。

    窓から光が差し込んで反射してしまうと思ったら、あれ?映り込んだ格子の形が違う。

  • 横格子のものは1ヵ所だけだったので、後で調べようと撮影。いろいろ検索しましたが、この謎はまだ明らかではなく学者によって様々な推測がされているそう。<br />

    横格子のものは1ヵ所だけだったので、後で調べようと撮影。いろいろ検索しましたが、この謎はまだ明らかではなく学者によって様々な推測がされているそう。

  • 第一の間。<br /><br />

    第一の間。

  • 第二の間。<br /><br />

    第二の間。

  • 上段の間。

    上段の間。

  • 階の中央部には第一の間、第二の間、上段の間、納戸の間があり、4室を武者走りが取り巻いています。<br />1階は不等辺四角形だそうだけれど、中にいると分かりませんでした。<br />

    階の中央部には第一の間、第二の間、上段の間、納戸の間があり、4室を武者走りが取り巻いています。
    1階は不等辺四角形だそうだけれど、中にいると分かりませんでした。

  • 白帝城とは犬山城の別名。<br />江戸時代の儒学者・荻生徂徠が、李白の漢詩「早発白帝城」に由来して名付けたもの。木曽川沿いに位置する犬山城を、長江流域の白帝城になぞらえたそうです。<br />

    白帝城とは犬山城の別名。
    江戸時代の儒学者・荻生徂徠が、李白の漢詩「早発白帝城」に由来して名付けたもの。木曽川沿いに位置する犬山城を、長江流域の白帝城になぞらえたそうです。

  • 空いていたので、武者走りをあっちに行ったりこっちに行ったり。廻縁にいた人たちは、何処に。<br /><br />

    空いていたので、武者走りをあっちに行ったりこっちに行ったり。廻縁にいた人たちは、何処に。

  • 石落としの間。<br />でも壁際の床にあるはずの窓(穴)を見つけられず、どうやって石を落としたのやら。改修時に塞いでしまったのかどうかは分かりません。<br />

    石落としの間。
    でも壁際の床にあるはずの窓(穴)を見つけられず、どうやって石を落としたのやら。改修時に塞いでしまったのかどうかは分かりません。

  • 天守閣最上階にあった桟唐戸。台風による破損が著しく新しいものに交換されていますが、貴重な文化財であるからと残った木を組み直して展示されています。<br />

    天守閣最上階にあった桟唐戸。台風による破損が著しく新しいものに交換されていますが、貴重な文化財であるからと残った木を組み直して展示されています。

  • <br /><br />



  • 地下1階・2階(穴倉)へ。<br />天守を支える石垣や太い梁も見応え十分。<br />

    地下1階・2階(穴倉)へ。
    天守を支える石垣や太い梁も見応え十分。

  • ひときわ目立っていた梁。当時はまだ鉋がなかったそうで、仕上げのために削って出来た模様が蜂の巣の形のようできれい。<br />大工道具の発達など、安土桃山時代の建築様式を学べるのも犬山城の魅力のひとつだそうです。<br />

    ひときわ目立っていた梁。当時はまだ鉋がなかったそうで、仕上げのために削って出来た模様が蜂の巣の形のようできれい。
    大工道具の発達など、安土桃山時代の建築様式を学べるのも犬山城の魅力のひとつだそうです。

  • <br /><br />



  • 10:55<br />ちょうど1時間の見学を終えて天守閣を出ました。<br /><br />

    10:55
    ちょうど1時間の見学を終えて天守閣を出ました。

  • 石落としは、石垣から突き出して外観の形状が下部にいくほど広がっている袴腰型。<br />でも、天守内部の1階にあった石落としの間には床の窓がなかったので、攻め来る敵への抑止力としたダミーなのかもしれません。<br />

    石落としは、石垣から突き出して外観の形状が下部にいくほど広がっている袴腰型。
    でも、天守内部の1階にあった石落としの間には床の窓がなかったので、攻め来る敵への抑止力としたダミーなのかもしれません。

  • 神木「大杉様」<br />元々は犬山城よりやや背が高く、伊勢湾台風の際の落雷で枯れてしまったそう。それ以降、地元の住民は杉の木が犬山城の身代わりになってくれたとして、しめ縄をして祀っているそうです。<br />

    神木「大杉様」
    元々は犬山城よりやや背が高く、伊勢湾台風の際の落雷で枯れてしまったそう。それ以降、地元の住民は杉の木が犬山城の身代わりになってくれたとして、しめ縄をして祀っているそうです。

  • もう一度、ゆっくりと天守閣を眺めます。やっぱり現存天守は、存在感がすごい。<br /><br />一重目と二重目は慶長6年(1601)に造られ、望楼部は元和6年(1620)に付け足されたと考えられています。<br />一重・二重目の大棟を下げて破風の位置を変えることによって最上層の廻縁と高欄を設け、いまの姿となったそう。<br />

    もう一度、ゆっくりと天守閣を眺めます。やっぱり現存天守は、存在感がすごい。

    一重目と二重目は慶長6年(1601)に造られ、望楼部は元和6年(1620)に付け足されたと考えられています。
    一重・二重目の大棟を下げて破風の位置を変えることによって最上層の廻縁と高欄を設け、いまの姿となったそう。

  • 11:13<br />天守に上る前には無かった規制のポールが並べられ、長蛇の列ができていました。<br />

    11:13
    天守に上る前には無かった規制のポールが並べられ、長蛇の列ができていました。

  • 紅葉の写真を撮っていたら、その列は伸びていくばかり。入城できたとしても、天守閣内で階段昇降の制限もあるから、廻縁まで辿り着くまでに1時間はかかりそう。大河ドラマのせいで混んでるのかなという会話が聞こえてきましたが、人気のお城なので朝早く上った方が良いようです。<br />後で調べたら、HPには何分で入城できるかの案内があって、夕方でも40分待ちになっていました(訪ねたのが日曜日だったので、平日なら空いているのかな)。<br /><br />入城は16:30まで。17時見学終了。<br />

    紅葉の写真を撮っていたら、その列は伸びていくばかり。入城できたとしても、天守閣内で階段昇降の制限もあるから、廻縁まで辿り着くまでに1時間はかかりそう。大河ドラマのせいで混んでるのかなという会話が聞こえてきましたが、人気のお城なので朝早く上った方が良いようです。
    後で調べたら、HPには何分で入城できるかの案内があって、夕方でも40分待ちになっていました(訪ねたのが日曜日だったので、平日なら空いているのかな)。

    入城は16:30まで。17時見学終了。

  • 11:31<br />とても見応えのあるお城でした。さすが国宝です。<br /><br />

    11:31
    とても見応えのあるお城でした。さすが国宝です。

  • 11:51<br />登城路を下って神社へ。<br />

    11:51
    登城路を下って神社へ。

  • 三光稲荷神社<br />御祭神<br />宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ) <br /><br />創建不詳ですが、天正14年(1586)との伝承もあり。<br />犬山城内三狐寺山(現在の丸の内緑地公園内)に鎮座し犬山城主織田信康の保護を受け、江戸時代以降は犬山城主成瀬氏の守護神とされています。現在の地には昭和39年(1964)に移られたそうです。<br /><br />参拝後に御朱印をいただきました。<br />

    三光稲荷神社
    御祭神
    宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ) 

    創建不詳ですが、天正14年(1586)との伝承もあり。
    犬山城内三狐寺山(現在の丸の内緑地公園内)に鎮座し犬山城主織田信康の保護を受け、江戸時代以降は犬山城主成瀬氏の守護神とされています。現在の地には昭和39年(1964)に移られたそうです。

    参拝後に御朱印をいただきました。

  • 猿田彦神社。<br />三光稲荷神社の境内社ですが独立した存在です。こちらも参拝させていただきました。<br />

    猿田彦神社。
    三光稲荷神社の境内社ですが独立した存在です。こちらも参拝させていただきました。

  • 神社前のベンダーには、わん丸君の絵。犬山市公式キャラクター。10月10日生まれ。10才の男の子。<br />

    神社前のベンダーには、わん丸君の絵。犬山市公式キャラクター。10月10日生まれ。10才の男の子。

  • 12:02<br />鳥居をくぐり、一礼。次の目的地の寂光院(もみじでら)に向かいます。<br />

    12:02
    鳥居をくぐり、一礼。次の目的地の寂光院(もみじでら)に向かいます。

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